地獄 ― 皿の上 ―

ガヤガヤ・・・

時刻は14時。
書店チェーン大手の「天報堂」は人に溢れていた。
求人雑誌を熱心に見る若者もいれば、中学生くらいの男の子だろう、エロ雑誌の前を何度も行き来している。そしてそんな彼を物陰から見つめるユニコーン。おまわりさんこいつです。
見ると店内には角や鳥の羽根、果ては下半身が蜘蛛の足に変わった異形、所謂「魔物娘」達の姿も見える。彼らはティーン誌を見ながら談笑している。その光景は人間の女学生と変わらない。
料理レシピ本の棚に陣取る一人の女性。
彼女の背は低く、着ているスカイブルーとホワイトのワンピースも合わさり中学生くらいにしか見えない。
しかし、そんな彼女が眉間に皺を寄せ、一般には縁遠い業務用のレシピ本を幾つも調べていたのだ。異常な状況といえる。しかし、彼女の周りの人間はそんな彼女の動向に関心を払うことはない。彼女がレシピ本の棚に陣取るもう三時間経つが店員すらまるで彼女がそこにいないかのように振舞っていた。

「いくら恥ずかしがり屋といっても、時には人に頼るのもいいわよ?」

「え?!」

背後からの声に彼女が振り向くと一人の女性が立っていた。黒い髪と黒いスーツ、タイトスカートからは落ち着いた色のストッキングに包まれた陶器人形のような細い足が伸びている。手垢のついた表現を使うのなら「絶世の美女」、しかし彼女は目の前の女性の本質が見えていた。

「リ、リリム・・・・!」

― リリム ―

現魔王の直系の娘達であり現魔王に何かがあればその後を継ぐ、生まれながらのエリートにして魔王に次ぐ実力者だ。

「あらあら、コカトリスが顔射を喰らったような顔をしているわね。少し場所を変えましょうか?」

そう言うと目の前のリリムは笑みを見せた。



天報堂から出ると彼女は黒づくめのリリムに連れられて、見慣れない喫茶店に案内された。看板には「純喫茶 teufel Nest」― ドイツ語で「魔の巣」― とあった。

カランカラン!

重厚なドアを開くと、一人のサテュロスが静かにグラスを磨いている。いらっしゃいませとの言葉はなく、まるで意思がないようにも見えた。

「さあ座って、ニコさん?」

リリムは奥の席に座ると彼女を呼んだ。

「アタイ、いつ名乗ったっけ?」

「フフ、そんなことは些細なことよ。それよりも貴方は悩みがあるのでしょ?じゃなければ本屋で三時間もああでもない、こうでもないと悩んでいるわけないものね」

「・・・・・・!なんでそんなことまで」

「私は魔王の娘、リリムの一人よ。そんなことくらいはお見通しよ。もっともここでは玄野黒子と名乗っているけどね」

そう言うと玄野はニコに名刺を渡した。そこには「玄野商会統括外商部、玄野黒子」とあった。そして同時にこう記載されていた。「貴方の心にぽっかりと空いた穴お埋め致します」と。

「心に空いた穴・・・ですか?」

「ええ。それが当社の商品。今の世は人や魔物に関わらず、誰しもが満たされない想いを抱いて苦しんでいる。私はその満たされない想いを叶える魔法のセールスレディ、というところかしらね」

― 胡散臭い ―

それが彼女に対する印象だった。高位の魔物娘であるリリムが一介の「魔物娘」である自分に声をかけるはずがないのだ。

「ここにいるのは魔物だけ。仮初の姿をやめて貴方はもっと魔王より与えられた自分の美しさを誇りなさい」

そう言うとスマートフォンをフリックするかのようにニコに向かって指を動かした。

「え?え?ええ!!」

灰色の肌、紅玉のような一つ目と同じ色の瞳を持つ触手。催眠、洗脳を得意とする魔物娘である「ゲイザー」がそこに座っていた。



アタイは物心がつくころには一人で洞窟に住んでいた。
腹が減ったら森にいる魔界豚を仕留めて食べる。味なんて必要ないし、焼いてしまえばそれだけだ。ただただ空腹を満たすだけの食事。アタイはそれをずっと続けていた。そんな代り映えのない毎日に変化があったのはアイツ、「大道 学」と出会った時だ。
アイツは「門の向こうの国」から来た学者で、アタイが住んでいる洞窟へは鉱物のサンプルを取りに来たって言っていたっけ。
正直、アタイは人間ってのは苦手だ。
だってそうだろ?
アタイがちょっとでも顔を出したら悲鳴をあげて一目散に逃げやがる。こっちは何もしてないのにな。
でも学は違った。
アタイを見ても怖がらず、それどころかアタイの身体をべたべた触りやがる。
でも嫌じゃなかった。
人間の男にこんな気持ちをもつなんて初めてだった。
そして・・・・。


「それで貴方は彼と契りを結んだのね」

灰色の肌を羞恥のあまりピンク色に染めながら彼女は静かに頷いた。

「アタシにニコって名前を付けたのは学のヤツで、アタイは学と一緒にこちらに来て今は一緒に学園で生活している
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