連載小説
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U:陽と陰と【Double persona】 3章
窓の向こうには、晴れ晴れとした青空が見える。
私にとって、窓は世界の全て。窓を覗けば世界を覗くことが出来る。
朝夜の移り変わり、風の行方、季節の巡り。
何もない時はいつも、窓の外の世界の移り変わりを眺める。

私が窓の外に映ることは決してない。
私にはそれが許されていないから。
私には…窓の外に一人だけで生きる力はないのだから。


しかし、今私は窓の外に立っていた。

窓の外からいつも見ている城壁は私の後ろにあり、
目の前には今まで見たことがない風景が広がっている。
初めて見るお城以外の建物、見たこともない服を着た人々が大勢歩きまわる。
まさにここは別の世界。徐々に好奇心がわき上がる。

しかし世界は思っていた以上に広く、思っていた以上に複雑だった。
一歩歩くごとに周りの風景は大きく変わっていき、
自分がどこから来てどこに向かっているかすらも分からなくなった。
ここはどこだろう?でも人に聞くことはできない。

怖い…助けてほしい…だけど…


「えっと、どうしたの?」

いきなり誰かに声をかけられた。驚いて声がした方に顔を向けると、
赤毛の男の子が立っていた。どうやら私に話しかけてきたのは彼のようだ。
咄嗟にどう反応していいか分からず、勢いで返答してしまう。

「べつにあやしいっておもったわけじゃないけど…
ただ、みないかおだな〜っておもったし、なんかキョロキョロしてるから
もしかしてしらないまちにきてまいごになったのかなって。」

なんとかその場をごまかそうとするも焦ってしまい、
寧ろ余計好奇の目を向けられてしまった。
まずい…私の正体ばれたらどうしよう。
そう思うと余計必死になって弁明する。
私の顔はきっと真っ赤になってる…分かるくらい顔が熱い…
男の子は何とか納得してくれたようだ。少しほっとする。

「でも、このへんはあまりみててたのしいものないよ。」

まあ…それはそうなんだけど。
それに私にとっては楽しい物がどこにあるなんて分からないんだもん。

「ねぇ、せっかく外に出たんだ。もしよければぼくがみちあんないしようか?
ぼくもきょうはこれといってやることはないから。
たのしいところをいっぱいみせてあげるよ。」

まさに夜道で天使にあったような千載一遇のチャンス。
偶然出会えたのが優しい男の子でよかった。
私は遠慮なく男の子の好意に甘えることにした。
さて、まずはどこに案内してもらえるのかな?ワクワクが止まらない。

「どこかいきたいところ…っていってもわかんないか。
そうだ!じゃあまずあのおおきなおしろから…」

速攻で拒絶した。

「なんで?おしろ、おっきくてりっぱですごいんだよ?」

折角お城から出てきたんだから、また戻るなんてまっぴらごめんだ。
っていうかもしかして男の子もお城に住んでる人なんだろうか?
でも私の正体には気づいていないようだし…
とにかく私は全力で彼の提案を拒否した。

「ううん、そこまでいやならしょうがない、ほかのところにしよう。
まずはいっしょにいちばでもみていこうか。みてるだけでもたのしいよ。」

必死の説得のかいあって、目的地を変更してくれた。
どうやら「いちば」という所に連れてってもらえるらしい。
見てるだけで楽しいところなんていったいどんな所なんだろう?
早く言ってみたい一心で、私は男の子が差し出した手を握る。
そう言えば…名前聞いてなかった。

「そうだ、きみのなまえは?」

おっと、向こうから先に聞かれてしまった。
正直に名乗ったらばれちゃうかもしれない。ここは偽名を使って…
じゃあ…何て言う名前にしようかしら……

「?」

ルビーのような赤い目が、私の顔を覗きこんでくる。
まずい…また不審がられちゃうかな?でもいい名前が咄嗟に思い浮かばない。
ああもう、こうなったら私は『クリス』ってことで。

「クリスかぁ。けっこうふつうのなまえだね。」

あ、よかった。ちゃんと納得してもらえたみたい。でも普通の名前って……
そういう君は何て言う名前なのかしら?

「ぼく?ぼくのことはクルトってよんでくれればいいよ。」

クルト、ね。私と一緒でクから始まるんだ。そう考えると親近感が湧いてくる。
私は一日だけクリスとして、クルトと一緒にこの世界を…

ふと、思った。

そうだ。ついに私は、今まで見ているだけだった場所に入れてもらうことが出来たんだ。
窓の外は私にとっては劇場、そこに移る世界には私は存在しなかった。
私は『女の子クリス』という役で舞台の上に立ったんだ。
初めてだから演じ方なんて分からないし、台本だってない。
でも…クルトがいるから大丈夫。離さないよう私の手を握って、無邪気に笑ってくれる。

さあ、一緒に行こう。私とクルトの舞台の上へ。


そして…出来ることなら……ずっと………













……






――――――――――――――――――――――――――――――――――






「ん……っ」


それは月が綺麗な夜のこと。立派なお城の一角にある、お姫様が住む綺麗な部屋。
一人の女性が、レースやフリルがあしらわれた天蓋付きベッドに横たわっている。
髪は素朴な茶色の長髪で、目鼻がクリっとしていて愛らしい印象を受ける。

彼女はこの国…グランベルテの第三王女、クリスティーネ。
幼いころからずっと箱入りで育てられてきた穢れを知らぬお姫様。
聡明で教養も豊かで、その上器量よしと表面上は一分も隙はなく、
まさに大国グランベルテに恥じない高貴な女性である。

「ぅ……う……」

そんなお姫様の見本とも言える彼女は現在、
ベッドの上で苦しそうな声をあげ、熱っぽい顔にはやや苦悶が浮かんでいる。
しかしこれは体調不良というわけではない。

「ぁ……は………っ」

彼女の手は胸や股間といった女性の身体の敏感な部分にあてがわれており、
もどかしげにまさぐっている。つまり彼女は…

「クルト、明日になれば……やっと会えるのね。ふ……ぁ……
長かった…でも、ちゃんと………迎えに来てくれた…」


かつてクリスティーネは城で過ごす箱入りの生活に嫌気がさして、
城から脱出したことがあった。その直後に偶然、まだ小さかったクルトマイヤーに合った。
二人は意気投合して一日中遊びまわったが、結局夕方になって城の関係者にばれてしまった。
だが、クルトマイヤーと別れる際に彼とクリスティーネは強く再会を誓った。
それからというものの、彼女は十年間もの間ずっとクルトマイヤーに恋し続けた。
もちろん、同年代の男性とほとんど会わなかったからというのも大きいが、
それでも一度しか会っていない相手―しかもあったのは子供の時―を
ずっと慕い続けていられるのは凄いを通り越してもはや異常である。

しかしなにより、彼女もクルトマイヤーと同じく相手を恋い慕う気持ちが原動力となって、
辛い日常を耐えてきた。毎日勉強三昧で、そこには自分の意思が入る余地はなかった。
いつかクルトマイヤーと再会したときに、彼にふさわしいお姫様になれるよう
必死に自分を叱咤激励してきたのだ。


「クルト………私の騎士様、早く…早く私のところに………来て…
私を……んんっ、もう一度…あの窓の外に、連れて行って……」


十年間も離れて暮らしている相手…当然約束を守ってくれる保証はないし、
自分のことを忘れているかもしれない。もしかしたら、自分よりも魅力的な女性が現れて
自分がいない間にそちらに行ってしまうかもしれない。
それでもクルトマイヤーを信じ続けた。いや、信じ続けるしかなかった。
詩や音楽など芸術的な物ならまだしも…
ひたすら暗記するだけだったり相手を言い負かすためだけの無意味な教養を
強要されるのは、ただただクルトマイヤーとの再会のためと自分に言い聞かせないと、
自分が自分でなくなってしまうように思えた。

「ふぁ……はあっ…クルト、私…がんばったわ。
一生…懸命、んんっ…がんばったわ…だから………はあんっ!」

だから、想いが報われなければ自分は壊れてしまう。
そんな危ういバランスの上で十年間も生きてきたクリスティーネ。
傍から見ればロマンティストにも程があると言わざるを得ない。
しかしクルトマイヤーもまた律義にクリスティーネだけを想って、
血のにじむような努力と人一倍の苦労を重ねてきたのだ。
一度会っただけの異性からそこまで想われてると知れば、悶絶するしかない。

「ふふふ…いままで……んっ、ずっと我慢…してたんだから、
クルトには……あぁっ、ちゃんと…責任を……とってもらうの。
キスして…だっこして……は、初めてを受け取ってもらって…
そして、結婚……するのっ。もう、誰にもじゃまなんて…させないんだから。」

子供の時はただクルトのことを想っていても胸が高鳴るだけだった。
しかし今は違う。大人になる過程で様々なことを学んだ彼女は、
必然的に性知識もある程度持っている。…経験自体はまだないが。
よってクルトのことを想うと身体が火照り、締め付けられるようなもどかしさが募り、
こうして自分を自分で慰めることで解消するほかなかった。

「は……っ、んっ、く…クルト………いゃぁ…」

唇は半開きになり、よりいっそう上体が屈折する。
股間にあてがわれた手もより激しく動き、秘所を刺激する。
限界が近い。そう悟った彼女は思考を停止し、一気にスパートをかける。

「ひゃうっ……!!」

瞬間、雷魔法に撃たれたかのように身体が大きく跳ねる。

「やっ…やあぁっ!?だ…だめぇ……ふぁあああぁぁ〜〜〜っ!!」

ぴしゅっ

びくん、びくん、びくんっ

「あっく、う……ぁ…っはぁ………っ、は……ぁ」

微かな水音と共に二度三度と身体が跳ね上がる。
やがて、今までこもっていた力がすべて抜け、快感だけが身体を支配する。

「クルト……早く、来てぇ…。私はもう………」

自慰で体力を使い果たした彼女は、余韻に浸ったまま目を閉じた。
もしかしたら夢の中でまたクルトに会えるかもしれない。
そんな小さな期待を笑みを浮かべた寝顔と共にうっすらと浮かべつつ…








翌日、グランベルテの宮殿は緊張に満ちていた。
なぜならば、十数年ぶりに下級騎士から近衛騎士への昇格を果たした人物がいるのだ。
本来であれば非常に喜ばしいことなのだが、大多数の人はそう思っていないようだ。

クリスティーネだけは別だが…


「ねえ聞いたかしら?クリスティーネ。」
「どうなさったのですかオルティナお姉さま?」

昼食後の休憩中、クリスティーネは一つ上の姉、
第二王女オルティナに声をかけられた。

「亡くなったボギャーレ公の後任になる予定の新任騎士は…下級騎士の出身だそうです。」
「ええ、私もそのように聞いております。それがどうかしました?」
「聞くところによれば、その者は腕は確かなようなのだけど、その…
非情で冷酷な性格で、人の命を奪うことに躊躇しないのだとか。
ああ、想像しただけでも恐ろしい…」
「そんな大げさですねお姉さまは。まだ会ってもいないのに噂をうのみにして、
怖い人だと決めつけるのは感心しませんね。もしかしたら、実は心優しく
頼りになる方かもしれません。そうでしょう?」
「それはそうかもしれないけど…」

(お姉さまったら…それに貴族の人たちも、会ってもいないのに
そこまでクルトのことを悪く言うことないじゃない!
クルトは優しくて強くて笑顔が素敵で…少なくとも
近衛の男性騎士の誰よりも素敵な人なんだもん!)

オルティナの話を聞いていたクリスティーネは表面上は優等生を装いつつも、
心の中ではクルトマイヤーを快く思っていない姉や周囲の貴族たちに不満を持っている。
実際、貴族たちや殆どが貴族の子弟で構成されている近衛騎士達は、
常に戦場に生きる下級騎士達を野蛮で教養のない者と差別している。

「クリスティーネは怖くないの?」
「会ったこともない人ですから…実際に面と向かってみませんと。」

クリスティーネはあくまで毅然とした態度を貫いた。









そして夕方、いよいよ新任近衛騎士の叙勲式が執り行われる。
クリスティーネもあいさつのために顔を見せるので、
立派なドレスに身を包んでいる。

また、彼女にはお付きの女性近衛騎士が二名いる。
一方は見た感じクリスティーネと年が近いオレンジ髪ショートカットの騎士、
もう一方は三十路あたりの落ち着いた雰囲気を持つ長身の騎士。
護衛を任されるだけあって、どちらも女性騎士の中では上位の腕前を持つ。

「では姫様、そろそろ開会となるようです。
国王陛下からはお呼びがかかるまでここで待っているようにとのこと。」
「ありがとうミリア。そう…ついにこの時が…」

若い方の騎士…ミリアから開会の報告を受ける。

「姫様、此度の新任騎士はならず者の多い下級騎士からの編入、
そのうえかんばしくない評判も聞こえてきます。どうか注意のほどを。」
「大げさねミリアは。クルト……マイヤー新任騎士は
人間ではあっても猛獣ではないのですから。そんなに警戒しなくても。」
「いいえ、万が一姫様が危険な目にあった時には私が刺し違えてでも止めて見せます!」

ミリアは責任感が強く真面目な騎士なのだが、やはり貴族出身であるためか
下級騎士のことを快く思っていないようだ。

「まあまあミリア、いくら油断ならない相手とはいえども
彼はこれから私達の一員になるのよ。そこまで
敵対心むき出しにならなくてもいいんじゃないかしら。」
「カメリア先輩まで…」

年長の騎士…カメリアはいつも通り落ち着いた表情のまま、
警戒心をあらわにする後輩を落ち着かせている。
年長者の余裕と言ったところか、それとも…

「さ、そろそろ私達の番でしょう。行きましょう。」












一歩、また一歩と赤絨毯を踏みしめる。
『あの日』が人生で一番時間が早く感じた日であるならば、
今日は人生で一番時間が遅く感じた日になるだろう。
はっきりと聞こえる自分の鼓動は飛び跳ねる心臓を実感させ、
手先や足先が緊張でかすかに震える。

正直、心はいまにも全力で駆けだして、見えも外聞もかなぐり捨てて
この先で待っているであろう…私の騎士に思いっきり抱きついてしまいたい。
だが、そんなことをしたらこれまでの私の努力は全て水の泡。
培ってきた理性で突っ走ろうとする本能を強引に抑える。


先に謁見を終えた姉とすれ違う。
意識を自分と前面一直線にしか向けていなかったので、
姉がどこか恐怖を伴った顔をしていたことに気がつかなかった。


そして…

見えた。燃えさかるような赤い髪。忘れもしない、あの日のままだ。
あのころよりもずいぶん背が伸びていて、体格もかなり良くなった。
思わず両手で胸を抑える。そうしないと心臓が胸から飛び出てしまいそう。
顔もとても熱い…今の私はきっと真っ赤な顔をしているに違いない。

(クルト……)

そう、もうすぐ終わるのだ。牢獄のような不自由な生活が…
きっとクルトは、あの日と変わることなく笑顔で迎えてくれるはず。
再び私の手をとって、『世界』へと導いてくれるはず。
私の唯一の……


目が合った。顔がはっきりと映る。



あれ?なんでだろう?
ほんの一瞬だけ、身体の全ての動きが止まったように思えた。

怖い

あの日に見たクルトの目はどんな目をしていたっけ?思い出せない。
でも…少なくとも、こんな血の塊のような目はしていなかったはず。
顔つきも険しい…まるでハデス(黄泉の国の神…つまり閻魔大王)みたい。

ううん、大丈夫…きっとクルトも緊張してるの。
きっとクルトは、あの日と変わることなく笑顔で迎えて……


「この度近衛騎士に配属になりましたクルトマイヤーと申します。
第三王女クリスティーネ様におかれましては、ご機嫌麗しく…」


違う…違う!何でそこで格式ばっちゃうの!何でそんな冷たい顔をするの!
私のことを想ってくれるなら…私の手をとって笑顔を見せてよ!
クルトは跪いて心のこもってない謝辞を延々と語ってる。
でも私はそんな言葉を聞きたいんじゃないの…ただ一言久しぶりって…

なんで!?どうして!!クルト!!


「……にわたる伝統と栄光ある近衛騎士の一員となります。
初めてお目にかかりましたが故、なにかと無礼なところもあるかと存じますが、
姫様の失礼にならぬ様、精一杯精進する心構えで御座います。
以後、見知り置きをお願いいたします。」
 
 
 
 
ああ、そうか。

目の前にいるのはクルトじゃない…偽者ね。
外見は似てるかもしれないけど、中身は全然違うもの。
この人、自分から私に会うのが『初めて』らしいし…


「……近衛騎士クルトマイヤー。その場に立ちなさい。」

私は無意識に、目の前の男に起立を命じた。
彼はやや不振がった様子でその場に立つ…



バチーーン!!!
 
 
 
「なっ…………!!」

思いっきり頬を平手打ちした。力の加減などしない、全力で。
そして追い打ちをかけるように…

「私は…あなたなんて大っ嫌い!!もう二度と、私に顔を見せないで!!」

私は偽者なんかに用はない。私が会いたいのは本物のクルトだけ。

「……クリスティーネ様。私が無礼を働いたのであれば謝罪します。
しかしながら、いくら嫌悪するといえども、面と向かって人を平手打ちにするとは。
王族としてあるまじき行為…クリスティーネ様におかれましては、
もう少し王族らしい慎みを心がけるべきかと存じます。」
「ふんっ!!」


ほらね、ここで気の効いたこと一言でもかけてくれないなんて。
私の夢を弄んだ罪は重いわ。平手打ちだけで済んでよかったと感謝しなさい。

私は振り返ることなく、先ほど来た道を戻る。
そう、これでいいんだ。きっと本物のクルトはいつか絶対に来てくれる。
偽物なんかには騙されない。

憤りのあまり、今まで隣にいたミリアが
付いてきていなかったことに少しも気がつかなかった。








クリスティーネ自室に戻ってすぐ、カメリアが侍女に命じて
気分を落ち着ける効果がある葡萄酒を一杯と、紅茶を運ばせた。
彼女は差し出された葡萄酒を一気に飲み干して一息つき、
それからゆっくりと紅茶をすすった。
そうしてクリスティーネが気分を落ち着かせた時を見計らって、
カメリアがゆっくりと口を開いた。

「お疲れさまでした、姫様。」
「ええ、ありがとうカメリア。幾分か落ち着いたわ。」
「それはようございます。あのように激昂なさったのは久々でしたので、
少々驚いてしまいましたが…身体の具合なども問題なさそうですね。」
「うん…」

クリスティーネは、気分が冷静になるのに比例して
徐々に自分が取り返しのつかないことをしてしまったのではと感じてきた。
考えなくても、彼が偽者なんていう奇妙なことはめったに起こりっこないし、
そもそも子供のままの性格で大人になる人なんていやしない。
かくいうクリスティーネも子供のころからずいぶん変わった気もする。

「ねえカメリア、私…大人げなかったかしら。」
「そうですね、確かにクルトマイヤー新任騎士が言っていた通り、
姫様にしては思慮に欠ける行動だったと言わざるをえません。」
「…………」

カメリアは5年くらいクリスティーネの護衛をしている、気の置けない人の一人だ。
他の貴族や近衛騎士と違い謙虚でつつましやかな性格で、
よくクリスティーネの相談相手になってくれる。
ただ、時には今のように厳しい一言もためらわず放ってくるが…

「姫様があのとき何を思ってあのような挙動に出たのか、私には分かりません。
しかしそれ以前に、姫様は本当に新任騎士とは初顔合わせだったのでしょうか?
私にはそうは思えません。なぜなら……」

一呼吸おいて、クリスティーネの顔をまっすぐ見据える。

「彼の挨拶には礼儀はあっても心がこもっていません。言うならば個性がありません。
それなのに姫様は彼のどこをお嫌いになられたのか……初対面であるにもかかわらず。」
「ふふ…カメリアは何でもお見通しってわけね。そうね、ミリアが…
あら、そういえばミリアが見えないわね、どこに行ったのかしら?」
「申し上げにくいのですが…ミリアさんは先ほど姫様が退場なされた直後、
クルトマイヤーさんに決闘を申し込みまして。」
「ミリア………なにやってるんだか。私の為を思って挑んだのでしょうけど、
決闘はさすがにやりすぎじゃないかしら。それに、実戦経験のないミリアが
元下級騎士から近衛騎士に実力で上がってきたクルトに勝てるわけないじゃない。」
「手厳しいですね姫様…ご明察です。残念ながらミリアさんは負けてしまい、
叙勲式もそこで繰り上げ終了してしまったようです。」
「力でねじ伏せたってわけね、気に入らない……」
「なので姫様、近日中にクルトマイヤーさんに今日の非礼を詫びなければなりません。」
「詫びる?」
「ええ、彼には過失も落ち度もありませんし手を出したのはこちらです。
彼も多少怒っているかもしれませんが、素直に謝れば不問にしてもらえるでしょう。」

カメリアの言葉を聞いて、クリスティーネはしばらく黙りこんでしまう。
だが、先ほどの謁見を思い出すとやはり気が滅入ってしまう。

すべてはあの瞳がいけないのだ。

優しさも温かさもない、直視した相手を射殺してしまうような深紅。
(注:決してビームが出そうとかそういう意味ではない)
あの瞳で見られたら顔を背けるしかなくなる。何も言えなくなってしまう。

怖い

「カメリア、貴人たる者はそう簡単に人には頭を下げないものなの。
むしろ彼のような武骨なものには上下関係をわきまえさせるいい機会です。」
「そうですか……」

クリスティーネは強がって心にもないことをいった。
こんなことをいうなんて最低だと自分でもわかっている。
だが、カメリアはやはりそこまで見抜いているのだろう。

「そうは言わずに謝るべき…といっても姫様は聞く耳を持たれないでしょうね。
彼には私から代わりに謝罪しておきます。ミリアさんも同行させて。
おそらく彼は納得しないでしょうが、これも騎士の礼ですから。」
「あ、そう。勝手にしなさい。」
「では……あ、そろそろご夕食の時間ですね。いかがなさいますか?」
「いらない。今日は食欲がないの。」
「ですが何か口にいたしませんと健康に差し支えます。」
「いいったらいいの!人間一食や二食くらい抜いても死にはしないわ!
それよりも…今日はもう休みたいの。侍女たちに寝間着の用意をさせなさい。」
「はい、承知いたしました。では私はこれにて退出いたします。」


カメリアが退出し、入れ替わりに侍女が寝間着を着せてまた退出する。
ここから先はクリスティーネ一人だけの時間になる。
彼女専用のとても寝心地のいいベッドに力なく飛び込み、
もぞもぞと布団をかぶる一連の行動は、人がいたらさぞ滑稽に映るだろう。

「あ……結局カメリアにクルトのこと話してなかったな…」

ミリアが聞いていたらとても拙いと思ったので退出させようとしたが、
肝心のミリアがいなかったため話題が入れ替わってしまい、
結局そのままお流れになってしまったようだ。
クリスティーネとしてはあまり話したくない話題だったので、
どちらかといえば好都合だったように思える。
だが、自覚はないもののやはりだれかに話を聞いてもらいたかったのだろう。
彼女の胸のうちは晴れないままだった。


「クルト……あなたはどこに行ってしまったの?
あなたがいない世界で、私…どうやって生きていけばいいのかな?」

もしかしたら、彼は今もまだあの城壁の向こうの世界にいるのかもしれない。
でもクリスティーネには再びあの城壁の向こうに行くことはできない。
大人になった彼女には、なぜか子供の時よりも城壁が高くそびえて見える。
しかし、再びあの城壁を超えなければ彼女の運命は…


「いや……いやよ!一生お姫様で暮らすのなんていや!
私はもう一度あの世界で、一人の女の子クリスティーネになりたいの!
そのためにずっとずっと…苦しい思いをしてきたのに!
うっ……ぁ……ぁあっ!あはぁ…っ………うぅぁ…!」

もう泣くことしかできない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
次の日、クリスティーネはいつもの調子に戻った。
午前中は女性貴族たちを伴って花園を散策。
午後は日課となっている勉強や読書をして過ごす。
彼女が宮殿内を歩けば常に女性貴族たちがそのあとにつき従う。
カメリアもクリスティーネの横に控えているが、
いつもは右に控えているミリアの姿がなかった。なんでも体調不良らしい。


「……でね、大メルセティウス(前時代に活躍した詩人の名前)の特徴は
ただ余韻の構成が神懸っているだけじゃなくて、それを自然に
読者から気付かれることなく詠まれている点にあるの。」
「はぁ…さすがは姫様!お詳しいのですね!」
「私たち一同感心の余り胸が震えるようですわ…!」
「あら、これくらいはむしろ常識よ。覚えておきなさい。」
『はいっ!』

(下らない…。そんなこと知ってどうするというのかしら。
詩の感じ方なんて人それぞれなのにね。勝手に定義されて大メルセさんも
さぞ複雑でしょうね。見てくれだけじゃなくて中身を見てくれ……
いやいやいやいや…そうじゃなくて詩は感じて楽しむものなのにね。)

今やすっかり衒学癖が付いてしまったらしいが、
そんな自分に嫌悪感を覚えるのもまた事実らしい。

と、向こうから巡回中の近衛騎士が歩いてくる。
しかもよく見ると先頭を歩いているのはクルトマイヤーだった。

(え!?クルトが先頭!?嘘っ、なんで!?)

表情には出さないものの、クリスティーネの驚きは相当だった。
なぜなら近衛騎士の警備陣形は3人で構成されていて、
一人が前に二人が後ろになる三角形で行動するのだが、
このとき先頭にいるのが小隊長となる。これは近衛騎士に限らず
騎士全般的に前を歩く者ほど地位が高く、実力も上になる。
いざ敵と衝突した際に真っ先に剣を交えるのは栄誉であると同時に
戦死する危険も高いため、ふつうはベテランが務めるものだ。
だがクルトマイヤーは昨日入ったばかりの新任騎士…それも初仕事は今日からだ。
それなのにプライドだけは人一倍高い近衛騎士たちを差し置いて、
警備陣形の先頭を歩くとは……


すれ違う瞬間、近衛騎士たちはクリスティーネの集団に道をあけ、深く一礼する。
その中でもクルトマイヤーの礼は形が完璧で、後ろの二人と比べてもはっきりと違う。
下級騎士は礼儀も知らない野蛮な者ばかり…というのが近衛騎士たちの総意だが、
むしろその下級騎士上がりのほうが礼儀に長けているのではないかと思ってしまう。

ちなみに王侯貴族は騎士に対して返礼する必要はない。そういう立場だからだ。


「そういえば今の赤毛の騎士……昨日入った下級騎士よね。」
「確かに。狼藉を起こすんじゃないかと思ってたけど、意外と礼儀正しいくてよ。」
「……でも姫様に」
「しっ!姫様に聞こえるわよ!姫様はまだお許しになられていないはずよ。」


(ヒソヒソしても無駄。聞こえてるわよ。)

クリスティーネはクリスティーネでポーカーフェイスを保ったままその場を後にした。
しかし内心は極度に緊張していた。

「そういえば姫様」
「どうしたのカメリア?」
「彼…クルトマイヤーですが、午前中に我々近衛騎士一同で合同訓練した際に、
力試しとして全員で一斉に戦いを挑みまして…」
「全員で?それって1対49でってこと?」
「正確にはミリアさんがいませんでしたので1対48でしたが、結果は見事全員返り討ち。
私や騎士団長殿ですら全く歯が立ちませんでした。まことに不甲斐無い思いです。」
「そう……それでクルトは先頭を歩いていたのね。まったくとんでもない強さね。」
「はい、私たちの大半が実戦経験がないとはいえあそこまで一方的にやられるとは。」
「でももしこれが実戦だったらどうなっていたと思う?私たちの破滅よ。
明日からは今まで以上に気合を入れて訓練することね。」
「はっ、肝に銘じておきます。」

なぜだか、クルトマイヤーが自分に追い付くどころか追い越して、
どんどん離れていってしまうような気がした。











次の日、ミリアが近衛騎士隊を解任された。
表向きの原因は叙勲式での決闘騒ぎの責任という名目だったが、
実際は彼女のほうから近衛騎士を辞めたいと申し出たからだった。

「本当にいいのミリア?あなただってがんばればもっと強くなれるはずよ。」
「これでいいのです…姫様。私には姫様を守る力も資格もありません。
これを機に下級騎士の身になり、己を見直そうと思います。」
「下級騎士になったら……あなたの爵位はすべて剥奪、
その上近衛に戻る道は非常に厳しいわ。それでもいいと言うなら私も止めないから。」
「構いません。近衛は…未熟者のいるべき場所ではありませんから。」

ミリアは近衛騎士の中でも比較的実力のあるほうだ。
そうでなくてはクリスティーネの護衛になることはできない。
その上性格も真面目で、向上心もある。だからこその決断なのだろう。

そしてその日から、クリスティーネはミリアを見ることはなかった。


「ミリアらしいけど……少し悲しいわね。」
「ええ。ですがミリアさんが抜けるとなれば後任が必要になります。」
「そっか…もう決まってるのかしら?」
「貴族子弟に何人か候補はいるようですが。」
「そんなんじゃだめ。軟弱な貴族たちじゃクルトには勝てないわ。」
「承知しております。ですので、この際下級騎士からもう一人ほど、
実力がある者を昇進させるという手もありかと。」
「……ああ、確かに。実戦経験もあるだろうし、クルトへの牽制にもなるかもしれないわ。
でも近衛騎士にふさわしい教養や礼儀が身についているかしら?」
「そこはある程度基礎さえできていれば後は教育すれば何とかなります。」
「そうね、今ほしいのは即戦力だし…わかったわ。お父様には私から言っておくから
カメリアにはそれなりの実力がある下級騎士を探してきてちょうだい。」
「かしこまりました。」

クリスティーネの命令を受けてカメリアは早速行動に出る。

「ところで姫様。」
「どうしたの?」

だが、カメリアは部屋から退出する前にクリスティーネのほうに振り向いて…

「候補が見つかった際には、あらためて『クルト』さんとの関係をお話してもらいますね♪」
「っ!?」

それだけ言い残すと、扉を閉めて出て行ってしまった。

「うぅ…そういえば最近は自然に『クルト』って言ってたかも…。
私としたことが、なんと言う失態を…どこまでばれてるのかしら?」









それから更に数日後、再びクリスティーネの部屋にて。

コンコンッ

「カメリアです。」
「入って。」
「はい、失礼いたします。」


夕食が終わって、後は読書して寝ようという時間にカメリアが入ってきた。
クリスティーネはそのことを不快とも思わず招きいれる。
彼女にはカメリアが来た理由がおおよそ見当がついていた。

「見つかったの?候補が。」
「その通りに御座います。」
「意外と早かったわね。」
「はっ、それが昨日早速強さ、性格共にうってつけの人材を見つけまして、
本人の意思も合致したためあとは姫様の裁量を受けるのみで御座います。
それはそうと姫様、国王陛下にはすでに認可を受けていますか?」
「大丈夫。父上も私の好きに任せるって言ってくれたから。
むしろ自分で安心できる騎士を選んでくれって言ってたわ。」
「なら心配要りませんね。………いいわよ、入ってらっしゃい。」


カメリアが扉に向かって一声かける。すると一人の女性騎士が入室してきた。
カメリア以上にすらっとした長身に膝裏まで伸びる銀色の髪、
バスタードソードという大剣を腰に挿し、青いローブの上に
黒金のよろいを着用している。あとなぜかニコニコした表情。
入室するなりきちんと礼をし、歩き方もどことなく優雅だった。


「ご紹介します。彼女はモルティエさん…。
クルトマイヤーさんの同期の親友にして、互角の腕を誇る騎士です。」


女性騎士…モルティエは微笑みの表情のままコクンと頷いた。
12/01/31 11:40更新 / バーソロミュ
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■作者メッセージ
えー、なんといいますか……筆者の予想以上に長めの物語となりそうです。
本当は上・中・下で終わらせる予定だったんですけど、上手くいかなかったかな?

で、今回は第一話をクリスティーネの視点で進めて見ました。
こちらの視点も物語ではかなり重要になるため、絶対にはずせませんでした。
クルトが命がけで戦っている時間に、クリスはベッドで自慰にふけり、
カメリアがモルティエをクリスに紹介している時間に、
クルトはドッペとあんなことやそんなことをしていたわけです。
いずれにしろ、時系列の相違はこの物語の鍵を握っています。
この先どうなることやら…


それとなのですが、再び誤字の指摘をいただき、修正いたしました。
この場を借りてお礼申し上げると共に、読者の方々にお詫び申し上げます。
また何かご意見がありましたら遠慮なくお申し付けください。

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