連載小説
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愛しの侵略者
信夫はベッドの中で香苗の体を包み込むように抱き締めていた。
親鳥が雛を温めるように、香苗の震えが止まるように。
「……」
「……」
香苗は埋めていた信夫の胸から顔を上げて赤く泣き腫らした目で見上げた。
「……ありがとう、もう大丈夫だ」
「そうか」
言いながらも信夫は香苗の背中をさするのをやめない。その手を香苗がぐずるように押さえる。
「もういいったら、こら、これじゃ気分がでないじゃないか」
「気分?」
「これから性行為をしようというのに盛り上がらないだろう」
「そう焦らなくていいだろう」
「ホテル代もタダじゃないぞ」
「俺が払う」
「それが心苦しいというんだ、後で必ず返すが……」
「いい、もっとゆっくりしていたい、いいだろう香苗」
信夫のねだるような言葉に香苗はぱた、と抵抗をやめた。
「……それじゃあ、少し負担を軽減しよう……ちょっと手を自由にしてくれ」
抱き締められた状態から片手を解放してもらった香苗は空中にすいすいと何かを描くような動作をする。
いや、実際に指の先がほんのりと光って中空に文字のような軌跡が描かれてぼんやりと光っている。
「うん、これでよし」
そう言うとまた信夫に抱き付いた。
「何をしたんだ?」
「この部屋の時間の進みを遅くした、これでゆっくりしても料金はお得だ」
「まさか……」
「嘘だと思うなら見てみるといい」
香苗はベッドから身を起してホテルの壁際に行こうとした……所でぴた、と立ち止まってベッドの上で何をするのかとこっちを見ている信夫を振り返った。
「……ついて来てくれ、肌が寂しいじゃないか」
「……ああ」
どうやら一時も離れるのが嫌なようだ、苦笑を浮かべて信夫はベッドから立って香苗の背中をまた抱き締めてやる。
「ううん……いいぞ、こうされていると魔力のノリもいい気がする」
また信夫に包まれた香苗は満足気な表情になると、背後から抱き締められた格好のままホテルの壁にまたサラサラと指を這わせる。
「……!?」
唐突に信夫の視界にビルの壁が映った。
ラブホテルの壁の一面が消失し、外の夜の街並みが見えるようになったのだ。
「視界から消えただけで実際には壁は存在している、マジックミラーみたいなものだから外からは見えない」
思わず身を竦めた信夫に香苗は言う。
「見ろ、動きが遅いだろう?部屋の中の時間が引き伸ばされているからそう見えるんだ、ああ、丁度雨も降っているからわかりやすいな」
「……」
信夫は言葉もなく外の景色を見ていた。
雨にくすぶる夜景がスクリーンのように壁に映っている、そしてその景色の全てがスローモーションだ。
道を歩く人も、車も、そして目に見えない壁にぶつかって弾ける雨粒までもゆっくりと流れて見える。
信夫はそっと見えない壁に手を触れてみる、確かに触れる。
「これは……香苗がやっているのか」
「うん?……ああ、説明していなかったな、魔法が使えるようになったんだ」
特に大きな感慨もなさそうに香苗が言う。
「魔法……?」
「そうだ、死人が生き返るような事態なんだから魔法くらい驚くに値しないだろう」
「……値するぞ、普通は」
「そうか?」
微妙にズレた会話をしながら二人はゆっくりと流れる夜景を寄り添って眺める。
「すごいな」
「面白いだろう」
「ロマンチックだ」
香苗は少し驚いた顔で信夫を見る。
「君の口からそんな言葉が出るとは」
「悪いか」
「いや、素敵だ」
そうして暫く二人は黙って景色を見つめた。
「……」
「……」
そうして、どちらからともなくキスをした。







 二人はベッドに寝転がった。
すぐに行為に及ぼうとはしなかった。ただごろごろと抱き合い、話し合い、じゃれあい、たまにキスをして、たまに泣いた。







 「なあ、無駄な時間というのは素晴らしいな」
「無駄?」
「例えば今だ、ラブホテルに泊まっているというのに子供のお泊りみたいな事ばかりしている」
「そうだな」
「以前はできない事だったな、何しろいつまで生きていられるかわからなかったもんだから……」
「これから過ごせばいい」
「うん?」
「沢山時間を無駄に過ごしたらいい、俺も付き合う」
「ふふふ、そうだな、付き合ってくれ」







 「最近のラブホテルは映画も見れるのか」
「そういうビデオじゃなくてか?」
「うん、普通の娯楽映画だ、どれ、一つ見てみようか」
「わざわざここに来てか……」
「いいじゃないか、これこそ無駄って感じだ、あ、これ面白そうだな」







 「この女優、演技がうまくないな」
「本当に……」
「うん?」
「ラブホテルに来て何をやっているんだろうな」
「んふふ」







 「どうした」
「うん?」
「急に抱きついたりして」
「幸せすぎて不安になった、君の体温を感じたい、これが現実だと実感したい」
「好きにするといい」
「ありがとう……ぐすっ……」
「泣き虫になったな」
「そうだな……自分でも知らなかった」
「……」
「……」
「君も泣いてるじゃないか」
「いいだろう……今は……」
「いいとも」







 「なあ、信夫」
「何だ」
「呼んだだけだ」
「そうか」
「……」
「……」







 「香苗」
「呼んだだけか?」
「そうだ」
「だと思った」







 「なあ、信夫」
「ああ」
「信夫」
「ああ」
「信夫……」
「ああ……」







 信夫はベッドの上で揺れる香苗の身体を見ていた。
室内の照明は落とされており、暗い。
映画は二人共途中で興味を失くし、音声を消して映像だけが垂れ流しになっている。
液晶画面からは映画の場面に合わせて移り変わる灯りが部屋を万華鏡のように照らす。
「あ……あぁ、ぁは……」
その灯りが香苗の白い身体と表情を照らす。
どちらから始めたのはわからない、キスをする間隔が短くなっていって、抱き合っている時間が長くなっていって。
気が付けば香苗が跨る形で繋がっていた。
「あくっ……ぁぁ……ぁぅ……」
頼りない光を写して香苗の目が揺れている。
「……ん……ぁあ……う……」
初めて見る香苗の姿だった、幼い時から命の際に至るまで、こうして蘇って素を曝け出してさえその目の奥には深い知性が宿っていた。
「あぅ……ぅん……」
その香苗が今、思考する事を放棄していた。
完全に理性を投げ出して身体の感覚にだけ全てを委ねている、信夫に全てを預けている。
「のぶ、くん……」
香苗は信夫の胸に手を着いて顔を覗き込む、理性の溶け落ちた目で信夫の顔を見る。
ゆっくりと腰を上げて、落す。上げて、落す。それに合わせて湿った音が響く。
信夫はその一往復ごとに歯を食いしばって耐えなくてはいけなかった。
「あぁ、のぶくん、だめだよ……気持ちいいのを我慢したら……ふふ、ふ、私は、ぁはぁ、我慢させない、ぞ……」
腰の動きに捻りが加えられる。
香苗の複雑な内部にまた違う角度で陰茎が扱きあげられ、信夫は呻き声を上げさせられる。
さらさらと白髪が信夫の手足に絡みつく、蜘蛛の糸のようだ。
と、香苗が子犬の鳴き声のような声を上げてことん、と信夫の胸に額を落とした。
忘我の境地を彷徨う目が信夫に向けられ、一瞬の間を置いて焦点が合う。
「ああ……死んでしまいそうだ……」
「もう、死んでいるだろう」
「あははぁ、死人の口づけだ」
笑ってキスをしてきた。
その瞬間、信夫は耐え切れずに香苗の中に放った。







 二匹の蛇がベッドの上で絡み合っている。そんな考えが信夫の頭に思い浮かぶ。いや、二種類のアメーバが溶け合っているという方が正しいかもしれない。
自分がどんな体勢をしているのか、手足がどうなっているのかさえわからない。全身のありとあらゆる箇所で香苗の滑らかな肌を感じる。
「私、たち、は……」
耳元で声がする、香苗の声だ。上ずって蕩けていながらも冷静さを感じさせる声。
「死すら、超越して……」
しかしその底に恐ろしい情念が息づいているのを感じさせる声。
「結ばれ、た」
ぐちゃ……びちゃ……ねちゃ……
ぎっ……ぎぎっ……ぎしっ……ぎしっ……
粘液の混ざり合う音と、ベッドの軋む音と、互の激しい息遣いが絶えず響く。
そんな中にあっても香苗の冷たくて熱い声は耳に鮮明に届く。
「誰にも、引き離すことは……できない……」
信夫はまた、香苗の中に放った。







 「うう、ん……」
信夫は目を覚ました。
視界に映るのはホテルの天井、しかし違和感を覚える。
明るい、いや、明るすぎる。
そんなに大きな窓はついていなかったはずだが……。
「……!」
身を起こして少し驚く。ホテルの壁がまる一面無くなっており、そこから街の朝日が差し込んでいるのだ。
そこに一糸纏わぬ香苗の後ろ姿が立っていた。
(……そうか、魔法か)
魔法で壁を消せるという事実に頭が追いつくのに少し時間がかかる。
「おはよう」
香苗が振り向かないまま挨拶をした。
「……」
信夫は返事を返せなかった。
朝日に照らされる香苗の姿は、肌も髪も真っ白に輝いて奥の景色が透けて見えそうな透明感に溢れている
その姿に思わず見とれてしまっていた。
「のぶくん?」
「あ、ああ、おはよう」
振り返った香苗は少し微笑むとまた街に視線を戻した。
信夫はベッドから起き上がって香苗の隣に並び立ち、同じように朝日を浴びる。
目の前を鳩がゆっくりと飛んで横切った。昨晩から続く時間遅延の魔法は今だに効力を発揮しているらしい。
「何を考えていたんだ?」
信夫は隣の香苗に問う。
「うん?」
「考え事をしている顔だった」
「まあ色々とな」
香苗は言葉を濁した。
二人はしばらくの間じっと黙って赤い朝焼けを浴び続けた。
「私は人類の敵になる」
突拍子もない事を言われて信夫は香苗の方を見た。
香苗は無感情な目をしている。
「蘇って得た終わらない命と「ここ」は人という種を変えるために使うと決めたんだ」
自分のこめかみをとんとん、とつつきながら香苗は言った。
「……」
「君にも片棒を担いでもらう事になる」
「俺に?」
「私が生きていくためには君が必要不可欠だからな」
「……」
「この一度死んだ肉体と精神は君の支えによって成り立っている、君を失えば私は本当の意味で死ぬ」
香苗は信夫の方に視線を向ける。
「そして君は決して私を見捨てないという事もわかっている、つまり君が生きて私を支え続ける限り私は侵略に貢献し続ける」
「そうか」
信夫は素っ気なく言った。
「いいのかい?」
「お前の才能をどう使うかはお前の自由で、俺が誰を好きになろうと俺の自由だ」
「結果、人類が変質しても?」
「勝手に変わったらいい」
「わかってはいたが君の精神もかなり怪物だな」
「誰を好きになろうと自由」の部分で微妙にニヤつきながら香苗は言う。
「変わり者を好きになる奴は、それは変わり者だろう」
「なるほど」
「しかし……」
「うん?」
信夫は街並みに視線を巡らせると、一つの店を指さした。
「安藤園」
「何?」
「あそこの中華料理屋だ」
「うん?」
「魔物が侵略してもあの店の味は受け継いで欲しい、あそこの餃子はうまい」
「なるほど、前向きに検討しよう、他に要望はあるかい」
「上司が強引に部下を飲みに誘えない法律を制定してもらいたい」
「掛け合ってみるか」
「だがお花見自体は無くさないでもらいたいな……」
「難しい注文だな……」
二人は本気なのか軽口なのかわからない将来計画をああだこうだと話し合い始める。
地べたに座り込んで寄り添い、飽きる事なく。
「休みはもらえるのか?その仕事は」
「多分……上司が適当だからな」
「侵略する前に遊園地に行こうか」
「ああ、いいな、一度行ってみたかった」
「海に行くのもいいな」
「それも行ってみたかったんだ……水着姿には自信が持てないが」
「グラマーなだけが魅力じゃない」
「君がそう言うなら……」

こうして夢を語る事は生前もあった。
だけどそれは実現不可能である事を知っていながら話す夢想だった。
生涯をベッドの上で過ごす事を知りながら話す夢物語だった。

「海外旅行に行って見聞を広めるのもいいかもしれないな」
「いいね、中南米あたりに興味があるんだ」
「そこで何故危険な地域に……」
「なあに死にはしない」
「それはそうなんだが」

今は違う

「なあ、全部できちゃうんだな」
「ああ」
「できないって思ってた事が、何でもできてしまうな」
「魔法まで使えるしな」
「今日はもう、いい加減泣くのも飽きているんだがなあ……涙と言うのは……枯れないもんだなあ……」
「今まで溜めてきたんだからその分出るだろう、出せばいい」
香苗は信夫の肩にぐりぐりと額を擦り付けた。
「何が出来るよりも君と一緒にいられるのが一番嬉しいよ」
「俺もだ」
「……………うぁぁん……のぶくぅん………」







 「ふぅ……ぅ……」
小菅はベッドの上で目を覚ました。
左側に感じる重み。
一度は失った重み。
なんと幸せな重みか。
しかし今回はいささか……。
「………太陽が、黄色く見えるというのを……我が身で実感する日が来ようとは……ごほっ」
「じき、慣れていきますよ」
左を見ると妻の笑み、生前と同じ控えめで儚げな笑み……。
するる、と妻の手が下半身に伸びてきた。
「ま、待ってくれこれ以上は……」
「たくさんすれば早く慣れますよ、早く慣れましょう?」
控えめな笑みを浮かべつつ妻は身を寄せてきた
しっかりと肩に手を回して逃れられないようにしながら。
(ああ……妻の知らなかった一面をまた知ることができた……素晴らしいことだ……うん、素晴らしいことだ)
「あ、な、た♪」
(……素晴らしいことだ、う、うむ……だから、俺は死に物狂いで頑張らねばならない……!)
「やん♪」
何か悲愴な覚悟を決めた表情で覆い被さって来る夫を妻は喜色満面で迎え入れた。







 「先生?」
「ぎくっ」
明け方の院長室だった。
入ってきた看護師サキュバスの冷たい視線を受けてジュカは作り出した時空の裂け目の入口で固まった。
「どこに、いかれるつもりでしょうか?」
「や、ちょっとお花を摘みに……」
「ああ、よかった……始末書をそのままにして逃げ帰ろうとしているのかと思いました」
「あうう……」
ジュカは半泣きで自分のデスクの上に山積みになっている書類を見やった。
「ええ、先生はそんな無責任な事はしませんよね?規約違反をした上に後始末まで放り出そうとするなんて」
「……ね、ねね、ちょっと……ちょーっとだけ抜けさせて貰えないかなぁ〜?そろそろ魔力が枯渇しちゃいそーで〜」
「リリムである先生の魔力が枯渇、ほほお緊急事態ですねえ、測定しましょうか今すぐ」
「……がんばります……」
ジュカはすごすごとデスクの前に戻る。
「さ、夜が明けきる前に処理を終わらせてもらいますよ?」
「ふひぇぇん……助けてコンラッドくぅん……」


15/05/14 22:53更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
長らくお待たせしました。
終わらせるのが精一杯やった、エロが薄いのは勘弁したって・・・!

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