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第四章 怠惰の勇者:前編
 あ、さて! あ、さて! さては南京玉すだれ! ……っつっても、さすがにこの国の連中にゃ分かり辛いか。見た感じ反応薄いし。この街はジパング系の魔物娘も多いからイケると思ったんだがなぁ。

 まあいいや! さてさて、この街で本当にあった話もようやく折り返し! 教国から放たれた帰らずの鉄砲玉も残すところ、後四人!! 果たして王国は、そこに住む魔物娘は、勇者と教国の魔の手より逃れることが出来るのか!?

 ま、俺らがこうして暮らしてるのが既にネタバレみてえなもんだけどな。けど、ンなこたぁ関係ねえ! ここにこうしてお集まりになったってこたぁ、皆さんお話の続きが気になるんだろう? だからここへ来た。違うかい?

 ならば聞かせましょう! さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!! 

 七人の勇者も遂に四人目! 詐欺師、狂信者、人たらしと続いて、お出ましになるこいつは一体何者だ!? ヤバいのか? メンドいのか? 厄介なのかぁ? それとも全部か!? 七人の中で最大の謎に包まれた勇者がついにそのベールを脱ぐ時が来たぞ!

 タイトル!! 『怠惰の勇者 〜あるいは人見知り鍛冶屋のお話〜』!!

 はじまり、はじまりぃ〜!





 その男は、穴蔵に住んでいた。どこかの地面をくり貫いて作った地下室、そこが己の終の棲家と言わんばかりに男は生活に必要な全てをこの暗闇に置いていた。穴蔵で目覚め、穴蔵で食い、穴蔵に眠る。もうそんな生活をずっと続けていた。

 だが穴の中は生活の品よりも、男の仕事道具で埋め尽くされていた。記録用の羊皮紙、実験機材のフラスコ、何やら得体の知れないサンプルを封じたガラス瓶、闇の中で妖しく光る謎の植物、火にかけてないのに泡立つ液体、用途どころか名称さえ不明の器具が散乱し、男の生活圏は部屋の隅に僅かに設けられているだけだった。

 「起きて半畳、寝て一畳」という東方の言葉の通り、男は来る日も来る日も自分の仕事を第一優先し、生活は必要最低限ギリギリに留めていた。大陽の光も殆ど浴びず、これで何の病にも罹らないのだから世の中不思議なものだ。

 だが更に不思議なのは、こうした地上の俗世とは縁を切った世捨て人な暮らしをしているにも関わらず、男の元へ会いに来る者が一定数いるということだ。

 「ごめんください」

 地上から続く階段を降りた来訪者が、羊皮紙に難解な数式を書き込む男へと近づく。

 客人はゴーレム、名をエステル。かつてこの男に命を吹き込まれ、今は七人の勇者の一角であるクリスと共に活動を続けている。古巣であるここへ帰ってくるのも久方振りだが、彼女の生みの親は相変わらず外で起こっていることに興味はないようだった。

 「お元気そうですね」

 「うむ」

 「今日はお願いしたいことがあります」

 「うむ」

 久しぶりに会った相手にも切って貼ったような返事しかしないが、男は元からこういう性格なので仕方がない。これでも話はちゃんと聞いていたりする。

 「わたしのルーンからマスター設定を外すことはできますか?」

 「不可能である。何故そんなことを聞く」

 「いえ……一身上の都合で」

 「そうであるか。貴様も知っての通り、ゴーレムとは仕えるべき主に従うようになっている。マスターが誰かを刻まなければ、貴様らは動く事すら出来ないのである。よってマスター設定を外せば貴様は停止する」

 「そうですか」

 「そもそも、マスター変更ではなく解除とは……。一体何の心境の変化であるか?」

 「いえ……」

 「ふむ」

 言いよどんだエステルの気配を察し、男もそれ以上の追及をやめた。というより、全てを察してのだろう。

 彼女がこうなるようお膳立てしたのは、他ならぬ男自身なのだから。

 「マスター設定を解除することはできない。だが、それをエステル、貴様自身に変更することは可能なのである。貴様自身がマスターとなり、己に命令を下すのである」

 「そんなことが……」

 「可能である。主を失った野良ゴーレムを十数体捕獲し、解体し、実験し、研究した。少し変則的な術式にはなるが、まあ何の問題も無い。元からこうなる事も想定して貴様の体は作られている」

 エステルの左腕を取り、そのルーンに指先が触れる。

 「案ずるな。いずれ魔道を極めるこの我輩、『イルム』に手違いなど起こらんよ」





 七人の勇者唯一の魔術師、イルムという男は謎に包まれている。彼は勇者になった時期こそ他の六人と同じだが、実際はそれ以前より教会に出入りし、教国公認の魔術師として今回の作戦立案にも深く関わっていた。

 被造物のエステルと同じぐらい大陽に焼けた浅黒い肌と、墨に浸けたような黒い髪……身体的特徴が示すのは、教国周辺の民族ではないということだけ。異民族、それが白い肌の人間が多い教国で、国家の支援を受ける魔術師という異色の経歴。調べれば調べるほどこの男の素性は霧の中に隠れる。

 そんなイルム、七人の勇者に名を連ねているが、彼が表立って動いたことはただの一度も無い。同じ裏方のトーマス、ゴードン、クリスが曲りなりにも王国の影で暗躍しているのに対し、彼だけはそう言った特定の任務を請け負っていない。日がな一日地下の研究室に篭って何やら怪しい実験を繰り返しているだけなのだ。

 だが全く協力してないわけではない。魔術師であるイルムは自らマジックアイテムを作成し、それを他の六人に譲渡している。トーマスには防御マントを、ゴードンには爆薬仕込みの義足を、クリスにはゴーレムのエステルを。これらは全て魔術と錬金術を修めたイルムによるオーダーメイド、専用品なのだ。

 とは言え、それらは彼の本命の片手間に作られた物、趣味の一環でしかない。

 「ああ、あの二人の装備の予備を出しておかないと……。いや、ちょうどいい、あそこに行くついでに届けるのである」

 この日、イルムは実に一ヶ月振りに地下研究所の外に出る。時刻は昼前、自作の遮光グラスを装着して日差しを防ぎ、霊木を削って作ったという杖を持ち、背中にはトーマスとゴードンに届ける装備の他に必要な道具一式を仕舞い込んだ箱を背負い、彼は日の下に足を踏み出す。

 イルムの研究所は王都の外れ、都市を囲う城壁に近い場所に構えられたあばら家にある。最低限の雨風を凌げればいいと乞食同然に暮らし、生活に掛かる金は七人の中では最低に位置する。あくまで生活は、だが……。

 「ここは日差しが強すぎるのである」

 年中夜行性な生活をしていることを棚に上げ、遮光グラスの奥が恨めしそうに太陽を見上げる。一歩動くたびに背中の道具箱がガチャガチャと音を立て、取り過ぎる者からの耳目を集める。

 「おい、珍しい顔があるな」

 「ほんとだ。魔導師さま、何してるだか?」

 街の中心に近い場所、王宮から真っ直ぐに伸びる大通り。そこで話し掛けてきた人間二人をイルムが見やると……。

 「よお、引き籠り。こんな王都の中まで出て来るなんて珍しいな。しかも真昼間、こいつは明日は槍が降るな」

 「月一の顔見せ会はまだだよ? とうとう時間の感覚まで狂っちまっただか?」

 「貴様ら、それがわざわざ装備を届けに来た我輩に対する態度であるか」

 憎まれ口を叩きあう男三人、別に不仲ではないが特につるむわけでもない。こんな程度は序の口だ。

 「立ち話もなんだ、そこで一杯ひっかけるか」

 「二人でやりたまえ。我輩はこれから向かうところがあるので、後は貴様らだけで楽しむといいのである。これは例の予備である。今度はそうほいほいと失くしてくれるな」

 「どーも! つっても俺っちら、魔道師さまに用があるんだな。つい数日前にクリスから手紙があっただよ。『ひょっとしたらもう二度と会えないかもしれないから、代わりの人員を見繕っておいてほしい』って」

 「あの万年陽気なたらし野郎が遺書を書くとは思えないが、一応気になった。お前なら何か知ってると思って顔を見るついでに聞こうとな」

 「問題ない。クリスならついこの間、南の港町から帰ったのである。我輩のゴーレムが傍にいるから分かる」

 「あ、そう。ならいいや。聖女さまの塗り薬買って帰るだ」

 「俺もこの後商談だ。おいイルム、お前はもう少し金遣いを抑えろ。お前一人で俺達の活動費を四割も割いているんだぞ」

 「当然である。我輩の研究は貴様らのカスの小間遣いと同列に扱ってもらっては困る。ではな。しばらく我輩は王都を離れるので、連絡はしてくれるな。ああ、ゴードンよ。次会うまでにシャムエルの羽根を二、三枚採っておくのである。ダークヴァルキリーの羽根はなかなかお目にかかれんのでな」

 そう言ってイルムは来た道を戻る。杖を突き、背中の荷物をガチャガチャと鳴らし、今度は王都の外へと向かうのだ。

 「相変わらず、何を考えているのか分からん奴だ」

 「だな〜。でもまあ、悪ぃ奴でもなさそうだし」

 「お前は阿呆か。ああ言う自分の世界を形成して生きている奴は可能な限り距離を置くに限る。話が通じないというのは、言葉が通じない以上にトラブルを発生させやがる。それに奴は魔術師、この街を一瞬で焼く手段を持っているような相手と仲良しこよしは出来ないな」

 自分たち勇者は総じてあの穴蔵の魔術師を警戒している。七人の中で魔術の心得があるのはイルム唯一人、あとは知識として知っていても技術的に対抗できるかと問われれば口を噤むしかない。手の内が分からない、真意が掴めない、得体が知れない……こういうのは最も警戒し、そして近付かないこと。確実に殺せる算段が付かない限り関わらないこと。

 だが……。

 「それでも、『あいつ』に比べりゃずっとかマシよ」

 「んだな、違ぇねえ」

 イルム以上に恐ろしい存在がいるからこそ、当のイルムを含む六人は結束していられる。

 最強の存在、『七人目』。

 彼の者、この時未だ王都には不在なり。





 不摂生が目立つイルムだが、半年に二度か三度、彼自ら訪れる場所がある。王都を出て行商の馬車などに相乗りし、街道をそれたあぜ道を野宿と移動を繰り返し七日間、田舎の田園風景すら通り越した秘境の一歩手前の山間にある小村にやって来る。

 だがそこから更に山に向かって歩く。獣道を過ぎ、小川を越え、やっと辿り着いたのは山小屋らしき小さな建物。だがここは山小屋ではなく、ちゃんと人が住んでおり、しかもその者の仕事場にもなっている。

 「我輩だ、イルムである。今日は約束の期日ゆえ、直々に参ったぞ。早く出迎えよ」

 もう既に何度も会って顔も知っている相手に対し、不躾な上から目線で呼び出す。あまりに堂に入った物言いに一流の役者か何かと勘違いしそうだが、イルムはただ単に自分以外を見下しているに過ぎず、この物言いは芝居でも演技でもない彼のナチュラルな姿勢なのだ。彼は本気で、自分以外の全ては等しく価値が低いと考えている。

 「おい、客をいつまで待たせるのであるか。早く出て来るのである」

 いつもなら呼び出して十秒以内に出迎えるはずの相手が、何故か今日に限ってなかなか姿を見せない。初めは大人しく待っていたイルムだが、次第にイライラしてきたのか指先を弾くと、そこに炎が灯る。

 「あと五秒で出て来なければ煙突から火を放って、貴様もろとも家を焼く。ごーぅ、よーん、さーん……」

 「ま、待って……!」

 その時イルムの背後から弱々しいかすれる声が聞こえる。

 「やっと出て来たか、このノロマめ」

 「ち、ちがっ……! ちょっと……これを、ね?」

 振り向いた先には右手に刃物を、左手には首を刎ねて血抜きした野鳥を持った少女が一人。獣皮を加工してあつらえた衣服を身に纏い、枯草を編んで作った履物を履いた、まるで猟師のような格好をしていた。実際野鳥はすぐそこの林で罠を仕掛けて捕ったもので、一目で彼女がこの山小屋の主だと分かる姿だった。

 しかし、少女の一番の特徴は主にその顔面にあった。特別美しくも醜くもない。というより、彼女の身体的特徴が従来の美醜の概念を逸脱するから判別が難しいのだ。

 単眼──。本来、二つ揃っているはずの眼球が、欠損でも隠すのでもなく、元から人間でいう鼻と額の間に一個あるだけという分かり易い異形……それがこの山に一人住む魔物娘、サイクロプスのキューである。

 「貴様は鳥を捌いて肉にするのと、このいずれ魔道を極めるであろう偉大なるイルムに会う事と、どちらを真に優先させるべきか分からんのであるか。わざわざこの我輩が会いに来てやったというのに、貴様と言う奴は……」

 「ご、ごめんね……?」

 「それで? 頼んでおいた物は出来たのであろうな?」

 「うん……こっち」

 キューが住居の裏手にある作業場へと案内する。元あった山小屋を改築して鍛冶場となるスペースを作ったのだろうか、物作りに長けたサイクロプスならではの仕事ぶりには毎度感心させられるイルムだ。

 もっとも、衣服や家造りなどほんの序の口、彼女ら巨人族の真髄は鍛冶にこそある。

 「ご、ご注文の、品……。完成したよ」

 作業場の隅に埃を被らぬよう布を掛けて置かれていたのは、頑強な兜が二つ。窓から差し込む陽光をキラキラと反射する出来立てのホヤホヤだった。

 「相も変わらず腕だけは確かであるな。こちらの注文通りの出来栄え、いやそれ以上か。曲面の多い兜を特殊な器具も使わず、ここまで自然な仕上がりにするとは」

 「あぅ、その……ありがと」

 「報酬は前払いで渡した分だけで良かったのであるか?」

 「うん。この山は、魔界銀が採れないから……。イルムさんには、感謝してるの……」

 魔界銀とは、その名の通り魔界や一部の人間界で産出する鉱物のこと。原石は淡いピンク色をしており、それに熱を通し鍛え加工することで人間も知る銀に近い金属になる。これらを用いて加工した武具は魔力に強い影響を及ぼす魔武器となり、魔王の軍勢に属する魔物らは皆それを装備しているという。

 ちなみに、魔界銀で作った人骨模型を用いてエステルは創造されており、彼女が効率よく魔術を使えるのはそのためである。

 魔界銀は王都ではそこそこ流通しているが、流石にこのようなド田舎まで出回っておらず、素材兼依頼料という形でキューが鍛冶を引き受けている。元よりこんな辺境で大金を使う機会など無く、生活も自給自足で賄えるので彼女としては何の問題も無いのだ。

 とは言っても、折角作らせたこれらの兜はイルムが被るものではない。そしてここから更に一工夫加えてようやく完成に至るのだが……。

 「時分は夕時、今から王都へトンボ帰りは億劫なのである。キュー、今日は我輩が泊まっていってやろう。感謝するのである」

 「え、で、でも……この家は寝る場所が……」

 「案ずるな。見よ、我輩の簡易式野営設備を! 四隅と天井の五点を布で包み、その中で寝泊まる画期的な発明である。布は全面に防御術式が編み込まれ、大砲や爆弾でも使わん限り傷付かない代物なのだ! 無論、虫など一匹も寄せ付けん!」

 「す、すごい、ね?」

 作成中に何度も組み立てのか、慣れた手付きであっという間に四方を布で囲まれた空間を作り出す。野営と名付けている辺り陣地の設備を意識しているのだろうか。

 ちなみに、この発明が百数十年後ぐらいに「テント」なるキャンピングツールに発展することは、自信満々に発明したイルムを除き誰も予想しなかったことである。

 「では、我輩は内部にてレポートを纏めた後に就寝するので、明日の朝まで話し掛けないでほしいのである」

 「あのっ、お風呂は……?」

 「貴様が入った後で入ろう」

 「えっ!? あ、あたっ、あたしの、後で……?」

 「そうである。都合が悪ければ先に入ってやっても良いのである」

 「〜〜っ! あた、あたしっ、先に入るから!」

 ガタガタと仕事道具を纏めて棚に押しやり、そそくさとキューは自宅に逃げるように入っていった。

 人里離れて隠れ住むサイクロプスの中でも彼女は輪を掛けて臆病で人見知りが激しい。初めて出会ったのは王国制圧の任を受けた数年前のことだが、隻眼鬼の鍛冶屋の存在を知ったイルムが装備の鋳造を頼んだのが出会いの始まりだった。その当時、初めて会ったイルムをキューは追い返してしまっている。

 ちなみに、その時のイルムの格好はカラスに似た被り物、ペストマスクを装着していた。マスクを用意したのは通り掛かった村の住人に、山は猛毒の瘴気に満ちていると言われたからだが、今思えば彼らは単眼の異形であるキューを村八分にしていたからそう言ったのだろう。だからと言ってペストマスクはキューでなくても驚いて面会拒絶するだろうが。

 単眼の魔物は意外に珍しい。旧魔王時代ならいざ知らず、現魔王の影響で全ての魔物が人型女性となった今、明確に単眼という特徴が残るのはサイクロプスとゲイザーぐらいである。

 その珍しさゆえか、この二種は人間たちの好奇と忌避を受けやすい。せっかく男を見繕い睦言を交わそうにも、最終的に見る部分はやはり顔、己を見つめ返すそれが対になっていないというのは強烈な違和感を伴い、奇形に対する生得的嫌悪感を想起させる。ゲイザーは自慢の眼球で魅惑の暗示を掛けられるが……元が無骨な巨人族であるサイクロプスにそんな芸当は出来ず、他の魔物娘と違い伴侶を得るのも一苦労と聞く。

 「あの眼……一つだけなのに、どうやって距離を測っているのか……。気になるのである」

 と言っても、中には彼のように全く気にしない人間もいる。そういう男は彼女らにとってまたとない出会いのチャンスなのだが……。

 出会って言葉を交わし数年、二人の間に「そういった」出来事は未だに起こっていない。いくら奥手とは言え、出会って数日以内にはヤるべきことを済ませてしまう魔物娘には考えられないスローペースである。これは彼女が奥手なのと、相手のイルムがそう言った下半身事情に頓着しないというのもあったのだが……。

 「キュー……ふむ、キューか。盲点だったのである。なるほど、あやつなら手頃か……」

 今夜、その関係に変化が訪れる。





 キュー、というのは本名ではない。正確にはニックネーム、人間には発音できない上に長ったらしい本名を短くまとめたものである。今は亡き彼女の父がそう名付けてくれた。

 当たり前だが、父は人間で母はサイクロプスだ。昔ここで鍛冶をしていた父の元へ母が修行の旅に訪れたのが始まりで、程なく二人は恋に落ちた。旅を続けていた母はキューを身籠ると本格的にここに腰を落ち着け、山小屋を改良したこの家で猟師兼鍛冶屋として生計を立てはじめた。母の背に負われ、焼けた鉄を鍛える音を子守唄にしてキューは育った。

 物心がつく頃には自分も金槌を握り、炉の温度の見極め方、効率よく金属を叩く方法、基本的な合金の配分率など、鍛冶に必要な知識を叩き込まれた。火傷や切り傷が絶えない日々だったが、やはりそこはサイクロプス、傷を負ったことよりも火に接し鉄を叩くことに喜びを覚えるのに時間は掛からなかった。初めて農具を鍛えた時のことは今でも鮮明に覚えている。

 親子三人で鍛冶を続けていく……それが幼き日のキューのささやかな夢だった。

 両親は死んだ。病気でも寿命でもなく、事故死だった。

 この家は山の斜面を背にして建っている。あの日、記録的な大雨が降って斜面が崩れ、流れ込んだ土砂は家の半分を押し潰した。泣き叫ぶ自分を先に逃がそうとして、両親は瓦礫ごと土砂に埋もれてそのままだった。

 村人は親切だった。家を押し潰した土砂を除き、瓦礫を退け、その下に埋まっていた両親を掘り起こした。遺体はいつでも会えるようにと、村ではなく家のすぐ近くに埋葬された。

 そして、それだけだった。

 川の様子を見て来るから、畑の仕事が残っているから、山に行って獣を獲って来るから……色んな理由を口にして、あれ以来この家を村人が訪れた事は一度もない。彼らにだって生活があるから、無理は言えなかった。

 思えば母が山を降りた回数は数えるほどしかなかった。元は流れのよそ者で、しかも単眼、人間たちから距離を置かれるのも無理からぬ話だ。いくら王国が親魔物領として異種族との交流を盛んに行っていても、閉鎖的な田舎の村々までその通りとは限らない。その上分かり易い身体的差異があれば、どう足掻こうと「悪者」扱いは免れない。

 「お母さん……」

 半壊した家や失った家財一式は全て自作した。道具は両親の遺品を使い、テーブルも、ベッドも、半壊した家の壁も天井も、今の仕事場も全てキューが一人で造った。親子三人で住んでいた頃と比べて大分様変わりした家に、今は一人で住んでいる。時折、作成した農具を持って村に下り、必要な食糧と交換している。だが、やはり村人たちの視線はどこか遠巻きだ。

 村人たちとはどこか距離があり、時折訪ねてくる旅人や行商人も依頼が達せられればすぐに行ってしまう。かと言って、何だかんだで住み慣れた場所を捨てて旅に出られるほど度胸が据わっているわけでもない。白馬の王子など夢物語に過ぎないと知っているから、どうせ自分なんかがとここを離れる勇気も起きないのだ。

 魔物娘は人間の男と添い遂げる。未婚のまま生を終える魔物娘など聞いた事は無いが、このままだとそうなっても仕方がない。仕方がないと、分かってはいるが……。

 「さびしいよ……」

 両親が死んで十年、弱み辛みを見せる相手すらいないまま過ごしてきた。元来サイクロプスとは他者との繋がりを何よりも重視し、単眼による狭い視界を補うかのように二人寄り添って生きる種族。その中でキューは最も多感な時期を一人で過ごし、隣人からも距離を置いて暮らしてきた。

 孤独の時間が長過ぎた彼女の心は、十年前に崩れたこの家と同じ状況に立たされていた。

 「おい、キュー。そこに居るのであるか」

 「えっ!? イ、イルム……さん?」

 突然風呂場に届いた声にびくりと大げさにリアクションしてしまう。風呂場に自分一人しかいないことを確認し、深呼吸して落ち着きを取り戻した。

 「ど、どうしたの?」

 「うむ。貴様に頼み事を思い出したのである。少し良いか」

 孤独なこれまでの時間の中でイルムとの出会いは数少ない良い思い出のひとつだ。一度は変な仮面を付けた彼を教会の異端審問と勘違いして追い返したが、お返しに家の周囲に火を放たれたので大慌てで飛び出した。結局火は幻覚で、まんまと彼に一杯喰わされたのだ。それから依頼を持ち込まれるようになり、その一風変わった依頼を成し遂げる度に鍛冶屋として、同時に男に頼られる「女」として満たされる実感を覚えていた。

 早い話が恋だ、キューはイルムに恋をしていた。ナヨナヨして陰に過ごす自分と違い、いつも臆することなく堂々と日向を歩いて生きるイルム、対照的な彼の生き様に強く惹かれるのに時間は掛からなかった。彼がいてくれたからこそ、今の自分は生きる気力を持てているのだと言い切れる。

 でも、そんな彼と自分が結ばれることなど無いと諦めてもいる。

 「ちょ、ちょっと待ってて? もうすぐ上がるから……!」

 「いや、そのままで良いのである」

 「ふぇ?」

 いつもそうだ、彼は自分の抱える悩みなど知った事ではないとばかりに踏み入り、そしてそのまま足蹴にしてしまう。

 今だって……。

 「な、ななっ、なん、なんんっ、なんで、なっでっで……!!?」

 「毒キノコでも食したか? 呂律が回っていないのである。だがそれなら好都合、わざわざ余計な受け答えをする手間が省けるのである」

 ここは風呂場。入浴中のキューは裸、身を包む物など何も無い。

 そしてそれは、イルムもまた同じであった。

 「キューよ、貴様の才能は類稀なるものである。一代で終わらせるには惜しい。何十年も、何百年も、後の世に遺すべきものである。この我輩もまた同じ。才ある男女が集えば行うべき事は唯一つなのである」

 キューの戸惑いと羞恥など知らぬとばかりに、彼は全裸で湯船に近付きこう言い放った。

 「さあ、キューよ。我輩とセックスをしよう」





 もはや周知の事実かも知れないが敢えて言うと、イルムという男は変人である。己が疑問に思い不可解に感じた事を徹底的に追求しなければ気が済まない性分である。

 熱した目玉焼きは元の生卵にもどらないのか、から始まったその好奇心は留まるところを知らぬ。

 その性癖はただの子供の不思議がりを越え、レスカティエ正教会が定めるところの禁忌に抵触する行為を平然と行った。

 風はどこから吹くのか? 答えを探して大洋を越え大陸を横断した。

 水はどこから湧くのか? 霊峰の地下を削り水脈を辿った。

 生命はどこに宿るのか? まだ息がある死刑囚を部位ごとに切り刻んだ。

 神は実在するのか? 国中の大小あわせて57の信仰史跡を破壊した。

 特に最後の二つは教会の逆鱗に触れ、即刻彼は捕えられた。あまりにも素直に受け答えしたせいか異端審問すら出る幕が無いまま裁判は進み、火刑に処されるのは秒読みという段階にまで達した。

 しかし、直前になって彼は勇者の洗礼を受けたことで特赦が下り、彼は生き永らえた。どうせ死なせるならそのまま死罪にしてしまうより、魔王と戦って死んでもらおう、そう上は判断したのだろう。

 だが他の六人が活動的に勇者の任務を行っているのに対し、イルムは完全な後方支援。活動は外の六人の装備を整える倉庫役、外出する時は決まってキューの鍛冶場を訪れ、それ以外の時間は総じて研究と称して昔と同じことをしている。疑問に思った事を徹底的に調べ上げ、そして解答を求めている。

 生命の所在は脳でも心臓でもなく、「生命は存在すると信じられているから存在している」という結論になった。つまり、生命は確かに存在するが、それは肉体に宿るものではないということだ。

 神の不在も証明できた。あれだけの信仰対象を破壊したにも関わらず神罰どころか加護を受けたことがその証明だ。いや、この場合は罰する意志が神に無かったことの証明か。どちらにせよ過去の議題は全て解消し、今は長年の疑問だったあるモノへ関心が向いている。

 「呼吸、視線の向き、肌の上気、心拍数、湧き出る汗、乳頭の膨らみ具合……その全てが貴様の健康度と、貴様の我輩に対する感情を示している」

 逃げ出す事も出来ず入浴室の隅にまで追いやられたキュー。そんな彼女の頬を、首筋を、腕を、太腿を、豊かな乳房を……丁寧に丁寧に、まるで最高級のシルクの質感を確かめるように、イルムの両手が撫で上げる。

 決して性感を与えるほどではないのに、その五指が肌を僅かに擦る度にくすぐったさに似た快楽の静電気がそのすぐ下を舐める。

 「ふぁ……!? イ、イルムさ……ンンッ!」

 「嫌なら行動で示すのである。貴様の力は我輩よりずっと強い、今こうしている間に押しのけて逃げ去ればいいだろう。それすらしない、否、出来ないとはそれつまり……」

 「ぃ、いやぁ……言わないでぇ……!」

 自らの心の内を他人に暴かれる、それはある種の強姦にも似た恥辱。しかもそれをしてくる相手がよりにもよって──、

 「貴様、我輩の事が好きなのであるな」

 「っ!!」

 意中の相手であれば、その辱めは舌を噛み切りたくなる衝動となって襲う。

 だが心の弱いキューは舌ではなく唇を噛み締め、目の端から一筋涙を流す事でしか恥辱を受け止められなかった。

 しかし、そんな彼女のささやかな抵抗でさえ、この男は知らぬと踏み潰す。

 「おお嬉しいのか、キュー。喜びにむせび泣くとは、貴様も愛い奴なのである! 案ずるな、女の悦ばせ方は知識として熟知している。もっとも……我輩の種を受け、我輩の子を成せるだけで、貴様には過ぎた幸せであるがな」

 「ーッ! は、離して!!」

 初めてイルムに恐怖したキューはとっさに彼を押しのけ、部屋の外に飛び出そうと駆け出す。自身が言っていたように、イルムの体は巨人の剛力を使うまでもなく容易くよろめき、彼が追い掛ける頃にはキューは家を出ているはずだった。

 ところが……。

 「どこへ行くのである」

 イルムの指先が虚空に何か文字を書く仕草をした。

 そして、たったそれだけでキューの体勢が走る格好のまま固まった。まるで全身を石膏で固められたような、関節と筋肉の自由を奪われたままにされる。

 「我輩はいずれ魔道を極める存在、貴様を縛っておくなど造作も無いのである」

 「やっ、だ……! お願い、離してぇ!」

 「ふむ、本当はこのまま寝床まで運ぼうと思ったが……。うん、待てよ? こうして拒んだということは、キューは我輩が嫌いなのか? ……いや、どうでも良いのである、そんなこと」

 片足でたったまま空中に固定されたキューに近付き、イルムの手がその股間を撫でた。

 「ひ、ゃアん!?」

 「濡れているには濡れているが、湯なのか愛液なのか判別付かんのである。ああ、奥へゆけば分かるか!」

 「やめ……あッ、アアっ!!?」

 甲高い悲鳴にそぐわず、肉壁を掻き分けるのは中指一本だけ。しかし今まで未通の処女であるキューにとって中指一本は相当な圧迫感をもたらす異物だ。先端が奥を開拓し、関節が少し曲がるだけで強烈な違和感が腹部を襲う。

 しかし悲しいかな、粘膜が生理現象で愛液を出してしまい、それはイルムを歓喜させた。

 「ふむ、濡れているな。準備は万端ということであるか。では体勢を変えるとするか」

 指揮棒を振るような動きで今度はキューの体が180度回転し、空中で仰向けに、足は男を誘うM字開脚を強要されてしまう。

 「もう、やめてぇ……」

 更なる辱めに顔を背けたくなるが、金縛りの魔術はそれすら許さない。それどころか顎を引いてこれから交合する部位を眺めるようにさせられるのだ。

 「貴様は見たところ濡れやすい体質のようである。念のため痛みを軽減する術を掛けておくが、本来ならそんな必要も無いところである。その証拠に……ほれ」

 「なにするの……だめ、やめ、ひああぁっっ!!?」

 イルムの頭が下に降りると強制開脚された脚の間、今しがた彼が指を突き入れた秘穴に向かって今度は舌を入れた。指ほど奥を突かないが、指よりずっと柔らかくそして熱いそれが敏感な浅い部分を磨くように緩急つけて舐め回す。

 自らの性器を舐められているという事実に、恥辱よりも快感と充足感が胸を埋め尽くす。げに悲しきは女、いやさ、雌のサガだ。

 「あっ! あっ、あっ、ああーッ!! だめ……だめぇ!!」

 敏感な部分を快楽地獄に叩き落とされ、キューの足の指がきゅっと固く握り締められる。何とか歯を食いしばり気をやるのだけは堪えているが、対するイルムは余裕綽々といった表情だ。

 やがて彼も舌を動かすのが疲れたのか、唾液と愛液が混じった糸を伸ばしながらやっと舌が離れた。

 地獄を乗り切ったとほっと一息つくキュー。その時イルムがニヤりと笑い……。

 彼女の陰核に噛みついた。

 「ァ……──!!?」

 歯は立てない甘噛み、だがそれでも包皮を破って外に顔を出すほど勃起していたそこを攻撃され、キューの全身の筋肉が刹那の間だけ硬直し──、

 「ふぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああんッ!!!」

 風呂場どころか、下の村にまで届きそうな絶叫と共に、キューの股間から小水とは違う飛沫が噴き出た。誇り高きサイクロプスの少女は前戯だけで完全屈服、心はどうあれその体はオスを迎え入れる態勢を勝手に整えてしまっていた。

 顔全体にかかった潮を丁寧に舐め取りながらイルムがキューに迫る。キューの脚をしっかりと掴み、自身の熱く滾った部分を押し当てて来る。

 「嗚呼、キュー……ゆくぞ」

 「は、あぁ……!」

 元の肌の色と相まって、血を集めて赤黒く勃起した雄の器官を見せ付けられ、イジメ抜かれたキューの雌に火が点かないはずがなかった。

 特に鍛えられていない体とは裏腹に硬く反り返る陰茎から臭う雄の臭気に、緊張で固く閉じていたキューのスジがだらしなく開いてしまう。さっき与えられた快楽の残滓が残っているのか、小陰唇が微かに震えながら内部のピンク色をさらけ出す姿はとても淫猥な光景だった。

 そして今まさに、誰も迎えた事の無い秘密の園を知識欲の怪物が蹂躙しようと先端を触れさせる。

 「どうして……こんなぁ……」

 「どうして、であるか。我輩と同じであるな。我輩も常々疑問に思っていたから、こうして解き明かしたいと願うのだ。なあ、キューよ……」

 先祖代々続く日に焼けた手がそっとキューの頬を撫でた。キューの目に映るその顔は、出会った時と全く同じ笑顔であり、ほんの一瞬だけ混乱が静まる。

 「我輩はな、『愛の存在』を証明したいのだ」

 直後、衝撃が下腹部を貫いた。

 「く、は……ッ!!? ン゛ン゛ーーーーッ!!!」

 「ははは、こらこら! そんなに締め付けるな。早く終わってしまったらもったいないのである」

 「く、るし……! ぬいて……抜いてぇっ!!」

 「じきに良くなる。それ、動くのである。悦びを受け入れよ」

 突き入れた瞬間の強引さは消え、ゆっくり、ゆっくりと、キューの中を逞しい雄のシンボルが行き来する。相手の部位が自分の中に侵入しているという違和感と、ひだを掻き分け曲がりくねった子宮までの道を摩擦される度に内臓を突き上げられる息苦しさを強いられる。

 全ての女が大なり小なり経験する「初めて」の苦痛、それはキューも例外ではなかった。

 「苦しいか? 苦しいのであるか? ははは、もっと、もっと悶えるのである! もっと自分をさらけ出すのである!」

 「あがっ!? 苦しいよっ……こわれ、ちゃうぅぅっ!!」

 「壊れればいい。ほら、ここを触れば!」

 「うあっ、そこはぁぁ……ふぎッ! あああああッ!!?」

 一旦腰を止めたと思えば指の腹で陰核を摘まむ。いやそれは「摘まむ」とかいう可愛らしいものではなく、親指と人差し指で潰すぐらいの力がかかっていた。人間の女なら痛みどころかショックで気絶するほどの衝撃。にも関わらず、キューの性器はそれら全てを彼女の意志とは関係なく快楽に変換してしまい、突起を少し捻るごとに透明な淫汁が尿道から噴き出してしまうのを抑えられない。

 「淫乱め。だが愛い。やはり貴様こそ我が種を受けるに相応しいのである。こうして話している間に、もう苦しくなどないであろう?」

 彼の言う通り、腹の圧迫感は未だ残るが、既に膣は陰茎と同じかそれ以上に熱くなり、自身の熱で快感を得られるほどにまで熟成されていた。雌は雄を受け入れる作りになっている、何の不自然も無いこと。雄が雌を孕ませる、元来性交とはそうあるもの。

 「動くのである、さっきより激しく!」

 「あッ! あッあッああーッ!!」

 雄に慣れた膣穴は始めの抵抗は何だったのか、イルムの加速にも難なく適応してそれら全てを快楽に変換していく。未だ現状を受け入れられないキューの心だけを置き去りにして、肉体は至高の頂に向かってその速度を増しながら上昇していく。

 そして興奮が高まれば当然の帰結に至る。

 「中がうねっているな、もうイクのであるか? ああ、いいぞ! イケっ! イッてしまうのである!! 我輩ももうすぐ……!!」

 「はぁぁんっ!! うう……うひぃぃ……ああぁっ!?」

 「さあ、キューよ。我輩の子を孕め!!」

 高速の突き出しがピークを迎えたその瞬間、イルムがキューの腰をがっしりと掴んで引き寄せ、その陰茎を最奥に向けて突き入れた。

 それと同時に、キューの膣内も臨界を突破した。

 「はあぁぁあぁあぁぁッ……!!!」

 全身を魔術で拘束しているのに僅かに反り上がる背中。ヘソの下にある雌は対となる雄から子種を受け取ろうと律動し、膨張した子宮に熱い粘液が流れ込む感触を嫌でも味わう。

 いや、「嫌」ではない……気持ちが真に通じ合わないままの交わり、魔物娘にあるまじき醜態をさらしているのに、キューの心は目の前の彼から離れられない。彼の種を授かったことを、彼女の中の雌性はこの上なく悦んでしまっている。

 イルムの事を「嫌い」になれない。

 だが当のイルムにとっては、抱いた女との睦言より重要なことがあった。

 「おお、胎動しているのである。たった今、貴様の腹の中で命の原型が宿ったのである!」

 「う、そ……」

 魔物娘は食物連鎖の上位に立つ種ゆえに、妊娠する機会が人間の女性と比べて低い。中には多少の例外もいるが、子持ちの夫婦の大半は出会って十年以上経って得た子供というのがザラだ。

 「生憎我輩、嘘は好かんのである。最初に貴様の膣に指を入れた時、排卵を誘発する術を仕込んでおいたのである。バフォメット仕込みの妊娠術式。子宮や卵巣が潰れていない限り、孕まずの病も一発で子沢山にできる代物である。我輩も事前に精力剤を服用していたとはいえ、よもや一度の交合で孕むとは……」

 何一つ嘘の無い真実の言葉、事実を事実のまま包み隠さず言ってのけるイルム。顔は終始笑顔だが、その奥の瞳は今しがた愛を交わした少女などとうに見えていない。

 「……うっ、ひっ……ひぐっ!」

 淡々と事実だけを語る、たった今自分を手籠めにした事実さえどうでもいいとばかりに振る舞うイルムに、キューは自分が惨めになり深い悲しみを覚えた。唯一つの眼球の両端から堰を切って涙が溢れ出る。拘束されて拭くことさえ許されないのがもどかしい。

 「どおして……こんなこと、するのぉ……?」

 「むしろ我輩が聞きたい、どうして泣く? 貴様ら魔物は人間を愛する、愛するとは即ちセックスで、セックスとは繁殖だ。多少順序が入れ替わったが最終的な目標は同じ、それなのに何故悲しむことがある? これが貴様らが言うところの『愛』なのであろう? 互いに快楽を与え合い、肉の交わりを繰り返し、そうして身籠る我が子を『愛の結晶』などと称するではないか。我輩の言っていることは何か間違っているであるか?」

 「……っ」

 この男は……致命的にズレている。

 常識が、精神が、思考が、倫理が、感情が……他者と普遍的に共有されるべき部分が僅かにも存在していない。徹頭徹尾、己の内なる理だけで生きている、この世界にぽっかりと空いてしまった「穴」、それがイルムという男なのだと理解させられる。

 「ふふふ、案ずるな。我輩はクリスと違い自分に都合の良い真実だけを見るような無粋はしない。愛そう、いずれ貴様が産み落とすであろうこの子を我輩も愛そう。それこそが……『愛の存在』を証明する故に、である」

 愛おしげに、膨らむのはまだ先な平坦な腹を撫で続ける。絹の生地を触るような丁寧な手付きに少しくすぐったさを感じながら、キューはどっと押し寄せた疲れに目蓋を閉じた。

 「ねーむれー、ねーむれー、はーはーのーむーねにー」

 単調で抑揚の無い不気味な子守唄。一体それは、「どちら」に向けた歌声なのか……それすらも分からないまま、キューの意識は微睡に落ちた。

 「むーすーばーずやー、たーのしーゆーめー……。お休み、我が妻よ」

 世界の「穴」、知の勇者・イルム。自らに開いた穴を埋めるのは、一体いつの日か。
15/08/22 22:17更新 / 毒素N
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■作者メッセージ
 実はこっちの方がよっぽど外道っていうね…。

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