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第十二話 『……私という奴は』
「……短針と長針は同軸上にして、数字は別々に……実用系のデザインか」

 腕時計を興味深げに眺め、クラウゼは嘆息した。この店にある時計は置き時計か懐中時計で、腕時計自体この世界では珍しいだろう。私の世界で腕時計が普及したのは航空機の普及によるところが大きい。操縦中にいちいち懐中時計を取り出すことを嫌った飛行士たちから需要が生まれたのだ。私も時計には愛着があるし、大事にしているものの一つだ。

「今設計しているものは新作ですか?」
「ええ、マーメイド用の懐中時計の注文を受けまして。耐水・耐圧性と外見の優美さとのバランスに苦労しています」

 『苦労』という言葉を出した割に、彼の表情は楽しそうだった。彼にとっては試行錯誤さえ喜びなのかもしれない。

「海の魔物たちは水温や太陽の向きなんかで時間が分かるものなんですが、それでもアクセサリーとして憧れがある方が結構いるみたいなんです」
「そういうものですか」

 確かに海中での使用に耐えうる時計というのは難しいことだろう。私の世界ではダイバー部隊のための防水時計も開発されていたが、この世界では女性が持つことを前提としたデザインでなくてはならないのだ。芸術的なセンスも問われるわけだが、飛行機も美しい機体ほど高性能というのが常である。機械のデザインとはそういうものなのかもしれない。

「師匠ならどうしたか、僕ならどうするか……そんなことを考えて作っています」

 こめかみの辺りをかきながら彼は笑う。彼の師匠というのが、おそらくレミィナの時計を作った人物だと推察できた。以前から興味のある人物だ。

「お師匠はどのような方だったのです?」
「何も知らない人が見れば……時代に取り残された老人だったでしょうね。この町が教団の領土だったころから、ひたすら時計作りのみに打ち込んでいました」

 クラウゼはどこか懐かしそうに、壁に吊るした懐中時計を見つめた。銀色のシンプルな外装だが、その渋みのある光沢はかなり使い込まれなくては出ないだろう。他の時計が心音のごとく音を立てる中、その時計だけは沈黙していた。時間から置き去りにされたかのように。

「僕以外の弟子はみんな、魔物と結婚すると店を辞めちゃいまして。師匠も魔物のお客には少し厳しくて……レミィナ姫はよく遊びにきてましたけどね」
「魔物と共存する時代に順応できなかった、と?」
「そう思っていた人は多かったですね。でも本当は……」

 銀の懐中時計を手に取り、彼はふと息を吐いた。ゼンマイでも巻くのかと思ったが、職人は止まった文字盤をただただ眺めている。

「師匠は何もかも新しくなっていく時代で、自分がやるべきことは何か分かっていたんですよ」

 クラウゼは時計を布で丁寧に拭きはじめた。まるでそれが師の分身であるかのように。その態度を見ていれば、彼にとって師匠がどれだけ偉大な存在だったか察しがつく。レミィナが時計をずっと大事にしているのも、その老人が彼女にとって大切な存在だったからだろう。

 芳ばしい匂いが漂ってきた。焼き菓子と紅茶の香りだ。

「お待たせー」
「お茶の葉がなかなか見つからなくてさぁ」

 滑らかな声とともに、レミィナとカトレがティーセットを運んできた。銀の盆には白磁のポットとカップ、そして狐色のケーキが乗っている。

「クラウゼってば、お茶は一番下の棚にしまいなさいって言ってるのに」
「え、違うところに入れちゃってた?」
「もう。上の棚に入れたらあたしの手が届かないじゃん!」

 着席しているクラウゼを見上げつつ、ドワーフの彼女はため息を吐いた。レミィナが笑いながらティーセットを置き、紅茶を注いでいく。カップも温められているようで、レミィナの手つきもかなり慣れているようだ。王女が自分で御者に紅茶を淹れるなど、考えてみれば凄いことかもしれない。

「この町は農業も盛んでね、お茶の産地としても有名なの」
「最近は野菜の加工品もいろいろ売られていますよ。ウスターソースとか」
「なるほど」

 空や丘の上から眺めたとき、町の周囲に広大な農地が見えた。緑の大地と豊かな耕作地。祖国にもあった光景だが、敵軍に蹂躙されて見る影もなくなった土地も多い。せめてこの世界ではそのような光景を見たくはないものだ。

「ヴェルナーにはキャベツとジャガイモをたっぷり買わないとね」

 レミィナの言葉につい苦笑しつつ、私は紅茶を一口飲んだ。爽やかな香りと渋みが口に広がる。
 クラウゼたちも思い思いに紅茶を口にし、ケーキを頬張った。レミィナはさすがにフォークの使い方なども気品があり、悪魔といえど王族としての教育は受けていることが分かる。エスクーレのピッツァ屋では焼きたてを冷ましてなるものかと言わんばかりにがっついていたが。

「……昔、北の空き地に娼館を立てる計画がありましてね」

 少しの沈黙を破り、クラウゼが口を開いた。

「魔物にとっては娼館も婿探しの施設だから、楽しみにしている人はかなり多かったんです」
「でも、あの人は反対した」

 レミィナが懐かしそうに呟く。クラウゼの師匠のことを言っているのだろう、逆回りの時計を白い手でそっと撫でている。

「ええ、師匠は真っ向から反対してました。町ではやっぱり頭が固いんだとか、古くさい考えしかできないだとか、中には老害呼ばわりする人もいましたね」

 言いながら、クラウゼは紅茶を飲んだ。早くも飲み干してしまったらしく、カトレが卓上に身を乗り出して二杯目を注ぐ。口調は穏やかだが、少し感情が高ぶっているように思えた。

「でも本当は道徳のためとか、そんな理由じゃなかったんです」
「……そう」

 クラウゼは再び紅茶を口に含み、レミィナが話を引き継いだ。

「その空き地がずっと昔から、子供たちの遊び場だったから。子供として無邪気に遊ぶのが、大切な時間だって知っていたから」
「時間、ですか」

 確かに時計技師に相応しい表現だ。そして数千年は生きるというレミィナがその言葉を使うことに重みを感じる。

「今でもその空き地は残ってるよ。あの人の名を取って、ヘンシェル広場って呼ばれてる」
「世界が新しくなるからといって、古い物をないがしろにしてはいけない。古い物がなくては新しい物も作れないから……師匠はそう言っていました」

 
 ふと、レミィナが私に微笑を向ける。クラウゼの言葉に、私は心当たりがあった。古きを守ることは愚かではない……エスクーレで私がレミィナに言った台詞である。あのとき彼女の反応は不思議ではあったが、その直後に受けた行為によって疑念もどこかへ消えていた。あの意味ありげな涙と微笑について考えたことはなかったのだ。

 だが少し分かった気がする。出会ったときから、レミィナは私の中にその老人の面影を感じているのかもしれない。エコーが代弁していたレミィナの思いもそこから生まれたのだ。
 時計作りに人生を捧げた職人と、飛行機の魅力に取り憑かれた航空兵。古い物を伝えようとした老人と、地球では時代遅れとなった騎士道に固執する軍人。
 通じているところは確かにあるのだろう。しかし残念ながら、私はその老人ほど立派ではない。

 ――私はただ、死に損なっただけだ――


「ヴェルナー」

 呼びかけられ、私は顔を上げた。

「どうかしたの? 何か哀しそうだけど」
「いえ、お気になさらずに」

 そうは答えたものの、私は作り笑顔というやつが苦手だ。誤摩化せたかどうか分からない。レミィナの視線から目をそらし、紅茶をすすった。

「……本当に、いい紅茶だ」
「師匠もこの葉が好きでした。他にはビールなども作られていますよ」
「ほう、それは楽しみです。私の祖国は向こうの世界で一番、ビールの品質にこだわる国でしてね」

 クラウゼと雑談を交わすものの、レミィナはその間も私をじっと見つめていた。赤い瞳は私の心をどこまで見透かしているのだろうか。今でも私に老人の影を見ているのだろうか。
 いずれにせよ確かなのは……彼女の気持ちには応えられないということだ。少なくとも、今は……。






















……………






………














「新入りー! もっと飲みねぇ!」
「テスナたち、まだお仕置きテントにいるの?」
「ありゃ明日まで出てこねぇな。これで少しは堪えればいいんだが」

 ざわめきの中、ジョッキにビールが波々と注がれた。深い琥珀色に、雲海を思わせる美しい泡。神々しいその至宝を一気に飲み干すと、深い苦みと風味が口から喉へ通り抜けていく。故郷の味とは違うがなかなか美味しい。
 星空の下でテーブルを囲む隊員の顔ぶれは様々で、軍服が似合いそうな面構えの者もいれば盗賊上がりのような奴もいた。荒事に向いてなさそうな非戦闘員らしき顔ぶれもある。やはりレミィナにとっての『遊び仲間』の延長と言ったところだろう。エコーたちを見ているとそれがよく分かった。
 そしてその中心であるレミィナはというと……

「エコーのおっぱい、相変わらずの微乳ね」
「余計なお世話だよお嬢。ってか揉むなし」
「リライアには勝てそうにないか」
「おい、お嬢と言えどぶっ飛ばすよ?」

 部下に嫌がらせをしていた。ちなみにエコーはルージュ・シティ領主の従姉妹らしい。
 ワインを片手に仲間達と笑い合うレミィナの姿は無性に眩しかった。白い髪をなびかせつつ、子犬のようにくるくるとじゃれている。美しく愛らしい、そして恐ろしい悪魔の王女は帰郷を満喫しているようだ。
 どうにも見ていられない。机に並ぶ皿はすでに大分空いており、私の腹もふくれている。周りの連中からすれば大して食べていないように見えるだろうが、ドイツ人のライフスタイルからすれば夕食は軽めがいい。酒も何杯か飲んだし、先に失礼するとしよう。

「少々疲れたので、この辺りで寝ておきます」
「あ、そうかい。おやすみ」

 隣に座っていた赤い肌の魔物は特に引き止めもせず、軽く手を振って自分の酒をあおった。











 私の寝床に指定されたのは小さなテントで、中には毛布なども用意されていた。魔力の込められたランプに火を灯し、クッションに腰掛ける。ゆらゆらと揺れる淡いオレンジ色の火を眺めつつ、枕元に置いてあった平たい木箱を開けた。レミィナはクラウゼに時計を預け、その帰りに町の雑貨屋などへ立ち寄り『ボーナス代わり』として嗜好品の類いを買ってくれたのだ。
 その一つがこの『魔界葉巻』である。魔界で育つ葉で作られた物で、通常の煙草と違い人体への害は一切無いそうだ。私には長寿にこだわる理由などないが、せっかくなのでこちらを吸うことにした。箱から濃い茶色の葉巻を一本取り出し、切り口が揃っていることを確認する。中身のしっかりと詰まっている葉巻でないと、熱くて辛い煙を吸うはめになるからだ。ナイフで吸い口を切り、マッチを擦って反対側をじっくりと炙る。

「……私という奴は」

 マッチの火を見つめながら、私はため息を吐いた。エコーに言われたことが頭から離れないのだ。そもそも多少なりとも自覚しつつ目を逸らしてきたことである。
 レミィナが私を愛している。だが、それに応えることができない。彼女に近づきすぎてはならないのだ。
 何故? 何のための自制だ?
 自分でも分からない。
 彼女は魅力的な女性だ。悪魔であろうと淫らであろうと、それは変わりない。魔性の美貌も破天荒な性格も、その中に隠れた繊細さも、全てが美しい。常に冒険を求める清々しさも持ち合わせている。
 そんな素晴らしい女性が私を愛しているのに、拒む理由は何なのか。自分に自身が無いというのも確かにあるだろう。しかし今でも飛行機乗りとして、男としての尊厳だけは失っていないつもりだ。それなのに……

 着火した葉巻を咥え、煙を口腔に吸う。紙巻き煙草のように肺まで吸い込んだりはせず、口の中でくゆらせて味わう。甘ったるい味がどことなく、レミィナたち魔物の故郷で作られた品であることを連想させた。なかなか悪くない風味だ。
 煙を吐き出して余韻に浸りつつ、これからのことを考える。彼女の御者として、今まで通りただ飛んでいればいいのだろうか。それとも彼女から離れるべきか。答えは出てこない。

「……ん?」

 ふいに、テントの入り口がまくられた。赤い瞳が二つ、じっと私を見つめている。

「あ、まだ起きてた」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、レミィナはゆっくりとテントに入ってくる。白い頬が酒のせいで紅潮しており、少し息も荒く感じた。
 私はとりあえず、葉巻を灰皿に置いた。これで放っておけば火は消えるし、吸いたくなったらまたつけることもできる。

「どうかなさいましたか?」
「んふふっ……どうもしてないよ」

 そう言いつつも、彼女はゆっくりとにじり寄ってきた。顔が間近に接近し、その口から漏れる吐息が私の顔をくすぐっていく。あぐらをかいた膝の上にはすでに彼女の膝が乗せられ、首には白くすべすべとした腕が巻き付いてくる。大分慣れてはいるものの、レミィナの肢体の感触と瞳の妖しい煌めきは、私の正気を徐々に侵蝕していた。

「……精ですか?」

 私の問いにレミィナはくすりと笑い、上半身へ体重をかけて私を押し倒そうとしてくる。彼女が精を吸うことに関してはすでに割り切っているので、大人しく仰向けに倒された。
 重力に従って悪魔の柔らかな体が、豊かな旨の膨らみが押し付けられる。服の上からでも感じてしまう柔らかな重みは葉巻以上に、脳がとろけそうな心地よさを感じてしまう。その吐息に混じるワインの香りが、その甘美な感覚を増長させた。

「今夜は今までとは違うの……わたしのはじめて、ヴェルナーにあげるんだから」

 ぼんやりとした頭で彼女の言葉を咀嚼し、間を置いてようやく理解する。そしてその言葉が、どれだけの重みを持つのかも。

「姫、それはいけません!」
「ヴェルナーわたしのこと、嫌い?」

 レミィナは私の頬にそっと触れた。

「エッチな娘は嫌? それともジャガイモ料理ができないから?」
「……姫、貴女は」
「私はヴェルナーが好きだよ」

 少し語気を強め、彼女ははっきりとそう告げた。心臓が激しく脈動する。重大な事実を突きつけられ、心と体は同時に反応していた。

「好きじゃなきゃ、あんなにいろいろシてあげない。好きだから、ヴェルナーに処女をもらってほしいの」

 穏やかな口調だったが、何処かに絶対逃さないという気迫を感じた。そしてその気迫がそのまま彼女の魅力と合わさり、私の体に命令してくる。お前は獲物だ、と。いつも自分の魅力を意図して押さえ込んでいるという彼女が、その力を解き放ったのかもしれない。魔王の娘が持つ、その魅了の魔力を私に向けているのだ。翼の無い鳥に、成す術などなかった。
 屈服したかのように力が抜けている私を見つめ、レミィナは微笑んだ。

「エコーとも話して、考えたの。ヴェルナーはキャベツ頭だから、こうやってストレートに伝えるしかない」
「……私は……貴女に……私は……」

 言葉は続かなかった。この期に及んで、私はまだ彼女に近づくのを恐れている。何がよくないのか、答えなど出てこない。
 そんな私の頬を、白い掌が優しく撫でた。

「大丈夫。わたしが、ヴェルナーを溶かしてあげる」

 レミィナの頬が、髪が。私の顔を滑っていく。彼女に射精させられるときの、もう何がどうなっても構わないという感覚がわき上がってきた。
 そしてゆっくり、ゆっくりと近づいてくる、桃色の唇。私も自然とまぶたが下がり、目を閉ざした。何も考えたくない、黙って彼女を受け入れたい。

 私はそのまま、身を委ね……
















 ――フィッケル、大変だ! ドレスデン市が……!――










 突如、脳裏に蘇った言葉。


 倒壊した町並み。


 瓦礫の山とかした古都。


 その中から伸びる、焼け焦げた手。



 黒く焦げた、母と妹の……













「来るな!」

 目を開けた瞬間。私は自分の上に覆い被さるものを、全力ではねのけていた。

「きゃっ!?」

 短い悲鳴と共に離れる、レミィナ。彼女を突き飛ばした両手は硬直し、小刻みに震えている。
 ゆっくりと腕を降ろすものの、私は彼女の顔を見れなかった。

「……申し訳有りません、姫」
「……ヴェルナー?」

 呆然とした声が耳に入ってくる。彼女がこんな声を出すなんて。

「止めましょう。止めておきましょう、私などとは……」

 早口で言って、私は俯いた。目など合わせられない。深い自責の念と、自己嫌悪に駆られる。
 数秒間、いや、もっと長い間かもしれない、レミィナは無言で私を見ていた。

「……ふんだ」

 短い言葉を残して、彼女は立ち上がり…背を向けた。

「おやすみ!」

 荒々しい足取りでテントから出て行くレミィナの後ろ姿さえ、直視できなかった。未だに宴を続けている親衛隊員たちの元へ戻ったのだろうか。他者からあそこまで思い切り拒絶されたことなど、今までなかったのだろう。
 私は灰皿に置いた葉巻を手に取った。すでに火は消えているので、マッチを擦って再び着火した。震える手で口に運び、再着火して熱くなってしまった煙を吸う。だがその味も香りも、気休めにしかならなかった。


「本当に……私という奴はッ……!」

 ようやく分かった。自分が何を一番恐れていたのかを。
 コウノトリの背で地獄を眺めている間に、何を失ってきたのかを。

「父さん……母さん……ドーラ……ヒルデ……」

 昔は私も、人を好きになれた。家族も友人も、戦友や上官も。
 ずっと昔、恋をしたこともあった。

「ヘルムート……エルンスト……ロンメル元帥……」

 しかし、皆……私を置いて……

 私より、先に……

「くそっ……くそっ!」

 ……手の中で、葉巻が二つに折れた。
 それを灰皿に捨て置き、私は毛布の上へ身を投げ出す。
 無性に疲れた。だが泥のように眠ることはできないだろう。



 今夜はきっと、ろくな夢を見られない。
12/07/25 23:23更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ




……また遅くなってしまった。
とうとうクライマックスなので、この先はテンポよく更新できるよう努力いたします。

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