連載小説
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サハギンと焼き魚
 岩の上に座り込んで糸を垂らしながら、じっとメつ。
 既に隣に置いたバケツには数匹の魚が居るので晩飯には十分確保できているので気分は楽だ。単なる自分への挑戦と練習である。

「よっ……… ちぇ、逃したか」

 手ごたえがあったので、竿を上げてみたが糸の先には銀色に光る針がついていただけだった。

「……そろそろ飯食うか」

 太陽の位置を確認し、そろそろ暮れる頃だと判断するとそのまま荷物を片付け始める。最後の一匹ぐらいは釣りたい気もしたが、次の機会という事にしておこう。周囲を見

渡して忘れ物とゴミが無いことだけを確認し、岩場から降りる。そして、前もって組んでおいた薪に火を入れる。火が全体に周り焚き火がパチパチと良い音を立て始めるのを

待つ間に、今しがた釣り上げたばかりの魚を捌き、串を刺して塩をまぶしておく。

「………うん?」

 不意に後ろからヌッと大きな影が現れた。
 この辺りには熊や猪を初めとした大型の獣は居ない。居るとすれば、同じキャンプ仲間ぐらいだろう。振り返るとやはり少女が一人立っていた。
 いや、少女というのも少し奇妙か。彼女の手足は鱗で覆われていて、およそ人間には不必要な部分があったのだから。

「あ……この川、サハギンの住処だったのか?」

 俺が訊くと、彼女は静かに顎を引いた。
 そういえば、この辺りは魔物の住処だ。もっとも「魔物」と言っても、無闇に自然を傷つけず、当たり前に相手への敬意を知っている人間ならばまず襲われることはない。

多少は人と価値観が違うことはあるが、かなり理性的な生き物であり、積極的に他人を傷つけるような残虐さは持ち合わせていないのだ。そして、何よりも彼女達は友好的だ


 とはいえ、幾ら彼女が友好的な種族であり、こちらが知らなかったとはいえ土足で自分の住処に上がられて快く思う者も居ないだろう。

「悪いな。 終わったらすぐどくから良いか?」

 軽く謝るとサハギンは緩やかに首を振った。
 表情が薄いので「すぐにどいた方が良いのか」とも思ったが、近くの倒木を持ってきてチョコンと隣に座った。それから、膝の上に肘を着き、手の上に顎を乗せてじーっと

こちらを見ている。視線には興味の視線こそあれど、敵意のようなものは感じない。

「……居ても良いのか?」

 深く瞬きをして問いに答えた。どうやら、先ほどの首を振ったのは「気にするな」という意味合いだったらしい。ついでなので、どこにテントを張れば良いのか、と聞いて

みたが森の入り口の少し開けた場所を指差した。
 そこならば丁度良いということだろう。

「そっか、ありがとうな」
「……」

 他にも世間話程度に色々訊いてみたがサハギンは首を動かすだけで、ただの一度も声を出さなかった。

「さて……」

 そうこうしている内に焚き火の周りに刺して置いた魚が香ばしい香りを立ち上らせていた。特に美味しそうな狐色をしている二本を選んで取ると、油が滴り落ちて焚き火の

中で良い音で爆ぜた。

「食うか?」
「?」

 じっと無表情なままこちらを見つめていたサハギンに手渡してみる。
 サハギンは僅かに戸惑ったような色を見せたが、そのまま素直に受け取りしげしげと焼き魚を見つめたり、鼻を近づけてスンスンと匂いを嗅いだりしている。

「ほら、冷めない内に食えよ。 旨いぜ?」
「………」

 サハギンは受け取ったは良いが「どうして良いのか分からない」というように硝子の様な瞳でこちらを見るばかりだ。ここまで来ては言葉で言っても仕方あるまい。少々オ

ーバー気味に口を広げ、ガブリと魚に噛み付いてみせる。
 ぱりぱりとした皮が破けると少し木の香りが鼻に抜ける。それからやや油が溢れ出て、芳醇な肉の味が口いっぱいに広がる。僅かに背びれと尾びれにつけた塩がアクセント

となって絶妙なハーモニーを奏で始めた。

「うん、旨い」
「……」

 我ながら絶品だ。
 それがサハギンにも伝わったのかどうかは分からないが、どうやら食べれる物だとは判断したようだ。やや躊躇いがちに小さめに口を広げ端っこの方に噛み付いてみる。出

来立ての焼き魚の熱さに戸惑ったようだが、二度、三度と挑戦してようやく一口を口に含んだ。もぐもぐと咀嚼し始める。

「どうだ?」
「……」

 相変わらず表情は変わらない。唯一の反応は一瞬だけ動きが止まったこと位だろうか。
 だが、その後の反応は見ていて面白かった。小さな口で慣れない焼き魚の熱さと格闘しながら黙々と食べ始めた。

「もう一匹食うか?」

 こちらが三匹食べる速度で一匹を食べ終えると、ふぅ、と小さく溜息をついた。あまりにも美味しそうに食べるので、もう一匹勧めてみたのだが、ゆるゆると首を横に振っ

て否定した。だが焼き魚は気に入ったらしく、時折焼き魚に視線を落としてはお腹をさすっていた。

………

 次の日に薪の片付けに行くと、川で昨日のサハギンが泳いでいた。
 こちらに気がつくと一度川に潜り、それから手に魚を握ってこちらに向かってきた。

「……」
「?」

 ぐっと無表情のままビチビチと暴れている魚を突き出してくる。
 何だろう、と思っていると視線が薪の後に注がれていた。なるほど「焼き魚にしろ」ということらしい。

「釣りをしてからでもいいか? 食料調達がまだなんだ」
「……」

 コクン、と彼女が頷いた。
 元気良く暴れまわる魚をバケツの中に入れて、夕飯を手に入れるために釣りをする。「釣り」という物に興味が湧いたのか、サハギンは隣に座って釣竿を不思議そうに眺め

ていた。なんとなく気になって話しかけてみるが、サハギンは一向に口を開きそうに無い。「そんなに興味があるのなら一回位釣りをしてみるか?」と勧めてみたのだが、一

向にそれを取る気配はない。その後も何度も話し掛けてみたが、こちらに愛想をつかしてしまったのか立ち上がってどこかに行ってしまった。
 どこに行くのかと思って彼女の背中を眺めていると、薪跡の方へと歩み寄り勝手に薪を組み始めた。
 どうやら、話しかけられるのが嫌だったようだ。次からは少し話し掛けるのを自重しよう。ただ、あれだけ話したのだ、彼女の声というのも一度でいいから聞いてみたい気

もする。何が何でも一言ぐらい喋らせてみよう。


………

 次の日も、その次の日もサハギンの所に通いつめた。
 数を重ねて話しかけ、相手が何を訊くと嫌がるのか、何を好むのか、それを少しずつ蓄積していく。当初は全くの無愛想な少女だと思っていたが、よく観察してみればその

挙動から感情を推測できた。一度コツを掴んでくると、サハギンは様々な表情を見せてくれた。そして、何十回と繰り返すうちについには彼女を最後まで飽きさせずに横で釣

りに付き合わせることに成功した。

「なぁ」

 川に糸を垂らしながら隣に居るサハギンに声をかけてみる。
 サハギンは首を回してこちらを見た。

 ただ、そこまでできるようになったのだが相変わらず彼女の声は一言も聞いたことがない。
 今日こそは、今日こそは、とも思うのだが彼女は一向に喋る気配を見せてくれない。
 何十回目だろう。
 一人言のような彼女への言葉を紡ぐ。

「お前、焼き魚好きなの?」
「………」

 彼女は質問には答えなかった。
 ここまでは、思惑通りだ。案外プライドの高いサハギンは、ピクリと眉根を一瞬だけ動かした。その水面の様な表情は僅かに動揺している。食いしん坊だとは思われたくな

いのだ。ニヤリと内心ほくそ笑む。

「だってさ、お前、俺が魚を焼こうとすると毎回来るだろ? だからさ、好きなのかと思って」
「………」

 真横で首だけこちらに向けて睨んでくるサハギンを目の端で捕らえながらも、気がつかないフリをしつつ顔を正面で保つ。どうでるか、気まずい沈黙。ここでフォローをし

ないと立ち上がって薪を組みにいくのは知っている。それは困るのだ。

「ま、そんな訳ないよな…… 自分の領土を荒らされないように来てるだけだよな」
「………」

 勝手に納得したように呟くと彼女の視線は幾分緩んだ。動揺、緊張、そして……弛緩。
 だが、弛緩した瞬間こそ最大の弱点だ。 
 その急所を突く。

「でも……この川に焼き魚垂らしたら、サハギンが釣れるかもな」

 一人言。
 サハギンなどここには居ない、とでも言うように呟く。

 彼女は喋れないのではない。喋らないのだ、という確信はあった。これまでに何度か口を開けて何かを言おうとした事はあったが、何も発さずに口を閉じる姿は幾度か見て

きたからだ。
 案の定、不機嫌そうに彼女は立ち上がった。

 「悪かったよ」

 慌てて謝ったのだが、聞く耳を持たないとでも言うようにそっぽを向いた。
 そして

 「………やったら、引きずり込む」

 涼やかな声。
 直後にサハギンの川に飛び込む水音が掻き消した。




 ……今度、やってみようと思う。
12/10/14 02:29更新 / 佐藤 敏夫
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■作者メッセージ
そういや「男の方が魔物のことを好きになるSSって書いたことないな」という事に気がついて書きました。
もっとも、諸事情により恋愛というのを表現するのが、どうも苦手なので無言のまま好きになるという表現を含めて模索しつつ。

いや、そんなのは副次的な物であって

サハギンさん、焼き魚に夢中 って可愛くね?

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