読切小説
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蜜柑と梅雨
 梅雨を迎えた山間の里には湿った風が吹き降ろし、雨の予兆が草木を揺らす。
 数日振りに顔を覗かせたお天道様も、早々にその顔を黒い雲に覆い隠されようとしていた。

「まいったな、こりゃあ」

 里から少し離れた山の中、中腹に作られた蜜柑畑で握り飯を頬張っていた男は、あっという間に雨雲が埋め尽くした空を見上げて一人呟いた。

 今年の梅雨は特に激しい。乾きすぎるのは当然良くないが、雨量が多すぎるのも蜜柑の味を悪くしてしまう。それに、山の土が緩めば、蜜柑どころではなくなってしまう事もある。
 だからこうして晴れの間に様子を見に来たのだが、帰り支度をしている間にも雨雲は蜜柑畑に暗い影を落とし、雨をぽつぽつと降らせ始めてしまった。

「うひゃあ、冷てぇな」

 男は握り飯を包んでいた風呂敷を頭に被り、笠代わりにする。気休め程度だが、無いよりはましであろう。
 さて急いで帰ろうかと立ち上がった所で、ふと、視界の端に人影が見えた。
 気になってそちらを見れば、木々の合間に、雨の中で傘も差さずにぼぅっと蜜柑の木を見上げている娘が一人。

 まだ年若い、子どもっぽさの抜け切っていない顔立ちだが、藍色の髪は腰ほどまで伸び、濡れていてもなお美しい。憂いを含んだ表情も、不相応なほどに大人びていてなんとも魅力的である。
 身に纏った上品な絣の着物は雨にすっかり濡れてしまい、体にぺったりと張り付いて、丸みを帯びた胸や腰の線を際立たせている。しかし、それは男の情欲を掻き立てるよりも、見た者を心配にさせてしまう、どこか寒々しい姿だった。

「おい、そこの娘。こんな所で突っ立ってたら、風邪引いちまうぞ」

 親切心から声をかけると、娘はおもむろに男の方を向き、儚げに微笑んだ。
 それを見て、はてと男は首を傾げた。あんな娘は、里の近隣にいただろうか。少なくとも、自分の覚えている限りではいない。では、旅の者だろうか。それにしては、随分と軽装である。

 男が不思議に思っていると、娘はゆらりと動いた。そして、こちらに来るかと思いきや、木にぶつかって、そのまま消えてしまった。

「……なんだったんだ?」

 男が娘のいたところを見てみれば、そこには人の影も形も残っていない、ただ、水溜りがあるだけだった。

「狐につままれちまったかねぇ」

 しばし悩んだ後、男はそう呟いた。そして、一層勢いを増した雨に、慌てて里へと駆け下りていった。


 それから数日後。

 相も変わらずしとしと降り続ける雨の音の合間、とん、とん、という包丁の音があばら家に響いていた。
 その音に目を覚ました男は、家内に漂う味噌汁の香りに答える様に、ぐうと腹を鳴らした。
 それだけではない。ふわりと舞ったのは、米を炊いている匂いだろう。ぱちぱちと聞こえる音からして、魚も焼かれている。朝飯から、随分と豪勢なものだ。

 寝起きのぼんやりとした頭でそんな事を思っていた男は、ふと首を傾げた。
 うちにはおれしか居ないはずだ。では、誰が飯を作っているのか?
 寝汗で湿った布団から慌てて這い出て、炊事場である土間へと顔を出す。
 そこでは、見知らぬ娘が慣れた様子で朝餉の支度を進めていた。

 理解が追いつかず、ぽかんと間抜けに口を開けていた男に気付くと、その娘はおもむろに微笑み、小さく会釈をした。男も、咄嗟に会釈を返す。
 そして、いやそうではないだろうと我に返ると、厳しい顔つきを作り、訊ねた。

「……おい、お前さん。何者だ」

 男が声をかけると、何事も無かったかのようにご飯を茶碗に盛っていた娘は、再び男を振り返り、首を傾げた。何故そんな事を聞くのか、とでも言いたげに。

「いや、待て。その絣の着物に藍の髪。見覚えがある……畑にいた娘だな」

 そう。それは、あの大雨の日に蜜柑畑で見た、雨に濡れていた娘であった。
 絣の着物も藍色の髪も、消えた後にあった足元の水溜りまでも、雨の中で見た時と何ら変わっていない。不自然なほどに、何もかもが同じであった。

「……さては、妖怪か」

 否定する理由も無いのだろう。娘は、静かに頷いた。
 その拍子に、艶やかな髪の先から雫が零れ落ちる。それは、娘の足下に広がった水溜りに落ち、表面をぷるんと揺らした。何か、緩い寒天か、透明なこんにゃくを突いたかのような動きであった。

「何をしに来たのかは知らんが……」

 深々とため息をついた男は、囲炉裏の前にどっかと座り、勝手に家に上がりこまれた事へ不満を零そうとした。
 しかし、娘がまるで気にせず飯の支度を続けているのを見ると、何となく馬鹿らしくなって、結局口を閉ざした。
 畳の上に転がされていた団扇で梅雨のじめじめとした暑さを誤魔化しながら、やり場の無い感情を込めて娘の後姿をじっと睨む。

 昨今の妖怪はどういう訳か人間の女の姿を取る事が多いとは、風の噂で聞いていた。
 しかし、そんな姿で人を惑わすにしろ、財も才も無い者の所へ来るとは何を考えているのか。
 おれが同じ事をするなら、もっと自分の益になりそうなやつの所を選ぶものだが。

 そんな男の心情など露知らず、娘は静かに、朝餉を揃えた盆を男の前に供した。
 多めに盛った麦飯と根深汁、それに、胡瓜の漬物と焼き魚。

「……漬物は、うちには無かったはずだが?」

 怪訝そうに言った男に対し、娘は何も言わず、ただ微笑んだ。
 一瞬、どこからか盗んできたのではなかろうかと疑心が浮かんだが、ぐぅと鳴った腹の虫には逆らえず、余計な言葉はしまい込んで箸を取る。

「……いただきます」
「めし、あがれ」

 仏頂面の挨拶に返事があった事に、男は少なからず驚いた。そして同時に、口が利けない訳では無いのかと安堵した。
 物が分からぬ口が利けぬでは、出て行けと言っても伝わらぬ。それでは困る。もっとも、出て行けと言って出て行ってくれるかは分からんのだが。

 しかし、眉間に皺を寄せていた男は、根深汁を一口啜った途端に目を見開いた。

「……美味い」

 思わずそう呟いてしまう程度には、非常に好ましい味であった。
 出汁で葱を煮て味噌を溶かしただけの汁物であるはずなのだが、何が良いのか、その味は深く、優しい。
 期待を込めて漬物を齧ると、何とも言えぬ絶妙な塩気が口の中に広がり、ついつい飯を合わせて口に運んでしまう。こちらもやはり、絶品であった。
 箸を入れるとほろりと崩れて湯気を立てる焼き魚は、かすかに潮の香りが漂う。汁を啜り、しゃくしゃくと歯ごたえの残る葱を噛み、時折漬物をぽりぽりと齧る。
 気付けば、男は夢中になってがつがつとそれらを食い進めていた。そして、飯のお代わりまでも求めて、誰かも分からぬ妖怪の作った朝飯を平らげてしまっていた。

「……何が目的なのだ、お前は」

 食後。娘の入れた熱いお茶で一息ついてから、男はあらためて尋ねた。
 人とは中々単純なもので、美味いもので腹いっぱいになると、どうも警戒心が薄れてしまうらしい。男の声からは、幾分かとげとげしさが抜けていた。

 男のはす向かいに座った娘は、男の湯飲みが空になったのを見て、お茶のおかわりを注ぐ。
 そして、愛らしい微笑みを浮かべたまま、まるで何でもないかのように答えた。

「あなたの、つまに……して、いただきたいです」

 男は、その言葉にぴたりと動きを止めた。
 混乱の渦に陥りそうになった思考を、お茶の苦味が気付け薬のように正気に戻す。

 ごくりとお茶を飲み込んで、大きく、わざとらしく咳払いを一つ。

「……今、何と言った?」
「妻に……夫婦、に……」
「いや、待て。分かった。おれの聞き間違いで無かったのは、よく分かった」

 いや、むしろ聞き間違いであった方がましであったかもしれない。
 湯飲みを畳の上に置き、男は細く長く息を吐く。わっと溢れ出しそうになった疑問を、一つ一つ頭の中で整形し、一つ一つ言葉に変える。

「……娘、名前は?」
「……おうめ」
「おうめか。ではおうめ。何故、おれなのだ?何故、よりにもよって、おれの所に嫁入りに来たのだ?」

 その質問に、おうめは言葉では答えず、ただ不思議そうに首を傾げただけであった。
 それも、質問の意図が分からないのではなく、「嫁入りに理由が要るのか」とでも言いたげな表情であった。

 むぅ、と唸り、男は再びお茶を啜った。

 妖怪と人が結ばれる話は、それほど珍しくも無い。知人にも妖怪と契りを交わした者は幾人か居り、子を為すまで至った者もいる。
 しかし、それは、それなりの時間をかけて互いを理解した末の関係であろう。押し掛けてきたものを、では今日からお前は俺の嫁だと受け入れたとは考えがたい。

 そして、ふと一つの疑問が頭に浮かんだ。

「おうめは、帰る所……あるいは、行く所はあるのか?」

 その質問に、おうめはふるふると首を横に振った。それに合わせ、藍色の髪が伸縮しながら左右に振れる。
 いっそ清々しいほどの即答に、男はあらためて困り果ててしまった。
 地から沸いたのか空から降ってきたのかは知らないが、とにかく、帰る場所が無いと言うのなら「うちには置いておけないから出ていけ」と気軽には言えないだろう。

 黙ったまま、次の言葉を待つようにじっとこちらを見つめるおうめ。その眼は青く透き通り、無垢だった。

「……仕方ない。梅雨が明けるまでは、ここで暮らせ。嫁に貰うかは……そうだな、梅雨が終わる頃に、決めるとしよう」

 折衷案とでも呼ぶべきか、あるいは単なる先延ばしと言うべきか、男が出したのは、そんな結論であった。
 妖怪とは言え、身寄りの無い女子を雨空の下に放り出すのは気分の良いものではない。独り身の男が年頃の娘と一つ屋根の下、と言うのも、気が咎めないでもないが。
 そんな事を思っていた男は腕を組み、さてこれからどうするかと思案する。とりあえず、食い扶持は二人分になる。布団もいるだろう。畑仕事は出来るのだろうか。考える事は山ほどある。

 一方で、おうめは静かに、三つ指を突いて深々とお辞儀をした。

「……ふつつかものですが」
「まだ嫁に貰うとは……よく分からんな、おまえは」



 なし崩し的に妖怪と暮らすことになったのには少々不安も感じていたが、おうめが非常に気立ての良い娘であるというのは、すぐに分かった。
 誰が相手でも愛想良く振舞うおうめは、里で暮らす他の者たちにも可愛がられ、二日三日と経つ内に、すっかり里に馴染んでしまっていた。
 また、どうやらおうめは自らの体と着物の形を変える事が出来るらしい。
 昼には上品な着物を纏い、夜には薄い襦袢姿になるのは、着替えているのではなく、自分で「作り変えている」と言ったほうが相応しいようである。

 着物を買う金も要らず、見ている限りでは飯も食わない。それでいて、文句一つ言わずに男に尽くす。物静かだが、覚えも良い。おうめは、妻として完璧とも言える存在であった。

 強いて欠点を上げるとするならば、妙なところで我が強い点と、「体や衣服が常に濡れている」という点。
 後者は、おうめ自身が濡れているだけで他の物まで濡らしてしまうものではない為、そこまで困る事でもない。畳を腐らせるような事も、味噌汁が薄くなるような事も無い。

 しかし、夜を迎えて床に入る頃。おうめの我の強さ、あるいは「我侭」は顕著になる。

 綿の入った上等な布団を用意したというのに、おうめは何故かそちらでは寝ようとせず、こちらのせんべい布団へと潜り込む。
 それは夜ごと繰り返され、いくら咎めようとやめる気配は無い。
 もっとも、梅雨のじめじめとした寝苦しい空気の中、おうめのかすかにひんやりとした体を寄せられると心地良いのは確かである。添い寝程度ならば、許容しても良いだろう。
 二日三日と繰り返されている内に、男はそうも思い始めていた。

「窮屈だろうに、よくも、まあ……」

 今夜もいつも通りもぞもぞと布団に入ってきたおうめのために、寝返りを打って場所を開ける。
 男の広い背中に、しっとりと濡れた、人肌よりもいくらか冷たい体をぴったりとくっつけて、おうめは熱っぽい息を吐いた。
 その色っぽさと、背に押し付けられた柔らかな双丘の感触に、男はごくりと生唾を飲む。ふつふつと、腹の底に溜まったものが熱を持つのを感じる。
 ふと、はじめておうめを見た時の事を思い出した。幼さの残る顔立ちに対し、丸みを帯びた体は既に「女」の気配を纏っていた。
 記憶とともに沸き上がってきた情欲をかき消すように、深く呼吸を繰り返し、心を落ち着ける。
 そうしながら雨の音でも聞いていれば、その内、眠ってしまう。

 少なくとも、昨夜までは、そうであった。
 しかし、今夜は違った。

「……我慢、されているのですね?」

 耳元で囁かれる、驚くほどに艶かしいおうめの声。何を、と答える前に、おうめの手がぬるりと男の体を抱きしめた。
 そのまま、右手が寝間着の下に潜り込み、汗ばんだ胸板を這う。

「どうか、そのまま……」

 一方で、左手は徐々に下へと降りて行き、指先で腰を撫でてから、情欲に滾る男のものへと添えられた。
 白魚の様な手が優しく、陰茎を握る。その冷たさに、男は思わず呻く。

「ああ、こんなにも、熱い……」

 おうめはどこか虚ろに呟きながら、その手でゆっくりと竿を扱く。
 冷たく、柔らかく、しっとりとした手に包まれて、男のそこに更に血が集まり、更に大きく硬くそそり立つ。

「ふふ……大きい……」

 おうめは珍しく口数多く、熱の篭った言葉を囁く。
 血管の浮いたそれをなだめるように撫でながらも、時折先の方へと指を伸ばして、裏筋をなぞり、亀頭を引っ掻く。
 緩やかな刺激に時折混ざる、痺れるような快感に男が身悶えする度に、くすくすと笑う。

 そして、胸を撫でていた右手も、少しずつ下へ下へと向かう。
 指先で乳首を撫で、腹筋をなぞり、腰骨を辿り、やがて、その手はそっと陰嚢を包み込んだ。
 僅かに感じられた快感以上に、痛みに弱い急所を文字通り掌握された恐怖を感じ、男の背に脂汗が滲む。

 しかし、おうめはその背に舌を這わせて汗を舐め取りながら、やわやわと陰嚢を優しく揉み、伸ばした指先で、つつ、と会陰をなぞった。

「ここに……精、が……」

 中に入っているものを確かめるように、手のひらと五指で何度もそこを揉み解す。
 その間も、陰茎を扱く手は止めない。

「……少し、漏れて」

 いつの間にか鈴口から漏れ出ていた先走りを指で掬い取り、竿に絡める。おうめ自身の濡れた手にぬるぬるとした先走りが混ざり合い、動かすたびにぬちゃぬちゃといやらしい音が響く。
 竿だけを撫でていた手は、親指と人差し指で輪を作り、根元から先端まで、その輪で扱き上げるような動きに変わる。
 溜まっているものを、下からじわじわと搾り出すように何度も往復させる。かと思えば、大きく膨らんだ亀頭を苛めるように、先っぽの傘ばかりを輪に潜らせ、指先で撫でる。

「ここ……?」

 やがて、最も反応の大きな箇所を見つけた事を喜ぶように、囁いた。
 竿と傘の間、ちょうど段差になっている箇所を、親指と人差し指の先で円を描くようになぞる。
 ともすると痛みにも近いはずの刺激も、十分な愛撫と潤滑により、強烈な快感へと変わっていた。

 模索や焦らしが終わり、より気持ち良く、多くの精を吐き出してもらうための動きを、おうめの手が繰り返す。

「どうぞ、私の手に……」

 その呟きと共に、右手が陰嚢から離れて、手のひらで亀頭を撫でた。
 左手で竿を扱かれ、右手で敏感な箇所を責め立てられ。今や、おうめの綺麗な両手は、男の精を搾り取るための道具となっていた。
 だらだらとこぼれる先走りとおうめの手によって濡れた陰茎が、びくりと震える。優しく揉み解された陰嚢が、きゅうと持ち上がる。
 ぐちゃぐちゃと音を立てる激しい手淫に、男の口の端から呻き声が漏れる。

「っ……!」

 同時に、頭の中が焼け付くような、強烈な快感が背筋を震わせた。
 塊のような精液がどくんどくんと尿道を通り抜け、おうめの手へと放たれる。
 達したのだと、少し遅れて自覚する。

「ふふっ……」

 熱くどろどろとした精液を青白い手で受け止めながら、おうめは嬉しそうに微笑んだ。
 右手は精の受け皿にしつつも、左手は止まる事無く、びくり、びくりと震えながら精を吐き出す怒張を撫で続ける。
 ねっとりとした愛撫に応えるように、濃く粘つく欲望の塊がおうめの手を穢す。青白い手に染み込んだ白濁が、ゆっくりと、おうめの中へと吸収されてゆく。

 呼吸を乱し、おうめの手に自分の物を擦り付けようと身を捩っていた男が、ぐったりとして荒く息をついた。
 単なる子種以外のものまで搾り出されたような倦怠感。しかし、それ以上に、未だかつて感じた事のない快感の残滓が、靄をかけたかのような頭の中に残っている。
 おうめ、と名を呼ぼうとしたが、声もろくに出なかった。
 ただ、疲労と体温で浮かんだ汗は、何も言わずとも、おうめが自身の体で拭い取ってくれていた。

「続きは、また……」

 心なしか機嫌の良さそうな声。しかし、いつも通りの囁き声。
 それが不思議と心地良く、射精後の気だるさも相まって、意識が揺らぐ。

「ごちそうさまでした……おやすみ、なさい……」

 まだ萎えきってはいない陰茎から手を離して、おうめは囁いた。
 そして、それに合わせるように。男は眠りへと落ちていった。




 翌朝。
 いつも通り、おうめの用意した朝餉をもぐもぐと食いながら、男ははす向かいに座っているおうめを見る。

 いつも通りの絣の着物に、いつも通りの微笑。空の茶碗を差し出せば、何も言わずともおひつからおかわりをよそってくれる、いつも通りの対応。
 少なくとも、見て分かる範囲では何も変わってはいない。
 もしや、昨夜の事はあまりに欲を溜めすぎた己が産んだ夢だったのではないかと訝しむ程に、いつも通りである。

 ううむ、と唸りながら、よそってもらった麦飯に漬物を乗せ、熱い茶をかけてお茶漬けにする。そして、ずるずるとそれを一気にかっこんだ。
 空になった茶碗をかつんと音を立てて盆に置き、手を合わせる。

「ごちそうさまでした。美味かった」
「おそまつさまでした……」

 淡々と会釈をするおうめの姿は、やはり、昨日までのそれと何ら変わり無い。
 ここは一つ、直接聞いてみるのが良いだろうか。
 そう思った男は、「おうめ」と真剣な声で呼びかける。

「昨夜の、その、なんだ……あれは……」

 いざ切り出してみたものの、もし勘違いだったら、という思いから、言葉が曖昧になってしまう。
 はっきりとしない、言葉を濁した質問に、おうめは少しだけ首を傾げて考えるような仕草を見せる。「あれ」という言葉が示す事など何一つ思い浮かばないと言った様子であった。

「いや、いい。聞かなかった事にしてくれ」

 やはり思い違いだったのだと判断した男は、眉間を押さえ、恥ずかしさを誤魔化すように首を横に振った。
 しかし、それでもまだ首を傾げて思案を続けていたおうめは、深いため息一つ分ほどの間を置いてから、何かに思い至ったらしい。
 きつく目を閉じていた男の頬に手を伸ばし、青白い指先でそっと撫でる。

「っ!?」

 突然の事に驚き仰け反った男は、そのまま、四つんばいになったおうめに両手で押され、畳の上へと押し倒された。
 背や頭を強かに打ち付けるかと思いきや、おうめの足下に広がっていたはずの水溜りが、柔らかく受け止めてくれた。

 そして、おうめの着ていた着物がぐにゃりと歪んだかと思いきや、それは薄い襦袢へと変わっていた。しかし、ぐっしょりと濡れた晒の襦袢は透けて体に張り付いており、下着の用途など少しも果たしていなかった。
 手の中に少し余る程度の胸も、その先端のつんと立った乳頭も、可愛らしい臍のくぼみも、その下の、無毛の陰部も、何一つとして隠れていない。
 むしろ、半端に衣服が残っているせいで、一糸纏わぬ姿よりも扇情的ですらあった。
 あるいは、それこそがおうめの狙いであったのかもしれないが。

 男は青白い、しみ一つ無い綺麗な体に思わず見惚れてしまい、おうめがこちらに跨ったまま服を脱がしにかかっていたことに気付くのに、少々遅れてしまっていた。
 その為、気付いた時には、既に硬く勃起した陰茎が引きずり出されていた。
 腹に付いてしまいそうなほどに反り返ったそれを、おうめは手で支えて上に向け、膝立ちになって自分の秘裂にあてがう。

「いや、待て、まっ……!」

 男の制止の言葉も聞かず、おうめはゆっくりと腰を落とす。細身で体躯も小さなおうめのそこは、やはり狭い。それでありながら、中にある細かな襞や粒がずりずりと擦れるものだから、男が感じる快感は、思わず歯を食いしばって言葉を切ってしまう程だった。
 たっぷり時間をかけ、男の男根を根元まで飲み込んでしまったおうめが細く長く、熱い息を吐く。すると、膣内もひとりでに蠕動し、ぐちゅぐちゅと男の陰茎を舐める。

 まだ挿入しただけだと言うのに、それが今にも射精してしまいそうなほどにびくびくと震えている事を察したおうめは、少しだけ締め付けを緩めた。
 そして、そっと上体を倒して、男の体に自分の体をぴったりと重ねた。

 男は何とか昂りを収めようと、頭を仰け反らせて呼吸を繰り返す。
 だが、おうめはその無防備な首筋に吸い付き、ちろちろと舌先で舐めた。
 汗ばんでべたついていた首を冷たい舌で清められる感触に、男は背筋を震わせる。

「おうっ……め……」

 おうめは喉から搾り出したような苦しげな男の声を聞きながら、首筋に付いた口付けの痕をなぞるように、舌を這わせる。
 汗も汚れも全てを舐め取るように、可愛らしい舌を、淫靡に動かす。

「何故……っ!」

 ようやく疑問を口に出来そうだった男は、おうめの指でわき腹を撫でられ、そのくすぐったさに言葉を切った。
 だが、おうめは顔を上げると、その「何故」という言葉に対し、

「妻、ですから……」

 とだけ答えて、今度は男の耳を舐めはじめた。
 ぴちゃりぴちゃりと聞こえる水音と耳朶を舐られる感触に、男の思考が犯される。
 僅かに残った理性が、昨夜の事は夢なのではなかったという妙な安心感と、そもそも最初の言い淀んだ質問が悪かったのだという自省をもたらしていた。
 一方で、記憶の中の快楽と今感じている快楽が、その僅かに残った理性までも溶かしてしまいそうになっているのも、感じていた。

 おうめは、じっくりとこの行為を続けようとでも思っているのか、舌や指で全身を愛撫しつつも、繋がっている箇所は、時折前後に揺するだけ。それでも十分に気持ちよいのだが、焦らされ、生殺しされているようにも感じてしまう。
 もっと激しく、この娘の中をかき回し、めちゃくちゃにしてしまいたい。細い腰を掴み、壊してしまう程に、乱暴に突き入れたい。落ち着いた表情を、快楽に歪ませてやりたい。

 浮かび上がる、けだものじみた考え。
 頭の中まで掻き回されている様な快感の中で、一度浮かんだその考えが、どんどん正当化されてゆく。

 おうめは、「妻」だと言った。ならば、夫として妻の体を求めるのは、何もおかしな事では無いのではないか。
 むしろ、妻を抱き、孕ませてやってこそではないか。
 涼やかな青白い肌は微かに紅潮し、おうめも興奮している事を物語っている。それに、応えてやるべきではないか。

 ぐるぐると回る思考が、覆い被さっているおうめを優しく抱きしめる形で表に出る。
 いつも以上に柔らかく、ほのかに熱を持った体は、指先に力を込めればずぶずぶと沈んでしまいそうだった。

「……おうめ」

 続けて何を言おうとしたのかは、男自身も分かっていなかった。

 だが、その呟きにおうめは顔を上げると、じっと男の目を見つめた。
 そして、敷物代わりにしていた水溜りごと男を包むと、繋がったまま横に転がり、体位を入れ替える。

 畳の上に、おうめの藍色の髪がべちゃりと広がる。男を抱きすくめていた両手も放し、自らの頭の横に手のひらを上にして投げ出す。
 完全に無防備な姿で、仰向けに男を見上げる。

「どうぞ、お好きなように……」

 ぷつりと、何かが切れたような気がした。

 発情した獣のように腰を振りながら、男はおうめの乳房を両手で鷲づかみにした。
 逆らう事無く手の中で形を変える乳を揉みしだき、先端を口に含み、舐めしゃぶる。

 うわごとのようにおうめの名を呼びながら夢中になって体を貪っている男の頭を、おうめはそっと抱きしめる。
 めちゃくちゃに犯されていると言うのに、その表情は優しげであった。
 しかし、不意に男に勢い良く突き上げられると、喘ぎ声を漏らしながら体の表面を波打たせた。

 ぐちゃぐちゃと音を立て、半ば溶け出しているおうめの腰に、男は自分の腰を打ちつけるようにして抽送を繰り返す。
 既に十分に焦らされていながら、まだ射精を堪えるように歯を食いしばり、おうめの最奥を何度も何度も、自らのものの先端で小突く。
 その度に、おうめは体の中から押し出されたような喘ぎ声を繰り返した。

「はっ、ひぁっ……あぁ……っ!」

 今まで聞いたことの無い、おうめの乱れた声に、男は更なる興奮と、征服欲を感じていた。

「どうだっ、これがおれの妻になるという事だ、毎晩、毎晩、こうやって……」

 それ以上は入らないという所まで、強引に陰茎の先を捻じ込み、悲鳴の様な声で喘ぐおうめを更に責め立てる。

「おうめが孕むまで、いや、孕んでも、おれが満足するまでは……」

 男の言葉に何度も頷きながら、おうめは端正な顔立ちを快楽に歪める。自らの体の下でおうめが悶えているという事実に、男はぞくりと喜びに震えた。
 そして、半開きになっていたおうめの艶やかな唇に、自分の唇を重ね、口内に舌を捻じ込む。

「んんっ!……ちゅっ……んっ……」

 おうめはくぐもった声で驚きながらも、男の舌を受け入れ、自分の舌と絡める。
 溶けた舌と口内は、人のそれとは比べ物にならない密度で、男の舌を包み込み、愛撫する。
 それどころか、どろりと溶け出した粘液で逆に男の口内に入り込み、唾液も何もかも吸い尽くすような、接吻とは呼べないような行為に夢中になる。
 しかし、またもや男の男根に奥をこつんと小突かれると、大きく体を震わせて、唇を放して仰け反った。

 びくんびくんと脈動する男のものが、おうめの蜜壺を掻き回す。
 大きく腰を引き、打ち付ける度に、ぐちゃり、ぶちゅん、と、粘ついた水音が響く。
 その動きに限界が近いことを悟ったおうめは、精をねだるように、自らも合わせて腰を振る。
 大きく膨らんだ傘に膣肉を掻かれる度に嬌声を上げ、腹の底を突き上げられる度に身悶えする。

 何度も何度も、軽い絶頂を迎えていたおうめの中が、一際強く、男のものをきゅうと締め付けた。
 それとほぼ同時に、脈動していたそれが一際大きく、びくんと震えた。

 声も出せないほどの、目の前がちかちかするような快感に、ただ互いを抱き締め合う。

 膣内に放たれた精液を、おうめの体が貪欲に吸収する。本人の意思とは関係なく、体はもっとたくさんの精を求めて、男のものを包み込んだまま、蠢く。
 それに応えるように、男はおうめの最奥をぐいぐいと押し上げながら、どくん、どくんと音を立てて、大量の精液を吐き出し続ける。

 やがて、互いの絶頂が収まっても。体を重ね、抱き合ったまま二人は動けずにいた。
 体中が痺れているようで、まともに動かせない。玉になった汗が男の頬を伝い、顎からおうめの体に垂れた。その汗も、おうめの体が吸収する。

「……そんな顔も、するのだな」

 ようやく、多少口を利ける程度には落ち着いてきた男が、おうめの顔を見つめながら言った。
 口を半開きにして、悦楽にだらしなくゆるんだ笑みを浮かべていたおうめは、自分がどんな顔をしているのか理解したのか、少しだけ恥ずかしそうに目を逸らして、口を硬く噤んだ。

「……暑いな」

 目を逸らしたまま、男の呟きに頷く。
 紅潮した頬も、すっかり溶け出してしまっている体も、単なる暑さによるものとは思えないが、頷いていた。

「後で水風呂にでも入るか。おうめ、背を流せ」

 再び、頷く。
 それに頷き返して、男はおうめの隣に寝転がった。萎えたものがおうめの中からずるりと引き抜かれて、だらしなく股の間にぶらさがる。
 そして天井を見上げ、その向こう、屋根を叩く雨の音を聞く。

 ぱたぱたと鳴り続ける音。それが、熱に浮かされていた頭を冷やした。
 頭が冷えれば、情事の最中に自分の言っていた事が、重みを増してのしかかってくる。即ち、既におうめを伴侶として扱っていた事が。

 しかしそれは、既に心積もりは決まっていたのを自覚するきっかけになっただけかもしれない。
 生きるか死ぬかの勝負ではないのだ。腹を括って、さくっと言ってしまった方が気は楽だろう。

「まだ、梅雨は終わりそうにないが……そうだな、先に、言っておくか」

 起き上がってあぐらをかいた男に対し、おうめも起き上がって対面に正座する。

 男は両膝に握り拳を置き、一度深呼吸し、意を決したようにおうめの目を見つめて、言った。

「おうめ……おまえを、おれの妻に迎えると決めた。その上で、おれから頼みたい。梅雨が終わって、それから先も、ずっとおれと共に暮らしてくれ」

 しかし、真剣な表情での申し出に対しても、おうめはただ、首を傾げただけであった。

「……?」
「いや、だから、妻に迎えるかは梅雨が終わる頃にと……ああ、もういい」

 肩透かしを食らってしまったようで、男は脱力して畳の上に大の字になった。
 ため息をつくと、すぐにおうめが水溜りを引きずりながら移動し、男に膝枕をする。

「……そうだな。元から、おまえはそのつもりだったな」

 すっかりいつも通りの表情に戻ったおうめの顔を見上げながら、男は呟く。
 おうめは何を言うでもなく、ただ、幸せそうに微笑んでいた。


…………


 冬の気配を感じさせる冷たい雨が、紅葉の帽子を被った山を濡らしていた。
 その紅い帽子の少し下、小さな蜜柑畑で、男は赤い傘を差して、じっと蜜柑の木を見上げる。
 彼の傍らには、妻であるおうめが寄り添う。淡い緑の羽織の上からでは分かりづらいが、絣の着物に包まれたその腹は、僅かに膨らんでいる。

「……収穫は、まだ先だな」

 まだ青く小さな蜜柑を見て、ぽつりと、男がこぼした。

「この子が産まれるのと……どちらが、先でしょうか」
「さあ……俺もまだまだ、お前たちの事はよう分かってないからなあ」

 いとおしげに腹を撫でながら呟いたおうめに、男は肩を揺らして笑う。

 それはちょうど、夏が終わった頃。
 おうめの腹が膨らんでいる事に気付いた男は、大いに慌てた。
 とりあえず、おうめを抱えて里の産婆のもとへ駆け込んだが、そこでは妖怪の子の事は分からんと匙を投げられてしまった。
 しかし、里の長に聞いた所「おうめのようなものは人や獣と同じように子を孕み産むのではなく、栄養を蓄えて体を膨らませ、自らの体が大きくなった所で切り離し、それを子とするのだ」と、語られた。
 その話を聞いた時は安心すると同時に、「まるで芋か何かのようだな」と笑ってしまったが、当のおうめは「芋か何か」と言われた事が不服だったようで、可愛らしく頬を膨らませて抗議の意を示していた。

 とにかく、そういった性質のおうめが、何故敢えて人と同じように腹を膨らませ、妊婦の様な姿を取っているのかについて、男はまだ、はっきりとは察しかねている。
 そうでなくとも、おうめには元から何を考えているのか分からない所はあった。
 しかし、それでも。

「産まれてくる子の名を、考えなければ、な」

 今のおうめの顔は、母親の顔である。ならば、こちらも父親として振舞わねばなるまい。

 そんな覚悟は腹の底に隠し、男はおうめの頭をぽんぽんと軽く叩き、流動する髪を撫でる。
 おうめは柔らかく目を瞑り、その手の温かさをしばらく堪能していたが、やがて目を開け、目の前に立ち並んでいる木々を見上げた。

 そして、短く呟いた。

「……みかん」

 唐突な呟きに、「みかん」と鸚鵡返しに呟いた男の顔を見上げる。
 そのまま、小さく首を傾げて、微笑む。

「……この子の、名前」

 膨らんだ腹を撫でる手つきとその言葉に、男は少し遅れて、おうめの呟きの意図を理解した。

 前から考えていたのか、今思いついたのか。それは、聞いてみなくては分からないだろう。
 だが、男は口角を吊り上げて、にやりと笑った。

「蜜柑と、梅か」

 梅の子が蜜柑とは、何とも妙な話である。
 しかし、口に出してみると、その響きは中々悪くないように思えた。

「そうだな。そうしよう」

 男は何度も頷いてそう言うと、しゃがみこんでおうめの腹に目の高さを合わせた。
 緩やかに曲線を描いて膨らんだおうめの腹を、着物の上から掌で撫でる。
 そして、そこにいるであろう、まだ見ぬ我が子へと優しげな声で語りかける。

「聞いていたな?お前の名は、みかんだ」

 本当に聞いているとは思っていない。それでも、何となくそうしたいと思った。
 しかし、おうめにくすくすと上品に笑われると、途端に気恥ずかしくなり、口をへの字に曲げてすっくと立ち上がった。

 目を逸らして視線を空に漂わせながら、幾つか、言い訳じみた言葉を頭の中で巡らせる。

「……身重の体を冷やすのは良くないだろう。そろそろ帰るぞ」

 結局出てきたのは、照れ隠しにもならない、妻を気遣う言葉だった。
 口調ばかりはぶっきらぼうで、しかし、微塵も隠れていない優しさに、おうめはまた、くすりと笑う。
 そして、その優しさに甘えるように。

「もう少しだけ、ここに居たいです」

 そう言って、男にそっと寄り添った。

「……そうか」

 男も、傘の下に二人が収まる様に、愛しい妻が体を冷やさないように。そっとおうめの肩に手を回し、抱き寄せた。

 そのまま、しばらく。
 二人は何も言わず、青い実を付けた蜜柑の木を、じっと見つめていた。
16/06/19 21:40更新 / みなと

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