吾輩は変態である。それも飛び切りの変態なのである。
とはいえ、婦女子を死ぬまで痛めつけたり、排泄物を口にするような類のものではない。
吾輩はその・・・・無機物、それも人形に欲情してしまうのである。
つまりは性処理用の人形、つまりはダッチワイフや生々しい性器の造形が施されたフィギュアに昂りを感じてしまうのだ。
吾輩がこのような難儀な性癖を持ったのは、思えば幼少期の出会いがきっかけであった。
諸兄は「活人形」(いきにんぎょう)と呼ばれるアーティファクトを知っておられるか?
現代よりも娯楽の少なかった江戸時代、庶民の娯楽の王様といえば見世物小屋であった。どこぞで生まれた奇形の動物を細工した妖怪や猿や魚を素材にした人魚のミイラ、そういった胡乱な出し物の一つに活人形があった。
講談や怪奇談、神話や合戦の風景、果ては出産する女性すら題材として生み出されたそれは文字通り、生きているかのように躍動感あふれる造形がなされていた。
そういった有象無象の人形師の中で天才とうたわれた人形師がいる。
その名は「松本喜三郎」。彼は江戸時代から明治にかけて活躍した人物だ。
あれは吾輩が齢12の頃のことだ。暑い夏、熊本に住んでいる母方の祖母の家に遊びに行った時母や親戚に連れられて浄国寺へ参詣にいった。
もう40となるのにあの日感じた興奮を吾輩は今でも思い出せる。
厳かな寺院の奥、博多織の巡礼装束に身を包んだ女性の立像。
彼女の名は「谷汲観音」。悩み苦しみ道を見失った人々に道を示す仏。
されど、彼女は仏像にしては肉感的で、吾輩は生まれて初めて「女」というものを知った。
その夜・・・・吾輩の夢に「彼女」は現れた。
服を脱ぎ捨て吾輩を抱く「彼女」。「セックス」という言葉を知っていても実感はなく、故にただの淫夢であってもその快楽は吾輩を「男」にするには充分であったのだ。
・・・・吾輩は夢精で精通を迎えたのである。
月日は流れ、吾輩は大学院で民俗学の講師をするまでになった。
西洋のおとぎ話に性的な教訓や戒めがあるように、我が国の民話にも性的なメタファーが組み込まれることが多い。「瓜子姫」などはその内容からして児童売買を匂わせ、「オシラ様」などは五穀豊穣を願い生娘を馬や牛と交わらせたことが下地となっている。
吾輩は現代において消え去りつつある地方の様々な風習を貪欲に狩猟し、その裏に潜む日本人の精神性を研究しているのだ。
さて、吾輩はその嗜好からして性処理は陰門、つまりはオナホールを使用している。
ダッチワイフを使用したこともあるが、やはり人間の「代用品」としての意味合いが強い。
ならば高価なリアルドールよりも安価なオナホールを処理に使ったほうがいい。
「外地」より、見目麗しい魔物娘が渡来するようになったとはいえ、しかしながら吾輩を満足させてくれる魔物とは出会えてはいないのだ。
諸兄は人形が魔力を得て動き出した「リビングドール」や「ゴーレム」など無機物寄りの魔物娘を思い出されるかもしれない。
・・・・・・ダメなのだ。
彼女達に問題があるのではない。実際、魔物娘婚活パーティーで出会ったリビングドールはその博識さに流石の吾輩でも舌を巻いた。
それでいて美しく彼女から性交に誘われもした。
しかし・・・ダメなのだ。
人形が人間らしくふるまうのではなく、対象である「人形」に人間と決定的に違いながらもその中に息づく「人間性」がなければいけないのだ。
― 何か悲しいね・・・・ ―
そう呟くと「リサ」と名乗ったリビングドールの彼女は私にメモを渡してくれた。
― 私では貴方の助けになれなかったけどこの人なら助けてくれるわ ―
メモには「メーア特殊機器製作所」とあった。
後日、研究がひと区切りついたので吾輩はアポイントメントを取り、件のメーア特殊機器製作所へと足を運んだ。
玄人が立ち寄るようなジャンク部品を扱う商店や日本語以外の東南アジアの言葉を話す人々が行き交う通り、その奥まった場所にその店があった。
看板もなく、正直ココが目指す場所であるとはいえなかったが、しかし住所は合っていた。
吾輩は古風な真鍮製のドアノッカーを数回叩いた。
「連絡させていただいた泉である。在宅なりや?」
「はいはい。今開けますよっと!」
若い女児の声がドア向こうから響く。
バンッ!ガシャッ!ウィィィィィィン!!!
ドアが開くや否や、巨大な「鉄の手」が吾輩を捕えた。
驚く暇もなく吾輩はその店の中へと強引に連れ込まれてしまったのだ。
「ええっと、いずみっちはコーヒーでいい?」
マジックハンドに強引に座らせられたソファー。どうやら吾輩は彼女に一応、歓迎されているようだ。
「ええ、それで頼むのである」
目の前には店主のメーア。目にも鮮やかな緑の髪と獣の耳、その幼い体躯から恐らくは「
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