レスカティエ教国、首都中央にて────。
「以上が、ゲオルギア共和人民連邦で起きている異変の詳細です」
「報告ありがと。下がっていいわよぉ」
部下のサキュバスからの報告を受け、改めて資料に目を通す。
紙の束全てを隅々まで目を通し、物憂げに小さな溜息をひとつ漏らす、たったそれだけの何気ない行為が途轍もない色香を伴い、雄性を刺激する甘い香りとなって空間に充満する。もしここに「まとも」な男がいれば、彼女の仕草ひとつを目にした瞬間に獣性に身を任せ飛び付かずにはいられない、そんな誰も抗えない魅力をこの女性は持っていた。
女の名は、デルエラ。かつて人間界最大勢力を誇ったレスカティエを堕とし、背徳と堕落の都に変えた大淫魔。魔界を治める魔王の第四子にして、現在人間界で最も大きな影響力を持った魔物娘だ。
教国裏のトップとして、表の女王フランツィスカには出来ない事をするのが今のデルエラの仕事だ。フランツィスカは自他共に認めるお飾り、言わば未だ存続を許される主神教や王族の威光を効率よく発信する為の装置であり、事実上の実権はデルエラが握って久しい。彼女がこの国を統治する真の王者であることは、もはや誰もが知る公然の秘密だ。彼女がその気になりさえすれば、その魅力と手腕を以て周辺各国を骨抜きにすることも容易に可能だ。
その彼女が、数多の人間を、政治を、宗教を、己が色に染め上げ手中に収めてきた大淫魔デルエラが……。
「はぁ、困ったわね……」
二度目の溜息、そして頭を抱えていた。
実際には右手をそっと額に添える程度の仕草だが、彼女を知る者がこれを見ればナーバスに陥ったその雰囲気に驚いたことだろう。つまりはそれだけの厄介事を今のデルエラは抱えてしまっているのだ。
抱える案件とは即ち、北の隣国・ゲオルギア連邦で起こっている出来事だ。
教国と連邦はつい二十年前まで敵対関係にあった。教国だけではない、かの国にとって竜の尾を越え南にある国は全てが敵視の対象だった。貴族たちを革命により虐殺して形成された連邦はその国風に逆らわず、統制、搾取、弾圧の三拍子揃った徹底した暴力による管理を主体とする政治が長く続き、ドラクトルの山々が無ければとっくに戦争を仕掛けられていたと言われるほど急進的な国家だった。その暴力革命を引き継ぐ旧体制が崩れたのが二十年前で、それからは以前のような攻撃的な外交はなりを潜めるようになった。
だが未だに反貴族の気風は根強く、富の占有を象徴するとして貴族階級を多数抱える教国や、その隣国のアルカーヌム連合王国に対する風当たりは強い。それら国民の感情を受け流し妥協点を探りつつ、やっとの思いで今回のトンネル開通計画を実行に移す段階まで持ち込んだのだ。そこに無視できない暗雲が現れたとなれば、計画を進めた第一の功労者としてデルエラの心労は計り知れない。
「デルエラ様、お客様がお見えになっております」
「悪いけど後にしてくれないかしら。今少し立て込んでるのよ」
「いえ、それがその……」
「……あぁ、来たのね」
そう言えば事前に目通りする相手がいたと思い出し、少し身嗜みを整え応接室へ向かう。知らない相手ではないが、公の立場で会うとなると少し畏まって行く必要性がある者だ。少し「仕事モード」で応対しなければならない。
「おそい」
応接室で待ち構えていた相手の第一声に、デルエラも普段緩ませている神経を引き締める。少なくとも公事の場においては魔界の第四皇女である自分より、目の前のこの男の方が立場が上だからだ。
「これから休もうかと思ってたところなのよ。ほらぁ、長く起きてるとお肌の美容に悪いでしょう? 寝たい時に寝て、食べたい時に食べるのが一番理に適ってるのよ」
「おまえの生活様式がどうこうなど今はどうだっていい。分かっているのか、おれがわざわざここに来た意味が」
「ええ、充分承知してるわ。王魔界の使者さん」
眼前に座す男は魔王の膝元、王魔界から来訪した使いの者。即ち彼こそは全魔界の頂点に君臨する魔王の勅命を携えた王の言葉を伝える者、そして今この場における魔界の全権代表者なのだ。公的なこの場においては、人間界の支配を「任されている」だけのデルエラより遥か上に属している。
「魔王陛下より預かったお言葉を伝える。心して聞け」
「はっ!」
そしてそれを象徴するように、上座に座る使者の前でデルエラが跪いた。彼個人に対してではなく、その背後に控える偉大な母に対し、デルエラは臣下の礼を取るのだ。
「『過日、北の雄たるゲオルギア共和人民連邦に対し行いたる所業、甚だ悪辣の極み。其のもたらした近況を知り得た我が心中、之も甚だ乱れ穏やかに収まることを知らず。汝の手腕に対する我が期待を裏切り
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