連載小説
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血汐と貴方とオレと接触 前編
オレこと黒崎ゆうたがこの世界に来て、この街で暮らして既に半年が経とうとしていた今日この頃。
食事処ハンカチーフの仕事は休み。
昨日あった隣に住むデュラハンのセスタとの稽古内容を確認し終え、稽古用の木剣を整備し終え、さぁやることなくなったな、どうするかというところ。
一通の手紙が来た。

「ごくろうさま」
届けてくれたハーピーの少女の頭をなんとなく撫でて(赤くなっていた)中へ戻る。
手紙というかそれは封筒。
オレのいた現代世界ではめったに見ない蝋燭の封をされたものだ。
赤い蝋に、蝙蝠の紋章。
これはきっと領主様からのものだろう。
この街『マルクト』の女の領主、クレマンティーヌ・ベルベット・ベランジュール。
彼女は人間ではないヴァンパイアだという。
ヴァンパイアというとやはり太陽の光が苦手だとか、大蒜が嫌いとか、それでいてかなり傲慢で、なんてことが浮かぶが今はそうじゃない。
「キャンディさん、手紙届いたんですけど」
この世界に来て、オレを拾い、親の代わりとなってくれている女性の名を呼ぶ。
そうすると一分も経たずに二階からキャンディさんが降りてきた。
「どれかしら?」
「これです」
オレは彼女に封筒を差し出した。
というのもオレは恥ずかしながらまだこの世界の字を読むことができない。
もう既に半年経っているというのに読めるのはせいぜいこの店のメニューと自分の名前くらいだ。
ぺりっと蝋を剥がし、封筒の中から真っ赤な紙が取りだされる。
…赤い紙?赤紙?
え?それってまさか…あの、戦争の召集?
とすると…その召集に見合う男はレグルさんと…オレ?
「あ、これユウタ宛ね」
「やっぱり…戦争ですか?」
「はい?」
オレの発言にわけがわからないという顔をするキャンディさん。
様子がおかしい。
思っていた反応と全く違う。
キャンディさんはオレに手紙を見せてある部分を指差した。
「これは税を納めるお知らせみたいなものよ」
指の先にはオレの名前が黒のインクで大きく書かれていた。



領主がいれば領地がある。
そして領地は領主のもので、そこには領民がいる。
勝手に住まうわけではなく、領主の地に住むのだから当然税というものを納めなければいけない。
昔の日本でも米や貨幣を税として納めさせていたんだ、どこの世界だろうと同じものは同じなのだろう。
ただ、オレ宛に来た手紙に書かれていた税は貨幣でも米でもない。
生物として体に流すもの、血である。
領主がヴァンパイアである以上彼女も生きるのには血が必要なのだろう。
それを税にし、納めさせる。
ただし、これは独身男性だけ。
夫婦、または女性の場合はきちんと金貨や銀貨などで納めているらしい。
ということは、今回オレはただ血を抜かれてくればいいということだ。



親魔物街『マルクト』 北部



「…なんか献血みたいだな」
一人呟き門の前で止まった。
この街における北、そこにあるのが領主の家であり、オレが血を納めに来た場所である。
「…」
その家を見て言葉を失った。
端が見えないほど長く続く高い塀、細部までこだわり彫られた柱、黒く光る大きな鉄の門は錆一つ見当たらず新品同様に輝いている。
その門から見える建物はさらに大きい。
館って言うか、屋敷って言うか…豪邸だ。
赤い屋根に規則正しく並んだ窓が四列、いくつあるかなんて数え切れない。
かなりの大きさだがここから見ると距離がある。
おそらく庭もかなりの広さを持っているのだろう。
これじゃあアニメやドラマに出てきそうな豪邸だ。
今まででここまでの建物を直接目にしたことなんてなかった。
近くて師匠の家だろうか。
あの家も豪邸と呼べそうなほどだったがここはさらに上を行っている。
今からここに入らないといけないのか…。
知っている人の家なら師匠の家のように大きくても気兼ねなく入れるが見知らぬ人、それも領主ときているんだ、気後れぐらいしてしまう。
というか帰りたくなってくる。
ここで帰れば税を納めなかったとして領地から追い出されそうだけど。
「…仕方ないか」
うじうじしていても始まらない。
さっさと血を抜いて帰らせてもらおう。
とりあえず重そうな門を開けようと手を置こうとしたそのときだった。
「お待ちしておりました」
門が自然に開き、中から赤毛で紺色のメイド服に身を包んだ美女が現れた。
真っ白な肌に真っ赤な唇、そこから除く八重歯が印象的である。
服装からして…領主のメイドだろう。
「あ、どうも」
とりあえず頭を下げておく。
どんな世界だろうと相手が誰であろうと礼儀作法は欠かさずに。
「この屋敷のメイド長をしておりますハリエット・リードと申します」
オレが頭を上げるのを待ってからそう言った彼女、ハリエットさんは淑女らしいスカートの端をつまんで礼をする。
それに対してオレは紳士的に返す礼なんてものは知らないのでとりあえず再び頭を下げた。
「これはご丁寧に。黒崎ゆうたです」
頭を上げるとハリエットさんはオレが中に入れるように横へと一歩下がった。
纏っているメイド服のスカートが風にはためく姿。
背筋が曲がらずピンとしたその姿勢。
正に物語などに出てくるメイドそのもの。
「どうぞこちらへ。クレマンティーヌ様がお待ちです」
「あ、はい」
彼女に促されるままに進むと門が音を立てずに閉まる。
おそらく魔法を使っているものなのだろうが…実は内心驚きまくりだ。
既に半年もここに住み、魔法を知ったのだがやはり慣れるものじゃない。
門を数秒見つめ、オレは先導してくれるハリエットさんの後ろを歩き出してすぐに気づいた。
ハリエットさんの足元、日の光を浴びて映るべきものがない。


―影がない。


普通ならありえない現象だ。
物としてそこに存在するなら光が当たって影ができる。
それは自然の摂理。
だが彼女はそうではない。
日の光に照らされて人の形をした影が地面に落ちないというのは現実ではありえない光景だ。
…影がない、鏡に映らないというのはヴァンパイアの特性であり、性質。
とすれば…もしや彼女も?
日の下を歩き平然としているのに?
「あ、あのハリエットさん?」
「はい?どうかしましたかユウタ様」
様付け…どこかむず痒い。
「もしかしてとは思うんですが…貴方もヴァンパイアなんですか?」
「おや、気づかれましたか」
ハリエットさんは特に隠す様子もなく、堂々と言う。
「ええ、私もヴァンパイア。クレマンティーヌ様と同じです」
そう言ってにこりと笑うと口の端から覗く八重歯が目立った。
ヴァンパイアのメイド。
…どうもイメージが沸かない。
ヴァンパイアって言うと皆こう、貴族っぽいというか、偉ぶってるというか、傲慢というか…。
…いや、それよりもだ。
「ヴァンパイアが日の下にいて平気なんですか?」
ヴァンパイアにとって直射日光は毒であるはず。
一瞬でも浴びれば燃え、灰となる。
ヴァンパイアの定番であり、有名な弱点だ。
日傘もなく日光を浴びている彼女は平然としているが、平気なのだろうか?
「オレの学ラン、貸しますからそれの下に―」
そう言い出すオレの口をハリエットさんは笑みを浮かべることで制した。
「お優しいのですね、ユウタ様は」
そう言って笑う彼女はどこか少女らしい純粋なものを感じる。
「平気ですよ。私達は日差しの下にいてもこれといったものはありませんよ」
「いやいや、ヴァンパイアって日差しが弱点なんじゃ…」
「弱点、というか今は苦手というだけですよ」
そう言う彼女は嘘をついている様子は見られない。
人よりも白みがかった肌には油汗一つ浮かんでないし、呼吸だって乱れていない。
苦しがっているというわけではないらしい。
…ここの世界のヴァンパイアはオレの知っているものとは違うのだろうか?
まぁ、最初の頃は家の隣にデュラハンが住んいでたことに驚いてたし、そのデュラハンが首があるのも驚いたし、美女だったことにさらに驚いたっけ。
それならヴァンパイアが日の光で燃えないなんてあってもおかしくはないか。
「ユウタ様はお優しいですね」
再び彼女はそういった。
そう言われるのもまた、どこかむず痒いものがある。
そのままどこか嬉しそうに笑い、ハリエットさんは再び歩き出す。
オレも特に言わずしてその後を歩き出した。





外から見て思っていたが屋敷から門までの距離はやはり結構あった。
十、二十メートルなんてものではなくて三百メートルくらいだろうか。
その間にあるのは主に庭園。
さまざまな花で彩られるそこに一番輝く花があった。
それは門からの道を飾っている花と同じ、薔薇の花。
鼻腔を甘く刺激して、赤く咲き誇る姿は見るものを魅了する。
かといって手を触れれば棘に手を刺されることとなるだろう、魅惑の花。
瑞々しい緑色の葉に、日の光に輝く花弁、細くも丈夫そうに伸びる蔦。
どこにも枯れた部分が見当たらない様子からして…かなり手を込めて育てていることが伺える。
「綺麗な薔薇ですね」
思わずオレはハリエットさんにそう言っていた。
「ハリエットさんが育てているんですか?」
そう言ったところで彼女はオレのほうへ向き直る。
顔には微笑みを浮かべてどこか嬉しそうに語ってくれる。
「ここにある薔薇の花は全てクレマンティーヌ様が育てています」
「領主様が?」
全てというのだから当然あの門から始まり屋敷へと到達するまでだろう。
いや、庭園にあるものも入れればかなりの数になる。
それを全て一人でここまで丁寧に育てられるとは…。
「領主様って素晴らしいお方なんですね」
「おや、花を見ただけでわかりますか?」
「ええ、植物は育てている人の性格がよく出るなんて母から教わったもので」
オレの実のお母さんは趣味がガーデニングだった。
暇があれば花を愛で、庭先を埋め尽くすほどに育てたり観葉植物を買ったりしていた。
仕事のときはオレや姉ちゃんがその世話を継いでいたから多少はわかる。
ここまで育てるのにどれほど苦労するか。どれだけ手を込めなければいけないのか。
もっともオレはただ水をあげることしかできていなかったけど。
ハリエットさんはオレの言葉に頷き、言葉を紡いだ。
「クレマンティーヌ様は素晴らしいお方です。領民である方々は当然、私達メイドにまで気を配ってくれるとてもお優しい方です」
そういう彼女の顔は優しそうに笑みを浮かべている。
その笑みから、その言葉から良くわかる。
領主がどれほどいい人なのか。…あ、人じゃないか。
「それがわかる貴方様もまた、素晴らしい方ですね」
「はい?」
領主様への単なる感想を言った次はオレ?
花を見て大体ついた予想を口にしただけだというのにそれは大げさすぎるのではないだろうか。
…もしかして社交辞令というやつか?
「いえいえ、そんなオレはそんなもんじゃありませんよ」
「ご謙遜を」
「事実ですから」
「またまた」
「いえいえ」
「どうしてどうして」
「なんのなんの」
…この女性結構しつこいな。
半分困り、半分照れくささを抱きながらハリエットさんと他愛のない会話を続けて歩き出す。
そうしているうちに館へと着いた。
門よりも二周りほど、それでも十分大きな扉の前にオレとハリエットさんは立つ。
「それでは、この先にクレマンティーヌ様がおりますので」
「はい」
答えてあれと思う。
今回オレは税である血を納めに来たはずだ。
それなら血を抜くだけでいいはずだし、領主様に会う必要もないはずだ。
注射器で血を抜けばいいのか、手首切って血を流せばいいのかわからないが…いや。
もしかしたらあれだろうか。
ヴァンパイアである領主様にがぶりと噛まれて吸われてこいという奴だろうか。
それは…勘弁してもらいたい。
ヴァンパイアって吸血するとそのされたほうがヴァンパイアになるとかいうし。
「では、どうぞ」
ハリエットさんは扉を開き、オレを館の中へと通す。
そうして目に飛び込んできたのはとても広い部屋だった。
部屋というのは会わないだろうその空間はオレの通っていた学校の体育館よりもずっと広い。
端には柱がいくつも立ち並び、天井には豪勢に輝くシャンデリアが存在していた。
パーティを開くのには十分であり、ここで多くの人がダンスをすればそれはまさに映画に出てくるワンシーンになりえるだろう。
床には血のように赤く上質な柔らかさを感じさせる絨毯が先まで伸びていて途中二股に分かれている。
そしてその先には同じく二つに分かれた階段へとそれぞれ通じていて二階のところで合流している。
そのところに。
二階の、階段が二つに分かれるところに、いた。
豊かな胸を見せ付ける大きく肌蹴た露出の多いドレス、それは真っ赤な布で作られておりまるで体から噴出す鮮血を思わせた。
癖一つ枝毛一本ない金色の長髪は闇夜を照らす月を感じさせる。
陶磁器のような綺麗な肌、女性として完成されたスタイル。
切れ長で血のように赤い瞳、すっと通った鼻筋、髪から突き出した二つの尖った耳。
真っ赤な唇から覗く八重歯はハリエットさんと似ている。
美しい。正しく美女。
安易な表現だがその言葉を体現したような女性だった。
あの女性がこの街の領主であり、人間ではないヴァンパイア。

「ようこそ、我が屋敷へ。歓迎するよ、黒崎ユウタ」

『クレマンティーヌ・ベルベット・ベランジュール』

「あ、どうも」
先ほどと同じように頭を下げたが内心感動していた。
初めてあんな美女を見た。
いや、師匠に先生、玉藻姐もまた美女といえるのだけどそれでも金髪の美女は初めて見た。
日本に暮らしていた以上黒髪黒目しか目にすることはないし、たまに違うのがいたとしてもそれは髪の毛を痛ませて染めただけのもの。
今目にしている輝く月のような金髪とは雲泥の差だ。
「そう畏まらなくていいよ。もう少しこちらへ来てくれないかい?」
「あ、はい」
その言葉に頭を上げ、歩き出す。
歩き出しながらやっぱりか、と考えていた。
こりゃ首にがぶりと一発きてオレもヴァンパイアの仲間入りなんてことに…。
痛いのには慣れているつもりだったが…首に牙を刺すのはまた違った痛みなんだろうな…。
これから来るであろう痛みに怯え、絨毯の上を進んでいく。
階段を一段一段上り、そうして彼女の目の前に来た。
ここだからこそよくわかるが、やはり美女だ。
身長はオレよりも高く、モデルのようなプロポーション。
ドレスのスカートの切れ目から時折覗くすらりとした長い足がまた魅力的。
オレを見つめる瞳は慈愛が溢れているようにも見える。
だが、それとは反対にどこかオレを観察するような、珍しいものをいるような目だ。
まぁ、この街に黒髪黒目はオレ一人しかいないのだし、領主としても珍しいのだろう。
別世界からの人間なんて滅多に目にするものではないのだから…。
「綺麗な髪だね」
領主は、クレマンティーヌはそう言って微笑んだ。
その言葉に、その笑みにどきりとさせられた。
絶世の美女といっても過言じゃない彼女の口から平々凡々たる高校生を褒める言葉が出されるとも思っていなかった。
「それから変わった服を着ている」
「あ…はい」
変わった服、そう思えて当然だ。
そもそもこの学生服はこの世界にはないのだし、材料からして違うのだから。
見ようによっては貴族とか、目の前のクレマンティーヌと同じ位の者が身にまとうものにも見えなくない。
ただオレは貴族に見えるほど身なりは良くないが。
「そして…」
視線を上げ、オレと目を合わせた。
血のように赤く、ルビーのように輝く瞳に射抜かれる。
「いい目をしている」
そう言った。
その言葉にどう反応すべきかわからずとりあえず「ありがとうございます」と言って頭を下げておくことにした。
こういう畏まった空気は苦手だ。
畏まらなくていいと言われても領主である美女が目前にいるのだ、無理がある。
話すべき話題もわからないし、この場合は相手を褒め返せばいいのだろうか。
わからない。
とりあえず早急に用件を済ませてもらうことにしよう。
話があるならそれが済んでからにすればいい。
「あ、あの領主様」
その言葉に彼女は方眉吊り上げた。
気に食わないというか、不満げに。
どうしたのだろう、何かしちゃいけないことをしてしまっただろうか?
しかし彼女はすぐに笑みに戻して優しく言い聞かせるように言った。
「領主様だなんてそんな畏まらなくていいと言ったはずだよ。クレマンティーヌでいい」
「は、はぁ…」
…結構気さくな人なのかな?
あ、人じゃないか。
「それではクレマンティーヌ様」
「様もいい。敬語だって使わなくていいよ」
「…」
どうもオレのイメージしていた領主様と違う。
意外とさっぱりしていて、どこか親しみやすい印象を抱ける彼女。
ヴァンパイアというのだから人間を見下している傲慢な性格をしているのかと思っていたのだが…そうではないらしい。
これならハリエットさんが言っていたことも頷ける。
あんなに綺麗な薔薇を育てられるわけだ。
「それじゃあ…クレマンティーヌ。税を納めに来いって手紙が着たから来たんだけど…」
そう言ってオレは学ランのポケットから封筒を取りだした。
オレのいた世界ではもうないだろうざらざらとした手紙。
これが羊皮紙というやつかもしれない。
それを見たクレマンティーヌはどこかばつの悪そうな顔をする。
…?どうしたのだろうか。呼び出しておいてそんな表情を浮かべられるとこちらも戸惑ってしまう。
「クレマンティーヌ様」
そこで急にハリエットさんの声が掛かった。
この館の扉のところからではなく、オレのすぐ傍、クレマンティーヌの隣から。
「っ!」
「あ、ああ。ハリエット…」
そう言うクレマンティーヌの顔は先ほどとは全く違う困惑の色を浮かべている。
戸惑って、困り果てて。
何かの決断を迷っているような…そんな感じだ。
ハリエットさんはクレマンティーヌに催促の視線を送る。
その視線からやはりと思った。
首に来るなこれは。
がぶっときてそのまま吸うのだろう。
痛いんだろうな…。
しかしクレマンティーヌは近寄ろうとも手を出そうともしない。
足を止めて、手を顎に当てて、躊躇っている。
…どうしたというんだ。
そこで痺れを切らしたのか、仕方がないと思ったのか。
ハリエットさんがオレの手を取った。
「ユウタ様、失礼します」
返事を聞かずに彼女はオレの手をクレマンティーヌの手と触れ合わせた。
「っ!!!」
一瞬、彼女の体温が伝わってくる。


―刹那、鈍い音が響いた。


頭の中に、それも顎からだ。
重力に縛られる感覚も消え去り、自身の足が床から離れていると気づく。
自分が殴られたことを自覚したのは脳を揺らされ意識がやみに沈む数秒前だった。







力を入れれば沈むまるで空気を集めて形にしたかのような柔らかなベッドの上。
聞かずともわかる高級であるなベッドの上で真っ黒で清潔な毛布を下半身にかけれられていた。
上半身はベッドから起こし、目の前の女性を見つめている。
「本当に申し訳ありませんでした」
そう言って目の前にいたメイド長、ハリエットさんは頭を申し訳なさそうに下げた。
その行動と、今の状況に頭が回らない。
「…えっと、オレはいったいどうしてここに?」
覚えているのはとんでもない衝撃が頭を貫いたことと、鈍い音が顎から響いたこと。
それから足が床から離れていたことぐらいだ。
あれは殴られた感覚だったと思う。
あそこまで強い力を食らったことはないが、それでもあの感覚はそうだと思う。
師匠と稽古をしているから何度も味わってきてるんだ、多少なりとも当たればわかる。
ただ問題はそこではない。
「オレ…何か殴られるようなことしましたっけ?」
心当たりがない。
殴られる直前にオレは何をしていたか?
気絶する直前の記憶というのは覚えていないことが多いのだが、それでも何とか思い出す。
オレはクレマンティーヌから殴られるような変なことをしていたか?
していたことといえばただ頭を下げて…褒められて…血を吸われて…はいないな。
血を吸われていなくて…それでオレは…。
…そこだ、そこで確かハリエットさんがオレの手を取ってクレマンティーヌの手に―
「―申し訳ありませんでした」
再び頭を下げるハリエットさんにようやく全てを思い出せたオレは頭を上げてもらう。
それから先ほどのことについて話してもらおう。
「えっと…聞きたいんですけど…さっきのあれって」
ただ触れただけ。
一瞬だけの接触。
その後条件反射のようにオレは殴られていた。
あれは…何だ?
触れられるのが嫌だったのか?
「申し訳ありません」
ハリエットさんは三度目の謝罪の言葉を述べた。
今度は頭を下げなかったが表情はとても気まずそうである。
そして重々しく口を開いた。


「クレマンティーヌ様は男性に触れることができないのです」


「…!」
男性に触れることができない?
それはまたなんで?
対人接触障害の一種とでもいうのだろうか?
「原因は…詳しくはいえません。ですが男性に触れられるだけで殴り飛ばしてしまう、そういった症状をお持ちなのです」
ハリエットさんが今言った言葉。
詳しくは言えない、というのは彼女はその原因を知っているということか。
それでも隠すのはやはり踏み込んではいけない領域。
先ほど初めて顔を合わせた男性にそのようなことを教えられるわけがない。
それは当然であることだ。
「…ユウタ様」
ハリエットさんは静かにオレを呼んだ。
「差し出がましいことは重々承知しております」
ですが、そう続けて彼女はオレに頭を下げた。
先ほどよりもずっと深く、謝罪の意を込めたというよりもそれは懇願するような。
必死にすがり付いて、頼み込むような。
そうして、言った。



「クレマンティーヌ様を助けてもらえないでしょうか?」




ベッドの端に座りなおしたオレに向かってハリエットさんは言った。
「ユウタ様はこの街の人ではありません」
この街で生まれ育ったわけでもない。
だから領主が誰だろうと、どんなのだろうと関係ない。
「ユウタ様はこの街に住まわれてまた半年しか経っておりません」
短くも長い時間をオレはここで過ごしている。
だからようやく馴染んできたというところ。
オレが来る前に何があったのかなんてものは当然知らない。
領主がどんな性格だとしても知る由もない。
「ですから」
そう言ってハリエットさんは続けた。
「ユウタ様がこれ以上にないほど適任なのです」
領主であるクレマンティーヌを慕うには日が浅い。
だからこそ弱みを見せられる。
信用できるできないではない。
他所者だからこそ、領民ほど不安を持たせない。
逆にこの街に住まう人ならどう思うか。
親しむ領主にそんな悩みがあるとすればどう思うか。
触れれば殴られ、最悪命の危険にも晒されてしまう。
本人が嫌がっているとしても、体がそう反応してしまうのだからしょうがない。
そんな状態じゃ領民は不安を抱くかもしれない。
ヴァンパイアは怪力だ、そんな彼女に触れようものなら無事で済むわけがない。
不満を持つのも当然になるかもしれない。
だから。
「オレが、最も適してる…」
ハリエットさんは静かに頷いた。
「ユウタ様ならクレマンティーヌ様をお慕いしているわけでもありませんし、情が入るほど付き合いがあるわけでもありません」
だからこそ適役。
この街で最も都合がいい。
慕っているわけではない、詳しく知っているわけではない。
先ほど初めて顔を合わせただけの、余所者。
「願いします」
ハリエットさんは頭を下げた。
「クレマンティーヌ様を助けてくださいませ」
「…」
「この哀れなメイドに手を貸してくださいませ」
「…」
「このようなことユウタ様にしか頼めないのです。ですから…っ」
その言葉に、オレは―


「―少し、時間をください」


そう言ってしまった。



なんとも馬鹿げていると思う。
なんとも愚かしいことだと思う。
以前なら師匠相手なら喜んで死ぬ気になってたのに。
あれほどの美女を目の前にして、助けられる資格を持っているというのに。
その手を差し出せない。
その一歩を踏み出せない。
何を迷っているのだか、どうしてこうも躊躇うのか。
いつものように死ぬ気になって頑張れがいい。
…いや、今回はそうじゃない。
そうじゃないから躊躇ってる。
師匠のときは我武者羅だった。
何がどうなろうと必死に生きようとして、結果師匠を止められた。
過程がどうであろうと結果に結びつくことができた。
だが今回はどうだろう?
結果が見えてる。
クレマンティーヌが男性に触れられるようになればそれでめでたく終わり。
しかし、そこへ至るまでの過程はどうだろうか?
何をすればいい?
どうしてやればいい?
どれが最善で、どれが結果に結びつく?
それがわからない。
接触障害は詳しくはわからないが…ハリエットさんの様子からして過去に何かあったのだろう。
それが精神的にきて、今の状態に成ったのではないか?
それをどう克服できる?
どうすれば助けられる?
それがわからない。
今回は単純なものではない。
今回は複雑なものだ。
克服できるとはかぎらないし、最悪悪化させるということもあるだろう。
だからこそ、頷けなかったんだ。
「…どうすりゃいいんだよ」
そう呟いたところで誰も返事をしてくれない。
ハリエットさんの頼みを聞いた後オレは考えるために館内を歩いていた。
どこまでも続く真っ赤で柔らかな絨毯の上を歩き、考える。
頷くのは簡単だった。
引き受けるのは容易かった。
それでも、それはいいことじゃない。
失敗したらより深い傷を残すこともありえるんだ。
自分が傷つくことは慣れているが誰かを傷つけることを良しとはできない。
だったら別の人に任せるか?
「…できないよなぁ」
領民は皆クレマンティーヌを慕っている。
そんなのを前に彼女は弱みを曝け出せるか?
そんなのは無理だろう。
ヴァンパイアらしい傲慢な態度ではなくとも、ヴァンパイアらしいプライドがある。
領地を治める主としてのプライドがある。
自身を慕ってくれる皆に頼るというのはあまりいいものではないだろう。
だからこそ、他所者のオレが最適。
別の場所から来たオレこそが適任。
それはある意味名誉なことであって、ある意味とんでもない厄介ごとを押し付けられたに過ぎない。
「…はぁ」
大きくため息をついて顔を上げると気づけばそこは庭園だった。
考え事に集中しすぎて外に出たのに気づかなかったらしい。
既に日は落ち、闇夜の空に月が輝いている。
どうやらオレは長い間気絶していたらしい。
早いとこ帰るべきか?
いやとりあえずは戻らないと。
そう思って踵を返そうとしたそのとき、目の端で何かを捕らえた。
血のように真っ赤な薔薇の庭園で、同じ色のドレス、それから月明かりに輝く金色の長髪。
「!」
その風貌は間違いない。
この街の領主、クレマンティーヌのもの。
手には真っ赤でシンプルなつくりをした如雨露を持ち、薔薇に水をやっているのだろう。
ヴァンパイアは水を苦手とするはずなのに随分と熱心だ。
声を掛けようか、それともこのまま部屋に戻ろうか、迷っていると彼女が声を掛けてきた。
「ハリエットが余計なことを言ったらしいな」
その声におや?と思った。
声の調子がなんだか違う。
先ほどオレと話していたときのとは随分違う。
言ったことからわかるようにどうやら彼女はハリエットさんとオレの会話を知っているらしい。
ハリエットさんが言ったのだろうか?いや、ヴァンパイアなら聴覚が鋭くてもおかしくはないか。
人間では拾えないような音さえ聞こえるほうが当然か。
「まったく」
そうして振り向いたクレマンティーヌはオレを見た。
真っ赤な瞳で、蔑むように。
見下して、厭うように。
それがオレの中で思い描いていたヴァンパイアの姿にぴったりと当てはまる。
だけど同時に違和感を感じた。
クレマンティーヌらしくない。
いや、たかだか数分前にしただけの女性を理解できるわけがないのだが、先ほどの姿とはだいぶ違っている。
優しさが抜け落ちたというか、慈しみを引き抜いたというか。
「…出ていってくれないかい?」
クレマンティーヌは冷ややかにそう言った。
「税のことなどはもういい。君は特別に免除としよう。だからここから早急に出て行ってくれ」
そっけなくそう言った。
オレと話していたときとは全く違う様子。
こんなに冷たい目をしていなかった。もっと慈愛に溢れる目を向けていた。
それなのに。
今はどうしてそんな目を向けるのだろう。

「二度は言わない」

そう言ったクレマンティーヌはオレから視線を外し、薔薇へと向ける。
自分一人で世話をしている赤い花に。

「出て行け」

その言葉は冷たく突き刺さる刃物のように感じられた。
刃自身が凍っている、まるで氷柱のように思われた。
尖った先は容赦せず、鋭い言葉は手加減せずにつきたてられる。
だがそれは。
オレに向けないその表情は、オレへと言ったその言葉は。
知っている。
寂しそうなその横顔も、表面だけ強気なその言葉も。
それは、師匠と同じだから。
オレを傷付けたくないからこそあえて怒鳴り散らしたあの女性。
彼女と全く同じなんだ。
性質は違うも根幹が同じ。
人ならざる怪力を持つからこそ、人ではないからこそ苦しむクレマンティーヌの姿は師匠と重なる。
人が好きだからこそ、傷つけてしまわぬように突き放そうとする師匠の姿とクレマンティーヌは同じ。
人が好きか、領民が好きか。
傷つけないために自ら離れるか、相手を離すかの違い。
その姿は見ていられなかった。
その姿を見ていたいと思わなかった。
見たことのなかった金髪の美女であり、見とれるほどの美貌を持っている女性であってもそんな姿は見たくない。
知っているからこそ、見たくないんだ。
だからオレは。
考えるのをやめて、行動に出てしまう。
あ、ダメだ。そう思えたはずなのに体が勝手に動き出す。


―クレマンティーヌの手を取ってしまう。


「っ!!」
刹那、オレの体が殴り飛ばされた。
予想していたものとはかなり違う、強力な腕力が炸裂する。
体がワイヤーに引かれているのではないかと思うほど宙を舞う。
地面に引かれる感覚が振り切られ、消えうせた。
先ほどハリエットさんに聞いたのだがヴァンパイアは昼間日の下では少女並みの力に落ちるらしい。
しかし、逆に夜は本来の怪力を取り戻す。
だからクレマンティーヌ皆からは隠して、離れていたんだ。
どうしてか?それは板って単純な答え。
それは、今のオレのようになってしまうから。
「がっ!!」
庭園から数十メートル先。
庭一面にしかれた芝生の上に叩きつけられるも勢いは殺せない。
そのまま転がり転がって、ようやく止まる。
芝生がクッション代わりになって衝撃を殺せる…なんていうほど生易しい一撃ではなかった。
重い。とんでもないくらいに重い。
ハンマーで殴られたなんてまだ軽いほど。
師匠に殴られたってここまで飛ばされるわけじゃない。
まるで車に、トラックに撥ねられたかと思えるほどだ。
上手く呼吸ができない。
骨が軋んでいる。
殴られた部分が嫌な熱を帯びてくる。
目の前が回り、どちらが空でどちらが地面かわからない。
もう止まっているはずなのに。
こりゃ…かなりきてるな。
嫌でもそれが分かった。
軽症で済むはずがない。
だからこそクレマンティーヌはああ言った。
無事で済むわけがない。
だからこそハリエットさんがあそこまでして頼み込んだ。
だから。
「ユウタっ!!」
如雨露を捨て慌てて駆け寄ってくるクレマンティーヌ。
そんな彼女に向けてオレは手を出した。
「っ!」
手のひらを見せるように、止まってくれるように。
そして、ここからのことを見せるために。
「ん………く、ぅぁっ…」
震える手を芝生につき、上体を起こす。
それだけなのに、痛い。
痛い、痛い、痛い、痛い。
背が痛い、腕が痛い、腹が痛い、骨が痛い。
それでもただ痛いだけ。
骨が折れていたとしても、筋肉が断裂していたとしても。
それでもオレは。
「ぃいっ…」
膝をつく。足を上げる。
しっかり靴で地面を踏み、留まる。
力が上手く入らない。
体がふら付く。
腹の中で渦巻く感覚を吐き出したいと思ったが我慢する。
手を離し、体を上げ、地面を踏んで。
オレは立ち上がった。
「…っ!」
「クレマンティーヌ…」
殴られて傷ついた。
それでもオレは動くことができる。
それは今立証したことであり、オレがして見せた事実である。
「どうだよ?…見ただろ?今の」
夜の、ヴァンパイアとしての本来の力を受けきり、立ち上がった。
本当は殴られる瞬間わずかに後ろに飛んで、彼女の拳を両手のひらで受けていたのだがそれでも、オレがヴァンパイアの怪力を受けたことに変わりない。
両手を広げ、まだまだ立てるということをアピールする。
無事ではないかもしれないが、生きているということを見せ付ける。
これがどういう意味を示すのか。
どんな意志を表しているのか、クレマンティーヌはわかってくれるだろうか。
いや、わからせる。
「オレは全然平気だぞ?」
無論それは強がりであるが半分は事実。
立ち上がれるのなら平気といえる。
意識を飛ばされていないし、何ならもう一度受けることぐらいできるだろう。
それなりの打たれ強さを持っているんだ、舐めてもらっては困る。
師匠との稽古の成果を見くびってもらっては困る。
「このぐらい、何にも心配することないだろ?」
「…っ」
学ランについた芝生を払い落とし、クレマンティーヌを見据えた。
月の明かりに照らされた金髪美女の領主。
足元に影はなく、オレと違う存在ということが見て取れる。
そんな彼女にオレはできる限り平然と、やれる限り堂々と胸を張って言った。
「オレはこの街に住んでるんだよ」
領主がクレマンティーヌであるこの街に。
だからこそ。
「税は払わなきゃいけない。そうだろ?」
どんな形であれ、どんなものであれ。
それがどんな世界でも共通しうる義務であり、当然のこと。
だから。
「ほら」
オレは学ランのボタンを外し、ワイシャツのボタンを外し、首を露出させる。
じっとりと汗が垂れ、血管が浮き出した首筋を見せ付ける。
「税、なんだろ?」
無論クレマンティーヌが触れることは無理だということをわかった上での発言。
わかっているからこそこういう言い方しか思いつかない。
思いつかないからこそ、行動でしか示せない。
オレは元々考えるのは苦手で、こういうのは頭が回るわけじゃない。
だから。
「オレも領民なんだから税を納めるまで帰れないんだよ」
だから。
「痛いのは我慢するから」
だから。
「首に噛み付いて、さっさと吸ってくれよ」
そう言ってオレは笑みを浮かべる。
そうして、言った。


「できるようになるまで帰らないからな?」


なんともはた迷惑な発言で、なんとも失礼な言葉だと思う。
しかしこれしか思い浮かばない。
考えることはあまり得意じゃないのだから、仕方ない。
ヴァンパイアとは違う、馬鹿で弱くて意地汚い一人の人間なのだから。
「…馬鹿か、君は」
そう言った。
今にも泣き出しそうに顔を歪めながら、呆れて、驚愕して、それでも。
どこか嬉しそうに。
「馬鹿だよ、君は…」
再び言った。
弱弱しく自分の体を抱き、肩を震わせ、顔を下げる。
表情は伺えなかった。
それでもその姿は、やはり同じ。
あのときの師匠と、同じ。



『君は…馬鹿なんだよ…っ』



寂しいのに我慢して。
触れ合いたいのに遠ざけて。
冷たい言葉を吐いて、蔑む視線を向けてまで離そうとする。
それなのにかまって欲しくて。
だからこそ一人が嫌で。
そして、誰より甘えん坊。



「本当に…大馬鹿者だよ、君は…っ」



震える声でそう言ったクレマンティーヌを前にオレは笑って言った。


「どうせ、馬鹿だよ」
12/04/07 21:01更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで始まりました、クレマンティーヌ図鑑世界編!
現代編では前途多難に頑張っていたあれを今度はここでやりますよ
ちなみに彼女がどうして男性に触れられないのか原因まで出ます!
そこには結構つらい過去があったり…
今回長めになってしまったのは現代で語られてしまった部分だったゆえにこうなりました、すいません

毎度のことの主人公ですが
なんでもしないからではなく、こういった体を張ったことをするからこそ皆から慕われていくのかなと思います
どちらにしろ、もげろなんですがw

それでは次回もよろしくお願いします!

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