連載小説
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後編・その1
旧レスカティエ教国異端審問所地下室
 かつては主神に逆らう異端を改心させるためのこの部屋も、今となっては堕落神の信徒たちの前衛的な祈りを捧げる人気スポットになってしまった。しかし、この部屋の設計思想に近い形で用いられている区画が依然として残されていた。
 どれくらいの時間が経ったのか、審問官はここに入ってから繰り返した疑問をまた考えた。陽の当たらない地下では時間の感覚も狂ってくる。白い淫魔に敗れたのはいつだったか。伴侶を連れた元同僚が鉄格子越しに現れたのはいつだったか。魔物たちは執拗に彼を責め立てた。そして全て徒労に終わった。もはや救援も望めないことを彼は理解していた。援軍の無い籠城はゆるやかで悲惨な自殺であることを彼は知っていたが、それでも抵抗をやめなかった。

レスカティエ教国異端審問所会議室
 堕落神の信徒の前衛お祈りスポットになる予定のこの部屋は、信じがたいことに依然として設計時の機能を残していた。ここで堕落神のシスター発案の様々な教えが審問官にぶつけられたがことごとく跳ね返されてきた。この日も会議が開催されたが、今回はいつもと違っていた。
「彼におあつらえ向きの素敵なお土産があるの。」
普段はこの場にいないこの魔界の主たる白い淫魔が口を開いた。
「それはどのようなもので。」
「ふふ、教団の軍団を出迎えたあの子たちが連れてきたの。入っていいわよ。」
外に呼びかけると、サキュバスとエキドナに連れられたお土産が入ってきた。
「おお。」
「あの頑固な審問官さんも気に入るわ。」

 翌日、審問官は長らく親しんでいた地下牢を追い出され別の地下牢に移された。新天地も地下区画であったが、その造りは彼の記憶に無いものだった。部屋を調べる彼の背に声がかけられた。
「久しぶりね、審問所で判決を下した時以来かしら。」
「気が変って処刑でもしに来たか。」
「うふふ、今日はあなたに差し入れに来たの。」
「はん、今さら待遇を良くしたところで貴様らに鞍替えするわけないだろう。」
「入ってきて。」
合図とともに入ってきたのはサキュバスとエキドナ、そしてエンジェルだった。
「なっ。て、天使様。」
「どう、気に入ったかしら?」
「今すぐに天使様を解放しろ!」
「いいえ、この子もここで過ごしてもらうわ。少し大人しくしていてね。」
審問官に拘束魔法をかけると、捕えたエンジェルを審問官の地下牢に入れた。
「今日の特別教育はお休みにするそうよ。じゃあね。」
そう言い残し、白い淫魔と見覚えのある彼女の配下は去って行った。足音も聞こえなくなると審問官はエンジェルに跪いた。
「天使様。我々が不甲斐無いばかりにこの神聖な都市を頽廃に沈めてしまい誠に申し訳ありません。せめてもの償いに、今後天使様を穢そうとする魔物がいれば命をかけて立ちはだかりましょう。」
項垂れる審問官に神の使いは力なく微笑みながら彼を慰めた。
「良いのです。私は軍団ともども魔物に敗れ、囚われの身になりました。そんな私にあなたを責める資格はありません。それにあなたはすでに全員が堕落したと思われていたこのレスカティエで未だに真の信仰を保っているのです。誰があなたを責めるでしょうか。」
「天使様のお言葉で十分でございます。これまで耐えてきたかいがありました。」
「私はあなたに天使様と呼ばれる資格はありません。アンジェリカと呼んでください。」
「はい、アンジェリカ様。」
「様は不要です。」
「……。」
何度か口は開いたものの審問官は結局できなかった。アンジェリカも追及はせず、助け船を出すことにした。
「あなたはなんとお呼びしましょうか。」
「ヒメネスとお呼び下さい。」
「わかりました、ヒメネス。」
 レスカティエ陥落からこのかた孤独だった審問官にとってアンジェリカは救いだった。彼は外界から切り離されてからの情勢を熱心に尋ねた。彼女もできるだけ詳しく答え、反対にここでの生活について尋ねた。互いの情報を交換していったが、やがては疲労と眠気が二人にのしかかってきた。どちらともなく今日は床に就こうとしたが重大な問題が発覚した。ベッドが一つしかないのである。互いが相手にベッドで眠る権利を押し付け、一切妥協しようとしなかった。結果、二人して床で寝るかベッドで寝るかの二者択一となり、ベッドが選ばれた。
「……(眠れない……)。」
魔物たち相手にここまで耐えてきた審問官であったが、今回は勝手が違った。仕方ないとは言え、彼からすれば高貴な存在と同衾しているのである。しかもベッドの広さから両者は密着していた。あれほどあった眠気は緊張に駆逐され、彼はいつまでも起きていられる気さえした。ふと横に目をやるとアンジェリカが静かに寝息を立てていた。寝顔は穏やかで、一切警戒していないようであった。あまりの無防備さに若干の危惧を抱きつつ、彼は寝顔を眺め続けた。
15/06/24 22:34更新 / 重航空巡洋艦
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■作者メッセージ
重航空巡洋艦です。

宗教裁判再審もいよいよ大詰めです。
長くなりそうでしたので分割しました。

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