読切小説
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雪月鏡花




視界が白で覆われている。

吹雪いた景色も山や空、何処もかしこも白で統一されていて、音が無い。

白と言う色は、何も無いと同異義語ではないのか。
即ち、虚無。

白こそが絶望。



私は、沢山の白に包まれ、己の境界線が無くなるのを感じながら、つらつらとそんな事を考えていた。



どの位呆然としていたのだろうか、長い間だったかもしれないが、それはほんのひと時の間だったのかもしれない。
気が付くと、絶望に覆われた私の視界に雪とは違う白が現れる。


遠く、山の斜面を滑り降りるかのように動く其れは、白い着物を纏って、白い布を被った姿であった。

滑る・・・その表現が正しいのだろう、近づくその白は、着物の裾を絡げる事も無く、寧ろ歩いている足捌きも無いままにするするとやって来るのだ。
私は、冷たくなった身体をさらに恐怖で硬直させながら、其れが私の目の前まで近づくのを待っている。

白、どこまでも白く斜めに遮られる視界。

それは、何人たりとも立ち入れない・・・









私の叔母は『見鬼』であった。





見鬼とは、その名の通り鬼を見る人で、鬼とは叔母曰く「不思議で愉快な者達」であると言う。
私は幼い頃、其れを妖怪と言って居たが、其の者達と交わる時は必ず叔母を介していたし、其の者達の異形の身体を私は『見えない』事になっていた。

女は陰の気、男は陽の気。

叔母がよく言っていた通り、女は陰の気を持つ為魔に転じやすく、陽の気を持つ男は魔に好かれやすい。
だから叔母は彼奴らを欺く為に、私が現世に根を張る八つを迎える迄、女児として育てたのだ。

叔母の家の庭で遊ぶ童達は一同にどこか可笑しな格好で、しかし大真面目に人間の子供に化けて遊びに来る。
私はその童達と遊ぶのが大変に好ましかったのだが、たまに大人の妖怪が上り框に腰かけて叔母と談笑していると、そんな時私は一言も声を発してはいけい決まりがあった。
男児と言う事がばれてしまうからだ。

叔母には見鬼以外に何の異能があったかは知らないが、私が住む村の誰からも崇められていた叔母は、鬼や妖達からも畏怖と敬意の対象だったように思える。
何故なら、村人からは毎日山のものや畑のものなどの捧げものが贈られるし、妖怪達は叔母の言う事をよく聞き叔母の手足となって働いていた者も居たのだから。


そんな叔母が私を置いて忽然と姿を消したのは、明ければ私が十二になる年の前の晩、所謂大晦日と言う日だ。

新年の用意と今年の煤払いを遅ればせながら盛大に行い、村人から貰った餅を食べようと囲炉裏に櫛を刺した餅を並べていた矢先だった。

庭から叔母を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、常は硬質な美貌をしている無表情の叔母が顔色を変えて「すぐ戻る、先に済ませておけ」と短く言い、しっかりと閉じていた雨戸を開けて外へ出てしまったのだ。
こんな事は稀に有った事なので、私は焼いた餅を叔母の分までペロリと平らげてしまうと、一人分の寝具を広げて就寝してしまった。
むしろ、夜遅くまで起きていると叔母の鉄拳が私の頭を小突くので、いつもの通りに言いつけを守っていたのだが・・・それから叔母は、間もなく十年の月日が流れても私の前に姿を現す事は無かった。


後になって巫女と呼ばれていたと知る叔母が村から居なくなり、後に残された私は妖怪達との交渉の術を全く知る事が無かった為、十年の間私は村人に疎まれながらも逞しく育ったのであった。
















何かがパチパチと弾ける音がする。


私は白以外の色を探すべく、腫れぼったく重い瞼を開けた。


ぼんやりとする視界の中、私は藁葺の煤けた屋根が太い梁を隔てて遠くに在るのを認知した、どうやら此処は屋敷の中らしい。
重くだるい首を廻らせると、私の横には囲炉裏があり、赤々とした炭がパチリと鳴った。

ああ、この音だったのか・・・


どこか現実感が薄い視覚に訴えかけてくるような板張りの床が、背中を固く押していた。


助かったのか。


私は取りあえず命があった事を噛みしめていた。
しかしそれは、どうやって、そして誰が・・・と思いめぐらせた所で引き攣った恐怖が体に再現される。



白く吹雪いた山の景色の中、足を使わず近づいてきた白無垢の紅を引いた口元が嗤ったのが見えた瞬間、強い衝撃と共に私は体を宙に攫われたのを思い出したのだ。



「気づかれましたか」



記憶が蘇ったと同時に思いの外近くからかけられた女の冷たい声に、動かぬ体を叱咤して私は咄嗟に起き上がり、身に着けていた鉈を持ち身構えた。
声をかけた女は「それだけの元気があれば大丈夫」と私を一瞥し、持っていた膳を私の膝もとの板張りに置くと「体が温まります。おあがりなさい」と言って囲炉裏の向こうに行き座ってしまった。


得体の知れない恐怖感に支配され強張っていた私の体は、そんな女の行動に拍子抜けをしてしまい、持っていた鉈をそろそろと床に置くと、膳の上に乗せられた粥のよそわれた椀を凝視した。

「毒など入っておりませぬ故」

粥を見つめたまま手を付けようともしない私に痺れを切らしたのか、女は少々険の強まった言葉で私に食事を勧めた。
雪山で遭難してしまい、丸一日何も口に入れていなかった私はその言葉に後押しされるように椀を持つと、上等な塗の箸を持ち粥を啜りだした。


「お代わりもたんとあります故」


食べ始めた私に気をよくしたのか、女は先ほどと打って変わって柔らかい声で私に話しかける。
私は食べるのに夢中になりながらも、「ん」とも「む」とも判別のつかない声で返事を返した。
女はそれに小さく頷くとどこから出したのか繕いものをし始め、私は無言で箸を進める。
その後、二杯ほどお代わりしてから食べ終えた私に「お粗末様でした」と微笑んだ女の白い貌が綻ぶ花の様で思わず見惚れてしまう。

女の姿を改めて見ると、あまりの美しさに佳人と言う言葉が浮かぶ。
小作りだが整った貌が秀麗で、冷たく見える青みがかった銀糸の髪と青く透き通った瞳が女が人では無い事を表し、だがそれがまた危うい美しさを引き立てるのだ。


人では無いが美しい女だと感じながら、私は女とぽつりぽつりと会話を行う。
しかし、此処はどこだと言う私の問いに、貴方が来た場所からそう離れていない場所でしょうと答えられたのには、少々面食らった。
何故かと言うと、私の育った村には冬の間、から風が農作物を萎びらせる冷害になっても、雪は薄ら積る程度にしか降らず、私はそんな村の片隅にある叔母の家の『庭』からこの雪深く吹雪いた『雪山』へ遭難しに来てしまったのだから。







そして、ふと思い出す事があった。

叔母の庭は手入れが行き届いていた。

それらは、叔母が手足のように使った妖怪達の勤労のおかげで、季節の草花が春夏秋冬に目を楽しませてくれるものだった。
私はそこで遊ぶのが大好きで、特に椿が咲く時期は一日ずっと庭で様々な形の椿に見とれていた。
早春の庭は寒かろうと羽織を持った叔母が私をよく探しに来たものだ。
友達と遊ぶ大事な庭。色とりどりの草花が咲く大好きな庭。

だが、叔母から厳しく言いつけられていたのは、決して庭から垣根を越えて表へ出てはいけないと言う事。

化けた童や叔母の元へ通う妖怪が庭の向こうからやってきていたと言う事を考えれば、大人になった今なら分からないでもないが、叔母が居なくなってからこの方、何度も言いつけを破っては庭から村の外へ出る事も間々あったし、その度に何事もない平和な農村の風景が私を迎えていたのに・・・。




「では、此処は私の家の庭から繋がっている・・・と」



これだけ言葉を発するのに気が重くなった事はない。
叔母が居なくなってから、妖怪の類は身を顰め不思議な事がとんと起こらなくなっていたのに。


「貴方の庭は知りませぬが、此処は様々な空間が彼方此方で繋がっているのです」


女はしれっと凄い事を言う。
私は余りの現実味の無さに


「では、どうやって帰れば良いのでしょうか・・・」

と思わず女に問うた。
事も無げに言うのであれば、何かしら帰る術を知ってはいないかと期待したからである。
そんな私に女は何の事はないと言った顔で「ええ、それは存じておりますが」と些か勿体ぶった言い方で言葉を区切ると。
私の目をしっかりと見据えて。

「一宿一飯の恩を売らせて頂こうと思っております」


と言い放った。


女の瞳が青く妖しく光った所で、私の記憶はまた白く飛ぶのである。



















女の肌が冷たい。
背にした布団が柔らかく、熱い。

そんなあべこべな状況の中、再び私は目を覚ました。

「起きましたか」

私の上に乗る女が腰を揺すると、いつの間に起き上がっていた私の男根が女の濡れた女陰に包まれて、くちゅりくちゅりと水音を立てている。

余りに卑猥な景色が私の視界に入り、カッと体が熱くなった私は増々女に喰われた部分を固くしてしまう。

「あぁ・・・」

ため息を吐いたのは、女か私か。


起き抜けに高ぶりすぎた私は呆気なく精を女の体内に放ち、脱力してしまう。


「すまない・・・」


それは余りの早さ故か、体内に射精してしまった事に対してかは分からないが、私が思わず漏らした言葉だった。

青白く肌理の整った肌に薄ら汗を滲ませた女は、それに艶っぽく微笑むと「これで恩義は返して頂きましたから大丈夫です」と囁いた。

と、私は女の吐息に煽られたのか再び体を熱くしてしまうと我慢が利かず、女と体の上下を入れ替えると我を忘れて闇雲に女を浸りだした。
最中「そんなに激しくされたら溶けてしまいます」とか「駄目ぇ、蕩けちゃうぅぅ」等と女の嬌声が耳に入った気はするが、こんな状況を作っておいて否やは無かろうと、乳房の柔らかさや臀部のもっちりとした触感に浸り切り、散々犯し尽くして射精しまくり気をさせまくった挙句、三度目の気を失った私は、気が付くと深い闇の中に佇んでいた。











天地左右も分からない闇の中、呆然と立ち尽くす自分に疑問が湧く。


私は確か、家の庭から雪山に迷い込み、女に助けられてその見返りに精を・・・。








此処はどこだろうか?
また目を覚ましたら、またあの女が居るのだろうか。
それとも、あの女の事が夢で、私はここにずっと立っていたのが現実か。
それは流石に少し淋しいな。



闇色をした虚無の中、つらつら考えていると、前方に光が見える。

出口だろうか?

私は不確かな闇の中、在るともしれない地面に対して一歩足を踏み出し、確りとした地面を足の裏で感じた。
歩ける事を確認した私は、遠くに見える光がどこかへ行ってしまわないように自然、足が速くなる。

と、後ろから声がした。

「おーい、おーい」

女の声だ。

釣られて振り返りそうになった私の脳裏に、幼い頃叔母と連れ立った道行で言われた事が強く蘇る。


「闇の中、真後ろから声を掛けられても振り返ったり返事をしてはいけないよ」
彼奴らは後ろから人間を誑かして喰ってしまうから。


思い出した言葉に背筋が凍る。

そして、駆け出した足に追い付かんと声が追って来たではないか。


「待って、何処にも行かないで」

「後生です、私と夫婦になってください」


必死な女の声に、私も必死になって声を振り払い逃げる。


が、女は足音こそしないが物凄い速さでするすると私に近づくと、あと一歩で光の先へと体を滑りこませられる私の背に縋った。


「ずっと、ずっと待っていたのに、貴方がくるのを・・・ずっと」


私の背に縋る指先は小さく頼りなく、しかし冷たい身体だった。



「許せ・・・」と心の中で女に謝りながら縋る手を振り切り、私が光の中へ身を躍らせると、開けた視界の風景は見慣れた叔母の家の庭で・・・。
背中に冷たい女の感触を残したまま、恐る恐る振り返った其処は竹で編まれた庭と外を区切る垣根のみであった。

ほっとした私が体から力を抜いて座り込み、脱力していると。


「おい」


と、真後ろから再び声が掛けられた。

ギクリ・・・と目を見開き体を固めていると「おい」と再び女の声で呼ばれる。

覚悟を決め、声が掛かった方向にゆっくりと振り返ると、そこには約十年ぶりに会う叔母が縁側に立っていた。



「お前も女を泣かせる年になったか」

何処から見ていたのか、かっかっかと快活に笑う其れは懐かしい叔母のもので間違いがなく、私は漸く現世に帰ってきたと実感していた。

「叔母さん、おかえりなさい」

「お前も、お帰り」


十年ぶりに会うにも関わらず、居なくなった時と全く変わらない叔母の姿にまた不可解なものを感じるが、この人は昔からそうだったと無理やり自分の心を納得させて、叔母の元へ行く。

「ああそうだ、暫く世話になっていた龍の婿殿に頂いた土産があるのだが」

「ああ、それと土産と言えば・・・」


何やら大荷物と共に帰ってきた叔母はどうやら龍とか言う大物の所で世話になっていたらしい。
其処は時間の感覚が分からない場所らしく・・・ああ、それで十年。


ごそごそと土産をあさる叔母が「おお、在った」と漆塗りの箱を取り出した途端、悪寒が走る。

そして、その悪寒と共に冷気が巻き起こると、叔母の手から箱が落ち、中から白無垢を着た女がするりと這い出て紅を引いた口元を笑みの形に歪めると、ニンマリ凶悪に笑った叔母が言った。



「お前への土産に、嫁を連れてきたぞ」




白は絶望の色か否か。


12/05/25 00:41更新 / すけさん

■作者メッセージ
なぜかまた不思議の庭のお話・・・
庭コンプレックスなのかもしれません。


蛇足:

この後、彼はゆきおんなさんと叔母さんと末永く幸せに暮らしたと思います。
二人の尻に敷かれながら。

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