連載小説
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挿話 レミィナの道草
 町外れにある墓地の中。大小様々な墓石が並ぶ静かな空間に、白やピンクの野花たちが安らかな彩りを与えている。風がわたしの頬をなで、結わえた髪の毛を揺らしていった。この場所の時間は止まっているかのように思えるけど、本当は少しずつ、時計の針が動いているのだ。あの人がここに眠ってからも、決して遅れることも早まることもなく、ゆっくりと時間は流れている。
 滑らかな表面の白い墓石の前に、カップ一杯の紅茶が供えられていた。触ってみるとまだほのかに温かく、あの人の好きだった銘柄の香りがする。墓石もピカピカに磨かれているし、つい先ほど誰かが来たようだ。

「クラウゼさん、かな……」

 あの人の弟子であり、後継者である友人の顔を思い出し、わたしは自然と笑みが浮かんだ。『アルベルト・ヘンシェル』と刻まれたその墓石を指でさすり、その前にひざまずく。今お供え物は持ち合わせていない。その代わり、というわけではないけれど、服の内ポケットから時計を取り出した。蓋を開け、今も逆向きに回り続けていることを確認する。あの人が作った時計は『血が通っている』と評されるとおり、わたしには秒針の立てる微かな音が、時計の命の鼓動にさえ聞こえるのだ。オーバーホールに出すのは面倒でも、私はこの宝物が可愛くて仕方ない。
 けど、そもそも大切にしているのには別の理由もある。

「おじいさん……久しぶり。今年もメンテナンスしてもらいに来たよ」

 わたしは語りかけた。この石の下に、この逆時計を作った人が眠っている。わたしからすれば短い、八十年という一生を悔いなく使い切り、今ここに眠っているのだ。死の仕組みや亡き魂の在処などは、わたしたち魔物でさえ完全に把握できていない。ただ……この声が届くことを、お話ができることを願っているだけ。

「あのね、リライアのルージュ・シティ、立派な町になったの。いろいろな人が集まって、おじいさんと気が合いそうな人もいるよ」

 あの町にいた人々の顔ぶれを、一人一人思い出していく。人間も魔物もアクが強い『ワケ有り』ばかりが集まっていたけど、それでちゃんと愛し合って上手くいくのが面白かった。わたしの親衛隊も似たようなものだけど。

「それでこの前、あの町に不思議な人がやってきたの。空飛ぶ馬車に乗る素敵な人が」

 最初にわたしを見て、怯えながらもわたしの力に抗おうとしていたヴェルナーの姿を思い出す。わたしは彼への好奇心でいっぱいで、次の朝彼と話ができたときは本当に嬉しかった。そしてそれは、ここに眠るあの人と会った時に感じた事でもある。やはり好奇心によって魔界からこのトーラガルドへ移り住んだとき、わたしは生まれて初めて「老人」という存在を見た。皺の多い顔、色を失った髪、痩せた腕、奇麗な瞳、そして自分の仕事への執着。幼かった私はあの老人への興味が尽きなかった。

「彼は物を作るわけじゃないけど、空を飛ぶのが凄く好きで、一途で、頑固で……優しくて。どこかおじいさんに似てる気がしてさ」

 そう言っているうちに、ヴェルナーの冷えた金属のように冷めた口調が、時折見せる熱い感情が思い浮かんでくる。そして……もうクセになりつつある、彼の精の味も。

「馬車を操って空を飛んでいるときの目つきとか、おじいさんと同じだった。夢中で何かに挑んでいる、そんな目をしている人なの」

 子供の頃、わたしは小さな足であの人の工房に通っては、小さな目であの人の仕事を見てきた。あの節くれ立った指が歯車を組み上げ、それが生き物のように動き出すのを見るのがたまらなく楽しかった。ヴェルナーがあの機械仕掛けのコウノトリを、まるで本当の鳥のように操る姿も、どこかあの人の仕事を彷彿させる。
 ただ、彼は時々悲しい目をする。いつ死んでもいいというような、そんな目だ。わたしにはその理由は何となく分かっていた。ヴェルナーが何故この世界に来たのか、機械の鳥が飛び交っているという元の世界には帰れるのか……それらが全く分かっていないにも関わらず、彼からはその世界への未練をほとんど感じられなかった。

 答えは簡単。きっと、帰っても温かく迎えてくれる人がいないから。

「彼は悲しみを背負ってる。でも自分の信じた道を進もうとしている、そんな人」

 帰るところが無いなら、作ればいい。私が彼というコウノトリの巣になることはできるはずだ。

 ふと、小鳥たちがざわめきだす。何かを注意し合うかのようにさえずっているし、もしかしたら天気が急変するのかもしれない。早めにヴェルナーの所に戻らないと。

「わたし、もっと彼のことをよく知りたいの。そして彼にも知って欲しいし……共有して欲しい。わたしの『時』を」

 そよぐ風が、供えられている紅茶の香りを鼻まで運んできた。あのときと、あの老人の死を看取った時と同じ香りだ。そしてあのとき授かった逆周りの時計もまた、あの時と同じ音を立てて回っている。
 何か、不思議な気分だ。あの人は死んだはずなのに、いなくなったはずなのに、私の中には確かにあの頑固な老人の姿が在った……。

「……ん?」

 ふいに、遠くから魔力を感じた。離れているが、肌に伝わる感触から強い物だと分かる。
 その方向を辿り、遠くの空……ヴェルナーが待っている辺りの空を、何かが飛び回っているのが見えた。大きな翼を持つ機械のコウノトリ、そしてその後を追う、緑の鱗と翼を持った巨体。ドラゴンだ。それも、わたしの知っている奴!

「あのバカドラ!」

 懐中時計を懐に押し込み、久しぶりのお墓参りは中断した。ヴェルナーが危ない。地を蹴って跳躍し、翼を開く。翼に宿る魔力で上昇し、墓地を真上から見下ろした。しかしあの人に別れの挨拶をしている猶予もない。

 ――ヴェルナー、わたしが行くまで耐えて!――

 それだけを胸に念じ、私は彼の元へ向かい羽ばたいた。
12/06/05 23:47更新 / 空き缶号
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