読切小説
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TAKE ON ME
私はリリム。魔王の娘にして、この世界を支配しつつある魔王の力の象徴。

生まれながら強大な魔力とあらゆる男が虜となる美貌を持ち、成功が約束された人生を歩む、完璧に近い存在。

私自身は勿論、私の周囲のあらゆる存在が苦痛とは無縁の生き方を送る事ができる。

そう思っていた。少なくともほんの数ヶ月前までは。



今私の目の前にあるのは2冊の日記。一つは私が書いた日記で、もう一つは過去に私と出会った一人の男性の遺品。そう、彼は既にこの世にいないのだ。

私は、その男性が書いた日記を手にとった。


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恵雨の月 7日

今日僕は、これまでの人生で最も美しい存在と出会った。希代の彫刻家が己の精神を犠牲にして作り上げたかのような美貌に、真珠色の清流を思わせる髪、そして、一点の曇りなき紅玉のような瞳。彼女の美しさを表現するために、もっと多くの本を読むべきだったかもしれない。

彼女は、自分の殻の中に閉じこもっていた僕の前に突然現れ、人間はおろか魔物娘からも愛されなかった僕に戒めの言葉を授けてくれた。

人間嫌いの僕はこれまで誰とも積極的に関わろうとせず、孤独な人生を過ごしていた。傷つくことを恐れ、周囲の人を見下し、話を聞こうともせず、自分自身も含めて誰一人愛してこなかった人生。そのような人間が誰からも愛されないのは必然だ。

そんな簡単なことにも気づかなかった僕に対して、彼女はありのままの自分と、ありのままの世界を受け入れることの大切さを教えてくれたのだ。

彼女は孤独な僕の手を取り、優しく握りしめてくれた。その手を握り返し、立ち上がって、自分の人生を前を向いて生きていこう。いつか彼女のような美しく完璧な存在に釣り合うほどの人間になったら、この日記をもう一度開いて、自分の人生が変わった今日この日を、懐かしむ時が来ることを楽しみにしている。

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私は一度日記を閉じると、もう一冊の方の日記に手を伸ばした。私が書いた日記だ。あの日のことを思い出すために、美麗な装丁があしらわれたその日記の項を開く。そこには酷く動揺して震えた筆跡で、あの日の私の心情が綴られていた。



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星霜の月 28日

彼は死んでいた。自殺だった。近所の崖から身投げしたのだ。彼には身寄りや友人がおらず、その亡骸は教会の共同墓地の片隅に人知れず埋葬されていた。

彼の住んでいた地域は魔物娘が少なく、排他的な風土もあってか、嫌な噂が広まっていた。曰く「大人しかった彼は白い髪の悪魔に会ってから行動がおかしくなった。悪魔との接触で気が触れたのではないか」と。

心臓がひとりでにねじれているような感覚がする。手が震えてうまく字が書けない。

魔法で彼の霊を呼び出し、自殺の原因を聞き出そうとも考えたが、出来なかった。怖かったのだ。もしも噂が真実で、私の言葉が原因で彼が自殺に追い込まれたとしたら、私は魔物娘にとっての禁忌ーー殺人を犯したことになる。故意かどうかは関係ない。

でも、仮に私が原因で彼が自ら命を絶ったのだとしたら、何がいけなかったのだろうか。あの日、彼は自分が誰にも愛されない原因が自分自身にあることを心から受け入れていた。あの希望に満ちた表情を見て、誰が数ヶ月後に自殺する人間だと思うだろうか。

何が何だか分からない。真実を確かめるのが恐ろしい。周りの魔物娘たちは私のことを心配して話しかけようとしてくるが、今は誰にも会いたくない。今日はこのままベッドに入ろう。薬師に調合された睡眠薬が効くといいが。

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私は恐怖と混乱に苦しみ、魔王の娘らしからぬ振る舞いをしてしまったあの日のことを思い出しながら、日記を閉じた。そして、再び彼の日記に手を伸ばす。

真実を確かめるために、この日記を開くことを決断したのは昨日のことだった。

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星霜の月 2日

もしこの項が貴女に読まれているとしたら、僕はもうこの世にいないのだろう。この項は強力な魔力を持つものでしか読めない特殊なインクで文字が書かれている。貴女にしか読んでほしくなかった。有り金の殆どを使い果たしたけど、これから死ぬ人間には関係のない話だ。

結論から先に言うと、僕は僕なりに精一杯考えて、自らの命を絶つ決断をした。病みきった精神で衝動的に死のうとしているわけでもないし、ましてや貴女の言葉が自殺の原因になったなんてことは絶対にない。だから、貴女が僕の死に責任を感じることは一切ない。これだけは最初に言わせてほしい。

貴女と会ってから、僕は精一杯努力をした。積極的に人と関わり、人の話を聞き、ありのままの他人と自分を受け入れ、せめて一人でも僕のことを心から愛してくれる人間を探そうとした。

でも、結局望みは叶わなかった。

なんてことはない。どんなに誠実に他人と関わろうとしたところで、他人とのまともな関わり方の経験を積んでいない上に、他人から裏切られることへの恐怖を心のうちに秘めていれば、気味悪がられるのは当然のことだ。特に女性はそのような心の弱さを敏感に察する力を持っている。

僕が持っていると思いこんでいた優しさや誠実さは、結局のところ単なる弱さの裏返しだった。他人から拒絶されても平気でいられる心の強さを、持っていれば良かったのだけれど。

もし貴女との出会いがなけれな僕は再び自分の殻のうちに閉じこもるか、最悪僕を受け入れてくれない他人を恨み、傷つけていたかも知れない。

でも、貴女との出会いは確実に僕を変えていた。他人を恨み、嫌悪する気持ちは湧いてこなかった。

僕のような人間が他人から拒絶されるのは至極当然のことだ。僕が僕以外の人間の立場でも、僕のような人間に対して同じような態度をとっていたに違いない。

人間の社会というのはそういうものなのだ。他人とうまく関われない弱さを持った人間は、こうやって淘汰されてきた。野垂れ死になどではなく、自分自身の意志で自分の人生を終わらせることができる僕は、まだ幸福な方だ。

貴女のような完璧な女性にとって、僕は無数の取るに足らない迷える人間の一人かもしれない。僕の自殺は貴女にとって少し後味の悪い、でもすぐに忘れるようなちっぽけなことかもしれない。むしろそうであってほしいと願う。僕のような人間の死が、貴女を悩ませるようなことはあってはならない。

でももし貴女が僕のことをほんの少しでも気にしているようなことがあれば、そして、この日記を手に入れて、この項を読んでいることがあれば、聞いてほしい我儘がある。

僕が自分で自分に下した判断を、どうか受け入れてほしい。改めて言うけれど、僕は僕なりに精一杯考えて、なんとか幸福に生きようともがいてみた。そして結局は自らの命を絶つことに決めた。できることなら別の道も探したかったけれど、僕にはそれが出来る強さも自信も足りなかった。

貴女は孤独な僕に手を差し伸べて、僕はその手を握り返したけど、結局自分の足で立ち上がることは出来なかった。それだけの話だ。

心が折れない、あるいは折れたとしても何度でも立ち上がる強さを持つ素敵な男性と、貴女が巡り会えることを祈っている。

最後は「愛している」と結びたかったけど、魔物娘が人の死を何よりも嫌うことを知っておきながら自殺を選んだ僕に、そのようなことを言う資格がないことは分かっている。

だから、代わりに言わせてほしい。


ありがとう。貴女に逢えて、僕は本当に幸せだった。


最期の瞬間は、貴女のことを考えながら迎えることにする。


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私は日記を閉じると、旅支度を始めた。目的地は勿論「不死者の国」。自分自信を生贄ーーつまり伴侶として、彼の魂を呼び戻すのだ。

蘇った彼は残念がるだろうが関係ない。魔王の娘、リリムとしてではなく、一人の女として、自分の素直な気持ちをぶつけるのだ。

まずは全力で怒ろう。「ふざけるな。何勝手に自分で満足して死んでるんだ。本当に忘れられるとでも思ったのか」と。

次に全力で謝ろう。「ごめんなさい。もっとそばにいるべきだった。貴方という人間が持つ苦しみを、もっと本気で知ろうとするべきだった」と。

そして全力で告白しよう。「貴方を愛している。自ら死を選ぶほど追い詰められた状況でもなお私のことを想って、あの日記を書いてくれる優しさを捨てなかった貴方のことを、世界で一番愛している」と。

私はなんとしてでも貴方を迎えに行く。貴方の愛を手に入れるために。



ーーFIN.
22/02/26 21:03更新 / SHAR!P

■作者メッセージ
タイトルとあらすじで察した人もいるかもしれませんが、本作はa-ha-の名曲「Take On Me」の歌詞に対する自分なりの解釈を盛り込んでいます。この歌のメロディ自体は前から知っていましたが、「The Last of us2」の作中歌としてアレンジver.を聞いたときに、改めて良さに気が付きました。

また、全体的な雰囲気や構成は、「フィンチ家の奇妙な屋敷で起きたこと」の影響を強く受けています。PS4とswitchで遊べる名作なので、興味がある方は是非プレイしてみてください。

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