読切小説
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魔女と男8【リメイク】




 持っていた矢は全て撃ち切った。
 オドと体力を搾り尽くした。

「はあ、はあ」

「んく。はあ」

 私とユーリスの乱れた呼吸が、夜風に混じって溶けていく。

「気は済んだか?」

 彼の声だけ、憎らしいほどけろっとしていた。

「はあ――まだまだ。その顔、一度も引っ叩いてない」

「っく――いい加減、諦めなさいよ」

 私はユーリスを睨みつけた。
 ユーリスも私を睨み返してきた。

 この顔。
 月夜の泉に映り込んだような私たち。
 違いは髪の色と長さくらい。
 
「絶対、嫌っ」

「負けず嫌いなんだからっ」

 そう。
 二人揃って負けず嫌い。
 そんな私たちが、集落から遠く離れたこの森に辿りつき、一〇数年今までなんとかやってきた。

「客観的に見れば、これは俺たちの負けでは無いのか?」

 無数の触手にがんじがらめに縛られて、首から下の動きを封じ込められた彼が言った。

「……違うの! まだ負けてないの!」

 その隣でやっぱり手足を封じられながらも、私はもがいて訴えた。

 私たちは敢え無く捕まってしまい、ユーリスのいる頂きにいた。

「大体あなたも! 人間の集落の時は七〇人を相手にしたのに、どうしてあっさり捕まったりしてるの!」

「そうは言っても俺の腕は二本だ。一対一が七〇回ならそこそこ戦えるが、一対七〇ではとても捌き切れない。
 活劇や絵物語ではないので、残念ながら限度というものがある」

「原因は思いっきりこけてたからでしょ! ちゃんと見てたんだから!」

 よりにも目の前で転んで、あっさり逆さまに宙吊りにされていた。
 触手の下にあって見えないけれど衣服も外套も泥まみれのままだろうし、顔も半分くらい泥で汚れていた。

「恥ずかしい限りだ」

 彼は私の言葉を肯定して大きく一つ頷いた。

 どうしてそんなに落ち着いていられるの。
 彼は今まで可笑しな事を言って私の気分を解しているだけなんじゃないか、と思っていたんだけど。
 ……何というか。
 本当は、どこか鈍いだけなんじゃないかな?

「ともあれ、負けは負けだ。時には敗北を認め、受け入れる事も強さだと思うが?」

 後、どうしてそんなに諦めがいいの。
 押し倒され慣れてるって言ってたのは、本当なのかもしれない。

 そして、私は諦めが悪い。

「こ、これは――そう。ユーリスに近づく為にわざと捕まってるだけなの!」

「……呆れた。まだそんな事を言うの?」

 月が近い。
 風が強い。
 何より、目の前に私の半身がいる。

「幾らだって言うわよ。私の性格くらい判ってるでしょ?」

「ええ。もう嫌ってくらいにね」

「それはお互い様」

 こんな憎まれ口めいた言葉が、私たちの口から飛び出てくる。
 お互いに悪態をついているのに、なんだか胸が温かい。

「これほど沢山のオドを貯め込んでるのに、息を上げて。どこか具合が悪いの?」

「この身体は、動くだけで魔力を消耗するのよ。封印を解く為に消耗を抑えなければいけないのに、お構いなしに魔術を撃って来て」

「ユーリスの方こそ、魔術で追い回して。……昔から、あなたの方が魔術は繊細で上手」

「その魔術をかいくぐって弓を撃ってきたのは誰? ……私もね、シーリスの弓使いに憧れてたよ?」

 彼は顔を合わせれば言葉に血が通うと言ったけれど、それは本当。
 だって、ユーリスと別れてからは孤独しか感じられなかったのに。
 死にも等しいと離別だと思っていたのに。

 顔を合わせた途端にこんな口喧嘩だなんて。

「ずっと会いたかった」

「私も」

 全てが全て以前の通りとはいかないけれど。
 それでも私が知っているユーリスも目の前にいる。
 確かに、この子はここにいる。

 私たちはもう睨み合ってなどいない。
 懐かしい郷愁と親愛の眼差しを向け合っていた。

「確かに姉妹だな。二人ともそっくりだ」

 彼にそう言われた事がなんだか気恥ずかしくなって、私たちは揃って目を背けた。

「そ、そんな事言って。どうせ短気だとか手が早いとか、付け加えるんでしょ?」

「そ、そう。だってMBさんって、いつも余計な一言をこぼしたりするから」

 居心地の悪さを誤魔化す為に口走ったのが、内容まで似通ったものになってしまった。

「付け加える事は特にない。だが敢えて上げるとしたら」

「ううっ」

「あるじゃない……」

 首を竦めている私たちに、彼は言う。

「二人共互いを想い合っている」

 彼の言葉は、私が考えてるよりずっと真面目で真摯な言葉だった。

「二人は俺が見た中で誰よりも姉妹に見える」

「……」

「……」

 可笑しな事ばかり言う彼なのに、時々恐いほど辛辣で、泣きたくなるほど清廉で、底の知れない慈愛を覗かせる。
 私はいよいよ顔を上げられなくなってしまった。
 ユーリスも同じ心境なのか、口を噤んでしまう。
 びょうびょうと風の音ばかりが私たちの耳朶を打った。

「ええ話しだのう。ええ話しだのう!」
「美しい……姉妹愛っすね」
「……ふぅ。思わずムスコまで号泣してしまったな」

 風に巻き上げられて、そんな声が聞こえてきた気がした。

 黙り込んでいたユーリスが口を開く。

「そう……私はシーリスを愛してる。だから、こうしてここにいるのよ」

 固い決意を秘めた声で、きっぱりと言い切った。
 顔を上げると、何かの引き金を引いた様に、炯々とした眼差しで私たちを凝視していた。
 ユーリスの半身が沈んでいる表面が、泡立つようにうねった。

「綺麗にまとまらなかったか。雨降って地固まるならず、地盤が緩むといった所か」

 ふむと彼は私の隣で頷いた。

「ふむじゃないの! 何を呑気な――
 あなたたちが余計な事を言ったりするから!」

「えっ。俺たちのせいになるのか?」
「ほらお頭。やっぱり黙ってた方が良かったんすよ」
「正直すまんかった」

「お頭さんたちは黙ってて」

 ユーリスの強い口調の後、顔も知らない人間たちの言葉が途切れた。
 さっきまでの私の知るユーリスではない。
 飢え、追い詰められた狼のような獰猛さがにじみ出ていた。

「愛しているなら、どうしてこんな真似を……一体、何をするつもり?」

 愛する者から向けられる気迫に気圧されそうになりながら、私は負けまいと顎を引いてその視線を受け止めた。

「シーリスの願いを叶えるの。あなたはここで彼と結ばれる」

 ユーリスは硬く断言した。
 私は一瞬意味が判らず、彼女が動かした視線の先を追った。
 視線を向けた先には、触手に四肢を絡み取られてみの虫のような格好になった彼の姿があった。
 こんな状況に陥っていても、やはり彼は平然と澄ました顔をしていた。

 彼と、結ばれる?

 正面を向いていた彼が、ちらりと私を見た。
 その瞳の奥で何を考えているのかは判らなかったけれど、私の頭に血が昇って、顔が赤く火照っていくのが判った。

「ユーリス、あ、あ、あなた、一体何を考えてるの!?」

 柘榴石に似た黒い瞳をそれ以上見つめている事が出来ず、私はユーリスを怒鳴りつけた。
 
「シーリスの願いを叶えるの」

「ばっ、馬鹿な事言わないの! そんな――そんな事っ」

 言い募ろうとした私の身体がぐるりと反転して、ユーリスの顔が見えなくなった。
 背中から、あの川面のように流れ蠢く肉に押さえつけられた。

 うぐっ。
 気持ち悪い。

 背後でぐねぐねとのたうっているのが判る。
 この気持ちの悪いものがユーリスだと認めたくない。
 嫌悪感を堪えて悲鳴を乗り込んでいると、ずるずるとユーリスが私に回り込んできた。

「見て。シーリス」

 今までこの表面の奥に隠れていた下半身を露にしていた。

 腰から下に脚はない。
 ぐねぐねとのたうつ無数の触手が伸びている。
 白でも赤でもなく桃色に近かったけれど、けれどもそれは私の周囲で蠢いているものと同じ。

「これが今の私」

 左腕の肘から先は、さらにグロテスクだった。
 紫色の肉の塊がぶくりと大きく膨らんで、その先に私たちのような手はなかった。
 黄色い雌しべに似た細い触手がびっしりと詰まり、その先が丸い口の先から覗いていた。

「サキュバス化に耐えて耐えて耐えて耐え忍んで――それでも耐え切れなかった、エルフの末路」

 愛しさとおぞましさが同居したユーリスの姿に、私は言葉を失っていた。

「魔王の魔力に耐えようとしても、耐え切れない。対抗しようと手を尽くしても、逆効果になるだけ。それが判っていたから集落の古老たちも私を追放するしかなかった。
 サキュバス化してしまっても、せめて綺麗な身体のままでいられるようにって」

「……そんな。じゃあ」

 私がしていた事は、ただ裏目に出ただけ?
 ユーリスをここまで変貌させてしまったのは、私のせい?
 私は、知らない内に魔王の共犯者になってしまっていたの?

「勘違いしないで。私は恨んでなんていない。シーリスが私の為に手を尽くして、森の皆が助けようとしてくれていた事に変わりはないから。
 私も納得してここに封印された。その結果がこの身体なら、私は受け入れる……受け入れられるから」

 ユーリスは私を責めない。
 森も責めない。
 恨みも憎しみもなく、ただ寂しそうに笑うあの子の顔が、冷たく私の胸に突き刺さった。

「……今はまだ、私もシーリスの事を覚えていられる。こうして話していられる。
 けれどそれもサキュバス化してしまったらきっと忘れてしまう。
 判るの。身体の芯が溶けていく感じ。私はもうエルフに戻れないだけじゃない。私でもいられなくなってしまう。ただの醜くて好色なサキュバスになってしまう」

 ユーリスは原形を留めた右手で、私の身体に触れた。
 一抹の悲しみと、強い決意を秘めた瞳で私の顔を覗き込む。

「だから、シーリスだけは私と同じような姿にさせない。綺麗なこの姿を保ったまま、サキュバスになるの」

 ユーリスの手は腹から胸、肩と伝って頬に添えられた。

「彼の精を受けて、サキュバスになって、私の中でずっと過ごすの。今まで私を守ってくれていた分、私がシーリスに代わって守るから。
 だからもう、寂しくなんてないよ」

 ユーリスの言葉は甘美な響きを伴い、どこまでも私を誘惑する。
 弱くて迷って怯えてばかりの私に、早く楽になれと誘っている。

「わ、私はサキュバスになんて――」
 
「私、知ってるよ?」

 弱々しく被りを振って拒もうとする私に、ユーリスは小さな悪戯をする栗鼠のように微笑んだ。
 触手が蠢いて、沈んでいた私の右手が持ち上げられる。
 彼に結んでもらっていた包帯は解けて、その奥に隠していたものがさらけ出されていた。

 手の甲に浮かび上がった刻印。
 サキュバス化するエルフに現れる、世界に満ちる魔王の魔力が流れ込む経路。
 この証が刻まれた者は、やがてサキュバスになる事が運命付けられている。

「ほら。私と一緒」

 シーリスは異形と化した左腕を掲げて、サキュバスの刻印を見せた。
 私の手の甲に刻まれたものと同じものが、シーリスの紫色の肉の上にも刻み付けられていた。

「もう逃げられないの」

 知ってる。
 気がついたのは、彼に泉の中に投げ込まれた時。
 我に返って初めて目にしたのが、この刻印だった。

 濡れて解けた包帯の下で、魔王の魔力は音もなく私に忍び寄っていた。
 彼に見られたくなくて、泉の水に浸かったままこっそりと水面を漂っていた包帯で隠した。

「サキュバス化を耐えるのはとても苦しい。シーリスが彼の前で苦しんだように。あれにずっと耐え続けていかないといけない。
 幾ら拒んだ所で最後にはサキュバスになってしまうのに」

 あの時の記憶は、私の中に残っている。
 熱くて、狂おしくて、どこに求めていいかも判らない衝動を持て余し、訳も判らずに彼を襲った。
 はしたなく声を上げて気にも留めず、少しでも楽になりたい一心で、覚えたばかりの気持ちのいい感覚を求めた。

「それなら好きな人に犯されて、サキュバスになってしまった方がずっといい」

 ユーリスが私の前から一歩横に引いて、代わりに私の目の前には彼がいた。
 いつの間にか私と向かい合う形になっている。

「……」

 彼は無言のまま、ただじっと私を見つめていた。

「す――好きって私は、その」

「意地を張らないで。今まで数多くの人間たちが森に踏み込んで来たけれど、シーリスが心を許した人間は彼一人だけ。
 彼もシーリスを信じて危険を顧みない。二人なら、きっと幸せになれる」

 しどろもどろになって顔を背けようとしたが、ユーリスがそれをさせない。
 背後から私の顔を抱くように腕を回して、逃げられないように固定した。

「シーリス。素直になれないあなたに教えてあげるわ。
 彼を巻き込んだのは、一人に戻るのが恐かったから。離れたくなかったから」

「ち、違う……」

「違わない。ならどうして止めなかったの? 私の封印が解けているのかどうか、確かめるだけならあなた一人でも出来る。
 確かめてから、戻って彼を森の外へ逃がすなりなんなりすればいい。森を守るというのなら、それが正しい選択でしょ?」

「それは、刻印が出て、気が動転してたから――」

「そう。だから番人としてではなく、あなたの本心が表れた。不安で恐いから彼にすがった。そうでしょ?」

「……」

「食事を振る舞って彼を留めて、少しでも別れの時間を先延ばしにしたかった。そうでしょ?」

 長年共に過ごしたユーリス相手に誤魔化しは利かない。
 それは私も判っている。

「シーリスは彼を殺せなかった。あの時から、もう惹かれていたのよ」

 なのに、何故。
 まるで見ていたかのように話すのだろう。

 私の疑問に気づいたユーリスは、笑いながら私のお腹を指し示した。
 私のお腹の上に、あの泉の畔で目にしたおぞましいものが這いずり、登ってきていた。
 不規則にうねっていたそれがめくれ上がり、その奥にある目玉を露にした。

「私はここから動く事は出来ないけれど、この目を通じてずっと森の様子を見ていた。
 シーリスが彼の為に果実を集める姿。パンを焼く姿。楽しく食事をする姿。全部見てたわ」

 見なければ良かった。

 それはぴょんと飛び跳ねて私の上から離れたけれど、おぞましい姿はしっかりと記憶に焼きついてしまった。

「彼の事も見ていた。シーリスが本能のままに襲い掛かっても、傷つけようとはしなかった。あなたを信じて疑いもせずにここまでやってきて、こうして捕まってしまっている。
 ねぇ、MBさん?」

 ユーリスは私の髪を愛おしそうに撫でながら、四肢の自由を奪った彼に話しかけた。

「シーリスを信じると決めた事に後悔はない」

 磔刑のような辱めを受けているというのに、彼は眉一つ動かさず即答した。

「期待に応えられなかったのは残念だが」

 さっきは彼を罵るような事を言ってしまったけれど。
 本当は、この場に来てくれただけでも充分。
 彼がいなければ、私は多分ユーリスと向き合う事は出来なかった。
 打ち明けた後も私から離れずに着いて来てくれて、彼までこんな目に遭わせてしまっている。

「すまない」

 謝るべきは彼ではなく私の方で。
 思えば私は彼への感謝が足りていなかった。

 怒りと憎悪に飲まれそうになっていた私に、身体を張って諭してくれて。
 誰も信じられなくなっていた私に、誰かを信じる大切さを説いてくれて。
 昂ぶるままに襲い掛かった私に、欲望に流されない強さで応えてくれて。

 私は、そんな彼の事が――

「MBさんは、シーリスの事が好き?」

 私の胸がどきりと大きく鼓動した。
 私が口に出来ない言葉を、ユーリスが呆気ないほど簡単に訊ねていた。

「好きだ」

 答えは飾りっけのない簡潔なもので、それはとても彼らしかった。

「……抱ける?」

「抱ける」

「な、な、な。二人とも、何を、言って」

 ろくに言葉にもならなくなった私に取り合わず、ユーリスはくすっと彼に笑った。

「良かった。本当は泉に放り投げるくらいうんざりしてるんじゃないかって思ってた」

 私がどこかおぼろげに感じていた不安まで、ユーリスは正確に掬い上げる。

「毒に侵されたのをいい事に抱くというのは、気が引ける」

「案外律儀なのね」

「敵の弱みをつけ込むのは平気なのだが、味方の弱みを突くのは苦手だ」

「折角奥手なシーリスをその気にさせてお膳立てしたのだから、遠慮しなくて良かったのに」

「甘いとは言われるが、これが俺なのだから仕方ない」

「お人好しさん」

「そうでもない」

 穏やかな会話を交わす二人に、私は羞恥心も忘れてなんだか不思議な気分になっていた。
 これと似た感覚を、私は知っている。
 人間たちの集落に出向いた時と、ついさっきユーリスと対峙した時。
 どんな状況に陥っても悲嘆も絶望もない彼といると、立ち向かう状況がなんでもない事のようにさえ思えてしまう。

 サキュバス化したユーリスに捕まり、この子からサキュバスになる事を迫られているというのに。
 私の手には、やがて魔王の眷属に連なる者としての証が刻み付けられてしまったというのに。
 少し森を散歩をしてユーリスに会いに来ただけ。
 そんな気分にさえ思えてしまった。

 私は改めて、彼を見た。
 黒い柘榴石の瞳も、私をじっと見つめ返してきた。

 相変わらず、その瞳の奥で何を考えているのかは判らないけれど。

「……判ったわ、ユーリス。私の負け」

 私を今も確かに信じてくれているのは判った。

『人を信じる事は難しい』

 それを認めていながら、

『当たり前だから』

 疑う事も知らないこの人を深く信じよう。
 
「私も、あなたが好き」

 私は胸に秘めていた本心を、自らの口で打ち明けた。

 来る日も来る日も自分の無力さを噛み締め、憎悪に囚われて躍起になっていた。
 ユーリスを奪った魔王を憎んで、いつしかその憎しみを森に踏み入る人間たちに向けて、姿の見えない何かを憎んだ。
 いずれにせよ私は、遠からず魔物に成り果てていただろう。

 それを、偶然訪れた彼がいともたやすく解きほぐしてしまった。
 私が今まで出来なかった事を平然とやってのけてしまった、この人を信じよう。
 彼は私が――私たちが思いもつかない方法で、この状況をひっくり返してしまうのかもしれない。

 それが私の妄想でしかなくて、例え破滅が待っているのだとしても。
 サキュバスに堕ちてしまうのだとしても。
 彼の手でそれが成されるのなら、それを受け入れよう。

 出会ってからたゆまず向けてくれた、この愚直なまでの信頼に、今度は私が応える番。

「あなたの手で、私を染めて…下さい」

 言葉尻は風に吹かれてかき消されてしまいそうな小声になってしまった。
 沈黙が続く。
 ひょっとして聞き取れなかったのかと不安になって、努めて下げていた視線をちらりと上げて彼の顔を見た。

「判った」

 それを待っていたかのように、彼は頷いた。
 多分、私が顔を上げるのを待っていたのだろう。
 私を抱き締めるユーリスの腕に、きゅっと力がこもるのが判った。

「良かったわね、シーリス。相思相愛で」

 月夜を背景に浮かんだユーリスのはにかみは、どこか寂しそうに見えた。



xxx  xxx



 シーリスがサキュバスになる為にも、彼と契りを交わすのは必要。
 魔王の刻印が浮かんだ以上、身体は男の人を求めて疼きだす。
 精を摂取した時、シーリスも新たな姿に生まれ変わるだろう。

 けど、その際に私も一緒に混ざってはいけないという事も無いから。

「はっ、あむ、んっ」

「んっ、ん。ちゅ、んっ」

 私もちょっとつまみ食いをしていた。

 シーリスとの魔法合戦で消費した魔力を補充しておかないといけないし、折角だから私も味見したい。
 だって、彼がこれからシーリスを染めてしまうんだもの。

「ん、ちゅ……んふ。とっても元気になってる。MBさん、そんなに気持ちいいの?」

 シーリスと肩を寄せ合い目の前のおちんちんに口付けをしていた私は、視線を上げて彼の顔を覗く。

「気持ちいい」

 と、顔色も変えずに頷いた。

 シーリスの目を盗んでこっそりとかどわかしてきた人間の男の人たちは、もっと反応が露骨だった。
 初めこそ私や使役する淫魔たちに驚き嫌悪してたのに、おちんちんを可愛がってあげると途端に快楽の虜になる。
 止めてがもっとしてになって、その後また止めてになる。
 何度も何度も射精し続けると、どんな屈強な男の人でも最後は泣き出しそうな顔でいやいやする。
 私はそういう様子を見るのがいつしか楽しくなって、射精をさせる方法にも色々と熱がこもったし私なりにも研究した。

 彼もおちんちんを大きくはしていたけれど、表情はけろりとしたまま。
 そんな彼を見上げていると、少し意地悪な気持ちが浮かんでくる。

「全然そう見えないけど?」

 おちんちんの先っぽをぱくりと口に含んで、ちゅうちゅうと吸い上げる。
 尖らせた舌先で、先端の穴をこちょこちょとくすぐってみた。
 おちんちんの中でも先っぽは特に敏感だって、私は知っていた。

「上手いな。すぐに出そうだ」

 一番の急所を責め続けているはずなのに、彼の表情にこれという変化は起きなかった。

 むぅー。

「まららぁめ。もっと我慢してね」

「判った」

 私は頭を下げて、敏感な先端から棹を伝って根元へと口を移す。
 時折ぴくぴくと震えているのが少し可愛くて、意地悪な気分が引っ込んだ。
 顔も声も無愛想だけど、男の人だけあっておちんちんは素直だ。

 MBさんの上半身は、下半身をちょっと見習えばいいと思う。

「……ねぇユーリス」

「なぁに?」

 シーリスは、彼の陰嚢の皮を咥える私を、じっと見つめてきた。

「その……本当に、契る前の男女はこういう事を、するの?」

 彼の股間に顔を寄せてからも、シーリスの動きには戸惑いがあり、私を見る目は懐疑的。

「ふるよ。もひろん」

「……」

 陰嚢を頬張ったままもごもごと答えた私に、尚も胡乱げに瞳を覗き込んでくる。

 シーリスの無知さ加減を利用してつまみ食いしてるって、勘付いたかな?

 性に関する知識が乏しいのは集落にいた頃から変わってないけど、私が嘘を言っているのかどうかを見抜くのは上手くなっている。
 それはお互い様だけど。

 シーリスは妙な所で意地を張る事があるから、ここでへそを曲げられても困る。
 彼への好意を遠回し遠回しにしていて気がつこうともしていなかったから。
 今更になって、やっぱり彼と契るのが嫌だなんて言い出しかねない。
 私は口に含んでいた陰嚢を離して、少し真面目に答える。

「ちゃんと準備しないと、上手く契れなかったりするのよ?」

「……」

 躊躇っているシーリスを、真面目に騙して仕向ける事にした。

「上手く契れなかったら、男の人だって気持ち良くなれない。中途半端に生殺しが一番辛いの。
 それに女だからって、男の人に気持ち良くして貰うばかりってどうかと思うな。男の人も気持ち良くしてあげなくちゃ。
 好きな人たち同士、二人で気持ち良くなれるのが、一番幸せだと思わない?」

「それは……そうかもしれないけど」

「特に、シーリスは初めてじゃない。今握ってるMBさんのこのおちんちんが、あなたの身体の中に入って動くのよ?
 何も知らずに入れられてしまうよりも、事前に色や形や硬さや大きさ何かも知っておいた方がいいわ。その方がショックも軽くて済む。
 シーリスも痛い思いをするより、気持ち良くなりたいでしょ?」

「……うぅ」
 
 MBさんのおちんちんを意識してか、シーリスは首をすくめて唸った。
 真っ赤に赤面したまま黙り込む様子に、これはもう一押しかなぁと援軍を求める。

「MBさんも、シーリスにされて気持ちいいでしょ?」

「気持ちがいいし、興奮もしている」

 彼は私が望んだ通りに肯定して、俯くシーリスの髪を撫でた。

 いい子ね。
 これで後は、もっと雰囲気を出してくれれば満点なんだけど。

「ね? 何もおかしくなんてないわ」

 彼に撫でられますます縮こまるシーリスに笑いかけながら、私はこっそりと指先を忍ばせていた。
 私の左腕に詰まった、沢山の雌しべの内の一本。
 見てくれは悪いけれど、扱いに慣れればとても便利。
 器用に動かせるし、細かい隙間の中にも潜り込める。

 胡坐を掻いた彼のお尻を伝い、きゅっとすぼまっていたお尻の穴を探り当てる。
 その皺を伸ばすように円く撫でてあげた。

 こっちでも感じる事は捕まえた男の人たちで実証済み。
 穴の奥にある場所を弄れば、疲れ切ったおちんちんが元気になる事も。
 おちんちんと同じかそれより太い触手で可愛がり、特に中で広げたりすると切ない声で鳴いてくれた。

「……」

 シーリスの髪を撫でながらじっと見下ろしてくる彼に、私は悪戯っぽく笑って唇に指を立てた。

 その調子でね。
 いい子にしてるとご褒美をあげるから。

 私の意図が通じたのかどうか。
 彼はぴくりと片眉を跳ね上げたけれど、余計な言葉は口にしなかった。

 そんな私たちのやり取りは、耳まで赤くしてのぼせているシーリスには見えていない。

「ほら、待たせると悪いわ。MBさんを気持ち良くしてあげましょ♪」

「……う、うん」

 シーリスはちらちらと硬く反り返ったおちんちんを盗み見ながら、顔をそっと寄せた。
 棹の部分に舌を出してぺろぺろと舐めるだけ。
 じれったいくらいに初々しいけど、シーリスにしては積極的。
 何も知らなかったシーリスが、こうして男の人のおちんちんを舐めたりしてるなんて。
 考えると私までぞくぞくしてくる。

「ほぉら、もっといっぱいしてあげないとMBさんもイけないわよ」

「い、いっぱいって……どうすればいいのよ」

 射精する事をイくって言うのは、捕まえた男の人たちが口走っていたので知っている。
 どうするのが良いのかも知っている。

「こうするの」

 私は不慣れなシーリスにお手本見せる為、MBさんのおちんちんを頭から頬張った。

 ん……おいし。

 私たちの唾液と鈴口からとろとろ溢れる粘液で濡れたおちんちんを、舌を絡めて一度味わう。
 たっぷりと味見した後で、舌の上に乗せて位置を定めた。

「んっ。んっ、ふっ。んぷっ」

 おちんちんに歯が当たらないように唇で覆い、たっぷりと唾液を溜めた口の中を前後させる。
 今まで優しく可愛がっていたのを、一転して激しく責め立てた。

 んふ。
 お尻がきゅうきゅう締め付けてる。

 隠れてくすぐっていた彼のお尻に、雌しべがちょぴり入っていた。
 無愛想な彼に言葉で訊ねてもそっけない声が返ってくるだけ。
 けど彼の身体は判り易く確かな反応を返してくる。
 こうして身体に直接訊けばいいんだと、私は気がついた。

 舌を使うとどんな感じ?
 私の咽喉まで犯した感想は?
 ほっぺの後ろで擦るのはどう?
 お尻に挿入れられるのは気持ち良い?
 それとも屈辱?

 口の中でおちんちんがぴくぴくと脈打っている。
 お尻が締まって指が強く締め付けられる。
 丸めていた背中はいつの間にか胸を張るように反って、心なし呼吸も乱れている。
 彼は無言のまま私の髪に手を添えて、撫でるでも掴むでもなく頭に手を乗せた。

 身体の些細な変化を頼りに、寡黙な彼の答えを想像する。
 行動の意味を考える。

 催淫効果が現れて性的興奮に衝き動かされるシーリスを前にしていながら、気が引けるなんて理由で犯そうとしなかった。
 集落を築いた人間たちを説得に行ったり、シーリスに付き合ったりして、この人は見た目以上にずっとお人好し。
 そんな彼だから、きっと私が相手でも強引に快楽を貪れないんだろう。

 あはっ。
 可愛いなぁ。

 私の口の中はもうとろとろになってる。
 激しい動きに口の中に溜まった唾液が溢れる。
 こぼすのが勿体無くて、私はおちんちんと一緒に音を立てて吸い上げた。
 ずじゅるるる、とたまらなく淫らな音が私の理性を削り取った。

 シーリスに手本を示すだけのつもりが、私自身彼の反応が楽しくて止められなくなっていく。

 ――もっと――

 夢中になっておちんちんにしゃぶりつく私の耳元で、誰かの声が聞こえた。

 ――欲しい――

 これは私だけに聞こえる声。

 ――犯したい――

 以前からずっと頭の奥から囁いていた。

 ――犯されたい――

 エルフの私を甘く誘う、サキュバスの私。

 ――交わりたい――

 私はそれに耳を塞いでいたけれど。

 ――ずっと――

 今になって気がついた事が一つ。
 これは、曝け出された私自身の本音だという事。

 無茶苦茶にしたい。
 無茶苦茶にされたい。

 この衝動が強くなり過ぎて我慢し切れなくなった時、私はまず真っ先に一番身近な存在に襲い掛かるんじゃないか。
 それが怖くて、私は封印された。
 エルフのままでいるという願いは叶わなかったけれど、もう一つの願いは叶った。

 サキュバスの刻印が刻まれ、誰からも見放された私に、遠く離れたこの場所までついて来てくれたたった一人の姉。
 初めは、集落の森から出るまでだって。
 森の切れ目が見えてからは、静かに過ごせる森を見つけるまでだって。
 この森に辿り着いてからは、生活が落ち着くまでだって。
 ここでの生活に慣れてからは、目を離せないからって。

 ずるずると別れを延ばしに延ばして、一緒に居続けてくれた。
 封印の中で眠りについて、私が目覚めてしまってからも、一日に一度必ず会いに来てくれた。

 私の手に残されたものは少なかったから、その数少ない宝物を、最後まで大切に想い続けていたかった。

 男を欲する好色な心が一部ほろりと剥がれ落ちて、そんな内面が露わになっていた。 

「う゛ぐっ」

 彼のおちんちんで咽喉まで犯した。
 咽喉を詰まらせ嗚咽を押し込んだ。
 涙ぐんだのもその所為。
 全身が震えるのは男の人に犯されて快感だから。

 悲しいから――じゃない。

 吐き出す事もえづく事さえ出来ずに震えていた私の額を、何かが覆った。
 それが何か判る前に強く押されて、私の口を塞いでいたおちんちんがずるりと引き抜かれた。
 
 呼吸困難で目の前がちかちかと瞬く中、びゅるびゅると何か温かいものが顔に降り注ぐのが判った。

 あ。
 これ、精液。

 男の精を敏感に嗅ぎつけ、私は殆ど無意識に舌を出して受け止めていた。
 舌に広がる濃厚な味。
 鼻の奥に染み込む男の匂い。
 欲情を掻き立てられ身体が震えた。

 男を欲しがる淫乱な身体が、私の頭の奥に広がりかけていた感情を曖昧に濁していってくれた。
 
「っは、はっ、はあ――」

 息を荒げて目の前のおちんちんをぼんやりと眺める。
 彼のものは見て判るほど脈打ちながら射精を続け、今もゆるゆると白く濁った精液が溢れてる。

 物凄い量。
 禁欲でもしてたのかな。

 口の中の精液を舌に絡めて味わう。
 この苦味を美味しいと感じられるのは、多分サキュバス化が進んでいる証。
 くちゅくちゅと音を鳴らして精液を口の中で転している頃には、私はもう淫らな自分を取り戻せていた。
 
「んっ――出す時は口の中でね。勿体無い」

「つい。すまない」

 彼は私の髪を撫でて頷いた。
 私は口の中に溜まった咽喉を鳴らして飲み込んで、どろりと白濁に濡れた彼のおちんちんに吸い付く。
 棹から垂れる分も、尿道の奥に残った分まで吸い上げ、彼の精液を残さずに舐め取った。

 彼はその間も私の髪を撫で続けた。
 相変わらず表情から考えを読み取るのは難しい。

 どうして直前になって、私を押し退ける様な真似をしたんだろう。
 口の中で射精するより、精液を顔にかけた方がより興奮するの?

 私の顔に飛び散った精液を拭っていた彼の指にぱくりと吸いつき、丹念に舐め取りながら様子を窺う。
 彼は顔色一つ変えずに、私の舌を指でなぞって感触を確かめている。

 むぅー。
 良く判んない。

 彼を少し恨みがましく睨みつけていると、傍らから注ぐ視線に気がついた。

 あ、忘れてた。

「シーリス、判った? 今のがお手本」

「……っ」

 彼の射精する所を見てぽかんとしていたシーリスは、私の言葉で我に返ると急に咳き込んだ。

 息を呑んで咽喉を鳴らすのが恥ずかしいとか思って、誤魔化そうとしてるのね。
 誤魔化せてないんだけどね。

「出来そう?」

「おほんおほん」

 わざとらしい咳払いまでして。
 ちょっと刺激が強過ぎたかしら?

 ひょっとしたら、シーリスに射精する所を見せ付けたかったのかもしれない。
 おちんちんも見た事もないシーリスが、男の人がイくところなんて知るはずもないし。

「MBさん。シーリスにも口でして貰いたい?」

「して貰いたい」

 指先で雁の溝をこちょこちょとくすぐりながら促すと、彼は一つ頷いた。
 心なし、力強い頷き方だった。

「だって。シーリス?」

「……お、おほん」

 詰まるほど咳払いしなくてもいいのに。

 うぶな姉の姿にをくつくつと咽喉の奥で笑いながら、私はちょっぴり優越感に浸っていた。

 私のお手本通り、とは行かなかったけれど、場所を譲ったシーリスは無心に彼のおちんちんに口付けをしていた。
 私は彼の背後に回ってその様子を眺めながら、こっそり援護しておいた。
 彼のお尻の中のつぼを探って、じれったいシーリスの愛撫でも彼がイけるよう。
 たちまち逞しく屹立した彼のおちんちんは、程なく爆発するように二度目の射精をした。

 連射が利くなんて。
 素敵ね。

 二度目になるのにまるで衰えない彼の射精量に、思わず舌舐めずりしていた。
 楽しめそうな予感に、私の身体は期待感でふるりと震えた。

「これでMBさんの準備はいいわ。じゃあ次はシーリスの番ね」

 シーリスの性に対する抵抗感が薄れ、続けざまの射精で疲労した(と言っても平然としてたけど)MBさんを休ませる為にも、攻守の逆転は必要だった。

「わ、私の?」

「うん♪」

 私は口元を引きつらせた姉に笑顔で頷いた。

 心が解れても、身体が解れていなかったら準備の意味がない。
 彼のものにキスをするだけでがちがちに緊張していたし、おちんちんを咥えながら自分で解すなんて、要求の度合いが高過ぎる事も知ってた。
 だから、彼にお願いしてたっぷりと解して貰う事にした。

「じゃ、後はよろしくねMBさん」

「ああ」

 私は淫魔を操りシーリスが逃げ隠れしないよう固定して、開いたその脚元に屈む背を見守った。
 





「はぁ…っ、あー……」

 シーリスの蕩けた声が私の耳朶を打つ。

「あっ。あっ…ふぅ…んくっ」

 鼻に掛かった声をあげる度に、朱色に火照った身体が跳ねた。

 ……うわぁ、すご。

 私は解れ切ったシーリスの様子に、ため息を洩らすばかりだった。
 彼は一体どれだけの時間シーリスを愛撫し続けているのか。
 シーリスの下着をずらして、ぴちゃぴちゃと湿った音をたてる。
 彼はシーリスが完全に陥落してしまうまで――ううん、息が絶え絶えになっても、黙々と責め続けた。

 堪んないだろうなぁ、あれ。

 初めは性感帯を探るように、少しずつ身体に触れて揉んで肌を合わせる程度だった。
 シーリスも意識的に声を上げないように我慢していた。
 私はくすくす笑いながら、シーリスがイった回数を数えたりしていた。

 硬かったシーリスが少し小慣れてきてから、彼の動きが変わった。
 
 特に弱い場所を重点的に狙い出した。
 胸の膨らみの先端と、おまんこの上から顔を出したぽっち。
 そこばかりを舌で、指で、撫でて舐めてくすぐり転がし押してこねて吸った。

「あかっ、ひ――ぁひっ……ぅっ…うーっ……」

 はだけた胸元からこぼれるおっぱいを隠そうともせずに、シーリスの腰が小刻みに痙攣した。

 今イったので何回目だろ?

 具体的な数字はもう判らないけど、だらしなく開いた口から嬌声と涎を垂らして、それがまるで気にならなくくらいの回数。
 シーリスはもう頭の中まで蕩け切ってる。

「あっ、うぅ、あっあっ、うぅん……っ」

 時に甲高い悲鳴を、時に低く呻き、シーリスの身体の震えは止まらない。

 イった直後にまたイかされてる。

 逃れたくても逃れられず、彼もそれを知った上でシーリスを愛撫し続けている。
 それはとても優しく丹念な拷問だった。

「はぁ――あっ! ……っくぅ」

 終わりのない絶頂に悶えるシーリスの様子を見つめながら、私も達していた。

 見ている内に私まで堪らなくなって、手淫にふけっていた。
 左腕の雌しべたちを総動員して、赤く腫れ上がった自分のぽっちを弄っている。
 シーリスがMBさんにされる様子は、いつも以上に私を興奮させた。

 理由は多分、私自身男女のまぐわいを見るのが初めてだから。

 普段、精を吸い上げるのは淫魔に任せて、私自身は魔力として蓄えるだけ。
 口でする事はあったけれど、それは本当に極稀。

 繋がってしまえば、そのまま最後までしてしまう。
 男の精を胎の中で受け止めてしまえば、私はサキュバスになってしまう。
 今の私でいられなくなってしまう。

 その前に、せめてシーリスともう一度話したかった。
 その思いにすがって、今まで日増しに強くなる結合欲を自分で慰めていた。

 だから男の人に全身を愛撫された事なんてない。
 あれだけ惨いほどに愛された事もない。
 シーリスが恥じらいも忘れて、快楽の坩堝に翻弄されてる。
 私は姉の身に訪れる悦楽を思い描きながら、絶え間なく自らを責め続けた。

「……っ、っは、っ」

 けど、自慰じゃどうしても限界がある。
 イった直後は余韻に浸って手を止めてしまう。
 敏感な場所を無意識に避けてしまう。

 私も頭の中が真っ白になるまで、蕩かされてみたい。

 ふらふらと、いつしか彼の背後に詰め寄っていた。

 見ているだけ。
 見てるだけで、自分の指とこの醜い雌しべだけで我慢しないと。
 でないとまた、悲しい記憶が頭の中で剥がれ落ちて――

「エ、ムビー、さんっ」

 私は息を切らして彼の名前を呼んでいた。

 ずらした下着の隙間から、シーリスの赤剥けたぽっちを絶え間なく可愛がり続けていた彼は顔を上げて――ああ、服を着せたまま脱がさずに乱すだけなんて。なんて淫らなんだろう――私に振り返った。

「もっ、あっ。ダメ、ぅあ、我慢、でき、なっ、あっ。わた、私も」

 これほど甘いシーリスの匂いを全身からぷんぷんと漂わせてるのに。
 小憎らしいくらい無表情のままシーリスのぽっちを指で爪弾きながら。
 私は縮めた肩を抱いてそれだけでも軽く達してしまう。

 おかしくなるおかしくなるおかしくなってしまいそう。

 柘榴石のような黒い瞳が乱れて悶える私を見つめて。
 瞳の中にいる卑しい私が映り込んで見つめ返してきているのに。
 それに欲情して身体が疼く疼いて仕方なくて。

 私は、もう、おかしくなってしまってる。

「して、して。ああっ、してっ。私にもぉっ」

 伸ばされた手が触れるよりも早く、耐え切れなくなった私は彼の顔を股間に押し付けていた。

「吸って。吸って。早く、早くっ、私のおまんこ吸っ――」

 私の悲鳴を、じゅるると汚い水音が遮った。

「てぇ! あうっ、あっ――ぅん! はぁ、吸って、もっと厭らしく下品に、強く吸って!」

 頭の中が曖昧に蕩けていく。
 快楽が全身に染み渡って震える。
 熱と衝動に衝き動かされるまま、彼の顔をぐりぐりと押し付けた。

 彼の口が、舌が、唇が。
 私の醜い下半身を掻き分けて、その奥に触れている。
 エルフのまま残った私のおまんこが、舐められ吸われている。

「あっ、はっ、はぁん! いい、いいよぉ! 一人でするより、ずっと気持ちいい……!」

 快感の波は途切れる事無くやってきて、私の全身を激しく揉みしだく。

「あっ、あっ。気持ちいい、気持ちいいの、がっ、く、くるっ。また、あっあっあっ――」

 悶える私の頭の奥で、記憶がぱちんと瞬いた。



 初めはね。
 我慢出来るって。
 そう思ってたんだよ? 



 ここに辿り着くまでに色々な森を巡った。
 森に住むエルフたちに拒まれた。
 幾度と繰り返された拒絶の果てに、私がいても良い居場所を見つけられた。

「木々と動物たちに話をつけてきたわ! ユーリス、この森で暮らせるわよ! 皆、あなたを受け入れてくれるって」

「……うん」

 サキュバス化の運命を背負った私でも、受け入れて貰える場所があるって。
 それを姉さんは我が事のように喜び、息せき切って伝えてくれた。
 私が居なければ、ここまで流浪する事もなかったのに。

「ほら、顔を上げて! 皆が待ってるわ。樫の老翁、トネリコの貴婦人、歩く者、跳ねる者、翼持つ者、這う者たちも!
 皆があなたを待っているのに、そんな顔でどうするの」

「……うんっ」

 明るくて、勇気に溢れて、いつも前を向いて私を引っ張ってくれた。
 私は俯いて、足元ばかりを見て、その手に引かれて着いて行くだけだった。

「さあ、過ごす場所を決めてまずは家。それに土地を少し分けて貰う約束だから、そうだ。果樹園も作りましょう!
 翼持つ者たちが果実の種を運んでくれるって!」

「うんっ」

 眩いばかりの笑顔で、私に居場所を指し示してくれた。

 姉さんが好きだった。
 羨ましかった。
 双子なのに全然違っていた私たち。
 私は姉さんみたいになりたかった。

「泣かないでユーリス。これからは、笑って過ごせるわっ」

「うくっ」

 そう言った姉さんの目尻からは、ぼろぼろと大粒の涙が数え切れないほど溢れていて。
 私は顔を上げたまま頷く事も出来ずに咽喉を詰まらせた。

 私たちは森の入り口で抱き合って、大泣きに泣き続けた。



 ぱちんと瞬く。

 

 我は仕立て屋――
 我も仕立て屋――
 趣味は編み物――
 生業も編み物――

「ふふ。見て、蜘蛛たちのあの張り切りよう。私たちのこの服も随分擦り切れてしまっていたから、特別上等なものを贈りたいって」

「……あ、ありがとう」

 我は仕立て屋――
 我も仕立て屋――
 礼には及ばぬ――
 我らの編み物――
 生業である故――
 趣味である故――

「あら、また駆けつけてくれてる。この分だと日が昇る前に編み上げてしまいそうね」

「うん」

 きゃあきゃあ緑の友達――
 ぼくの斑模様を使って緑友達――
 わたしの尾の先の毛を分けてあげる――
 あたちの羽根も使ってね――

「ええ、有り難く使わせてもらうわ。皆もありがとうね」

「あ、ありがと……」

 我輩の脱ぎたて皮も使っておくれ――
 まろはぬめぬめしかなく無念でおじゃる――
 それがし角の根元がむずむずするのだ――
 緑の友達、どうか役立てておくれ――

「蛇よ、勿論使わせてもらうわ。蛙よ、あなたの水気を枝葉に少し分けてくださらない? 鹿よ、ここが痒いのね? 同胞たち。皆に、心からの感謝を」

「感謝、します」

 泉の畔で、私たちは集った同胞たちと優しい一時を過ごした。



 ぱちぱちとそぞろに閃く。



 緑の子たちよ、おはよう――
 双葉の新緑よ、あなたにはいつも春の息吹が訪れているわ――
 双葉の銀月よ、そなたは常に夜の静けさと共にある――

「おはようございます、樫の老翁、トネリコの貴婦人。たおやかな枝葉と逞しい幹は、今日もお変わりありませんね」

「きょ、今日のお日さまの加減は、いかが…ですか?」

 すこぶる良いとも!
 燦々と輝き空と地を照らしているわ!
 樫にトネリコ、その良きお日さま心地を少し分けてはくれまいか――

「白樺の若人。あなたは随分縦に伸びていらっしゃる」

「……わ、私たちより、高い、ですね」

 そうは言うが緑の子たちよ。縦に伸びるばかりで見ておくれこの痩せこけた身体を――
 白樺よ。柔らか葉っぱしか身につけぬそなたには、お日さまを仰ぐには百年早い――
 ええ、ええ。そうですとも白樺よ。悔しければせめてかちかち葉っぱを身につけてご覧なさい――

「あら。老翁と貴婦人方はそう仰られますが、私は若人に分けて頂く柔らか葉っぱ。気に入っておりますよ?」

「わ、私も、肌触りとか……歯触り、とか」

 ……緑の子たちよ。我が贈りし柔らか葉っぱ、なにやら食していると聞こえたぞ――
 ははは! その身を削り緑の子らを養っておるとは――
 ほほほ! 白樺にしては殊勝な事ですわ――

「ふふふ。冗談ですわ若人よ。あなたの青さはこのように、ここに。あら? ユーリス、あなた白樺の若人より頂いた柔らか葉っぱは……まさか」

「……えっ、えぇと。その」

 ははは!
 ほほほ!
 ……百年後を見ておれよ!

 疲れ切っていた身体も心も癒されていく、穏やかな平穏の日々。



「あがっ」

 それが。

「が、あ、あ゛、あ゛」

 快楽に白く。

「――あ゛ああああああああぁぁっ!」

 塗り潰されていく。

「ひっ、ぎ、いっ、いいいいいっ!」

 絶頂の絶叫を胸の奥から絞り出して、私は崩れ落ちていた。
 崩れ落ちて、悶えて、無様にのた打ち回った。

 ――苦しい苦しい苦しい――

 ざくざくと切り裂かれる。

 ――悲しい悲しい悲しい――

 ごりごりと削り取られる。

 ――痛い痛い痛い――

 ごしごしと磨り潰される。

 私の思い出が壊れていく。

「はぎっ、ぎひっ、い、いいっ。ぎいいいっ!」

 陸に打ち上げられた小魚のようにぱくぱくと喘いで、止まない痛みに暴れ転がった。
 薄く白み始めた空に、一際輝く明星を見つけた。
 太陽と星の光が差し込み、その光を吸い込む黒い人影を見た。
 のっぺりとした影法師は、私に向かって手を差し出していた。

 まるで、掴みかかるように。
 
「っ!」

 悲鳴をも苦痛と一緒に飲み込んで、私は淫魔の中へと逃げ込んだ。
 恐ろしい影から、少しでも安心出来る場所へと離れたかった。

 その一瞬、快楽も痛みも忘れて、私はただ恐れだけに囚われていた。
 淫魔たちはそのぬるぬると厭らしくも心地良い身体を駆動させ、私は胎流に飲まれて暗闇の奥へと引き込まれた。

 光の差し込まない、ぬめった温もりに包まれて、私は丸く縮こまった。



 初めはね。
 我慢しようって。
 そう思ってたんだよ?

 だって、皆が大切だったから。

 今まで有り難うって。
 けど姉さんも、皆も幸せになってねって。
 そう、伝えたかったんだよ?



 なのに私は。

「……ぅっ」

 とっくの昔にからからに渇いてしまって。

「うえっ、え、うえええっ」

 伝えたい事を何一つ伝えられずに。

「ええっ、うぇ、うええええっ」

 どろどろと凝った何かになってしまっていた。

「うえええええ、うええええぇぇん――」

 私は暗闇の中で泣きじゃくった。



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 午睡に似たまどろみの中で、誰かの泣き声を聞いた気がした。

 うえええん――

 誰が泣いているんだろう。

 うえええぇん――

 泣き声が耳について離れない。
 
 行かなきゃ。

 水を掻いて川底から水面を目指すように腕を伸ばした。
 身体はへとへとに疲れ切ってしまっていたけれど、泣き声を無視する事は出来なかった。

 ユーリスは子供の頃から泣き虫だった。
 泣き虫を卒業したかと思った頃、サキュバスの刻印が浮き出てそのまま逆戻り。
 ひょっとしたら、集落を出てここに辿り着いてからの方が良く笑っていたかもしれない。
 昔は、そういう子だった。

 いつも背後からくっついてきたユーリス。
 ふとした弾みで泣き声が聞こえてくる。
 私はいつしか泣き声に敏感になって、何かあればすぐに駆けつけられるよう、魔術より身体を――特に足の速さを鍛えるようになった。

 その所為で無縁のまま、今まで過ごしてしまったけれど。
 お陰で今になって立場が逆転してしまった。
 あんな、暴風に巻かれて錐揉みするような激しい時間を――

 何を考えてるの、私は。

 疲労の為か取り留めなく転がり続ける思考を、頭を振って追い出した。
 そのお陰か、少しだけ意識がしゃんとした気になった。

 よし。

 私がけだるい身体を起こす頃には、周囲の薄暗さにも目が慣れてきていた。
 まず真っ先に、ぼんやりと目の前で佇む彼の姿を見つけた。

 MBが膝立ちになって、あらぬ方向を見つめていた。
 上半身をねじってどこかを凝視しているのか、その視線の先を追ってみたけれどそこには誰もいない。
 中途半端に伸ばしかけた手を斜めに下げて、石像のように固まっていた。

 私は声をかける事も忘れて、その姿をぼんやりと見つめていた。

 なんだろう。

 いつも無表情で何を考えているのか捉え辛く、喜怒哀楽からどこか遠い。
 けれどそれ故に、人間たちに抱く悪印象からも遠くあった。
 そんな、よく言えば超然とした、悪く言えばどこか鉄のように冷たい彼の姿。
 その姿が、今は妙にか細く見えた。 

 人間の集落で武装した悪漢たちに囲まれる中、物怖じせずに進み出た時に見た背中は、広く見えた。
 ユーリスとの再会に付き添ってくれた時は、歩調の崩れない足音にいつしか安堵を覚えていた。
 けれど今は、なんだか――

 ひどく打ちひしがれた子供のように小さく見えた。

「……MB?」

 躊躇いがちに、私はその背に声をかけた。
 彼が今どんな表情を浮かべているのか。
 打ちひしがれて苛まれる彼の顔など、想像するのが難しい。

 彼はくるりとひねっていた上半身を直した。

「なんだ?」

「えっ」

 彼は全くいつも通りに、呼びかけた私に訊ねた。

「……えぇと、なんでもない」

「そうか」

 それ以上何も聞かずに、私をじっと見つめる。
 揺るがない柘榴石に似た黒い瞳。
 そこから感情は読み取れず、さっき私が感じた打ちひしがれた印象は、もう欠片も残っていなかった。

 気の所為、だったのだろうか。
 私自身朦朧としていて、誰かの泣き声を聞いたような気がしたから、そんな感情を彼に投影したのか。
 聞こえてきたはずの泣き声も今は聞こえなくて、耳につくのは風の音だけ。
 ひいひいと嗄れたこの音を聞き間違えててしまったんだろう。
 つい思い込んで先走りしてしまうのは、私の悪い癖。

「……」

「……ぅ」

 見つめられている内に、私は自分の格好に気がついた。
 すっかり服装が乱れている。
 乱したのは彼の手で、さらに言えば――とても口に出来ない事をされてしまった。

 彼の視線から逃れる為に、胸元を手繰り寄せる。
 服装を直しても、その下の肌を見られてしまっている気がして落ち着けずに、なんだか居心地が悪い。

 というより、その。
 彼が裸のまま隠そうともしなかったから。

 彼には恥じらいといったものがないのか、ユーリスに脱がされてしまっても普段とまるで変わらない態度でいた。
 今も、その。
 色々と視線を向け難い事になっていた。

 彼が膝立ちになっていると、仰向けに上半身を起こした私の目の前に、その、大変なものがある。
 測ったように丁度高さが同じで、私は顔を逸らしたまま上げる事が出来なくなってしまった。

 ううっ。
 座るなり脚を組むなりして、隠してよ。

 言葉にし難い問題を抱えてもじもじと肩を縮める私に、彼は相変わらずぼんやりというかのんびりというか、ただ私をじっと見つめていた。
 
「……えぇと」

「……」

 せめて何か喋ってよ。
 お願いだから。

 そっと思うだけに留めてくれれば良い事まで口にして、私を怒らせたり呆れさせたりしていた彼は、ここにきて急に口数が減っていた。
 寡黙になった彼の目の前で痴態を曝け出してしまった身としては、こう押し黙られると言葉に詰まる。
 迂闊な事を口走れば、また無言でされてしまうのかもしれない。

「ユ、ユーリスは? いないみたい、だけど」

「下だ」

 なるべく無難な疑問を振り向ける私に、彼はひどく短く答えた。
 余りにも簡略化された言葉に、私は顔を上げて――彼の顔だけに焦点を定めて下半身を見ないようにしながら――まじまじと見入った。

「……下?」

「下だ」

 彼は私たちの足場にもなっている、みっちりと詰まった不浄の塊を指差して頷いた。
 この塊に四肢が埋め込まれて拘束されていたのだけれど、今は解けてしまっている。
 隙間なく絡み合った肉の塊は、改めて見ると臓器を連想させた。

「……そ、そう」

 見ていて余り楽しい想像にも繋がらないので、私は視線を外して――ふらふらと泳がせる。

「そ、その。座ったらどう、かな。ずっとその格好だと疲れない?」

「そうだな。そうしよう」

「……座り方とかも考えると、尚いいかな。ええと、ほら。胡坐とか。楽でしょ?」

「楽かどうかと聞かれれば、正座よりもずっと楽だな」

「脚の位置とかね、ちょっと高く組んでみるとか。いいと思うの」

「こうか?」

「そっ――も、もう少し脚を高く、位置をもっと、こう。ね?」

「シーリス」

「ひゃいっ?」

「ペニスを見るのが恥ずかしいなら、そう言った方が伝わるぞ」

 ……。

「判ってるなら見せないでよ馬鹿ぁ!」

「生理現象を自在に操れと言うのは無理がある。隠した」

「……本当に?」

「信用がないな。本当だ」

「信用がなくなるような事ばっかりしたからじゃない……」

「一度目は交渉。二度目は事故。三度目は合意の上だと思うのだが」

「……初対面の交渉で、全裸になるのはどうかと思う。
 一応訊くけど……服を着るって選択肢は、ないの?」

「交渉は相手にとって衝撃的であった方が、主導権を握り易い。らしい。
 服を着たまま契れない事もないが、そちらが好みなのか?」

「今度っ、好みかとか訊いたらっ、打つわよっ!?」

「予約が早まりそうだったな。気をつけよう」

 ……うん。
 やっぱり彼がどこか寂しげに見えてたりしたのは、私の気の迷いだ。
 なんと言うか、うんざりするほど彼のままだった。

「……頭痛くなってきた」

「そういう時は」

「今のは私の独り言だから。答えなくていいから」

「そうか」

 額を押さえて睨む私を、脚を組んで座る彼は見つめ返す。
 ちゃんと身体の一部位が見えないようにしていたから、許す事にした。

 幾ら男だからと言っても、もう少し恥じらいというものを持って欲しい。
 というか持って。
 お願いだから。

 呆れ混じりのため息をついて、私はこの状況に違和感を覚えた。
 サキュバス化するユーリスに敗れて、こうして虜囚の憂き目を見て、つい先ほどまで彼と肌を重ね合わせていたというのに。
 なんだろう、この緩やかな空気は。
 どこか、家に招いた時に似た和やかさが漂っている。

 今までの私には、男性と契る事は今後の人生や価値観全てを変えてしまう重大な事、という認識があった。
 サキュバスの刻印が浮かんだ私にとっては、その通りなのかも知れない。
 けれど、そう言った変化への恐れが彼と話していると薄れるのを感じた。

 結局、彼は彼で私は私という事なのかしら。

 もしも、私の手の甲にこの刻印が浮き出ず――ユーリスに過酷な運命が降りかかる事もなく、彼と出会っていたら。
 その時はどうなっていたんだろう。
 ありえなかった光景を思い浮かべようとして、すぐにその絵物語を静かに閉じた。

 多分、出会ったとしてもこうはならなかった。
 私たちはエルフとして粗暴な人間を蔑視したまま、森に分け入ってきた彼と敵対していただろう。
 今も人間への蔑視が拭えているとは言い難い。
 彼を特別視しているだけで、人間の残酷さや欲に駆られた行動は到底受け入れ難かった。

 私たち姉妹がサキュバスとしての運命を辿るが故に、今彼とこうして向き合っている。
 皮肉な話だと思う。

「……不思議な気分」

 けれど、嘆くのと同じくらいは感嘆する余地もあった。

「何がだ?」

「今、こうしている事。この場所で、あなたと向かい合って話している事。私たちが辿ってきた足跡と……これからどうなるのかも含めた、全て」

「出会いは縁と奇跡だ」

 私が上手く言葉に出来なかった事は、彼は呆気ないほど簡単に表現した。

「出会いが人を形作る。だがそれは必ずしも比例される訳ではない。出会いが豊かであれば豊かな者を、出会いが貧しければ貧しい者を作り上げる訳ではない。
 数多の出会いに勝るたった一人との出会いもあれば、たった一人との出会いで数多の出会いを失う事もある。生まれついたが故に出会える者、出会えぬ者もいる。
 俺たちの出会いがあったように、今もどこかで誰かと誰かがこの奇跡を体験している」

 彼は今までの無口さが嘘に思えるくらい、饒舌になった。

「世界は広い。この広い世界に一体どれだけの者が今を生きているのか。生まれを異にし、初めて目の当たりにする者たちが邂逅を果たしているのか。
 世間は狭い。広い世界を限られた空間に区切りながら、どれだけ新たな出会いが失われているのか。そうする事でどれだけ濃密な繋がりが生まれているのか。
 当たり前のように日が昇り、落ちるまでに、どれだけの者たちが出会いと別れを繰り返しているのか。
 まさに奇跡だ」

 奇跡。
 奇しくも辿り着いた足跡。
 私が今こうして辿ってきた後を振り返るとすれば、彼の言うように奇跡的な出会いがあったから。

 饒舌な彼と、彼が抱く真摯な思いに少しは面食らったものの、私はすぐにそれを受け入れる事が出来た。
 彼がこういった面も持ち合わせている事は、もう知っている。

「一つ……訊いていいかな」

「どうぞ」

「あなたは、今も奇跡が起きるって、信じてるの?」

 私は信じていた。
 奇跡的な何かが起きるのだと信じて、集落を離れてユーリスに付き添った。
 森の力を借りて封印する時も、妹の身に降りかかった災いが除かれる奇跡を信じていた。

 その私に待っていたのは、どうしようも現実だけだった。
 いつの間にか集落を築いた人間たちと日夜争い、森は衰え変容し、ユーリスはサキュバス化の運命から逃れられず、私も同じ道を辿っている。

 私は開いた手を見つめる。
 この手に残ったのは、争いの中で受けた傷と魔王の宣告。

「奇跡は起きるものではない」

 自問に近い問答で物思いに浸りかけていた私を、彼の淡々とした声が現実に呼び戻した。
 
「……そうね。奇跡は起こすもの。待っているだけで成し遂げられる事なんて、何もないものね」

 実際に彼は奇跡を起こして見せた。
 私は彼を信じる事で、諦めかけていた奇跡を信じようとしていたのかもしれない。

 何かを成し遂げようという姿勢と、その為に必要な弛まぬ努力を再確認する私に、

「俺の意見は少し違う」

 彼はあっさりと訂正を加えてきた。

「えっ?」

 てっきり、彼ならそう言うと思っていたのに。
 思わず目を丸くしてしまった私に、彼は指を二本立てて見せた。

「奇跡は起こし得るもの。そして起きているもの。
 奇跡にはこの二種類あり、ユーリスの言うように、自ら行動し起こす事も出来る。
 それと同時に、当人は何もしていないのに周りが起こしてしまう奇跡もある。
 当事者、或いは当事者たちの努力と実力と運にも左右された結晶たる奇跡。そして当人の与り知らぬ所で勝手に起きて、勝手に終わって気づきもしない奇跡」

「……えぇと、つまり?」

「樽からジョッキに注いだ蜂蜜酒は、呑んでみなければ美味いか不味いか判らないという事。
 注ぐ際に手を加える事で奇跡的な不味さにもなれば、自ら黄金率に注ぐ事で奇跡的な美味さにもなる。逆も同じ」

 私は多分、なんとも言えない表情を浮かべていたと思う。
 彼の喩えは、なんとなく判ったような、余計頭がこんがらがるような、煙に巻かれているような喩えだった。 

 私の表情に何か思う所があったのか、彼はぽつりと付け加える。

「俺が話したのは受け売りなので、これ以上の説明は難しい」

 あ、受け売りだったんだ。
 そう言われてみれば、揺るぎなく話していた割りには彼の表情がどこか心許ないような。
 そんな気がした。

 何だか上手くはぐらかされたような中途半端な気分のまま、私は話の流れから当然で素朴な疑問を彼に投げかける。

「誰からの受け売りなの?」

「ま」

 彼が突然硬直した。
 何度も瞬きをして続く言葉を待ってみても、彼はそれ以上喋ろうとしない。
 声をぶつ切りに口を「ま」の形に開けたまま、時間が止まってしまっていた。

「……ま?」
 
 何を言おうとしたのか促す私に、彼の止まっていた時間が再び動き出した。

「ところでシーリス」

「ところでじゃないの。ま。の続きは? ま。の」

 いきなり露骨に話を逸らそうとする彼に、私は強く続きを促す。

「例えば強大な敵と相対さねばならなくなった場合、シーリスならばどうする?」

「その話がどう関係があるの? 私が知りたいのはま。の続き。ま……何なの?」

「敵は強大。戦えば確実に被害を被り、また勝てる保証もない。有体に言って負けてしまう目算の方が高い。
 そういった場合、シーリスならばどうする?」

 じとりと半眼になって食い下がる私に、彼の方も話題を変えようとして揺るぎない。
 意外と頑固。
 このまま問答を続けると、どこまでも平行線を辿りそうだ。

「それに答えたら、ま。の続きを喋ってくれる?」

「取引成立」

 私と彼の間で、なにやら後ろ黒い取引が成立した。

「私なら……戦う。例え敵が強大と判っていても、同じ故郷で育った者たちと手を合わせて戦えば、必ず打ち勝てる。
 そう信じて貫く、かな」

「逃げる、という選択肢はないのか」

「ない訳じゃないけれど、真っ先に選ぶ手段ではないわ」

「そうか。ない訳ではなくて安心した。矢折れ命尽きるまで戦い続ける、と言うのかと思った」

「あなたね。エルフは争い事を好む種族ではないのよ?」

「……」

「……そ、それはまあ、降りかかる火の粉は払うけれど。で、でも自分から火を点けに出向いたり騒乱の種を蒔いたりしないわ!」

「そうか。それは良いとして」

「なんだか馬鹿にされた気がする……」

「気の所為だ。ではシーリスにとって、逃げる選択肢が浮かぶのはどの時点だ?」

「それは……勝てないと判った時」

 具体的にどの時点かは、それこそ強大な敵というものと戦ってみなければ判らないけれど。
 最後まで逃げずに悉く滅びてしまうくらいなら、逃げて再起を図った方がいい。
 私だってそれぐらいの分別はあるんだから。

「シーリスはその強大な敵と戦い善戦したが敗れてしまい、虜囚として捕まってしまう。そこで辱めを受けたが、敵は油断したのか何か理由があるのか姿を消してしまう。その時点か?」

「何、その――」

 どんどん具体的になっていく彼の言葉を聞いていて、私ははたと気がついた。
 戦い敗れ、捕まって辱めを受けて、敵の姿が見当たらない。
 それって、今私が置かれている状況そのものだ。

「どうだ? シーリスが逃げようと判断する時はいつだ?」

「……」

 じっと顔を覗き込む彼の言葉は、いつの間にか喩え話ではなくなっていた。
 今のこの状況を指している。
 いや、初めからただの喩え話なんかじゃなくて、ずっとこれからどうするのかを私に訊ねていたのかもしれない。
 どこに耳目があるか判らないユーリスに、それと気づかれないように無駄話を交えて、他愛のない雑談を交わしているように思わせる為。
 拘束が解けたとは言え、私たちがいるのは未だあの子の手の内だ。

 私は改めて彼の言葉を吟味して、自分の中に確固として宿った答えを出す。

「……ごめん。私に逃げるなんて選択肢は無い」

 相手がユーリスでなければ、私は迷わず逃亡を図った。
 改めて、倒し切るだけの準備を整えて挑む。
 幾ら魔術が私よりも上手く、魔力も桁違いとはいえ、実力から言えばあの子は素人。
 実際に弓を交えて判ったけれど、戦闘の経験が圧倒的に乏しい。
 なりふり構わずに倒しに掛かれば、きっと倒せる。

 けれど、その敵はユーリス。
 私のたった一人の妹。
 ユーリスを殺せない――傷つける事すら出来ない私には、どう足掻いても倒せない相手。

 彼女が敵に回った時点で私は負けていたし、あの子を見捨ててこの森から逃げる事も出来ない。
 それが出来ていれば人間と刃を交える事もなかったし、そもそもこの森に来る事さえなかった。
 集落での生活に未練はあったけれど、それ以上にユーリスと一緒に居たくてここまで来たのだから。

「そうか」

 彼は、私の答えをあっさりと受け入れただけだ。

「信じてくれた味方に死ぬまで戦えだなんて。私には誰かを率いる資格はないわね……」

 私のこの決断で、彼まで同じ破滅の道を辿らせてしまおうとしているのに。
 自分だけならまだ受け入れられるけれど、彼を巻き込んでしまった事は、やはり後悔として今も私の胸を痞えさせていた。

「その条件は含んでいないので、シーリスの統率力を問う事は出来ないな」

 彼は喩え話の形を繕いながら、私の後悔をさらりと流した。
 
「シーリスの答えは判った。俺ならばそういう場合、相手に恭順する」

 受け流した後で、今度は彼自身の答えを口に挙げた。

「……恭順?」

「そう。白旗を上げるか、相手の条件を呑むか、交渉を行い落としどころを探るか。とにかく戦わずに済む方法を模索する」

 そうだ。
 初めて出会ったあの時から、彼は自ら積極的に戦おうとはしなかった。
 人間の集落で乱戦になった時も、相手の命を奪おうとしなかった。
 あれだけの実力を持ちながら、命のやり取りは苦手だ、と言っていた。

「その方が戦うよりも被害を抑え、力を温存したまま存続出来る」

 私はユーリスと戦い、あの子を倒せないと判っていながら、それでもずるずると戦いを続けた。
 その結果矢を射尽くし、オドも絞り尽くし、余力さえ失った所でユーリスに捕まってしまった。

 彼は私に方針を仰いだ時点で、ユーリスを倒せない事に気がついていたんじゃないだろうか?
 戦わざるを得ない状況になりながら、それでも彼は被害を最小限に留めようとした。
 ぬかるみに足を取られて転んだ所を、あっさりと捕まって。
 
 それはただ間が抜けていたんじゃなくて、彼なりの方策だったのではないか。

「そして、相手が油断した所で背後からぶすり」

 淡々とした彼の声音に、背筋がぞっと凍えた。
 私と何気ない雑談をしている調子そのままに、彼は今口にした事を実行してしまえるのではないか。
 極力血を流さない方法を探しながらも、必要であれば相手が誰であろうと迷いもなく実行してしまえるのではないか。

 そんな彼の持つ怖さを覗いた気がした。

「最も、恭順を申し出た相手への警戒があるだろうから、そうは事が運ばない。出来る事といえば精々時間稼ぎか」

 顔から血の気が引いてしまっていた為か、彼はやはり素っ気無く付け加えた。

 時間稼ぎ。
 ユーリスが油断するか、もしくはここから逃げだすだけの気力体力が戻るまで。
 私にあれだけ時間をかけて――もごもご――していたのは、何も彼の趣味や嗜好といった話ではなかった。

「……」

「何か?」

「……いや別に」

 多分。

 と、とにかく。
 用意された運命に諦めて私が受け入れてしまっている間も、彼は全く諦めてなどいなかった。
 最善手を模索し、ずっと機会を窺っていた。
 そうして、訪れたこの空白のような時間。
 彼が工面してくれた、おそらくは私がエルフのままでいられる最後の機会。

 私は相談を持ちかけられているのでも、方針を訊ねられているのでもない。
 決断を迫られている。
 ユーリスとMB。
 どちらを選ぶべきなのかを。

「話し込んでしまったが、俺の言いたい事はこれで終わりだ」

 ぽつりと残して言葉を切った。

 私は黙りこくって蠢く足元をじっと見つめた後、彼を見た。
 黒い瞳は相変わらず何の揺らぎも無く、真意は覗けない。
 けれど、本当に無条件に私を信じてくれていたのは真実。
 知らず手に力がこもり、固く握り込んでいた。

 私はどちらかを選べなかった。
 彼を捨てる事も、ユーリスを捨てる事も出来ない。
 ならいっそ、サキュバスになってしまえば気が楽になるだろうからと安易な道を選んで、それで彼を生贄にしようとしていた。

 私は、一体どんな表情で顔を合わせればいいのか。

 ううん。
 合わせる顔なんて、あるはずがない。

「シーリス」

 口を噤んで唇を噛む私を、彼が呼ぶ。
 ごつごつとした無骨な手が伸びてくるのが見えた。

 彼は私の握り拳を取って、両手で包んだ。
 無骨な手に柔らかく揉み解されていく内に、私の固まっていた指が解けていく。

「ま。の続きを答えよう」

「……?」

 私は顔を上げて再び彼を見ていた。
 目を丸くする私に頷いて見せた。

 彼は揉み解した私の手を自らの胸元に押し当てる。
 胸の奥から確かな鼓動と、温かなぬくもりが感じられた。

 彼が言いかけた言葉の続き。
 あれは、私と今の話をする為の口実じゃなかったの?

 彼は疑問に答えず胸元に押し付ける私の指を折り曲げて、まるで引っかくような仕草を取らせる。
 爪の先に、何かが引っかかる感覚があった。 

「多分、きっと上手くいくだろうから、後は任せろ」

 何が?

 そう問い返す前に、私の爪の先から、彼の胸元からべりっと音を立てて何かが剥がれ落ちる。
 剥ぎ取ったものが何かを確かめる前に、彼は私の手にしっかりと握らせた。

「魔女殿に出会ったら」

 目の前にいるはずの彼の声が、不意に遠く感じられた。

「平穏にな」

 突然足場の底が抜けてしまったようにどこかへ落ちる私に、彼の言葉がしっかりと頭に残った。



xxx  xxx



 転移陣を起動して、真っ先に吐き出されたのはエルフの女だった。

 空中に放り出されたままくるくると回転し、猫のように音を立てず地面に着地した。

「ほう。不意に転移陣を潜っても無様に転んだりはせんか。やるではないか」

 無様に地べたに這い蹲るかと思ったが。
 中々どうして器用なものだ。

「だ、誰っ?」

 エルフは目が回ったのか、頭を振りながらもすぐさま起き上がってくる。
 すぐにわしを見つけて、まあ姿隠しの術を解いておるのだから当然だが、困惑に目を丸くした。

「あ、あなたは――」

 わしの姿に戸惑い反応が遅れている。
 何せ、わしの見た目は絶世の美少女であるからな。
 か弱くも愛らしい少女を前にして、如何にエルフと言えども見惚れてしまうのもやむなしだ。

 我ながら罪作りであるなぁ、うん。

「一歩右だ」

「え?」

 わしをまじまじと凝視した後、辺りをきょろきょろと見回していたエルフに話しかける。

「その握り締めた拳の方向に、あと一歩動けと言っている」

 エルフはわしの護符を大層に握り締めていた。

 その手に魔力刻印が浮かんでいる事など、転移陣を潜った時に気がついている。
 魔王に呪われたエルフか。
 このエルフが、あやつに編んでやった封じの護符など持っておるのか。

 簡単だ。
 大方同情でもしたのであろう。

 エルフはまだ困惑していたが、素直にわしの言う通り一歩右に避けた。

 残念。

 意地悪く笑うわしの前で、

「あっ〜〜〜〜〜〜〜べしっ!」
「ひでぶ!」
「うわらば!?」

 転移陣から後続が落ちてきた。

 欲の皮を突っ張らせて森に踏み込み、まんまとサキュバスの虜にされていた人間どもだ。
 揃いも揃ってちんこ丸出しの格好で、どさどさと降ってきては賑やかな悲鳴と罵声を上げていた。

 ふむ。
 時間差が生まれたのは、位置の問題か?
 転移陣は広範囲複数人に作用するが、多少大味になる。
 あやつが護符を剥がした際、最も近くにいたのがエルフで、人間たちからは離れていたという事だ。

 全く、さっさと契約すれば良いものを何をぐずぐずしているのか。
 押しの強さを身につけるべくコマせと申したが、あやつにはまだ早かったか。

「良かったな。もう少し遅ければ男盛りエルフ添えの一丁上がりだったぞ」

 ぽかんと呆気に取られているエルフに笑いかけ、こんもりと出来上がった裸体の山を眺める。

「な、何だ畜生! 一体どうなってんだ!?」
「ひいい、生温かい! 男の温もりが! 直に! 肌から! 伝わるっ!」
「第二の故郷として、骨を埋めるつもりでいたんだがなぁ……」

 未だにぎんぎんにナニをおっ勃てている辺り直前まで搾られていたであろうに、元気な事よの。

 わしは揉みくちゃになっている男たちの山を、目分量でざっと数えた。
 ざっと二〇といったところか。

「……ふむ、爆釣である!」

 かかったのが小物や外道ばかりであっても、釣果には変わらん。
 景気づけには頃合だ。

「あなた、何者?」

 からからと笑っていると、エルフが妙に硬い声で訊ねた。

 呆けていたエルフは、我に返るとわしへの警戒を強めて身構えている。
 さもありなん。
 美少女にして転移陣を操るわしの才能に慄いておる。
 力を持ち尚且つ未知の存在となれば、どのような者でもまず真っ先に警戒して然るべきだ。
 
 ……まあ、例外はいるが。

 緊迫した面持ちで見据えるエルフに苦笑いを返したのは、頭の中に浮かんだその例外の所為だ。

「我輩は魔女である。名はない。呼ぶ際には魔女ちゃんと」

「魔女ちゃん」

 搾りかすの一つが口を利いた。

「☴☳」

 エルフに笑みを向けたまま、わしは指先を搾りかすに向けた。

「ひぎぎぎぎぎぎぃーっ!」
「お、お、お、お頭ぁー!?」
「ひでぇ! 潰れたトマトみてぇだ!」

「気安く口走ったりするとああなる。判ったか?」

 鶏を絞めるよな絶叫を背負い、エルフに優しく微笑み小首を傾げた。

 エルフの青い瞳が揺らぎ、無言のまま全身をぶるりと一度震わせた。
 恐怖は理解に易い。
 エルフも搾りかすも共に良く理解した事であろう。 

 わしが何者かを理解した為か、エルフは怯えたもののすぐに怒りとも憎しみともつかぬ灯火を目に湛えた。
 緊張しきっていた身体がわずかに緩み、腰が沈む。

 不倶戴天の敵同士であるダークエルフには及ばぬが、わしら魔女も真っ当なエルフと出会えば肩を組んで笑い合い家に招かれ一杯、などという間柄ではない。
 このエルフの反応はわしにとって良くある事で、まあ妥当なところだ。

「あなたは――」

 滲み出る敵意を自ら持て余すように、エルフが口を開いた。

「MBの、知り合い?」

「如何にも。何の因果か知らんがな。お陰であの阿呆を連れて世界旅行だ。飲まねばやっておれんよ」

 敵意は隠し切れぬようだが、敵意すら覆い隠して腹の探り合いをするよりもずっと判りやすくて良い。
 嫌いな者はどこまで行っても嫌いな者だ。

 わしは水筒の酒を呷って、エルフの様子を観察する。
 敵対する理由と、それを留める理由とで板ばさみだ。
 MBの知り合いという時点でわしへの敵意を収められるか。

 惚れられたな?
 よくやった。
 折角だから、どの程度かわしが調べてやろう。

「ほう。魔女となれば目の色を変えて襲ってきそうなものだが、自制が利くではないか。
 エルフは総じてカマキリのようなものと思っていたが、犬に格上げしてやろう」

 じろじろと白い肢体とエルフ独特の身なり格好を値踏みして、わしは鼻を鳴らして嘲笑ってやった。

 エルフの硬い頭がかちんと響く音がわしにも聞こえた。

「……カマキリ?」

「その通り。近づけば相手の力量も推し量らずにまず噛み付いてくる。噛み付く前にまず吠え掛かってくるだけ、犬の方が幾らか知恵があろうよ。違うか? ん?」

 第一自らを上等な存在と信じて疑わぬような輩に、ろくな者などいやせん。
 あやつは、阿呆で甘ったるくて女と見ればすーぐ鼻を膨らませて乳に顔を埋めたりするような奴だが。
 故に、ある事ない事吹き込まれておかしな方向に育っても困る。
 わしを見習い真っ直ぐと育って欲しいものだ。

 エルフはわしの挑発に、じわりと気色ばんだ。

 来るか?

 武器らしきものは持たぬが、脚力を生かして飛び掛ってくるつもりか。
 転移陣を見せ付けた後で魔術戦を挑んでくるほど馬鹿ではあるまいし、その距離でもない。
 少しばかり痛い目に遭わせてくれようか。

 が、するりと腰を落としはしたものの、睨みつける以上の行動は見せなんだ。

 ほう。
 良く自制が利くではないか。

 わしはにやにやと笑い、突けば弾けそうなエルフをさらにつついてやる事にした。

「とは言っても? 犬の中にも誰彼構わずきゃんきゃん吠えるしか能のない駄犬もおるが?」

「……」

 石化の魔眼を持つメデューサにでもなったつもりか、エルフは眼差しに敵意と嫌悪をたっぷりと塗りつけ睨めつけてくる。
 わしは襟口をぱたぱたと煽って見せてやった。

 くけけ。
 こちょばいこちょばい。

「そう熱烈に見つめた所で、わしの身体に穴が増えたりはせんぞ?」

「……どうかしら。この際風穴の一つや二つは開けてしまった方が、新鮮な外気を取り込めていいんじゃないかしら」

 エルフはわしが思っていた以上に穏やかな声音で微笑んだ。
 真っ赤になって喚き叫ぶかと思っていたが、青白く静かに怒りを湛えている。

 ほう。
 冷静に怒れるとは中々やるではないか。

「わしを心配するなど片腹痛い。まずは自分の中身でも心配してはどうかな?
 見てくれだけを繕うとも立ち枯れ中身がすかすかになった木というのは、打てばさぞかし良く響くであろうよ」

「あなたは打てば響くどころか、裂けて中身がこぼれ出てきてしまいそうね?
 その小さな身体に、随分みっちりと溜め込んでいらっしゃるようですもの。どろどろの脂とか」

 目が語っておる。
 わしが嫌いだと、明確に。

「くけけけけけ」

「うふふふふふ」

 わしらは互いに声を出して笑いあった。
 相手のはらわたがぐらぐらと煮えくり返っているのが良く判る。
 ひしひしと肌に突き刺さる敵意が、ほどよい塩梅だ。

 エルフにしてはましな者にあたったようで、わしとしても何よりだ。
 女の敵意に歯止めをかけるほどとは中々のものだ。
 あやつは一体この女の耳元でどんな言葉を囁きおったのか。
 どれ、少しばかり覗いてやるとするか――

 わしはじっとエルフの青く静かな怒りをたたえた瞳を見つめて、その奥に焼きつく情報を読み取る。

『魔女殿に出会ったら』

 ふむん?

『平穏にな』

 ……。

 エルフの目に残ったあやつの姿と声に、わしの意地悪魔女の顔を剥ぎ取られてしまった。

 何を言っとるのだ、あやつは。
 あれか。
 目を離しておる間に、わしがこのエルフを虐め倒すとでも思っているのか。
 さながら姑のように。
 誰が姑だ。
 それともあれか。
 子守り気分でおるつもりなのか。
 目を離せば何をしでかすか判らんと?
 見上げる位置関係ではあるが立場は全く逆だ!

 エルフが視線を下げた故に、あやつの惚け面はふいと途絶えた。
 エルフの瞳に残ったあやつの姿は、いまいち何を考えているのか判らん――どうせ何も考えておらんのに違いない――印象そのままだった。

「……はぁ。納得出来ない事はあるけれど、あなたと争うつもりはないわ」

 唇を尖らせ、まだ怒りは晴れなんだようだが、短気を起こさず丸め込んだ。

「ならばこちらにも理由はないな」

 白けた。
 と言うよりも、目の前のエルフとは別の当たり口を見つけた。

 どうしてくれようかあの唐変木め。

「さあ、張った張った。魔女とエルフの喧嘩、どっちが勝つか……って、あん?」
「いやー、なんだか知りやせんが喧嘩にゃなりやせんでしたねぇ」
「はーい、賭けはしゅーりょー。お流れお流れ」

 わしらから離れた人間たちが、何やら喧々諤々と言い争いをしておった。
 拾った石を掛け金に見立て、わしらのいがみ合いで賭けをしていたらしい。
 なんともまあ図太い事だ。

「神経が太い事よな。人間の図々しさを見ておると、魔物が可愛く見えてくるわ」

 賭け事に使う金欲しさに、親に嫁に子まで質に入れてしまう宿六の見本市でも見せられた気分だ。
 とうとう白け切ってしまったが、あやつへの怒りはしっかりと心の閻魔帳に書き連ねておいた。

 わしに同意したがそれを口には出来ぬエルフと共に、じろりと半眼で睨みつける。
 宿六どもは打ちひしがれた犬のように肩を狭めて縮こまった。

「これじゃ賭けにならねぇじゃねぇか! 期待通り血みどろの女の戦いしろよ!」
「お、お頭。あんまり刺激すると俺たちまでとばっちりが」
「失う物がないと判ると、幾らでも強気になれるもんだなー」

「☴☳」

「ちんこがっー!?」
「痛い熱い痛い熱い」
「……焼きソーセージ食いてぇ」

 搾りかすのちんこをミディアム風にローストしてやった。
 咽喉元過ぎれば熱さを忘れる辺り、復元の魔術をつい省略してやりたくなるな。

 よほど大事なのか、自前のムスコを押さえて内股になった男どもに、わしはにっこりと優しく微笑んだ。

「レアがいいか? それともウェルダンか? 事前に申し立てれば焼き加減ぐらいは考慮してやっても良い。
 それが嫌なら股間のお宝を後生大事に守ってとっとと失せよ」

 わしの恫喝に、人間たちは棒と玉を縮み上げてすごすごとその場から去っていった。

「――」
「返事がない。生きる屍のようっす」
「さて。田舎にでも顔出すかなぁ」

 白目を剥いて気絶したローストちんことそれを運ぶ者どもを最後に、大人しく全員立ち去った。
 
「……はぁ」

 妙に力の入った尻が茂みの向こうへと消えるのを待ってから、わしの隣でエルフがため息を一つ吐き出した。

「どうした。ため息などついて」

「今まで、ああいった者たちと日々しのぎを削ってきたのかと思うと……なんだか情けなくなってきて」

 その気持ちは判らんでもない。
 搾りかすの萎びたちんこどもだが、奴らとて森に立ち入る以前に財宝がないと判れば、もう少し別の欲っけを出していたであろう。
 それすらないのは、身ぐるみ剥がされ気力を失っていたのと、賢者の知が宿っておったからに違いない。
 男は溜め込むより、出すもの出した方がおつむの方もすっきりとするものだ。

 常々思っていたが、国策をひねり出す議会などでは、どいつもこいつも脂が抜け切るまで浮世を漂ってからの方が良い。
 その方がエゴのままぶつかり合うよりも、よっぽど建設的な案が出る。
 頭の硬い者どもは、定期的にサキュバスの餌食にでもなれば良いのだ。

「……あれ?」

 わしが新たな王国法の一つに挙げるべきか否か頭を悩ませていると、そのような声を聞いた。
 エルフが何やらきょろきょろと辺りを見回しておる。

 目当ての者がいない事に、今更になって気がついたか。

「何だ。あのちんこどもに未練でもあるのか」

 判っていたが、わざとからかってやる。
 自制は利いても溜め込んではいかん。
 適度な猥談もこなせぬようではいつまで経ってもおぼこよ。

 相変わらず免疫どころか著しい拒絶反応と共に、エルフは大げさにたじろいだ。

「そんな訳ないでしょ! 彼が――MBが見当たらない事くらい、あなたにも判るでしょ?」

「判って言っとるのだたわけ。冗談も解さぬとは、エルフはどいつもこいつも頭が硬くて困る。
 硬い所が柔らかくなるまで突き解されなんだのか? 下から突き上げられたか、上から突き下ろされたかは知らんがな?」

 その辺りも読み取ってしまえば話は早い訳だが、なんでもかんでも先読みしてしまうのはつまらん。
 特に色事となれば、ねっとりぎっとりじっとりと尋問を繰り返し、相手の口から言わせるのが楽しいのだ。 

 まあ言葉責めのようなものだ。

「……」

 黙秘か。
 よろしい。
 あの阿呆も使い後でとっくりと問い質してくれよう。
 訊けばぺらぺらと喋るあやつに、慌てたじろぐ姿を見るのが今から楽しみだ。

 不満顔に睨むエルフにくつくつと咽喉の奥で笑い返し、わしは親指を立てて背後を指差した。

「あやつなら、ほれ。今もあそこにおるわ」

 エルフの視線がわしの背後へと伸びる。
 わしの手を、次いで背後の木を、そしてさらにその上に昇り始めた朝陽へと。
 稜線の向こう側よりこぼれ、木々の枝葉より差す日の光を遮っているものに気がついたか。
 ぽかんと口を開けて見上げるエルフの姿は、有体に言って間抜けだった。

 取り澄ましてはいても、その表情を剥ぎ取れば大体このようなものだ。
 人間であろうが魔物であろうが、驚愕に放心する様は皆一様。
 エルフが呆ける様子を肴に、水筒に残った酒を呷った。

 さらりとした飲み口にほのかな甘みが舌に残った。
 舌に慣れた甘くてとろみのある蜂蜜酒ではない。
 この森の動物が蓄えた椎や木の実が、自然発酵して木のうろに溜まっていた猿酒だ。

「……あそこに?」

 目にしたものが信じられんのか何度も瞬きを繰り返し、驚きが抜け切らぬままに訊ねてきた。

「ぐぇっぷ。あそこだ」

 げっぷの際に口端から少しこぼれた酒を拭う。
 上等な上澄みを頂戴したが、動物にくれてやるのはちと惜しい。
 蜂蜜酒には負けるが、これはこれで味わい深かった。

 ユーリス。

 それが名なのか。
 エルフの唇が声にならない言葉を呟くのが見えた。

 身内か顔見知りか。
 まあそんなところだろう。
 わしはエルフが見上げているものを振り返り見上げた。

 得た精を魔力に換えて巨大に膨れ上がったサキュバスが、天を突くほどの威容を整えそびえ立っていた。
 当の本人ではなく、魔力で生み出した淫魔の類が群体となっている。
 あそこまで大きくなれば性交に不具合が出ようから、巨大化はサキュバスに向かんのだ。
 物理的に強大にはなったが、魔力運用としては素人だ。

「食べ盛り育ち盛りか。随分とまあ精をつけたものよ」

 短時間で育てたあやつの精か、短時間でここまで育つだけに搾り取ったサキュバスの手管か。
 ここ一週間ほど溜め込んでおったからな。
 睾丸が空になるまで搾られたであろうよ。

 全く。
 この可愛いわしの誘いを受けんから、こんな事になるのだ。
 湯に浸かるぷにぷにのわしを前にしてあやつめ。 

『取り立てて、何も』

 だと?
 いらっ。

 腹の虫がいささか暴れたが、猿酒で宥めた。
 わしが胃に酒を流し込んでいる間に、エルフを模した淫魔像は、巨体に見合った緩慢な動作で前へと傾く。
 淫魔像の前に、また別の淫魔群が森を貫くように集まりそそり立ってゆく。
 実に見慣れた形を模していった。

「なんと立派な事であろう。確かにあそこまで育てば、それに見合った大きさが必要だな。
 並みのモノでは挿入感を楽しむ所か、入ったかどうかも判らん」

 淫魔の群れが新たに模したるは、塔の如き巨大な――ちんこだ。
 すでに勃起済みで準備万端整っているとまできた。

 中々粋な余興のお陰で苛立ちは収まったが、その代わりなのかエルフがむず痒そうな顔つきでわしを睨んでおった。

「何だその目は。あれはどう見てもちんこであろう」

 朝陽を浴びてそそり立つ巨ちんを指差した。
 あれもある意味朝勃ちと言えよう。
 朝っぱら元気とは大変よろしい。

「……そ、それは。そうなのかも、知れないけど」

 エルフは顔を赤らめたりなんぞして、まごまごと落ち着かない様子。
 誰に憚る事無くはっきりと見れば良いのに、視線をあちらへふらり、こちらへふらりと彷徨わせている。

「カモもカリもあるか。ペニス。一物。おてぃんてぃん。腰を振れば山を砕き、情熱溢れれれば白く粘っこい大河が生まれるであろう。
 だがどれほど巨大であっても、ちんこはちんこだ」

「……はぁ」

 わざわざ説明してやったというに、エルフは呆れたため息を一つ吐き出した。

 煮え切らん奴だのう。

「初心なねんねでもあるまいに。今更ちんこの一つ二つで言葉を失ってどうする。
 かつて増長しまくった人間が、天にも届く塔を建造し神の怒りを買ったが、今回はさてどうであろう。神のいかづちを浴びたショックで天を孕ますやもしれんな。
 ぐらいは言えんのか?」

「……」

 ぬ。
 もしやあやつめ。

「ところで、ちんぽと言った方が卑猥さが上がると思わんか?」

「あなたとっ、一緒にしてもらうのはっ、困るっ」

 ちんこやちんぽといった単語に過剰なまでに反応する態度。
 この初々しさに、ころりとやられたのではないか?

「こちらの台詞だ。いつまでも初々しい気分でいられると思うな!」

「どうしてあなたが怒るのよ!?」

「その初心さにころりとやられおったのかと思うと、無性に腹が立ったのだ!」

『取り立てて、何も』

 あれはつまり、わしがマンネリだと言っておったのか。 
 ではなにか。
 わしが今更このエルフのような態度を取れと申すのか?
 ベッドに上がり着崩した格好を毛布で押さえ、恥ずかしいから明かりは消してね、などと赤くなりながら言えと申すのか。
 あまつさえよがる声を毛布など噛みながら堪える中で、息遣いだけで楽しみたいというのか?
 どんな羞恥プレイだ!

 だが暗闇、というのは案外良いやもしれん。 
 今度目隠しでもしてやろう。
 うっへっへっ。

「今は、あの子を――MBをどうにかしないと! あなたなら出来るんでしょ?!」

「ん? ああ。まあ出来るぞ」

 売り言葉に買い言葉か、勢い良くまくし立ててくるエルフをぞんざいにあしらった。

 いかんいかん。
 ちと涎が垂れた。

「だったら――」

「馬鹿を言え。ようやく餌にありついておるのだ。あやつまで呼び戻せば暴れだすに決まっているであろう」

 袖で口元を拭い、楽しみな拘束プレイはひとまず脇において、尚も言い募ってくるエルフの言葉を遮った。

「え、餌?」

「獣の食事を邪魔すれば怒るだろう。サキュバスも同様に性交の邪魔をすれば怒り狂う。
 行った所でぬしにはどうにも出来ん事は判っておるんであろ? ならば大人しくここで見ておれば良い」

 行ってどうにかできると思っていれば、ここでぐずぐずと二の足を踏むような真似はせんだろう。
 どうして良いか判らぬから落ち着きをなくし、怒りっぽくもなる。
 わしの物言いが堪えたのか、エルフは何かを言い出そうとしながら、言葉を飲み込んだ。
 そのまま萎れたように俯いてしまう。

 浮き沈みの激しい奴だのう。

「見よ。まるで太古の女神が大地と交わるような雄大さではないか。神話のごときこの光景を目に出来るというのも、得難い経験の一つと言えよう。
 だが騎上位」

「……」

「おお、一気に根元までずぶりだ。あれは堪らんなぁ。相手に楽をさせる姿勢ではあるが、慣れるとこちらで主導権を取れる。泣き叫ぶ様をたっぷりと楽しみながら責め抜く事も出来よう。
 故に騎上位」

「……」

「おお、淫魔の分際で中々小洒落た腰使い。淫魔故にか? 大胆にして淫靡な動きは実に参考になる。
 空腹は最大の何とやらと言うが、男女の交わりも似たようなものだ」

 飢えていればいるだけ貪欲になる。
 それ故に。
 それと気づかず針を咽喉の奥まで飲み込む。

 罠は三重。
 範囲は中心。
 基点はあやつ。

「もうやめて……」

 無力感にでも打ちひしがれておるのか、俯いたままゆるゆると力なく首を振るエルフ。

「安心しろ」

 半日かけて森中の地脈に張り巡らせた魔力網を、かちりと石突で打つかのようなこの感覚。
 掛かった。
 わしは天を突く程の大きさにまで育ったサキュバスを見上げて、にやりとほくそ笑んだ。

「乱痴気騒ぎは終わりだ」

 あやつの身体に仕込んである抗魔網が発動した。
 サキュバスが底なしの性欲のままあやつの精をむしゃぶり搾り尽くしたところで、精力増強にと魔力を流し込んだが百年目にして運の尽き。
 咥え込んだつもりが咥え込まれておったという訳だ。

 撒き餌を引き上げ針付きの餌しかないと決まれば、釣り上げる事は初めから決まっているようなもの。
 河川であろうが入れ食いの釣堀であろうが、罠にはめて釣り上げるこの快感は同じ。
 大物となれば尚良しだ。

 淫魔像は巨体を震わせ、その姿は絶頂しているようにも苦しみ悶えているようにも取れる。
 無論、今回は後者だ。
 その蓄えに蓄え膨れ上がった魔力、余す所なく頂くとしよう。

「☷」

 必要な鍵となる呪は短くて済む。
 転移の陣と同じだ。
 サキュバスの支配力が途切れ、女の形を維持出来ずに不規則に蠢く淫魔どもを、三つの特大結界陣で閉じ込める。
 光り輝く呪詛の陣が包み込み、あるべき姿へと分解していく。
 すなわち、ただの魔力へと。

「……な、何が」

 起きているのかと、傍らに立つエルフは朝陽に溶け行く淫魔を見上げて呆然と立ち尽くしている。
 わしは説明するのが面倒だったので、ちょいちょいと手を振った。

「わしの背後におれよ? 折角エルフのまま永らえたのだ。魔力に当てられサキュバスと化したくはなかろう」

 エルフは目を白黒とさせながらも、わしの言葉に従った。
 背後で肩を縮めたところで、こちらも遠慮はいらん。
 ディナーの時間だ。

 空気の抜ける風船のように巨体を急速に縮ませながら、その抜けた中身を吸い寄せる。

「待たされたお陰ですっかり腹ペコだ。存分に味わって平らげよ!」

 わしは頭の上の帽子を叩き、外套を翻す。
 わしの引いた魔力経路を辿り津波のごとく押し寄せる魔力を、それぞれが大口を開けて食らいついた。

 がつがつと、ずるずると、わしの帽子と外套がサキュバスの魔力を旺盛に貪り食らう。

「ははっ! 財宝と謳うだけあり、中々上質な魔力を蓄え込んでおるではないか。幾らでも入るな!」

 そもそも、エルフが人間の欲しがる金銀財宝など蓄え込んでおるはずがない。
 価値観を共にしておる訳がないのだ。
 人間にとっては当てが外れようとも、わしにとっては宝の山だ。
 わしの研究に、魔力はどれほどあっても困らんからな。
 ちとサキュバス風味ではあるが、わしの口どもは好き嫌いはせん。 

 吸い寄せた魔力を最後の一滴までこぼさず、ずるんと飲み込んだ。
 大食らいにかかれば、物の数一〇秒と掛からぬ朝飯前だ。

「……ふう。ご馳走様だ」

 後に残ったのは、朝を告げる小鳥の囀りと木漏れ日差す静かな森の景色。
 この地に巣食っていた魔力はそっくりそのまま頂いた。

「おお。もう夜が明けていたか」

 差し込む光に目を細め、帽子を被り直した。

「さて。何を呆けておる。行くぞ」

 わしは背後のエルフを手招きし、先に歩き出した。

「行くって……どこへ?」

 まだ何が起きていたのか良く判っていない様子だが、エルフもふらふらとわしに着いて歩いてくる。

「わしはあやつを迎えに行かねばならん」

 転移陣はもう使ってしまったしの。
 それにひょいと呼びつけるよりも、時には自ら赴いた方が有り難味も出る。
 
「ぬしにもおるであろ。迎えに行くべき者が」

 エルフの手に浮かび上がった刻印。
 淫魔が造り上げたエルフと似た虚像。
 立ち入る人間どもをただ打ち払うだけの徒労。
 森の中心にある魔界と見紛う景色。
 それらを重ね合わせて思案すれば、大体の察しはつく。

 察しはついたが、事情を聞く気などさらさらない。
 サキュバスが溜め込んだ魔力は頂戴した。
 後の事など、正直言っておまけのようなものだ。

「そんな者はおらんと言うなら別だがな」

 わしは背後を振り返る事無くさくさくと森の中を進んだ。

 全く。
 折角わしの編んだ護符を剥がして、このエルフに渡すなど。
 刻印に選ばれたエルフに同情したのか。
 全くもって甘ったるい奴だ。

 甘ったるいが、その甘さを許せた。
 少なくとも、他人の痛みを想像し、同情出来るだけの心の機微が芽生えておるという事。
 痛みに疎いあやつにしては、上等な感情だ。

「……」

 言葉なく進むわしの背後から、押し殺した沈黙と草を踏む足音が着いてきた。



 かくして。

「魔女殿」

 森がぽっかりと開けた場所に、あやつがいた。

 エルフのような格好をして、両腕に黒衣を被せたエルフを抱いている。
 魔力吸収陣と共に編み込んでおいた束縛呪が働いておるのを見る限り、あれがサキュバスのようだ。
 外套の端より触手の先が隠れきれずにちらついておった。

 急速な魔力の増幅と枯渇で気を失っているのか。
 ま、死ぬような術は編み込んでおらんのでその辺りだろうよ。

 あやつはわしを見るなり、サキュバス化したエルフを抱いてわしの元へと足早に近寄ってくる。

「おはようござ」

「☱☳☶」

 挨拶代わりに炎呪を一発。

「います。熱いです」

 口から黒い煙を吐きながら、あやつはわしの前までやってきた。

「うむ、おはよう。そのエルフを取り落としたら強めに呪ってやろうと思ったが、企みが外れたな。いやはや、残念だ」

 姫の如く女を抱き上げたなら、男はなにがあろうと倒れてはならん。
 頼り甲斐を見せたなら、どれほど無様に見苦しかろうとそれを貫き通すのが男の本懐というものだ。
 やせ我慢や、膝が笑っているのは許す。

 あやつは顔を真っ黒に焦がしているが、復元の術も仕込んであるゆえ命に別状はなく、ただ煤が残っているだけだ。

「いつも通りで安心しました」

 あやつは抜け抜けとのたまった。

「こちらはいつも通り過ぎて残念だ。わしの炎呪を食らって肩をびくっとさせる程度か。肝が座っておるのか鈍いのか」

「両方でしょうか」

「冴えておるな。わしが顔を洗ってやったお陰だな」

「ありがとうございます。乾き過ぎるのが難点ですが」

「髪に櫛を入れる手間が省けたであろう。アフロにも中々味がある。その縮れ具合、上下お揃いだ」

「そういう事は思っても付け加えないで下さい。シーリスが引いています」

「あん?」

 聞き慣れぬ名であったが、おおよそエルフの名であろう。
 こやつの視線を追った振り向けば、確かにあのエルフが声を掛け難そうにぽつんと佇んでおった。

「シーリス。ユーリスを頼む。意識を失っているだけだ」

「……うん」

 あやつはすたすたとシーリスとやらの前まで行くと、二人で気を失ったエルフを丁寧に地面に横たわらせた。

「けど、貴方は、その……平気なの?」

「慣れている」

 サキュバスに搾られる事、わしの炎呪、その両方であろうよ。

「そ、そう……大変、なのね」

「そうだな」

 二人揃ってわしをちらちら見るでないわ。
 これほど愛らしい美少女に対し、魔物でも見るような目で見おってからに。

「全てが全て元通りとはいかなかったが、何とかしてみた」

「おぬしが二割、わしが八割と言ったところだがな」

「森の景色も戻った」

「メインデッシュに付いたサラダのようなものだ」

「そういえば腹が減りましたね、魔女殿」

「魔力的に満たされても、物理的に腹が膨れるわけではないからの」

 わしとあやつの腹の虫が揃ってぐぅと鳴きおった。
 生きていれば腹の一つ二つは減る。
 が、朝食の前にやっておく事があった。

「来い、MB」

「はい」

 封印の護符を手放しておる故にこやつの精気が駄々漏れだ。
 シーリスとやらが精に当てられず、もう一方が未だ気を失ったままなのは、わしの護符と術の影響だろう。

「脱げ」

「はい」

 上半身をはだけて、胸元を露にした。

 あやつの胸にはサキュバスの刻印が刻まれている。
 魔王の魔力に当てられたものではなく、サキュバスが直接刻んだ刻印だ。
 極上の精も、魔物を引き寄せる体質も、全てこれがある故。
 本来ならサキュバスのつがいになるべく男をインキュバスへと変えるものが、不恰好に崩れた形と共に、今もあやつの骨肉の一部としてそこにあった。

 一生を快楽と共に過ごす事も出来ねば、真っ当な人間としても過ごせぬ。
 不揃いでどっちつかずで中途半端な、人間にも魔物にもなれなかったなり損ない。
 それがこやつだ。

【☵☷☵――】

 洩れだす精気を留める為、呪を編む。
 わしと帽子とマントの口からそれぞれ溢れた言葉は呪を孕み、文字となって浮かび上がり絡みつく。
 呪を編みながら、ぼんやりと佇む男をじろりと睨み上げた。

「本性を晒したな?」

 以前と比べ、サキュバスの刻印の崩れ具合が進んでおる。
 刻印の支配力を正しておかねば人にはなれぬ。
 絡んだ骨肉も歪めて人でも魔物でもないものへと傾く。
 返す返すも、厄介な運命を背負ったものだ。

「少しだけ、ですが」

「時間の問題ではない。以前そう申したであろう」

「はい」

「何故か?」

 あやつはぼんやりと見下ろしていた視線を、ちらりとわしの背後へ移した。

「必要だと、思ったからです」

 情にほだされたか。
 ほだされるだけの情があるなら上等よ。

「次はない」

「肝に命じます」

 これで説教は終わりだ。
 編み上げた呪を手で刻印の上に被せる。

【☶☳】

 皮膚に絡んで混ざり、新たな肌を被せるが如く刻印は消えた。
 護符の完成だ。

「無くすなよ?」

「はい」

 はだけた衣服を纏い直すあやつに、ふと意地悪な質問が思い浮かんだ。

「ところでMBよ」

「はい」

「確かわしは、エルフと人間以外の何かを見つけたら迷わず斬れ、と言ったな?」

「……はい」

「ぬしは斬れなんだな?」

 わしをじっと見下ろした後、ちらりとエルフに介抱されているサキュバスを一瞥した。

「ユーリスは半分サキュバスでしたが、半分はエルフです」

「それが斬れぬ理由になるのか?」

「はい。もしユーリスを斬れば、俺は魔女殿の言いつけを破ってしまいます」

「何故だ。逆ではないのか?」

「魔女殿のお言葉がユーリスを斬る理由になるなら、まず斬るべきは俺自身です。半分人間で、半分はそれ以外の何かです」

「ほお」

「死ぬなと言われていたのでそれは出来ません。だからユーリスも斬れません」

 こやつの言い草に腹は立たなかった。
 むしろ可笑しい。
 くつくつと笑いながら、ちょうど良い高さにある腹を叩いた。

「MBよ」

「はい」

「斬れない理由を必死に探したな?」

 子供っぽい理屈だが、子供は子供なりの理屈がある。
 足りない知恵を絞り、屁理屈までこねるようになったか。
 あのエルフたちを斬れないと、斬りたくないと思わせる何かを感じ取ったという事だ。

「申し訳ありません」

 こやつはあっさりと認めた。

「何がそれほど気に入ったのだ?」

 わしはそれを流して本心を問うた。

「……美しいものを見たのです」

 奴はエルフの姉妹を眺めてそう呟いた。

「それを、部外者の俺が割り込んで翳らせるのは、したくないと。そう思いました」 

「そうか」

 MBよ。
 それはな、憧憬というのだ。

 自分自身の感情に気がついているのか否か。
 わしは猿酒で咽喉を湿らせ、芽吹いた心の機微まで教える事はせなんだ。

 いずれ気がつくと良い。
 何もかも手取り足取り教えていては、己の頭で考えるという事もしなくなる。
 何ものに至るか、わしが傍で見ていてやろう。

「それで魔女殿。お願いがあるのですが」

 わしは手をひらひらと振った。

「ああ、判った判った。好きにしろ」

 願いとやらの詳細は知らんが、中身は大方察しがつく。

「ありがとうございます。では説明をしてきます」

 と、あやつはすたすたとエルフの元へ歩み寄っていった。

 男子三日会わねば括目せよか。
 よう言うたものだ。

 わしはその背を見送った。

 見える変化もあれば、見えぬ内に進む変化もある。
 この場に有り余る木のようなものだ。
 真っ直ぐに伸びるものもあれば、歪みながら伸びるものもある。
 年を経ても低いままのものもあれば、不細工な枝に美しい花をつけるものもある。
 実る事無く枯れていくものもある。
 いかように成長するかは己にも判るまい。
 だが、自らの伸び方で成長を始めた木を見ているのは、まんざら悪い気分ではなかった。

「甘いなぁ」

 これもまた成長だと思う事にしよう。
 苦笑いと共に、エルフと話すあやつを眺めた。



xxx  xxx



 魔女殿は俺のお願いを聞き届けてくださり、その足で森を出た。

「全く、甘い甘い。ミードよりも甘ったるくて胸焼けがしそうだ。ぬしは判っておるのか? 下手をすれば精を搾りつくされ金玉が赤玉でしおしおのぱーだったのだぞ?」

 森から離れていく間も、魔女殿のお叱りは続いていた。

「禁欲していたおかげですね」

 搾り取られてしおしおにならなかったのは、森に辿り着くまで一週間ほど溜め込んでいた為だろう。
 護符をシーリスに渡したあの時、数秒とかからず俺はローパーの幼生に似た触手に全身を絡め取られた。
 強制射精の嵐を受けた余韻で、疲労感と睾丸が縮んだような痛みが残っていた。

「なーにが禁欲か。たまたまであろうが。玉だけに」

「清純さに欠ける冗談だと思います」

「玉だけに」

「気に入られましたか」

「うむ。だがそれはどうでも良い。わしはな、何故危うく命まで取られそうになった相手の命乞いをしたのかと言っておる」

「ユーリスを元の姿に戻して欲しいとはお願いしましたが、命乞いという訳ではないと思います」

「ふん、同じ事よ。おつむがエルフのままあの姿で生きろと言ってみろ。世を儚んで自殺するのが関の山だ。それはぬしが良く判っていよう」

「はい」

 俺は半分は人間になったが、残り半分は今もなんだか良く判らないもののままだ。
 それでも人の姿になったおかげで、随分楽にはなった。

「それが嫌でした」

「ぬしがそう駄々をこねるから特別の呪を編んだのだ。折角たっぷりと魔力を得たというに、半分を使ってしまったではないか。
 だというのに、報酬一つ要求せんとはとんだただ働きではないか」

「ユーリスから魔力の半分は頂きましたので、無報酬という訳ではないと思います」

「馬鹿者。ぬしの事を言っておるのだ。この際エルフ姉妹のどちらかコマして契約を結べばよかったではないか。護符を持っておればサキュバス化の心配もなく中出し三昧だというに」

 俺はシーリスともユーリスとも契約をしなかった。
 理由は二人を嫌っていたからではない。

「身の安全を保証する代わりに身体を要求するというのは、なんとなく、卑怯な気がします。それに、俺も既にエルフの財宝を頂きました」

「ほう。何を得たというのだ」

「姉妹の絆です」

 シーリスはサキュバス化したユーリスを想って森を守り続け、ユーリスもサキュバス化して尚シーリスを想っていた。
 それが俺には眩しかった。
 俺に兄弟はいないが、だからこそ余計に眩ゆいばかりに美しく映った。

「あれに勝る宝はありません」

 確かに宝はあった。
 金銀財宝にも勝る宝で、それを持ち出すことは憚られた。
 シーリスにユーリス、どちらかと契約を結ぶ事で離れ離れにしてしまっては、あの美しい笑顔が翳るのではないかと思う。
 気がした。

「俺は今とても良い事を言ったのではないでしょうか?」

「だとしても、それを自ら問うては台無しだ」

 複雑な表情を浮かべて指で耳を掻いていた魔女殿は、大げさなほど大きなため息を吐き出した。
 呆れられてしまったというのは、俺でも判った。

「結局、わしの言いつけを守っておらんな。斬る云々については百歩譲って屁理屈を呑んでやるとしても、コマせず終いに変わりはないではないか。忘れたなどとは言わさんからな」

「忘れてはいません。積もる話があるでしょうから、後日改めて窺うつもりです」

 二人の内どちらかを選ぶ事が出来なかった。
 だから、契約の際は二人共選ぶつもりだ。
 二人が一緒ならあの笑顔は失われないはずで、つまりこれは姉妹水入らずというものだ。

 別に契約を諦めたつもりなどなく、ついでに言えば俺は欲張りだ。

「ほう。その程度に知恵は働くのか。些か心配をしたが」

「そこまでお人好しではないです。油断をした所でぶすりです」

「実際はずぶりだな。そういう事なら許してやろう」
 
「ありがとうございます」

 森から少し離れた平野で魔女殿は足を止め、俺も自然と立ち止まった。
 振り返って背後に広がる森を眺め、目にし触れてきたものを思い浮かべる。
 新たに出会った者たちと蓄えた経験と宿った記憶を思い返し、美しいエルフの姉妹を思い浮かべた。

 それらの一つ一つを大切に留め置いた。

「MBよ」

「はい魔女殿」

 魔女殿が手を差し出し、俺は手の平に収まるほどの小さな手を取った。




「今日は、懐かしの我が家へ帰るとしようではないか」


10/01/31 22:59更新 / 紺菜

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