リザードマンと彼の場合

あの時少女の目に満ちていたのは、確かに怒りと恨みと涙だった。
子供ながらに竦み上がるようなその視線に怯える俺を見て、少女は言ったのだ。
――覚えていろ。十年経ったら、もう一度お前に挑みに来る。
そして――








 小さな呼吸と共に一定間隔で木刀を振る。寝起きで筋肉も解れていないので、決して激しくはしない。いわゆる準備運動なのだ。
 ただし、準備運動とは言ってもれっきとした練習だ。足運び、手首の捻り、重心の移動など多くのものに気をつけながら行わなければならない。そうしていると意外に集中力を使い、しばらくすると汗もかき始める。まだ空が白む時間帯ながら、俺の体は既に汗でべたべたになっていた。
 手の平のほうにも汗が滲んできたのを感じ、木刀がすっぽ抜けてはいけないので、俺は一度素振りを止めた。途端に体が熱を帯びて汗が噴き出す。ふぅ、と息をつくと、ちょうど同じタイミングで道場の戸が開く音が聞こえた。
「おはようございます……あ、あれ? 先生が起きていらっしゃる?」
「よぉ。おはよう」
 予想通り、入ってきたのは使用人の娘、リンだった。ただ俺が起きていることがそんなに意外か。目を丸くしてこちらを見、外の太陽を見、果ては自分の目元を軽く押さえてから目を開く、という作業を繰り返している。
「わ、私、寝坊してしまいましたか……?」
「いや、今日は俺が早く起きた。あと『先生』はやめてくれ。老けてるみたいに聞こえるだろ」
 俺はまだ18だ。
「いえ、先生は道場の師範代ですし……それにしても、先生がこの時間に起きていらっしゃるなんて」
「……。今日は少し夢見が悪かっただけだよ」
「まぁ、どのような夢を?」
「いや、覚えてないんだけどさ…………」
 見た夢の内容はほとんど覚えていないが、それがどこか心地悪いような、ともかくあまり良いものでなかった感覚だけは残っている。最近は特に夢を見ることもなくぐっすりと眠っていたため、夢自体に慣れていないのかもしれないが。
 しかし、リンははたと気付いたように、もしかしてあのことですか、と俺に尋ねてきた。
「あのことって?」
「今からだとちょうど十年くらい前のことですよ。先生がまだ小さい頃、同じくらいの女の子と試合をなさったでしょう?」
 あくまで俺を『先生』と呼び続けるリンを軽く睨みながら、しかしいちいち突っ込んでいては話が逸れていくので、溜息をついてそっちのほうは諦める。仕方なしに、ええと、と一言置いて、俺は本題の方を尋ねることにした。
「……俺とどこかの女の子と試合をしたことって……あったか?」
「私の思い違いでなければ、恐らく先生が八つの頃に」
「どっちが勝ったんだっけ?」
「先生です。こう、巻き技を綺麗に決めた後、喉元に突きをぴたりと。今でもそうですが、先生はあの頃から巻き技がお得意でしたね」
「まぁな」
 道場内ではパフォーマンスみたいなもんだが、これが実戦となれば話が別だ。武器は時として防具以上に守りの役割も果たす。武器を失うというのは攻撃手段を減らされたと言うだけでなく、守りが格段に薄くなったという意味合いも持つのだ。……タイミングよく巻き技で相手の武器を奪うことで、勝手に実力を勘違いしてくれる三流冒険者がいるのも確かだが。
 ともあれ、自分では覚えていないが、そんなことがあったのは事実らしい。八歳とはいえ男女の体格や力の差が出てくる時期に、女の子と勝負していた……あまり喜ばしいことではないな。苦い顔をする俺を見て苦笑しながら、一応リンもフォローに回ってくれた。
「幼い頃ですから、まだ男女の分別なんて付いていませんし……十年前ですから、気になさらずとも……」
「……そういうことにしておいてくれ。ってことは、気分が悪いのはそのせいかねぇ」
 なんとなく気分が悪い原因は分かったものの、昔のこととはいえ自分が女の子に勝って喜んでいたところを想像すれば、今考えるに情けない。しばらくテンションは上がりそうにない。
 などと俺が考えていると、
「あ、いえ、それは違うと思います」
 リンが即座に、何の気兼ねもなくそれを否定した。
 え? と訝る俺に、リンはふるふると首を振る。
「先生はその後、勝ったこと自体はそれほど喜んだ様子でもなくて、むしろ女の子を気遣ってるみたいでしたから。ですが、女の子はよっぽど悔しかったのか、ちょっと怒った様子でして……その後先生に言ったみたいなんですよ」

「「十年経ったら、もう一度お前に挑みに来る」」

 声に違和感を覚え、ふとリンを見る。しかしリンも驚いた様子でこちらを見ている。
 確かに今、声が被るのを聞いた。その声は女性で、しかしリンの声ではなく、当然俺でもなく。
 ざり、と玄関のほうから土を踏む音。俺とリンは同時にそちらを振り向いた。
 玄関に人影――開かれたままの玄
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