前篇

「はるのおとずれ」

 遥か東に位置するジパングの一部に皆が同じ信仰を持ち自然を敬い慎ましやかに生きる者たちの集落がある。

彼らの宗教では全ての物に神が宿るとされ、魔物を妖怪と呼び変えるジパングにおいて一般的に神として崇められる妖怪「稲荷」や「竜」等以外の種族に対しても神に対するものと同じ畏敬の念を持っている。中でもクマは特に気高い神とその使いとして高い人気を持つ。

それは冬の来る度に穴蔵で長い眠りにつき春になると起きだし子を成す一連の工程が、暗い穴倉―死者の世界―からの復活を想起し、さらにその後子供を設ける事が子孫繁栄に関連付けられるためである。

そしてそれは妖怪が全て女性となった現在においても変わらず信じられている。


―――――――――――――
その日の朝は特に冷え込んだ。
それはまるで皆に歓迎され待ち望まれている春を見て機嫌を損ねた冬が気まぐれに最後の嫌がらせをしたかのような唐突さでその集落に訪れた。

気温の低い朝特有の澄んだ空気は、天空から降り注ぐ太陽の日射しをより清々しいものとし、集落の南側に広がる湖はいつもより輝いて見えた。

北側に視界いっぱいに広がる山脈には依然雪が残り、朝日を跳ね返し橙色に輝いている。

周囲に広がる森に未だ残る雪は前日までの暖かさで緩んでいたもののこの寒さで再び凝固し、これから顔を出そうと意気込んでいた若い芽は歯を食いしばり耐えていることだろう。

彼も未だ訪れぬ春を待つ若い芽の一人である。

いつもと同じ時間に目を覚ました彼は、黒曜石のように澄んだ瞳でぼんやりと長年暮らした我が家の見なれた梁を見上げていた。

ぼさぼさと乱れた長い黒髪は、近く訪れる成人の儀式の際に一つに結いあげる為に伸ばしたもので彼はあまり気に入ってはいなかった。

いい加減に温い布団から抜け出し父と母の手伝いをしなければ、と勢いよく布団をはねのけ立ち上がる。

日課の巻き割りをするべく寝巻きを脱ぎ、外出用の麻の服を身につけその上から鹿の皮でできた上着を羽織る。

平均的な背丈と日々の狩りで鍛えられ引きしまった体を持つ彼は上着の影響もあり若い牡鹿のようだ。

一通り身につけると自室の引き戸を開け居間へと進む

木の板と藁で作られ密閉性を重視し窓の少ない室内は昼間であっても薄暗く囲炉裏の炎の色が部屋を照らしている。

母はすでに起きており前日までに割ってあった薪で火をおこし朝食の準備を、父は囲炉裏のそばに座って何か小動物の皮をなめしていた。

両親に朝の挨拶を済まし玄関に置いてある丸太を持ちあげ外に出る。外の空気に触れた鼻と耳にびりびりと痛みが走り、すっかり暗がりに慣れた目にわずかな痛みが走り目をつむる。

目をつむったまま数歩歩き、慣れた頃に目をあける足もとに薪を着る際の台座とする切り株とそれに刺さった斧がある。

斧を切り株から抜き取り持っていた丸太を切り株に置く。

彼は斧を握りしめ両腕が頭上に来るまで持ち上げ一呼吸止める。

そこから一気に振り下ろすと斧は丸太を真っ二つにした。

「幸先はいいぞ。今日こそは…。」

彼はひとり呟き割れた丸太をさらに細かく切り分けるべく落ちた切れ端を台座に置き直した。

――――――――――

薪割りもあらかた済み運動によって体がホカホカと温まってきた頃

「サク!朝ごはんできたわよ!」

母が彼を呼ぶ大きな声が家の中から聞こえ

「今行くよ母さん!」

と彼も叫び返し斧を置き、薪を集め家の中に入った。

囲炉裏の周りにおかれた食器の前に胡坐をかく。

朝食は秋に収穫した米を潰した餅に味噌をつけ焼いたものと秋に遡上してくる魚を煮た汁ものだ。

どちらも昨年の秋の味覚であり、辺りの木が真っ赤に染まった昨年の秋の紅葉を思い出し懐かしく思った。

そういえば彼女が来たのもその時期であったなとふと思い出す。

彼女とはこの家に迎えたグリズリーの少女「リカ」の事である。

自分たちの食事を済ませた後に彼女に朝食を届けるのも彼の仕事だ。

「リカ様、リカ様起きておいでですか?」

サクはグリズリーの少女が滞在している部屋の戸の前で一度食事の乗った盆を床に置き、呼びかけた。

返事が無い

いつもの事なのだが彼は、この戸口の前で呼び掛ける事をやめる訳にはいかないのである。

このグリズリーの少女は偉大な神の使いであり、共に一冬過ごした家の男子と夫婦となることでその家の繁栄が約束される。という言い伝えの下で居候しているのである。

妖怪が魔物娘となる以前は、一冬過ごすところまでは同じだったが、春になり行うのは夫婦の契りでは無くクマと共に狩りに出ることだったという。そこでとれた獲物を分け合い互いの一族の繁栄を祈願するというのが一連の流れだったそうだ。

しかし見た目はか弱き乙女となった彼女ら
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