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愛しき母と愛しき子供たち |
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おぎゃあ、おぎゃあ、と母親を求める泣き声が、ボロボロの塔にこだまし、私の眠りを妨げた。
ゆるゆると仕方なくベッドから降り、長い長い螺旋階段を静かに降りていく。ガラスの欠けた窓から外を見つめると、月と星が綺麗に輝いていた。げんなりする。 途中、夜中にも関わらず外にまで聞こえそうなほど騒いでいる子供達を注意しつつ、長い階段を下り切ると、そこには、何枚かのオムツと空になった哺乳瓶の間で泣く赤ん坊が一人、ダンボールに入れられていた。 またか…。どこからか噂でも流れているのかしら? 赤ん坊を抱き上げると、一枚の手紙が下敷きになっていた。落ち着かせるように、体を揺らしながらそれを開くと、私は余計にため息が出た。 私たちでは育てられません。どうかよろしくお願いします どんなに体を揺すっても、優しく背中を叩いても、赤ん坊はなかなか泣き止まなかった。 彼らにいかなる事情があったのか、私は知らない。もっとも、ある程度は察しがつく。経済的なことや家庭のこと、いろいろあったのだろう。 だけど、本当にこの子を捨てて幸せになれるのだろうか? 子を産んだことがあるわけでも、これという幸福観念があるわけでもない。でも、何かを犠牲にしてまで、ましてや、最愛の子を捨ててまで自身が幸せに生きたいとは、少なくとも私は思わない。どんなに辛くても、苦しくても、誰かのせいにしてそれらから逃れることは許されないはずだ。 …といっても、私に彼らを責める通りもないのも事実。 赤ん坊は私の髪の蛇たちにペロペロと舐められると、不思議と落ち着き、次第に瞼が閉じられていった。 はぁ、深いため息をつく私に蛇たちは頬擦りをして慰めてくれる。哺乳瓶などが入ったダンボールはそのままに、私はまた階段を上がり、自室へと戻っていく。この子の名前を考えながら。 ◇ 「レイア、レオ!遅いわよ!何やってるの!」 眠たそうに目をこすりながら起きてきた金髪の少年と銀髪の少女たちに、イブの朝一番の雷が落ちた。しかし、当の本人たちは特に気する様子もなく、ふぁ〜い、と欠伸とも返事ともとれるような挨拶を返し、自分たちの席へと座ると、他の子供たち同様に朝食をのろのろと食べ始めた。 「全く、遅くまで起きてるから起きられないのよ…」 ブツブツと文句を言いながらも、イブはアマルと名付けた昨夜の赤ん坊にミルクを飲ませ、髪の蛇たちは一人で食べることのできない子供たちの口に、スプーンで離乳食を運んでいた。 イブの朝は忙しい。 十五人もいる子供たちのために朝ごはんを作り、そのうちの五人には離乳食を、そして一人にはミルクを作らなければならない。それを食べさせ終わったら、天気が良ければ湖に洗濯へと行き、自分の分を含めて、十六人分もの服や下着を洗わなければならない。一人一、二着しか持っていないため、洗濯を欠かすわけにはいかなかった。 そして、その洗濯物を干して、やっと朝食だが、それも子供たち用に作ったごはんの余りを少し食べると、すぐに畑作業に取り掛かる。そんな毎朝を過ごしていた。 他の子供たちがお皿洗いを済ませ、遊んだり、読書したりと各々の自由時間を過ごしているを見つめながら、レオとレイアが食事をとっていると、財布を持ったイブが疲れた様子でやってきた。 「あんたたち、今日暇よね?」 「暇じゃないよ。レイアとチェスするんだもん。ね〜?」 「ね〜」 屈託のない笑みを浮かべる二人に、イブと髪の蛇たちはニヤリとも笑わず、ギラついた目を向ける。 ヤバい、そう思った時には既に遅く、二人の足は少しも動かすことが出来なくなっていた。まるで石になってしまった様、ではなく本当に石になってしまっているからだ。 「最年長の癖に遊んでばっかりで、ろくに家事も手伝わないんだから!たまにはお使いの一つ行ってきなさい!!」 ◇ 「ママは何を買って来いって言ったんだっけ?」 今にも沈没しそうな程ボロボロのボートを全身を使って漕ぎながら、レオはイブに渡されたピンク色の財布と紙切れを仰向けで眺めるレイアに尋ねた。 「えっとね〜。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ…」 材料を聞くだけで、今日の夕飯から数日先の献立がレオには見当がついた。 「あと、こなミルクだって〜。てか、これってさぁ、またカレーだよね…」 「分かっても言うなよ!」 「ご、ごめん…。はぁ、別に嫌いじゃないんだけど…。こう、別の物が食べたいよね…」 「…うん」 イブの料理が嫌いなわけではない。むしろ、二人は大好きだった。しかし、家族が増えていくにつれ、イブの料理のレパートリーは少なくなっていき、最近はカレーとシチューの往復になってきている。 家族が増えていくことは嬉しいことだ。だが、それに比例するように、イブは自分たちのことを見てくれることが少なくなっている。レオとレイアはそんな風に感じていた。 そのために、一生懸命にイブの手伝いをしたり、弟や妹たちの世話をしたこともあったが、現在ではその弟たちが大きくなり、イブの手伝いをするようになってしまった。 二人は焦燥感を覚えた。 もしかして自分たちはいらない子なんじゃないかと、イブは自分たちのことを鬱陶しく思っているのではないかと。昔では考えつきそうもない様な不安が二人を包んでいた。 「おじさん、船縛っておいて」 「あいよ、気をつけてな」 パイプを蒸しながら桟橋から釣り糸を垂らす、膨よかなお腹をした老人に、レオはいつもの様に船のことを頼むと、レイアと共に街へと上がる階段を上がっていった。 街は子供だけで歩くには、あまりに多くの人で賑わっていた。それもそのはず、今日は月に一度開かれるバザーの日だった。もっとも、二人からすれば、動く柱が増え、その間をぶつからずに駆け抜けるというアスレチックがより面白くなったに過ぎない。 「じゃあ、いつものお店にどっちが先に付けるか競争だ」 「いいわよ。まぁ、どうせ勝つのはあたしだけどね」 「じゃあ、よーい…ドン!」 二人は同時に動く柱の間を風の様に駆け抜けていく。 「はぁ…はぁ…」 先に到着したのはレオだった。これで九勝八敗三分。先に十勝した方が勝ちという二人のルールに、レオが先に王手をかけた。 荒れた呼吸を落ち着かせる様に胸に手を当て、レイアが来るのを待つ。しかし、一向にレイアがその姿を見せることはなかった。 何やってるんだよ…。 レイアへの苛立ちが募り始めるが、次第にそれは何かあったのではないか、という不安へと変わっていき、居ても立っても居られなくなったレオは再び動く柱の中に入って行こうとした。 すると、浮かない顔でこちらへとぼとぼと歩いてくるレイアの姿が動く柱の隙間から見え隠れしていた。 「何やってるんだよ?」 「…しちゃった」 「えっ?」 「お財布、落としちゃったぁ…」 「うそ…?」 レイアは首を振り、持っていないことを証明する様に服のポケットを裏返した。 レオの頭の中が真っ白になっていく。それはイブに叱られる恐怖からではなく、イブからの信頼を裏切ってしまうことへの恐怖からだった。 「ど、どこで落としたの…!?」 「わかんない…」 「わかんないって、そんなことで済むわけないじゃん!?」 ついカッとなってしまったレオの言葉に、今まで我慢していたレイアの感情が爆発した。 うええん、と盛大に泣くレイアに、通行人の目が集まり、レオはどうにも遣る瀬無い気持ちになった。自分が悪いわけではないのに…。 「…行こ?」 何事かと、人集りが出来始めると、レオはその視線に耐え切れず、そっとレイアの手を取り、店ではなく、裏路地へと入って行った。 「…どこで落としたの?」 ハンカチで涙と鼻水を拭き取るレイアにレオは尋ねた。しかし、レイアは首を横に振るばかりだった。 はぁ、レオは心の中でため息を吐く。 お金を無くしてしまった現状では何もできることはない。落とした財布を探すか、それとも、一度家に帰って、イブに正直に話すか…。いや、ダメだ…。 レオは頭を振った。 これ以上イブに迷惑をかけたくはなかった。それに何より、嫌われたくなかった。 「…よしっ!お財布を探しに行こう!」 レイアと手を繋いだまま、レオが踵を返して大通りに戻ろうとすると、一人の襟の高い服を着た青年がキョロキョロと辺りを見渡しているのが目に入った。何か探しているのだろうか、そう思いながら、レオがその横を通り過ぎようとした時。 「あっ!お財布!」 レイアはそう叫び、青年の右手に飛びついた。その勢いに押されてか、青年は声を出すことさえなく、倒れ込んだ。 「いてて…」 「レ、レイア、何やってるの!?」 青年が倒れても、その手を離そうとしないレイアをレオはなんとか引き剥がす。 「あ、あの、怪我とかは?」 「ああ、うん、大丈夫だ。それより二人は大丈夫?」 自分の物よりも先にレイアの服についた土を払うと、青年は目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。 優しそうな人だ。レオはその顔を見て、何となくそう思った。切り傷のような痕が顔にあるが、その柔和な笑顔からは、悪意の様なものは全く感じられない。 「大丈夫。レイアは?」 「お財布!」 「ああ、そうだったな。はい」 壊れた機械の様に同じことばかり言い続けるレイアに、青年は苦笑しながらピンク色の財布を渡した。それを受け取ると、レイアはホッと胸を撫で下ろす様に深い息を吐き、ギュッと抱きしめた。 「ありがとうございます。僕たちどうしようかと思ってて…」 「俺も君たちを見つけられて良かったよ」 「あ、あの、お兄さん、ごめんなさい。急に飛びついたりして…」 今まで財布のことで頭がいっぱいだったが、やっと冷静さを取り戻したのかレイアは顔を赤く染めながら頭を下げた。 「大丈夫だよ。財布は大事な物だもんな」 「う〜ん、ていうよりは、叱られたくないし…。僕たちのママ怖くって…」 いー、とレオが両手で目の端を無理矢理吊り上げ、朝にも見たイブの目つきを真似すると、レイアと青年は声を上げて笑った。それが可笑しくて、レオも笑う。 そんな風に三人で笑っていると、正午を告げる鐘の音が、バザーで賑わう人々の活気に負けぬよう、力強く鳴り響いた。そして、それにつられるように、レオとレイアのお腹の虫も騒ぎ始めた。 「ちょうどいい、昼にしないか?」 青年が立ち上がり、手を差し出すと、二人はなんの躊躇いもなく、その手を取った。 ◇ 「悪いな、こんな場所で」 スレイと名乗った青年に連れられ、レオとレイアはとある酒場へとやって来ていた。横を通り過ぎて行く、自分よりも何倍も大きな大男たちに、内心ビクつきながら、二人は初めて訪れる場所を何度も見渡した。 酒場、という言葉はイブから聞いたことがあっても、実際に来たのは初めてなうえに、大通りから少し離れた場所にあるため、見たこともなかった。 昼時ということもあり、酒場は大いに賑わっていた。朝から飲んでいたのか、テーブルを埋め尽くすほどの空のジョッキをそのままにしてあるところもあれば、イブの様な魔物娘たちとワインを傾け、静かに食事をしているところもある。 「大丈夫か?二人とも?」 幼い二人をやはりこんな場所へは連れて来るべきではなかったのかもしれない。 声をかけても、反応出来ないほど集中して辺りを見渡す二人にスレイは少々後悔した。誰だってあんな大男や、中身はいざ知らず、風体はあまり柄の良くないような男や女が多くいれば多少なりともビビってしまうだろう。 もっとも、かといって、別のいい店を知っているわけでもないのだが…。 「いらっしゃいませ、何になさいますか?」 メイド服に身を包んだサキュバスが三人分の水置いて尋ねる。 「ああ…そうだな。二人は何が食べたい?」 二人の様子に気が散って、メニュー表さえ開いていなかった。スレイは慌ててメニュー表を机に広げた。 「うわぁ…」 レオ、レイア、どちらからともなくそんな感嘆の声が漏れた。メニュー表の写真にはイブが作ってくれる物に似たような料理もあれば、見たこともない料理もあり、二人は舐め回す様に写真を眺める。 そんな子供たちにスレイとメイドのサキュバスは小さく笑った。 「ねぇねぇ、このぴざっていうのは美味しいの?」 「ええ、とっても美味しいわよ。今のおすすめはこれ」 そういってサキュバスが指差したのは一番値段の高いピザだった。 「じゃあ、僕これ!」 「あ、あたしも!」 「はい、デラックスピザにま…」 「ちょっと待て!」 すかさず注文をメモしようとするサキュバスの手をスレイは慌てて掴む。 「そもそもこのピザの大きさってどれくらいだ?」 「え〜と、これくらいかな?」 だいたいですけどね、と言いながらも丸テーブルの縁を指で一周するサキュバスに、スレイは頭を抱えた。 「そんな大きな物を二つも頼んでも仕方ないだろ?そもそもピザっていうのは、一枚の物をみんなで分けて食べる物なんだ」 「へぇー、じゃあ一個でいっか?」 「そうね、みんなで食べましょ!」 「で、でも、お客様によっては一人で一枚とか食べて行く方も…」 必死で食い下がるサキュバスの背を押して、スレイはなんとか彼女を厨房へと押し込んだ。 「そういえば、二人はどこで暮らしているだ?ここら辺の子供たちと一緒にいるのを見たことがないんだが?」 「あたしたちはあの湖の真ん中にある浮島で暮らしているんです」 「浮島…あぁ、あの壊れそうな塔が建っているところか?」 スレイの質問にレオはゴクゴクと水を飲みながら頷いた。 「うん、そこでね、え〜と、僕とレイアとママと…。十六人で暮らしてるんだ!」 指折り数えて、自慢する様に家族の人数を叫ぶレオに、スレイは目を見開いて驚いた。 「そんな大家族で暮らしているのか…!?」 「はい。…といっても、みんな捨て子で、ママが拾ってくれたんです」 あたしたちもそうなんです、俯きながらそう告げるレイアに、一瞬戸惑い、適当な言葉を探すスレイだったが、結局良い言葉は見つからず、すまない、と結局謝ることしか出来なかった。 「でも、ママってすっごく怖いんだよ?それに僕たちのことばっかり怒るんだよ?」 「それだけお前たちのことを見ていることってじゃないのか?」 「そうなのかな…?」 浮かない顔をするレイアを察してか、レオは話題を切り替えるが、レイアの表情はなかなか晴れなかった。 ◇ 「「おいしい〜!」」 一口ピザを食べた瞬間、先ほどまでの浮かない顔は何処かへ消え、笑顔で顔を見合わせる二人にホッとしながら、スレイもデラックスピザを頬張った。 「美味いな…」 「ほぉ、今日はベビーシッターの仕事か?」 意外といっては失礼かもしれないが、やはり値段が高いだけに他のピザよりも断然に美味しく、二人と同様にスレイがピザに舌鼓していると、背後から低い声がかかった。 正直無視したい気持ちの方が強かったが、二人の前でくだらないことを始める訳にもいかず、スレイは口の中にある物を呑み込むと、仕方なく振り向いた。 「これのどこがベビーシッターに見えるんだ?」 「それもそうだな。そんな顔を近づけられれば子供は泣くだろうな。貴様にはベビーシッターも無理か」 貴族服の様な品の良い服を着こなした男はくくく、嘲る様に笑う。 そんなに酷いだろうか、スレイは冷静に顔の傷に触れる。この男が他人を見下すのはいつものことだが、それを鵜呑みにしてイラついていては胃が持たない。だが、傷のことだけは少々気になった。 「そういうお前はいったい何をしているんだ?クラーヴェ?」 ふん、スレイの落ち着いた様子が気に入らなかったのか、クラーヴェは大きく鼻を鳴らすと、近くにあった椅子を引き寄せ、レイアの隣に座った。 「今はあるデブ貴族のお守りだ。全くくだらない、誰があんなクズの命を狙うというのか…」 「嫌なら辞めればいいじゃないか?」 「クズとはいえ、金はある。貴様はそうやってゴネてばかりいるから、ろくに金も稼げんのだ」 「うっ…」 痛い所を突かれ、スレイが言い返せずにいると、クラーヴェはなんの躊躇いもなくピザを一切れ取り、それをパクパクと食べ始めた。 「おい、なに勝手に食べてるんだよ!?」 「小さいことを気にするな。…美味いな」 スレイの制しなど気にも留めず、クラーヴェは次々にピザへと手を伸ばす。レオとレイアはじっと考える様にその様子とピザを交互に見つめていた。 「どうかしたのか、二人とも?」 「えっ?あぁ…うん…。何でもないよ…」 これ以上ピザを食わせまいと、クラーヴェの手を押さえ付けながらスレイが尋ねるが、二人は首を振るばかりだった。 「食べないのなら私が頂いてもいいだろう?」 「ダメに決まってるだろ!」 大人気なくも、再びピザに手を伸ばそうとするクラーヴェと格闘していると、二人の視線が他の客にいっていることにスレイは気がついた。つられるようにその視線の先に目をやると、そこには会計を済まし、持ち帰り用のピザを受け取る家族がいた。 「…持って帰りたいのか?」 「うん…。でも、何枚も買うとお金がかかるし…」 なるほど、なぜ二人が一口ピザを食べたきり、それ以上食べようとしなかったのか、スレイは納得した。それはおそらく、他の兄弟たちや例の母親に食べさせてあげたかったのだろう。 …俺たちとは違うな。 「構わんさ。ピザぐらい買う金はある」 「なんでお前が答えるんだよ!?」 手は使えないと諦めたのか、頭ごとピザへと近づけるクラーヴェが勝手に答える。 「ほんと!?」 「…ああ、いいよ。だから、これは気にせず食べな」 「フッ、それくらいの余裕がなくては、もはやただの乞食だからな」 やけくそになった訳ではない、二人に頼まれればきっと買っただろうが、この男にこうもに言われるとどうにも釈然としない。腹いせにとばかりに、スレイはピザを掴んで汚れた指をクラーヴェの服で拭きながら食事を続けた。 ◇ 「あっ、ママが見えた!」 ボートの上で跳ねるレイアの声に、スレイは振り向く。もう少しで到着する浮島には大きな塔が立ち、その近くに苛だたしげに腕を組んだメデューサの姿があった。 本当に住んでいたのか…。二人の話を疑っていた訳ではないが、あんなボロボロの塔で本当に暮らしているとはにわかには信じきれなかった。もっとも、雨風さえ凌げれば、掘建て小屋とそう変わらないのかもしれない。 「ち、ちょっと、ピザが落ちちゃうよ…!」 揺れるボートに慌て、レオは買ってきた食材よりも、ピザの入った箱を大事そうに抱きかかえる。そんなレオにスレイは苦笑いを浮かべた。 持ち帰り用のピザを作ってもらっている間に、イブから頼まれた買い物を済ませてしまった三人が酒場に戻ると、すでにクラーヴェの姿はなかった。その代わりに、持ち帰り用のピザ三枚分の代金が支払われていた。嫌な予感がしたスレイは、誰の支払いかは確かめようとはしなかった。あの男に貸しを作ることだけは絶対に避けたかった。 ピザを離そうとしないレオと、これはあたしが持つ、と一番重たい袋を持ちたがるレイアを先に行かせると、スレイは慣れないボート漕ぎで疲労した腕を軽く叩き、力を入れ直してから、ボートをロープで固定し、残りの買い出しの袋を持って、二人の後を追った。 「どこで遊んでたの!?」 階段を上り終え、二人の姿を確認しようとした時、まるで雷でも落ちたかの様に空気が振動するをスレイは感じた。 「ち、違うの…ママ…。あたしが…その…」 「なに!?」 言い淀むレイアにイラついたイブがその鋭い視線を投げると、言葉通りに、小さな少女は蛇に睨まれて動けなくなってしまった。その目からは大粒の涙が溢れる。 「ぼ、僕がいけないんだよ…!僕がレイアに遊ぼうって…!」 「その言葉を言ったあんたも、その言葉に乗ったレイアも、二人とも悪いのよ!だいたい、なんでお使いに行くのに、一日中遊んでるのよ!あれくらいの量だったら数時間もあれば帰って来れるでしょ!?」 「…」 「それに、お昼はどうしたのよ?もしかして…その箱の中の物食べたんじゃないでしょうね!?そんなお金入れてないわよ!?あんたたちまさか…盗みをしたんじゃ…!?」 さすがにこれ以上二人の誤解を生む訳にはいかない。物陰から様子を伺っていたスレイが飛び出そうとした時、レオとレイア、二人が同時に手に持っていた物を地面に叩きつけた。 「…ママは、僕たちのことが嫌いなんだね…?だから、僕たちばっかりを叱るんだね…?ママは…僕たちのことなんか…いらないんでしょ!」 キッと上目遣いで睨み返してくるレオとレイアに、さすがのイブも驚いていると、二人は厳し過ぎる母親を突き飛ばして、塔へと入って行ってしまった。 「…はぁ、私なにやってんだろ…。心配してた、そう言えばいいだけなのに…。もう、良いわよ、そこのあなた、出てきたら?」 「…すまない、俺が話を拗らせたみたいだ」 レイアの持っていた袋から溢れた食材を拾うのを手伝いながら、スレイが謝る。しかし、イブは静かに首を横に振った。 「別にあなたに責任はないわ。そして、あの子たちにも。私が勝手に心配し過ぎて、勝手にイラついてただけよ…」 「それだけあの子たちが大事だってことじゃないか?」 ふと、スレイが顔を上げると、食材に付着した土を払っていたイブの手が止まっていた。その目はどこか虚空を見つめている様に、寂しげなものだった。 「どうなんでしょうね…?見捨てて置けなかったから拾っただけで、あの子たちの言う様に、もしかしたら…本当はあの子たちのことなんか嫌いなのかもしれない…」 「…安心したよ」 「えっ…?」 あまりに意外な言葉にイブは驚き、落ちたピザの状態を確認して、苦笑いを浮かべるスレイの顔を見つめた。 「どういうこと?」 「好きの反対は嫌いなんかじゃない。無関心だ。だから、少なくとも君はあの子たちのことを考えて、気にしてる」 「…物は言いようね。あなた、名前は?子供たちが世話になったんだから、さすがにこのまま帰らせる訳にはいかないわ」 「ありがとう。俺はスレイ、よろしくな、イブ母さん」 「…今度そうやって呼んだら、石にするわよ?」 イブとその髪の蛇たちが、シャアと舌と牙を剥くと、スレイは背筋を正し、二度と言わないことを街の陰に消えそうな夕陽に誓った。 ◇ 初めて見るピザに目を輝かせ、飛び跳ねる様に嬉しがる弟や妹たちの元に、レオとレイアが顔を出すことはなかった。イブは心配している様子をこそ見せなかったが、用意しておいた二人の分のカレーが冷めてしまっていないかを何度も確認していた。 「全く…来ないなら、そう言っていけば良いのに…」 「俺が届けてこようか?」 最初こそ警戒していた子供たちだったが、晩御飯を済ませた頃には、スレイに抱きついたり、遊んでとせがんだり、すっかり懐いてしまっていた。そんな遊び疲れた彼らを寝かしつけたスレイが食堂に戻ると、イブが一人、冷めてしまったカレーを盛り付け直していた。 「いいわよ、どうせ、部屋の前に置いておけば、朝には空になってるわ」 「いや、そんなことする必要ないさ。俺が届けてくるよ。イブはご飯を食べていてくれ」 「そう?じゃあ、お願い」 先ほど食べたばかりなのに、再び食欲が湧いてきそうなほど良い香りのする二つのお皿を受け取ると、スレイは踵を返して、階段を上がっていった。 その後ろ姿を見送り、イブは大きくため息をついた。こんな風にあの子たちと喧嘩したことは一度や二度ではない。前までは夜になれば、二人は渋々降りてきて、お互いにごめんね、と謝って終わっていた。 …でも、最近はどうだろう? 二人の顔を見るのが、何となく億劫で、彼らが謝りに来るのを待たず、ご飯を部屋の前に置いて、寝てしまっている。そして、謝ることもなく、朝はいつもの様に二人に小言を言ってしまっている。 すっかり冷めてしまったカレーを運んでいた手が止まった。 …私はきっと、あの子たちをストレスの捌け口にしてしまっている。母親という役に疲れ、あんなにも幼いあの子たちに、一番大きいという理由だけで、八つ当たりしてしまっている。 「は、ははは…。本当…最低、よね…」 愛情などまるで感じられない、冷め切ってしまったカレーを、イブはむせながらも、一気に食べてしまった。 ◇ レオとレイアの部屋を見つけるのは決して難しくなかった。おそらく二人それぞれが描いたのだろう、二人の名前が下に書かれた、イブの絵が扉に画鋲で貼り付けられていた。 静かにノックし、スレイだと告げると、部屋はギィ…と恐る恐る開き、レオが首だけを出した。 「…なに?」 「夕飯を持ってきた。レイアも中にいるのか?」 スレイの問いに答える様に、レオは扉を開けはなつ。すると、ベッドの上で体育座りしていたレイアが驚き、顔を上げたが、扉の前に立つのがスレイだと、安堵とも落胆とも取れる深いため息をついた。 「イブじゃなくて悪いな。夕飯を持ってきた、お腹空いてるだろ?」 レオの頭を撫でながら、スレイは一緒に部屋へと入る。 部屋の中はとても簡素ではだったが、しっかりと整頓されていた。二人の眠るベッドは綺麗に整えられ、机の上の鉛筆や消しゴムなどはひと所にまとめられていた。おそらく、出掛けていた間にイブが掃除をしておいてくれたのだろう。 「食べないのか?」 お皿を膝に置いたまま俯く二人に、外を眺めていたスレイが尋ねると、今まで気がつかなかったが、レイアは真っ赤に腫らし目を向けた。 「…あたし、今度こそ本当にママに嫌われちゃう…」 「…レイアは悪くないよ。僕が…」 気丈にもレイアの肩を叩くレオだが、その唇がぶるぶると震え、その後の言葉を続けることは出来なかった。 …家族というのはこういうものなのだろうか? 二人を見つめた後、スレイは再び外を見つめた。正確には、月明かりに照らされ、その涙さえも見えてしまう様な気がしてしまうほど、肩を震わせ、声を殺して泣くイブの姿を。 お互いに本当のことを言えず、お互いに傷つき合ってしまう。それが本当の家族というものなのだろうか? よく分からないな。だが…。 「大丈夫さ。何年彼女と暮らしているんだ?あれくらいのことでお前たちのことを嫌いになんかなるものかよ。それに、お前たちのことを怒るのは、それだけお前たちのことを考えている証拠だよ」 「でも…」 また、不安そうに俯くレイアとレオの頭をスレイは優しく撫でる。 きっと、大丈夫だ。お互いのために涙さえも流せる、それぐらいお前たちは優しいんだから。 ◇ 大丈夫だと思ってはいるが、それでも三人のことが気がかりだったスレイが、イブたち全員にここで暮らす許可を貰ってから数ヶ月が過ぎようとしていた。 「じゃあ、行ってくるな」 「ええ、気をつけて…」 いつも通り、スレイが街へと仕事と買い出しに行くのを見届けると、イブは大きくため息をついた。 スレイが来てくれたお陰で、お金の面でも、子供たちの世話は面でもかなり楽になっている。その証拠に、畑仕事の合間に子供たちと遊ぶことも出来る様になった。しかし、あの二人は未だに顔を合わせても、俯くばかりで、まともに話すことさえも出来ない。強引にその手を掴めば、確かに話は出来るだろう。 でも、それではあの子たちの心がより一層に離れていってしまう。そんな気がした。 「ねぇねぇ!ママ!」 どうしたものかと考えている内に、他の子供たちがイブに抱きつき、甘える。 …昔はあの子たちもこんなだったのに。 「あれ?何かこっちに来るよ?」 優しく頭を撫でていると、一人の子が街の方を指さした。イブもその方向に目を向けると、何かが水飛沫を上げながらこっちに向かって来ている。それも一個や二個ではない。 「みんな塔に隠れて!」 咄嗟にイブがそう言ったのは、特に深い意味があった訳ではない。ただ、何となく嫌な予感がしたからだった。そして、その予感は的中した。 「何の用?」 船着き場に止められた、手漕ぎボートよりも大きい船から降りてきた、肥え太り、どこか幼さを感じる男に、イブは階段上から睨みつけた。 「ここに何の用か聞いているのよ!」 イブは怒鳴り、さらに睨みを効かせるが、男はそれを意にも介さず、連れ立っていた兵士の様な鎧を着た男たちに上機嫌に話しかける。 「なかなか悪くない場所だな。街が一望出来るし、静かだし。別荘には最適だな」 「別荘…?もしかして、あんたたちここに別荘を建てるの!?」 あまりの急な話に、イブが狼狽し始めると、男はニヤリと気色の悪い笑みを浮かべた。 「そうさ、ここは僕の別荘地にするんだ」 「ふざけるんじゃないわよ!ここには私たちが住んでいるよ!?」 「私たち?他にも誰かいるのか。まぁ、どっちにしても、痛い思いをしたくなければ、さっさと出て行くんだな」 男が軽く腕を上げると、他のボートから降りてきた兵士たちもイブに剣や槍を向ける。だが、イブは恐れなかった。すぐにでもこの男たちを石化させてしまえばいい。そう思って、目に魔力を送ろうとした瞬間、イブの視界から男たちが消えた。 「ぐっ…!?」 自分の顔に何か被らされたことに気がついた時には遅かった。その何かを取り払う前に、今まで感じたことのないような激痛が腹部へと走り、一瞬で意識が遠のいていく。 「ママ!!」 イブの顔に投げつけた服を取り、クラーヴェが顔を上げると、見知った顔の少年と少女が塔から飛び出してきた。その後ろには、扉の陰に隠れながらも、こちらを心配そうに見つめるたくさんの瞳があった。 「お前たちは…」 「あ、あなたは…!」 クラーヴェに気がついたレオは足を止めると、震える手で包丁を構えた。 「さっきの蛇女が言っていたのはこのガキどもか?」 ほんの少しの階段にも関わらず、はぁはぁ、と息を切らせる依頼主に、クラーヴェは何も言わず、レオとレイアに歩み寄った。 「スレイは何処だ?塔の中か?」 下手な行動をとらせないよう、落ち着いた声で話しかけるが、レオはぶるぶると震える手で包丁を向けるばかりだった。 「な、なんだこのガキ!生意気にもこの僕に楯突く気か!?」 ちっ、デブが…。 やってしまえと、たかだか子供の包丁一本にビビり、兵士たちの後ろに隠れながら命令を下してくる依頼主に、クラーヴェは毒づく。 この中で唯一、この場をさっさと去るべきだと考えていたのはクラーヴェだけだった。それは彼だけがスレイという男の実力を知っていたからだ。 レオとレイアの反応や、イブを気絶させた時に出てこなかったということは、おそらく塔の中にはいない。となれば、何処にいようとも、いずれはこの島に帰ってくるはず。クラーヴェはそのことを危惧していた。 無論、彼がもはや彼らとは何の関係もなく、別の仕事をしている可能性も考えたが、時として、彼が数人の子供を連れて歩いている姿を度々目にしていたこともあり、その推測はすぐに打ち消された。 どちらにしても、長居は無用だ。 「悪いが、子供を殺す主義はない。それに、私の見立てでは、彼らはかなり強力な用心棒を雇っている」 「用心棒?お前の仕事はそういう奴らを倒して僕を守ることだろう!」 「無論、それは百も承知。だが、今回ばかりは相手が悪い」 「…はは〜ん。クラーヴェ、お前怖いんだろう?」 すでにレオとレイアたちに背向け、ボートへと歩き出していたクラーヴェは足を止めた。依頼主の男は嘲るように笑いながら続ける。 「そいつに勝つ自信が無いんだろう?戦って負けるのが怖いんだろう?だから、早く逃げようと…」 わざとらしく肩を竦めて、男は他の者たちを笑わそうとした。だが、上がった悲鳴だった。 「えっ…?」 クラーヴェは未だに背向けている。それにも関わらず、男の一番近くにいた兵士の片腕が宙を舞い、血飛沫を飛び散らせながら、地面へと落ちた。 「…勝つことは出来る。だが、私とあの男が本気で戦えば、貴方は確実に巻き添えを食らうでしょうな。ちょうどその男の様に」 悲鳴を上げ、激痛で地を転がる兵士から、男はすぐに離れ、誰よりも早くボートへと飛び乗った。慌てて他の兵士たちも、腕を無くした同僚と、イブをボートに乗せ、動かす準備を始める。 そんな男たちを階段から見下ろすと、クラーヴェはレオとレイアへと顔を向けた。 「スレイに伝えておけ、屋敷で待っているとな」 それだけを告げ、クラーヴェはその場から跳躍し、ボートへと飛び乗る。 レオとレイアはそのボートをただ見送ることしか出来なかった。 ◇ 「ダメだ!お前には危険過ぎる!」 スレイは苛立ち、机を叩くが、それでもレオは引き下がらなかった。 「ぼ、僕だってママを助けたいもん!」 本当は怖いのだろう、レオは涙で潤んだ瞳でスレイを見つめた。しかし、それでもレオはそんな涙を我慢する様に、恐怖さえも押し殺し、イブを助けに行こうとするスレイについて行きたがる。 本当はその強い意思を汲んでやりたい。だが、あのイブが子供たちを危険に晒すことを良しとするはずがない。 素直にならず、いつでも子供たちのことで、ため息ばかりついていたイブだったが、それは彼らを愛しているが故なのだろう。愛しているからこそ、本気で子供たちのことを考え、悩む。 そんな、どこか弱気で、天邪鬼ではあるが、捨て子だった彼らを愛で包める優しさを持つイブのためにも、レオを連れて行くことは出来なかった。 しかし、血は繋がらずとも、その母の強さと優しさを受け継いだ息子の瞳にスレイの心は揺れ動かされた。 「…分かった。だが、絶対に俺のそばを離れるなよ。イブを助けたらすぐにでも逃げるぞ」 「うん!」 力強く頷いたレオはスレイよりも先に外へと飛び出して行った。 「レイア、すまないが、他の子供たちのことを頼む」 「はい、気をつけて。必ずママを助けてきてください。美味しいご飯を用意しておきますから」 早口で告げると、レイアはそそくさと夕飯の支度を兄弟たちと一緒に始める。この子もまたイブから受け継いでいるものがある。スレイはそう確信し、安心して必要な物を持ってから塔を出た。 ◇ 「起きろ」 微かに耳に届いた声でイブは目を覚ました。少しずつ意識が覚醒していくと、途端に下腹部が痛みだす。手でその箇所を押さえようとするも、腕はまるで動かすことが出来なかった。見ると、腕は両方とも頭上で手錠が付けられていた。 「あんたたち、こんなことして良いと思ってるの…!?」 身をよじり、痛みを堪えながら、イブは目の前の貴族服を着た男を睨みつける。男はその問いを鼻で笑った。 「ふっ、善悪さえも決めるのは金があるこちらだ。いかに貴様が吠えようと、それは負け犬の遠吠えだ。ところで、あの子供たちは貴様の本当の子か?」 「…違うわ、みんな拾った子よ。でも、あの子は私の子よ!血は繋がってないけど、それでも、みんな私の愛してる子供たちなの!あそこはそんな私たちの家なの!貴族だったら何をやっても良いと思うんじゃないわよ!あんたたちなんか、所詮お金があるだけで、他に何の取り柄もないクズよ!」 「…金以外にこの世で必要な物でもあるというのか?」 ゆっくりとした話し方ではあるが、鉄格子を掴む手が震え、殺気の様なものまで放つようになったこと、イブは男が苛立っていることに気がついた。 「…あるわ」 「それは何だ?」 「愛よ」 「愛…?」 男はイブの言葉を小さく復唱する。だが、すぐに馬鹿馬鹿しいと首を振り、高笑いを始めた。 「下らん!そんな物はなくとも生きていける。金さえあれば生きていけるんだ!母親など、父親などいなくとも、生きていけるのだ!なのに…何故だ?」 「…えっ?」 男の血走った目がイブを睨みつける。 「なのに、何故だ?あの子供たちは異種族であるはずの貴様を母親と呼び、金にもならんのに、自ら危険を冒してまで貴様を助けに来た!?」 「…どういう意味?」 気絶してしまった後のことをイブは知らない。ただ、あの子たちが無事であることを祈るしか出来なかった。自分が気絶した後、一体何があったのだろうか? イブはそれを聞こうとしたが、男は頭を押さえて、何故だ、何故だと取り乱すばかりだった。 もはや、イブは男に怯えてはいなかった。むしろ、男のことが可哀想だと感じていた。きっと、この子も…。 そんな時、慌ただしくこちらへと向かって来る複数の足音が聞こえて来た。 「た、大変です!午前中のガキとあなたが言っていたであろう用心棒が屋敷に侵入しました!」 「はぁはぁ…。そうか、スレイが来たか…。分かった、すぐに向かう。お前たちは先に行け」 兵士たちが去っていくと、男は乱れた呼吸を落ち着かせ、上着を着なおす。そんな男にイブは告げた。 「お金じゃ買えない物も、この世にはあるのよ…?」 男は恨めしそうにイブの方を向き、口を開きかけたが、すぐに口をつぐみ、階段を上って行った。 ◇ 「ご、ごめんなさい」 「気にするな。遅かれ早かれ見つかってしまったさ。それより、足は痛いか?」 「ううん、平気」 スレイはレオを抱き抱えながら、屋敷内を駆け回っていた。元々はこっそりと潜入するつもりだったのだが、レオが転んでしまったために見つかってしまった。レオの足の傷はこの時にできた。 「いたぞ!」 「ちっ、こっちも駄目か!」 急に曲がり角から現れた兵士たちに、スレイはマントを翻して道を変える。このままではいつか挟み撃ちになってしまう。そのことは分かっていたが、余計な争いは可能な限り避けたかった。それに、幼いレオに見せるにはあまりに酷なものがある。 兵士たちを避けながら縦横無尽に屋敷内を駆け回っていると、会いたくない人物の顔が見えてきた。 「来たな、スレイ」 「クラーヴェ!イブは何処だ!?」 「あの蛇ならばこの先の地下牢だ。だが、貴様を通すわけにはいかん」 言うが早いか、クラーヴェは腰に携えていた剣を鞘から引き抜く。 「止むを得ないか…。レオ、お前はイブを探し出して、上手く逃げ出してくれ」 「で、でも、スレイお兄ちゃんは…?」 「心配するな、必ず俺も戻る。だから、お前はイブ見つけてくれ。いいな?」 「…うん!」 一瞬躊躇ったレオだったが、頬からスレイの手を通して勇気を得たのか、力強く頷き、クラーヴェの横を抜けて、母の元へと走って行った。 レオ一人に重責を背負わせるべきでないことはスレイも理解していた。しかし、そんなことを言っている場合ではない。今は自分の命さえ守れるか怪しいのだから。 「…あくまで、狙いは俺のようだな?」 「私に子供を殺す主義はない。なぁ、スレイ、貴様があの者たちに肩入れする理由は何だ?」 「…」 あまりに意外な質問にスレイは答えることが出来なかった。そして、考えてみれば確かに何故こんなにも彼らに肩入れしたがるのか、自分でも分からなかった。ただ、何となく答えるとしたら。 「あの子たちが俺たちに似ていたからだ。もちろん、違う部分もあるが…」 「似ている?」 「ああ、あの子たちはみんな捨て子だったらしい。それをあのイブが誰一人見捨てることなく育ててきたらしい」 「同じ孤児だった…だから、貴様は金にもならん子供のお守りをするというわけか…。愚かな…!」 来たか! 一瞬で間合いを詰めて横に切り裂くクラーヴェの攻撃を、スレイはマントさえ切らせずに回避すると、すぐさまクラーヴェの喉元目掛けて靴の底を近づける。しかし、その攻撃は何の手応えもなく空を切る。 「貴様の攻撃など当たりはせん!」 スレイとクラーヴェ、過去に十回殺し合いをした二人は、互い手の内を知り尽くしていた。それは別段、どちらがどちらを憎んだからではなかった。ただ、依頼主が違った、それだけだった。逆に言えば、依頼ならばたとえ知り合いだろうと手にかける、そんな非情さが二人にはあった。 ◇ 「ママ…?」 聞きたかった声にイブが顔を上げると、そこには心配そうにこちらを見つめるレオが立っていた。 「レオ!?どうしてここに…!?」 うわずった声で尋ねてくるイブに、レオはしぃと静かにするよう促した。 「どうしてここにいるの?」 「ママを助けに来たんだよ」 「無理よ…!誰かに見つかったら危ないから、早く帰りなさい…!」 「嫌だ…!」 「なんであんたはいつも私を困らせるの…!?」 イブの悲痛な叫びに、鉄格子を揺すっていたレオの手が止まる。 「…僕ね、ママのこと大好きなんだ。だから、ママのことを助けたいって、スレイお兄ちゃんに無理言ってここまで連れて来てもらったんだ。ママは僕のこと…ううん、嫌いでもいい。僕はママのことが大好き。だから、ママのことを助けたい。それでママに嫌われたって、ママが居てくれれば、僕はそれでいい!」 「レオ…」 本当に聞き分け悪い子。 でも、何故かイブの目からは大粒の涙が溢れ出し、止めることが出来なかった。本当ならば、愛しい息子をこんな場所からすぐにでも出て行かせるべきなのに、話しかけることはおろか、上手く声を出すことすら出来なかった。 「ママ、待っててね。何か道具があれば…」 「こんなとこでな〜にやっているんだ〜?」 今まで忘れていた恐怖が背筋から蘇ってきた。レオがゆっくりと振り返ると、そこには怒りに顔を真っ赤に染めた、あのデブな貴族が立っていた。 ◇ 「ハッハッハッ!!これまでの勝敗は七対三で私が勝っていた!これで八勝目だなぁ!」 手の内を隠すために着ていたマントは、すでにその効果を発揮していなかった。それでもスレイがそのマントを外さないのは、そんな時間さえもクラーヴェが与えないからだ。 隠し持っていた二つの剣でクラーヴェの攻撃を弾き、スレイは一旦距離を置く。 「はぁはぁ…。そんなにも金が大事か!?」 「それ以外に、この世を生きていくために必要な物があるのか!?」 衰えることのないクラーヴェのスピードに、スレイはなんとかついていく。だが、その剣を受け止めるだけで、切られた箇所から血が吹き出て、スレイの体を赤く染めていく。もっとも、それはクラーヴェも同様で、真っ白だった彼の貴族服はすでに赤の割合の方が多くなっていた。 「貴様の両親とて同じはずだ!金欲しさに貴様をあの奴隷商人に売りつけたのではないのか!?」 「彼らには彼らなりの幸せが欲しかっただけだ!全ての人間が金だけを求めて生きている訳じゃない!もっと、世界を広く見ろ!」 「歳下の貴様に何が分かる!?所詮この世は金だけが全てなのだ!父、母が私にそれを身を以て教えてくれたわ!」 「過去に囚われるな!貴様が生きているのは今のはずだろう!」 「黙れ!」 クラーヴェの放った突きが、スレイの脇腹を掠める。痛みに顔を歪めるスレイは膝をつくが、息を整えながらクラーヴェに向かって叫ぶ。 「クラーヴェ、貴様だって見たはずだ!レオは、あの子は、産みの母親でもないのに、お金になるわけでもないのに、イブを助けにここへ来たんだぞ!貴様の言う通り、金がこの世の全てなら、あの子は何故ここへ来た…!?」 「それは…!」 スレイの問いにクラーヴェは答えることが出来なかった。そんなクラーヴェをスレイはじっと見つめる。 似た者同士のはずなのに、何故こうも奴は強いのか…。クラーヴェには疑問だった。 物心ついた頃、無理やり奴隷商人へと売りつけられたクラーヴェは、何故自分が両親に売られたのかを考えた。あんなにも抱きしめてくれた母が、あんなにも微笑みかけてくれた父が、何故…? その答えは皮肉にも、馬車の中から見えた、奴隷商人に渡された金を、増えるはずもないのに、何度も数える両親の卑しい姿が教えてくれた。 そうか、金か…。金がこの世で最も大事な物なのか…。 スレイも同時期に同じ奴隷商人に売られた身であったが、彼の場合は、産んだ親の顔さえ覚えていないほど幼かったことが幸いし、クラーヴェ程の精神的な傷害を負わずに済んでいた。 だが、クラーヴェの価値観は壊れかけた。 「侵入者がいたぞ!」 さすがに時間をかけ過ぎた。スレイを見つけた兵士たちがぞろぞろと別の部屋から現れ、取り囲んでいく。そんな中、近くにいた兵士をクラーヴェはなんの躊躇いもなく斬り、怒鳴りつけた。 「邪魔をするな!」 「仲間を斬るとは…!?もはや我慢ならん!この男も殺してしまえ!」 兵士たちはクラーヴェにも武器を構える。 「ゴミ共風情が…!私に勝てると…くっ…!?」 剣を構え直そうとしたクラーヴェを酷い目眩が襲う。もはや、満身創痍の二人に、大量の兵士を相手にする余裕はなかった。 「クラーヴェ!」 「ちっ、今仕方ない…!」 スレイが叫ぶと、クラーヴェは上着を宙へと投げた。当然、兵士たちの視線はその上着へと向く。その瞬間、その上着が激しい閃光を放ち、周囲の人間の目を眩ませた。 スレイはクラーヴェが閃光弾を持っていることを知っていた。そのため、合図として名を呼んだのだ。 兵士たちの視力が回復した頃には、すでに二人の姿はなかった。 ◇ 「もう止めて!お願いだから、その子を傷つけないで!」 地下牢全体にイブの叫びがこだまする。だが、男は倒れたレオを蹴るのを止めようとはしなかった。 「黙れ!僕の眠りを邪魔した上に、こいつは朝、僕に包丁なんか向けやがったんだ!こんなもんで済むと、思うなよ!」 もはやレオに意識はほとんどなかった。痛みこそ感じるが、手足を動かすことは全く出来ていなかった。 痣だらけになっていく息子を、イブはただ傍観していた訳ではない。無論、男を石に変えようとしたが、結果から言えば、それは果たせなかった。何故なら、イブの手を縛り付けている手錠には、魔力を封じる力があったからだ。それを知らないイブは、まさに血眼で男のことを睨むしかなかった。 「はぁはぁ、見てろよ!」 男は倒れたレオを大の字にさせると、その細い左腕の根元に、肥え太った重い足を乗せた。 「一本、一本、両手と両足の骨を折ってやる!」 「止めて!」 「嫌だね!ほ〜ら、折れろ!」 男が振り上げた足を一気に下ろそうとした。 ぐしゃ…。 そんな音を立てて、男の足が地面に着地し、男の体は倒れ込んでいた。 「あれ…?」 何故自分が倒れ込んでいるのか、男はすぐに理解出来なかった。ゆっくりと体を起こすと、下敷きにしたはずのレオはおらず、そこにあったのは身に覚えのある、高貴な靴を履いた足だった。 男の顔から血の気が引いていく。震える手で、有るであろう自身の足へと手を伸ばす。しかし、その右手が右足に触れることはなかった。 「レオ、大丈夫か!?」 スレイはレオを抱き抱え、顔についた血や泥を拭き取る。すると、腫れ上がって上手く目が開けられないのか、レオは薄く目を開けた。 「…ママは…?」 「大丈夫だよ。済まない、こんな痛い思いをさせてしまって…」 「ううん…。これくらい、へっちゃらだよ…」 「そうか…。強いな、レオは」 えへへ、と笑うレオの頭を撫でると、スレイは片腕で剣を抜き、鉄格子とイブを捕らえている手錠を破壊した。 礼を言われるとは思っていない、むしろ平手打ちが飛んで来ても文句は言えない。そんな覚悟でいたスレイだったが、まさか鉄拳が飛んでくるとは予想していなかった。 「どうしてレオを連れて来たの…!?」 「…済まない。俺の判断不足だ」 「死んでたかもしれないのよ!?」 「…ママ。お願い、スレイお兄ちゃんを嫌いにならないで…」 レオは痣だらけの腕をイブへと伸ばし、力なくその手を掴んだ。 「僕のことは嫌いになってもいいから…お願い…」 「レオ…。分かった。でも、あなたのことも嫌いになんかならないから、安心して、ね?」 涙を拭いながら、精一杯の笑顔で微笑むと、レオも安心した様に微笑み返し、規則正しい寝息を立て始めた。 「どうやら、終わったようだな?」 男の首に剣を突き刺し、その背中に座っていたクラーヴェが、傷の痛みに耐えながら立ち上がった。 「ああ、早くここから出よう」 「そのつもりだが、今後のことに少々考えがある。私も貴様たちについて行くぞ」 「…構わないわ。早く帰りましょう、この子の手当てがしたいわ」 イブがクラーヴェの同行を許すとは、スレイにしてみれば意外だったが、今深く考える時間はなかった。 ◇ 「お帰りなさい!」 扉を開けると、食堂でココアを飲んでいたレイアが一人出迎えてくれた。 「れ、レイア…!?まだ起きていたの?」 すでにみんな寝てしまっていると思っていたイブは驚き、つい何時ものような言葉を発してしまう。すると、花が開いたように嬉しそうな顔をしていたレイアの顔が、どんどんと曇っていく。 「あっ…ごめんなさい、すぐに寝ます…」 「ま、待って!レイア!」 早々にコップを洗い、部屋に戻ろうするレイアを、イブはその手を掴んで止める。 「こんな遅い時間まで起きて、待っててくれたの?」 「…うん。いつ帰って来ても、良いように…」 レイアの指さす先を見ると、そこには鍋が暖炉の火に掛けられていた。 「レイアが作ってくれたの?」 「…ママが作るのみたいに、美味しくないけどね」 「そんなことないわよ。きっと、とても美味しいはずよ。ありがとう、レイア」 自嘲気味に笑うレイアを、イブは優しく抱きしめた。その時になって、やっと、レイアの手もイブの背中へと回された。 「ママぁ…。良かったよぉ…ほんとに無事で良かったよぉ…」 「ごめんね、心配かけて。みんなを守ってくれて、本当にありがとう…」 子供たちを寝かせ、ある程度の傷の手当てをし終え、イブとスレイはクラーヴェと向き合うようにして食堂の椅子に座った。 「単刀直入言おう。ここにいる子供たちはみんな売るべきだ」 「ふざけるな!お前はまだ金が大事なのか!?」 「待て、誰も奴隷商人に売りつけるとは言っていない。里親を見つけるべきだと言っているんだ」 愚か者めと、鼻を鳴らすクラーヴェに、スレイは持ち上げかけた腰を仕方なしに下ろした。 「なぜ里親が必要なの?」 「逆に聞くが、このままこんな生活を彼らにさせるつもりか?ここには金がない。そのために、十分な食料も、教育もない。そんなところで育った子供に何が出来る?」 「それは…」 イブは反論しようとするが、クラーヴェの言っていることは非の打ち所がないほど正論だった。それに、元々里親についてはイブも考えていたことだった。するべきことなのに、子供たちと離れるのが嫌で、先延ばしにしてきたにすぎない。 「顧客の方は私が集めてこよう。報酬は半分ずつだ」 「勝手に話を進めるな!イブは承諾なんか…」 「スレイ、いいの。里親に関しては、前から考えていたことだし。頼めるかしら?」 「顧客の質は保障しよう。では、詳しいことが決まったらまた来よう」 さすがに疲弊しているのだろう、重い足取りで出て行くクラーヴェを見送り、スレイが戻って来ると、イブは自分の手を枕代わりにして眠っていた。 このままの生活を続けること、それが意味するのは、ここ以外の世界を知らずに大人になってしまい、ここ以外では暮らせなくなってしまうということだ。スレイはクラーヴェの言っていた意味を今頃になって理解した。 金に固執する男ではあるが、一方でその金を稼ぐために必要な学も彼は備えている。おそらくは彼の言っていることは正しく、子供たちにとってもいいことだ。だが…。 スレイは起こさないよう、ゆっくりとイブを抱き上げると、その目から頬にかけて、湿った一筋の道を見つけた。 だが、それはお互いに最愛のものを無くすことを意味するのではないだろうか? ◇ レオとスレイの傷がだいぶ癒えてきた頃、クラーヴェは再びイブの元を訪れ、十五枚の紙を手渡した。 「これは?」 「顧客の資料だ」 紙には氏名、年齢、職業などが表面に、なぜ子供が欲しいか、その理由が裏面にびっしりと書かれていた。 「といっても、お前たちが出来るのは資料に目を通すことだけだ。今更破棄になどさせん」 「…こっちもそのつもりはないわ」 目の下に何重ものクマを抱えたイブは、表面などほとんど読まず、紙に穴が空くのではないかと心配になるほどの眼力で、裏面を凝視していた。 「…貴族がいるみたいだが?」 イブが見ていない資料を眺めていたスレイが尋ねる。貴族の全てが悪い人間だとは思わないが、今回の一件もあり、慎重にならざるを得なかった。 「心配するな、全ての顧客には会って、周辺の評判も聞いてきたうえで、その中から厳選した。そう悪い者が混じるとは思えん」 クラーヴェの言い分にスレイは納得した。元々、自分と同じように親に売られた経験がある彼は、人を見ることに関しては慎重なはずだ。 全ての資料にイブが目を通したことを確認すると、クラーヴェは立ち上がった。 「受け渡し日は書かれている通りだ。その日の午前中には客をここへ届けよう」 「…わかったわ。ありがとう」 「ふっ、これも金のためだ」 金のため、あくまでその主義を譲らないクラーヴェを見送ったスレイは、目頭も揉むイブに一つの提案をした。 ◇ 一人、また一人と、日に日に食卓を囲む人数が減っていくことに、私は、本当の母親でもないのに、胸に穴が空くような、大きな損失感を感じていた。子供たちもそうなのか、いつもワイワイと喋り、食事が遅い子も、最近は黙って食べている。 スレイの提案はある意味、悪魔の囁きだった。彼が私と子供たちのことを思って言ってくれていることは分かる。でも、たった一晩、受け渡し日の前日の夜、一緒に眠ることがどれだけ辛いことか、彼には分からない。 嫌だ、嫌だと泣く子もいれば、今までの楽しかったと、思い出話をしてくれる子もいた。でも、みんな決まって、私のことを大好きだと告げてくれた。 本当の母親でもない、決していい母親でもない、こんな私を。 本当は別れたくなどなかった。里親なんて見つからなければいいと思っていた。でも、そんな身勝手な想いは、この子たちをダメにしてまう。堪えなければいけない、耐えなければいけない。 でも、無理だった。 どんなに心を殺しても、里親に手を繋がれるあの子たちを見ると、勝手に涙が溢れ、連れて行かないでと叫びたくなってしまう。だから、私は部屋に閉じこもり、あの子たちの引き渡しをスレイに任せた。彼は快く引き受けてくれた。 どうしてママは来てくれないの? そんな声が、窓から覗いていると聞こえてくるような気がした。本当にそう聞いているかは分からない。けど、何度も何度もスレイ叩き、泣きながら塔を見上げる子たちの姿は、そう見えてもおかしくはなかった。 ベッドに座り、街の明かりを眺めていると、小さく扉をノックする音が聞こえた。そして、私が答えるよりも早く、扉がほんの少しずつ開いていく。 「まだ、何も言っていないわよ?」 「あっ…ご、ごめんなさい」 おずおずと顔を覗かせたレイアは慌てて引っ込んだ。 こういう小さなところで生真面目なレイアは本当に可愛らしい。きっと、気の利くお嫁さんになるわね。 「ふふっ、良いわよ。入っておいで」 私がそう告げると、扉は再びゆっくりと開き、今度はレオが顔を覗かせ、レイアと一緒に入って来た。 二人は明日、ここから出て行ってしまう。あのクラーヴェも日程をずらすよう頼んだらしいが、どちらも忙しい家庭らしく、迎えに来れるのは明日以外にないらしかった。 本当は一人、一人と話をしたかったが、それはこちらの身勝手な希望ゆえ、仕方がない。 二人は私を挟むようにベッドに腰掛けると、借りてきた猫の様に、大人しく、何も言わなかった。私はそんな二人の頭を優しく撫でる。 「本当に大きくなったわね…。あれから、十年くらいが経ったかしら?あなたたちは同じ日の夜に拾ったのよ?」 「…そうなの?」 「ええ、人が寝ているのに、あなたたちはずっと泣き続けるんだもん。寝てなんかいられなかったわ」 あの時、初めて見る捨て子に、私は戸惑った。しかも、同時に二人も捨てられていたため、パニック寸前だった。なんとか、知識だけの抱っこで二人をあやし、寝かせた私は二人をどうするか悩んだ。教会などに連れていくべきなのか、あるいは、別のところに連れていくべきなのか。しかし、時刻はすでに真夜中、今でなくても、明日にでも。 そう思ってしまったのが、いけなかった。 「朝起きて、二人を見たら、本当に可愛い顔をして眠っていたの。それから、かな。あなたたちを育てようって思い始めたのは」 「…ママは後悔してる?」 レイアの問いに、私はしっかりと首を横に振った。 「後悔なんかしてない。自分勝手かもしれないけど、私はあなたたちと暮らせて、本当に良かったと思ってる。むしろ、あなたたちに嫌な思いばかりさせてしまったわね。ごめんなさい」 「ううん、スレイお兄ちゃんが言ってたよ。ママが怒るのは、僕たちのことを考えているからなんだって」 「ありがとう…!」 にっこりと微笑むレオに、私はぐっと涙を堪えた。この子たちの前で涙を流すことは許されない。情けない姿を見せるわけにはいかなかった。 「ママ、あたしね…。ママのこと忘れないよ。ママは、あたしの本当のママなんだから…。絶対、絶対…!」 「僕も絶対に忘れない!」 「あなたたち…!」 ベッドから降り、二人を抱きしめると、私は大声で泣いた。でも、どれだけ泣いても、涙が枯れることなく、止めどなく溢れてきた。そんな涙を二人は優しく包み込んでくれた。 大好きよ…。 愛してる…。 私の可愛い子供たち…。 ◇ 「パパ!ママ!早く!」 小さなメデューサが手を振る。その視線の先には、顔に傷のある優しげな男と、麦わら帽子を被ったメデューサが、その手にランチボックスを持って歩いていた。 「たまには良いわね。こんな風に外でご飯を食べるのも」 「そうだな。風が気持ちいい」 男の言葉に、メデューサも頷いた。初夏の様な気温ではあるが、この風のおかげで決して不快ではない。 ふと、その風に撫でられるままに、街のある方向へとメデューサが顔を向けると、何隻かのボートがこちらへ向かってくるのが見えた。 その何隻かある内のボートの一つに、金髪のたくましい青年と、銀髪の可憐な女性が乗っており、二人は目一杯メデューサと男に手を振っている。 「もしかして、あの子たちが来るの、知ってたの?」 メデューサの問いに、男は苦笑いを浮かべた。 「まぁ、いいわ。おかえり、みんな…」 18/08/06 10:55 フーリーレェーヴ
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読んでいただきありがとうございました。
母の日記念ということで、急いで書き上げたため、誤字脱字、おかしい表現が多かったかと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。 |
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