読切小説
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こくはく
1

 夜もそこそこにふけた公園で、僕は彼女に結婚を申し込んだ。
 結婚を申し込んだのは人生初めてのことだった。魔物娘がいても変わらない婚活ブーム立ち込める昨今の流れに逆らわない形で、僕は彼女に結婚を申し込んだ。もともと結婚に対して特別なイメージというものは抱いてはいなかった。
 もちろん人生の大切な節目という認識はあったけれど、それはあくまでも一つの節目に過ぎない。僕はその幸せの絶頂の時間よりも、むしろそこから幸せを続けていくことの方がよっぽど大切で特別なことだと思っていた。
 この考え方が少々、世間一般が考える結婚論とはずれたものであるという自覚も言うまでもなくあったのだが、幸いにしてこの考え方は彼女に話した時におおむねの同意を得られた。早い話が彼女とはソリが合ったのだ。
 だから答えはもう決まっているものと、恥ずかしながら傲慢にもそう考えていたからこそ彼女の返答には一瞬困惑してしまった。
 否、そうでなくとも困惑しただろう。
「ごめんなさい。少し、ほんの少し考えさせてください」
 想定外の返事に答えが詰まったが、
「そう。うん、そうだね。ゆっくり考えるといいよ」
 なんとかそう返すことができた。
 そしてゆっくりと俯く彼女を見ながら、ぼんやりとどうしてだろう?と考える。人生最大の失敗は乾坤で――いや違う違う。人生最大の失敗は結婚である云々とのたまった昔の偉人の言葉でも真に受けたのだろうかしらんと思考を弄び、そうじゃないなと自答した。
 たとえ結婚に対する考え方が似ているからといって、自身が当事者になった場合には話しが別だということもよくある。彼女もきっとその一人なのだろう。
 そう決めつけて僕は彼女から視線を外さずに返事を待った。急かすことはしない。重要度が違うとはいえ、人生の節目を決める決断ではるのだから、しっかりと彼女の意思を尊重するべきだ。
 と、自分自身の中で恰好つけたまではよかったが、まだこの季節の夜の冷え込みはまだまだ厳しいもので、正直な話ちょっと辛かった。
 彼女は黙ったまま、ゆっくりと考えている。どんなことを考えているのかはわからないし、知りたいとも思わなかった。相手の思考を読めたところでそれはまったくもって価値がない。
 そこから気の利いた美辞麗句や冗句の一つでも飛ばすことをするというなら、そんな気遣いは無用だ。触れて欲しい、わかってほしいと思ったところで相反する気持ちをもし知ったら、どうせ動けないだろうし。
「あの」
 消え入りそうな声で、聞き逃しそうになりながらも僕はなんとかその声の輪郭をとらえた。
「……どうかな」
「もし、よかったら、場所を移しませんか?」
 中々彼女は焦らし上手だった。

2

 ドアを開くと同時にどこか心地よさを感じさせる酒の香気が鼻腔を擽った。こんな時だろうと、ここは変わらない。
 心の奥でほっとしつつ、僕ら二人はカウンターに座った。やや薄暗い照明だけど、それがカウンター奥の酒棚に陳列されたボトルを宝石のごとき煌めかせている。初めて足を踏み入れた時は、どこか眩しく感じたその光景も今ではもう見慣れていた。
「あ、あの、シンデレラを」
「じゃあ僕はマイアミ」
「承りました」
 オシャレなバーにはオシャレなバーテンダーさんがいるというのは、約束事の一つなのだろうか?それくらい絵になる馴染みのバーテンダーさんが手際よく注文されたカクテルを作り始める。
 彼女はどこかそわそわと落ち着かない様子だった。ここに案内してきたのは僕ではなく彼女なので、まさかやっぱり場所を変えようかなんて言い出せない。
 まあ彼女が奥手なのは今に始まったことではないので、中々言葉が出てこないなんて慣れたものだ。
「あ、あの。どうしてその、結婚なんて」
 今日の僕の予想はどうやら一部外れるようだ。
「どうして、と言われるとちょっと難しいかな」
 僕は真剣に考えて、そう答えた。
 僕と彼女は付き合っている。そのことに不満は微塵もない。時々些細なすれ違いから喧嘩をしたりはするけれど、それはお互いにガス抜きとして大いに機能していることだし身体の相性もいい。そして男と女の仲になってからそこそこの年数が経っていた。
 だから、それなりの年数が経った男女がすることと言えば、結婚だろうと思ったのだけど、そうは答えられなかった。
 セックス?
 いやいや、それはもう両手じゃ足りないほどしてるって。
 そういう意味ではなくって。そう、きっと彼女が聞いてるのはもっと深い理由だと思った。本人にそのつもりがなくたって、無意識下で僕の本心を探っていると、そう感じた。彼女の魔眼でじっと心の底を観察されているような、そういうものだろう。
 そんな彼女を、そして何よりも僕自身を納得させることができる答えでなければいけない。確証ない確信だったけど、信じていいと思う。
 そうして考えてみると、僕はお酒の力を借りずにはいられない。
 ちょうど差し出されたマンハッタンに口つけて、僕は思考を巡らせた。
 まず、彼女のこと。
「あ、美味しい。酔っちゃいそう」
「シンデレラはノンアルコールカクテルだよ」
「……そうだった」
 彼女はバジリスクだ。魔物娘にしては珍しく人間と関わろうとせず、また大人しく物静かな場合が多い。彼女もその例にもれることはない。
 相手のことを知らないことは失礼だと思い、手ごろな文献を漁ってみたことがあった。相手が同じ人間なら手探りで距離を縮めていくしかないけれど、そうじゃないならこうして資料を用いて調べることは有効だ。
 性質、特性、事細かに記載されている文を一通り眺めたあと、ふと僕は思ったことがあった。
「だいじょうぶ、酔わないから」
「それ、どういう意味ですか?」
「気まぐれだよ」
「?」
 首を傾げる彼女に「それよりもさ」とかぶせるようにして聞いてみる。
「君は結婚ってどう思う?」
 魔眼を抑えるための仮面をつけていても、若干彼女の顔が赤く染まるのがわかった。彼女の中でどんな衝動が息づいているのかは想像に難くないけれど、口にはしない。「どうって言われても……」と考える素振りをする彼女も、普段とは違う可愛らしさがあった。
「素敵なことだと、思うけれど」
 素敵なこと。
 それは、どういう意味でだろう。考えるまでもなく、素直な意味でだとは思う。けど、それだけだろうか?
 理由もない疑問が首をもたげると、少し僕は不安な気持ちになった。まさか無神経に訊ねるわけにもいかず、ゆっくりとその言葉の意味を吟味する。
 吟味して、……したところで、だった。
 薄皮一枚分捲った程度の吟味で、その意味の深淵まで覗けるわけじゃない。好きと単純に言ったところで、その好きにどんな意味が含まれているのかを詳らかにできないのと同じだろう。
 また少しマイアミを呷って、アルコールを身体中に行き渡らせながら僕は言葉を探した。顔中がじんじんとする感覚の心地よさに身を委ね、目を閉じる。淡い光源とはいえたかが肉のフィルターで防げるはずもなく、網膜に薄っすらと光を感じながら思い出したのは、彼女のことを調べた時のことだった。
 初めて告白した時に、彼女はありがとうでもよろしくでもなく、ましてや恥じらいの言葉でもない、こう言ったのを覚えている。
『不安です』
 当時面と向かって(と言っても魔眼の封はされたままだったけど)言われた僕は、てっきり僕に対することかと思った。まだそれほど自分に自信を持てなかった時期で、なけなしの勇気を振り絞っての告白だったせいもある。それでも受け入れた彼女に対して僕は、青臭い決意を――幸せにしようという決意を固めたけれど。
 もし、あの言葉が僕に対して発したものではなかったとしたらどうだろう。僕以外、つまり、彼女自身に向けられていたものだとしたならば。
 彼女曰く、私たちはきっと目を見て話すことはない。
 その言葉を聞いたとき、僕はちょっとだけ寂しい気持ちになった。能ある鷹は爪を隠すとは言うけれど、爪を隠すしかない者だっているんだと、彼女の中を垣間見た気がして。僕と彼女の間には未だにきっと茫漠とした海溝があるのだろう。どうしても自分の特性が付き纏う彼女と、大して何も持たない僕とでは埋まることない溝というものが。
 そこまで考えると僕のやることも決まっていた。
「ねえ、まだ時間はあるかな?」
「え……はい。まだ、大丈夫……」
 僕はつとめて優しく言った。
「だったら、少し付き合ってほしいんだ」
 彼女はきょとんとしていたけど、バーテンダーさんはひっそりと笑みを湛えていた。

3

 目的地があるわけでもない散歩にも一定の風情というものが確かにあった。暗い道を照らす街路灯、遠くで幻想を描くネオンライト、ときおり通り過ぎる車に猫の鳴き声。
 薄ら影をふたつ分地面に落としながら、僕らはぶらぶらと歩いていた。彼女の場合は歩く、というよりも這うと言った方が正しいだろうけれど。
 特に会話があるわけでもなく、ただ黙って歩き続ける。手はしっかり繋いで、ぬくもりを確かめながら歩く。
 暗夜行路。
「どこかに、行くんですか?」
 空気感にどこか耐え難くなったのか、口を開いたのは彼女の方だった。それに対して、僕は平然と答える。
「いや、どこにも行かないよ」
「え?」
 ならどこに?と言いたげな彼女に被せるように「どこにも行かない」と続けて、僕は彼女と向き合った。
「僕はどこにも行かない」
「え?え?」
「一緒に歩きたいんだ、ずっと」
 そこまで言って、僕が何を言いたいのかわかったらしい彼女は顔を赤く染めた。どこまでも青い台詞だと自嘲したい気持ちもあったけれど、それでも本音には違いないという心の声が確かに、僕の深い場所にはあった。
「ずるいです」
「そうかもね」
 確かにずるい。結局のところ、結婚の申し出も、全てが僕のエゴで出来ている。色にするなら実に鮮やかな黒になるんだろう。だったら僕はその黒で彼女を包みたい。
「僕のわがままなんだけど、付き合ってはくれないかな」
 言って、しばらくしてから彼女は口を開いた。
 さて。
 なんて言ったと思う?
16/05/09 19:21更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。

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