第十幕 悪魔と塔:前編

 『悪魔と塔 〜あるいはかつて■■を■■■■とした■■■のお話〜』










 誰しも一度は考えた事があるだろう。海や空は何故あんなに蒼いのか、と。誰しも一度はそんな質問をして両親を困らせた事があるだろう。

 一つの疑問を抱く度に人は懸命になる。謎を解き明かそうと努力するからだ。一つの疑問を紐解く度に人は賢くなる。実際その疑問は知識として吸収されるからだ。

 懐疑と解明の繰り返し、これこそが人類の歴史における進化の積み重ねであり、それがあったからこそ人間は一時とは言え地上の覇者として君臨することができたのだろう。より強く、より大きく、そしてより長く反映する為のツールとして、人類は知識を高め続けた。

 本当は違う。

 知らないことを究明したいなどと、そんな情緒あふれるロマンだけで人類がここまで来たと本気で思っている者がいるのなら、是非その頭蓋を開いて中身を拝んでみたいものだ。人類が叡智を求めたその真の理由、それはもっと物質的で、即物的な欲望に塗れ、それでいて冒涜的なものが真相にあった。

 人間自身が、完全であることを夢見たからだ。力ではなく知を進化の糧とした人類は、神と呼ばれる存在を全知全能、平たく乱暴に言えば「何でも知っていて何でも出来る存在」と定義付けた。であれば必然、逆説的に「全てを知り得た者」は「神」となる。

 人間は神になりたいという渇望を潜在的に誰もが抱えている。然もありなん、神の姿を模して創られたモノがヒトである以上、そうした欲望が生まれるのは自明の理だろう。より完全に変化し、より完璧に進化し、そしてより上位の次元に昇華しようとする意思は、それ即ち人類が創始されたその時に宿命付けられていたものだ。

 神は全てを知る、全てを知った者は神になれる……それが、おおよそ全ての宗教や宗派における神と呼ばれる存在への、共通の考え方であった。

 そして、それはもう過去の考えだ。今はもう神になろうとする者はいない。

 何故か?

 誰かが言った。『神は死んだ』、と。迂遠でくどい言い回しが標準語となっている哲学者の発言とは思えないほど、その言葉は事実をありのままに言い表していた。

 その通り。かつて我々が唯一絶対と畏れ敬い、地上の遍く文明を天上より支配した“神”と呼ばれた存在は、今やその威光を欠片ほども残してはいない。時が全てを運び去り、あらゆる物は風化して砂と消え果てた。今この時代は信仰とは全く別の力が世界に息づいている。清廉で厳かであった旧き時代から、淫蕩で奔放な新しき時代へと移り変わった。

 これは、かつて我々が『主神』と呼んだモノが、かつて我々が『魔王』と恐れたモノにより打倒されてから、およそ三百年ほど後の物語である。

 世界は、変わった。

 一番の変化は人口比率だろう。人間の男女比はこの三世紀の間に見事にバランスが崩壊し、世界の人口の内女性はたった数パーセントという数字が叩き出された。

 一見すれば人類存続の危機にも思える激減率だが、あくまでこれは「人間の」女性だけの話。今や単に「女性」と言えば、それはかつて魔物娘と呼ばれた種族を含めた雌性体全般を指し示す。それらを含めた上でもう一度統計を取れば、今度は綺麗に半々の男女比に収まることが分かるだろう。今や純正のヒトは極僅か。極稀に突然変異か先祖返りかで純正のヒトが誕生することもあるが、世界全体の人口から見れば小数点以下の比率に過ぎない。

 世界は、変わった。

 生活の場が変わった。かつて人間は緑豊かな平地に住み、近くに河があればそこに町を形成し集団で暮らしていた。

 今やその生活圏は止まる処を知らぬほどに広がっている。未開の原生林や荒野だけでなく、水分に乏しく寒暖差に厳しい砂漠、年中通して火を噴き上げる火山の中腹、気圧が薄い高原、空気どころか光すら届かない深海の底に至るまで、かつて高等生物が住まうには困難に過ぎるとされた環境下にも、新人類は容赦なく食い込み苦もなく生活を送れるようになった。今や人の住んでいない場所を探す方が遥かに難しいだろう。

 世界は、変わった。

 愛し合い、睦み合い、悦びを与え合う事は決して衆目を避けるべき事柄ではなくなった。神の代替わりという神話的な大事変を経て世界の法則は変化し、愛し合う妨げとなる『老い』と呼ばれる現象は消え、生あるモノを縛り付けた『寿命』も種の限界値を大きく越えた。つまり、瑞々しい若さを保ったまま永きを生きられるようになったのだ。

 結果もたらされるのは、全世界、そして全時代規模での人口爆発。十数倍に跳ね上がった平均寿命、二桁など当たり前になった出生率、そして生物学的に「若い」とされる時間が膨大に増えたことで、世界の人口グラフは年々右肩上がり、倍々ゲームのような天文学的な数字を記録する
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