連載小説
[TOP][目次]
抜け殻
人間は…時に馬鹿なことだと理解していても、行動を起こしてしまう生き物のようだ。
といっても既に人間を辞めインキュバスとなって久しいから、純粋な人間というには正確ではないのかもしれないが、たった今、安藤祐介はある思い付きを胸に抱いて行動をしていた。それはどこか子供のころに悪戯をするような、そんな気恥ずかしさと楽しさを孕んでいる。


「確かここに…。」
広い自宅に家族は誰もいない。
娘二人は孫との触れ合いに飢えている祖父母の所へ遊びに行き、妻は用事で家を空けてお昼近くまで帰らない。いつもであれば誰かしらかの声が聞こえてくる幸せな我が家は、自分のいささか早く打つ心音が聞こえるのではないかと思うほど、静まり返っていた。そんな中、物置として使っている部屋の納戸を開け、こそこそとまるで悪事を働いているような錯覚を覚えながら探し物をしているのはとても滑稽に思えてくる。

「あった…。」
目当ての物はすぐに見つかった。
それは丁寧に折り畳まれビニール袋に梱包された、妻である恭子の抜け殻。一定の周期で下半身の脱皮を繰り返すラミア種の抜け殻は、子孫繁栄や金運のお守り、ペンダントなど装飾品の材料として珍重されている。その中でも水神に仕える、あるいは水神そのものとして崇められることもあるジパング固有種白蛇の抜け殻は、金運効果や美しい白色の鱗が人気を博しており、国内外で貴重品として取引されている。

手にしたのは、妻が先月脱皮したもの。
天日で乾かして十分に水分をとばしているが、大きく縮むことなく独特の柔軟性を保っている。数メートルはあるいのに重さを感じさせない手触り抜群の抜け殻は、うっすらと透けるほど薄いが蛇のそれとは比べ物にならないほど、魔物娘だからこその耐久力を備えている。祐介が普段使っている財布も、そんな恭子の抜け殻を職人が丁寧に嘗めし、数枚重ねて張り合わせ作られたものだ。薄い抜け殻だからこそ鱗を重ねることで幾何学的な美しさを生み出し、経年変化でより味わいを出す、なにより愛する妻の蛇革財布は祐介の最もお気に入りの日用品である。

そんな抜け殻を持っていそいそと向かった先は、祐介達の寝室。
畳に敷いたマットの上に抜け殻を丁寧に広げると、春の暖かさを感じさせる日の光が鱗をきらきらと輝かせ、白蛇が崇められるのも納得の神聖さすら感じさせる。それを使って今からしようとすることを思うと、なんとも罰当たりな気がしてしょうがないが、好奇心は簡単には止められない。

口にすると無言の笑みで体を蛇体できつく締められてしまうので決して言葉にはしないが、結婚して愛し合うほどにボリュームを増していった、魅力溢れる臀部にあたる抜け殻の端を両手で開き―――ゆっくりと足を入れていく。




まるで『寝袋』を使用するように。




自分でも変だと自覚するこの行為に至る原因は、数日前に大学の同期が入籍したとの報告を受け、久しぶりに再会した時の出来事。

友人のお相手はショゴスだった。
愛する奥さんにその身を包まれ、今まで見たことがないほど幸せそうな笑みを浮かべる濃紫色の友人は、いかに奥さんとの生活が素晴らしいかを聞かせてくれ…もといたっぷりと惚気てくれた。いつまでも止まらない夫婦の愛の語らいを聞きながら、ああ自分も結婚したてのころはこうだった、あの時は逆に友人相手に延々と話してしまったのだから、今度はこちらが聞かなければならないという悟りの境地に達していたのだが、「こうして彼女に包まれる幸福感を、お前は体感できないんだなあ。」と言われた瞬間、祐介は瞬時に還俗し反論した。妻はラミア種である白蛇であり、いつだって自分を蛇体で抱きしめ愛してくれる。妻に全身を包まれる幸福感は自分だって知っていると。

しかしそれを聞いた友人は、大切そうに妻を撫でながら柔らかい言葉で祐介の意見を否定した。「お前は本当に全身を包まれる幸福感を知らないのだ。ただ抱きしめられるんじゃない、文字通り全てを妻に包まれる幸福感を」と。

それからお互いの惚気合戦を散々繰り広げ、改めて最後に祝福の言葉を贈り祐介は帰路についた。
幸せそうな友の顔を脳裏に浮かべつつ、彼の言った全身を包まれる幸福感について思いを馳せていたその時、この方法を思いついてしまったのだ。妻の蛇体はしっかりとした太さもあり、抜け殻も十分伸縮性と耐久性を持っている。


その中に身を潜らせたなら、友人の言う幸福感を味わえるのではなかろうかと。


「あぁ…」
確かに、その幸福感は種類の違うものだった。
全身を入れると自分の体のラインにぴったりと抜け殻がフィットする。ゴムほどきつくもなく、織物よりもしっかりと体に密着する。その感覚は絶妙だ。幼いころに干したての毛布や布団を入れた押し入れにもぐりこんだ時の心地よさ、安心感に近いだろうか。そしてなにより、天日に干した心地いい香りと馥郁たる恭子の甘い体臭が全身を包み、さらなる快楽を体の底から増幅させていく。漏れ出る声と共に、まるで赤子のように身を縮ませて、全身を包まれる多幸感に熱中する。

妻が下半身で抱きしめてくれる幸せとは、種類が違う幸福感と昂揚感が確かにそこにはあった。

降り注ぐ暖かな春の日差しと甘い幸福は自然と眠気を誘う。


静かな寝室で穏やかな寝息が経つのにそう時間はかからなかった。












人生は予期せぬ驚きの連続なのだという。
愛する夫と結ばれ、可愛い娘たちを授かり、平凡ながらも幸せな自分の人生にも、確かに予想もしなかった驚きというものはやってくるようだ。

「すぅ…すぅ」
奉職している神社での用事と買い物を終えて帰宅すると、寝室で夫が自分の抜け殻の中に全身をすっぽりと入れて気持ちよさそうに眠っているなど、果たして誰が想像し得るのだろうか。決して自分が鈍いわけではなく、知恵者の白澤や魔王様だってできるはずはないであろうと思う。
「………。」
あまりのことに声をかけることもできず、唖然と、まるで白いソーセージのようになってしまった夫を眺めて暫く時間が過ぎた。
安心して脱力し、子供のように眠っている夫を起こすのは忍びないとは思うが、何故このようなことになってしまったのかが気になるし、寝冷えして風邪をひいてしまっては一大事。自信を落ち着かせるために幾度か大きく深呼吸をして後、そっと抜け殻の口を開き、手を差し入れて肩を揺らしながら声をかけてみることにした。

「旦那様、起きてください旦那様。」
「…ぅん」
「旦那様!」
「き、きょうこ…?」
「はい。そうです。」
寝ぼけていた夫は、徐々に状況を理解したようで、しょぼつく目を擦りながら抜け殻から這い出てくる。
「ああ…寝ちゃってたのか。」
「お休みになるのはいいですが、毛布やタオルケットを使ってください。暖かくなってきたとはいえそのままお休みになれば体調を崩してしまいかねませんよ。」
「…うん。」
「とまあ…それはいいとして」
「………。」
どこかバツが悪そうに恭子と視線を合わせようとしない祐介の顔を覗き込んで核心を突く質問をぶつけてみる。

「何故、私の抜け殻の中に入っていたんです?」
「そ、それは」
幾度か口をぱくぱくとし、抵抗の色を見せていた祐介であったが、無言でじっと見つめていると少しだけ恥ずかしそうにこれまでの経緯を話してくれた。
「そうですか…全身を包まれる幸せを体験してみようと。」
「そうなんだ。」
「で、どうだったんです?」
「え?」
「私の抜け殻は、私がこうして全身を抱きしめるよりも…」
夫の動きよりも素早く下半身を躍動させ、絡めとるように抱きしめながら問いかける。

「心地よかったですか?」

自分でも呆れてしまう。
恭子は、かつて自分の一部だった抜け殻に…嫉妬していた。

「恭子?」
「ねえ、旦那様。」
蜷局の中で身動きできない、最愛の夫を優しく撫でながら恭子は静かに囁きかける。

「時間はたっぷりあります。だから抜け殻の気持ちよさなんて…私が忘れさせてあげますね♡」


20/03/22 09:00更新 / 松崎 ノス
戻る 次へ

■作者メッセージ
昔徹夜明けで、北海道の某水曜日な番組を見ていた時に、出演陣がテントに寝袋で寝るシーンを見て、ふっとラミア種の抜け殻を寝袋にできるんじゃなかろうかと思いついたことがありました。忘れぬうちにとメモに書いていたのですが、十分睡眠をとり冷静になると我ながら何を考えていたのだろうかと思うよく分からないネタですし、それをどう小説にするか全く浮かばなかったので、完全に没ネタとして記憶の片隅に置いておりました。

今回、リクエストというかお題として声をかけていただいたので、このネタをどうにかできないかと頭を絞って結果、このようなものになりました。

どうやっても抜け殻ではエロくはならないし、抜け殻を寝袋にしたところでどうなるのと悩んだんですが、魔物娘の中でも脱皮をし、しかもラミア種ということで嫉妬深いところと結びつけて何とかならないかなと考えてみました。

完全な一発ネタですが、最後まで読んでいただきありがとうございます!

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33