昔のとある一幕
平和に安寧と座さず、武士の本分を忘れぬため。
そんな建前の元、南海の主だった流派の道場や各藩の抱える武官、
そういった面々が集って御膳試合に興じた事がある。
当然ながら武太夫も城の武官代表としてその場にいた。
そして控える者達を見回しながら軽く嘆息した。
それを見た五郎左衛門と一派の家老の一人が話しかけてくる。
「いかがした? 武太夫。」
「緊張しておるのですかな?」
「いえ、少なからず落胆を。全部が全部とは申しませぬが・・・」
「武芸者とは名ばかりの者達がおると?」
「はい、まるで案山子ですな。」
武太夫は聞こえるのも構わず、そんな事を口にした。
案の定聞きとがめた者がおり、武太夫は試合の前に会場から少し離れた場所に呼び出された。
弟子達が付いて行こうかと提案したが、手をフリフリいらぬと取り下げさせた。
どこぞの道場主とその弟子達であろうか、
武太夫を取り囲むと師範であろう男が凄んできた。
「先程の発言、無礼千万であろう。
あの場にいた全ての武芸者に謝罪をせよ。」
「・・・人の話は良く聞く事だ。全ての武芸者とは言っておらぬぞ。
もっとも、アレを聞いてその通りと納得し嘆く者、
御主らのように食って掛かる者、どちらが案山子かは言うまでもないが。」
「貴様、状況が飲み込めておらぬのか?
謝るなら今のうちだ。そう言っておるのだぞ。」
そういうと相手側は武太夫を完全に取り囲み、腰の物に各々手を掛けた。
それに対しても武太夫は何処吹く風、といった感じで構えすらしない。
「おかしなことを言う。案山子に囲まれて臆する者がおるか?」
そんな武太夫の一言が契機になり、男達は刀を抜き放った。
しかし男達を武太夫は刀も抜かず。あっさりとものの数分で鎮圧してしまった。
「御主ら、踊りの稽古事なら道場ではなく、舞妓にでも習うがよいぞ。」
そう言って試合会場へと立ち去る武太夫。
それを物陰より見ていた五郎左衛門と家老。
「流石でございますな。あの者が味方とは本当に頼もしい。」
「ふ、頼もしい・・・か。貴様にはあの者がどう映る?」
「武太夫がですか? そうですな、南海随一の武と肉体を持ち、
五郎左衛門様にも臆さぬ胆力、清廉潔白の心、
弟子達にも慕われ、正に武人の鑑とも言うべきかと。」
「まあ、それが普通に武太夫を評した結果であろうな。
では、私があやつの何処を気に入っておるか判るか?」
「五郎左衛門様がですか? そうですな、やはり巨木のように揺ぎ無い胆力では?」
家老のそんな発言を聞き、五郎左衛門は愉快そうに笑った。
「巨木のように揺ぎ無い・・・か、かはははは、惜しいが少々違うな。
木に例えるなら、あれは也ばかり大きいが、中身は虫に食われスカスカに腐り落ちておる。
そんな存在よ。私があやつを気に入っておるのは正に其処なのだ。
外から見れば完璧に近い様に見えるあやつがその実、
内面はボロボロで何時朽ち果てても不思議ではない。
そんな薄氷の危うさが、普段の不動のような振る舞いとの対比で、
なんともあわれ且つ滑稽で笑いを誘うのだ。」
家老は五郎左衛門の言にしばし言葉を失う。
「・・・・・・ははは・・・五郎左衛門様が御冗談を言うとは、
何とも珍しゅうございますな。天気は快晴ですが夜は崩れますかな。」
そんな家老を無視し、五郎左衛門は武太夫をご満悦といった表情で見る。
(あれは一点物の至高の工芸品、人間とはかくも歪(いびつ)で正しくあれるのかという。
アレの父親は本当に良い仕事をしたものよ。歪みは魂の根にまでいたっておる。
もはや本人の心持一つでどうにかなる段階は過ぎておろう。
となれば、アレの最後はいかがなものであろうか、武士としての面子を保ち死ねるか。
歪みに耐え切れず途中でぽきりと折れるであろうか、願わくば後者であれ、
そしてそれを観察できる時と場所に居たいものよな・・・
その様はさぞかし・・・さぞかし・・・・)
五郎左衛門は一人妄想に耽り、邪な笑みを浮かべていた。
よもや武太夫より己の方が早く黄泉路を辿る事になろうとは、
微塵も考えもせずに、ただ静かに嘲笑っていた。
※※※
私は立ち上がると無言でクノイチに近づき、顔を突き合わせその瞳を覗き込んだ。
相手も微動だにせず見つめ返す。其処にはちっぽけな一人の男が映し出されている。
幼い頃に抱いた恐怖や寂寥はもはや感じない。むしろその色は・・・
成る程、空の色とはよく言ったものだ。
だというのに、幼い頃の私ときたら、こんなものに怯えていたのか。
私は可笑しくなり小さく苦笑した。
その私の笑いに対し、非常に判りづらいが相手がいぶかしげな表情をした。
「空の色みたいに綺麗な瞳だな。その目をそう評した事を覚えておるか?」
「私(わたくし)にとって、何より忘れられぬ言
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