連載小説
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えりかわモンブラン
1

 袖野禊は魔女である。
 タイトル通りに述べるならば、袖野禊はウィッチである。
 そして袖野禊は変態である。
 語呂を合わせるならば、袖野禊はビッチである。
 と、ここまで述べたことは大よそ僕が言いたかっただけで、より正確に袖野禊という彼女を表すなら、ウィッチでもビッチでもなく、メイジである。
 ただし彼女はメイジはメイジでもダークメイジであって、単なる魔法使いという枠組みには入っていないというのが一番正しい認識だろう。
 己の欲望が無意識のうちに顕現したもの……らしい。生憎と黒魔術の類には詳しくない一般高校生の僕には精々この程度の知識しかない。
 もっとも、彼女とのことを思い返すとその素養というか、素質、資質は具わっていたように思える。
彼女は魔法が好きだった。
 もしも魔法が使えたら、なんてことで雑談をするのはしょっちゅうあったし、それに対して僕が現実的な答えを返して渋面をされたことも一度や二度じゃない。逆にこうなったらいいな、なんて希望を口にすると、それはもう嬉しそうにしていたものだった。
 けれど、本当に魔法が使えるようになってしまった袖野禊に対して僕は一つだけ言っていないことがある。それは雲のようにあやふやで輪郭もぼやけているものだから口にできない。それは本当に幼子が夢見る魔法のようなものに思えてしまうからなおのことだ。魔法を使える本人の前で「実は僕も魔法が使えるかも」なんて口走ったところで、すっかり性質が変わってしまった彼女からは「あら、大切なものは私で捨てちゃったから三十歳になってもそれは叶わぬ夢じゃないかしら?」とか、酒場の空気が似合うド下ネタになって消えてしまうだろう。
 だから、これはきっとこれはずっと僕の胸の中に仕舞い続けられる魔法だ。
 いや、よそう。魔法なんかじゃない。きっとこれは、呪いだ。子どもな僕が彼女を縛り付ける呪いだ。胸が締め付けられそうなほどに、苦くてむず痒くてそして甘い。

 さて、遅くなってしまったが、このお話はどんなお話かと聞かれるとそれは禊と罪のお話だ。それは袖野禊と、僕の名前が襟川積と面白いくらいに対になっているから言葉遊び的にそう言ったのではなくて。
 僕は至って変化のない、刺激がない中学時代を過ごしてしまった。よく不老不死のキャラクターは退屈すぎると死んでしまう、なんてことを口にするが、年齢が三桁四桁違うであろう相手の気持ちを、たかが十五くらいの僕はわかったような気になっていた。
 それでも、高校に入ればと期待はしていた。
 結果として中学を卒業したからと言って僕に大した変革が訪れるわけはなかった。そのことに絶望こそしなかったけれど、軽く失望してしまった僕と袖野が出会って、そこから話は始まる。

2

 その席は常に空席だった。窓際から二列目、後ろから二番目の席。教師の目を盗んで携帯を弄るのにも、居眠りするのにも適した絶好の席には、なぜか主はいなかった。僕はその席の後ろ、つまり窓際から二列目一番後ろの席だったのだが、常に他の学生よりも開けた視界を獲得するに至っていた。おかげで僕は携帯を弄るわけにも居眠りするわけにもいかず、真面目に授業を受けるほかない(そのせいか成績はそれなりだった)ので、ぼんやりと勝手に空席の主を想像するという暇な遊びを時々していた。
 当時は入学してからそろそろ夏休みに入ろうかというところ。そこまで一度も姿を見たことないのだから、ひょっとすると大怪我をして長期入院をしているのかもしれない。もしくは病弱か、家に引きこもっているのかもしれない。そうなると身体は華奢なイメージがある。そして色白だろう。
 そんな感じで、偏見に満ちた妄想をたくましくさせていた。が、バリエーションもお粗末な想像力ではやはり限界があるというもので、やがて僕は明確に一人のイメージを具体化させていた。その方が考えすぎて疲れるということもなかったし、色々楽だったのだ。
 ロングで、女の子らしい可愛さがあるといい。そして色白。胸は……贅沢は言わないので性別の違いが判る程度で。
 そうして作られたイメージを、色んな理由をつけて冒険させたり青春させたり、よく中学生がするような、学校にテロリストが侵入してきたらどうするか?というような妄想をするのが、日課になりつつあった、ある日のことだった。
 僕は袖野禊と邂逅した。
 その日は目覚ましを一時間ほど早くかけていた。これは意図したものではなく、単に昨夜の眠気に耐えられなかった僕がうつらうつらとしながら目覚ましをセットした故のことだったのだが、どうやらばっちりと睡眠はできていたらしい。妙に冴え冴えとした頭で、ここ数年で一番の目覚めだった。こうなると二度寝するにもそんな気分にはなれず、仕方なく僕は早めの朝食をとってから学校へと向かった。
 さすがに本来の登校時間から一時間も早いとなると生徒も教師もほとんど姿は見なかったが、幸いに教室のドアに鍵はかかっておらず、僕はそのまま教室に入り、固まった。
 てっきり無人と思っていた教室に一人生徒がいたから――もちろんそれもあるが――何より、その生徒が空席の主だったから、僕が日頃妄想していた姿にそっくりだったから。
 最初は夢でも見ているのかと思ったが、抓った頬はじんと痛い。その痛みを伴ったまま、僕はまた固まってしまった。
 目が合い、なんと言えばいいのかわからなかった。幸いにして名前だけは知っている。唯一返事がない名前というのは逆に覚えてしまうものだ。
 が、初めて会う彼女になんと声をかければいいのかわからなかった。もしくは声をかけずにそのまま席に着こうとすればよかったのかもしれないが、ここで僕は自分の席を穴が空きそうなほどに凝視した。
 彼女のすぐ後ろの席なのだ。
 どうしたものか。
 そう迷っていたときだった。

「あなた、誰?」

 初めて聞く彼女の声は存外透き通っていて、それは下手をすればこっちがするはずの質問だと、軽々しく返答する度胸はあいにくと持ち合わせていなかった。

3

「つみ、ねえ。変わった名前なのね」

 禊に言われたくはない、とは思ったが口には出さない。

「どんな字を書くの?犯罪の方の罪だったら、面白いくらいに私と対極的な名前をしてるけど」
「積み木の積だよ。まあ負けず劣らず珍しい名字と名前だけど」

 一歩間違えればどこかのスネ夫くんだ。
あら、残念と呟いた彼女はそのまま黙ってしまった。どことなく気まずく、お互いに話のネタも早々に尽きてしまったせいで満たされる静寂というのは、正直辛いところがあった。
 そもそも今までまったく顔を出さなかった彼女がどうして今になって学校に来たのかが理解不能ではあったけど、そこを追求するのは明らかにプライベートな部分に踏み込んでしまうので、言い出すべきではない。ともすれば初対面の相手に気さくな態度でさらにお話をするなんて、そんな、高度なコミュニケーション技術がない僕は黙るしかなかった。
 視線の行き場に困り、かといってぼんやりと外を眺めるのも不自然かと思考が堂々巡りをしかけていた時に、

「ねえ、一つ聞きたいんだけど、いいかしら」

 そんな言葉が投げかけられた。

「はぁ……なに?」
「あなたって、学校は好き?」
「好きではないよ」

 なぜか、すらりと答えることはできた。

「即答ね。しかも意味ありげな」
「いや、嫌いじゃないけど、好きでもないっていうか。別に言葉遊びとかそんなんじゃないよ」

 言いながら、僕の頭の中にあったのは確かに好きでもなければ嫌いでもないたった一つの感想だった。
 つまらない。
 学校なんて、つまらない。
 みんな言われるまでもなくグループを作って、そしてはみ出し者はどこか意識の外へと追いやっている。話題は普遍に不変をこれでもかと貫いて、休み時間は姦しいどころかやかましい。
 あれをしろこれをしろと言っておいて、いざ自分のことは自分で決めろと言ってくる。もちろんそれはプログラムに組み込まれていないことは生徒の意思決定に委ねられると換言できるかもしれないけれど、じゃあ実際頭がいいやつが頭のわるい大学や進路を進められるかと言えばそうじゃない。きっと自発的にクラスで一番の秀才が底辺大学に行きたいと言ったところで、教師は突っぱねるだろう。
 良くも悪くも、学校はそういう場所だ。
 そんな中で、みんな何かを楽しもうとしているんだなとも、思う。恋をしたり悪さをしたり、規模の大小はあれど。ただそれは檻の中でどうにかして娯楽を見つけようとしているに過ぎないと思えてしまうのは、僕がまだ思春期特有の病気を卒業できていないせいだろう。
 けれど、その病気のせいだと納得したまま終わってしまうのは、悔しい。悔しいけれど、どうしようもない。

「まあ言いたいことはわかるからいいんだけど」
「あの、なんでこんなこと聞いてきたの?」
「学校に好きで通ってる人がいるのかふと気になったの。なんとなくよ、なんとなく」
「……袖野さんは、どうなの?」

 僕はちょっぴり気になって、聞いてみることにした。返って来る答えは、察しがついていたけれど。

「嫌いよ」

 大嫌い。そう付け加えた彼女の言葉はどこか儚げで、耳に不思議な余韻を残した。
 やがて他の生徒もやってくる時間帯になると、教室は静寂とは無縁の世界となった。意外にも彼女が登校していることに驚く素振りを見せる者はほとんどおらず、まるでこれまでずっと学校に通っていたかのように変わらない教室だった。
 いや、変わってはいた。どこかよそよそしい空気が普段よりも強く、何か寒気を感じさせる空気を纏ってはいたけれど、それが具現化することはなかった。あくまでも異物が少し紛れ込んだだけで、みんなそれをおかしいなとは思いながらも気づかないようにして平穏にやり過ごそうとしている、生々しい空気で。
 ひどく気持ち悪い空気だった。
 集団イジメの現場に居合わせているのに見て見ぬふりを自分がしている――そんな感覚が一番近かった。加わってしまっている。加担してしまっている。それが嫌で嫌で、極端に言えば虫唾が走って、僕は教室から逃げ出した。
 教室から出るほんの一瞬、彼女の視線と教室の空気が纏わりついたのは、気のせいだと思いたかった。
 逃げ出して向かった場所は、購買のちょっとした空きスペースで、僕はそこで自販機で買ったカフェラテの波紋をぼんやりと見つめていた。マーブルの波を見ているとなぜか自己嫌悪の波までやってきて、それを振り払うようにカフェラテを一気飲みした。
 彼女はそう言えばなんで嫌いな学校に、わざわざ来たのだろうか?ふと今まで浮かび上がらなかったことが不思議なくらいの、当たり前の疑問が今さら頭に過ぎったけれど、聞く勇気なんてものはなかった。
 そうして時間を潰して、授業が始まる五分前には教室に戻ると、彼女の姿は教室から消えていた。白昼夢みたいに。
 気になって近くの同級生に聞いてみると、

「さっき体調不良とかで保健室に行ったぜ?」

 とのことだった。お礼だけ言って、自分の席に戻ろうとする僕の背後から、ああいう子が好みかよ。なんて声が聞こえたけど、返事はしたくなかった。
 気になっただけなんだ。呟くことはせずに、心の中でそう自分に言い聞かせた。頭の隅で、奇妙なつっかかりを持った彼女を意識しないことは、無理だった。たかだか少し、しかも今日会話をしたばかりだったけれど、僕の中では彼女のことが色彩を持っていた。無味乾燥した日常でもなく、色彩を欠いたクラスメイトでもなく、彼女だけの色があると、センチになってしまったのかもしれない。
 たとえそれが特殊な属性や、物珍しさに起因するものだったとしても、僕にとって色は色だった。自分にそんなスキルがあるかどうかはわからないけど、また話をしてみたいと、そんなことを授業中に考えた。

「あら奇遇ね」
「ん?」

 そんな考えが今日中に叶うものだから、僕はピエロの如く間抜けな面を彼女の前で晒すことになった。
 学校の帰り道でまさかばったり彼女と出くわすとは思ってもいなかった。確かに話をしてみたいなとは思ったけど、叶えてくれるならせめて神様は僕の心の準備とかそういうものを加味してくれてもいいのではないか。

「袖野さんどうしてここに?」

 若干上ずった声で、僕は聞いた。

「どうしても何も私の帰り道よ」

 初耳だ、と言いいかけてそもそも彼女は学校に来ていなかったのだから初耳も何もないということに気づいた。口が閉じるまでコンマ一秒。

「同じ、というわけね」
「同じだったんだ」
「……」
「……」

 以上、会話終了という具合に話題が途切れ、なぜか揃った歩幅は僕が逃げ出すことを許してはくれなかった。どこまでも黙ってはいられないだろう、いや、そもそも無理して話すことが間違いなのではないだろうか?堂々巡りする思考を弄ぶうちに、彼女の歩みが止まった。
 気づけば交差点に差し掛かり、彼女は道路の反対側へ向かおうとしていた。

「それじゃあ、私はこっちだから」

 身を翻し、そのまま去っていく彼女の姿が一瞬揺らめいた。それを見て、僕の内側で何かが這った。腹の底から急速に這って、喉へ。気付けば僕は彼女を呼び止めていた。
 自分で自分に戸惑う姿に、彼女は怪訝な表情をして見せた。それが余計に僕を混乱させて、頭の中は滅茶苦茶になった。それでも言葉は飛び出したのは、度胸があるのか馬鹿なだけなのか、どちらなのかはわからない。

「あの、普段、学校に来ない間、何……してるの」

 きょとんとした顔が二秒ほど、次にひび割れてしまいそうな笑みが一秒に満たない程度。二つの顔を覗かせて、その後彼女は言った。

「明日朝十時、ここに来たら教えてあげる」

 鈴を転がすような声だった。
 やけに明瞭になって耳に浸透したその言葉よりも、僕は彼女の意外な表情のバリエーションに見惚れて、そんな顔もするのかなんて感想が胸の中を吹き抜けていった。
 去っていく彼女の後姿をいつまでも見ているのもみっともなく感じて、僕も恰好つけて(誰に対してだろうか)クールにその場を去った。
 帰り道を歩く中で、彼女の言葉を何度も反芻した。何か深い意味があるのあるのかもしれないと思って、咀嚼を繰り返すうちに味なんてしなくなってしまいそうだったけれど、それでも僕は言葉を噛んでいた。
 当然ガムでもないので、そもそも味がするわけなく、僕の錯覚だった。

「あ」

 そして、家の玄関に辿り着いてから僕はようやくある事に気づいた。彼女は明日の十時に交差点に来いとの旨を僕に伝えてくれたけれど、よくよく考えてみると。

「明日、学校だ」

 何気に無遅刻無欠席を貫いていた僕の記録が途絶えた、歴史的瞬間だった。

4

 彼女が待っている確証も無い言葉に縋るようで、情けないとも思ったけれど、それでも僕は自分の衣類の中からそれなりの格好がつくものを選んで待ち合わせ場所に赴いた。決してこれは青春真っ盛りの年齢の男女が二人で会うというシチュエーションに遅れて気づき、急にドキドキが止まらなくなったとかそういうわけでは断じてない。僕の名誉に誓って断じてない。
 自分に対する言い訳もそこそこに、交差点に到着すると案の定というか、まあ予想はした通り彼女の姿はなかった。馬鹿だな僕は、という実感が湧くと同時に身体から力が抜けて、空を仰ぐ。
 憎らしいほどにいい天気だった。
 どうしよう。今さらだが遅刻してでも学校へと向かうべきだろうか。いやしかしまた家へ戻るのはめんどくさい。いっそのことこのまま、どこかで遊び惚けてみるのもいいかもしれない。貴重な青春の一日なのだから、神様も文句は言うまい。

「……親は言うかもしれないな」
「厳しい親なのかしら」
「いやそうじゃな――」
「……どうしたの?びっくりした顔して」

 なぜかシニカルな笑みを浮かべた袖野禊が、傍にいた。

「いつから?」
「ついさっき」
「全然わからなかったけど」
「だって何か考え込んでる様子だったもの。声をかけるのも悪いかと思って」
「ああぁ、それは僕のせいだ、ごめん」

 素直に謝ると、気にしてない風に彼女は僕の言葉を受け流した。

「それじゃあ、行きましょうか」
「待って、行くってどこへ?」
「私の家」
「待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って」

 僕の十数年の中で、これほどまで高速で「待って」を続けたことがあっただろうか。早口言葉顔負けの速度だった。
 が、そんなことはどうでもよくて、いきなりさも当然のように飛び出たワードの刺激に僕はもうとにかく彼女を止めることで精一杯だった。

「安心して。何もないから」
「違うそうじゃない。いきなり何を言い出すんだよおい」

 キャラが崩れる云々を抜きにして僕の口調はとんでもないことになっていた。

「私が普段何をしてるのか、でしょう?基本的には部屋にいるから、部屋を見てもらった方が早いかと思って」

 何食わぬ顔で言ってのける彼女に、危うく僕の方がおかしいのかと疑問を抱きかけた。が、きちんと僕の常識はまだ形を保てていたらしい。数秒で我に返って僕は年頃の女子が男子を部屋に招くことがどういうことかを説明した。
 二時間もすれば昼になるような時間からこんなことをお天道様の真下で語ることになるとは夢にも思っていなかったが、僕の熱心な説明が功を奏したのか、彼女は一応の納得はしてくれたようだった。

「でもそうなると、私たちこのまま手ぶらで家まで戻ることになるけど、いいの?私は構わないけど、襟川君はそうはいかないんじゃない?今日は学校がある日だし」
「まぁ……そうなるかな。でもいいよ。流石に昨日出会った女子の部屋に入る勇気はないからさ」
「チキンって言われない?」
「今言われたよ」

 ケタケタと彼女は笑った。

「別に恥ずかしがらなくてもいいのよ。家に親はいるし」

 納得と折れるという言葉は同じ意味ではないということが、僕の辞書に深く刻まれた。結局議論の果てに、僕らは近くにある喫茶店でお茶をすることになった。そこでのんびりコーヒーでも飲みながら、彼女の普段の生活について話をしようというわけだ。納得と妥協が僕のなかで、類義語になった。
 僕はブルーマウンテンを頼み、彼女はキリマンジャロを頼んだ。実におしゃんてぃーにモンブランなんかも頼んじゃったりしながら、僕らは口を開いた。

「普段は部屋に?」
「大体ね。時々出歩いたりもしてるけど」

 モンブランを口に運びながら、彼女は言った。

「大抵の人は私みたいなのを見るとすぐに引きこもりだの、現代社会が抱える闇だのと言ってしまうけど」

 鬱陶しそうな目を泳がせながら、さらに彼女は言ってのけた。

「私からすれば、その闇も案外、居心地がいいと思うのよ」
「まあそれは否定しないけどさ」

 引き籠ることが現代社会の闇。よく耳にするご高説だった。若者を包む闇、環境改善の徹底を、ネット依存。まるで闇が、若者の方が悪いなんて聞こえてしまうけど、ならば。学校は光なんだろうか。
 あの空間は果たして、直視するのが耐えられないくらいに神々しい光なんだろうか。でも光じゃないとすれば闇になるわけで、そうなると彼女の闇が居心地がいいという言も自家撞着に陥ってしまう。
 結局堂々巡りになってしまいそうだったので、僕はこのあたりで考えることを止めた。

「でも、自分で言っておいてなんだけれど、居心地のいい闇ってなんでしょうね」

 止めてしまいたかった。

「たぶん、ロッカーとか、部屋の安眠球だけがついてるあんな暗さじゃないかな。どこか落ち着く感じがするっていうか」
「ああ、その喩えはわかりやすいわね」

 要するに居心地のいい闇とは慣れ親しんだ暗さをもったもののことだ。だとするならば、あの学校の闇を居心地がいいと感じるのは、慣れたくはない。

「あなたはあるの?」
「何が?」
「居心地のいい闇というか、暗さというか」

 そう聞かれて、僕は少し考えた。自分で「否定しない」なんて遠まわしな言い方をしておきながらなんだけど、即答できるほど明確な答えを持っているというわけでもなかった。喩えならすらすらと出てきたけど、いざ自分が落ち着くとなると話は別だった。
 僕は別に安眠球だけが生きているあの暗さが好きなわけじゃないし、ロッカーの暗さなんてホラーじみていて苦手だった。
 だから居心地のいいと聞いてぴんとくるものはすぐに浮かばず、少し考えてから、自分の部屋の暗さと答えた。
 聞き返してくる彼女に対して、僕はなんとか自分の思っていること、感じていることを伝えた。一番自分が長くいる場所だから、自然と怖いはずの暗さも落ち着くものになっているとか、そうでなくても一人でいられる空間というものが落ち着くのだとか。彼女はその一つ一つを興味深そうに聞いては、微笑んでいた。
 学校がある日に堂々とエスケープをきめて、僕は何をしているんだろう。
 振り返ると、それはとてもくだらないことで決めてしまったサボりではあったけど。単純ではあったけど。それは悪くないものだった。

「そういえば袖野さんって、自分の部屋では何してるの?」

 雑談もそこそこに、僕は頃合いかとみて本題に入ってみた。もっとも、そう面白い答えが返って来るなんて期待はしていなかったから、これも雑談の一部になっている節があるけれど。

「黒魔術」
「なんだって?」

 人間、いきなり聞きなれていない言葉が飛び出すと聞き返すらしい。

「髑髏とかを部屋に飾ってね、蛙を煮込みながら呪文を唱えるの」
「うんわかった。いや、わかってないけどちょっと待ってくれないかな」
「だいたいは悪魔を召喚するためなんだけどね。悪魔といっても結構種類がいるから」
「オーケー、ちょっと僕の『待った』を聞いてくれ。コミュニケーションをしよう」
「でも個人的にときめくのはやっぱりアモンよねえ」
「聞いてる?」

 一通り僕の理解の界隈の外のことをまくしたててから、彼女は意地悪な笑みを浮かべた。その笑みを見、僕はやっと自分がからかわれていたことを自覚した。
 途端にしてやられた気がして、悔しさやら自分でもよくわからない微妙な感情がせり上がってきたので、口の中の苦虫に恨みをぶつけることにした。

「ふふふ」
「ひょっとして袖野さん、友達いないから学校に来ないとかじゃないの」
「あら、友達がいたとしても学校には行かないわ」
「だろうね」

 まだ話しをして、そんなに時間は経っていないけど、彼女のことが少しわかった。動物なら間違いなく猫になっていただろう。よく遊ぶ芸能人は女性をよく猫みたいなものだと言っていたけれど、その言はどうやら根拠もないのに述べていたわけではないらしい。
 意外なところで立証された実例を前にして、僕は口を噤むことにした。僕の方から話題を吹っ掛けると、いいように弄ばれてしまう。

「ああでも、魔法に興味があるのは本当よ」
「ここの代金は僕が払うよ。学校でとても重要な用事があることを思い出した。急がなくちゃいけない。いくら?」

 財布を取り出して罪のない野口を生贄に捧げるまでにかかった時間は二秒未満だった。普段からこの俊敏さが欲しいところではあったけど、彼女の野口を戻す動作はそれ以上の速度だった。

「人を変人みたいに見るのはやめてくれるかしら。失礼よ」
「それ以外に分類できねえよ」
「あなたにだって、中学生の頃中毒のようにドハマりして、未だに続けてしまっていることの一つや二つあるはずよ」
「うっ」

 不覚にも謎の説得力を孕んだその言葉に反論する術を持っていなかった。彼女の冗談は結構くだらないことだけど、それについて回る続きというのは意外と人を納得させる力を持っている。
 妙な感慨に囚われかけて、危うくそこから先も彼女の言葉の牢屋に囚われるのかと思ったがそんなことはなかった。

「つまりあなたも変人ね」
「その論法はおかしい」
「そうかしら」
「……」
「どうしたの。黙りこくちゃって」
「こうして話にオチをきちんと用意している辺り、ひょっとして袖野さんって結構コミュニケーションスキルは高いんじゃないかと思って」

 僕の言葉に彼女は即答しなかった。ただ、少しだけ目を伏せてから、辛うじて「買い被りよ」という声が聞き取れた。
 それから小一時間程度、コーヒーのおかわりも頼みながら僕らは色んなことを話した。好きなアニメ、天気、どれもくだらない話だった。不思議と学校がどうして嫌いなのか、普段何をしているのかを話題にする気にはなれず、お互いの腫物に触らないようにする会話みたいだった。
 どちらからともなく、もう解散しようという空気になって、僕らはその喫茶店で別れることにした。
 普段と違う時刻に帰る道のりは、少し違う景色だった。活気も無く、気配もない。ただ居心地の良さだけは感じることができて、僕は首を傾げた。居心地のよさの正体を考えてはみたけど、正解が導き出されることはない。
 仕方ないのでそのまま帰る途中に、そういえば彼女は明日はどうするのだろうと思ったけど、確かめる術はなかった。これで彼女とコンタクトを取るのは終わりになるのか――そう実感した途端に妙な孤独感が胸の奥にあるのを見つけてしまった。
 家に帰って、学校をサボった理由を特に聞かれるでもなく自分の部屋に戻り、思ったよりもゆったりとした時間を浪費すると、外は暗くなっていた。見逃していたアニメをネットで見たり、iTuneで好みの音楽を漁っていたりするだけで一日が終わろうとしていたことを自覚して、彼女もこんな時間を過ごしているんだろうかと、ちょっとだけ思った。
 それと同時に、机に座って、周りの空気を敏感に感じ取ることが求められるあの時間がどれだけ狭い世界だったのかということも――要するに、彼女が言いたかったことが少しだけ、わかった。
 少し、ちょっぴり、ちょっと。
 赤ん坊が初めて歩く一歩と大差ない。
 そんな距離が、縮まったと思ってしまうのは、傲慢だろうか。
 メールアドレスを聞いておけばよかった。今さらの後悔に襲われたけど、過ぎてしまったものはどうしようもないことくらい、高校生の僕はわかっていた。

5

 朝、目覚ましで覚醒した僕はなぜか学校に行く気にはなれず、人生で二度目となる自主休校を実行した。
 ……だからどうしたという話で、朝から自分の部屋でごろごろするのも居心地の悪い気がしたので、僕は自然と私服に着替えて外へと繰り出していた。
 自主休校初心者の僕は、中途半端に残っていた罪悪感にへし折られるまではいかなくとも、腰を曲げられる程度には重さを感じていた。朝っぱらからゲームをしたりすることに、妙な後ろめたさを避けることはできそうになかったのだ。
 目的もない外出を諌めるかのような曇天ではあったけれど、家よりはよっぽど居心地はいい方だった。
どこへ行くかも決めずにぶらぶらと歩くのもつまらないと思った矢先、ふと僕の頭に昨日彼女と足を運んだ喫茶店が浮かんだ。
あそこのモンブラン、美味しかったな。
思い出補正は抜きにして、そう思い、そう思ってしまうと急に食べたい衝動が湧いてくる。怪しげな宗教勧誘はきっぱりと断れただろうけど、これには抗いがたかった。
 野口一人でもいれば余裕だろう。財布の中身を確認してから、僕は足早に例の喫茶店へと向かった。そういえば名前すらきちんと見れていなかったことをお店に辿り着いてから思い出した。『ノスタルヂイ』なんて小洒落た名前だったことにほへーと間抜けな顔を晒しながら入店して、僕はその間抜けな顔を見られた。
 袖野禊に。
 給仕服に身を包んだ袖野禊に、まじまじと。

「あら、二日連続で私の家に来るなんて、よっぽど気に入ってくれたのかしら」

 人間の表情筋がどこまで強張れるかの限界というものを、僕は知った。無理矢理自分の手でマッサージでもしないと解れそうにないそれは、しかしあっさりと軟化した。何か文句の一つでも言ってやろうとして、やめた。慣れないことはするもんじゃない。
 ただ僕の心の中には、してやられたという気持ちがあって、それと同時にまんざらでもないなんて、気取った風にしている自分もいることがなおさら悔しくて。
 何が私の部屋に来てみる、だ。この喫茶店が袖野禊の家なんじゃないか。
 席に座って、モンブランを頼むとあてつけがましいほどに甲斐甲斐しくそれを運んで来た彼女の所作というのは、これまた腹立たしいほど洗練されていた。スプーンで山を崩し、口に運んだところで

「ちなみにこの店のモンブランを作ってるの私なの」

 僕はモンブランを喉に詰まらせた。
 咳き込むのが早いか彼女がテーブルに水を置くのが早いかはいい勝負が出来そうだったが、つまるところ僕がこうなることも想定内だったということで。
 この小悪魔を成敗しなければならないという義憤も湧いたけど、それはモンブランを象った殺人兵器を無事に胃の腑に落とし込んだ頃にはとうに消えていた。丁度食べ終わると、今度は給仕服を脱いだ彼女が自分のモンブランを持って向かいの席に座った。
 ごめんなさいね、と視線で言われた気がしたので、謝るくらいならやるなよと視線で返事をしておき、僕は口を開いた。

「結局、学校に来ずに何をしているのかって話の正しいオチはこれでいいの?」

 家が自営業をしている場合、それの手伝いをすることなんてよくある話だ。

「勉強してるよりも、こうしてる方が楽しいもの」

 悪びれもせずに彼女は言った。そもそもからして、僕の勝手な期待が膨れ上がっただけと言われればそうなので、悪びれもしていないのはまさしく正しい態度ではあるのだが、どうも人間くさい部分がそれを納得に結び付けようとはしてくれなかった。
 それを顔に出すほど子どもでもないけれど。

「ああ、でも魔法のくだりは少し本当よ」
「何?ここで集会でも開かれてるの?エロイムエッサイムとかザーザースザーザースとかあのあたりを」
「知識に偏りがあるみたいね。ちなみにそっちじゃなくて、魔法に興味があるっていうくだりよ。あったら素敵だと思わない?もし自分が使えたらって考えるだけでもわくわくするでしょう」
「多少はね」

 確かにあれば便利だろう。箒で通学、なんて光景が日常的に見られるようになれば、異能力バトルだって間近で見られるかもしれない。そうなれば僕の中にまだ残っているはずの、男の心というものが黙っちゃいないはずだ。
 もっとも、毒に冒されていなければの話だが。

「あなたはどう?もし魔法が使えたら」

 どうするの?
 値踏みするような、試しているような光を双眸に潜ませて、彼女は聞いた。もし僕が質問に質問で返したとしても、きっと唇に薄い笑みを含ませるくらいで、答えは聞けないのだろう。袖野禊とは、そういう人物だ。
 根拠のない確信を胸に抱いたまま、僕は考えた。もし魔法が使えたらどうするか。飽き飽きするほど女子高生のパンチラを拝む、たらふく美味しいものを食べる、自分だけ特殊な力を得ていることに対する優越感に浸る。多種多様、様々あれどいまいちピンとくるものはない。僕はもし魔法が使えたら何がしたいのか。
 自問自答を繰り返すうちに、ふと浮かび上がったのは学校のことだった。
 あの人生を無駄にしているとしか思えない空間――それは言い過ぎにしても、どこか虚構めいた風な空気を纏っているあの教育施設。

「もし僕が魔法を使えたら」
「ええ」

「学校を、滅ぼすかな……ひょっとしたら、袖野さんもそうするんじゃないの?」

 彼女は作り物めいた笑みを貼り付けて、すげない一言を言っただけだった。

「思ったよりも、子どもなのね」

6

 学校をサボることに大した罪悪感を抱かなくなったあたり、僕も非行少年のカースト制度の上位に位置することができるようになったといえよう。
 ……と、そんなものを誇らしく語ったところで心が虚ろになるだけなので、それはおいておいて。
 あれから僕は足繁く袖野禊の店、もとい家に通うようになった。
 それは、彼女に対してむらむらと催した感情があったから。と下世話な想像膨らませる輩に向けて石を投げることは、僕にはできないけれど。それでも言い訳がましく一つだけ口にするなら、居心地がよかったのだ。
 どこか学校に馴染めない者同士が寄り添って、ゆっくりとできる場所があるということがどれだけ幸せなことなのかを、僕は初めて知る事ができた。
 あとは彼女の作ったモンブランは、悔しいけど結構おいしい。

「モンブランばかり食べるようになっちゃってるけど、あなたって糖尿の気があったりするのかしら」
「きみ本当に従業員?」
「今はオフなの」
「随分と都合のいいシフトをしてるんだね」
「おかげさまでこうして学校も行かなくて済んでるわ」

 自主休校をそう言い換えていいものなのかどうかは首を傾げたいところだったけど、そんなことをしても意味がないことはわかりきっていた。

「なんていうか、食べてて飽きない味なんだよ。魔法にでもかかったみたいにさ」
「あら、ならそれはきっと恋の魔法ね」
「君が?僕に?まっさかぁ」
「殴るわよ?」

 黙ってモンブランを平らげると、僕はお詫びとばかりにもう一個おかわりを頼んだ。きっとこのスイーツにかかっている魔法は色恋多い乙女がかけたものじゃなく、立派な我利我利亡者がかけた類のものだと思った。あるいは旧世紀の暴君か。

「で、実際はどうなの?私のモンブラン」
「…………美味しいよ」

 答える間に生まれた奇妙な長さの間は、素直に認められない僕の小さな意地のせいだった。彼女のいいようにされるのがちょっとだけ悔しい、というか。女性より下の立場になりかねない危機感に、男としての警鐘が働いたのかもしれない。
 僕の中にも、まだまだ男らしい部分は残っていたということで、自分でも意外な発見に口元が僅かに緩んだ。

「美味しい。くどくない甘さで、風味も感じられて、美味しいよ。正直ド直球に好みかもしれない」
 
 言って、またモンブランを頬張る。
 まあそんな部分、一度認めてしまえば呆気なく流れていった。
それよりも僕は、返事がない袖野のことが気になっていた。また軽口の一つや二つ言って会話のキャッチボールをして、いいかんじに喉が渇いたところでコーヒーでも飲もうと目論んでいた僕の算段は奇妙な空振りをした。
 舌の上で蕩かしていたモンブランを胃の腑に押し込めて、ふと視線も彼女の方へと向けると、

「……」

 何も言わずに。
 ただただ、嬉しそうにはにかんで。
 そして薄らと目尻に涙を浮かべている彼女がいた。
 突然の事に思わず面食らってしまい、どう反応すればいいのかわからない僕は何かまずいことを口走ったのかと自分の発言を急速に振り返る。
 けれど確かに口にしたのは敗北宣言で、彼女のモンブランと彼女自身に対する惜しみない称賛であったはずだ。ひょっとすると、普段の軽口の応酬具合からして本心にもないことを言っていると勘繰られてしまったのだろうか。でもそう考えると嬉しそうにしているのがわからない。まさか皮肉を言われて嬉しくなる気質じゃないだろう。
 「おいおいどうしたんだい?あんまりにも本当のことを言われちゃったから感極まっちゃったのかな?僕だって人間だから感動したことがあれば素直に口にだってするよ」なんて言ってのける図太さは、僕にはなかった。

「ありがとう」

 耳朶をうったのは、本当に彼女の声かと疑いたくなるほどに澄んだそれで。同時に、なぜか胸を締めつけるような儚ささえ纏っていると感じてしまい、僕はひどく不安定な気持ちになった。
 どうしてそんな声をするのかわからなかったし、どうしてそんな顔をするのかわからなかった。

「もっと、美味しくするわ」
「それって――」

 どういう。と、言葉は続かず、僕の身体は魔法にかかったように固まった。何もされてないのに、ラブコメちっくに彼女の顔が近づいてきたとかそういったこともなく、固まった。どうにも賢しい僕の脳味噌が、告白なんじゃないかと勘繰ると、途端に全身の筋肉が硬直してしまって、自分の女性経験のなさを恨んだ。

「勘違いしちゃ嫌よ。嬉しかっただけなんだから」

 もっとも、言われてしまったところでぐにゃりと僕の身体は軟化したけれど。

「びっくりしたよ、いやまあ勝手にきょどっただけなんだけど」
「案外初心なのね」
「プレイボーイには見えないだろう?」
「そうね。固まってたあなたはどっちかと言えばクレイボーイだもの」

 返す言葉も見つからず、僕は彼女の顔を見て無意味にニヒルな笑みをしてみせるのが精一杯だった。まったくもって、存在が魔法使いみたいなやつだと思った。
 僕の心を思うがままに掻き乱す、魔法使い。
 だとしたら悪くないと、そう自然に考えてしまうのは、恋という感情なんだろうか。僕は魔法使いに恋をした。なるほどそれは実に小説じみた言い回しで、主人公になったような気持ちになれるのは確かに気分のいいものだったけど、一つだけ不満があった。
 普通立場は逆だろう。
 気づくと、モンブランはもう食べ終わっていた。おかわりはどうしようかと一瞬考えたけど、さすがに三個目となると色々と限界を迎えてしまいそうだったのでやめた。
 そもそも、おかわりなんて、わんこそば感覚で食べるものじゃない。

「さて、それじゃあ今日はこのへんで失礼しようかな。ご馳走様。代金置いとくよ」
「ねぇ、襟川君」
「ん?」

 席を立ち、帰ろうとした背後から声がかかり、僕はくるりと振り向く。

「もし――が――に――――ま―を――ていた―――とした―――る?」
「なんだって?」
「いえ、なんでもないの。ごめんなさい。気を付けて帰ってね」

 返事をせず僕はそのまま家に帰ると、最近の息子の反抗期に一言も言わない母親が珍しく声をかけてきた。曰く、少しずつ優しい顔つきになってきてると。何を言ってるのかわからなかったので、生返事を返すだけ返して僕は自分の部屋に籠った。特に何かをするという気にもならず、ベッドに寝転ぶと目を閉じる。

「もし私がモンブランに魔法をかけていたんだとしたらどうする?」

 本当は聞こえていた彼女の言葉を口にしたところで、その意味はわからなかった。

「どうもしないよ」

 言って、とても自然な流れで僕は眠りについた。少しだけ、彼女が僕を泣きながら抱きしめる夢を見た。
16/12/16 13:36更新 /
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■作者メッセージ
そんなお話になっていきます。楽しんでいただければ幸いです。

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