第四幕 正義と審判:前編

 『正義と審判 〜あるいは書記官と裁判官のお話〜』










 アルカーヌム連合王国、そこは平原を治める諸侯が寄り集まって出来た複数の州から成る国家である。代々続く王家によって統治され、極力他国との間に問題を起こさない政治的スタンスと穏やかな国民性が相まって、大陸の国々の中で最もとっつきやすいと評判でもある。

 様々な国と国交を結び多くの外交官や大使が派遣されてくるが、王国の土を踏む者は国家の任を背負っている者ばかりとは限らない。中には見聞を広めるのを目的として留学を望む者も少なからず存在する。単純な勉学だけでなく技術や文化などを学び、得た知識を本国で活かそうと精力的に学び舎の門を叩く者もいるのだ。

 彼女もまた、そうした目的を持ってこの国を訪れた一人だ。

 「ここか」

 こざっぱりした手荷物を持って道の真ん中に立つのは、黒い獣耳と尻尾、ジャッカルを思わせる四肢を持った魔物娘、アヌビスだ。

 彼女の名はメティト。西方の王、ネフェルキフィが治める帝国より来訪した外国人だ。紙に記された略地図に導かれて、その足は宿屋を改装して造られた集合住宅へとやって来ていた。ここの一室が今日から彼女の部屋になる。

 「すこし見窄らしい気もするが、住めば何とやらか」

 メティトはつい数日前までホルアクティ朝の重臣だった。王に直接仕え、その政務を支える栄誉ある仕事をしていた。それ以前にも玉体が復活するまでの間ずっと地下帝国を切り盛りしており、帝国の事実上の前代統治者だった女だ。本来なら隣国に渡ってアパート暮らしをするような人物ではない。

 今日彼女がこの国を訪れたのには理由がある。多くの前途ある若者や学人と同じように、彼女もまたひとつの目的を持ってこの国を訪れた。

 帝国は新たに生まれ変わったが、何もかもが五千年前と同じようには行かない。人も、歴史も、文化も、かつて王が支配していた時代とは何もかもが違いすぎている。その相違や矛盾点を抱えたままでは国が立ち行かない事を早くに予見した女王は、優秀な臣下であるメティトと共に新たな国の支配体制を根付かせるきっかけを作る事に取り組んだ。

 そうして明らかになった帝国と他国の重要な相違点。

 それは、帝国には法律が無いという事だった。

 法はある。盗みを働けば罰せられ、殺しをすれば刑に処される。だがそれはあくまで法やモラルがどうというレベルではなく、一般常識の延長として存在する信賞必罰の具現に過ぎない。それまで帝国は国家の機能全てが王権に委ねられていた。政治も司法も王の手を離れたことは無く、帝国にあって法とは王の命令、あらゆる事が王命によって機能する社会が作られていた。つまり、わざわざ文字に起こして書き記すまでもなく絶対者の法が確かに存在していたのだ。

 しかし、国という国を併呑していた昔ならともかく、他国と親密な関係を築くことを重視する今の時代、双方にとって重要な意味を持つ法律が文字通りの不文律では何かと不都合が生じる恐れがある。法は正義と秩序の顕れであると同時に、信用の証としても無視できないツールなのだ。だが帝国はこれまでに明確な法典を定めた経験がなく、法制定は草案作りの時点で難航が目に見えている状況だった。

 そこで白羽の矢が立ったのが、王不在の間に国を取り仕切っていた王権代行者のメティトだった。元々書記官という職に就いていた彼女はその方面の知識に明るく、制約や規律を重んじるアヌビスの性格からも、そう言った事細かいルール作りには打って付けの人材だった。彼女自身も自らのスキルを自覚し、それを活かす手段として今回の王国留学を申し出たのである。王国の歴史と文化を学び、その法整備についてのノウハウを得て本国に帰還すると言うのが任務の内容だ。

 もちろんこれは王国側も承知しており、対外的には留学生だが実態は外交官として扱われている。現状唯一の同盟国である王国としても、法の上でも共有できる部分があれば将来的な国交が更に円滑なものとして機能する事を見越しての承諾だった。

 そんな外交官身分のメティトが、何故街中のアパートメントなどに足を運ぶのか……。

 「まさか、法学を学ぶのに学び舎ではなく現役判事の助手に抜擢されるとはな。己がよほど買い被られているのか、それともその判事がそれだけ優秀なのか……」

 それはこれから分かることだ。

 聞けばその判事はここで暮らしているという。紹介してくれた王国の計らいで同じ場所で暮らすことを許可され、こうしてこのアパートメントの空き部屋へとやって来たのだ。

 それにしても判事と言えば裁判所の長だ、そんな社会的に身分の高い人物がこんな下町に近い場所に居を構えているとは、意外というかイメージが合わないと言うべきか。

 「己には関係のないことだ
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