読切小説
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“調理法と分け前についての会議”

 二十日後に、レスカティエ教国は陥落する。

***

 ある魔界にそびえる、もっとも高い塔の上にその部屋はあった。
 色の基調は紫を重ね塗った黒に爛々と輝く深紅。
 艶めかしい曲線と、炎のようにも稲妻のようにも、はたまた爪や牙のようでもある尖った模様の組み合わせ。そしてそこかしこに配された人間と魔物が睦み合う意匠。ひとつひとつに籠もった膨大な魔力は、残り香だけで人間を魔物へと転じさせるのに十分なものだと思われる。
 そのいずれもが魔王の四女デルエラが好むものであった。
 それも当然だろう。この塔は彼女の城であり、そしてこの部屋は彼女とその軍勢が方針を決するための「円卓の間」であるのだから。

 魔物は、ことに既婚の魔物は虚礼を嫌う。無駄な時間を費やして夫と触れあう機会を減らすのは愚行の極みとされているからだ。
 だからデルエラが円卓についたときも、他の面々は一度頭を下げたきりだ。
 開会の挨拶もその内容を考えればひどくそっけないものである。とても、教団世界第二の国家を攻め落とすための会議とは思えない。

「全員揃ってるわね?じゃあ始めましょうか」
 むしろ満足げに微笑んだデルエラの声を合図に立ち上がった魔物がいる。
 ジパングで使われる漆器に似た色合いの、刑部狸だった。
 デルエラの腹心として魔界に名高い彼女の名を、田沼という。

「では、まずはわたくしから」
 主より余程貴族的に思える優雅ない挨拶をおちょくるように、「結婚おめでとう!」とヤジが上がる。
 そちらを向いて、田沼は心底嬉しそうに楽しそうに答えた。
「ありがとうなー……。
 いや、まさかウチにこんな早う旦那様が来てくれるやなんて……こほん。
 失礼しました。最初の資料はレスカティエ全体の地形と周辺の街道図、王都
の構造をまとめたものです。
 最低でも百長級にはきちんと覚えさせていただきたい……まあ、愚問だとは思いますが、念のため。では次の資料に移ります」

 ぱらり、とめくる音が部屋全体に響く。
 ひとつひとつは小さくとも数が数である。

「人口統計やら作物の取れ高やらまとめてあります。まあこの辺は戦闘にはそこまで関与しませんから、どうでもエエ言うたらどうでもエエんですが。
 食糧の生産量やら輸入量はともかく、分配はいい加減……というよりアレですわ。
 公平に分配したらなアカンちう考え方がそもそもあらへんのです。というわけで貧民街を中心に果物やの野菜やのと卸してます。
 けっこう出回らすことに成功しました。特製の、魔力がうすーい奴。侵攻に際して活性化を狙えば楽できるんやないかと」

 黒いフードを被った青白い肌の少女……死者の魔法使いたるリッチが、恐る恐るといった風に手をあげた。
「……生態系、の、魔界化は……?」
「下準備としては行っていません、博士。
 あちらさんに気づかれないようにしているためです。
 ……ポローヴェの精霊使い協会からは『協会として協力はできない』と公式な回答をいただいております」

 国名を出したとき、淡々としていた田沼の声に初めて苦い物が混じった。

「あンの引きこもりは……。
 結婚したいんやったら協力してもエエやろに……ホンマにもう」
「マー、どうどう」

 それを鎮めたのは他ならぬデルエラだった。マーというのは田沼の愛称であり、そして彼女自身は人前でそう呼ばれることをいささか嫌っていた。

「会議で使うの止めてくださいって言うてるでしょうに……。
 ……えー、近衛隊おふたりのご意見は?」

 自然界にはありえない漆黒と赤紫の色を配した人虎は満足げに頷いたが、主を模して鎧のそこかしこに赤く光る瞳のような魔宝玉をあしらったデュラハンはいささか納得しかねるような顔である。

「軍を動かすにあたっては理想的な地図ではあるな。
 だが不備もある。王城部分の構造は推測と見てよろしいのか」
「はい。さすがに警戒が厳しすぎます。
 そこはデルエラ様に何とかしていただこうかと」
「危険ではないのか」
「他に任せたらもっと危険です」

 それがとどめになったのか、デュラハンはむすりと唇を引き結んで頷いた。いかにも不承不承といった風である。

「海路に関しては……ミッちゃん、ええかな?」
「任せてー」

 手を振りながら答えたのは濃紺の肌をしたネレイスであった。
 口元の笑みは緩く、目は戦いの高揚というより、むしろ久しぶりに仲間に会えたことを単純に喜んでいるようにさえ見えた。

「やりました。なんとかなりました。ポセイドン様に直談判した甲斐あって、レスカティエ近海に嵐を起こせます。誰も来られないし、だーれも逃げられない。2,3日が限度だから、攻めるときはちゃんと言ってねぇ」

 歓声とともに拍手が巻き起こる。海神ポセイドンは魔物とその伴侶の味方ではあっても、特定の派閥に肩入れすることはあまり無いからだ。

「や、どうもどうも。海の上はこっちのもんだからね。
 思いっきり暴れてやりましょうじゃないの」
「ご苦労さまでした。……いよいよ、本題に入ります。勇者に関して」

 波を打ったように、部屋が静まりかえる。
 部屋のあちこちから生唾を飲み込む音が聞こえてきた。
 勇者。レスカティエの最大戦力。
 文字通り一騎当千、戦場を塗り替える絶対の個。
 それを打ち倒すことは武門の誉れ。
 組み敷くことは雌の歓喜。子を設ければ一族の栄光。

「ここにお集まりの皆様は我が軍きっての英雄豪傑。だからこそ個々の勇者との相性は大事に……ああ、そういう意味違いますよ。
 戦いの話です。殺すことも殺されることも絶対に避けんとあかんわけです。金属を通さない鎧なら木剣で叩き割らんとあきません。
 実力の加減からすると、筆頭のウィルマリナ=ノースクリムと歩兵隊のメルセ=ダスカロス。それからもう何人かをデルエラ様に片付けていただくのが最善かと」

「任せておいて」

 あらかじめ打ち合わせていたのだろう問いに、やはりデルエラは当然のように頷いた。しかしその目には楽しみというより使命感とでもいうべき意志がみなぎっている。

「ミミル=ミルティエは儂がもらうぞ。博士よ、よいな?」

 黒山羊たるバフォメットがそう言うと、黒ローブのリッチはこくりとうなずいた。失望は微塵もなく、どうやら彼女にも当てがあるらしい。
 その後も、ハーフエルフの射手プリメーラ=コンチェルトを追い込む策を熟練の狩人たるワーウルフが提案し、それをオーガが皮肉ったのであわや殴り合いになりかけたところを人虎の近衛が抑えるという一幕があった。デュラハンのほうはと言えば何かに怯えたように頭を支えている。

「聖職者のいくらかは、こちらで受け持ちましょう。
 これは我が神もご承知のことです」
「はいはーい、デルエラお姉様。
 私たち悪魔界も全面的に協力しまーす。雑魚はこっちに任せてね♪」

 今まで沈黙を守っていたダークプリーストとデビル……なお、デビルの座る場所はダークプリーストの膝の上であることをここに明記しておく……が負けじと提案を始めた。

「切り離しに関しては……」
「わたしたちの出番、でしょ?」

 そこで田沼は視線を端に動かす。
 文字通り、圧倒的な存在感がとぐろを巻いている部屋の一角に。
 微笑みをたたえて会議を見守っていたエキドナが頷いていた。
 尻尾が身じろぎするたびに、鱗の夕闇がかすかに波打つ。

「おまかせなさいな。ちょうど凄いのが出来上がったところよ」
「あ、じゃあ僕が呼び込みやりますね。 
 これでも傭兵の溜まり場じゃ顔なんですよ」

 続きを引き取ったのは魔人の一角……ダンピールである。
あらゆる装飾をそぎ落とした実用一点張りの衣服が、かえって肢体の艶やかさを強調していた。

「いや、もう一声だ」

 初めて男の声が響いた。
 どこか茫洋としているのに、その存在感は主たるデルエラとすら比較しうるものだった。玉座につくことが本当の意味で俗人を越えるということであり、君臨するという行為が魔法の一種として捉えられていた時代の、異種としての王の声。両肩に神代において戦い続けていたという始まりの王ファラオと、終わりの毒龍アポピスがしなだれかかっている。

「うちの国からも少しばかり兵を出させてもらおう。
 そろそろ情欲を持て余したのが増えてきてな。……よろしいかな、殿下」
「感謝いたしますわ」

 デルエラがうやうやしく一礼し、拍手をもって迎えられた。これで目先の欲望に釣られない勇者も引っ張り出すことができる算段ができたのである。

「あー……田沼サン。
 わたっしら何をしましょっかねえ。流石に城壁崩すにゃホネですぜ」

 どこかぼやくようにも聞こえる奇妙な訛りを伴った、ジャイアントアントの女王たるキキクタラの問いに対しても、田沼の返答はまるで澱みがない。

「お願いしたいのは道の寸断です。地上も、地下も」
「道具のい〜い奴頼んまさあね」

 女王の不敵な笑みを刑部狸はそっくり真似て、所在なさげに頬杖をついていたドワーフにその笑みを見せる。

「族長どの。魔界銀の装備一式、どうなってます?」
「あと十日くれー。悪いがこれ以上は縮まらんぞー。あと職人街の連中はこっちで引き受けたー」

 その堂々たる所有権の主張にまたあちこちから不満の声が上がるが、一定を越えて大きくなることはない。魔界銀が魔界の鉱脈からほぼ無尽蔵に取れるとはいえ、全軍に装備として行き渡らせるとなると精錬や鍛冶の手間がどれほどのものか、魔界有数の“軍隊”であるところの彼女らはよくわきまえているからだ。
「景気のいい話ばかりのところに悪いが、ひとついいか」

 デルエラの腹心のひとりとされているゲイザーの声には慎重さを通り越して臆病さがにじみ出ている。その常とはあまりに違った雰囲気に、議場の視線が一気に集う。

「見張り塔の千里眼持ちのことなんだが。実地で見てみたらオレのちからじゃ七人が限度だろう。見張り番は八方に八人……残り一人をどう埋める?」
「ああ、確かひとり隠れて女とつきおうとるのがいたはずやから、そっちから攻めてもらおか。……それから、将軍……ひとつお願いが……」
「……まだるっこしいな、田沼殿……いつもの貴君らしくもなかろうが……」

 その声は山で聞く遠雷に似ていた。いずれ雲がわき起こり、嵐を引き起こすという意味で。声の主、黒曜の鱗と落日の瞳を持つドラゴンはこの場の全員から“将軍”とのみ呼ばれていた。

「……ワームどもに守備隊の相手……ワイバーンどもは……ああ、攪乱と奇襲か……獲物は取り放題ということで承知させておこう……。それから、条件をひとつ、だ……」

 長く伸びた爪で、顔の左半分に深々と残った刀傷をなぞる。

「レスカティエに……この傷をつけた男がいる……。
 そいつには、手を出すな……絶対に、だ……」

 人間が聞けばそれだけで心臓を止めかねない恐るべき力を込めた声だった。しかし魔物達は怯むどころか、笑みさえ浮かべていた。ドラゴンに春が来たのだ。曾孫の代までの語りぐさになろうというものである。

「あの……ええと……よろしいで、しょうか……」

 デルエラお気に入りのキキーモラが、参加者に茶を配り終えたあと、まるで子犬が勇気を振り絞るようにして問いを口にする。それを咎めるものは誰もいない。“この部屋に居る者は誰であれ発言の権利と義務を持つ”とデルエラが定めているからだ。

「レスカティエの守備隊は強いと聞いています……。
 勇者はここの皆様が何とかしてくださるにしても…………。
 その。ほかの、兵たちは……大丈夫、なので、しょうか……」

「やっぱりええ子やなあ……そのへんはウチに任せとき。
 具体的には守備隊の武装更新に合わせて調達担当者に鼻薬を嗅いでもろてる。見た目だけ取り繕った安物を卸して、帳面にはちゃーんと普通の武器を買ったことにして。差額が担当者の懐の中や。あと指揮官とか強い兵隊にお嫁さん紹介したりな。やから被害は大分減らせる。安心しとき。
 ……おばば様ー。妖精さんたちに話通しといてもらえますー?」

「……なんじゃそれは。儂のことか?安心せい。もう話は通しとるわ」

 黒山羊のバフォメットが頬を膨らませている。

「……“社交界”にはこっちから話をつけておいた……墓地は制圧しておきます……」
 常夜の国の上流階級、すなわち高位の“死にぞこない“たちを指す隠語と共に、博士と呼ばれたリッチが豊かとは言いかねる胸を張る。

 ここで初めて、田沼は持っていた書類に視線を落とす。何度か手にしていたペンを使って書き込むと、大きく頷いた。

「一通りの懸案は片付きました。他になにか……ありませんか。
 ではここで散会といたします。お疲れ様でした。皆様、ご武運を」

 席を立つひとりひとりは、異様なほど言葉少なだ。
 だがそこには、勝利への情熱が確かに渦を巻いていた。
 最後に残ったのは、田沼とデルエラだけであった。

「お疲れ様、田沼」
「いや、人前でそっち呼んでくださいよ」
「今日は嬉しそうだったじゃない?
 ひょっとして旦那様にそう呼ばれてるとか?」

 田沼の肌が一気に朱に染まった。デルエラは一瞬だけ呆気にとられて表情を失ったが、すぐに口元に手を当てて忍び笑いを漏らす。

「あら図星。そっかー……。遠慮しておかないといけないわね」
 刑部狸はそれには取り合わない。無言のままに書類をしたためていたが、やがて口を開いた。その声はひどく重い。

「死ぬかもしれませんね。殺してしまうかもしれん。
 ……前線に立ってる子らにはとても言えませんけどね。
 戦争の段取りはどんだけ経っても慣れません」
「大丈夫よ。私が殺させないし、死なせない。
 魔王第四王女の名においてしかと誓うわ」

「信用させてもらいます。……さて、ウチもそろそろレスカティエに戻ります。旦那様がそろそろ限界やろし」
「旦那様によろしくね……とは、あんまり言えないか」

 一礼して立ち去った腹心の部下にして終生の友を、デルエラは微笑みながら見送った。

***

 レスカティエ教国陥落の、二十日前の話である。
14/05/20 09:46更新 / 青井

■作者メッセージ
ご無沙汰しております。青井です。楽しんでいただければ幸いです。

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