連載小説
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第三話 前編 誤魔化神父
 地平の彼方、曇りの夜空に光が映る。魔法の発動光だ。
続いて二つ、三つと連続して光が瞬いていく。地平の先では散発的に戦闘が行われ、現在この大陸を管轄する魔王軍幹部、宵闇将軍バーナードの住む城からも戦闘の光が見える位置まで既に前線は後退していた。
かつて圧倒的優位にあった魔物達をここまで追い詰めたのは新たな勇者とその仲間達の登場、さらに指揮官が変わり勇者を中心に戦術的統一のされた動きをするようになった兵士達。肉体こそ強靭であったが戦術的に動くことの不得手な魔物達は個々に狙われ、徐々に巻き返されてしまったである。

 激しい攻防の続く前線とは違い夜の静寂に包まれた部屋に二つの影があった。この場に居合わせた者がいたならば、一つは荘厳な雰囲気でありながらどこか優しさを湛えた雰囲気を。そしてもう一つの方は鎧を着込みシルエットこそ一回り大きくなっているものの、猛々しさよりは冷静で知的な雰囲気を感じられるだろう。

「友よ、この戦いはいつまで続くのか……私は、私はいつまで皆を率いればよいのか……」
「わかりません。しかしわかっていることはあなたが死ねば次に皆を率いる役目を追うのはあなたの娘であるサラ様であると言う事です」
「……死ねないな」
「ええ、あなたはこんなところで果てる御方ではありません。そしてサラ様には私の娘を守りにつけさせます、あれはまだ若いですが良い勘を持っています。いずれ私を追い抜いてくれるものでしょう。……私がそのころまで生きていられれば、の話ですが」
「ふっ、流石はお前の血を引いているだけはあるな。だが本音を話せば、娘にはいつか平和な世で生を送ってほしいものであった……」
「そうですな、我々が望んで止まなかった平和な世を……」

その時、二人の声のみ響いていた部屋に扉を叩く音が加わった。

「父様、お話し中すみません。宜しいでしょうか」

その声はまだ僅かに残る幼さの中にも凛とした響きが込められている。

「なんだ、鼠でも入り込んだのか」
「いえ、大旦那様にお話があるとご来客です」
「こんな時間にか……バーナード様」
「構わんよ」

領主の許可を得て鎧の男が娘に視線を向ける。しかし娘が承諾を伝えようと振り返った時には既にそこに来客者の影はなく、気配も感じられなかった。
不審に思った娘が振り返ると、既にそこには先ほどまでの旧友同士の先を憂いた会話の雰囲気ではなく将軍とその腹心の空気を漂っていた。

「お前が来るとは珍しいな、暗黒魔道のババ殿」

来客者の存在が消えたことに娘は一度驚いたものの、父達が動じていない様子を確認すると自分の関わるべきではない話であると察したのか一礼して立ち去った。
 
 領主が視線を窓の向こうから部屋の隅に向ける。すると部屋の角の一部分だけが異様に暗く窓から入る月明かりすら届かぬ暗闇が滲み出し、その中から声が聞こえてきた。

「ヒッヒ、あんたの希望を叶えてやろうと思ってね」
「希望?」
「娘の人生を平和な世界で歩ませたいんだろう? おお、初耳だが、あんた娘がいたんだネェ。ヒッヒ」

バーナードが眉根を寄せる、よりにもよってこのような得体の知れない者に娘の存在を知られてしまった。主の気配を感じてか横の鎧の男の気配が高まる。

「おやおや、荒事はやめとくれ。あちしはあんたの希望を叶えにやってきてやったんだからねぇ」
「何が望みだ」
「ヒッヒ、話が早くて助かるネェ」
「まだ貴様の提案に乗るとは言っていない。貴様のような者が無償でそのようなことをするはずがない……何を企んでいる」
「なぁに、ちょっと新作の魔道鎧が出来たのさ。しかしこれがあちしの部下じゃ……と言うよりそこらの魔物や魔族じゃ性能を引き出す前にすぐに体が耐えられなくなっててくたばっちまってね、あんたに着てもらいたいのさ」
「そんな危険な物を我が主で試そうというのか!? 恥を知れッ!」

鎧の男が怒気を放つが闇の中の声は無反応である、しかし声の主が嫌味なニタニタした笑みを浮かべているであろうことだけは鎧の男にも感じ取れていた。

「まて、こやつの話はまだ終わっていない」
「ヒッヒ、ちゃんと飼犬の管理はしていてほしいネェ」
「貴様……!」
「よせ、ギルバート。……それで、仮に貴様の言葉を受けいれたとして、私の願いをどうやって叶えるつもりだ?」
「なぁに、簡単なことさ。その平和な生が遅れるような世界になるまで眠らせておけばいいのさ」
「……そんなことができるのか」
「あちしの暗黒魔道学を持ってさえすれば極小さな空間だけど結界を張って時間の経過をほぼ止まっているのと同じくらいまで遅らせることができる、精々棺桶サイズだね。そこにあんたの娘を入れて眠らせれば、次に外から開けられるまでは時間の経過を感じない。夜寝て、朝目が覚めたくらいの感覚だろうよ。ああ、言っておくけど平和になってから開けてやる役目まではあちしは追わないからね、保管場所も自分で用意してくれよ? ヒッヒ」

声は得意げに語る。その口から発せられる言葉は相手の弱みに巧みに入り込み意志を誘惑する響きを持っていた。

「バーナード様、そのような都合の良い話があるはずありません。それにそのような保管場所など……」
「鎧を、着ればよいのだな?」
「バーナード様!?」

いかに魔物達を率いる者とはいえ一人の父親、娘の幸せのためになるならば何でもしてやりたいのが親心である。たとえその代償に自分がどのようなことになったとしても。

「おお、良い返事をありがとうよ。では早速準備に取り掛かろうかね……」
「まて、いきなりそんなものをバーナード様で試させるわけにはいかない! まずは私で……!」
「体が鎧のお前に鎧を着せてどうするのさ。強靭な肉体と高い魔力を持っている高位魔族の宵闇将軍様に着てもらってこそ初めて性能が試せるというもんだよ」
「ぐっ……!」
「いや、私のことは良いのだギルバート。それよりオババ、結界の方は確実なのだろうな?」

闇の中のニタニタ笑いは一層笑みを深めた。

「あぁあ、理論は完璧さ。まだやったことはないがね」
「……それも含めて試作品か」
「ヒッヒ、あちしの研究は全てが試作品であり完成品。今回の作品である魔道鎧を着ればあんたの身体能力を極限まで引き上げてくれるだろうよ。そのまま人間どもを押し返し滅ぼすも良し、支配するも良し。それなら娘のことは心配いらないかもね。おお、なんなら今の魔王の首でも狙ってみるかい? 魔王様と戦ってくれるならそれはそれで勝っても負けても良い記録になる」
「そんなものが平和となるのだろか。私に恨みを持つ生き残りは娘を必ず狙うだろう」
「ヒッヒ、圧倒的な力による圧政も平和と言えば平和さね。結界の方はそれを必要とした者がいなかっただけで、あちしの魔道学をちょっと応用すればすぅぐできるさね」
「……」

オババの言葉に領主は暫し沈黙。逆に鎧の男の方はその不確定さにより不信感を強めた。

「いけません、バーナード様! あのような下賤な者の言いなりになっては……我々だけでも今から前線に出れば巻き返すことも可能です!」
「友よ、お前の言葉はよくわかる。だがな、今の私達だけでは戦況を一変させることも娘を守ることもできないのだ」
「バーナード様……」

分かっていたことではあった。
いかに自分たちが強力な魔族で、多くの魔物や魔族達を率いてこの地を治め、知恵も技術も強力な肉体があったとしても、神の加護を得た者とされる勇者を名乗る者達には苦戦は免れない。
もしかしたら死ぬかもしれない。できることなら真っ先に飛び出していき無暗に死にゆく仲間を減らすために自らが相手をしたい。
だがもしもの時、誰が自分達の娘らを守るのか。その答えが出ないために彼らは動けずこうして指示を出すに留まっているのであった。

「ババ殿。棺桶は二つ用意できるか?」
「ヒッヒ、構わんよ。ちょいと時間は貰うけどね」
「わかった、その話受けよう。友よ、勝手な願いとは重々承知の上で頼む。お前の娘も共に眠らせてやってはくれないか、目が覚めてもし一人だったらあいつが……」

バーナードがギルバートに頭を下げると最初動揺しかけたギルバートはしかし一呼吸を置いて主従の顔ではなく友の笑みを浮かべて答えた。

「ああ、わかった。我が娘にとってもサラ様はたった一人の友達、承諾してくれるだろう」
「……すまない」
「ふふっ、俺に言うなよ」

男達が暗闇に向けて頷きを返すと、怖気立つような喜悦を浮かべているだろう闇の中の声は最後にこう言った。

「交渉成立だネェ」





 アマゾネスの森を抜けたイネス達はそのまま南下していき、いくつかの村を立ち寄り、越えてマーニラの町に訪れていた。目的は教会への道中の成果と活動報告、そして活動資金の受け取りである。

「なるほど、まさかあのアマゾネス集落の説得に成功するとは……いやはや恐れ入りました」
「いえいえ、これも全て主神の御導きによるもの。私は主神の御導きに従っただけにすぎません」
「おお、なんと素晴らしい信仰心か。なるほど、あなたのような人が巡礼して主神の教えの布教もしてくださるのならさぞや共感者は多いでしょう」

司教は報告を受けて感銘していた。
肉弾戦では勇者にすら匹敵する腕前を持ち、討伐するには大きな労力を必要とするものの得られるものは未開拓の大森林。
必要とする労力の割にあまりに少ない成果に教会側も手を拱いていたアマゾネスの集落。
そこに神父が乗り込み交渉、説得を成功したと言う事例は主神の力、教会の力をプロパガンダするためにも素晴らしい話だった。

「私などまだまだ未熟者。こうしてあなたのように腰を据えて皆に主神の道を示し続けることの方が難しいと思います」
「おお、なんという……近頃魔物達の活発化に伴い布教活動は疎か、巡礼すら行う信徒は少なくなっています。そんな中でも献身的に主神の御導きをお伝えしようとするあなたは貴重な存在だ、是非協力させてください」

そう言って司教は一度場を離れると、奥の部屋から通常の渡す銀貨の入った小袋とは別に一回り大きな布袋を差し出した。
それは手に持つとずっしり重く、中を見てみると金貨がぎっしり詰まっている。

「これは布教活動とは別にあなたに対する私の期待です。どうぞ受け取ってください」
「な、なんとっ!? そんな金貨だなんて、しかもこんなにたくさん頂けませんよ」
「いえいえ、私もこう司教として腰を据えてしまうとわかるのですが敬虔な信者の多く、安定したこの地域では集まる資金も多い。必要分を越える量を目の前にして欲に目が眩んでしまうといけないのでね、何かのために溜めていたのですよ」
「でしたら寄付などしてはいかがでしょうか?」
「もちろん近くの孤児院や公共事業に使っています。多めに寄付して施設を豪華にしてやることもできるでしょう。が、あまり振る舞いをしすぎて市民の感覚を狂わせてはならない。かと言って本部に送っても上は上でなかなか私腹を肥やそうとする人間が多いですからね、とりあえず溜めていたのです」

司教は悲しげに目を伏せた。それは末端のイネスにはわからない大きな組織の腐敗を見てきた司教だからこそ理解できることである。
この司教の考えは末端寄りであり、それ故に現在の司教以上の地位の人間の中では極めて珍しい考えである。

「そんな……主神の信徒がそんなことをするはずが……」
「組織と言うのは大きくなるほど、長く続くほど腐敗しやすくなるのです。例え最初は実直な志を持っていても欲に目を眩む者や、教えを理解しきる前に親の跡を継ぎ高い地位について欲に負けてしまう者、様々な策謀に巻き込まれて自らも手を汚すしかなかった者……」
「……」
「ですのであなたのように真っ直ぐ信徒には是非協力したくなるのです。ましてこんな時勢に布教活動と巡礼までするようなあなたにはね」

司教はその強い意志の光を湛えた目で手を差し出した。イネスはその想いに負けぬようしっかりと頷き、熱く握手を交わした。



「あ、神父様帰ってきましたね」
「おお、主様、随分と時間が掛かったな。何かあったのか?」

アマゾネスの森を出て以来久しぶりの町であるのでイネスは手持ちの道具を整備するため宿をとることにしていた。
イネスが教会に行っている間に残りのメンバーは先に宿に入っていたのである。
最初に反応したのはイネスの背負いに入っているどこから手に入れてきたかもわからないような学術書を読みこんでいる小柄な少年、レトであった。彼はイネスの強さに憧れて着いてきたのだが、イネスに文字を教えてもらってからは暇な時間はよくイネスの背負いに入っている文献を読んで時間を潰している。

「ええ皆さん、お待たせしました。あれ? 天使様は?」
「あいつなら前回のことの報告書について上司に呼び出されたとかでどこかいったぞ。そんなことより主様! オフトゥン! オフトゥン用意したぞ! さあ疲れているであろ、ゆっくり休むが良い。我が添い寝してやろう!」

バシバシと床に敷かれた東洋の布団と呼ばれる寝具を手で叩き、こっちこいこっちこいと手招きしているのは面影に少女と呼ぶにはまだ幼さを持つものの、将来の約束された整った顔立ちをしている少女である。細身の締まった体で既に僅かにではあるが女性らしい膨らみが現れだしていた。町を歩けば同年代は男女問わず、大人だって思わず振り返るであろう。

「オフトゥン? これはまた珍しい……床に敷いて寝るのですか?」
「ジパングの人間はこれで寝るらしいですよ。ここの女将さんはジパング出身だそうで一応『ジパング風』宿屋みたいです。あ、靴は入ってすぐのところで脱いで……ええとザシキ? には靴を脱いで上がるみたいですよ」
「なるほど、とても面白い文化ですね」

イネスが感心しながら靴を脱ぎ、野営道具の整備と掃除の為の準備をしていると服の裾を引かれる感触が。振り返るとウルスラがいつの間にか半分布団に入り人一人入れるスペースを手で作りこちらを見ていた。

「疲れているであろう、我が添い寝してやろう!」
「あの、ウルスラさん」
「さあ、我が添い寝してやろう!」
「私は野営具の整備をしようと思いまして……」
「せっかくオフトゥン用意したのだ、ちょっとくらい横になって休むが良い!」
「ええと……何か考えています?」
「なに! やましいことなど何もない。ただ妻として主様の疲れを癒してやろうと我の善意でだな……」
「ええと、私達結婚なんてしてませんよね?」
「細かいことは気にするな! 共に長旅の疲れを癒そうぞ! なあに我に任せておけばいい、天井のシミを数えていればすぐに休める!」

>ああ、またか。

横でレトがいるのも気にせず攻めていくウルスラにレトも最初の頃はどう接したらいいのかさり気なく席を離れた方が良いのかとか考えたりしていたのだが、イネスはいつも受け流し続けるので今では安心して無視していられる。

「わかりました。では一先ずこの道具を掃除したら戻ってきますので、それまで布団の中で待っていてください」
「うぬ? ならば我もついて行こうその方が早く作業も済むであろう」
「いえいえ、ウルスラさんには私が戻るまでに布団を温めておいてほしいのです」
「なるほど! それなら合点がいくな! ようし我に任せろ、布団と言わず宿ごと……」
「変化は解かないでくださいね。火も使わないでくださいね、他の方が危ないので」
「ぬ……主様が言うのなら仕方がないな」
「ではあとはよろしくお願いしますね」

イネスが布団を掛けるとウルスラはニコニコしながら布団に頭を引っ込めた。

「ではレト君、部屋をお願いしますね」
「はーい、しかし神父様も上手く躱しますね

レトがさり気なく小声で話しかける。布団を被ったウルスラには聞こえないであろう。……仮に布団を被ていなくともイネスの命令?を受けたときはそれに夢中になるので周りの声は聞こえていないのだが。

「すぴー、ぴゅるるるるる……すぴー、ぴゅるるるるるるる……」

本当に既に聞こえていない状態だった。

>寝るの速っ!?

そしてそれを眺めるイネスの表情が和らぐ。

彼女は魔王の配下である魔物の身でありながら私と話し合い、主神の信者としての道を歩もうとしてくれています。魔物ですので人にはわからない様々な欲求があるのでしょう、しかし信者としての道を示すのは私の使命。彼女にはぜひ頑張っていただきたいのですよ

イネスは小さく拳を握りながら熱く語る。信者の聖典に『乙女心』などという文字は無いのだ。

>天使様が魔物であるウルスラさんが近くにいるっていうのに割とフリーにさせているのは神父様がコレだから。とはわかっているけど見ていると何故かウルスラさんに同情したくなるのは……まあ、深くは考えないようにしよう。

「それにしてもレト君は本を読むのが好きですね。いつの間にか私もまだ読んでない本まで読んでいるし……」
「知らない知識を知ることがすごく楽しいんです。今まで僕ってあの山間の村と大人の手伝いしか知らなかったし、もっといろんなことを知りたいんです」
「それはいいんですが……それなら教会の学校に行ってもいいんですよ? 一応神父の私なら推薦状くらいなら書けますし」
「いえ、僕は神父様の近くで教え(とその強さの秘密)を学びたいと思っていますので。本は興味本位です」
「そうですか、なら頑張ってくださいね。主神の教えを守っていればいずれあなたも立派な人間になれますよ」

そう言ってイネスは荷物を持って部屋から出ていった。少しすると宿の裏手で掃除をする音が響いてくる。

「……でも神父様の戦い方は調べたどこの騎士の戦い方にも兵法書にも書いてないんだよなぁ。かと言ってどう考えてもやってることは明らかに普通の『説得』じゃないし……あの『お祈り』で体が鍛えられているにしても普通あそこまでなるのかな?」

レトの疑問は深まるばかりである。

「……」

さわさわ。自分の体を触ってみる、もともと貧しい山間の村で生活していたため細い。最近になってイネスと共に行動するようになってからやっと肉もついてきたが、それでもまだ同年代ではまだまだ細身の中に入るであろう。と言うか栄養不足だったため元々身長も高くない、せいぜいイネスの腰くらいである。

「くっ……僕だっていつかあれくらいに……」

イネスのシルエットは普段はゆったりとした服と旅のための外套をしている為やや骨格が良い程度に見られがちだが、実際その下は筋骨隆々の言葉の通りな体(しかも肉の密度が妙に高い)をしている。あれを夢見てレトはとりあえず真似をして腕立てを始めたが、20回に届かずダウンして本の続きを読み始めた。

「(……まぁ、誰にでも得手不得手くらいはあるよね。出来ることから始めようかな)」

などとやや逃げ気味に独り言ちているレトの傍の布団の中では、規則良い寝息が奏でられていた。



 そして二日後。
マーニラを出発した後にいつの間にか山の中で道に迷っていたイネス達は、ニアに道と方角を確かめてもらうために休憩中である。
レトは木に寄りかかり読み途中の本を、ウルスラはイネスの横に座って凭れている。ふと切りのいいところまで読み終わったレトはイネスが見たことのない紙の束をパラパラ読んでいることが目についた。
 
「神父様、何を見ているんですか?」
「ああ、これは前の町で頂いたこの地域の資料の複製ですよ」
「ふーん……『視察に来たらついでに行きたい観光ガイド』、『地価マップ』、『もしもの時にどこに寄る?』、『迫る! 絶対に近寄れない霧の城!』。えー、ゴシップっぽいのもあるし土地の値段の資料なんて使うことあるのかなぁ。もっと他に使えそうなのあると思うんですが。えっと……ほら、この地域には旧魔王時代には魔物との戦闘が結構あったみたいで記録に残ってますよ」
 
レトが近くにあった紙の束を一つ取って掲げる。その一番上には『ラバウル戦史』と書かれていた。
 
「しかし、今はもう魔界との前線より離れているから魔物との遭遇も少ないでしょうし……」
「でもこの前のアマゾネスの人達みたいな事とかあるかもよ?」
「あれは特例でしょう。基本的に教会勢力圏での魔物の存在は教会の威信にかかわるとかで警戒は結構厳しいですし、警戒の網を潜るような余程高位の魔物でもない限り魔物とは会う事なんて少ないですよ。ウルスラさんだって移動してきたばかりだから私が遭遇したわけですし、もう少し時間が経てば教会本部から勇者様とか対魔物の専門家のような方が対処に……」
「ふん、勇者なんぞこれまで何回か見かけたが皆大したことなかったぞ? 凡そ我がドラゴンと言うだけで尻尾を巻いて逃げおったわ。むしろ魔物ハンターや賞金稼ぎの方が厄介だったな、あれはしつこい上に魔法道具をうまく使ってくる。まぁそんな弱者の『工夫』をすべて弾き飛ばした上で蹴散らすのがまた実に面白いのだがな!」
 
 不意に頭上から声が聞こえてきた。ウルスラがいつの間にかイネスの寄りかかる木に登り、イネスに飛び降りてきたのである。「ん?」などといつの間にかいなくなっていたウルスラの存在に気付いたイネスが視線を上に向けようとしているうちに落ちて飛び降りてきたウルスラはそのままイネスの頭に肩車の形でドッキングした。
 
「あっ、うるすッ!? そんなところにいたのですかウルスラさん」
「むふむふ〜何を言うか、我と主様は一心同体。常に一緒にいるものぞ」

そしてそのまま背中を丸めてイネスの頭に頬ずりしだしている。彼女の表情は至福だ。

「……(その割にはアマゾネスに捕まって大変なことになってたり……)」
「小僧、何か言ったか?」
「いえいえいえ、何も!」
 
レトが小声で言った言葉も逃さず聞こえているあたりはさすがはドラゴンと言うべきか、すぐにレトも否定の意を示すがその額には冷汗が流れている。
 
「ちなみに、魔界から離れたところでは魔力の弱い野生の魔物やサキュバスに魅入られて魔物化するなど探知に引っかかりにくい例の方がこちら側としては厄介ですかねー」

ふよふよと木々の隙間から下りてきたニアが補足の説明を付け加える、一体どうやって聞いていたのか。

「おや天使様、もう戻ってこられたのですか」
「ええ、びっくりするほど違う方向に進んでいましたが山を越えてはいるのでお城が見えました。あとは平地まで出ればイネス君でも迷いませんよ」
「なんだ、もっとゆっくり見てきていても良いのだぞ」
「レト君だけじゃあなたは万が一何しでかすかわからないですからね、それになるべくイネス君の行動は観察しておかないと」
「まだ何もしてないぞ」
「これから何かするつもりじゃないですか」

>何故でしょう……二人の間に火花のようなものが見えるような見えないような……

そんなこんなで早速出発しようとすると三人はレトが静かなことに気が付いた。レトがいる方を見てみるとレトが拳大の光に囲まれてモゴモゴしている。見ていてちょっと気持ち悪い光景だった。

「もごごもご〜……」

レト(と思わしきなにか)が手を伸ばす。助けを求めているように見えなくもない。

「レト君、生きてます?」
「もごもごご〜」
「イネス君とりあえず掃ってあげましょう」
「あっ、はい」

しかしイネスが触ろうとすると光がさぁっと避ける。

「ぐすん……ちょっとショックなんですが」
「馬鹿なことやってないでとりあえず顔だけでも自由にさせてあげてください」
「はい……」

イネスがその大きい手で顔(と思わしき場所)をわしゃわしゃするとレトの顔が出てきた。

「ぷはぁっ、ありがとうございます神父様。なんかふわふわした光があったので見ているとこっちに近づいてきて、気が付いたら埋め尽くされていました。何が起きたかわからないかもしれませんが僕自身分かってry」
「何が何なのかはまったくよくわかりませんが、とりあえず君が無事みたいで何よりですよ」
「ちょっとちょっとイネス君、これもしかして精霊じゃありませんか!?」

イネスの背中越しにレトを見ていたニアが光の一つを指さし背中をバシバシ叩く。

「ほほう、初めて見ますがこれが精霊なんですか?」
「……なんか神父様の本で想像していたのと違う」
「ちょっ、微妙に顔引きつらせて言わないでくださいよ! なんでこんなに集まっているのか知りませんが多分これ全部精霊ですよ」

精霊と呼ばれて光が一層わさわさ蠢く。
レトとしてはそれぞれがわーきゃー叫んでいるみたいに聞こえてなかなかうるさいのだが、他から見るレトが今見てはいけない状態で世界の大いなる力によって視覚的に規制がされているように見えなくもない。この場の誰もが恐らく神聖なものなはずなのにいろんな意味で近づきたくなくなってきた。

「これ頭に乗っけてたらズラが取れた後みt」
「それ以上いけない」

ズビシと慌ててニアが手でイネスの口を塞いだ。

「しかしこれではどうしようもありませんね……精霊とは契約した精霊使い<エレメントマスター>ぐらいしかまともに話せないですし……」

うーむ、と三人で悩みこんでいると話の蚊帳の外に置かれていたウルスラがイネスの頭に頬ずりしていたのを止めてチョーカーをカチャカチャ弄りだした。

「ウルスラさん? 何をしているのですか?」
「うぬ? ああ、そう言えばそろそろ変化が解けると思ってな。あとどれくらいだったか見ようと……」
「そんなことしてどうするんです?」
「こいつらと話せるようになればいいのであろう? なぁに我に任せると良い。うむ、あと10分」
「はあ……」
「小僧、とりあえず10分待て」
「え!? あと十分僕このまま!?」
「レト君、多分きっとおそらくこれも主神の御導きによる試練の可能性がある……のだと、思います。ここはとりあえず頑張って耐えてみてください」

約七分後、ウルスラのチョーカーが青白く発光しだした。

「そろそろだな。あと3分……」
「これが来るとなんだか早く今やってる要件を片付けて人気のないところに隠れないとって気分になりますよね」
「(落ち着かない……)」

更に2分後、ウルスラのチョーカーが赤く点滅を始める。

「毎回見るたびに思うのですがこれ何とかならないのですか? すごい焦らされるのですが……」
「天使様、きっとこれを作ったバフォメットさんは幼き日の遊び心満載の人なのでしょう。神話とか物語に出てくる光の巨人とか好きなのかも」
「……まぁ実際見た目はロリだしな、ある程度発想も……子供じみたものかもな(知識の年代は知らんが)」
「(思いっきり体掃いたい……)」

更に1分、点滅がどんどん加速していく。

「主様、ちょっと小僧から離れてくだされ。あとエンジェル、お前は我らからも離れておれ」
「あ、はい」
「え、私もですか」

ウルスラの声に促されてイネスはウルスラを肩車したままレトから数歩下がり、ニアも距離をとった。イネスがレトから手を離すと、手が離れた場所は途端にまたわさわさと光に埋もれる。と同時にチョーカーの光が止み、一瞬ウルスラの体が輝いたと思うとイネスに肩車しているのはレトと同じくらいの少女ではなく既に成熟した美しい女性だった。その無駄に大きいわけでもないが女性らしさの表れである膨らみをイネスの頭に乗せ、柔らかく滑らかな肢でイネスの頭を挟み、体を固定する。そしてチョーカーから解放された目に見えるほど濃厚な魔力の塊から、空中の毛糸玉からいくつも同時に紐を引き出すように魔力の流れが出てきてウルスラに吸収されていく。

「よし、これくらいでいいだろう」

魔力を全て吸収するかに見えたが、その最後の一部がまだ残っているうちに吸収するのを止めた。そしてウルスラは魔力が霧散するより速くそれを掴んでレトに向けて投げつけた。

黒く濁った塊が当たった瞬間またも眩い光が放たれたと思うと、レトは光の群れから解放されて倒れていた。……ただし今度は全裸の女性に抱き着かれて。

「う、ううーん。いきなり魔力の塊を投げつけてくるなんてなんてやつ……えっ? 体が、ある。触れる……おおーっ!」

抱き着いている女性は気が付くと自分の体を確かめるように手を開いたり閉じたり、自分の体を見まわしたりしている。レトはまだ気が付いていない。

「こ、これが体かぁ〜! すごいね、感触があるよ。そしてずっと求めいていたものが今目の前に! 触っていいかなぁ? いいよね」

ぺたぺたとレトの体を触る女性の体は褐色で、肘辺りから先が土色の巨大グローブのようになっていた。そして全裸である。その髪の毛は肩口辺りで切り揃えてあり、動くたびにサラリと滑らかに揺れる。目はおっとりとやや眠たそうであるがどこかつかみどころのない雰囲気を放っており、それがある種の包容力の様にも感じられる。さらにその胸部には目を見張る大きな膨らみが二つ、体を動かすたびに震えて形を変えるそれが証明することはそう、巨乳全裸である

「う、ウルスラさん?」
「うむ、何だ?」
「あれは何です?」
「うむ、あれはノームであるな。さっきまで小僧の周りに纏わりついていた精霊どもに我の魔力を当てて魔物化させた」

でーんと胸を張って得意気に答えるドラゴンの姿に戻ったウルスラ。腕を組んで持ち上げて胸を強調しているのは今目の前に現れたおっぱいに負けじと意地を張っているのか。

「な、なんと。そんなことができるのですか!?」
「ふふふ、我を誰だと思っている? 主様の信徒(妻)であると同時に誇り高き地上の王者ドラゴンであるぞ。こう長く生きているとな、いろいろ知識が溜まってくるものよ」

コツコツと自分の頭を指で叩く、そこへふよふよと離れていたニアが戻ってきた。顔に『面白い事聞いちゃったぁ』な笑みを浮かべて。

「そうですよねぇ、ドラゴンって長生きですものねぇ人間の数百倍生きるのもいますものねぇ〜」
「何が言いたい未発達エンジェル」

しかしウルスラも涼しげな顔でカウンターを入れてくる。ニアの胸元をチラリと見て鼻で笑い、ここぞとばかりに寄せた胸を見せつけながら。

「なっ! 私達の体は主神が御造りになった完成品なんです! 未発達なんかじゃありません!」
「ならば発達して貧乳なのか」
「うなっ!! 別にそんな脂肪の塊なんかなくたって神の御使いとしての業務に支障はありません! あなたみたいな無駄に年ばっか重ねて乳育てる必要なんかないんです!」

今度はニアの放った『年』という言葉にウルスラがピクリと反応する。

「お、おおおおい、エンジェル。言っておくがな、我が今200歳を超えていたとしてもそれはドラゴンの中ではまだまだ若いんだからな! 人間で言うなら体はハタチ前後と変わらんのだからな!!」
「な〜に焦ってんですかぁ? 別にあなたの歳なんか聞いてませんよ〜」
「うっ、うぬぬぬぬぬぬ!」
「そうですかぁ。200歳ですかぁ。じゃあイネス君の10倍近く生きているんですねぇ、それは物知りなわけですよねぇ。ドラゴンの体が成熟するのって180年くらいでしたっけ?」
いや……個体差はあれどだいたい人間と同じかそれより速いくらいだ……

イネスの髪をいじくりながらボソボソとウルスラが答える、俯いているため普通ならほぼ聞こえないはずだがこの時のニアの耳は驚くほど地獄耳を発揮した。

「え? だいたいおなじ? じゃあ180年も何してたんですかぁ? あっ、おっぱい育ててたんですかぁ〜」
「がーっ! 私の胸は成熟したときからこのサイズだ!」

涙目になってウルスラが激しく抗議するがそれに対してウルスラが疑問を投げかける。

「じゃあ本当に何してたんです?」
「それは……本能の赴くままに……習性としての『宝物』集めを……」
「適当に人襲って物盗ってただけじゃないですかー!」

けらけらとウルスラを指で差し笑うニア。因みに実際の実力差的には現在ウルスラは元のドラゴンの姿に戻っているのでニアは一瞬で消し飛ばされてしまうのだが大好きなイネスの見ている前で迂闊な行動に出られないウルスラは手を出すことができない。
……実際は彼の前でそんなことしようとしたら全力で止められるので実質不可能であるが。

「ええい、うるさいうるさい! 全部が全部ってわけじゃないぞ! 愚か者が我に勝負を挑んで来て適当にあしらって命を助けてやる代わりに置いてかせた物の方がむしろ多いわ!」
「脅迫じゃないんですか」
「何を言う!? こちらは命狙われているのだ! 命のやり取りを物で済ますこちら側の方が寛大であろう!」
「で、200年もそんなことして過ごしてたんですか」
「別に、生まれたときからしていたわけではないし……って! なんで我がエンジェルなんぞに好き勝手言われ放題にならねばならんのだ! 解せぬ! 制裁だ!」

グルルと喉を鳴らして口の端から火の粉を出し、爪をニアに向けて立てるウルスラ。子供の喧嘩レベルだとイネスは手を出さない可能性がある。ニアが「しまったからかいが過ぎたか」と気付いたときには既に時遅し。ウルスラはイネスの肩から飛び出してニアに跳びかかていた。
だがその手がニアに届く直前、ウルスラの足をイネスが掴みウルスラは地面に大の字で落下。

「何をする主様! 主様も我を……!」

強かに顔を地面に打ち付けたため赤くなった額をさすりながら涙目でウルスラが抗議する。

「すごいですねぇ〜、ウルスラさんは物知りですねぇ〜」

しかしそんな二人の会話を聞いていなかったのか、あえてか頭上の会話に反応をしなかったのか、突然イネスがウルスラの頭をわしわしと撫ではじめた。

「いやすごいです! これなら私も精霊さんとお話ができる! 私精霊さんとお話しできるなんて思ってもいませんでしたよ。ウルスラさんよくやりましたえらいえらい」

ウルスラはされるがままである。俯くその頬が朱に染まっていることから照れていることに気が付くのはニア一人か。
こう見えてウルスラ、頭を撫でられたのは初めてである。彼女は未体験の高揚感が自分の中で渦巻いているのは理解できたが、それが何なのかは今はわからなかった。

>おおう、ウルスラさん思ったより初心でらっしゃる……と言うか普段子作りとか言っている割にこの辺疎いとかなんとまぁ……あー、これは味をしめそうですね。

「天使様、先程までこちらの精霊ノームさんとお話してみたのですがなかなか興味深いですよ。レト君の周りにいた精霊の集合体なのに意識の混濁等がないのは元々そこまで思考力が無かったからだとか」

イネスが主神信仰の無い未開の地へ初めて訪れた時のように興奮した面持ちでニアに話しかける。ちなみにウルスラはされるがままであり耳に入っていない。

「いやー、そうなんだよね。なんでかこの子に引き寄せられて気に入っちゃってさ、この子なら私達のお願い聞こえてくれるかなーってね。あとこれからは私のことノノって呼んでね。『ノーム』だと種族名だから」

ノノは指を立てて得意気に語る。

「? 私の目には地の精霊たちが集まってあなたを形成したように見えたんですけど、意識とかってそのどれかのものなんです?」
「そこのにーちゃんに言った通り、私らってそもそも感情っぽいのはあっても意識とかそんな高度な思考力まではないんだよねぇ。ほらぁ、ピュアだし? 精霊だし? そもそも超常的な存在なんでね? そっちのねーちゃんが私らを合体させて初めて私という意識が生まれたわけ。全にして個、個にして全的な? むっふっふっふ、なかなかに格好良い響きじゃないか」
「ふがふが」
「まぁそこは重要じゃないんだ。私が生まれたのは今だけど、私達が持っていた記憶は共有して私のものになっているわけ。でも仮に何かを伝えようとしても、私らって精霊だから魔力とか超自然的な力に触れたことのない普通の人間には見えないことが多かったりするし、そもそもこんな街道外れて辺鄙な山奥来る人間なんてそもそもいないしでさー。それで私らのことがわかる誰かを探していたんだよね〜」

いやー、まいったまいった。と額を手で軽く叩いて笑うノノ。それをニアはやや警戒気味に聞いていた。

>なんか最近魔物がらみのこと立て続きすぎじゃありませんかね。いやまぁ、今の私はイネス君の観察者ですし? 彼が主神信徒として道を踏み外さない限りは何も言いませんけどね?

「なるほどなるほど。つまり、誰かを探していたということは何かお困り事でもあったのですかな?」
「そうそう! そうなんだよ〜。あっちの方にお城があってさ、そこの王様がこの土地にもう一つあるお城に眠ってるお姫様達を攻め込んでやっつけようとしてるんだよ〜。私達はさ、この地にずっといるし、寿命とかもないから? その子たちが起きて対処しきれないだろうなーって時には他の誰かに助けを代わりに求めてあげてってずっとずーっと昔のこの土地の王様に頼まれたんだよね。でさ! 今がその時だと思うんだ」
「ふがふが」

ノームは身振り手振りを交えて説明する。
指し示した先は次の立ち寄り地であるラバウルが、そしてこの国の王と言えばラバウル王のことである。では一体もう一つの城に眠るお姫様達とは何なのか。現在この国に王女はいない、またもう一つの城とはこの地域では有名な『近づくことのできない霧に包まれた城』のことではないだろうか。司教から受け取った資料の中にこれらの情報は確かにあった。
ではこれらを繋げる接点とは果たして一体何だというのか。

「なるほど、わかrむがっ?」

即断即決しようとしたイネスであるがそこに横からニアが飛び込みイネスの口を塞いで耳打ちをする。

「うん、そうですね、ちょっと考えさせてくださいね〜……(イネス君、イネス君、この子の言ってることは私達の目的地と近い可能性が高いのですが、そもそもこの国には王女はいないですし、それにもう一つの城もそもそも近づくことすらできないのですからそこに誰かがいるというのはし、信憑性が……)」

ニアがノームに背を向け、イネスにしか聞こえない声で率直な意見を言った。それを聞いたイネスは渋る。

「(確かに天使様の言うとおりに資料にはありました、しかし困っていると言っている人がそこにいますのに手を差し伸べないでいて私は神父を名乗れるのでしょうか?)」
「(で、ですが無暗にホイホイ言われたままに従うのもどうかと……もし仮に何かの罠だとしたらそれは危険なのでは?)」
「(ならばその時はそれも含めて主神の御導きになった試練と考えて受け止めましょう。まだ見ぬ未来の信徒である彼女は今、助けを求めているのです)」
「(……!!)」

ニアはハッとして我に帰った。
彼女の考え方は今の時代の他の神父の考えそのものだ。自分の身を守り、安全である情報がはっきりとしていることだけを行い、余計なことは手を出さない。
この時代の保身に腐った上層部の考えや体制に飽き飽きしていたのに自分の口からよもやそのようなことを言ってしまうとは……ニアは己を恥じた。
それを横目にイネスはノームの方に向き直り承諾を伝えた。

「ええ、わかりました。では私達の目的地とも近いみたいですしついでと言っては悪いですが調べてみることにしますね」
「おお〜! いいねぇ! でかい兄ちゃん助かるよ!」
「あー、それでなんですけど、そろそろレト君離してあげてくださいませんか?」
「へ?」

ノームに抱きしめられたままのレトはその豊かな胸に顔を埋められぐったりしている。

「あ、ああ、この子ね、あはは……うーん、もらっちゃダメ? 何だかこの子すごく気に入っちゃったんだ」
「本人の承諾があれば……と言いたいところですがあなたに預けておくと彼が窒息してしまいますし、彼はまだ修行中の身でして」
「ちぇー。あっ、だったらさ、私がついて行くのはどうかな?」

イネスの様子から簡単にはいかぬと悟ったのかノノは逆の提案をしてきた。余程レトのことを気に入ったのであろう、抱きしめたまま離そうとしない。

「うーむ……天使様?」

イネスの方もこれはどうしたものかとニアに判断を仰ぐ。

「……はぁ。とりあえず服着てくれるか町に入る時は土の中に隠れてくれるのなら」

ニアは多分ここで否定しても結果は同じとわかっていたのでとりあえず最低限の常識と周りから怪しまれないように条件を出した。
自分も後で天界の上司に報告する際にまた何か言われるだろうと考えると急に胃が痛くなってきたが、この人間の元に来てしまったからには仕方のないことである。
彼女はいつものように最近手に入れた胃薬を出してそっと陰で飲むことにした。

「おっけぇ〜じゃあとりあえず普段は土の中に隠れてるねー。出てくるときはマスコットキャラクターっぽくミニノノちゃん状態で出てくるよ」

指でピースを作りながらにこやかにノノが答える。

>>あっ、服着る気は無いんだ。

珍しくイネスとニアの思考が完全に一致した瞬間である。

「というかぐったりしてるのを指摘されてるんだから息させてよ!!」
「あっ、逃げちゃだめだよぉ〜」
「おお、レト君、やはり生きていましたか。今の君は軽く死の淵を彷徨ったことで生を実感できているのではないですか? 生きているって素晴らしいですね、主神に感謝しましょう」
「おっぱいとかいう贅肉の塊に埋もれて死ぬなんて全く精神衛生上良い事ではないですしね。よかったですよ」
「そこ!? 神父様も天使様もそこなの!? だいたい僕だってこんなことで死にたくなんかないよ!?」

人間死を覚悟したとき思いもよらぬ力が出るという。本気ではないとは言え魔物の拘束を脱出できたのだから相当ギリギリだったのであろう。しかしそんな肩で息する当の本人をさておき他のメンバーはいまいちそれを実感しきれていない。

「大丈夫だよー。それくらいの加減はするし、もし死んじゃったら土の中でずっと一緒にいてあげるから〜」
「そうじゃな……怖いよ!? というかなんでそんなに僕に!?」
「なんか君いい匂いするんだよね〜。……なんでだ?」
「こっちが聞きたいよ!」

サラリと言うあたりに精霊との生への倫理観のズレを感じて背筋が寒くなるレト。
そして首を傾げながら実に直観的な回答をされて、最近論理的な思考をイネスから学んできていたレトにはそれが理解しがたかった。

「それには我がお答えしよう」
「ウルスラさん!? 惚けて良い気になっていたのから戻ったのですか!」
「黙れ。気が付いたら話の輪から外されて寂しいとか考えてないし、入るタイミングを計っていたわけでもないからな。これ以上言うと焼くぞ小僧」
「ハイ! すいませんでした! お話をお願いします」

>ああ、ここは完全に上下関係が確立しているんですね……

若干しみじみしてしまうニアであった。

「ノームが魔物化する前から小僧に集まっていた辺りから察するに、小僧には精霊に好かれる特殊な体質か何かがあるのだろう。それに我の魔力をぶつけて魔物化。魔物は自然とつがいを求めるからな、惹かれていたならその相手は自然と小僧になるだろうよ」
「なるほど、実に簡潔で分かりやすいですね。それでその証明は?」
「同じ魔物としての勘! ……と、推測だな。他にも精霊のいる場所に行ってみればわかると思うが……」
「あのわさわさを何度も受けるのは嫌だなぁ……」
「ごめんね〜、あの頃は思考とかあまりできないからさ〜。精霊はノリで生きている!」
「(……)」

苦笑いしながら頬を掻くノームが胸を張った。説明を終えるとウルスラはイネスの元に歩いていき……

「主様、ちゃんと推測してこの状況に答えを出した我に対して褒美を出してもいいのではないかと我は考えるぞ」
「ふむ、確かに。あなたのお陰で一つ分からないことがわかりましたね、ありがとうございます」
「……」
「?」
「……」
「?」

ウルスラは顎を引いて目を瞑り、下を向いている。まるで何かを待っているかのようにその場を動かない。残念なことに察しが悪いイネスにニアが耳打ちすることでやっとその大きな手がウルスラの頭の上に置かれた。ウルスラは満悦である。

「それでは皆さん、思わぬことで時間を食ってしまいましたがそろそろ出発しましょうか」

イネスが歩き出すとその後ろについてくる一向。と、その時チョーカーを付け直して人に変化したウルスラがひょいとイネスの肩の上に登る。凄まじいバランス感覚だがそれを受けても動きに微塵も乱れの無いイネスもどうなのかとレトは改めて思った。

主様主様、実はちょっと御耳に挟んでおいてもらいたきことが……
ふむ、話して御覧なさい
うむ、ごにょごにょごにょ……

彼らが行く先、木々により遮られた視界の向こうにはラバウル城が聳え立っていた。



 さて時は遡り数日前のラバウル城、これはまだイネスらがアマゾネスの集落にいた頃の話である。

「王よ。旅の商人を名乗る者が王に謁見したいと申しております」
「うむ、通せ」

 謁見の間に座っているのは現・ラバウル王。
 この国ラバウルは年号も違うほど昔、旧魔王時代魔王軍の領地で激しい戦いが起きていたが勇者が魔王を倒し、平和になった世界で移住してきた人間達と魔物達に占領された後も細々生き乗っていた人間達により築かれた国である。
 過去の激しい戦いの反動かここに住む人間は争いを好まず、気性も穏やかで平和的であった。それは時が経ち現魔王の出現と教会勇者たちの戦いの中においても変わらず魔界からも遠く、内陸地であり、教会勢力圏内に存在するため魔物と言う存在からは縁遠い土地である。
 また教会圏の国同士での戦争とも関わりの無いこの国はまさに平和の象徴。栄華を築くわけでもなく、まさしくスローライフな日々を送るこの国は前線で戦い疲れた者達にとって憧れの的であり、『戦地の兵士が戦いの終わったら彼女と住みたい土地NO.1』である。
そんな国に住む人間は自然と気性も穏やか、かつマイペースになるのは当然で、王もその例外ではなかった。

 王に許可をもらい衛兵が扉を開くと玉座の前に通された人間は目深にフードを被っていた。衛兵に注意されて被りを外すと中から現れたのは人間というにはあまりに整い過ぎた美貌。視界に存在すれば視線が自然と吸い寄せられ、皆を虜にする。
絶大な存在感を発するその女に部屋にいた者は給仕の女性も含め皆が目を奪われていた。

「お初にお目にかかります王よ、旅の商人をしておりますマーレと申します」
「ほぉ何という美貌……いや、失礼。して、お主はどのような話で余を楽しませてくれる?」

現在の王はこの国の王としては珍しく他国に興味を持っていた。始めは偶に他国から訪れる旅人に諸外国の様子を聞くために呼んでいたのだが、いつしか自分の行ったことのない世界の面白い話を聞くのが楽しみで訪れる旅人を呼び止めるようになっていた。

「王様、私は商人です。本日は王様に商談をさせていただきに参りました」
「なんだ、余の暇つぶしの相手はしてくれんのか」

王は少し眉根を寄せ、がっかりした顔で言葉を返したが、商人は口元に微笑を浮かべ首を振る。そのなんと言う事はない動きであるのに周りの者の目を離すことができない。

「いいえ、このお話は暇つぶしにおいては王様に良い刺激になるかと思いますわ」
「いいだろう、話してみよ」
「はい。このお国にはこの城以外にももう一つ、古いお城がございますね」
「うむ、確かに。だがあれは霧に包まれており代々近づいてはいかぬという言い伝えが……」

しかし王の言葉が言い切られる前に女が顔を上げ言葉を遮ってきた。

「王様、あのような古く大きいお城には良い調度品があると相場は決まっています! どうです? その調度品を私目に売ってはいただけませんか?」

王の話を途中で遮るなど普通なら不敬罪になりかねない話であるが、周りの誰もが女を止めない。王も女と目を合わせてからはその言葉を遮ってはならないような気になってしまったからだ。

「……確かに、あの城ならばそなたの求める骨董品じみたものもあるだろうよ。しかしな、あれには遠くからはそれほど見えないが近づくと急に霧が深くなり気付くと外に出ている。誰も近づけないのだ」 
「ええ、知っております。ある種の結界ですね、そこで私から王様にご提案がございます」

女の目は透き通っているがその眼の奥は、どこまでも続く深淵の暗闇で王はまるでそのまま落ちてしまうような錯覚を覚えた。女はそのまま話を続ける。

「私の方から王様に霧の中でも迷わず向かう事の出来る魔法道具を提供させていただきます。もちろん無料でございます、これはこの御挨拶の記念として受け取ってください。それにより城にたどり着くことができ、そこの物を私に売って戴くことができればそれ以上の利益をもたらす良い品を私は手に入れることができるでしょう」

女が胸元から針のみの方角の示されていない方位磁石のようなものを取り出した。

「こちら特殊な指針機でして、これの針の示す方向に向かえばあの霧の中でも迷わず目的地に進むことができるでしょう」
「し、しかしだな……あれには近づいてはならんと……」
「王様、この国はどなたのものですか? 王様、あなたのものです。あの城は誰かが使っているのですか? 誰も使っていません。誰が今まで管理してきたのですか? この国を代々守ってきていた王家の方々です。ではあの城は誰のものですか? 王家の方々、現国王である王様のものでございましょう。王様のものなのですから中にあるものを適当に見繕って売るくらい問題ありませんわ。それとも王様は私の中で最初に拝見させていただいたときにお人柄とは違った人でしたか?」
「ぐ……ぬっ、そちの抱いた人柄とはなんだ?」
「穏やかな中にしっかりとした芯を持ち、決めるべきところでは決めてくれる聡明なお方……と♥」

言葉の最後に商人は僅かに頬を染めて視線を逸らした。

「なっ、そ……そうとも! その通りだ! 私もそなたの提案には良いものがあると考えていたのだ。いいだろう、そなたの話に乗ってやろう!」
「本当ですか! ありがとうございます!」

 商人は花が咲くような笑顔を浮かべ感謝の言葉を告げる。それを見た王は満足げに頷き、大臣にすぐに声をかけ調査の支度を始めさた。さらに自らも赴こうと考えた王はすぐに支度を始めるため、後日再び王の前に来るよう約束させた上で商人を下がらせた。
 
 一人のメイドが王の間から立ち去り廊下を歩いている商人とすれ違う。他の者と同じようにあまりの美しい容貌に目を奪われるが、その顔に浮かぶ怖気立つように歪んだ笑顔に気付いたメイドは一瞬、底知れぬ恐怖を抱いた。すれ違いの後、気のせいだと頭を振る。

「そこのあなた」

が、その耳元に今まで聞いたことのないほど美しく、それでいて聞いていると意識をそのまま吸い込まれて行きそうな音色が奏でられた。

「あらあら、どうしたのぉ。そんなに震えちゃって、顔が真っ青よ? 何か怖いものでも見たのかしら」

メイドは緊張のあまり体は強張り、口の中はカラカラで言葉を発することができない。その時、柔らかな指が後頭部に手を当てる感触が認識できた。

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。ん? ふうん、そう。可哀想に、あなた好きな人がいるけど自分からはなかなか素直になれなかったの。そのまま彼はこの国を出てしまったから後悔しているのね。いいわ、私と一緒においで。貴女がもっと素直に、自分を表現できるようにしてあげるわ。気にしないで、この国の王が動き出すまでの時間つぶしの間にあなたの面倒を見てあげるだけから」

自分のこれまで隠していた感情が掘り起こされる。
それまで後ろの者への恐怖で一杯だった彼女の頭の中にかつての日の思い出が呼び起され、意識が現実から離れていく。それが何故話してもない、今考えていたわけでもないことを相手が理解できたのかは彼女にはわからない。
普通なら警戒するべきことは多々あるのに彼女の頭の中はかつての思い出の世界に吸い込まれ、落ちて行く。
急な浮遊感が彼女を襲い、体が足元の黒い水溜りのようなものに沈む。それが彼女の認識できた城での最後の記憶であった。
15/09/29 20:31更新 / もけけ
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■作者メッセージ
どうも、初めての方は読んでくれてありがとうございます。もけけです。
もし、過去に私の作品を読んでくださっていた方は大変お久しぶりです。もけけでございます。

長い長い時間を空けて久々に作品を作る機会に恵まれました。
今回は神父様シリーズの続きということで書かせていただいてます。

続きも数日中に投稿させていただきますので、宜しければ目を通していただけると幸いです。
そして読んだ感想とか聞かせていただければ更にもけけは幸いです。
もけけは完走まで頑張って遅々と筆を進めていきます。

どうしてこうウルスラさんはドラゴンの威厳とかどんどん無くなる方向に進んでしまうのでしょうね。私も不思議です。

そして見てくださった方々に最大の感謝を!

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