連載小説
[TOP][目次]
しの 14歳の春
 まだ月が見える、真っ暗な夜明け前。春の陽気を含んだ暖かい風も、
この時刻では薄気味悪い。


「ハァッ……ハァッ……」


 息を荒げて、起きる。

 また夢だ……あの夢だ。数日おきに見る、女性の夢。建物の屋上――
患者用ベッド――ナゾの女性。あの女性、本当になんで俺の名前を……
……?


「ああもう……鬱陶しい夢だ。寝起きが悪いにも限度があるだろう」

「ううん……おにぃさま?」


 しのが目を開け、こちらを見る。

 心配そうな表情で。


「ああごめん。起こしちゃったか?」

「大丈夫です……それでどうしたんですか?顔が浮かないようですが…
…」

「嫌な夢を、見ちゃってな」


《ねぇ芳樹》

《あなた、苦しいんでしょう?欲が満たされない毎日が》

《その有り余る欲を、私にぶつけてみたくない?》


「3〜4日おきにな、女の人が夢に出てくるんだ。同じ女性がな。その
女性が俺に言うのさ……『欲をぶつけてみたくないか?』と、誘うよう
な笑みを見せてな」

「その女の人は人間ですか?それとも魔物ですか?」

「魔物らしい特徴は…………なかったな」

「誰なんでしょうねぇ」

「誰だろうな……ん?」


 しのの背中に目を移す。


「お前……尻尾増えたか?」

「へっ!?」


 驚き、しのは自分の尻尾を見る。ふわふわの尻尾が2本、もふんと生
えていた。


「はうぅ……///」

「顔赤いぞ?」

「な、何でも無いです!何でも無いのです!///」

「そうか。ちょっと顔洗ってくる」


 外に出ると、春真っ只中だからか中途半端に暖かかった。足早に俺は
井戸に向かう。


「ついに……生えちゃいました……」


 尻尾をふわふわといじりながら、しのはため息を吐く。


「バレなきゃいいんですけど…………」

 ※   ※

 おにぃさまが洗剤などを買いに街へ行ったので、私が家事を頑張りま
す。いつもおにぃさまを見習って、見よう見まねでできるようになり
ました。

 えっへん。


「お布団片付けなきゃ……」


 まず私の布団を四つ折りにして畳み、部屋の隅に寄せます。その次
におにぃさまのお布団を片付けるんです。


「はぅ……おにぃさまの匂い……♪」


 おにぃさまの匂い……汗の特有の匂いがしのは大好きです。思わず顔
を埋めて匂いを堪能してしまいます。

 今まではそれだけで済んだのですが…………


「はぁ……はぁ……♥おにぃさまぁ…………♥♥」


 身体がむずむずしてくるのです。

 全身が熱くなって、頭の中がもやもやとしてきて――


「忘れ物忘れ物……って、しの?」

「ひゃ!?」


 おお、おにぃさま!?


「忘れ物しちまって……しの、なぜ俺の布団に尻尾をブンブン振りなが
ら顔を埋めてんだ……?」

「おにぃさまの匂いが好きなのです♪」

「変態か。とっとと片付けろよ」


 おにぃさまが外に行きました。同時に、また身体が火照り始めます。
しかも、さっきより強く。


「おにぃさまぁ……♥だいすきですぅ……♥」


 匂いを嗅げば嗅ぐほど身体が熱くなり、かといって止められません。

 結果私は、自慰を始めてしまうのです。


「あっ…………ひゃんっ♥♥んん…………♥」


 おにぃさまの匂いに全身包まれ、まるで抱きしめられているような感
覚が激しく興奮を煽り、愛液が比例して量が増していきます。

 おにぃさまのお布団が私ので汚れてしまう……しかしその思考が、か
えって背徳となりさらに興奮してしまいます。


「おにぃさま……んんっ♥はんっ♥♥私は、私は……
……」


『しのはいい子だよ』

 おにぃさまはそう言ってしのを褒めてくれます。

 心を込めて、言ってくれます。

 でも…………


「私は……あん♥いい子なんかじゃないです……おにぃさまの匂
いで発情してしまう、えっちな雌狐なんですからぁ……♥♥あっ、
ふあぁあんっ!!♥♥」


 全身が震え、絶頂。ぐったりと横たわり、胸を大きく上下させます。


「はぁ…………♥おにぃさま……」


 ゆっくりと、目を閉じました。

 ※   ※

 買い物袋を提げて帰ってくると、しのが俺の布団で眠っていた。


「しの……しの」


 肩を揺さぶり、起こす。


「寝ちゃったのか?」

「おにぃさま…………ハッ!」


 ガバッと起きて周囲を見る。そして自分の服がはだけているのに気づ
き、慌てて着なおす。


「今何時ですか!?」

「今は……14時だな」

「すみません……」

「いやいいさ。それよりしの、布団が濡れてるようだが」

「す、すぐ干します!///」


 バタバタと布団を持って外へ出て行くしの。

 朝のときといい、なんか様子が変だな…………そう考えていると、玄
関扉がノックされる。


「はい…………」


 開けると、そこには狐面を被った白装束姿の男がいた。

 …………誰だ、この男。なんだか不吉な雰囲気を感じる。どう見たって
一般人じゃない。まるで幽霊のような存在感。いるようでいない、いない
ようでいる虚空の恐怖。それがこの男から感じられた。


「俺はこの世界を旅して歩いている人間だ。名前はどうだっていいだろう」


 いや、名前のところは俺のセリフだろう……?


「ふん……4年前、どこかへ行った家族を探していてな」

「家族?蒸発したんですか?」

「『蒸発』……目の付け所は悪くない。しかしそれではない」

「というと?」

「俺が家族をどこかに飛ばした」


 予想だりしない答えに、俺は唖然となる。

 家族を飛ばした?どういうことだよ。


「勘違いはやめてくれ。虎の子を谷に落とす意味合いではない」

「じゃ、じゃあどういう……」

「まあ聞けよ。家族――正確には娘だが、俺がどこかに飛ばしたのには
理由がある」


 話がまったくつかめない。

 意味が分からない。


「理由は娘を養っている奴に話すつもりだ。ちなみに名前は……」

「おにぃさま?」




















「名前は奇稲田しの。俺の唯一の娘だ」






























「な……………………それ、って――」


 思わず、しのに目を移す。

 しのは唖然としていた。


「その身なりと匂い、もしや……お父様ですか?」

「久しいな、しの。異波に似て美人になったな。まるで異波の少女時代
を引っ張り出したようだ」

「お久しぶりです、奇稲田稲荷の社を守りし神主――奇稲田夢平様」

「俺は父親だ、そんなに固くなるな。まあ仕方がないか。理由ありきと
言えど、俺はお前を捨てたも同然なのだからな」


 しのはゆっくり、俺を見る。

 何かを秘めた、真剣な表情で。


「この方が私の父、奇稲田夢平様です」

「ええと……奇稲田さん」

「む?」

「あれから4年、俺は奇稲田さんの娘さん――しのと一緒に暮らして
きました」

「感謝しているさ」

「いまさら、返せと言うつもりですか?」

「いいや」


 奇稲田さんは首を横に振る。


「むしろ、俺はお前に娘を頼みに来た」

 ※   ※

 奇稲田さんを家に入れ、詳しい話を聞くことにした。しのは難しい顔
で、奇稲田さんを見ている。父親の前ということで、思うところがある
のだろう。一方奇稲田は狐面で顔を隠しているため、表情は分からない。


「近衛芳樹だったな」


 奇稲田さんがこちらを見る。


「親として、深い謝罪と感謝をする。心が優しい人間の中でも、お前は
特に優しい部類のようだ」

「それはどうも。それで、なぜ俺に送ったんです?」

「1つ訂正を言わせてもらえるなら、しのは偶然お前に送られた」

「偶然?」

「心分けですね?お父様」


 しのはお茶で唇を潤す。


「心分け――霊術の一種ですね。あ、霊術はいわゆる魔法だと思ってく
ださい。心分けは、自身の知る友と認めた人間に物を送る術のことです。
唯一無二の親友ならその親友に。多数ならそのいずれかに」

「てことは、俺は奇稲田さんと旧友だった……?」


 俺の記憶の中に、『奇稲田夢平』なんて名前はないが…………


「無理もない。俺は旧友全ての記憶から、俺に関わる情報を消したから
な。俺の本名は高川君雪。12歳の頃に九尾の洗礼を受け社の人柱にな
った」


 くっくっく、とおかしそうに笑い狐面を外す。

 三十代に見えない、若々しい男前の顔。


「しの」

「何ですか?おにぃさま」

「すまないな、お前を捨ててしまって。そろそろ本題――理由に入ろう
か」

 ※   ※


 俺が住んでいる奇稲田稲荷神社は五穀豊穣などを利益とする有名な神
社でな、そこに仕える神主は先代が残した美しい稲荷の娘を娶ることで
代替わりとなる。

 俺と近衛芳樹が住んでいた村で、神主が危篤もしくは死亡するのと同
時に神主の娘たちの婿探しが始まる。偶然俺はその3人の娘の長女であ
る異波の眼鏡に適い、神主となった。悪く言えば、奇稲田の名を絶やさ
ないための『人柱』になったわけだ。

 そして14年前、俺は娘しのを授かった。世継ぎが生まれたとあって、
村は宴を開いた。

 しかし、しのが4歳の頃、俺は身体に違和感を覚えた。身体のところ
どころが時々痺れるようになった。しかも時間が経つごとに、指一本か
ら腕一本脚一本と痺れる範囲が広がっていった。

 予想通り病だった。予想外だったことは、その病が不治だったという
ことだった。俺は神社の者の反対を押し切り、しのを心分けで友人の嫁
にする決意をした。

 そして4年前、ついに病が俺の身体全身に進行した。俺は異波に頼み、
心分けでしのを飛ばしたのだ。

 ※   ※

「ようやく見つかった…………」


 夢平は静かに涙を浮かべる。その瞬間、夢平の身体が消え始めた。


「ちょっと、身体が……」

「俺は夢平の代わり――主のメッセージを伝えるために最期の力で俺を
作った。役目が終わり、俺はまもなく消えるだろう」

「じゃあ、お父様は……」

「心不全で亡くなった」

「お父様が、そんな……ううっ!」


 静かに、声を上げずに泣く。


「近衛芳樹。3年後、しのと奇稲田稲荷に参れ。奇稲荷異波からの……
伝言、だ」


 消滅し、紙人形となった。

 複雑な気持ちが、自分の中でくすぶっていた。

 3年後、行かなくてはならない。しののためにも、だ。
13/04/06 21:53更新 / 祝詞
戻る 次へ

■作者メッセージ
 シリアス内容のため今回の会話はパスで。

 しのの父親、奇稲田夢平。読み方は≪くしなだの ゆめひら≫です。イケメンで、十代しこたまモテたとか。

 とりあえず伏線をもう1つ張ってしまった。異波の妹2人の名前考えなきゃなぁ……(遠い目

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33