第三幕 女帝と囚人:後編

 鉄仮面が大墳墓迷宮にやって来て早いもので一週間が過ぎた。最初は地下の住人らも男の風貌を怪しく思い、通り過ぎる度にぎょっとした顔をしたものだが、次第に慣れたのか今は気さくに話しかけられる事が多くなった。

 それには男の人柄や言動が大きく影響した事は言うまでもない。魔物嫌いで知られた教国出身とは思えないほど、彼は住人たちに分け隔てなく接していた。王はもちろん、書記官のメティトや下働きのケプリに至るまで、彼の穏やかで腰の低い振る舞いは誰にも好印象を与えるものだった。いつしか不気味な甲冑は男の単なる装飾品として見られ、いつしか他人を威圧する物ではなくなっていた。

 だがその人あたりの裏に隠された闇を、ネフェルキフィは見てしまっている。

 肉体も、人格も、精神も、これまで己が歩んで来たであろう人生も……己から派生する何もかも一切を、何の迷いもなく塵屑と断言するその確信。誰にも必ず備わっているはずの自負心、プライド、自己愛というものが致命的に欠損してしまっている。「最低最悪の汚物」……彼は自身をそう称する。

 劣等感ではない。彼の中にはそもそも、他者と比較してどうこうという基準をまず持たない。泥と宝石では明らかに後者が価値ある物であるように、彼はあらゆるカテゴリにおいて自身を最底辺に置くことを前提としている。糞が汚く、泥が無価値なように……鉄仮面は己の全てを比べるまでもなく、いや比べる事自体が罰当たりとさえ考えているのだ。

 その証拠に、彼は自ら行動することは決してしない。誰かと会話を楽しんでいるように見えても、実際は聞き手に専念し相槌を打っているに過ぎず、絶対に自分から話しかけたりする事はない。試しに一日中、あの黄金の寝室で過ごさせてみたが、入浴や食事で動く以外はその殆どを隅で所在なさげに膝を抱えているだけだった。当然、会話など無い。

 泥が乾いて土となり、やがては風化して砂になるように……消え去ることのみを切望している。

 「哀れな……なんと哀れな」

 頂点に立つ支配者としてではなく、同じ屋根の下に生きる一人の女として……鉄仮面の生き方に憐憫を覚えずにはいられないネフェルキフィ。

 実を結ばない徒花の生き方。いや、花ならばまだ良い方だ、美しければ愛でられもする。だがこの男は愛でられる事を拒む。己以外の全てを等しく崇高なものであると捉えるその精神は、「素晴らしき人々が、最悪の汚物である己を気にかけることで汚されてはいけない」と考えている。花開くつぼみは無骨な仮面で覆い隠され、未だその真実をさらけ出そうとしない。なまじその魂が美しき波動を放つからこそ、女王の憐憫は絶えず男に注がれていた。

 「如何ともし難い、か」

 迷える子羊なら救うことも出来よう。だが当の本人が罪人を自称し救われることを拒んでいる以上……。

 「この世に生きる事を望まぬ命があるものか」

 我欲あってこその命、生命一番の欲望とは生きること。闇に沈んだ魂を引き上げるのは、太陽の輝き。

 「汝れの闇……このネフェルキフィが払って見せようぞ」





 と密かに啖呵を切ったものの、そんなすぐに妙案が思いつくはずもなく、日がな一日玉座でふんぞり返りながら思案を続ける時間を送っていた。宴の翌日から行う執務は、臣下から寄せられてくる報告を元に指示を下すことだ。

 「以上、各地のオアシス水位の変化についてです」

 「水不足、砂漠の宿痾か」

 王が復活したとは言え、領土は未だ砂に覆われた不毛の地だ。国造りにおいてまず何よりも治水が重要になってくるが、現在の帝国はその治めるべき水を欠いている。魔物はともかくとして、ヒトは水が無ければ生きられない。その事はかつて人間だったネフェルキフィこそ十二分に理解していた。

 地下水脈を組み上げて地道に緑化するという手段もあるが、樹一本育てるのに更に百年も待つ余裕はない。このまま地下で日の当たらぬ日陰者として生きる屈辱だけは味わいたくなかった。

 「陛下ぁ〜、もうそろそろイイんじゃないですかぁ? あの人とスることしないと、この国はいつまで経っても……」

 「分かっておる……分かっておるのだ、そんなことは」

 「だったらぁ」

 「もう良い、下がれ。汝れの言葉は臣民を代表するものとして胸に留めておく」

 そう言って半ば強引に臣下を下がらせた。

 ネフェルキフィとて分かっている、このままでは砂漠の環境を保つだけで精一杯だと。昔日の繁栄を取り戻すには、この砂漠を生命溢れる魔界に変える必要があり、その為には人間の男と情を交わし愛を誓い合わなければならない。現状、今すぐにでもそれが可能な相手は一人だけだが……。

 「迷われておいでなのですか」

 新たに玉座に現れたアヌビスのメティトが見透かしたようにそう問う。そ
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