第二幕 魔術師と隠者:前編

 『魔術師と隠者 〜あるいは見習い魔道師と森の賢人のお話〜』










 空飛ぶ靴、という物を目にしたのは十にも満たない幼い頃のこと。好事家の父が大枚はたいて購入したコレクションの中にそれを発見したのが始まりだった。

 ヘルメシューズという古代の神の名を与えられたそれは、飛行に必要な魔術を組むことでようやく飛べる魔女の箒とは違い、持ち主の魔力を燃料にするだけで浮遊し飛行できるという代物だった。つまり、バランス感覚さえしっかりしていれば誰でも扱えるということだ。

 幼いながらもどこかマセていた自分は、そんな馬鹿げた夢物語が実在するはずがないと高を括っていた。事実、大金を支払って手に入れた父がそれを履いて飛んでいる姿など見たことがなく、展示室という名の倉庫でひっそりとホコリを被っている物だった。

 だが同年代の他の子供たちにとっては、真偽はどうあれとても魅力的に聞こえたようだ。遊んでいる時に父親がそんな物を持っていると零した拍子に寄ってたかられ、見たい見たいの大合唱だった。仕方なく父に内緒で倉庫から持ち出し、翌日皆の前でそれを履いて見せた。

 見た目は何の変哲もないただの革靴で、空を飛ぶと聞いて羽根が生えているとでも思っていた連中は露骨にがっかりした様子だった。

 だがそれを履いた瞬間、自分の体はいとも容易く宙に浮き、綿毛のごとく風に乗って流されていった。

 そして同時に理解する。父が履いた所を見たことが無かったのは、この靴のサイズが子供用だったからだと。

 民家の壁にぶつかった拍子に靴は脱げ一緒に落下、地面に真っ逆さまに落っこちて頭を打ち、チカチカと星が瞬く視界の中でふと思ったのだ。

 「この靴は、どうやって作ったんだろ?」

 当然というべきか、その靴は魔術によって作られていた。靴を作った技術そのものは従来のものだが、素材を加工する段階で高度な魔術理論が編み込まれ、これを見たバフォメットが大層驚いていたのを覚えている。

 その日以来、自分は魔術の世界に引き込まれた。いずれ魔道に大成する人間になろうと決意し、全ての時間を魔術の修練に捧げることにした。魔術に関する蔵書を読み漁り、呪文を唱え、薬草の採取から魔界生物の研究といった分野にも、魔女やバフォメットらに混じって参加した。何度か貞操の危機もあったがそれは割愛しておく。

 魔術を極めれば何でも出来ると確信し、年を追うごとにその野望は膨れ上がっていった。いずれ自分が地上のあらゆる現象を解き明かし、魔術によってそれを自在に操る存在になるのだと本気で信じるようになった。

 だが今はとにかく経験を積まなくてはならない。その為にもまずはその道の先人に教えを乞うところから始めたいが、世界の頂点に立つには今現時点での最高峰を踏み台にしてのし上がる心づもりだった。魔道の本家本元、バフォメットですら唸らせる自分の習熟意欲に掛かれば、現時点での最高峰などゆくゆくは過去の人物になると確信していた。

 そして遂に……自分は最高峰の門戸を叩く。

 「貴様、名は?」

 「ニコ。いずれお前を越えてやる魔術師だ!」

 少年────ニコ。この時、弱冠十三歳。

 人間界最高の大魔道師を訪ね、遥々アルカーヌムまでやって来た彼の弟子入り奮闘が始まった。



 二年後、ニコの近況は最悪だった。



 食うには困らない。師匠となった男の元で住み込みの生活は決して贅沢はできないが、環境は快適そのものだった。

 だが……。

 「小僧、水汲みをしてくるのである。それが終わったら今度は薪割りなのである。ああ、そうそう、娘に飲ませる乳が足りん。買ってくるのである。家計を圧迫する訳にはいかんから、もちろん貴様の自腹でな。それと妻が仕掛けた罠も回収してこい。獲物はしっかり血抜きしておくのである。それが終われば今度は風呂釜の掃除をだな……」

 「いい加減にしとけよォォ、あんたぁぁぁーーーっ!!?」

 二年間、この男は魔術を教えてくれない。王都から離れた辺境の山奥で寝食を共にするようになってそれだけの年月が経つのにだ。

 ただ教えないだけではない。ニコはこの男が魔術を使ったところを見たことがない。一切、何もかも、金輪際、魔術の「ま」の字も披露した試しがないのだ。

 水汲みや薪割りなんて土を捏ねた泥人形にでも任せておけばいいのに、わざわざ不慣れな力仕事をこちらにさせるのだ。結婚相手が鍛冶屋だか何だか知らないが、どうして魔術を学びに来た自分がそんな家業を手伝わないといけないのだ。

 おまけに半年に二、三回は王都まで鍛えた品を卸しに行かされる。片道七日、不眠でも四日は掛かる道のりを重たい金物を載せた馬車に揺られながら同行させられ、着いたと思えば……。

 「我輩は別の用がある。店番は任せ
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