読切小説
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処刑人と蠅
 男は、処刑台を洗っていた。処刑台は、血と肉片で汚れていた。水をかけブラシでこすった。この場で斬首が行われてから、それほど時間はたっていない。あたりは生臭いにおいが漂っていた。
 斬首は、台を洗っている男が行った。男は処刑人だ。数多くの者を斬首して来た男だ。斬首とは比べ物にならないほど残虐な処刑も行ってきた。
 蛆虫野郎、とどこからか聞こえてきた。処刑人は見向きもしなかった。何も言わず、処刑台を洗い続けた。血肉を喰らう犬、と先ほどは聞こえてきた。その時も処刑人は振り向かなかった。
 少しはなれたところにある台には、女の首がさらされていた。すでに蠅がたかっていた。

 一人の少女が、処刑人を眺めていた。少女は人間ではなかった。顔は整っていた。だが、頭から2本の黒い触覚が生えていた。背には薄紫色の羽が生えていた。手はかぎ爪のようになっていた。人間の尻にあたる部分からは、昆虫のような腹と尻が突き出ていた。
 少女はベルゼブブと呼ばれる魔物だ。蠅の王の異名で呼ばれる魔物だ。少女は頭に髑髏のデザインの髪飾りをつけ、羽には髑髏のマークが浮かんでいた。
 少女は表情を浮かべず、じっと処刑人を見つめていた。

 処刑人が作業を終えて台から離れると、少女は笑みを浮かべながら近寄ってきた。
 「さあ、早く帰ろう。だんな様」
 処刑人は、振り向きもしなかった。ただ、ぼそりとつぶやいた。
 「お前を妻にした覚えはない」
 少女は、ニヤニヤしながら言った。
 「あれだけやりまくって、それはないだろ?中でも出しまくったじゃないか」
 少女は、恥ずかしげもなく言った。少し離れた所にいた女が、二人を嫌悪と侮蔑の表情で見た。
 「なぜ俺に近づく?」
 処刑人ははき捨てた。
 「いい臭いがするからさ」
 少女は、わざとらしく鼻を鳴らして処刑人のにおいをかいだ。
 「死臭か」
 処刑人は、つまらなそうにつぶやいた。

 少女が処刑人に付きまとうようになったのは、一月前からだ。
 処刑人は、罪人の処刑を終えて帰路についていた。少女は、いきなり現れると
 「お兄さん、いい臭いがするね」
 そう言ってまとわりついた。いくら追い払っても付きまとってきた。
 家に上がりこむと、パンや肉をむさぼり食い始めた。ぶどう酒を勝手に飲んだ。食うだけ食い、飲むだけ飲むと処刑人を押し倒した。処刑人は頑強な男である。少女を払いのけるなどたやすいはずだった。だが、少女は見かけとはぜんぜん違い、怪力を持っていた。処刑人は、人間と魔物の違いを思い知らされた。
 あきれたことに、少女は処刑人の腋や股の臭いをかぎ、なめ回し始めた。ペニスをさも旨そうにしゃぶった。処刑人がこらえられずに精を放つと、下品な音を立てて吸い上げた。
 少女は処刑人の上に馬乗りになり、ペニスを自分の中に飲み込んだ。激しく腰を動かし、処刑人の精を搾り取った。繰り返し繰り返し、精を絞り上げた。
 処刑人が意識を取り戻したのは、日が昇ってからだった。
 「お兄さん、気に入ったよ。これからよろしくね、だんな様」
 そう少女は笑いながら言った。それ以来、処刑人のところに居座り続けている。

 処刑人は、町の市場を歩いた。食料を買うためだ。
 処刑人は鈴をつけていた。その音を聞くと、人々は嫌悪をあらわにして道を開けた。処刑人は、鈴をつけることを強要されていた。町の人が処刑人だとわかるためだ。
 処刑人は、パン屋の前に立った。パン屋は処刑人の鈴の音を聞くと、今までの愛想笑いが嫌悪の表情に早変わりした。処刑人は、店の台に金を投げ出した。大きなさじを袋から出すと、パンを指し示した。パン屋は顔をしかめながら、パンをさじの上に載せた。処刑人がパンを袋の中に仕舞い背を向けると、パン屋は舌打ちをした。
 「こんな店で買うなよ。もっといい店がある」
 そう少女は言い放つと、処刑人の手を引いて早足で歩き始めた。少女は、不機嫌そうに顔を歪めている。
 「どうでもいいことだ」
 処刑人は、気の無い風に言った。
 「あれが客に対する態度かよ。ふざけるなって」
 少女は苛立ちをあらわにして言った。
 少女と処刑人は、一件の肉屋の前に立った。店の中から、店員である若い女が出てきた。女は、上半身は普通の人間だった。だが、下半身は緑色のうろこに覆われた蛇の姿だった。
 「あら、アナト、シャルルさん、いらっしゃい」
 女は、愛想よく笑いながらあいさつをした。
 女はラミアだ。上半身は人間の女、下半身は蛇である魔物だ。
 この国は、もともとは反魔物国だった。主神教会が大きな勢力を持っていた。しかし主神教会の勢力は、この地で衰えてきた。それに伴い、この国は中立国へと立場を変えた。この国には、魔物が移り住むようになった。
 「豚肉を売ってくれ。新鮮なやつをね」
 アナトと呼ばれたベルゼブブの少女は言った。シャルルと呼ばれた処刑人は、無言で金を店の台に置いた。ラミアである店員は肉をはかりで量り、布で包んでシャルルに手渡した。この町の人間ならば、処刑人であるシャルルに手渡そうとする者などいない。だからシャルルは、買い物のときは大さじを持ち歩いている。
 店を出ると、今度はアナトの勧める店で野菜を買った。店は、人間の上半身と馬の下半身を持ち、頭に角を生やした魔物であるユニコーンがやっていた。ユニコーンも、野菜をシャルルに手渡した。
 「なぜお前達魔物は、俺に物を手渡すのだ?」
 シャルルはつぶやいた。
 「なぜって、当たり前だろ?」
 アナトは、こともなげに言った。
 「当たり前か」
 シャルルは、苦く笑った。

 シャルルの家は町外れにあった。町外れでなければ、住むことを許されなかった。
 家に着くと、アナトは酒を飲み飯を食らった。そのあとで、いつもどおりシャルルに襲い掛かった。
 シャルルのズボンを脱がすと、股間に鼻を押し付けて臭いをかいだ。顔をしかめてシャルルを責め立てた。
 「体を洗うなって言っただろ。臭いや味を楽しめないじゃないか」
 そう言い立てると、音を立ててシャルルのペニスをしゃぶった。強烈な吸引だった。何度もしゃぶってもらったにもかかわらず、シャルルは慣れなかった。限界はすぐに来た。
 シャルルの放つ精を、アナトはいつものように音を立てて吸い込んだ。尿道の中の精を吸い尽くしても、強烈な吸引は続いた。シャルルのペニスは、強引に回復させられた。
 アナトはシャルルの上にまたがり、触覚や羽を激しく動かしながら腰を振った。シャルルのペニスを絞り上げた。ペニスが渦に引き込まれているようだった。
 シャルルは、アナトの中で何度も果てた。暴食をつかさどるといわれる悪魔の子宮に、精を搾り取られた。シャルルの意識は沈んでいった。

 罪人は、弱火であぶられていた。もう2刻になる。
 罪深き罪人を、炎で浄化するのだそうだ。主神教会が好む処刑方法だ。主に背教者、異端者とみなされた者に対して行われる。
 浄化するのならば、ふんだんに薪を使い強火で焼けばよい。だが、薪は貴重だということで弱火であぶられていた。
 薪を足してくれ!と罪人は泣き叫んだ。
 神父と教会兵は、心地よさそうに聞いていた。
 処刑人は、薪を足そうとした。
 教会兵は、槍の柄で処刑人を殴り飛ばした。
 余計なことをするな、犬が!神父ははき捨てた。
 お前は言われたとおりにすればよい。自分で判断するな。お前は犬以下の処刑人だ。分をわきまえろ!
 神父は、侮蔑をあらわにしてののしった。
 処刑人は、鼻から血を流して引き下がった。
 
 シャルルの意識は覚醒した。
 シャルルはベットの上にいた。アナトは、シャルルの汗まみれの胸の上に顔を乗せて寝ていた。
 つまらない夢を見たな。シャルルは低く笑った。
 10年前、まだ主神教会の力がこの国では強かった。教会の命令で、異端審問と処刑が行われていた。処刑人は、拷問と処刑を行うことを強要されていた。
 当時、シャルルは父の助手だった。父も処刑人だった。シャルルの一族は、みな処刑人だった。他の職につくことは許されなかった。父もシャルルも蔑まれ続けた。汚れ仕事を押し付けられ続けた。
 隣国での主神教会軍の大敗により、この国の主神教会の勢力は衰えた。だからといって処刑人が蔑まれることは変わらなかった。汚れ仕事を押し付けられることも変わらなかった。
 まあ、ましになったことは確かだ。シャルルは嗤った。
 処刑は、斬首が主となった。火あぶりは少なくなった。
 だが、俺の未来は変わらない。シャルルはアナトを見下ろした。
 こいつが俺の子を生んでどうする?子供まで処刑人になることを強要されるだけだ。
 シャルルには、何度か結婚話が持ち上がった。相手は、いずれも別の町の処刑人の娘だった。他の職の者の娘と結婚することは許されなかった。シャルルは、処刑人の娘をさげすむつもりは無かった。ただ、子供まで処刑人になることを強要されるのが耐えられなかった。だからすべて断った。
 アナトとは何度もまぐわっている。お前は、将来の処刑人を生みたいのか?シャルルは、そうアナトに聞きたかった。

 シャルルは、町長に呼び出された。町舎の一室で命令を受けることとなった。町舎では、町長と町の幹部達が座って待っていた。当然のこととして、シャルルは立ったまま命令を受けた。
 命令は、ある罪人の処刑方法についてだった。罪人は、町長の側近だった男の元で使用人を勤めていた男だ。主人を殺した罪で逮捕されていた。この罪人を、串刺しにして殺せという命令だった。
 主神教会の勢力が強いころは、様々な残虐な処刑方法がとられていた。罪に対しては、仮借ない罰が必要だとのことだった。串刺しは、主神教会が力を持っていたころに行われた処刑のひとつだ。
 罰が甘くなったから主人を殺す不心得者が出ると、町長は言った。厳しい罰を下して見せしめとし、目上の者へ奉仕する心を町の者に養わせると言った。
 シャルルは反論した。この町では、すでに10年近く行われていません。国内でも、現在では串刺しを行うことは少なくなっています。
 なおも反論しようとしたが、シャルルは町長の部下に殴り飛ばされた。
 お前は言われたとおりにすればよい!犬の分際で意見するな!罰が甘いから、お前のような身の程知らずが出るのだ!
 町長は怒鳴るのをやめると、わざとらしく冷笑しながら言った。
 処刑人が、処刑される例もある。お前を串刺しにしてもよいのだぞ。
 シャルルは、鼻血をぬぐいながら平板な声で言った。
 仰せのとおりにします。
 町長とその取り巻きは、心地よげに嘲笑した。

 シャルルは、隣町の処刑人と打ち合わせをした。串刺しは、一人では出来ない。少なくとも二人がかりでやらなくてはいけない。
 串刺しの残虐さは、刑の名だけではわからない。まず股の付け根の溝に切り傷をつける。そこから杭を突き刺し、体内に押し込んでいく。とがった杭が内臓を傷つけ、やがて口から杭が突き出す。そして罪人は、内臓の損傷か窒息によって死ぬ。
 だが、これはましな場合だ。杭をわざと丸く削り、油を塗る場合がある。内臓を突き破らないようにするためだ。杭をゆっくりと突き入れていき、杭が内臓を押し分ける感触を罪人に味合わせるのだ。そして時間をかけて死に至らしめる。
 この国で、この町で行われていたのは後者だ。この串刺しを復活させようというのだ。
 シャルルと隣町の処刑人は、実務的な会話をしていた。杭の大きさ、形状、油の種類、罪人を固定する台の調子、処刑の際に吹き出す汚物の処理。これらの実務について、無感情に話していた。

 打ち合わせが終わると、シャルルは準備に取り掛かった。
 シャルルは、準備しながら処刑される罪人について考えていた。
 罪人は、主人に虐待されていた。顔はあざだらけだった。背中や胸には、焼きごてのあとがあった。虐待に耐えかねて、主人が酔った隙にまき割り用の斧で殴り殺した。
 取調べの際、罪人は素直に自白した。拷問をかける必要など無かった。だが、町長とその配下の役人は、拷問にかけることにこだわった。取り調べの役人は、重箱の隅をつつき、罪人の些細な矛盾をついた。それを口実に、シャルルに拷問を行うことを強要した。
 裸にして鞭打った。縛り付けた上で、口に漏斗を押し込み水を注ぎ込んだ。そしてラックにかけた。
 ラックとは、体を引き伸ばす拷問道具だ。犠牲者の手足を縄で縛り、縄をローラーで引っ張る。ラックにかけられたものは、靱帯を破損され、関節をはずされる。
 罪人は、泣き喚きながら自白した。取り調べの役人が、もったいぶりながら誘導するとおりに自白した。自白が終わった後、シャルルは罪人の治療に当たった。
 罪人の靱帯、関節は手ひどく破損されていた。仮に串刺しを免れたとしても、重い障害を持って生き続けることになる。
 俺は、一生汚れ仕事をしなくてはいけないのだな。シャルルは、自分を嗤った。
 この前に斬首した女もそうだ。あの女も、仕えていた騎士によって陵辱されていた。耐えかねて騎士を小刀で刺した。
 俺は、権力者の犬だ。いや、犬以下だ。
 シャルルは、棚から小瓶を取り出した。中には毒が入っている。シャルルは瓶のふたを開け、じっと見つめた。瓶を口へゆっくりと運んだ。
 瓶は弾き飛ばされた。アナトが目の前にいた。顔からはすべての表情が欠落していた。
 「シャルルが、処刑や拷問を嫌がってるくらい私にもわかる。死にたくなるくらい嫌なのかも知れない」
 アナトは息をついた。
 「だが待って。5日だけ待って。私が手を打つ」
 そうアナトは言うと、外へ飛び出した。
 シャルルは笑った。いまさらどうするというのだ。
 シャルルはため息をついた。5日後に処刑がある。それまで待とう。それから死んでも大して変わりは無い。
 シャルルの頭にひとつの思念が宿った。
 いや、死ぬつもりなら他にやることがある。
 シャルルは低く笑った。

 町の広場はにぎわっていた。串刺し刑を見る人々で埋まっていた。
 広場の中央には処刑台があった。すぐそばには、町長と判事が立つ演台があった。町長と判事は、演台のすぐそばで談笑していた。
 町長は談笑を辞めると、合図をした。広場の右側から3人の男が現われた。処刑人と罪人だ。シャルルは右側から、もう一人の処刑人は左側から罪人を抱えていた。罪人は、ラックにかけられたため歩くことができなかった。罪人は、恐怖と苦痛のため、涙と鼻水とよだれをたらしていた。小便を漏らしていた。
 処刑台につくと、シャルルは罪人の服を脱がした。血で汚れたシャツを脱がし、小便で汚れたズボンを脱がした。裸になった罪人を、処刑台に縛り付けた。罪人は、股を広げた状態で縛られた。
 町長と判事は、演台に上った。演台の後ろにシャルルは控えた。町の警備兵は、演台の前に配置された。演台の後にはいない。
 町長は演説を始めた。罪人の罪を、大仰に責め立てた。そして目上の者に従うことの大切さを、得意げに説教した。
 シャルルは、町長の後ろに回った。懐にはよく研いだ小刀がある。刃には毒を塗っていた。後から町長の胸を刺せば、町長は確実に死ぬ。胸を刺さなくとも死ぬ可能性は高い。この5日間、暗殺の練習をひそかに重ねた。手間取ることの無いように、暗殺の練習を重ねた。
 シャルルが死と引き換えに考え付いたことは、暗殺だ。町長、判事、町長の取り巻き、そのいずれかを殺すことだ。自分に汚れ仕事を押し付け、蔑み続けた者への復讐だ。
 暗殺を成し遂げたら、毒刀を自分に刺すか、懐の毒を飲むかして自害するつもりだ。暗殺者であるシャルルは、拷問にかけられるだろう。その後で串刺しにされるだろう。そのおぞましさは十分にわかっていた。暗殺を成し遂げたら、速やかに死ななくてはならない。
 町長は得意げに演説を続けていた。後ろに控えているシャルルのことは、気に留めていなかった。シャルルは間合いを計った。
 見物に集まった人々は、ほとんど人間だ。魔物の姿は見られなかった。人間達は、興奮に目を輝かせながら処刑を待ち構えていた。
 発情した犬以下だな。シャルルは心の中で嗤った。
 お前達駄犬に、飼い主の無様な死に様を見せてやろう。
 シャルルは、懐に手を伸ばした。
 その時、広場に一台の馬車が滑り込んできた。所々に金箔が張られた豪奢な馬車だ。
 人々の間にざわめきが起こった。町長も演説をやめ、馬車を注視した。
 馬車から、一人の男が降り立った。頭が禿げ上がり、太った男だ。金糸で刺繍された絹服を着ていた。町長の絹服とは、比べ物にならぬほど豪奢な服だ。
 王弟殿下、と町長はうめいた。
 男の後から一人の女が舞い降りた。銀色の髪を広げ、漆黒の服をまとった女だ。美貌という言葉がむなしくなるほどの美しい女だ。
 王弟と女は、処刑台へ歩いて来た。処刑台につくと、女は王弟に言い放った。
 貴国は文化国家だと思っていました。だからこそ、貴国と同盟を結ぼうと考えていました。
 女は、王弟を見据えた。氷のようなという言葉が生易しく感じるまなざしだ。
 これが貴国の文化ですか?
 王弟は、体を震わせた。甲高い声で弁明した。
 いえ、違います!わが国では、串刺しなどほとんど取りやめています!この町の者の暴挙でございます!すぐにやめさせます、リリム様!
 リリムという名に、広場は水を打ったように静まり返った。魔王の息女の一人だ。なぜこんな町にいるか、理解できるものはいなかった。
 沈黙を破ったのは、王弟の怒号だった。
 今すぐに、処刑を中止しろ!裁判をやり直せ!町長と判事は何をやっている!
 町長は、馬鹿みたいに突っ立っていた。王弟の怒号で、はじかれたように動き出した。道化めいた動作だった。
 シャルルは、事態の動きが理解できなかった。ぼんやりと辺りを見回すばかりだった。その目に一人の少女が入った。リリムの後に、薄紫色の羽を広げた少女がいた。アナトだ。アナトは、シャルルに得意げに微笑んだ。

 「お前が、リリム様の諜報機関で働いていたとは思わなかった」
 シャルルは、アナトの頭をなでながら言った。
 「すぐにばれたら、諜報機関で働く資格は無いよ」
 アナトは、へへっと笑いながら答えた。
 この国は、親魔物国へ鞍替えしようとしていた。リリムは、その交渉のために来ていた。交渉するときの判断材料として、リリムはこの国の情報を諜報機関の者に集めさせていた。アナトは、情報収集のためシャルルの町へ来ていた。
 シャルルの自害と串刺し刑を防ぐために、アナトはリリムの元へ飛んだ。リリムは、シャルルのいる町の南にある大都市にいた。その都市の市長は王弟だった。王弟が親魔物国への鞍替えの中心人物であるため、リリムはその市にいた。2日間ほとんど休まずに、アナトは飛び続けた。到着すると、上司に串刺し刑が行われることを報告した。串刺し刑をやめさせるよう請願した。
 アナトの上司の報告を聞いて、リリムは即座に動き出した。王弟を伴い、シャルルの町へと出立した。
 王弟は、早馬を出して串刺し刑をやめさせようとした。だが、反魔物派の妨害のため達せられなかった。結局、ぎりぎりのところでリリムと王弟が到着し、やめさせることができた。
 「お前には感謝してるよ」
 シャルルは、アナトの頭をなでながらほめた。
 「いくらでもほめてもいいよ」
 アナトは、小さな胸をそらして答えた。
 シャルルは、アナトを小突いた。
 う〜とうなり声を上げて抗議するアナトに、シャルルは感慨深そうに言った。
 「あれからこの町も変わった」
 シャルルの言うとおり、この町、そしてこの国には変化が起こった。
 町長とその取り巻きは、失脚した。新町長は、前町長の職権乱用の証拠をつかみ、前町長一派を逮捕した。
 シャルルは、前町長達を取り調べのさいに拷問にかけようとした。シャルルは拷問を嫌っているが、前町長とその取り巻きには喜んで拷問ができた。だが新町長の命令で、拷問は禁じられた。
 前町長達は、裁判にかけられた。判事も、前町長時代とは変わっていた。ほとんどのものが有罪判決を受け、投獄された。
 串刺し刑にされそうになった男の裁判は、やり直しになった。裁判の場で、男が虐待を受けていたことが明らかになった。男は死刑ではなく、10年の懲役刑となった。
 男の破損した体は、魔物の医療によって回復しつつあった。人間の医療では無理でも、魔物の医療ならば可能であった。
 この町の法は、新町長によって改正された。残虐な処刑は禁止された。取調べにおける拷問も禁止された。
 この法改正は、国中に広まる見通しだ。王弟達親魔物派が、国の実権を握りつつあった。王弟は残虐な刑を非難し、改正しようとした。その背後には、リリム達魔物の意向があった。
 「でも、一番変わったのはシャルルの生活かな?」
 アナトは、シャルルの着ている絹服をなでながら言った。
 シャルル達処刑人は、高い賃金をもらうこととなった。重要であり苦しい労働には、相応の報酬で報いるというのが、新町長と王弟の意向だ。刑具なども、今までは処刑人が負担していたものを、町と国が負担することとなった。
 「いい生活が出来るのは、私のおかげだよ。私は、豊穣の女神様だからね」
 アナトは、ふんぞり返りながら言った。
 シャルルはアナトを小突きながらも、アナトのおかげで豊かになったことは認めた。アナトは、儲けるための案を出してきた。そのひとつが裏で医療をすることだ。
 処刑人は、医療技術を持っていた。拷問や処刑は、人体を知り尽くしていなければ出来ない。場合によっては、拷問にかけたものを治療しなくてはならない。
 これに対し、この国の医者はお粗末な技術しかなかった。主神教会は、人体を解剖することを禁じていた。いまだにその影響は残っていた。そのため医者は、本でしか人体を学べなかった。医者は信用されていなかった。
 表向きは処刑人をさげすみながら、裏では処刑人に治療を頼む者がいた。その者たちに対して、商売を行ったのだ。
 処刑した罪人の血を吸わせた布も、裏で売り出した。お守りとして欲しがる者が多かったためだ。刑具や人体の一部も、お守りとして高く売れた。
 アナトの発案した裏商売のおかげで、シャルルは金持ちとなった。
 後に処刑人の医療行為は、公認された。「お守り」の販売も黙認された。
 「だんな様が金持ちだと、私も安泰だよ」
 アナトはシャルルの体に抱きつき、頬ずりしながら言った。
 シャルルとアナトは結婚していた。シャルルは、アナトに折れてしまった。町と国の変化も、シャルルに結婚の承諾をさせる手助けをした。
 この町で、この国で、処刑人に対する差別はなくならないだろう。だが、ましにはなるかもしれない。
 シャルルは自分でも楽観的だと考えながら、そう思った。
 アナトは、シャルルのズボンを下ろした。音を立てて股間の臭いを嗅いだあと、いとおしげにペニスに頬ずりをした。
 あきれながら見下ろすシャルルに、アナトは微笑みながら言った。
 「子作りに励みましょう、だんな様」

 シャルルは帰路についていた。
 今日の仕事は鞭打ちだった。酒場で他人に因縁をつけ、足腰が立たなくなるまで殴った男を鞭打ちにしたのだ。
 仕事が終わると、帰る途中寄る所について考えた。食糧は昨日買ったから、今日は市場に寄る必要はない。風呂屋に寄ることにした。風呂に入ることは出来ないが、湯を分けてもらい体を洗うことは出来る。
 突然、シャルルに飛びついたものがあった。薄紫色の羽を震わせていた。
 アナトだ。
 「体を洗っちゃだめだよ。臭いと味を楽しめないじゃない」
 アナトは、シャルルの腋の臭いを嗅ぎながら言った。
 「人前で嗅ぐなよ、恥ずかしい」
 シャルルは、苦笑しながら言った。
 「体を洗うなら、人前で嗅いでやる」
 アナトは、頬を膨らませて言った。
 シャルルは、アナトの頭を小突きながら歩きだした。
 そんな二人を、周りの人間達は嫌悪と侮蔑をあらわにして見ていた。
 魔物達は、微笑を浮かべながら見ていた。
 相変わらずだ。
 だが、少し変わったかもしれない。
 わずかな数だが、微笑を浮かべていた人間もいたのだから。
14/02/19 18:12更新 / 鬼畜軍曹

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