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……? ……っ! …………。
…………………………………。
…………………………………………………………………………………。……………………。
…………しー。
……静かに。
息をひそめ、気配を殺し、じっと動くなよ。
来るぞ、来るぞ来るぞ。「奴」が来る。
七人の勇者最強にして最悪の男が、遂に沈黙を破って姿を見せるぞ。
音を立てるな……。奴に見つかりたくなければ、決してその安寧を邪魔するな。
『憤怒の勇者 〜あるいは城壁を守る門番の話〜』。
奴には絶対、関わるな。
その日、「彼女」は久しぶりに取れた休暇を使って街から距離を置いた森林に足を運んでいた。一ヶ月に一度ここを訪れ、心身を研ぎ澄まし鍛え直す……戦士たる「彼女」にとって欠かせない修練の場に相応しい空間、それが人里離れたこの大森林だった。
二泊三日の泊まり込み、野営の準備をしてから後はずっと獲物を振るう時間が続く。日が昇ってから沈むまで、「彼女」はただただ振り続ける。特に定めた回数など無いが、睡眠と食事時の僅かな休憩を除きあとは全てを鍛錬に費やした。誇り高い戦士として驕ることなく自らの強さを高める作業に没頭するのだ。
「彼女」らにとって強さとは即ち全てにおいて優先されるべき要素だ。無論、単なる腕っ節だけではなく精神修練も重要だ。「彼女」らにとって強者とは撃滅すべき敵ではなく、腕を競い合い互いに切磋琢磨するライバル、剣と槍を交わし鎧のぶつかり合いはとても神聖なもので、それを鍛えることはとても重要な意味を持つ。
街の喧騒を離れたここなら思い存分修練に励めると「彼女」はここを気に入っていた。ここは行商のルートからも外れているので、「彼女」が知る限りでは別の誰かが足を踏み入れたことなど聞かない。ここは自然がそのまま残された数少ない場所だった。
異変に気付いたのは三日目だった。
おかしい、昼間だというのに鳥の鳴く声がまるで聞こえない。求愛だったり縄張り争いだったり、鳥というものは四六時中何かしらの理由で鳴いているものだ。それなのに太陽が南天に差し掛かる時分だというのに、スズメどころか虫一匹の鳴き声すら聞こえてこない。代わりに風に揺れる木々の葉がざわざわと触れ合う音だけが森に満ちていた。
次に獣の気配が全く無いことに気付いた。季節は春の盛り、越冬や冬眠を終えた生き物が闊歩し始め森が一番騒がしく時季だ。にも関わらず、昨日まであちらこちらに感じ取れていたネズミからクマまでの獣の気配が、今日この日は一匹も感じ取れない。まるでそんな物は初めからいなかったように、姿をかき消していた。
得物を振る腕をはたと止め、周囲に感覚を張り巡らせる。風の音、川のせせらぎ、時折枝を離れて落ちる葉、それら全てに神経を集中させて異変の正体を探ろうと試みた。
余談になるが、多くが夜行性であるはずの獣たちだが、なぜ彼らの鳴き声が聞こえないかご存知だろうか。月夜に鳴く獣などオオカミぐらいしか想像できない者が多いのではないのだろうか。
当然だ。夜の森は狩りの場、捕食するモノとされるモノ、命のやり取りをしているのに常日頃から自分の位置を吠えて知らせる奴など存在しない。そんな命知らずはとっくの昔に種族もろとも絶滅している。息を殺し、気配を消し、自らの能力全てを隠遁に向けて初めて狩りや逃走は成功するのだ。
「彼女」もそれを把握したか、得物を構え直し全身を守る装甲を通じて得られる五感の全てを総動員し、見えない相手を迎え撃つ準備をする。姿を現せば即座に相手を貫けるように、もはや自分の腕の延長となった馬上槍を構えたその姿は古代のグラディエーターか。生を受けてからこの方ずっと強さのみを追い求めた「彼女」に打ち倒せない者など存在しない、驕りではない確かな自信に裏打ちされた事実だった。
ところで話は変わるが、諸君らは何ら特別な道具もなしに猛獣に打ち勝つ手段を知っているだろうか?
大木を殴り倒す熊、地を駆け獲物を追い詰める虎、森の狩人である狼、そして平原を統べる百獣の王・獅子。どれも脆弱なヒトの身では決して抗えぬ大自然の強者たちだ。その牙や爪にかかれば、厚い皮も硬い殻も持たぬ最弱の生物でしかない人間に至っては容易く命を落とす。
だが鉛玉を打ち出す道具を奪われれば、本当にヒトは猛獣には勝てないのだろうか? 肉を切り裂く強靭な刃なしには猛獣を倒せないのだろうか?
否、答えは断じて否である。
猛獣を打倒する方法? そんなもの、わざわざ論ずるまでもなく簡単なことだ。
「猛獣より強くなればいい」……ただそれだけだ。
刹那、風が凪いだ。
木々は揺れることをやめ、葉は流れることをやめた。すぐ近くの湖の水面は波紋を生まず、
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