連載小説
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不純物
久々に夫と隣の市にあるショッピングモールへデートに行ったその帰り道。
のどかな午後のひとときを漂わせる電車の座席に座っている山田春代の気分はとても晴れやかだった。最愛の夫とするデートは、何度しても楽しいものである。例え一人で飽きるほど行ったことのある場所であっても、愛しい夫の利一が傍にいれば全てが輝いているように思えてくる。

デートの間に夫と交わす何気ない会話が、視線が、愛情が、例えようもなく尊く、大切に思えて仕方がない。その感覚は利一と共に過ごせば過ごすほど増していくばかりだ。

「今日のデートも、とっても楽しかったですね。旦那様。」
座席に座って以来、夫の腕に絡めていた自身の腕にそっと力を込めて甘く囁く。
「そうだね。久しぶりに春代と映画館に映画を見に行けて楽しかった。また、時間を作って一緒に行こう。」
春代の思いに応えるように、夫は優しく微笑んでくれる。

嗚呼、堪らない。
利一に微笑みを向けられるだけで、胸の奥がじわりと熱くなってくる。
最愛の夫に愛してもらえることで滲み出る喜び、法悦が体を駆け巡る。それは性行為で得られる快楽と比べれば、とても僅かなものにすぎない。しかしセックスでは得られない精神的な、こういった何気ない日常のとても些細なことでしか感じられないものでもある。

それらは利一と結ばれるまで想像すらできなかった幸せだった。
まだ見ぬ夫と結ばれ、既婚者の魔物娘から聞いたセックスによって齎される直接的な快感をイメージして、想像逞しくオナニーをしていた独身時代には考えることもできなかった愉悦。

かつては疑問に思っていた、セックスだけに耽るのではなく、エキドナの母が四六時中、父と幸せそうに会話していたその意味を今になって痛感する。

嗚呼、このくすぐったい愛情をいつまでも堪能したくてたまらない。


「はい。今からまた旦那様とデートするのが、とっても楽しみやなあって思います♡」
絡めていた腕に力を再び力をこめつつ、恋人繋ぎした利一の手をにぎにぎと揉みしだく。
すると利一は握られた手をくすぐったそうにして笑いながら
「今さっきデートしたばかりだっていうのに、気が早いね。春代は。」
そう言ってぐっと絡めた指を握り返してくれた。
「だって、うち、本当に楽しみなんですもん。」
「ふふ、僕だってそうさ。」
二人でじっと見つめ合い、くすくすと笑い合う。

そしてそれからしばらく、二人で映画の感想など他愛のない会話を交わした。
ラミア種である白蛇の春代が電車を利用する際、周りの迷惑にならないよう人間の姿に変化していることも合わさって、そうしているとまるで人間の夫婦がするような、プラトニックなやり取りを心行くまで春代は楽しんだのだった。





…………………





「あれさあ、アリスだから可愛いって思えるけどぉ…例えば白蛇とかだったらマジ怖くね?」
そんな会話が聞こえてきたのは、最寄り駅まであと数駅といったところだ。
それまで尽きることなく続いていた利一との会話にふっとできた合間。そんな隙間に飛び込んできた発言の主は、春代たちが乗った駅からしばらくして乗車してきた派手な化粧をした人間の女子高生。

春代の隣に座った彼女は、周りの乗客を気にする様子を見せず、大きめな声と身振りで電車に設けられた液晶を指さしながら連れ合いの男に話しかけている。

「え、どゆこと?」
話しかけられた、金髪に染めた髪を気にしながらスマホをいじっていた男はきょとんとした顔で聞き返す。
「あれだよ、あれ。アリス☆クッキング。」
「ああ、あれマジ可愛いよな。」
「ねー。」

そう言って何が可笑しいのか、けらけらと二人は笑いだす。
決して聞き耳を立てていたわけではないが耳に入ってしまった隣の会話、しかも自身の種族である「白蛇」がマジ怖いとまで言われれば気になってしまうのは仕方ない。そっとお化粧さんが何を指さしていたのか確認すると、そこに映っていたのは、可愛らしいフリフリのエプロンを着た一人のアリスだった。

「美味しくなぁれ、キュン☆」
両手でハートを作り、にこやかに笑うアリス。
その姿は確かにとても可愛らしい。彼女は巷で人気のあるアイドルグループに所属している一人で、料理が得意ということもあり、魔界産の具材を使ったものから、人間にとって馴染みの深い料理まで幅広く作る料理番組のMC兼料理人を務めている。そんな彼女が調理をして、料理が完成した際にいうセリフがそれなのだ。まるで妹が一生懸命頑張っているような愛くるしさや健気さがあり、性別問わずファンから愛されている。

だからこそ疑問に思う。

そんな彼女はよくて、自分たち白蛇が恐いとはいったい何なのだろう。
まあ確かに…我ら白蛇はアリスのような愛嬌や愛くるしさが前面に出る種族ではないかもしれないけれど、春代が真似をしたら夫である利一は間違いなく喜んでくれるに違いない。絶対そうだとそんなことを思っていると、金髪さんが思い出したように話を再開した。

「ってゆーか、何が恐いの?」
「んー?想像してよ、白蛇の作った料理だよ?」
「美味しそうじゃん。あの人らいかにも大和撫子って感じだから料理も上手に決まってるっしょ。」
「いや、ほら」
そこでお化粧さんはトーンを下げて囁いた。
「料理に変なものとかが入ってそうじゃね。」
「はあ!?」
金髪さんの驚いた声と共に、思わず春代も声を出してしまいそうになる。

一方、化粧さんは変わらず続ける。
「だってさあ、白蛇はヤンデレってイメージあるもん。ほらヤンデレって料理に訳の分からない物を入れて『私の料理を食べられないの…?』とか言ってそうじゃん。」
「ああ、体液とか…。そう、下の口の涎とか?」
「その言い方、親父かってかインキュバスみたいじゃん!?マジうけるー。」

そう言って笑う二人に呆気に取られてしまった。
人間に魔物娘の考えや思想を完全に理解してもらうというのは、どだい無理な話である。それは差別ではなく、どうしようもない超えることのできない種族としての差なのだ。

だからこそ、春代はゆるゆると人化の術を膝から下だけ解きつつ、女子高生の二人組に話しかける。

「ねえ、あなたたち。」
「なにか用…って、え!?」
笑いを止め、明らかに胡散臭そうにこちらを向いた二人だったが、本性を現した春代が何者であるのか一瞬で理解したらしく、一気に顔から血の気が引いていった。

「貴方たちが何を考えるんかは自由やけれど、誰がいるかも分からん公共の場で、そういう会話をするのはやめた方がええと思うよ。お互いの、ためにねぇ。」

そう言って春代は、一本になった真っ白い蛇の下半身をわざとらしく彼女たちの前でゆらゆらと揺らしながら、できるだけにっこりと笑みを浮かべたのだった。





…………………





妻とのデートを終え、自宅に帰りついた利一は一つ息を吐いた。
自宅に帰宅したという安堵感を噛みしめながら室内着に着替え、リビングのソファーに身を沈めつつ、先ほど電車の中で起こった出来事を思い返す。

「貴方たちが何を考えるんかは自由やけど、誰がいるかも分からん公共の場で、そういう会話をするのはやめた方がええと思うよ。お互いの、ためにねぇ。」

春代が二人の若者へ声をかけ、徐に人化の術を解いたのと電車が駅に着いたのはほぼ同時だった。
妻の正体を知った二人は、泡を食って顔面蒼白になり、ドアが開くと同時に声にならない悲鳴をあげながら飛び出していった。
「ふふ、えらい慌ててまあ。悪戯にしても少しばかり驚かせすぎちゃったかもしれませんね。こっちはちっとも怒ってなんかへんのに。」
「………。」
そっと口元を手で隠し上品な微笑を浮かべる春代を見ながら、利一は彼女には申し訳ないが自分の抱いた感情をどう処理していいか分からず、もやもやとした気分を持て余さずにはいられなかった。



「ふう、デートも良いですが、やっぱり家に帰ると落ち着きますねぇ。うふふ。」
着替えなどの所用をすませ、デート中のようなうきうきとした様子のままやってきた春代は、利一の隣に座るとごく自然な動作で利一の左手に彼女の右手を絡め、愛おしそうに握ってくる。
「あのさ、春代。」
「はい?」
「電車のことなんだけど…」
そっと妻の顔色を横目で窺うと、少しも変わらないご機嫌な様子で話の続きを促すようそっと頷いている。

それを確認しつつ、一つごくりとつばを飲み込んで会話を再開する。

「その、本当に怒ってないの?」
「へぇ?」
「正直に言うと…さっきの二人組がああ言った時に…春代が、その…怒りだすんじゃないかって思っちゃったんだ。」
それは利一の嘘偽りのない告白だった。
あの女子高生たちの会話を聞いて利一はほんの一瞬ではあるが考えてしまったのだ…いつも自分のため、腕によりをかけて美味しい食事を作ってくれる優しい妻が、見ず知らずの人間がする、人格を、白蛇と言う種族をまるっきり否定するあの会話を聞いて、まさか荒事になるとまではいかないにせよ、平静ではいられないのではないかと。

しかしようやく切り出した利一の言葉を聞いた春代は、左手で口を隠し朗らかに笑っていた。

「旦那様。」
一頻り笑った彼女は、利一の手を優しく握り返しとても柔らかな声で語りかけてきた。
「うちは本当に怒ってへんし、あの子らが言ったことをなんとも思っていませんよ。ただ、うちは怒っていませんが聞く人によっては怒るかもしれんなと親切心でついあんなはしたない真似をしてしまいました。」
「で、でも…」
妻を信じていないというわけでは決してない。
しかし白蛇に対して根も葉もない讒言を受け、ここまで感情を荒立てず受け流している春代の態度を理解できず、つい言い淀む。するとああと声を上げた彼女は何かに納得がいったのか数度頷いたかと思うと、真っ直ぐにこちらに視線を向けて口を開いた。

「人間からインキュバスになった旦那様は、もしかしたらうちの考えを全て理解できていないのかも…しれませんね。」
「え?」
「うちは…彼女たちの会話を聞いて、本当に怒っていないどころか、むしろ憐れんでさえいるんです。ああ、人間はそんな行動や考えしかできないんやなあって。」

「だって食べさせっこならいざ知らず、料理のような不純物をわざわざ唾液や愛液に混ぜるやなんて、そんな馬鹿なことするわけないやないですか。」

「ん?」
彼女がにっこりと笑って言い放った言葉。
その意味を上手く飲み込めず瞬きを繰り返していると、春代はくすりと笑いながら利一に理解を求めるべく言葉を重ねる。
「旦那様に召し上がっていただくために作る料理は、良い食材を用意して、毎回うちが出来る最上の調理技術と愛情をこめて…作っています。でも…どんなに丹精込めても、最高級の食材を使っても…それは所詮ただの料理。」

「純粋に旦那様への愛が百パーセント詰ったうちの体液にしてみれば…不純物なんですよぅ。」

ちゅぅちゅぱ、ちゅぅう
春代はそう言って莞爾と笑うやいなや、行動できずに固まっていた利一の唇にむしゃぶりついてきた。

にゅる、んりゅ…んちゅうぅ
そして間髪入れず、唾液をたっぷりと纏った彼女の舌が口内に侵入してきて舐めまわす。

彼女の甘く濃い唾液が瞬く間に口いっぱいに溜まり、反射的に喉を鳴らして嚥下する。数々の痴態によって教え込まれた唾液の甘さは、まるですりこみのごとくすぐに利一の理性を溶かしつつ、体の奥に染み入って行く。その様子を見つめ、嬉しそうに目尻を下げ春代はさらに唾液を飲んでと促すかのように舌を奥へ奥へと差し込んでくる。



そうして時間をかけて、唾液をたっぷりと堪能させたことに満足したのか、息をするのも忘れたように利一の唇を貪った春代が、頬をほんのりと紅く染めながら顔を離した。

「ん、ふぅ…旦那、様ぁ♡」
唇の端に垂れた唾液を指先で楚々と拭い、それを利一の目の前でにちゃにちゃと弄びながら妻は言う。
「うちら魔物娘は人間やインキュバスである夫に愛してもらえる全身をしています。そうですよね?」
「ああ。そうだね。」
「それは母乳や愛液、この涎だってそうです。うちの全身は…どこだって旦那様に愛してもらえるものなんです。唾液を飲んでもらいたければこうしてキスをすればええ…愛液を飲んでもらいたければ…料理なんぞに混ぜるなんてことせんでこうすればいいんです。」
そう言って嫣然と口端を上げて春代は自身の着物を肌蹴させ、自身の女性器を露出させたかと思うと利一の耳元で囁いた。

「ねえ、旦那様。お願いです。奥から愛液が溢れてしょうがないうちのおまんこ…旦那様にクンニしてもらいたくてどうしようもないんです。して…くれますよね?」







………………………







ぶぢゅるぅ…ぢゅぞ
くちゅくちゅ
ちゅるるぅ…ちゅ、ズズッ
ぴちゃぴちゃ

無心に春代の女陰に吸い付く夫の頭を愛おしく撫でながら、思う。

ヤンデレだかなんだか知らないが、人間は可哀想だと。

満足に愛し合うことどころか意思の疎通すらもできず、自身の暗い思考と自己中心的な行動しかできないなんて。


想像するだけで、嫌になる。
こちらが頼めば、いや頼まずとも夫に愛してもらえるのに
自身の愛情にわざわざ水を差すような行動をするなどとは。

同じような理由でザーメンを食べ物や飲み物に混ぜたいとは、毛ほども思わない。
利一の愛情に不純物を混ぜるなんて冒涜でしかない。
彼の愛を自ら進んで薄めるなんて魔物娘の名折れだ…。


そんなことは、絶対にしない。


するわけがない。


それを人間に理解してもらおうとは思わない。
これは種族としての思考の差であり、倫理観や衛生などからも人間にはできない真似なのだから。

そしてこうして愛し合えない人間を、そんな彼らが魔物娘への間違ったイメージを抱くことを憐れみこそすれ、怒りを覚えることなどない。

だから本当に、電車で言われたことに腹は立たなかった。

彼らが交際しているのか知らないが、自分たちとはステージが違うのだとしか思わない。

あるかは分からないが、彼女らが魔物娘、インキュバスになった時に実感してくれればいい

あの時の自分は馬鹿なことを言っていたのだなと。




じゅるぅ…ちゅぅう、じゅうぅ!
利一が舌を奥深くまで伸ばし、今まで以上に強く、膣の中身を吸い出すかのように愛液を啜られ、頭の中で快感が白く弾けた。

思わず利一の体に蛇の尾を絡めつけ、腕で頭を抱きしめる。

それを合図にしたかのように、利一の口淫はより一層激しさを増し、頭を掻き抱いたことで彼の鼻がクリトリスと擦れ合いまた新たな快楽が体を駆け抜ける。

その快楽に身を任せながら思う。

ああ、つまらない考えなどさっさとやめて。

最愛の夫と愛し合おう。

些細なことなど忘れて。

インキュバスと、魔物娘の愛に…どこまでも溺れよう。














…………………………














事後のひと時


「なるほど、ね。魔物娘と人間の差かあ…。インキュバスになった自分なんかでも…普段考えないことだといまだに人間の時の思考や倫理観が咄嗟に浮かぶのかも、しれないね。」
「うちは…思うんですよ。これもええ機会やったんかもしれんって。」
「いい機会?」
「ええ。こうして旦那様と、お互いのことをより理解するいいきっかけだったんやないかと。」
「そうだね。電車で春代の態度を見た時には分からなかったけど…自分のことをこれだけ愛してくれているのを知ることができて嬉しいよ。」
「ありがとう、ございます。ふふふ。」



「そうそう、そういえば。あと一つ気になることがあるんだけど。」
「どうしました?」
「さっき、良い食材と最上の技術で料理を作るって言った時にさ。」
「はい。」
「なんだか不自然な間が少しあったような気がするんだけどあれは一体…」
「………。」
「春代さん?」
「ナ、ナンデショウ?」
「………。」
「………。」
「急にあたふたしてどうしたの。ま、まさかなにか自分に隠してるの?」
「え、ええ…その」
「その?」
「今夜はとことん旦那様に愛してもらいたいなあって時に少しだけ隠し味を…」
「え?」
「媚薬や魔界産の野菜や果物を少々」
「………。」

「美味しくなぁれ、キュン☆」






おわり


19/03/23 09:00更新 / 松崎 ノス
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■作者メッセージ
ヤンデレ物の定番?に料理へ体液やらを混ぜるって話がありますが、魔物娘を知って、SSを書くようになるにつれ、魔物娘がそういう行動をするのはどうも合わないんじゃないかなと割と早いころから思い至りまして。

いちゃいちゃと食べさせ合う時、その目的を遂げるのに唾液が自然と混ざるってことはあったとしても、料理に唾液を混ぜることを目的にはしないだろうなあと。その考えや感覚を元にこういう作品を書いてみました。

まあ個人的に料理にばっちいことをするのは嫌だって気持ちが強いだけなのかもしれませんが(笑)。

今回こういう作品を書きましたが、あくまでこれは自分がこう思うというだけで、既存の作品を否定したり、貶めるわけでも、批判するわけでもありませんのでご了承いただけると幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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