どんなに高い所に住んでいても。
太陽というものは、いつしか沈んでしまうもので。

「ご主人様〜…」

青々とした山々が、暗がりに染まる頃。

グツグツと具材を煮込む僕の下へ、近付いてくる彼女。
何の用事かは、聞かないでも分かる。お腹が空いたんだろう。
僕ももうペコペコだ。お腹と背中がくっつきそう。

「あ、ゴハンを作っているんですか〜？」

ももが、鍋の中で踊る野菜達を覗き込みながら、僕に尋ねる。

僕が今作っているのは、お母さんの得意料理。野菜スープ。
ホコホコとしたジャガイモや、苦味が抑えられた菜っ葉が美味しい、
塩味の利いたスープだ。僕とお父さん、揃って大好物の一品である。

…ただし、それはお母さんが作った場合に限って。
今作っているコレの味は、きっとイマイチ。と言うより、不味い。
どうしてって…ホラ、そこは切った具材の形を見て、察してほしい。
ニンジンやジャガイモがあんなに不揃いなのは、元の形のせいじゃなく…。

僕は苦笑いを浮かべながら、美味しくないかもしれないけれど…と返した。
作っている量は、二人分。言わずもがな、僕と彼女の分だ。
彼女に僕の手料理を食べさせるのは、なんだかちょっぴり気が引ける。

「えっ？ 私の分もあるんですか〜？」

と、自分の分もあることが、意外だった様子のもも。
頷いて応えると、沈んでいた表情が、ぱぁっと明るくなった。

「ご主人様〜、もものために〜…♥」

顔の前で手を合わせ、もじもじ。耳はぴこぴこ、尻尾ふりふり。
美味しくはないであろう僕の料理に、可愛く喜んでくれるもも。

そんな姿を見て、僕は、嬉しいような、照れくさいような、恥ずかしいような…。
彼女のために、もう少し豪華な食事にしてあげれば…と、今更後悔した。
例えば、豚肉入りのスープとか。明日からの食事に困るけれど。

「〜♪」

鼻歌交え、僕の隣に座る彼女。
肩を並べて、ふたり、不格好な野菜スープを見つめる。

…考えてみれば、彼女の場合。
肉入りのスープよりも、飼葉の方がご馳走なのかもしれない。
だって、彼女は牛なのだから。そちらの方が食べ慣れているはず。
見た目こそ人間に近いから、ついこんな対応をとってしまうけれど…。

食事に限った話じゃない。
身体を洗う際もそうだったように、彼女は牛の頃の環境を好んでいる。
なら、食事も、寝る場所も、前と同じままが一番良いんじゃないだろうか。
そうでなきゃ、僕がここに来るまでの間、ずっと牛小屋で待っていたりなんかしない。
人間と感覚が同じなら、せめて寝る場所くらいは変えているはずだ。

そこのところ…実際はどうなんだろう。
ハッキリさせるためにも、今の内に、彼女へ訊いておくべきだろうか。

「〜♪」

…ちらりと、彼女を横目で見る。

「…？」

気付き、こちらへ振り向くもも。
交じり合う、ふたつの視線。

瞬間…ドキッ…と跳ねる、僕の胸。
彼女の顔越しに浮かぶ、先刻までの情景。ふたりの艶事。

思わず…言葉が詰まる。

「ご主人様〜、どうかしましたか〜？」

そんな僕の顔を、彼女が覗き込む。
まるで、赤ん坊に問い掛ける母親のように。

我に返って、慌てて取り繕う僕。なんでもない、と。
心の内を見透かされないよう、必死になって。

「…？」

彼女は、明らかに不自然な態度の僕を、キョトンとした顔で見つめていた。
この時ばかりほど、彼女のおっとりさに助けられたことはない。
少しでも勘が良い人ならば、あっさりと見破っていただろう。

僕は気持ちを落ち着かせながら、彼女へと、先程の疑問を投げ掛けた。
ももが望むのは、牛の頃と同じ生活なのかどうかを。

「セイカツ…、ですか〜？」

しかし、予想とは裏腹に。
う〜ん…と唸り、上を向いて考え始める彼女。

いったい、何を悩んでいるんだろう。
イエスならイエス、ノーならノー。至極簡単な質問だと思う。
そして、彼女の言動から察する限り、恐らく答えはイエス。
そう言えない理由が、何かしらあるのだろうか…。

「………」

…静寂の中、コトコトと煮立つ鍋。
焚き火の淡い光が、ぼんやりとふたりを照らし映す。

気が付けば、空を泳いでいた白雲達は、もういない。
代わりに、いくつもの星達が…ひとつ、またひとつ。きらきらと。
月はまんまる、笑っていて。まるで僕達を見守っているようだった。

「…私は〜…」

ふと、彼女がこちらに向き直る。
地に付く僕の手に、自分の手を重ねながら。

「ご主人様と〜…」

そして、恥ずかしそうに…一言。

「一緒に居られる生活をしたいです〜…♥」

告白の言葉。

「…えへへ…♪」

…ひどく、急所を抉る不意打ち。
またもや囚われる、僕の心。彼女という存在の中に。
高鳴る胸。ぼやける視界。呼吸は乱れ、荒くなって…。

それは初恋の時と同じ様に。
僕はまた、同じ人へ…ももへと、恋に落ちてしまった。

「……あっ♥」

逸る想いを抑えきれず…でも、精一杯我慢して。
僕は…彼女の身体に、そっと身を預けた。胸の中へ、ぽすん、と。

「…♥」

甘える僕を、包むように抱きとめてくれる彼女。優しいもも。

…どうしてだろう。どうして、彼女は。
出会ったばかりの僕を、こんなに愛してくれるんだろう。

「…ご主人様〜…♥」

……………。

…鍋を火から上げ、背の低い草むらの上に置く。
お皿を手に取り、おたまで一杯、中身を移して。
湯気立つスープに、２、３回息を吹き掛けて…口に含む。

「おいしいですか〜？」

………うん。思ったよりは、美味しい。

手に持った器を地面に置いて、空いたお皿を拾い上げる。
彼女の分をよそるために。この味なら、きっと許してくれるだろう。

「〜♪」

が、ひょいっと、置いたお皿を拾う彼女。
よほどお腹が空いていて、待ち切れなかったのだろうか。

「ご主人様〜っ♪」

ももの嬉しげな声が、僕を呼ぶ。
よそろうとしたおたまを戻して、振り返ると…。

「はいっ、あ〜ん…♥」

……………え？

「ご主人様〜、あ〜んです、あ〜ん…♥」

………えっと、いや、あの……。

「…あ〜ん…♥」

……………。

…あ、あ〜ん……。

「…♥」

……………。

…うん。味が、さっぱり分からない。

「えへへ…♥」

あぁ、もう、彼女は、本当に。
可愛くて、可愛くて、可愛くて。

なんで愛してくれるのかなんて、理由を考えている僕が馬鹿みたいだ。

「おいしいですか〜？ ご主人様〜♪」

恋っていうのは、きっと。
思ったよりも、シンプルなものなのかもしれない。
彼女が、僕のことを好きになった理由のように。驚くほど僅かなことで。
考えてみれば、僕だってそう。深い理由があって、恋に落ちたワケじゃない。

なら、僕も。
もっと考えなしに、彼女を愛してみよう。

「あっ…」

彼女の手に持ったスプーンを借りて、同じ器から、スープを掬う。

そのまま、彼女の口元へ。もちろん、あの言葉も添えて。

「…♥ あ〜ん…♥」

…そっと、舌の上に。
スープの熱で温かくなった、スプーンの先端を乗せる。

「…モグモグ…」

閉じられ、咀嚼を始める口。
スプーンを引き抜いて、その様子をじっと見つめる。

「…ゴクン」

食べ終えるもも。

「わぁっ…。ご主人様〜、これ、すっごくおいしいです〜♪」

浮かんだ表情は、満面の笑み。
それを見て、僕の心は、嬉しさと幸せに満ち溢れていった。

「もう一口、欲しいです〜♪ あ〜んっ…♥」

そして、おかわりと、口を開けて待つ彼女。
それに応えるべく、もう一度、器からスープを掬う僕。

「…えっ？」

でも、その前に。
彼女の耳に口を寄せ、囁く。胸の中に押し留めていた言葉。
言いたくても言えなかった、彼女へのお願い。正直な想い。
声を震わせ、恥ずかしさをこらえながら。たった、一言。

エッチなことをしたい、と…。

「っ…♥♥♥」

聞いて、ビクリと震える身体。
真っ赤っかになる、ももの顔。

「……じゃあ〜…、ゴハンが食べ終わったら〜…♥」

結ばれる、ひとつの約束。
その答えを聞いて、僕は、スプーンを彼女の口へと運んだ。
パクンッと咥え、食べ始めるもも。嬉しそうに、モグモグと。
でも、その表情は、どことなく…先程よりも艶っぽい。

「ん〜っ…♪ じゃあ〜、次はご主人様にも、もう一回〜♥」

お返しとばかりに、彼女も。
手皿を添えて、僕の口元へスープを差し出す。

…その後、何度と繰り返す、食べさせ合い。
お互いの想いを確かめるように。お互いの愛を届けるように。
お腹いっぱい、胸いっぱいになるまで。同じ言葉を繰り返して。

「熱くないですか〜？ フーフーしますよ〜♪」

僕は思った。シンプルに考えて、シンプルに愛そう、と。
それは恥ずかしいことも多いけれど。その分、嬉しいことも多いから。
だから、彼女は常に、こんなに嬉しそうなんだと思う。いつもニコニコ。

僕も、そうなりたい。
彼女のような、魅力的な人になりたい。

「ふ〜っ、ふ〜っ…」

そして、彼女にもっと愛してほしい。
もっと、もっと、もっと、ももとの愛を深めたい。

彼女は僕の牛で、いずれ元の姿に戻ってしまうけれど。
そんな未来も、吹き飛ばしてしまうほどの愛を。
言葉を囁き合って、身体を重ね合って、育みたい。
ふたりで、一緒に。相手の想いを。自分の想いを。

そのためにも、僕は、今夜…。

「はいっ、あ〜ん…♥」

今夜、彼女と愛し合う。

交尾という名の行為をもって。