「獣が住む」
気分は七輪の上の鮎である。
八月の日差しは、連日衰えを見せる事無く大地に降り注ぎ、近頃は水が足りぬと皆が口々に言うのであった。
そんな中、昨日から馬に揺られているのである。
黒毛の逞しい馬の背は、この上ない程の暑さであった。
うんざりして周りを見回すと、昨日からの旅の友である牛車が変わらぬ様子で付いてくる。
これを引くのは私の馬に負けんばかりのたくましい牡牛であるのだが、いたって涼しい顔をして、のっそりと変わらぬ調子で車を引いている。
簾が降ろされたままの屋形は出発の時と変わらず、供回りの者も付いていない。
乗っているのは、陰陽術者である。
しかも唯の星詠み学者では無く、所謂「妖術」だの「呪い」だので「問題」を解決する専門家だと話していた。
対して私の専門は、やっとうや弓で「問題」を解決することである。
得意とする術の全く異なる私たちはつい先日、「火急の用である」とお上から都へ上るようにと呼びつけられたのだ。
そして、都で私と陰陽術者が命じられたのは、暴れまわる妖物を鎮める事だった。
町人やそこいらの剣客にとっては骨の折れる仕事であるだろうが、私が先祖伝来の武具や剣術を駆使して、鬼や天狗を懲らしめるのであれば他愛もない話であった。
しかし、聞くとその妖物とは牛鬼であるらしい。
鬼の怪力と人を騙す狡猾さを持ち、その上病を振り撒くと言い伝えられる恐ろしい妖怪だ。
討ち取るための手段は知られておらず、退けるためには強力な封印を施す他には無い。
力か術かのどちらかのみでは確実ではないとお上に判断され為に、私と陰陽術者が呼ばれ、件の牛鬼の現れる村へと赴く事となったのである。
早朝に宿場を出た私たちは、太陽と共に動き続け、頂点に差し掛かる頃には目的地にたどり着いたのであった。
―――
憔悴した様子の村長は、私と陰陽術者を見て驚いた様子だった。
何せ七尺近い大男の私と、何とか五尺に届く程のか細い少女が「妖怪退治にお上から遣わされた」と村を訪れたのだから無理も無いだろう。
疑う村長にお上からの書状を見せると、直ぐ様に空き家を宛がわれ牛鬼討伐の一切に協力すると申し出てくれた。
空き家に私の荷物と陰陽術者の荷物を運びこみほっと一息をつく。
「春日殿。まずは、何から取り掛かりましょうか。」
私は馬から降ろした武具を整理しながら陰陽術者に声をかけた。
「そうですね…。明るい内に牛鬼を封印していた場所を確認しておきたいですね。」
陰陽術者の少女は囁く様な、それでいて優美な笛のように良く通る声で返事をした。
体の線が隠れる狩衣を身に着けていても分る線の細さと、学者としての陰陽術者にありがちな病的な肌の白さは、か弱さを強く印象付ける。
私も初めて目にしたときには全てが私の半分しか無いのではないか、と思ってしまった。
さらに顔の造作など黒目勝ちな瞳にさほど高くないにしても整った鼻梁、微かに紅に染まった頬と慎まし気な小さな口をしている物なのだから、十代前半の童女と言われてもおかしくは無い雰囲気である。
しかし、いつも浮かべている涼し気な微笑と、落ち着いていると言うよりも冷めていると感じられる眼差しは、底知れぬ迫力を湛えており、彼女の雰囲気を神秘的なものにしていた。
「安原様。私の準備は終わりました。いつでもどうぞ。」
「では行こう。」
最低限の道具を身に着け、家を出た。
―――
安原を最初に見た時は、大きさを作り間違えた式鬼かと思ったのだ。
誰が作ったのか見破るべく、掛けられた術の癖や流派を読み解いてやろうと思い、じっと見つめていると、
「申し訳ない。私が何か。」
と、とぼけた顔で声をかけられた。
しまった。と思い半歩下がった後すぐさま
「私では頼りにならないかね。」
笑いながらそう続ける。
素直に誰かの式鬼かと思った事を告げ、謝ると
「いや、構わん構わん。実は鬼なのではないかとよく言われるのだ。」
と大笑いしながら返した。
陰陽術者同士なら失礼に当たる事を笑い飛ばして許せるのは、この男と陰陽術に日常的なかかわりが無い故に出来る事なのかもしれない。
しかし、所作や話し方の随所から見て取れる利発さは、共に牛鬼を相手にする仲間として十分信頼できると思えた。
とりあえず今はそれだけ分かれば十分だった。
道中の警護をこの男に任せ、方々から集めた天候や地図などの公の資料と表には出せない反乱や呪い合戦の記録を突き合わせ、おおよそどの程度の相手でどのあたりにいるのかは推測できた。
後は現場を確認し、確実に仕留める方法を取るだけだ。
そして私たちは件の村にたどり着き、件の牛鬼が封じられていたという泉にたどり着いた。
木々の間に突如として現れた泉は、百歩も歩けばぐるりと回れて
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