日も高い山中を歩く一人の男、裃の上からでも判る岩のような肉体にいかつい顔。
緩やかな山道を隙なく歩くのは武太夫である。
武太夫は定国の招きに従い昼食後、本丸を目指して歩いていた。
用件は聞かされておらず、武太夫は道すがら思案に耽る。
殿が直々に私を招かれるとは珍しい、私と五郎左衛門の繋がりを知らぬでもなかろうに。
いったい何用であろうか、五郎左衛門を裏切るように説得でもするつもりであろうか?
いや、あの方はそんな愚かではあるまい、
今事を起こしても五郎左衛門をどうこう出来ぬことくらい先刻承知のはず。
昼行灯などと揶揄された先代と違うて殿は真切れる御方じゃ。
正直その考えはあの古狸の五郎左衛門を持ってしても解せぬらしい。
私ごとき暗愚が考えても休むに似たりか・・・
そこまで考えて武太夫は先代の城主のことを考える。
昼行灯、そう呼ばれていたが私から見てあの方はそれなりの能を持っていた。
ただそれを発揮する場を与えられなかっただけで、
普通に此処以外の藩で藩主を務めていればそれなりの評価を得られたであろう。
むしろ昼行灯などと揶揄している者共の方がよほど問題だ。
父から家督と位を譲り受けることが決まっているゆえにそれに甘んじ、
自身を磨くことを怠った物共。
正直政(まつりごと)など門外漢の私から見ても、この城の使える人材の少なさは問題だ。
殿が外から人材を募ると申された時、
あの八百乃の時程ではなくとも、似たような展開になることはよめていた。
女の藩士への登用は周囲への体裁というものもあり反対であったが、
決まったものは仕方がない、他の者がこれを期に己を見つめなおし
研鑽に励んでくれれば良いと思っていた。
しかし、結果はむしろ逆で外から来た者共をどう追落とすかの算段まで立てる始末。
つくづく救いようがない、そしてそのような者らでも何とか勤まる程に家と身分の力は大きい。
最近判って来たが、五郎左衛門はむしろ一定以上有能な者を傍に置きたがらない。
伺いを立てねば動けぬような、しかし家柄だけは立派な者共を好んで重用している節がある。
それ以外の目のある者達は巧みに要職から遠ざけたり、
私が知らぬだけで消された者もそれなりにいるであろう。
つまるところ、彼奴めは誰も信じておらぬのだろう。
私のように弱みを握るか、行動を把握できるような者しか傍に置かぬのはそういうことなのだ。
しかし、自分の死後はどうするつもりであろうか?
五郎左衛門という頭がおらぬようになれば、
五郎左衛門の一派だけでは藩政は間違いなく立ち行かなくなる。
こういってはなんだが、あの方の御子らに代わりは務まるまい。
彼の嫡男も例外に漏れず頼りない者達だ。
それこそ、定国様が藩政を取り戻すとすればそこが勝機であろうが、
その事を考えられぬ程あの狸の血の巡りは悪くない。
だが何の対策も講じておるようには見えぬ。
御紺様が殿と御子を作られ、その後見人として実権をにぎるとして、
例え孕んだ後にすぐに殿を謀殺されたとしても残された時間は知れたもの。
殺しても死ななそうではあるが、あれでれっきとした人間だ。
未来永劫に生きるというわけにはいくまい。
長々と考え事に耽るうち、武太夫の脚は何時の間にか城の敷居を跨いでいた。
その目には城の幾重にも巡らされた城壁と天守が映っていた。
天守で待っているであろう定国に、今の自分の考えを問うてみようか?
などと一瞬武太夫は考えたがすぐに苦笑してかぶりを振った。
私も血迷うたかな・・・
※※※
私が殿の待つ部屋の前に着くと、戸は開け放たれており中に大量の書と二人の人影が見えた。
一人は自分を招いた城主定国様、そしてあれは・・・正信か・・・
正信、下士の家の三男坊でもちろん位は下士だが、
殿の計らいで白札として八百乃などと同様に上士に近い扱いを受けている。
もちろんそれだけの才覚を持つ奴で、勘定方だが剣の方もそこそこ出来るらしい。
何用であろうか?あやつも殿に呼ばれたのであろうか。
まあいい、聞けばすむこと。そう考えて私は殿に声を掛けた。
「殿、ただいま参上いたしました。して私に何用でしょう?」
「おお、武太夫か。ふむ、まあこの正信の言うことを先に聞いてくれ。
余の用事についてはその後で話すとしよう。」
私は正信の方に向き直るとその言を待った。
正信は殿に説明したであろうことをもう一度説明をしたのだろう。
その言葉は淀みなくすらすらと出てきており、内容も手短にまとめてあった。
「特別会計についてです。年貢や毎年の藩政で掛かる支出などの一般会計とは別に、
前年度の繰越金や殿自体が保有する資産から緊急時の支出、
軍備増強などの藩の方針による支出の増加分を賄うのが特別会計。
城内の修理や治水事業などに掛かる資金も此処から出ま
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