その1 山は白く鳴りて

白 しろ シロ

視界は白く煙り、鼓膜は風に震える。
伸ばした手の先すら吹きすさび舞い上がる雪の粒に霞みゆく。
そんな前後左右さえ判然とせぬ只中を、
男は胸に灯るかがり火だけを頼りにひたすら行進していた。

薄い大気に体を刻む冷気、
体は酸素の不足を訴え皮膚は既に寒さよりも熱さを感じ始めていた。
それは体が凍死を防ぐために起こる行き過ぎた防御反応であり、
男の体が凍えてしまう瀬戸際にいる証左とも言えた。

「・・・マテ・・・マテ・・・マテ。」

声が聞こえる。自分の息さえ体内から掻き消されそうなこの吹雪の中で、
それは耳元で囁かれる様にハッキリと男の元に届いていた。
それも何度も何度も、男は最初何度か振り向いたが声はすれど姿は見えず、
だが男は見たのだ、隊長の元へとただ歩き続ける中で、
霧よりも濃い白い地獄の中で、確かにその影を見たのだ。

「・・・イクナ・・・イクナ・・・イクナ。」

この声さえなければ、それが疲れと雪が見せた幻だと自分に言い聞かせられただろう。
だが現実に声は聞こえ続ける。ちらとだけ見たその影は、
直立した白熊、または二本足で立ったバッファローを想起させる。
そんな巨大で毛むくじゃらの何かだった。
一瞬の事であったため、細部は不明だがその何かによって、
自分たちの隊は今全滅の危機に瀕しているのは事実だ。

死にたくない。そんな原始的な恐怖に突き動かされ男は進み続ける。
反応が強くなる。目的の場所が近づいている証拠だ。
目の前に先程の影とは異なる、見知ったシルエットがチラついていた。

(隊長・・・ようやくついた。早く皆で此処から脱出を・・・)

人影以外全てが白く、地面さえ判然としないそんな曖昧な視界の中で、
それでも男は必死に見逃さぬよう目を凝らして見ていた。
その男の最後を・・・それは余りにもあっさりと無音で訪れた。

横合いから突然伸びてきた大きな毛むくじゃらの腕が、
瓶のふたを開ける様にあっさりと、隊長の首を捩じり曲げた。
吹き付ける風にぶらりぶらりと揺れる頭蓋。
破砕された頸椎で、辛うじて繋がっているそれはバランスを崩し倒れ伏した。

自然はただ其処にあり全てに平等である。
人が自然に対し何かを思う時は、ただ自らの願望や悲嘆を鏡の様に映しているに過ぎない。
男は長年そのような思想を持っていたし、今後もそれを曲げることは無いだろうと信じていた。
だが、今この状況を前に男は絶望と共にその考えを改めさせられていた。

自分達を追跡してくる吹雪という悪意の前に・・・・・・


※※※


「成程、それで旦那が見たっていう巨大な手の痕がこれですかい。」
「はい、そうです。確かに見たんです。巨大な獣の様な手が隊長の頭を捻り落すのを。」

2人の男が凍りついた遺体を前にしていた。
そして男の顔には巨大な指の跡がくっきりと残っていたのだ。

「旦那の他数名を残し帰ってきた者はおらずですか。」
「はいエレンさん。隊長の遺体回収にしても貴方がいなければ、
こうも早くはいかなかったでしょう。本当にありがとうごさいます。」
「なあに、隊長さんの位置は魔導タグによって追跡可能でしたしね。」
「本来は吹雪で逸れても隊長の位置に皆が辿りつけるためのものでした。
吹雪の中、私もそれを頼りに隊長の元を目指していたんですが・・・」

男は肩を落として隊長だったものから目を逸らした。
そんな男の背中を黙って見つめるもう一人のエレンと呼ばれた男。

彼はエレン=ノーマン、
特定の国に属さず依頼をこなして生計を立てているフリーの勇者だ。
その姿はモコモコした白い毛皮で頭までフードで覆い、
元来あまり背が高くない事もあり突き出た手足を殊更短く見せている。
覗いている顔は雪焼けによるものか黒人の様に真っ黒で、
ギョロリとした目とピンクの唇だけが浮いて見えるようだった。
ビッグフットやギガスなどの二つ名を持つ彼を、
初めて見た者達はその異名と実物との乖離に失笑するもの多数、
といったさえない容姿である。だがその腕は確かで、
主に雪原や雪山での任務を受け持つが失敗したという話は聞かない。
そんな彼に対しある小国オジブワが一つの依頼をしてきたのだ。

その国はある大きな山脈に寄り添うように存在する小国群の一つであった。
この周辺は地形や気候が厳しく、土地もやせているためありがちな隣国との衝突も殆どない。
ただ領土や資源を求めて戦争を仕掛けても攻めるに厳しく守りに易い状況で、
更に勝っても得るものが少ないからだ。

山に強い山岳兵を派遣する傭兵業や勇者の貸し出し、
領内を抜ける隊商の雪山案内などで細々と生計を立てていたその国にとって、
現在の世界情勢は余り良いものとは言えない状況であった。
魔王と主神の和解、教団の権威の失墜に続く世界的な流れとして、
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