「ふうむ、今日は十五夜じゃな。中秋の名月を肴に飲むも良い。
どうじゃ? 八百乃も一緒に飲まんか。」
「若様、誘うにしても政務が済んだ後になさいませ。」
廊下ですれ違った私の主君は、
其処から見える空を見ながら何時もどおり飄々とそんな事をのたまう。
そして父親代わりとも言える御付の好々爺はそんな主君をやんわり嗜める。
「そうですねえ、この雲なら月も綺麗に出る事でしょうから、
御呼ばれにあずかりますわ。正信はどう?」
「勿論行きますよ。仲間はずれになんかしたら、
月を見る度に思い出して呪いますから。」
などと拗ねるように言う同僚はそつが無いが、子供っぽくも有りかわいらしい。
私達は微笑しながらそんな正信を見た後、詳しい時刻を取り決めてお互い別れた。
同族の友たちと会談で飲み明かすのも楽しいが、この人達との一献もまた楽しい。
ウサギ達は中秋の名月を見て跳ね回る風習があるとのことだが、
月を肴にすることなら私達タヌキも負けていない。
月夜に月明かりを頼りに集まって酒を飲み踊り明かす。
ぽんぽこぽんのぽんってなもんでみんなで騒ぐのだ。
などと懐かしい事を思い出す。今はみなどうしているだろうか・・・
私はこうして毎日が充実しているし、とても楽しい。
何より主君の定国様が目指すもの、その夢は考えるだに胸が踊り耳と尻尾が飛び出そうになる。
私は何と幸せなのだろう。将来、あの方の傍らに臣としてではなく、妻として座れる日が来る。
それを思えば、それに続く日々の雑事一つ一つとて楽しくて仕方が無い。
廊下をうきうきと歩く私は違和感に気づく、傍らを歩いていた正信の足音が消えている。
どうしたことだろう? 厠にでも行ったのだろうか。
冷たい、私はひんやりとした感触を味わい、その原因である手を挙げて見た。
雪・・・それはすぐに体温に溶かされ水になり手の甲から滑り落ちる。
どうして雪が? 此処は城内で今はまだ・・・
雪だ。はらりはらり・・・と雪が舞っている。
それがあばら屋の隙間から風に乗り私に吹きかかる。
私は・・・城内で・・・私は・・・
どうやらまた夢を見ていたらしい。時間の感覚がだいぶなくなってきた。
最近は白昼でもこのようによく夢を見る。
もはや自分が何時に生きているのかという認識さえ曖昧になってくる。
見るのは決まって城での夢だ。時間が幸せと言う形をしていた頃のことだ。
見るたびに私は幸せを感じ、目覚めるたびにそれが失われた絶望を味わうのだ。
いや、失われたなどと他人事な言い草が許されて良いはずがない。
失わせたのは自分なのだから。もう一人の犯人は死んだらしい。
それを聞いた私の胸に去来したもの、それは歓喜や達成感ではなく虚脱感ただそれだけだった。
私は怒りと怨嗟にその身を焦がし、
走り続ける事で自分の心が折れたことを強引に誤魔化していただけだった。
そんな私にとって恨みつらみをぶつける先が無くなり、もはや抜け殻となった私は。
回転の止まった独楽となんら変わりない存在である。
巻くべき紐は切れてしまいもう何処にも無い。
私の母や友達が此処に引きこもる前に、口々に私を慰めてくれた。
お前は悪くない。お前は最善の行動をしたと・・・
何が解ると言うのか・・・当事者でもなく、ただ伝聞でしか事態を知らぬというのに・・・
だが私には解る。解ってしまうのだ。誰よりも誤魔化し無く、明確に・・・
私が皆を救おうとし、五郎左衛門達の横領した米に手をつけさえしなければ、
誰も死なずに済んだのだ。最初から定国様に全てをお話していれば
こうはならなかったかもしれない。
私は失敗したのだ。それは取り返しのつくものではない。
そんな私の身に慰めなどいらない。
この冷たい雪のように私を叱咤し責めてくれる位で丁度良いというものだ。
最初は舌でもかんで死のうかと考えたが、
この見た目に反して頑強な体は、その程度の傷では活動を止めてくれない。
結界で覆われたこの島からは出してもらえないし、
私に出来るのはただ日々と妖力を無為に消耗し、
ひっそりとこの雪の一粒のように消えるのを待つことだけであった。
そして忘我と覚醒の境界をゆらりゆらりと往復していると、
さくりさくりと誰かが歩いてくる音が私の耳に届いた。
私と植物以外の生き物がいないこの島で、その足音は一際目立つ。
その足音にはどこか私の耳が引っかかりを覚えるのかぴくぴくと反応をする。
誰であったか。それともこれも夢ということなのだろうか?
もはやどうでもいい、私を喜ばせてくれる何かなら。
それが現実であれ夢であれ、思う存分謳歌させてもらうとしよう。
そうすれば、それが去るか消えるかした後の寂寥がこの身には丁度良い罰となろう。
この身が絶えるまでに、後何回この愚かな自分を罰せられるであろうか。
薄い不明瞭な
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