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俺と若様が出会った理由

「アハハハッ。いいザマだな、ハル!」
 姦しい、声変りもまだかと思う程少女らしい高い声が俺の耳に突き刺さる。深く掘り下げられた穴の底で尻餅を着く間抜けな男を嗤っているのだ。
 少年が言ったハルというのは俺の名だった。姓は地名姓であり、俺の生まれた故郷の名前だ。酷い貧困が蔓延する場所だったから、敢えて名乗る程愛着もない。
 今の経緯を話せば簡単な事だ。上方に命令されギルドの資材を運んでいたら突然視界が暗転したのはつい先程の事だった。身体が軽くなったと思った途端腰を強打し、口の中に削り落ちた土の味が広がった。
 俺は事態をすぐに察した。何時も通りの人物が何時も通りの悪意を俺に向け、文字通りその罠に嵌めたのだという事に。
「〜〜ッ。いい加減にして下さいよ、毎度毎度あの手この手で俺をからかって」
 湧き上がる苛立ちと惨めさを漏らさぬ様堪えながらも、どうしても我慢出来ない部分を呟く事で示す。悪意を持つ人物を相手に感情を露骨にすると喜ばれるのがオチだからだ。俺はその事を此処数週間嫌という程思い知らされ、此処に至る。
 頭上には丸く切り取られた空があった。その中心から少し逸れた所に太陽が燦々と輝いており、逆光がその空の淵に立つ件の上方の華奢なシルエットを映し出した。
「ハルは馬鹿だなぁ。いっつもこんな子供染みた手に引っ掛かるんだから」
 太陽が雲に隠れ逆光が弱まった刹那の間、シルエットの中に麗しくも整った小悪魔の顔が映った。
 裾口の広いシャツと短パンが緩やかな風に棚引き、若く健康そのものである艶やかな二の腕と太股が見え隠れする。短パンの下にはぴっちりと肌に吸い付くスパッツが黒く濡れた光沢を放っていた。



 俺には目下悩みがあった。
 いや、これはもう盗賊ギルド全体の悩みではなかろうか。
 というのも、ギルドという組織にはギルドメンバーを纏める人物が当然なりいる。勿論何処にでもあるように上下関係という物がある訳だ。俺達が共通して悩んでいるのは恐らくその一辺倒にはいかない上下関係についてだ。
 俺達の上役でありギルドマスターと呼ばれるお方は大した御仁だった。元々義賊として名を馳せた人物だそうで、その経歴に違わず公明正大だ。
 決して俺達はその御仁の無能さに頭を抱えている訳でも、横暴な振る舞いに喘いでいる訳でもない。ただ幾ら公明正大な人物であろうと、決して全ての人間を平等に扱う聖人ではなかった。
 特に、自分の息子に対する溺愛っぷりはそれはもう群を抜いていた。
 ある時その御仁の息子が町のチンピラに絡まれた時、次の日には言うも憚る程無残に辱められたチンピラの姿が町に曝された。
 またある時は御仁の息子が欲しがった物を調達しにギルド総出で出立に及んだ事だってある。
 御仁は自分の事でギルドの主権を行使はしなかったが、その代わりに自分の愛息子の為なら遍く行使した。


    で、だ。件の息子というのが、俺達の悩みの中心人物だ。
 ギルドの権力をそんな風に使う御仁だ。その息子は随分と甘やかされて来たのだろう、今ではとんでもないクソガ……やんちゃな子に育ってしまっていたのだ。
「なんでこんなのに引っ掛っちゃうかなー。相変わらずハルはバカだよねー、アハハハ」
 御仁の息子、今俺の頭上で嘲り笑う彼を俺含めギルドメンバーの殆んどは“若様”と呼んでいた。何れギルドを継ぐ人物となるであろうから呼び方を統一しようと決められたのは大分前の事らしかった。主に本人が主導しての事だったらしいが。
 こうして態々部下に掘らせたであろう落とし穴に俺が嵌められているのもそんな“若様”の悪戯の一環だ。
 怒りも湧き上がってくるのであるが、段々と、それよりも俺一人を嵌める為にこれほど深い落とし穴を恐らく若様のひょんな思い付きから数時間で掘るよう脅されたであろう人間に同情を憶えた。逆光浴びる黒い影は、そんな俺を存分に指差して嘲笑してくれる。
 流石にギルドメンバーの中でも比較的温厚で平和的な考えを持つ俺にも我慢の限界がある。ここ数日まるで俺を標的にしたように怒涛の悪戯を仕掛けて来る。落とし穴に落ちたのは今日で6回目ではなかったかと思う。お陰で土の状態を具に観察するようになった程だ。きっと今の俺にはくっきりと青筋が立っている事だろう。
 口の中の土を染み出した唾液で溶かしつけ、何処かへと吐き捨てた後、抗議の眼差しを天に向けた。
「若様、いい加減にしてください。ここずっと落とし穴に嵌めてばかり。怪我する所じゃないですか!」
「何? 怒った? もしかして怒ったの? アハハ!」
 若様は何事か面白がると空からいなくなった。姦しい笑い声が段々と遠ざかっていく。
「あっ。ちょ、こら!    責めて引き上げてから行けぇーっ!」
 俺の叫びが穴の中で虚しく反響する。垂直に深く掘られた穴の中。側壁の柔らかい土は下手に昇ろうとすれば崩れてしまう。そうなれば俺は生き埋めにもなり兼ねない。ロープや縄梯子で上から引き上げて貰わない限り昇れそうになかった。
「ああ、これから集会があるのに……っ」
 今からギルドメンバーで集まって集会がある。遅刻など言語道断だ。まぁ、事情を話せば大凡同じ目に会ったことのある仲間が温情を掛けてくれるのだが。

    シュルッ。

 そんな時、徐に頭の上から落ちて来たものがあった。
 手にとって見上げてみると、それは紛れも無く空へと続く縄梯子であった。きっと一部始終を見ていた人物が居たのだろう。そうでなければこんなに直ぐ助けが来る筈がない。
「……誰か知らないが、助かった。そのまま引き上げてくれ」
 自分が助かると知った時、思わず天は正しい人間を見てくれているのだと心の中で神に祈ったものだった。
 俺は縄梯子がしっかりと引かれているのをぐっぐっと確かめ、足を掛けた。
    が、それは途端に手応えを失くした。
「どわっ」
 縄梯子が自然に逆らう様子なくこの狭い穴倉の中に落ち込んでくる。俺は投げ出され、側壁に後頭部を陥没させた。
「アハハハ! バーカ、バーカ。助けてやる訳ないだろーっ」
 嬉しそうな顔で覗き込んで来たのは先程何処かに行ってしまった筈の若様だった。
「こ、この野郎……っ」
「「どわっ」だって。何情けない声出してんの? ダッサー」
 実際に見下しつつ、見下した目で言い放たれる。
「そんなダサい奴は夕方になるまで其処で頭を冷やしなさい。……安心していいよ? 夕方まで此処には誰も来るって言っておいてあげる。ゆっくりしていていいからね♪」
「若様! いい加減にして下さいっ。これからギルドの集会があるんですよ!?」
 若様はそっぽを向く。
「あ、そ。でもそれってボクには関係ないでしょ? ハルが勝手にこんな所でサボってるだけなんだから」
「サボり……!? 若様がこんなトコに落したんでしょうがっ」
「落ちたのはハルじゃん。ボクが突き落とした訳じゃないでしょ? くすくす」
「こ、この……っ!」
 余りに悪びれない態度でいるのでついつい頭に血が上り口調にも表れ始める。しかし俺が怒っていようとこの場所から若様に何が出来る訳でもなく、それを把握している若様は余裕の振る舞いでいた。
「アハハハ、こわーい。このまま埋めちゃおっと」
 若様は笑いながら土を蹴り落としてくる。降り注ぐ土が口の中に入り、ぺっぺっと吐き捨てながら睨み付ける。
「てめ……っ、止めろっ」
「ヤダー。ハル、怒ってて怖いもん。このまま埋めちゃう」
 どんどんと降り注ぐ土の量が多くなっていく。段々と吸える空気が土に置き換えられていく。息苦しい。このまま続けられるのは難儀だ。
「やめ……い、いやっ、怒って、怒ってないから……っ!」
「ホント?」
「ホ、ホントですから」
「許して欲しい?」
 何を許してもらおうというのか。俺の中に何か寛容出来ない蟠りが出来た気がしたが、これ以上執拗に土を被せられると満足に息が出来なくなる。
 俺は半ば自棄糞で叫んだ。
「ああ、もう、悪かったから!」
「……敬語は?」
「は?」
「ちゃんと許して欲しいんだったら、普通敬語でしょ?」
 な、なんて奴だっ。事の発端は全て彼奴なのに。
 若様は「聞こえなかったの?」と言わんばかりに嗜虐的な笑みを浮かべて続けた。
「ほら、ちゃんと言わなくちゃ。「貴方様に失礼な口を利きまして申し訳ありませんでした。今後とも口答えなどもせず貴方様の忠実な玩具として励ませていただきます」って。そしたら、止めてあげる」
「う……」
 偉く理不尽な文言を強要されている気がするが、若様は何時もこうだ。もし下手に単語を変えたりすれば、へそを曲げて本気で埋めてきかねない。
「ほらほら、どうしたの? このままじゃ生き埋めになっちゃうんじゃない?」
「……く」
 しかし助けてもらうにしろ土を落とすのを止めてもらうにしろ、この場だけそう言っていればいい。俺はそんな心持で口になぞった。
「あ、貴方様に……失礼な、口を利きまして、申し訳、ありませんでした……。今後とも……口答えもせず、あ、貴方様の……忠実な玩具、として……励ませていただきます」
 土が振り止んだ。
「うん。精々頑張ってね♪」
「……」


 若様はにこりと笑った。
 その表情だけを切り取って飾れば、何と良いものなのだろうか。
 それは何も知らぬ無垢な少女の様に見えたし、悲しみに暮れる友に手を差し伸べる様でもあった。
 だがその笑顔が如何に天使らしくても、中身は飛び切り質の悪い悪魔だ。この上辺だけの笑顔にほだされる訳にはいかない。


「ご納得頂けた所で、早く引き上げてくれませんか……そろそろ時間が拙いので」
「えーどーしよっかなー」
 ぐっ、と堪える。此奴まだ何かふっ掛けるつもりか。
「新しい縄梯子持って来なきゃいけないし、メンドくさいんだけど?」
 メンドくさい   から、何をするべきか判るよね? とまで俺の耳には聞こえる台詞だった。
 渋々、口に出す。
「……お手数を煩わせるお詫びに何なりとお申し付け下さいませ、若様」
 若様は自分の犬を誉める時の様な笑みを浮かべる。
「よしよし、じゃあ明日買い物に付き合ってよ。無論、ハルの奢りで」
 確実に予め決めていたのであろう、迷いなく提示された要求に俺は徹頭徹尾渋々と頷くしかなかった。





――――――――――





 若様はとんでもなく我侭だった。
 自分の気に入らない事があるとすぐに父親に言い付け制裁を下そうとするのだ。勿論その時は言い訳する暇も与えられない。自分の欲しい物、望む物を手に入れる為には手段を選ばない。
 それに加え傲慢でもある。
 ギルドのメンバーの事を使用人か何かとでも思っているのか、平気で顎で使うのだ。要求があれば、俺達は嫌な顔一つせずにお応えしなければ遠慮なく制裁が下る。

 それだけならまだいい。まだ生意気なガキで済むんだ。

 問題は、だな……。

 そう   本当の問題は、別にあるんだ。





――――――――――





 俺が“若様”と初めて会ったのは今から数週間前の事だった。
 いや、付け足すならその日は、俺が初めてギルド本部に出向した日だった。


 俺は親のいない子供達を纏めて小さな盗賊団の頭をやっていた。盗む物と言えば生活に必要な食料や衣類。この国の貴族は俺たちみたいな底辺には目も向けない。お陰で格差は広がって行くばかりだったのだ。遣り場のない苛立ちが俺達を盗みに駆り立てていた。
 そんなある時自警団にウチの団員が捕まった。まだ6歳の男の子だった。リンゴを盗んで走っていた所でうっかり首根っこを掴まれてしまったのだ。
 団員が捕まったのだ。俺が纏める小さな盗賊団に足が着くのも時間の問題。その時になれば何かしら咎めがあるだろう、よくて打ち首だろうかと覚悟していた。
 だが、俺は何の因果か盗賊ギルドにその名を連ねる事になった。というのも、件の自警団というのが盗賊ギルドであったのだ   


 まぁ俺の身の上なんて本当はどうでもいい事かもしれない。
 そういう経緯があった後、俺がギルド本部を初めて訪れる機会があったという事だけである。
 指定された場所に行って見ると、其処は一見すると酒場で、よく見てみても酒場だった。
 ガヤガヤと騒がしい店内で徐にカウンターに座り、バーテンダーに向かって合言葉というものを囁くと、無愛想な顔で指を差されたその先には誰の目にもつかない扉があった。
 此れは比喩なんかじゃなかった。バーテンダーに指を差されて視線を誘導してもらわないと、其処に扉があるなんて気付かなかった。扉に手を掛けて今にもその奥に足を踏み入れようとする者が居ても、店内の誰も此方に目を遣る事はなかった。何かの魔法が掛かっている様に思えたが魔力の才のない俺が確かめる術はない。
 扉の先には石階段があった。左右に火の灯るロウソクが並び、冷たい空気が下から吹き上げて来る。肺が上下する音でさえ鈍く響く狭い空間。俺は未知の領域に足を踏み入れた感覚を憶えながら階段を一歩ずつ降りて行く。
 はっきりとした明かりが垣間見え、階段の終点が間近に迫る。階段を降り切ろうとする前にはがやがやと賑やかしい気配が俺の耳に届いた。


    予想だにしない光景に驚いたのを今でも覚えている。
 眩い限りに輝かしい、見惚れる程に憧れる活気。これ程までに自由で、開かれた生活空間は地上にはなかった。
 目の前を覆い尽くす人々の往来。露天に並ぶ果実はどれも甘く熟れている。モノに溢れ、煌びやかにさんざめくこの場所に立つと、まるでこの世で恵まれない人間など一人もいない様な感覚さえ憶えた。
    此処は地下市街だ。
 盗賊ギルドが管轄するもう一つの街の姿。普通の人間が暮らす地面の下を掘削して作られた其処は果てが見えない程広大だ。この全てが盗賊ギルドによって生み出された事を考えると、俺はとんでもない所に身を置く事になったのだなと改めて感じた。
 其処で俺は早速宛てを無くしてしまう。
 盗賊ギルド本部に出向くようにと大体の住所を教えられて此処まで来ただけなのだ。更にその下に広がる街そのものが本部だとは言うまい。きっとこの街の何処かに盗賊ギルドの中枢を成す建物がある筈なのだが、俺は其処に行き着くまでのヒントすら与えられていない。見渡す限り、背の高い建物、立派な装飾の建物全てがソレらしく俺の目に飛び込んでくるのだった。


 ふと、立ち尽くしている俺の後ろからコツン、コツンと靴を鳴らす音が響き始める。
    誰かが降りて来る。
 そう気付いた瞬間にはもう階段を降りた先で立ち尽くす俺の背後には小柄な気配が寄り添うのであった。
「……あのさ」
 不意に背後から声を掛けられる。声変わりがしないくらいの少年の声だった。
 慌ててその場から立ち退き、振り返る。
 刹那、目にした相手に息が詰まった。
 俺をじっと観察する切れ長の瞳。ブロンドの髪はボーイッシュに短く切り揃えられている。其処に立つ者は少女の様に柔らかな肌を湛え、華奢であった。スパッツを履き、胴衣を着込んで身軽そうな子供であった。
 薄暗い階段に備え付けられた陰気なランタンが子供を灰色に照らし出す。どんよりとした暗闇を封じ込めた瞳と打って変わって美しい子だった。俺が見掛ける子供というのは餓えてガリガリで、満足に体も洗えず不潔なのが当然の姿だったが、この子は違う。高潔な血が流れているのかと思える程、この子には近寄りがたい美しさが漂っていた。
 ただ、その目付きは悪魔の様に凶悪そうで   それがまた魅了されかねない妖艶さを放っていた。
 そんな相手(恐らく少女に扮した少年であろう)は俺にこう言い捨てる。
「ジャマなんだけど。人の往来がある所で何ボーッと突っ立ってんの? バカじゃない?」
「あ……えと、すんません」
 圧倒的覇気に年端も行かない相手に敬語を使ってしまう俺。軽く情けない。
 少年は「ふん」と鼻を鳴らして俺の前を通り過ぎていく。甘い香りが俺の鼻孔を撫でる。香水でも付けているのだろうか。
 少年は数歩先まで歩くと、不意に俺に振り返り興味無さ気に口にした。
「……ねぇ、若しかしてお前って、今日からウチに加名する予定の新人クン?」
「ウチ?」
「盗賊ギルド」
 少年が付け加える様に言う。盗賊ギルドにはこんな少年まで所属しているのかと驚いている内に、少年はクスクスと笑いながら歩み寄ってくる。
「へぇ、やっぱりそうなんだ……。何か意志弱そうだよね、お前」
 俺は其処で、この少年が浮かべている笑顔が人を馬鹿にした笑みである事に気付いた。
「なんだと、このガキ。初対面に向かって何様のつもりだ」
 俺の顔に伸びる手を払い、不愉快だという意思を込めて視線を返す。少年は相変わらず表情を変えないまま呟く。
「さぁ、何様なんだろうね……僕は」
 人の思考をさくりと読み取って見せるかの様に呟くと、クスクス、とからかい気味にその細指を自分の唇に当てる。その唇は若さに潤い形良く、指を滑らす程に柔らかい。
 指先は唇を離れ、ゆっくりと首筋を下がり、鎖骨を撫で、胸に落ち着く。
 視線が美しいラインを描く首筋と大胆に開け広げられた胴衣から除く鎖骨周辺の肌に釘付けにされる。
 それほどまでに少年の肌、いや、体は完成された様に視線を惹き付けた。
 思わず、生唾を飲み込んだ。
 たゆんだ胴衣からチラリとのぞく胸元は少年が放つとは思えぬ程淫靡な印象を湛えていた。視線を向けている自分が、何か悪い事をしている様な気がしてきてしまう。
 気付いた時には少年と距離が近付いていた。どんな相手にでも保つ距離というものがある筈だが、少年は易々と初対面の相手に引く距離の内側に入り込んでいる。それがどうも俺の胸に不穏な息苦しさを与えているらしい。
「どうしたの? 凄い汗だよ?」
 少年は俺の反応を楽しんでいる様子で述べる。悪意が見え透いていた。
 これ以上少年の胸元を見るのは危険だ。俺に本来備わっていない筈の性癖を持たされてしまう。そう直感した俺はまるで目の前に裸体を晒された初心な子供の様に俯くしかなかった。
 しかし俯いた先には少年の下半身がある。
 胴衣の前掛けで股間は隠されているが小柄な彼の腰付きや臀部のラインは理不尽な程扇情的だった。
 ヘビの様に撓やかで……ホントに男の身体なのか、これから俺達みたいなごつごつした骨格になるのか、と疑問に思えた程なのだから理不尽に違いない。
「具合悪いの? ……僕が、看病してあげよっか?」
 葛藤する俺に、少年は身体をそっと預け濡れた瞳で見上げてくる。
 親指で自分の唇を拭うと、俺の頬に手を差し伸べ汗を拭う振りをしながら俺の口に押し付ける。それが間接的なキスである事も含め、俺に少年との背徳的な口付けを想起させた事は言うまでもない。
 それだけではない。少年は何時の間にか俺の腕を取り、自分の腰に回していた。
 そして、俺の手の平を決して強過ぎない力で自分の尻に宛がったのだ。
 手の平全体を通して伝わる柔らかな、スパッツの触り心地良い感触。心無しか少年の息遣いが熱っぽく感じてくる。
「ねぇ、あっちで休憩しない? 誰にも邪魔されないトコで、サ」
 再度、生唾を飲み込んでしまう。
 この少年は男に抱かれる商売をしているのだと言われればすんなりと納得してしまいそうな程、堂々とそんな台詞を吐いた。そういった性癖のないこの俺の感情を揺るがす程に手馴れている様だった。
 いや、間違っても俺は今少年の身体に欲情した訳ではあるまい。首をぶんぶんと振った。
 しかし、こう、身体の其処から湧き上がるぶつけ様の無い苛立ちに似た、あらぶる感覚は間違いなく……。


 その瞬間、俺のイチモツが悲鳴を挙げた。
 口から「ギャッ」と声が漏れる。
 目の前には予想通りと言わんばかりに嬉しそうに笑う少年の顔。一方前屈みになりながら目を下の方に遣ると、少年の細指が俺の大事なイチモツをタマ諸共思い切り掴んで捻り切ろうとしていたのだった。
「な、にをぉ……ッ!?」
 訳が判らず捻り出した言葉。少年は嘲り笑う。
「何、男に欲情してんだよ、キッモーイっ♪ この変態、ド変態」
 前屈みになる俺の耳元で少年が囁く。優しい口調だったが言っている内容は悪魔そのものだ。
「あーあ、ウチのギルドも人手不足なのかなー。こんな変態をメンバーにしなくちゃいけないなんて。あ、変態でも居ないよりマシなのかな」
 少年は好き放題言いながら俺の股間を引っ張った。文字通り、弱点を手中に収められた俺は力も出せず、少年の力で引き摺り歩く。
「仕方無いから僕直々に本部まで案内してあげる。離れて迷子になっちゃったら困るからちゃんとお前の大事な部分掴んでいてあげるからね……♪」
 嬉しそうに笑いながら、少年は歩き出す。何の心の準備も出来ていなかった俺は色々ともげそうになりながらも必至に平然を装って人前に歩き出す。
 局部を容赦なく掴まれながら辿り着いた先は豪華絢爛な屋敷だった。時間的にはあっという間の筈だが、局部を掴まれている所為で永遠とも思える距離だった。
 あれほどまで人でごった返していた通りから離れた所為か、この辺りは静かに思えた。
「さ、着いたよ。此処が盗賊ギルドの本部」
 そう言って少年は俺の局部を解放した。指を食い込まされ乱暴に引き回された俺の分身がひりひりと痛む。未だ残るぞっとしない感覚はもう同じ目には遭いたくないと思わせるに十分だった。
 後退り、苦しい笑みを浮かべて礼を返す。
「あ、ありがとうございます……」
「うん、どういたしまして♪」
 彼は、笑うと天使の様に可愛らしい。今まで人の急所を掴み、自虐的な笑みを浮かべて引き回していた少年とは到底思えない。
 屋敷の入り口に立っていた騎士風の男が少年に目を遣るのが見えた。その表情に一瞬影が差した様だった。視線を俺に滑らせると笑みも浮かべず近付いて来る。
「……ハルさんですね? お話は聞いております。どうぞ、中へ」
 俺は促されるまま屋敷の中に足を進める。案内役の男がチラりと少年の方を一瞥し僅かに表情を変えた。少年は何がおかしいのかクスクスと笑っていた。


(へぇ   、ハルって言うんだ)


 屋敷の中に入ってからその男に尋ねられた。
「あのお方とはお知り合いか何かですか?」
「いや、さっき会ったばかりですが」
 何やら怯えている様子で周囲を伺いながら、彼は俺にこう語った。
「悪い事は言いません。“若様”には余り近付かない方がいいですよ。あの方に酷い目に遭わされる奴は少なくありませんからね」
「若様?」
「ギルドマスターのご子息です」
 その時の俺でも盗賊ギルドの長がどれだけの人物かは知っていた。そんな人の息子があんな小悪魔だというのは少なくとも驚くに足りた。
 男は嘲笑を交えて語る。
「本当は新しいメンバーには洗礼としてこの街から自力で本部に辿り着く様に執り図っていたんですが、まさか若様が案内するとは予想外でした。貴方はツイているのか、はたまたとんでもない不幸者なのか」
「それはどういう……?」
「若様に気に入られたら、その期待に答えなければならない。寝巻きに着替えさせる事や代わりに労働を勤める事、はたまた……夜伽までね。どれか一つでも欠いたら」
 そう言って首を掻き切る動作をしてみせる男。
 成程、ある程度の事情は判ったが……。一つだけ引っ掛かる単語を口に出す。
「……夜伽?」
「ええ、毎晩手下を呼び付けてからかうんですよ。何をするかは……まぁ、その時になれば判りますよ」
 じろりと見詰められ、さっき局部を握られて引き回された件を思い出し、下腹部に居心地の悪さを感じた。あの少年の問題性と普段の行いが僅かでも伺い知れた気がする。
 その時の俺は、此処でやっていくには極力あの少年とは関わるべきではないと、確と自身に言い聞かせるのだった。


―――――


 こうして盗賊ギルドに名前を連ねる為の手続きと試験をこなし、晴れて俺はギルドメンバーとなった。
 そして意気揚々と地上に戻ってきた、その夜の事だ。


 盗賊ギルドに所属した俺は生活し慣れる質素な貸し部屋に戻った。まだ何も置かれていないガランとした部屋だった。
 その日は其処で寝ようと茣蓙(ござ)を敷いて寝そべっていた。小さな火を抱き込んだカンテラの光に照らされた橙色の土壁天井。ゆらゆらとカンテラの影が揺れるのをぼんやりと見上げつつ俺はこれからの事について考えていた。
 盗賊ギルドに所属した事で、俺は一応の所ただの盗賊ではなくなった。後ろ盾を得られたのだ。これならば今までの子供ばかりの盗賊団を率いているよりも、よっぽど貴族連中に一泡吹かせてやれる。
 俺はこの国のあり方に疑問を抱いていた。貧富の格差は広がり続け、餓える者も近頃では珍しくなくなってきた。それもこれも全部貴族連中が市民から金を吸い上げている所為だ。
 だが、この国の貧富格差を是正しようとしたって、俺達盗賊ギルドも盗賊の集まり。所詮低級階層だ。貴族や議会に発言力がある訳でもない。盗みや暴力で解決していくのは、俺の中でも根本的な解決策だとは思っていない。
 俺は盗賊ギルドの仕組みについてよくは知らなかったが、その力の及ぶ所に限界がある事は察していた。どうあがいても俺達は盗賊。それ以上でも以下でもない。そう思うとギルドに入った身でありながら先行きが不安になってくる。
 此処は一先ず自分の生活を安定させる事を目標としよう。難しい事は幹部の人達が考えてくれる。
 そう考えつつ、俺は目を閉じた   


 が、その直後の事だった。


    ガタ、ガラガラッ。


 何か滑車が鳴く様な音が窓の外から聞こえる。
 何事かと思いながらも睡魔が襲ってきた俺は確かめる事もせずうとうとと瞼を震わせていたが、その内、窓がガタンッと大きく物音を立てた所で、身に走る緊張感とともに目が覚めた。
 同業者だろうか。この場所は治安が悪い。人がいてもお構いなしに強盗に入ってくる輩だって珍しくない。そうなると厄介だが、生憎俺の寝床に金目のものなど何もない。
 怠けた身体を揺り起こし、窓を確認しようと首を曲げた   その時。
   うわぁっ!? バカッ、どけよっ」
 少年の声が響くとともに開け広げられた窓から何か黒い影が俺に向かって飛び込んで来た。
「ぶっ」
 俺の顔面に何かがぶつかる。そのまま体勢を崩し床に叩き付けられる。ぶつかった何かが軽かったお陰で打ち身はなかったが、突然の事に戸惑うばかりだった。
「ってぇ……何だ?」
 倒れた先で、地面にころころと転がる物がある。
 手にとって引き寄せて見ると、それは粘度の高い液体で満たされた紫の小瓶だった。装飾を見るに其処等辺で見かけるものとは違う事から、貴族か何かの持ち物だったのではないかと想像出来る。
 周囲の状況を確認しようと、自らに圧し掛かっている生暖かい異物の上に手を乗せた。
「ひゃぁ!?」
 柔らかい感触。何処か覚えのある感触。
 そういえば鼻を撫でるこの香りも今日の内に何処かで出会った事があった様に思う。その時よりも特別濃く、甘酸っぱさが混じって淫靡であったが。
「〜〜〜っ。何時まで触ってるんだよッ、このヘンタイ!」
 何処かで聞いた憶えのある、少年の羞恥に震える声が耳に届いた。
 目の前を覆う黒い物体。それを良く良く見てみると生地の細かいスパッツ生地だった。俺の顔を跨いで柔らかい尻の割れ目が其処にくっきりと晒されていた。そして、股間が位置するであろう口付近を押さえつけている多少重量感のあるこのコリっとしたたおやかで形容し難い感触は何なのであろうか。
 其処までを確認した所で唐突に、下半身に衝撃が走った。悶絶する俺から颯爽と退いたその物体は、赤くなった顔で俺を鋭く睨み降ろすのだった。
「何でそんなトコに居るんだよッ、着地に失敗しちゃったじゃないか! もうっ」
「え? え……何!?」
 男の急所に拳を叩きつけられ遠くなった意識が徐々に鮮明になっていく中、飛び込んできたのが昼間盗賊ギルドで会った少年である事を視認していく俺。月明かりに映える金髪、ランタンに映し出されて光るスパッツ。その格好は、昼間のままだったからすぐに同一人物だと確信出来た。
「間抜けな顔してるんじゃない、全く。お前の所為で間抜けな落ち方しちゃったじゃないか」
 スパッツの隙間に指を差し入れ、ズレを正しながら俺に文句をつけてくる少年。俺は暫く思考が停止していたが、目の前に居るのが盗賊ギルドマスターのご子息である事を思い返し、背筋が凍った気がした。
 この少年   “若様”には関わっちゃいけない。碌な目には遭わないだろう事は昼間に直感していた事だ。
 だがどうして向こうから来るんだ。
 この時ばかり自分はツイてないと思った事はない。
「と、そんな事より」
 若様は唐突に俺の腕を引っ張り挙げる。
「さっさと此処から逃げた方がいいよ♪」
「は、はい?」
 ニコリと微笑んだ若様は俺にとって不吉そのものに見えた。実際俺がそう思ったのと同時に、この部屋の扉がけたたましい音を立てて吹き飛んだのだ。
 その向こうには、物々しい兵士達が剣を手に黙って立っていた。


 すぐさま危険を察知した俺は若様の腕を引っ張り返し、窓から飛び出した。家々の屋根を飛び、即効でその場を離れようと思ったのだ。
「逃げたぞ、追え   !」
 自分の盗賊団は潰されたばかり。俺自身は何処に逃げればいいかの宛てがなかったが、取り敢えず若様を盗賊ギルドに送り届けるべきだと考えた俺は件の酒場を目指して飛び駆けた。
 目的地に着いた頃にはもう追っ手の姿はなかった。鎧を着込んでいる相手が身軽な盗賊の全力逃亡に追い着ける訳がない。数で包囲されるなど、統率良く捕獲網を敷かれた時くらいなら捕まる言い訳が立つだろう。
 もう夜遅くには締まっているのか明かりの灯らぬ酒場の前で、すっかり息も上がって膝を抱える俺に対し、若様は随分慣れていると言わんばかりに涼しい顔だった。
「……へぇ」
 若様が興味深げに此方を見てくる。身長は一回りも二回りも若様の方が小さい筈なのに、その態度は見下ろされている様だった。
「中々いい身のこなしじゃないか。……でも、僕の腕を引っ張るなんて生意気だね」
 俺は若様の細い腕を強く握り締めていたらしく、若様の白い肌が赤く染まっているのに気付いた。
 慌てて離す。若様は腕をぶらぶらと揺らして動作を確認すると、俺をじろりと睨み付け、何か言いたそうに眼光を光らせるが、足踏みした様に口を閉ざす。
「……ま、今回は勘弁してやるか」
 若様は何事も無かったかの様に酒場に入ろうとした。
 だがさっきまで俺が握っていた若様の手が、今度は俺を掴んで何処かへと強引に連れて行こうとしていた。
 俺は驚いて、即座に状況を整理しようと思って、その場に踏み止まる。
「ちょ、ちょっと待ったっ。なんなんだ、彼奴等……どうして若様を。ていうか、俺をどうする気だよ!?」
「あーもう、ごちゃごちゃうっさいなー。殴るよ?」
 言葉に出した以上に煩わしそうな顔をする若様。必要以上に逆らうと痛い目を見る事は聞いていたので、俺もそれ以上は何も言わない事にした。
 しかし、若様は有無を言わさず酒場の中に連れ込むといった事はせず、心底面倒臭がりながら店先でぽつりぽつりと話してくれた。
「彼奴等さー生意気なんだよね。国の為だ市民の為だなんて言っちゃっても、どうせ貴族の犬なんだよ。だからさぁ、ちょっと飼い主の家に忍び込んで屋敷中に落書きしてやったんだよね。そしたらマジギレされてさぁ。私兵に追い回されちゃって、ね」
 ……コイツ、何をしているんだ。
 目の前の少年は、貴族の館に忍び込んで落書きなんて、そんな事の為に命を張ったというのだ。
 俺は心底、呆れてしまう。
「何しているんですか、もう……」
 少年はそんな俺から揚げ足を取ろうと待ち構える。
「へぇ、僕に口答え? お前なんかパパに言い付けたらすぐに晒し者に」
「若様の身は若様一人の物ではないんですから。悪戯に危険に晒してはいけませんよ。若様くらいのお歳が一番危ないんですから、万が一の事があれば皆悲しみます。なので今後一切お止め下さい。判りましたか?」
 ぽかんとしている若様。俺の台詞が予想外だったのか口をだらしなく開けて絶句していた。
 俺は返事がない事を認めて、一言念を押す。
「……若様」
「え? あ、ああ……わ、悪かったよ。気を付ける……」
 俺から目を背ける若様が俺の話を真面目に聞いている様には感じなかった。言葉の端々にたどたどしさが伺えるのも何か後ろめたさがあるからではないだろうか。
 しかし、だ。少し間を置いた俺は冷静になった。いや、なってしまったのだ。俺はなんて事を言ってしまったんだと思い返す。
 つい、先日まで率いていた子供ばかりの盗賊団の首領としての癖が出てしまった。
 何せまだ精神的に幼い彼等に自覚を持たせようと、説教する事が多かったのだ。
「す、すみません……偉そうに言ってしまって」
 こんなガキに敬語を使うというのもおかしいが、新人同然の今日早くから上の機嫌を損ねたくは無い。その位の処世術くらいは身に付けているつもりだった。それにこの若様に限ってはそんなプライドかなぐり捨ててしまった方が身の為だろう。
「……僕が死んでも   訳ないだろ」
 若様は暫く黙っていたが、ぽつりと何か呟いた様だった。
「はい?」
「い、いや……ッ、こ、今回は勘弁してやるっ」
 俺は態度を隠すのも忘れホッとした。
 そんな所で、思わず握り締めていた小瓶の存在を思い出す。こんなもの俺は部屋に置いていなかったので、若様が飛び込んで来た時に落としたのだろうと類推した。
「若様、所で」
「ん? ……あっ」
 億劫に視線を向けた若様が小瓶に気付くと途端に目を見開き、何か言葉を挟む間も無く俺の手から其れを掠め取った。
「何ですか、それ。貴族の館から盗んできたんですか」
「そ、そうだけど……お前には関係ないだろ」
 若様は小さな声で返し、小瓶を腰に下げるバッグに仕舞い込んだ。
「……そんな事より、お前今日どうするの?」
「はい?」
 若様が改めて尋ねるが、さっきも逡巡した通り俺には宛てがない。隠れ家を持っていたりもしたが、あれは盗賊団のメンバーそれぞれの住処をそうして使い回していただけで、掃討された今ではもう知らぬ誰かが其処に住み着いている事だろう。
 若様は察しの悪い相手に態々丁寧な口調で諭し聞かせる様に続けた。
「寝る所だよ。若しかしてバカみたいにあの兎小屋みたいな所に帰る気? 間抜けにも程があるよ」
 そもそもあの部屋に若様が入ってこなければ俺は無関係で居られた筈なのだが、とは口にしないで置いた方が身の為だろう。
 確かに他に宛てが無いからと言ってあの部屋に戻るのは愚の骨頂だ。といっても、他に満足に夜露を凌げる場所を知らない事実も俺の頭を悩ませた。
 満足に返答出来ないでいる俺を見かねた様に、軽い地団駄を踏んだ若様は語尾を荒げてこう言った。
「だーかーら! 態々僕がお前の寝床を用意してやるって言ってるんだよ。有難ーく思いなよ? こんな滅多な事ないんだからね。若しかしたらお前の運全部使い果たしちゃったかもしれないくらいの事なんだから」
「は、はぁ」
 だから酒場まで手を引っ張っていこうとしたのか。
 というか、寝床を用意してやるなんて提案今初めて聞いたんだが、もうこの際聞かなかったなんて言うのも馬鹿らしくなってくる。揚げ足を取って機嫌を損ねるのは得策ではないのだ。
「ほら、そのちっこい脳ミソで幸福を自覚出来たんならさっさと来なよ! お、お前の為に僕の時間を割くのは不本意なんだからっ」
 半ば無茶苦茶とも言うべき言い草で、俺は若様に腕を引っ張られていく。
 地下市街に続く階段を降り、深夜人も疎らになった通りを抜け、薄暗い路地を歩く。今日二度目に地下市街を歩くのだが、歩いた事のない道が殆んどである筈の俺が不思議と見た事のある道を進んでいく。違っているのは周囲の明かりや肌で感じる活気が鳴りを潜めている事くらいだ。
 そうして辿り着いた先は、矢張り昼間も訪れた盗賊ギルド本部であった。
「あの、若様。此処はギルドですよね」
 俺が想像していた案内先は隠れ家であったから、もっと質素で町の片隅にあるものかと勝手に思い込んでいたので多少なりとも驚いたが、よくよく考えればギルドの一室で寝泊りしたってバチは当たらない。
 そう俺は解釈して一人心中で鷹様に頷いていたが、若様がキョトンと一言言い放つ。
「何言ってんの? 此処、普通に僕ん家だけど」
「そうですか……て、えぇっ」
「何驚いてんだよ。ギルド作ったのは僕のパパなんだから、僕ん家が本部でも当然じゃないか」
 勿論それは判る。
 だがその時の俺は部屋を貸すってまさか、と思ったのだ。


 実際、そのまさかだった。
 案内された部屋は建物の外装以上に豪華に見えた。羽毛で仕立てられたベッドですら俺達にとって遠いものである筈なのに、此処では当然の様に其処にあるのだ。並べられた食器類の金細工、いやこれはメッキなのだが、それでも俺達には到底手の届かないものばかりが並べられていた。
「お前は今日から此処で寝泊りね。そして、僕の身の回りの世話をするんだ」
    つ・ま・り、奴隷って事。
 そう付け足して、若様は今日一番いやらしい笑みを浮かべた。
「は、はい……って、え? 今なんて?」
 ニィと邪悪に微笑んでいた若様の言葉に、状況に追い着けないでいた俺は思わず返事をしてしまった。いや、言い訳すれば、内容は聞き取れたのだが意味が良く判らなかった。判別する思考がすっかり失われていたのだ。
「じゃあ、新人奴隷のお前に初仕事だ」
 若様はそう言って、徐に自分のベッドの縁に座った。
「こっちに来い、ハル」
「え、と。何をすれば……?」
 表現通りぼけっと見詰め返していた俺に、若様は露骨に舌打ちした。
「疲れた。もう寝るから、寝巻きに着替えさせてよ」
「えぇ?」
「何? 若しかして……命令が聞けないとか言うつもりじゃないだろうね?」
 そんな事自分でやれよと言いたかったが、新規参入者である俺に対応した昼間の男の話を思い出す。命令に背くのは芳しくないだろう。
「……わかりました」
 俺は忠実を装って若様の服に手を掛けようとするが、先ず何処を触ればいいのかだけでも酷く逡巡させた。
 取り敢えず茶を濁す要領にしても拙いが、目前にあるベルトを外していく。座った姿勢の若様の腰元に手を置いて顔を近付けていると、その下腹部のスパッツが良く目に付く。
 これも、その内脱がせる事になるのか……。
 若様はぎこちなく命令に従う俺を見下ろしてクスクスと笑った。
「下半身から脱がすんだ。何かと勘違いしてない? これだから童貞君はイヤなんだよね。クスッ、どっちみちこのまま押し倒す勇気もないんだろうけど」
 若様は町の隅で見掛ける娼婦の様な笑みを浮かべ、太腿を擦り合せた。俺は生唾を飲み込みながら、取り外したベルトを脇に置いた。
 若様の胴衣に手を掛けてゆっくりと持ち上げる。若様が腕を上にんっと伸ばす。するりと抜け出した胴衣。露わになった若様の眩しい脇に視線が釘付けになる。
 股間に熱が籠る。若様の脇がまるで性器の様に淫らな器官に見えた。思わず前屈みになりながら胴衣を畳んで傍に追い遣った。
「あ、んっ」
 若様の肌着を脱がす時はもっと戸惑った。スパッツ素材で伸び縮みしやすいそれに指を滑らすと、若様が艶のある声を発した。正直心臓が止まるかと思えたが、若様は腹を抱えて笑うのを我慢する様にぷるぷると震えた。
「お前の脱がし方無駄にエロいんだよ……」
 若様が言う。若様のお召し物を傷ませる事の無い様に丁寧に脱がしているつもりだったが、その指と掌が若様の肌を直接撫でている事には気付かなかった。
「す、すみません」
「そんなに触りたいなら好きなだけ触らせてあげるよ?」
 誑かす様な言い方に動揺しながらも、肌着を脱がせる事には成功した。真っ白で傷一つない、まるで世界の果てで旅人を待ち詫びる偉大な宝石の様な体。舌で嘗めるのに一切躊躇はいらない程滑らかで繊細な肉肌。
 俺は正直気が狂いそうだった。
 しかし若様の胸に、丁度乳首の膨らみには、まるで禁忌に対する封印の様に絆創膏が貼られているのを見て、驚きつつも多少なりとも落ち着いた自分が居た。
「見られなくて残念だねぇー? 此処は僕の敏感な部分だから、許可なく触ったら死刑だよ」
 若様はそんな俺の様子を楽しげに眺めている様だった。
 残った衣服は若様の履くスパッツを残すのみとなった。早速取り掛かろうかと手に掛けた瞬間、若様が急に止めた。
「ああ、其処はいいよ。履いたまま寝るから」
「え」
「それとも、脱がしたかった? ……この下、何も履いてないんだけど」
 からかう笑みに首を振り、手を離す。若様は馬鹿にした様な顔で頷いた。
「じゃあ今度はパジャマを着せて。ほら、さっさとしなよ。……それとも、本気でこのまま押し倒しちゃう? 童貞にそんな勇気ある筈ないよね。今までの奴等だってそんな事する奴いなかったよ。まぁ、居たら居たで死刑だけど」


 ああ、成程。若様はこうやって普段部下をからかっているのか。
    俺はこの少年を哀れに思った。こんな事をしても何にもならないだろうと思ったのだ。
 自分が抱える何かを発散したり埋め合わせたりが出来る筈もない。今までこんな風にからかわれてきた他の連中はどんな気持ちだったのだろうか知らないが、俺はそう思った。
 それにもし、此処で若様の言う通りに押し倒したりなんかしたら。若様は何を考えるのだろう。
 それも、気になった。


「……早くしなよ。童貞の癖に一丁前に焦らそうっていうの? 流石に寒いんだけど」
 急かされて、用意されてあった白の柔らかいパジャマで若様の素肌を隠す。前のボタンを一つずつ付けていっていると、若様が俺の耳元に囁き掛ける。
「ねぇ、今おっきくしちゃってる?」
 体を大きく退かせた。
「な、何を。そんな訳ないでしょう」
 若様は俺の反応を無視した様にして、着替え終わった所で若様は大きく伸びをした。欠伸から眠気を吐き出す。
「あーあ、今日は疲れた……じゃあ先に寝るから、お前は其処等辺で自由に寝ていいからね」
 自由と言っても、この部屋にまともに寝転べるのは床以外にソファーしかない。必然的に其処で寝ろという事だろう。
 俺が寝床に逡巡しているのを楽しそうに眺めながら若様はベッドに潜り込む。
「そうだ……もし寝ている僕の傍に近付いてきたら、死刑だからね。寝込みを襲わないでよ? 男の子に欲情しちゃう、ド変態のハル君♪ クスクス」
「ッ、誰が襲うかっ」
「変態は否定しないんだね。おっきくしちゃったのは事実なのかな?」
「〜〜〜さっさと寝ろッ」
「はいはい」
 思わず語気を荒げた俺だったが、若様は気にしない素振りだった。
「あ、明かり消してくれる?」
「……」
 寝たか、と思った瞬間に再び声を掛けられて身動いだ事は言うでもない事かもしれない。
 俺は返事も返さずに明かりの火を吹き消し、暗闇の中手探りでソファーを見付けて寝転がる。
 高級な生地で編み込まれているのだろうその場所は座り心地も良いが寝心地もいい。少なくとも以前まで寝ていた茣蓙よりかは良い夢心地で居られそうだ。
 それに今日は色々と疲れていた事もある。俺の瞼には直ぐに睡魔が襲い掛かり、その日は無防備な気持ちまま夢の底へと落ちていくのだった……。

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【メモ-用語】
“地名姓”

地名姓ってナニ?な方へ。
レオナルド・ダ・ヴィンチのヴィンチ(=ヴィンチ村の)であったりレオナルド・ディカプリオのプリオ(=プリオ島の)であったり、はたまたレオナルド・エンリケ・ダ・シルバのシルバ(=シルバの)など、日本に於いての山口や宮崎などといった出身地名に因んで生じた姓の事。
なので地名姓=出身地を表していると言えなくもないが、日本でも山口って人が山口出身である事は実際少ないし、上記のレオ様達についてもあまり真に受ける話でもない。(ダ・ヴィンチは生家が知られているから確実としても)
なお、レオナルド熊に関して熊は地名ではなく哺乳類である。

しかし、ファンタジー的にはもう地名姓=出身地としてもいいのではないかなと思っている。
というのは、中世という時代上出身地を由来とした姓が今にも生じている最中である筈だし、交通網が発達しているとも思えない為基本的に出身地でその姓が栄える。つまり、地名姓=出身地と見做しても滅多な事で外れないだろうという事。

しかもこの考え方に基づけばキャラの姓を考えると同時に出身地の名前も自動的に決まる。
例えば皆さんお馴染みのRPGの主人公の出身が「はじまりの村」だったとしましょう。姓が判らないと思った時は地名姓だと考えて、その主人公の姓は「はじまり」になる訳です。
どんなにカッコイイ名前をデフォルトから変えても此奴の姓は「はじまり」になるのです。
「はじまり」という姓ではじまるのです。
ダ・ヴィンチをフューチャリングすれば「ダ・はじまり」です。
しかもその理論だと他の村人の姓もきっと判りません。此処で地名姓を適応すれば皆、姓が「はじまり」となります。
皆兄弟ですね。出会ったら会釈しましょう。
では此処でその場所が「う○この村」と呼ばれていたらどうなるんでしょうか。
また機会があれば想像して見ましょうね。



…何の話でしたっけ?

11/10/25 22:58 Vutur

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