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第十話 『ついてこい! 私の笛が聞きたいか!?』
「上がれ……!」

 スロットルを開き、急発進。最高の短距離離着陸性能を持つシュトルヒでも、このような状況では機首が持ち上がるまでの時間がかなりもどかしく感じた。頭上をドラゴンが旋回し、エメラルドのような鱗を煌めかせながら降下してくる。シュトルヒより遥かに大きい、アメリカ軍の大型爆撃機並の体躯。それが航空機よりずっと俊敏に、獰猛な雄叫びを上げながら迫ってくるのだ。

 後ろを見ると、ぎらつく双眸が間近にあった。重々しい爪が振り上げられる。
 ようやく、車輪が地面から離れた。機体が震動しているのはドラゴンの起こした風圧のせいだと分かる。巨木を一撃で粉砕できそうな爪が、我が機の背後で空を切ったのだ。

 離陸に成功はしたものの、飛び上がったところで危機的状況には変わりない。少なくとも離陸前に殺られるという最大の屈辱は回避できたが、所詮私は狩られる側だ。冷や汗をかく暇すらない、機首を上げて上昇。フラップをたたみ、エンジンを全開にする。
 ドラゴンも追ってくる。方向転換の角度からして、降下した後地面を蹴って飛び上がったのかもしれない。生物だからこそできる機動だが、関心している場合ではない。

「機銃、撃て!」

 私一人しか乗っていないことも忘れ、そう叫んでしまった。このシュトルヒの武装は後部に据え付けられた防御用の機銃のみ、それも同乗者がいなくては撃てない。それにあの機銃の威力では仮に撃てたとしても、そして運良く当たったとしても気休め程度にしかならないだろう。むしろ余計に怒らせるだけかもしれない。
 結局は戦闘機相手の逃避行と同様、この足の遅いコウノトリで必死に逃げるしかないのだ。突然の襲撃に動揺はしたが、回避のため蛇行飛行を始める。今のところしつこく追ってくるだけのようだが、火を噴く程度のことはするかもしれない。

「くっ!?」

 考えた側から、背後で紅蓮の炎が光った。即座に操縦桿を倒し、急旋回。
 すぐ横を眩しい火炎放射が通り過ぎた。熱波で視界が歪み、炎によって生まれた風が軽い機体を煽る。

 洒落にならない。
 炎は百メートル以上先まで届いていた。しかもこれが奴の本気だと言う保証は無い。あれをまともに食らえば、シュトルヒ如きではひとたまりもないだろう。
 この世界に来て初めての空戦の恐怖。本物のドラゴンを前にしているという興奮。敵の接近に気づけなかった自分への苛立ち。様々な感情が去来するが、それらをじっくりと考えている場合ではない。

 ドラゴンが速度を上げた。しかし低速を逆に武器にするのも技術、スロットルを一気に絞り急制動をかける。ガクンと速度が落ちたその瞬間、ドラゴンが機体の下を通り過ぎた。奴の起こした風圧を利用し、機体を失速寸前でふわりと浮き上がらせる。
 その一瞬の間だけ、私はドラゴンの後ろ姿を正面に捉えることができた。一言で言うなら、美しい。力と勇気を象徴するような造形、獰猛な雄叫び。航空機とは違う、生命あるものの美しさと力強さが凝縮されているように感じた。英雄ジークフリートやベオウルフなどはこのような存在を相手に戦ったのか。

 スピードの乗っていたドラゴンは私からかなり離れたところで旋回するが、私はその前に機を反転させていた。高度は私の方が上となり、ドラゴンが斜め下から襲ってくる。火炎放射が来るものの、奴の口腔に炎が見えた瞬間に横滑り機動で回避。全方向への見張りを厳にするのは空戦の鉄則だ。
 続いて急加速して突っ込んできたドラゴンを、機首を下げて避ける。相手は再び私を追い越した。

 奴は頭は悪いようだ……逃げながら、私はそう思った。あるいは正気を失っているのかもしれない。私の通った軌道を馬鹿正直に、力任せに追ってくるだけで、こちらの未来位置を予測しての先回りや偏差射撃などの戦術を使ってこない。経験の浅い戦闘機乗りの戦い方とよく似ている。ならばまだ付け入る隙はあるというものだ。
 一先ずこいつを町から遠ざけ、そこで振り切る必要がある。そして近くに丁度良い地形があった。

「……あそこに逃げるか」

 狙いを定めたさきは、川のながれる山の谷間。飛行機がギリギリ飛び回れる幅の隙間である。中は曲がりくねっているようで、私のシュトルヒだけでなく、それより遥かに巨大なドラゴンにとっても通り抜けるのに苦労することだろう。しかし私は幾度もこのような危険きわまりない手段で生き延び、時に敵戦闘機を返り討ちにしてきた。
 仮にやられたとしても、先に逝った戦友たちにいい土産話ができる。私の魂がヴァルハラへ行けるのなら。

「ついてこい! 私の笛が聞きたいか!?」

 私は全速力で峡谷へと突っ込んだ。ドラゴンは何かに憑かれたかのように猛追してくる。
 空戦とは追う方にも危険がつきまとうものだ。自分の優位を過信し、状況も顧みずに深追いしてくれば……ハーメルンの子供たちと同じ運命を辿ると知れ!

 旋回、降下、上昇。全ての動きを最大級の精度で行いながら谷間を飛ぶ。シュトルヒは軽い機体だが、短距離での離着陸を可能にするため主翼の幅は15メートル近くある。だが速度の遅さは進路の状況を判断する時間的余裕を与えてくれることにもなるのだ。
 私ほどになれば翼の先端まで神経が通っているも同然。目視、勘、エンジン音の壁への反響、全ての感覚を研ぎすまして衝突を回避する。
 後は迫ってくるドラゴンが問題だ。奴は体が岩壁にぶつかるのも構わずに追ってくる。衝突の度にスピードが少し落ちるため、私との距離は保たれたままだ。

 ――岩へまともに突っ込ませてやれば……!――

 後方で、ドラゴンの口腔が光った。火炎攻撃……この狭い中では急旋回での回避は不可能。だがこれは逆にチャンスでもあった。奴は目が正面についており、人間と同じく視界の広さより測距能力を重視した捕食者であることが分かる。つまり……。

「そら!」

 火炎の息が放たれる瞬間、私はスロットルを搾り方向舵ペダルを思い切り蹴った。急激に機体が沈下し、体が浮き上がるような感覚を覚える。わざと失速させたのだ。
 木の葉のようにヒラヒラと落ちていく私の上を炎が、そして竜本体が通り過ぎていく。回避成功、しかも奴は私が後ろに回ったことに気づかなかったようで、しきりに周囲を見回していた。
 高速で飛びながら一点を凝視していれば当然視界は狭くなる。しかも自分の吐いた炎が下方視界を妨げれば、奴には私が突然消えたように見えただろう。

 私が観察していると、奴はようやく我がシュトルヒのエンジン音に気づいたらしい。
 ドラゴンはそのまま高速で旋回し……私の思惑通り、回りきれず顔面から壁に突っ込んだ。

 巨体の衝突で岩壁が少し砕け、破片が舞う。
 即座に操縦桿を引き、急上昇。峡谷の上へと抜けた。ここまでは目論見通りである。
 だが息苦しい空間から解放されたのも束の間のことだった。ドラゴンがすぐさま態勢を立て直し、私を追って上昇してきたのである。

 ――しつこい奴め!――

 ひらりと急降下し、再び谷間へと潜り込む。再び狭い谷の間で追撃をかわさなくてはならない。飛行機に乗りながらモグラの気分を味わっているかのようだ。

 火炎を裂けつつ峡谷を飛ぶが、目の前で谷間が急激に狭くなっていた。壁の一部が大きく膨らんでおり、五メートル程度の隙間しかないのだ。
 シュトルヒで通り抜けることは……可能!

「ここだ!」

 機軸を隙間に合わせ、操縦桿を一気に横へ倒した。ほぼ九十度、垂直に傾いた状態で維持。
 針に糸を通すかの如く。全高三メートル程度のシュトルヒは岩壁の間を通り抜けた。その後、後方でバキバキと鈍い音がする。ドラゴンが壁に翼を引っ掛けたようだ。

 さすがに猛スピードで翼を打ちつけたのでは堪えたのか、振り向いてみると奴の飛び方が少し不安定になっている。これなら逃げ切れるかもしれない……そう思ったとき。

 稲光のような閃光が、私の頭上を反対側から通り過ぎる。一瞬新手かと思ったが、それは私を狙ったものではなかった。

「ッ!」

 耳をつんざくような、凄まじい獣の絶叫を聞いた。音が震動として空気中を伝わり、機体までもが小刻みに震える。
 ドラゴンの緑色の巨体が真っ逆さまになっていた。失神したのか重力に抗う事もせず、岩壁にぶつかりながら谷間を墜ちていく。飛行機と違いエンジンから煙を吹いたり爆発したりということが無い分、息を吹き返して襲ってこないかが不安だ。

 だが続いて、頭上を何かの影が覆った。今度は上を見上げる。もはや見慣れた姿が、そこにあった。

「姫!」

 我がシュトルヒの上を飛ぶ悪魔の王女。白い翼を羽ばたかせながら、下を並んで飛ぶ私に手でサインを送っている。ついて来いと言っているようだ。
 私が了解の印に敬礼すると、彼女はいつもの微笑みを浮かべながら上昇する。私もゆっくりと操縦桿を引いて上昇。狭苦しい峡谷からやっと抜け出せた。

 そこでようやく、断崖の上に人が集まっているのが見えた。総勢二十名、人間と魔物の混成集団であり、帯剣している者や胸当てなどの防具を身につけている者が多い。レミィナが宙返りを打って彼らの元へ降下していったことから、それが何の集団であるか推察できた。

 ――これからの同僚たち、か――

 彼らと合流したレミィナが手を振っている。降りるスペースは十分あった。
 私は彼らの頭上で大きく旋回した。着陸地点を一点に定めてフラップを降ろす。機体を安定させてゆっくりと侵入。風が渦巻いているため、舵を当てて姿勢を保たなくてはならない。
 それでも狙った場所に車輪をピタリと接地できた。滑走しながら減速、車輪のブレーキを踏み込む。

 静止。エンジンカット。

「……ふう」

 着陸を完了し、ようやくため息を吐くことができた。死のゲームは終わりだ。こうして今回も死に損なったということは、よほどヴァルキューレの女神たちに嫌われたのか。
 とりあえず喉が渇いた、ビールが飲みたい。レミィナに預けた壷の中身も食べてしまうか……そんなどうしようもないことを考えながら、ドアを空けて操縦席から降りる。レミィナがすでに近くまで駆け寄っていた。

「ヴェルナー、怪我はない?」
「おかげで助かりました、ありがとう」
「ううん、遅くなってごめん」

 申し訳なさそうに言ったかと思うと、レミィナはそっと抱きついてきた。死神とダンスした直後のせいか、髪の匂いに一瞬目眩がしそうになったが、どうにか平静を保つ。彼女の背を撫でて安心感に浸っていると、集団の一人が優雅な足取りで歩み寄ってきた。艶のある金髪に黒曜石のような瞳の美少女だが、身にまとっている黒いドレスには鉄の鎖が多数絡み付いている異様な出で立ちだ。その上に纏っているのは翼のような形状の黒マント……どことなく、ルージュ・シティ領主と似ているような気がした。

「とんだ歓迎パーティになっちゃったね、新入りさん」

 彼女はそう言いながら、胸元につけた徽章を指し示した。シュトルヒの尾翼に描かれたのと同じ、時計の文字盤を象ったレミィナの紋章である。レミィナが私から離れてくれたので、先輩に対して姿勢を正し敬礼することができた。

「お初にお目にかかります。ヴェルナー・フィッケルと申します」
「風来姫親衛隊二代目隊長、エカリシスカ・ピスタトリ。エコーって呼んでくれればいい」

 なめらかな声と共に告げ、我が新たな上官は手を差し伸べてくる。華奢そうな手だが、握手を交わすと案外握る力が強かった。魔物の実年齢は分かりにくいが、少なくとも見た目は私より年下の可憐な美少女。だがレミィナの、この破天荒で美しい姫君の親衛隊を束ねるに相応しい、不思議な風格を備えているように思えた。彼女が今後の上官であるという境遇も、拒否反応なく受け入れられそうだ。

 そのとき、担架を持った二人組が駆け寄ってくるのに気づいた。二人とも猫の耳と尾、四肢を持った魔物……ルージュ・シティでも見たワーキャットという奴らだ。双子なのか瓜二つの顔立ちで、ミアオミアオとかけ声を合わせながら担架に乗った負傷者を運んでくる。あのドラゴンに誰かが襲われたのかと思ったが、彼女たちが乱暴に負傷者を放り出すと、その予想が見事な外れだと分かった。
 地面に放り出された、豊かな体つきの女性。目を閉ざし、意識を失っているものの、その姿を見て私は戦慄した。その美女はやはり魔物であり、体の各所に異形の部品がついている。角、尾、厳つい鱗と鉤爪のある手。スケールこそ違えど、それらの形はどれをとっても、あの巨大なドラゴンのそれと相似していたのだ。

 私の隣で、レミィナがため息をつく。

「まったく。この子の酒乱には困ったものね」
「……酒乱?」

 予想外の単語が出てきて、私は目を剥いた。エコーが姫の言葉を引き継ぐ。

「こいつは私の部下。普段は頼もしい奴なんだけど、究極に酒癖が悪くてさ。酔っ払うとすぐ巨竜の姿になって暴れ始める」
「今回は何を飲んだの?」
「ブドウジュースとワインを間違えやがった。しかも一気飲みするから」

 エコーが肩をすくめる。そのようなやり取りを聞いているうちに、脚の力が抜け始めた。酒のために私はあんな目に遭ったのか。今後一つしか無い命でこの連中と付き合わねばならないのか。空戦の緊張が切れた事に今後の不安が重なり、うっかり地面にへたり込みそうになってしまう。
 そんな私に視線を戻し、エコーは微笑んだ。

「ともあれ、ヴェルナー・フィッケル。ようこそ、我ら風来姫親衛隊……通称『レミィナサーカス』へ」
12/06/05 23:49更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ
お読みいただきありがとうございます。
魔物娘が主題でありレミィナがメインであれど、たまにはヴェルナーが凄腕だってところも見せなくては、ということで。
今回は切る場所の都合上ちょい短めだったので、同時に挿話を書きました。

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