読切小説
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刺青奇譚
 ジパングの東、この国で最も大きな都に、紋次郎という男が住んでいた。
 彼は刺青師であった。人間の肌に針で傷をつけ、そこに染料を流しこんで半永久的に消えない図柄を描くことで、生計を立てていたのだ。
 職人としての紋次郎の腕はジパング一といって良いほどであり、刺青を入れるのに彼を特に指名してきたり、隣の国からやって来てまで、何ヶ月もの激痛に耐えてまで紋次郎に自らの身体を彩ってもらおうという人間が後を絶たなかった。
 ジパング影の支配者、必要以上の装飾を好まない、人間をそのままに愛する事のできる魔物娘たちの中には、健康な肌に敢えて傷を作る刺青という装飾のことを快く思わないものも多かったが、紋次郎の描き出す図案の精緻さや、平らな紙などではない、凹凸や歪みに富んだ人体の上に大きな絵画を写しとってみせる技術、何より血の通う肉の上でまるで一個の生き物のように蠢き、今にもひとりでに踊り出すかと思われるほどの活き活きした、それでいてどこか不気味で魔術的な芸術は人魔問わず、多くの者を惹きつけてやまなかった。
 こういう例がある。
 ある時紋次郎は一人の男から刺青を彫るよう依頼された。
 天候を支配し人間を慈しむ偉大なる龍、それに仕える白蛇を己の身体に描いて欲しいという話で、それだけなら別にどうということの無い、いつもの仕事なのだが、その描く白蛇は実在する魔物娘、それも依頼人の妻だったのだ。
 魔物娘を娶った男が家内の絵を彫ってもらいたがるなど、そうある話ではない。若者がふざけ半分に恋人の名前を身体に彫り込むようなものとは、また訳が違うのだ。紋次郎が詳しく話を聞いてみると、男は語り出した。

「……あんたは、わざわざ自分の嫁さんの絵を、体に彫ろうってのか? 一体、どうして?」
「はい。ぜひ、お願いしたいんです。できるだけこいつそっくりの絵を、本物と見分けがつかないくらいの絵を、刺青にしていただきたいんです」
「別にそれぐらい、わけはねえが」

 その生業故、ヤクザやゴロツキのような反社会的な者たちとの付き合いも少なくなかった紋次郎だが、流石にこの時は驚いた。

「しかしなあ。わざわざ彫らなくたって、嫁さんならいつでも顔合わせられるんじゃねえのか」
「それがそうでもないんですよ」

 こちらに向き直った男の顔には、それなりに世間の裏というものを見てきた紋次郎すらたじろがせる、一種異様な色があった。

「こいつは白蛇ですから、龍様に仕えております。一日中一緒ってわけには、いかないんで。
 でも私は……こいつに見初められて、旦那になって以来、こいつなしには生きられないようになっちまったんで。こいつの、蛇の体に巻きつかれてねえと、落ち着かねえんで」
「で、せめて刺青に縛られたいってのか?」
「はい。紋次郎さんの作品を見たことがあるんですが、あれは本当に素晴らしかった……まるで、生きているみたいで。一人で居ても、喩え単なる絵でも、あんなに活き活きしたやつが一緒なら、きっと寂しくねえだろうって……」
「……事情は分かったが。旦那さんの方はいいとして、奥さんはどうなんだい。亭主の言うことに、反対じゃねえのかい」
「はい。私、結構独占欲の強い方なんです。
 私のいない時でも、この人が私のことだけ思っていてくれるなら……願ってもない事です」

 赤い瞳が妖しく揺らめいて、彼女の本気を証明する。そこまで言うならと、紋次郎は精魂込めて、足先から胸のあたりまで男の体に巻き付いて絡めとる大きな白蛇の絵を彫ってやった。
 普通蛇の図案を刺青にするときには、絵の蛇に絞め殺されないよう何処か目立たないところにわざと途切れる箇所を作っておくものだが、依頼が依頼なので、この時ばかりはその慣習も無視した。
 長い期間の痛みに耐えて、ついに絵の女と実在の女、両方に締め上げられるに至ったその客は、完成の時どこまでも幸福そうな顔でいた。
 それ以来彼と紋次郎は顔を合わせていない。
 自分を絞めつけてくれる刺青を彫ってくれという、世にも奇妙な依頼に答えたことで紋次郎の名声は更に高まったが、果たして客がそれを知っているのかどうか、彼には確証が無かった。仕える龍の住むという国へと帰っていったあの夫婦が幸せでいるよう、願うことしか出来なかった。
 
 しかも、話はここで終わらなかった。
 彼の彫った白蛇絵を、どのようにして眼にしたのかは分からないが、件の男が帰っていった国、そこの金持ちから、是非自分にもあのような刺青を入れてくれという依頼が舞い込んだのである。
 馬に乗っても5日は掛かる遠い町から、わざわざご指名。旅費は全部客の方で持つから是非に、と乞われて紋次郎は二つ返事で引き受けた。
 多額の出費や面倒を厭わず、特に自分を指名してもらえることを、彼は職人としてこの上ない名誉だと思っていた。
 名前ではなく、作品の出来で選ばれたということも、彼の自尊心を大いに刺激した。都で貰える礼金の数倍を前金として渡され、更にこうまで持ち上げられては、断る理由など一つも無い。
 早速紋次郎は依頼人の家に向かった。

 刺青を彫るのは一朝一夕の仕事ではないということで、紋次郎は向かった客の家で部屋を一つ与えられた。彫り終わるまで、ここで滞在して欲しいと言うことらしい。
 確かに毎日通えるような距離ではないが、それにしてもここまでの待遇を用意してもらえたのは彼としても初めてのことで、仕事にもまた一段と気合が入るのだった。

 さて、客人としてこの上ないもてなしを受けていた紋次郎は、依頼人以外の者からも丁重に扱われていた。職人のために空けられる部屋がまるまる一つ有るくらいだから、出入りする人間も普通の民家より遥かに多い。家の主人、つまり刺青を彫ってもらっている男が下へも置かぬ扱いをしているものだから、それら料理人や女中などの態度も、自然と恭しくなる。庶民階級の紋次郎としては、なかなか気分のいい毎日だった。
 そんなある日、使用人たちから奇妙な話を聞いた。
 今彼が住み込んでいる大きな家の裏には山があるのだが、そこに住む魔物が人を襲うというのだ。
 ジパング人たちは古くから妖怪たちを敬い、親愛なる隣人として丁重に扱ってきた文化を持つ。妖怪たちもその好意に応え、人間を愛しこそすれ、襲ったり、まして殺傷したりなど決してしないはずである。
 ジパングの一部に住んでいるという、魔物に不寛容な者たちが流した悪い噂かと紋次郎は最初考えた。しかし、今彼がいる地域は、特に魔物と敵対しているわけではないし、恐ろしい魔物を見たと証言した人間にも普段から魔物を敵視していたというような様子は無い。
 一人の芸術家として、人間よりも遥かに美しい魔物たちをずっと敬愛してきた紋次郎にとって、「魔物が人間を襲う」というのはちょっと看過できない話であった。ということで、ある日の夕方、その日の分刺青を彫り終えた彼は、そっと屋敷を抜けだして裏山へ登っていった。
 かつて、まだ人間を殺すというその魔物がいなかった頃には、山菜や野生動物を捕るために近隣住民もよく登っていたというその山は大して高くなく、また傾斜も緩い。十分に注意して登れば遭難の危険は無さそうだったが、樹が多く生えており枝葉で日光が遮られやすいためか、未だ日没までには間があるというのにかなり薄暗い。
 いくら低いといっても夜の山を一人でうろつく度胸は無い。あまり長居せず、適当な所で探索は切り上げようと思っていた時、背後からガサガサという、草の擦れる音がした。
 野生動物にしては音が大きいし、近くには他の登山者などいなかったはず。さては、と振り向くと、果たしてそこには異形が居た。
 まず目に入ったのは、やや身体の肉付きは薄いものの、それを補って余りある美貌を誇る女。長めの前髪で顔が隠されているが、憂いを帯びた表情は紋次郎の住んでいた都でもまず見られないほど端正。
 しかし彼女は決して人間の女ではない。頭頂から生えた一対の触覚や、臍の下辺りから伸びている醜悪な部分を見れば、明白である。
 彼女の下半身は恐ろしい百足の物となっていたのである。体の側面から無数に生えた短い脚や、まったく蟲そのものである、節と節が連なってできた長い身体は、彼を心底怯えさせた。
 しかし顔を上げてみると、そこには生まれて初めてみる美しい女性がいる。自分の恐れを感じ取ってか、一層悲しげな表情の彼女がなんだか放っておけなくて、紋次郎は勇気を振り絞った。

「なあ、あんた……妖怪、だろ?」
「え? ……ああ、はい。そうですが。私は、大百足。人間ではありません」
「そうか。じゃあ、あんたが人間を襲ってるって話は、デマなんだな?」
「襲う……? 知りませんよ、そんなの。わたしのこの姿を見て、勝手に叫んで逃げていった人は、いっぱいいましたけどね」

 手のひらより少し大きい程度のものすら、ムカデやヤスデの類は多くの人間を怯えさせる。それがこんな大きなサイズになってしまえば、それはたしかに恐ろしかろう。魔物に関する知識が少なければ、悪意のある存在と思い込んでしまっても不思議ではない。
 魔物は人間を傷つけないと知っていたからこそ今紋次郎はこうして会話できているわけで、本当は未だ彼女を直視できないほど恐れている。が、せっかくの美女をこれ以上悲しませたくなくて、また彼は言葉を発した。

「そうか。じゃあ、誤解なんだな。ならいいんだよ。魔物の言うことなら、信頼出来る」
「……あなたは、私の姿を見ても逃げないんですね。変わってますね。こんなにキモチワルイ、大百足なのに」
「ん、まあ、最初はびっくりしたが。妖怪は人間を傷つけないって信じてたし。
 それに、俺の故郷じゃあムカデが幸運を運んでくるってんで神社に祭ったり、決して後ろへ退かないからって偉い侍が鎧兜にムカデの装飾を施したり、なんというか……怖いだけのものじゃないって、知ってたしな」

 どんなに恐れていた相手でも、会話を重ねれば心が通い、無根拠な悪感情は消え去るものだ。ようやく平常心を取り戻しはじめた紋次郎は、顔を上げてまっすぐに女を見つめてみた。
 それで彼は、今まで見落としていた彼女の上半身、人間部分に浮いた奇妙な紋様を眼にした。
 紋次郎が生業としている刺青に似たそれは、首元から始まって体の両側面へ走り、人間で言う股間の辺りまでを彩っている。全体的に不規則で毒々しい、呪術的なその模様を一度見てしまうと、彼はもう眼が離せなくなった。
 日々、人間の生きた肉体を材料として、針と顔料で美を描く彼の心を打つ何かが、その模様にはあった。体の前面、胸から腹にかけては何も装飾が無く、白くきめ細かい肌が自然なままに残されていたが、不完全という感じはあまり無い。失礼を承知で、彼は尋ねた。

「なあ。あなたのその、体の模様は、一体何だ? 刺青では、ないようだが」
「これですか? これは、毒腺です。ムカデの猛毒を作り出す器官ですよ」

 どこか捨て鉢な、吐き捨てるような口調で女は言った。毒という言葉を使って自分を脅そうとしたのかと紋次郎は推測したが、しかし彫師の彼ですら今まで見たことのない、その濃紫色の妖しい彩りは、恐れをかき消すほどの魅力でもって紋次郎を惹きつけた。

「毒、ね。でも、あんたにその毒を使うつもりはないんだろう? だったら何も問題ないさ」
「……本当に不思議な人ですね、あなたは。私のことを、そんな風に言ってくれた人は今まで一人もいませんでしたよ。みんな顔を合わせるなり、ぎゃあぎゃあ喚いて逃げて行って……」

 確かに彼女の姿は、稲荷やカラステングなどと比べても醜怪で、妖怪に親しむジパングの民といえどもなかなか受け入れがたいものはあるだろう。
 しかし芸術、それも人間の健康な肌に傷をつけて生み出す刺青という、多分に反社会的な要素を含むものに長年携わってきた紋次郎は、彼女のおどろおどろしい出で立ちを美しいと感じてしまっていた。
 美女の身体と、蟲の脚。強制的に接続された美醜の産み出す、違和感一歩手前の麗しさ。そして何より、少女のように未成熟な胴体を彩る奇怪な毒腺。幼い頃、親に内緒で見に行った見世物小屋で繰り広げられた幻惑的な劇を思い起こさせるその魔物は、既に彼の心を鷲づかみにしていた。

「それは辛かったろうな。魔物のことをちゃんと知ってたら、そんな失礼なことはしないはずなんだが。今後はできるだけ、そういうことが無いように俺から頼んでおくよ。
 ところで、俺は、紋次郎って彫師なんだが。あなたの名前を聞いてもいいかい?」
「え? ……私は、彩女と申しますが」
「そうか。じゃあ、麓の奴らには、ちゃんとあなたの無実を伝えておくよ。
 その代わり、ってわけじゃないんだが、今度会ったときは、その……毒腺ってやつを、よく見せてくれないか」
「……へ? これが、どうかしたんですか?」
「本当は怖いものなのかも知れないけど、その模様。俺の彫る刺青より、ずっと綺麗だよ」

 言うだけ言って、紋次郎は踵を返した。
 そろそろ夜になる。依頼人を心配させてはいけないし、それにこのままずっと彩女の身体を見ていると、何か思いもよらぬことを言ってしまいそうで、怖かったのだ。

 その後。
 山の大百足に害意は無い、人間を害することは無いと依頼人やその使用人たちに伝えたはずだったが、ここで少し予想外の事が起きた。
 やはりあの、いかにも毒虫然とした(実際毒は持っているらしいが)見た目の印象は強かったらしく、「もともと大百足に敵意は無かった」のではなく、「紋次郎が大百足に人を襲わないよう懲らしめた」という風に話が伝わってしまったのだ。
 近隣住民や依頼人の喜びようは大変なもので、「これで安心して隣の国まで行ける」だとか「正直いって、刺青のことは見下していました。申し訳ありません」などと逗留先の使用人らが口々に言うものだから、もはや訂正のしようも無くなってしまったわけだ。
 仕方が無いから紋次郎は再び山に登り、彩女に会うことにした。新たに誤解が発生してしまったので、できるだけ人目を避けるよう頼みに行くためである。
 勿論、第一の理由はそれなのだが、もう一度あの悍しくも美しい女性に会いたいという気持ちもあった。白い肌に浮いた毒々しい色の紋が、彼の目に鮮烈に焼き付いて、全く忘れられなかったのだ。
 弘法筆を選ばずとは言うが、やはり不摂生を重ねて荒れ果てた老人の肌よりは、若い女、それもシミやたるみのない、赤子のように美しいそれのほうが、やはり刺青が映える。男女問わず多くの人間の素肌を見てきた紋次郎だが、あの百足女ほど無垢で、いかなる色をも飲み込んでしまいそうな白い肌は見たことがなかった。
 それに加えてあの毒腺である。おそらく装飾を目的とした器官でないにもかかわらず、彼女の肌に浮いたあの禍々しい模様は、自然のものでありながら、いや自然のものであるからこそ、あらゆる人工的なものを美しさにおいて凌駕する。
 刺青が普通の絵画と異なる点は、無論人間の体に直接描かれる、という点である。生きた肉体に刻まれた図柄は、その下の皮と肉に通う血によって息を吹き込まれ、活気と躍動感を得る。紋次郎の作品を「まるで生きているようだ」と褒めるものは多いがそれもそのはず、実際に刺青は活きているのだ。
 であれば、生命力において、後から付け足された装飾を生来の器官が凌駕するのも、また道理。なにせ、生きているのだから。
 自然に創りだされたものに勝てない、という事ならば、職人として彼は敗北感を覚えてもおかしくなかった。刺青師としての彼の生涯は、消して楽なものではなかった。苦難と挫折を重ねて辿り着いた境地を、自然の産物が軽々と飛び越えていく光景は、あらゆる芸術家の自尊心を叩き折り、再起不能に追い込む。
 しかし、彩女を見て以来紋次郎の心にあるのは、ただ陶酔感だけだった。
 あの美しい体をまた見てみたい。あの綺麗な肌に触れてみたい。あの白い肌に刺青を入れてみたい。あの毒腺に、自分の刺青を取り込んで欲しい。誇りや意地すら超越する、ひたむきな、美を求める心。彼を一流の芸術家たらしめている美学が、美を愛する心が、彼の中から負の感情を流し去った。
 今まで感じたことのない不思議な感情が、彼の理性を蝕んでいったのだ。

 さて、ある日の朝方。商売道具を携え、一日休みをもらった紋次郎が件の山を登って行くと、前と同じ場所で彩女に出会った。さすがに二度目の遭遇なので、驚くことも怯えることも無い。

「やあ。また少し、あなたと話がしたいんだがね」
「ええ、いいですよ。最近この山にも、大勢お客さんがいらっしゃって……紋次郎さんがちゃんと、誤解を解いてくださっったんですよね?」
「そのことなんだがな」

 紋次郎は事情を説明した。
 登山者たちはもう山に大百足は居ないと思い込んでいる。自分のほうでもなんとか真実を伝えようとはしているが、なにせ昼の間は依頼人に刺青を入れなければならないから、あまり多くの人に声をかけることが出来ない。
 ついては、しばらく人間の前には姿を表さないで欲しい。倒されたはずの妖怪がまた現れたとなれば、住民たちは恐慌に陥り、ますます自体は複雑化するであろうと。

「本当に申し訳ない。俺の、力不足だ」
「なんですかそれ。せっかく私の気持ち、分かってもらえたかと思っていましたのに。
 ……まあ、いいですけどね。もう人間さんを探す必要は、あまり無いですし」
「そう言ってくれるか。いや、本当に済まない。魔物が本気で人間を殺すと思い込んでいる人って、居るところには居るもんなんだなあ」
「ところで。そういうお話なら、こうして外で立ち話しているのを見られたら、まずいんじゃありませんか」
「そ、その通りだな! もう、麓に戻ったほうがいいか……?」
「え、帰ってしまわれるんですか? 私の巣が近くにありますので、そこにお誘いしようかと思っていたんですが」
「なに。お邪魔してもいいのか?」
「ええ、どうぞ。……と、いうか。他の男に会っちゃダメ、なんて言うなら、その分あなたが、私の相手をして下さい」

 美女からの願ってもない誘いの言葉。魔物が男に声をかけるという、その意味を十分わかっていながら、紋次郎は躊躇いなく彩女の跡を追って丈の高い草によって入り口を巧妙に隠された洞窟ヘ足を踏み入れた。
 茂みの中を歩んでいく途中も、紋次郎は彩女の身体から目を離せなかった。生来存在している身体の一器官なら当たり前なのだが、動いている時でも彼女の毒腺は歪み、よじれながらも全く不自然でない。
 何とかしてあの造化の妙に触れたい。天然の美に屈服し、磨き上げてきた自分の技術をその一部として捧げたい。彩女の毒腺を見れば見るほど、そんな倒錯的な考えが頭の中に浮かび上がってきて止まらなかった。
 洞窟の中で二人きりになってみるとその感情はいよいよもって抑えがたく、二人座って向かい合っても何を話せばいいか全く思い浮かばない。じっと彩女の毒腺を見ているだけで、どこか満たされるような、それでも何か決定的に足りないような、異様な焦燥感を覚える。
 長い前髪の奥、暗い洞窟の中でも明るく輝く彼女の眼光に射竦められるような心地で、紋次郎は言った。

「彩女さん。あなたの肌は……綺麗だな」
「あら、刺青師さんなら女の体ぐらい、知り尽くしてるんじゃありませんの?」
「いや、本当だよ。ただ色が白いだけの女ならいくらでも居たが、その毒腺……そんな模様を持った女は、どこにも居なかった」
「……これが、気に入ったんですか?」
「ああ。それ、すごくいい。なんというか……眼が離せないんだ、それから。俺がずっと描きたかった、刺青の理想が、多分そんな感じなんだろうな」
「へえ……」

 尻尾の先を持ち上げ顎肢を軽く開き、彩女が微笑む。百足といえども、褒められればやはり嬉しいらしい。せっかく女が上機嫌になっている、その機を逃す手は無い。

「彩女さん。不躾なんですが、お願いがあるんだ。
 あなたの体に、刺青を彫らせて欲しい」

 彫師からの突然の言葉に、一瞬大百足は返答しなかった。持ち上げていた尻尾を降ろし、淡々と問い返す。

「それは一体、どうしてです? 理由を教えてくれますか」
「彩女さんの毒腺、それは生まれつきの、自然のものだろう? 創意も工夫も無いはずの、あなたのその造形が、美しすぎて……俺もその一部になってみたいと、そう思ったんだよ。俺が今までずっと練りあげてきたこの技術を、その天与の芸術に取り込んでもらいたいんだ」

 これを聞いた彩女はまた押し黙った。
 紋次郎としても、自分が奇妙なことを言っているという自覚はあったが、しかし一度語り始めてしまえばもう止められはしない。

「ふふ。私みたいな蟲のことをキレイだなんて言った時から、変わった人だなあって思っていましたけれど。
 やっぱりあなた、相当珍しい類の人みたいですねえ」
「無茶を言っていることは、分かっている。しかし、もう俺は、彩女さんに初めて会った時から、あなたのその毒腺を忘れられないんだよ」
「そこまで仰るなんて。私達妖怪が、そういう熱烈な言葉に弱いと、知ってのことですか?
 ……いいでしょう。あなたの真心は伝わりました。私の体、あなたに預けましょう。
 でも、1つだけ条件を付けさせて下さい」
「条件とは?」
「一つでいいです、紋次郎さんの彫った刺青を、私に見せて下さい。その出来で、判断させてもらいます」
「なんだ、そんなことですか。それなら今から早速行きましょう。近くに一件、アテがある」

 一応人目を避けつつ、二人は洞窟を出た。
 向かうは龍の社。先日白蛇の図案を彫った男が、住んでいるはずの所である。

 男は快く紋次郎たちを迎えてくれた。
 生憎会えたのは男のほうだけで、妻の方は働きに出ているということだったが、しかし彼は詳しい事情を話す前から、

「紋次郎さんの頼みなら、お安い御用ですよ」

 と言って、あっさりと背中の白蛇を見せてくれたのだ。
 彫った紋次郎自身、会心の一作と認める大きな蛇女の紋は、最後に見た時と変わらず活き活きとして、持ち主の男を締め上げていた。
 彩女の方も紋次郎の力作を一頻り見せてもらって納得したらしいので、多少忙しないが、二人はもう暇を乞うことにした。

「では、私達はこれで。急に押しかけて、本当に申し訳なかった」
「いえいえ、いいんですよ」
「しかし、訪れた私が言うのも何なんだが、勝手に魔物娘を家に上げたなんてことが知られたら、奥さん怒るんじゃあないかい?」
「大丈夫ですよ。あいつ、俺のこの刺青を人に見せると、結構喜ぶんです。多分、それで独占欲が満たされるんですね」

 相変わらず奇妙な関係を続けているらしい夫婦の家を後にして、二人は彩女の洞窟に戻った。
 時刻はもう夕方。休暇を貰っているので、まだ急いで帰宅する必要は無い。

「……見事なものでしたね。生きているよう、なんて言うとちょっと陳腐ですが」
「あんなものより、彩女さんのそれのほうが綺麗さ、ずっと」
「……またそんな事言って。知りませんよ、どうなっても……
 まあ、もう手遅れなんですけどね」
「ところで、刺青の方は」
「ええ、いいですよ。あなたの腕は十分見極めさせてもらいました。
 存分に私を使って、あなたの『美』を表現して下さい」
「ありがとう……!」

 針や墨を広げ、早速準備にとりかかる。うつ伏せに寝て背中を晒した彩女の顔には、期待とも恐怖ともつかない色があった。

 それから数時間。紋次郎は彩女への刺青を、一気呵成に終わらせた。
 魔性の生き物、その極上の肌に触れた感触や、奇怪でありながら他には無い独特の魅力を持つ毒腺。それら、この世のものでない美しさが、紋次郎の霊感を激しく喚起させた。
 大百足の身体に紋次郎自身の作品を描くのではなく、彼女の毒腺、その魔力を引き立てるような刺青。蟲の美にただ奉仕するような、装飾品のような図案を描いていく。
 腰辺りの毒腺を赤黒く縁取り、同心円状の、紅い眼球のような模様を描き、また背中には、一部分に切れ込みの入った片喰型の紋を施す。
 背中や腹に大きな一枚絵を書くような通常の刺青と異なり、元からあるものに付け足しをするだけなので、時間はそう掛からない。紋次郎の美の行き着く先が、このような従属的なものであることは職人としては屈辱的なはずだったが、彼の中に、既に誇りと呼べるものは残っておらず、そこにはただ美しいものに対して膝を折ることができるという大いなる喜びだけがあった。

 彫り終えてしばらく後。人間ならばまだ熱と痛みで身動きも取れないはずなのに、むっくり起き上がった彩女は自分の体を眺め回した。

「……? これは確か、デルエラ様の……で、こっちは……ルーン?」
「なんだ? 何か、気になることでも」
「紋次郎さん。この模様、紋次郎さんが自分で考えたんですか?」
「え? ああ、はい。そうだ。考えたというか、内から溢れでてきたって感じだったがね」
「なるほど。芸術でも、収斂進化は起こり得るのかもしれないですね」

 よく分からないことを言ってから彩女は紋次郎へ向き直る。
 その瞳の輝きに、彼は見覚えがあった。白蛇の絵を夫の背中に彫り終えて、完成図を見せたやった時の、あの奥さんの瞳だ。

「さて。女の心と身体を好き放題して、このまま無事に帰れるとは思っていませんよね?」
「ああ、好きにしてくれていい。今日から私は、あなたのものだ」
「では早速」

 彩女の背後から、長いムカデの身体が素早く飛び出してくる。紋次郎の身体を絡めとり、地面に引き倒す。仰向けに寝かされ四肢の自由を奪われた彼の上から、大百足がのしかかってくる。

「こんな気持ち悪い、大百足の私のこと、綺麗だなんていうから。私の体をまた見たいなんて、言うから。寂しいオンナに軽いセリフを掛けるから、こういうことになるんです。
 火を着けた、あなたが悪いんですからね」

 首から下を節足で拘束された彼の服を、器用に剥ぎとっていく。短い捕脚の尖った先端で布を切り裂き、両手で邪魔な物を投げ捨てる。
 あっという間に全裸にされた紋次郎の首筋に軽い痛みが走ると、一瞬で彼の男性器は勃起した。

「!? これは」
「これが、あなたが綺麗だといってくれた毒腺から出来る、あなたの大好きな毒ですよ。男の人を骨抜きにしちゃう毒なんです」

 強制的に奮い立たされた肉棒に、彩女がそっと触れる。軽く角度を調整して、熱い粘膜を触れさせる。

「怖い怖いムカデを、美しいって言ってくれる、優しい人。これからそんな優しいあなたを、食べちゃいますからね」
「ああ、いいよ」

 何をされようと、もはや彼は抵抗をしない。この世で唯一と信じる美、それに服従する以外、彼には何も無いのだ。
 自らの指で淫唇を割り開き、ムカデの女陰が肉槍を飲み込んでいく。濡れそぼった狭い膣で急に絞めつけられ、紋次郎はたちまち我慢汁を漏らした。

「あ、何か、出た……! 気持ち、いいんですか?」
「ああ、すご、い、これ……!」

 作品に支配権を奪われる異常な状況で、彼はただ悦んでいた。蟲に巻きつかれて自由を奪われ、女に性交を強制される状況も、今の彼にとっては和姦と何ら変りなかった。

「そうですか……じゃあ、もっと良くしてあげます……私以外、見えなくしてあげます……」

 そう言って彩女は、人間でいう騎乗位の体位で、激しく腰を振り立て始めた。
 一体いつから欲情していたのだろうか、汁気の多い膣は愛液でびしょびしょに濡れ、女性器の襞が竿を撫でるたびに細かい飛沫が二人の股間を汚すほど。
 感度もそれに比例して高いらしく、紋次郎を犯すうちに段々性感に溺れ出した彩女は、熱い喘ぎを漏らし、それでも体温の上昇を抑えきれず、腰を止めずに上半身だけを倒してくる。恋人のように両手で紋次郎の首を掻き抱くと、小さな乳房が彼の胸板の上でむぎゅっと潰れた。
 微乳は巨乳よりも感じやすいという俗説は、彼女に関してはなかなか当たっていたようで、小さなおっぱいを固い男の胸筋に擦りつけられた彩女はビクッと体を震わせた。目を見開き、意外な刺激に驚く彼女は掛け値なしに可愛かったが、縛られていてはどうしようもない。
 そこで何気なく、唯一自由に動かせる首を曲げ、大百足の毒腺、人間ならば鎖骨のある辺りに広がったものに軽くくちづけてみる。すると、ほんのちょっと触れただけなのに、凌辱者は短い悲鳴を上げた。

「きゃっ……! や,やら、なにこれ……」

 ムカデの毒腺は男を感じさせるためのものである一方、彼女たちにとっても非常に敏感な性感帯であるらしい。舌先でちろちろ舐めてみると、ますます彩女の身体は熱くなり、膣奥からは粘液が溢れでてくる。当然、紋次郎に与えられる快感も倍増する。が、既に美の奉仕者と化した彼は麗しの毒腺から口を離すことができない。

「ひゃ、らめ、なにこれ、らめれす、もう、すぐ……」

 拒むようなことを言いつつも、大百足は身を引き離そうとはせず、寧ろ強く、熱烈にくっついてくる。愛しい人に強く抱きしめられ、濡れそぼったキツイおまんこでガンガン搾精されては、耐えられる方法など有るはずはなく。

「彩女、さん、もう……!」
「出して、中に……精子下さい、あなたの精子、私に……!」

 その言葉を聞くと同時に、紋次郎は射精した。
 足の先から胸元まで大きな蟲に囚われて、端から見ればまさしく捕食の最中にみえるであろうひどい状況だが、彼は生まれて初めての強い快楽を覚えていた。
 崇拝すらしたくなるほど美しい存在に自らの技術を取り込まれ、さらに陵辱されて膣内射精を強制される。普通なら悲惨という他無いはずなのに、彼はただひたすら大百足の毒に陶酔していた。
 犯していた方の彩女も、胎内を子種汁に満たされて息もできないくらいに達していた。ただ無言で、やっと捕まえた愛せる男性を両手で抱きかかえ、下半身をも密着させてその感触を楽しむ。
 絶頂直後の軽い浮遊感の中、熱に浮かされたような口調で彩女が呟いた。

「もうあなたは、私のもの……誰にも渡しません、どこへも行かせません。ずっと私と、一緒です……」

 彼の望みは彼女の望み。これからは一日として、二人が離れることは無いのだろう。あの白蛇とその夫のように、お互い以外何も見えなくなっていくのだろう。
 自分の産み出す物を遥か超える美、それに支配され征服され所有され玩弄されることは、芸術家として至高の幸福に違いなかったはずである。
12/08/11 01:17更新 / ナシ・アジフ

■作者メッセージ
ちょっといろいろ、影響受けすぎでしょうか。

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