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第三十一話 如月と決戦前夜
「では、この合意でよろしいですね。」
そう言って、姫様が数枚の紙束をまとめて隣に立っていた私に差し出した。
プリオン男爵マイオス・ドラウ男爵ベッケラーとナンナさん、そしてクルツ代表二人と姫様の会議がようやく終わった、戦後の制度や賠償金などの問題をどう解決するかの合意だ。
私たちが結果として壊滅させたガラグナ・マズート・ウォード・ケナン・ベルクと今王女軍に協力しているプリオン・ドラウ・リオネイのほかに、傍観を貫いている領地が三つある、そこの扱い、ひいては今後の貴族制をどうするか。
マイオスさんもベッケラーさんもどうやら信用できる人みたいだし、魔物の保護をしていた人でもあるらしい、それどころかマイオスさんに至っては奴隷(実のところ妻)の魔物との間に子供がいるんだそうだ。
決まった合意は今後すべての領地を女王が直接知事を任命し、知事を通して統治するもの。
ただし、プリオンとドラウは特別に今と似たような体制で女王の指示に従ってもらう。
また各領地を監視するために数名の監督官を中央から派遣する。
クルツに対する自治権も完全に認める方針で話は進んでいた、今までは名目上ローディアナ王国の一部でしかなかったけれど、この戦争が終わったら正式にクルツは独立の領地として認められる。
戦後処理についてはまた追々話し合って進めていく予定でこそあるものの、おおむね当初の予定通りに話は進んでいた、奴隷制度の廃止に現状奴隷にされているすべての人間及び魔物の即刻解放、もともと奴隷制度は禁止なので勿論財産供与はなし。
こんなにいきなり大規模な制度改革を行えば当然反発も大きいとは思うけれど、姫様は譲る気なんてなさそうだった、とはいえ姫様に心酔してる何名さんはもちろんマイオスさんもベッケラーさんも乗り気だったから、断行されるんだろう。
「では明日に備えて早く休んでください、貴方たちの戦力はこの戦いを左右する大きな要素です。」
姫様のその言葉とともに、マイオスさんが一礼してから幕舎を出て、ベッケラーさんもそれに続いてお辞儀をしてから出て行った、残ったのは私たち三人と、クルツの代表二人。
「思い切った改革に打って出ましたね、復興を進めつつ暫時改革していくと言い出すとばかり思っていました。」
「このくらいの誠意を見せないと、今まで迷惑かけてきた人たちにもクルツの皆さんにも示しが尽きませんから。それに、先送りにして改革が骨抜きになるのも避けたいです。」
そう言いながら姫様は私からまた書類を受け取る、書類にまとめられているのは姫様本人が書き連ねたこの合意の内容だ。細則まで書き込んでいるうちに結構な量になってしまった。
「明日でこの戦争に決着がつくといいんですけどね。」
ハロルドさんがそんな風に言った、確かに明日でけりがつけば最善だろう。
「この戦争が終わっても、私に休む暇はありませんね。貴族議会をまとめた七家をすべて捕え、不義に鉄槌を下し、今度こそ多くの人が平穏に暮らせる国ローディアナを作り出す。それまでが私の戦いです。」
そう言い切りながら、姫様は記入漏れがないか、不必要に誰かを不利にするような条項がないか、新しく発布する法令の穴抜けがないのかをきちんと確認していく。
「クルツの側でも物資や人材面で幾らかの援助はすると思います、決定権が父さんとルミネさんにあるから僕が勝手に口約束することはできませんけど。全く援助しないことはないと思います。」
ハロルドさんがそう言うと、近くのネリスさんも首を縦に振る。
「ありがとうございます。」
姫様が頭を下げるとハロルドさんは笑って「一国のお姫様がこんな人に頭を下げていいのかな」なんて冗談を言った。確かに姫様は腰が低いし落ち着きもあんまりないけど、下手に威張って人に反感を買うよりはずっといいはずだ。
「姫様、失礼してもよろしいですか?」
そう言いながら遠慮なく入ってきたのはカーターさんだった、どこから来たのかと言えば王都からだろうけれど、よく厳戒態勢の王都から当たり前のようにここまでこれたな。
「あら、カーターではないですか。」
「お久しぶりです、またお会いできる日を心待ちにしておりました。」
そんな何気ないやり取りの途中にハロルドさんがカーターさんの胸に棒を突きつけている。
「安心してください、その人は味方です。」
私がハロルドさんにそう言うと、ハロルドさんは棒を下ろして壁際でカーターさんを睨みつける。一応形式上は身構えないけど信用もしてない顔だ。
私も味方とは言ったけど良く知らない。最後にあったのは二日前、よく戦時中の国内を平然とうろうろできるものだけど、実は結構危ない橋を渡っているのかも知れない。
「お初にお目にかかる、クルツ領主代行ハロルド及びネリス殿。私はカーター、王家に仕える密偵で近衛騎士団の参謀を務めております。」
深々とお辞儀をしたカーターさんの頭頂部をやっぱり険しい目でハロルドさんは見詰めている。その隣でしっかり頭を下げているネリスさんとは対照的だ。
「そこまで疑われると……傷つきますね。」
「そんなことよりもカーター、言うことがあるだろう! 報告があるからここまで来たんだろう!!」
リィレさんがいきなり声を荒げてカーターさんに食いかかった。
まるで何か、特別に知りたいことがあるかのような態度で。
「アッシュなら元気にしていたぞ、姫様たちの快進撃のために機嫌の悪いマウソルを宥めるので神経を削っていた以外は、だが。」
「そうか……それならいい………わけがないだろうあいつに任せた作戦はどうなっているのかと聞いたんだ! それが上手く行っているのと行っていないのでは攻略戦で出る被害が大きく違ってくるんだぞ!」
「本音ではアッシュのことが心配で早く会いたくてたまらないのに、立場とは苦しいな。」
「斬り殺すぞ貴様ぁ!!」
顔を真っ赤にしてリィレさんが剣を抜く、それを慌てて私と姫様が間に入って止めて、リィレさんを落ち着かせる、そうした後カーターさんに姫様が向き直り、
「疲れているのは分かりますがリィレで遊ばないでください、繊細な子なんですから。」
「すみません、どうにもつい癖で。」
「直しなさい、いいですね?」
命令口調で姫様が言うと、従うしかないと思ったのかカーターさんは首を縦に振った。
「アッシュに任せた作戦二つはどちらも上手く行っているようです、砲台は合図があればいつでも無力化できますし、兵士の反乱の準備もかなり整っている。」
王都にいるらしいアッシュさん、どうやら頼まれていた仕事はきっちりこなしてくれているようだ。
「現在の王国軍の戦力に置いて警戒すべきは勇者ライドンと十数名の狂戦士達です。アッシュの話では王国辺境の土地神の天使を無理にさらって、搾り出した神の力を上乗せしてあるようです。」
その瞬間、場の空気が確かに凍りついた、カーターさんもそれを察知したのか報告がそれで終わりだったのか、何も言わず姫様の言葉を待っている。
「……………それで? 王都にいた天使ツォーレはそれに賛成したのですか?」
「いいえ、無論反対していたそうですが、その日以降消息不明となっています。」
空気が痛い、全身刺されているような錯覚を覚えるほど肌寒い空気に包まれる。
「『利用』された天使のことを、貴族議会の議員は堕天使と言い張っているようです。更に、イグノーから人魚が一名拉致されてきたようで………」
「わかりました、もう結構です。」
カーターさんの報告を遮り、姫様が苛立ち交じりの口調でそう言い放った。
「結局……救いを許されるところを踏み越えてしまったんですか、ライドン……」
どこか悲しそうな声で、姫様がそう呟いた。
「少し風に当たってきます。ああリィレ、護衛は要りません。」
そう言って姫様は幕舎から出て行った、その背中がやけに小さく頼りなく感じられた。
「………やはり、姫様はライドンを救いたかったんだな。」
「そうだな、形の上とはいえ婚約者で、幼馴染。心配に思っているしできれば対立もしたくはなかったのが本音だろう。」
カーターさんの言葉にリィレさんが答える。
「それよりもさっきから視線が痛いですよハロルド殿、私を睨み殺す気なのですか?」
「悪いね、どうにも何か、貴方に対しては疑いの目を向けることを止められないんだ、クルツの領主代行として失格だけど疑わしくてしょうがない。」
「仕事柄疑われることには慣れているが………そこまで信用がないとさすがに悲しいな。」
妙に大げさなそぶりでカーターさんは肩をすくめて見せた、ここまではっきりハロルドさんが敵意を示すとは思っていなかったんだろう。
「ハロルドさん……その人の何がそんなに気に入らないんですか?」
隣で様子を見守っていたネリスさんが耐えかねて訊ねるとハロルドさんは
「具体的に言うと話し方だね。『大事なことは包み隠して上っ面の言葉だけを連ねてる』ようにしか聞こえない話し方をしてるのが気に入らない。」
「そんな些細なことから疑われるのは不快ですよ。」
「悪いけどそれくらい胡散臭いんだよ。」
信用がないとかそんなレベルじゃなくそもそも信用する気にならないみたいなハロルドさんの態度はかなり失礼だと思うけれど、大勢の人をまとめる以上疑り深くならなくてはいけないんだとも思う。
「僕は貴方を信用しない、それはもう決定してるけど姫様が貴方を重用する限り手は出さないよ、裏切ったらその場でぶち殺すからそのつもりでいてもらうけど。」
「肝に命じておきますよ、真っ向挑んでも勝てそうにない。」
そう言ってカーターさんは私たちの近くに歩み寄り、ハロルドさんは出て行った。
「あの…ハロルドさんも冷たい人じゃないんです。ここ最近人がたくさん倒れて行って、その人たちの分も頑張らないとと思ってるからすごく緊張してて……」
「お気遣いどうもありがとう。」
ネリスさんの必死のフォローにカーターさんは笑顔で答えた。
そのあとネリスさんも出ていくと、嫌になるほど重苦しい空気が幕舎の中に立ち込める。
「ただ今戻りました。」
そう言いながら姫様が帰ってきた、そして話を全部聞いていたかのように
「明日です、すべては明日決まる、そうしたらもうしばらくは人が倒れていく世界を見なくてよくなる、そう願いましょう。」
そう言って、少し無理に笑顔を作って見せた。
明日でこの戦争に片が付く、だから私たちは明日の夜笑っていられるはず。
そう思ったら、今の空気も後で笑い話に出来そうな気がしてきた。

12/08/09 23:24更新 / なるつき
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■作者メッセージ
未来に向かって、それぞれの道を歩く。
別れを惜しむか、未来を見据え笑って見送るか。
個人の選択が、未来につながるのです。

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