連載小説
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伍項:夕餉と月見酒
上の階から聞こえる賑やかな宴会の声。
私は燭台に明かりもつけずに部屋の隅に蹲っている。

あの後、続々押し寄せる狐の群れに軽い眩暈を感じた私は部屋へと引き返した。
そして長らく使っていなかった煙管を取り出すと火を付け、その煙を深く吸い込み何も考えぬ儘今に至る。

部屋には私の他に女がいた。
耶麻が忙しい為か、変わりに夕餉をあの白い髪の女が運んできたのだが
煙を燻らせるだけで ぼぅっとし続ける私が料理に手を付けないでいると、自らも無言で座り続けている。

この女はまだ一言も言葉を発していない。それが逆に今は助かった。これが耶麻だったら
私は言いようのない思いを鋭い言葉でぶつけたかも知れない。

女は外見も居住まいも人にしか見えなかった。
いや、他の誰もがそうであるように人であってほしかった。
この女も獣なのだろうか?それとも別の何かなのだろうか。
こんなにも、綺麗なのに。


私の視線に気付いた女がこちらを向く。不思議と怖くなかった。
それが何故なのか私は気付いていたが、それを飲み込めるだけの余裕が今は無かった。でも

「上の階は騒がしいな。忙しいんじゃないか?」
「…えぇ」
「女将さん達だけじゃ手が足りないだろう」
「えぇ」
「ご飯…ちゃんと食べとくから。冷えても美味しいんだろう?」
「えぇ」
「だから、もう行っていいよ」

私との短い初めての会話を終えて女が立ち上がった。
「ありがとう」
私は後姿の女にそう声を掛けて箸に手を伸ばした。

「うん。美味い」
火鉢を焚いて温かくなった簡素な客間で喰う冷えた夕餉は耶麻のいう通りやはり美味かった。



夜半を過ぎた頃だろうか、腹を満たした私は厠に立った。
あれだけ騒がしかった宴会騒ぎもすっかり聞こえなくなっている。
用を足した私が階段下を通る時冷えた風が入ってきている事に気付いた。
見上げると窓が開いている。

私は周囲に誰もいないのを確認すると一段一段上っていく。すると窓辺に誰かがいた。
空から はらはら落ちる雪を眺めながら酒を飲んでいる。

「君、僕に用かい?」
そこに狐の…琥珀色の髪をした青年がいた。私に話しかけた最初の狐だ。
刹那躊躇したが私は彼に話しかける。

「…何を…しているんですか」
「ふふ。野暮な問いかけだねぇ。月見酒だよ」
ほら、と徳利と御猪口を見せる。なにやら上機嫌である。
「君は人間だろう?」
「な!?」
「安心しなよ。とって食ったりなんかしないさ。僕もこの旅館の者もね。
 まぁそんなの君はとっくに気付いてるだろう」
見透かされている。そう直感した。ならば

「一つ聞きたい事があります」
「なんだい?」
「この旅館の人たちも貴方と同じ狐ですか?」

青年は笑った。
「違うよ。狐は僕等客だけだ。勿論皆、人ではないが。まぁ…ここから先は僕の口からは一寸」
「何故です?」
「強いて言うなら君が自ら知るべきことだから哉?」
「私が…?」
「そう。おや、こりゃまた吹雪いてくるな。そろそろ広間に戻らないと。君も部屋に戻りなよ。
 いや、まったく楽しい邂逅だった」

彼が去った後も私は暫く窓辺で外の景色を見ていた。
今し方話した相手は狐で、旅館の者も皆人外。
ふふ。私は一人笑いをこらえる。

どの道、夜が明けるまでここから出られない。あたふたしても仕方がないのだ。
それに何より、例えこの旅館の従業者が人外であったとしてもそれが何なのだ?

悴んだ手を温めてくれた耶麻も、気を失った私を二度も運んでくれた青老人も、廊下で注意を促してくれた女将も、優雅に月を肴に酒を飲む青年も、人となんら変わらぬではないか。
恐れる事などなにもない。

心の閊えが取れた私はようやっと開け放した窓を閉めると部屋へと引き返す。
夕餉の盆はいつの間にか片づけてある。あの仲居がかたしてくれたのだろう。

裸足だった為か冷えて足先の感覚が無い。
私は急いで敷かれた布団に入るとそのまま眠りに落ちた。
11/12/04 11:49更新 / ピトフーイ
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