聖者の誕生日

「……寒い」

 とある街のとある広場。その片隅で、一人の少女が空を見上げながらつぶやいた。
 彼女の瞳に映るのは、今現在自分が寄りかかっているレンガ造りの建物の壁と、その上に広がるきれいな冬の夜空だ。日が暮れて久しい澄んだ天空には、街の明かりにも負けずに輝くたくさんの星たちが浮かんでいる。
 視線をゆっくりと地上へと下ろして行くと見えるのは、石畳できれいに舗装された広場の中央、街灯に照らされて淡い暖色に色づいた噴水の幻想的なきらめきだ。その噴水の後ろ、広場を囲むように建つ意匠の統一された幾つもの背の高い建物の窓には灯りがともり、無数のやわらかな光が広場をやさしく包み込んでいる。

 夜闇に浮かぶ淡い情景。だが、普段であれば心奪われるだろうその光景も、今の彼女の目には映らない。彼女の瞳には力が無く、焦点も定かではない虚ろな表情で、明かりから取りこぼされた片隅の壁に佇みながらただぼんやりと、人々の集う円形広場の中央に顔を向けているだけだ。まるで心ここにあらずといった様相で、意識はどこか明後日の方向に飛んでいるかのようにも見える。

 しかし、実のところ、彼女の意識と視線は確かにあるものへと向けられてはいるのだ。

 それは寒空の下、噴水の傍らで美しい水の芸術にはしゃぐ一組の男女であったり、噴水を挟んでその反対側、笑顔のあどけない少女が彼女を待っている青年の下に駆け寄って行く光景であったり、その様子をベンチに腰掛けて見守る仲睦まじい妙齢の男女や、それらを上階の窓辺から微笑んで眺めるやさしげな夫婦といった、実に幸せそうな人々であり……もっと言うならばそうした一つ一つの営みではなく、この広場全体を包む幸福で暖かなやさしい空気に向けられていた。そして彼女は、己の瞳にその全てを映そうとするかのように、ただぼんやりと広場を見つめているのであった。

「……なにやってるんだろう、わたし……」

 彼女のつぶやきに白いもやがまとわりつく。
 刹那、霞む瞳がゆらめき焦点が戻る。だが、彼女は目の前の幸せな光景から逃げるように視線を外すと、コートの高い襟に寒さで青くなりつつある唇をあご先からうずめていった。

(ほんと……なにやってるんだろう、わたし……)

 冬の寒さがマフラーの無い首筋からしみ込んでくる。彼女は立てていた襟を整え直し、剥き出しの白く小さな両手をコートのポケットにしまいこんだ。
 そうして体を縮めこませて足元の石畳を見つめながら、口元までうずめた襟の下で再度つぶやくと、彼女はここに至るまでの出来事をなんとはなしに思い返し始めるのだった。


                         [聖者の誕生日]


 わたしには付き合って一年近くになる彼氏がいる。

 告白は彼から。

 もともと仲がよかったとかでもなく、かといって悪かったというわけでもない。
 そもそも好きかとか嫌いかとかそんなことを考えることすら思い浮かばない、ちょっと悪い言い方をすれば、そんなこと考える“必要も無い”、そんな相手。

 そう、強いて一言で言うなら……顔見知り以上知り合い未満、というところか。
 そんな、特別用が無ければ関わることなんかなにも無い相手。

 それはむこうも同じだと当然のように思っていた。いや、思ってすらいなかった。だって、わたしにとって彼のことなんか意識の外側に微かに引っかかっている程度のもの。向こうもわたしと同じ程度の認識なのが当たり前で、そうあるべきはずなのだから。

 でも彼は違った。

 だから告白されたとき、わたしは驚くことすらできなかった。というか、彼がなにを言っているのかすら解らなかった。その時のわたしを客観的に見ていたら……さぞかし滑稽だっただろう。

「……ええっと、その、もう一回言ってくれる?」
 とか、
「付き合ってくれって、別に買い物とかじゃないわよね?」
 とか、
「あぁっと、そうか、『好き』って言ってるもんね。てことはこの場合の『付き合ってくれ』は……わたしと男女のお付き合いをして欲しいってことよね……って、わたしと!?」
 とかとか。
 いくらなんでも挙動不審すぎだった。

 しかも、あまりの混乱加減がなぜか妙に思わせぶりな態度になってしまったらしく、

「もぉ〜、いくら告白されて嬉しかったからって、あそこまで照れること無いじゃない!」
 とか、
「あなたって実はそうだったんだ! ずっと一緒にいたのに気がつかなかったわ〜〜」
 とか、
「でもラッキーよね、相手のほうから来てくれるなんてっ!」
 とかとか。

 一緒にいた女友達たちに盛大に誤解された挙句、他人の恋愛=蜜の味、な彼女たちの生贄へと途端に祭り上げられてしまった。

 しかも最悪なことに告白されたその時その場所で。
 告白してきた相手の前で。
 
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