連載小説
[TOP][目次]
まよいご


『思い出すだけで、本当に恥ずかしい思い出です
何より、無計画で無鉄砲です
けれどそれでも
この選択がなかったらーー
わたしは、こうしていなかったでしょう』




 魔力が満ちる、満月の夜のことでした。

「うう……お母様の、馬鹿ぁ!」

 その日、わたしは怒っていました。
 一人部屋で布団をたたくと、ぽふっと音がします。
 独身であったウシオニさんの結婚式は、たしかに村総出で祝う素敵なものでした。
 白い角隠しをつけて、ほほを紅く染める彼女の姿は、まさしく幸せの絶頂で。いつかああなりたいと妄想を抱いてしまいます。
 男性の方も、元教団の兵でしたけれど彼女の丁寧な対応によって。本来のやわらかい優しい表情になっていて。やはりとても幸せそうなのが印象的でした。
 お父様のとなりでお母様が2本の尻尾を振りながら大きく拍手をしていたのを、思い出します。
 途中、天気雨ーー狐の嫁入りがあって。天も祝福しているような、なんとも神秘的な雰囲気でした。

 しかし。

 しかしです。

「いつか、あなたにもいい人が出来るっていわれても……」

 わたしの心に浮かぶのは、悲しみなのでした。
 なぜなら……

「この村に、独身の男の人は、もう居ないじゃないですか……っ!」

 そう、この結婚式によって、この村の男の人は全員お手つき……すなわち、既婚者になってしまったのです。
 こうなってしまったら、もはやどうしようもありません。
 毎日ご飯を作る勉強をしたり。
 お掃除を手伝ったり。
 勉強をしたり。
 そういったお嫁さんになるための努力は一生懸命してきました。
 告白のための言葉を妄想して、恥ずかしくなったりもしてきました。

 けれど、全てが無駄になってしまいました。
 男の人がいなければ、結婚なんて夢のまた夢です。

 もちろん、この村のことは大好きです。
 お父様が居て、お母様が居て。
 緑が豊かな、ちいさいけれどのどかで、美しい村です。
 しかし。魔物というのは狼なのです。
 常に誰か男の人を求める淫魔としての本能は−−捨てられないのです。

「……男の人、居ないかなあ」

 ぼそり、布団を抱きしめてそんなことをつぶやきます。
 もちろん、答える人は居ません。
 口をあけて待っていたところで、牡丹餅がおちてくることなんてあるわけがないのです。


 −−そう、村の腕利き術師である白蛇のお姉さんのように、毎日毎日水鏡を使ったまじないを使って異世界から男の人を召喚したりしなければ……。


「召喚?」

 思いついた言葉に、わたしはぴん、としっぽを立てました。
 そうです、こことは異なる世界−−地球には、まあるい大地と全く異なる文明の都市があって。まだまだ多くの未婚の男の人が居ると。
 以前何度かお姉さんに見せてもらった時のことを思い出します。

 水鏡に映るのは、灰色の舗装路と、四角い建物。
 道を走るからくり仕掛けの車に、変わった服で歩く人々。
 魔力とは違ういかづちの力できらびやかに輝く町並み。
 白磁のように美しい指を動かしながら、一つ一つ教えてくれる彼女の声。

「舗装は、アスファルトっていってね。建物はコンクリートというの。−−ここらへんのからくりも、全部電気の力。すごいでしょ?」
「はい。すごいですっ。きらきらです!」
「ふふ、そうね−−で、このコンビニっていうお店に居る人が−−私の、運命の殿方なの」

 そう語った白蛇のお姉さんは、数日後、男の人を召喚しました。
 今は、村でも有数の睦まじい関係で、見ていて正直嫉妬してしまうくらいです。

「……むう」

 しかし、今のわたしにとって。そのやり方はきっと不可能です。
 まず、異世界につなげるための魔力。
 狐の嫁入りがあるほど魔力に満ちたこの日なら。もっとも力の低い一尾のわたし程度であっても、空間をつなげることくらいは出来るかもしれません。
 けれど、所詮は一尾の魔力。
 つなげていられる時間なんて、ほとんどありません。
 もって数秒。といったところです。
 
 そして、召喚に応じてくれる男の人探し。
 短い時間では、ほとんど話す時間もないはずです。そんなわたしについてきてくれる人なんて居るはずがありません。
 お姉さんだって何度も何度も繋げて、運命を手繰って、ようやく伴侶を得たのですから。

 ……完全に手詰まりです。
 良い考えだと思ったのですが……。

「ええい、ままよ。です!」

 しかし、ここであきらめるのはいけません。
 結婚しないまま、誰とも出会えないまま歳を重ねてしまうなんて、絶対に駄目です。
 たとえ、確率がどんなに低くてももしかしたら一目ぼれをしてくれる人だって居るかもしれません。
 以前白蛇のお姉さんがやってくれていたように、盆の上に水をたたえ魔力を注いで鏡にします。
 小さく揺らすと波紋が浮かび、映し出された世界がゆらりとゆがみました。

「−−かしこみ、かしこみ、かしこみもうす−−赤狐、青狐、白狐−−」

 揺れる世界にあわせ、この世界とかの世界を繋ぐ祝詞を唱えます。
 門前の小僧なんとやら。唱え始めれば自然と口から言葉が出てきました。
 普段はあまり得意ではないというのに、現金なものです。

 そして、数秒の沈黙。
 揺らぐ水鏡から、ぴしりという音が響きました。
 水鏡には何も映らず、亀裂のようなものが、盆の上に走っていました。
 曇った鏡は何も映していません。
 やはり、失敗−−。 

「あれ!?」

 ため息をつきかけるわたしの目の前で、亀裂はゆっくりと開いていきます。
 亀裂の向こう側から見えるのはーー青い空。
 夢中になって覗きこめば、水鏡で見たことのある、たくさんの建物。
 変わった服を着た人の姿が、遠くに見えます。
 それは、以前白蛇のお姉さんに見せてもらったとおりの景色でした。
 つばを飲み込むわたしのほほを向こうの世界からやってきた暖かい風がなでます。

「つながる、なんて」

 そう、今日は狐の嫁入りがあった日。
 わたしたちの力が最も強くなる日です。
 結果として、見るだけではなく世界そのものを繋ぐ裂け目をわたしは作ったのでした。
 亀裂はある程度の大きさになってから、ゆっくりと閉じ始めていました。

 大人一人が通るのには、もうほとんど狭すぎて通れない程度の大きさの裂け目。
 通れるのは、子供くらい。
 男の人を連れてくるには、もう小さすぎるくらいです。

「……子供?」

 不意に思いついた言葉を反芻します。

 子供一人通れる−−ならばわたしが向こうに行けばいいのでは?

 向こうに行けば、男の人にだって会えるはず。
 お話して、結ばれることだってあるかもしれません。

 そうです。なぜ気がつかなかったのでしょう。
 食料が無くなった熊が人里に下りるくらい、当たり前のことだというのに。

「……すぅ、はぁ−−いってまいります!」

 深呼吸を一つして、裂け目に手を伸ばします。
 一瞬だけためらいがありましたが、もはや止まる気はありません。
 手元の紙に『いってまいります』と一言書き残して、青い空へと沈み込んでいきます。
 お父様、お母様。

 −−今度帰ってくるときは、絶対にいい夫さんに娶られたいと思いますっ!
  
 





「……はあ」

 ほこり被った神社の軒下でため息を一つつきます。
 喜び勇んで出発してから数日間。
 わたしを待っていたのは悲しい現実でした。

「まさか、声一つかけられないなんて……」

 そう、わたしが今まで築いてきた人間関係というのは、村の中の人だけのもの。
 当然知り合い同士の話し方しか分かっていません。
 そもそも、町を歩く人にはどう話しかけたらいいのでしょうか?

 「結婚してください?」
 「お付き合いしてください?」

 ……これらが、絶対に違うことだけは分かります。
 いざ、話しかけようとしてもでるのは言葉にならない音の塊だけ。 
 これでは、全く会話のしようがありません。

「うう……おなか、すきました」

 わたしは魔物ですから、そう簡単に倒れることはありません。
 ごはんも数日間程度ならたべなくてもへいちゃらです(怒られますが)。
 けれど、こうして過ごしてみると本当に辛いのがわかります。
 さらに服を洗濯することも出来なくて、身体からはすっぱいような匂いが漂ってしまっていました。
 帰ろう。とも考えましたが、この世界とつながったこと事態が奇跡なほど貧弱なわたしの力では、戻ることもかないませんでした。

「姐さん!社務所の雨漏り、修理終わりましたよ!」
「ひゃあっ!?」
  
 不意に掛けられた声に、すっとんきょうな声をあげてしまいます。
 見上げると熊のように大きな男の人が、罰の悪そうな顔でこちらを見つめていました。

「ありゃ?人違いか。怖がらせてごめんな」
「い、いえ……突然でびっくりしただけですから」
「どうした?熊っち」
「姐さんと間違えて声かけちゃったんですよ。……って姐さん。どうしてここに」
「ああ、ちょいと電話があったんでね」

 思わず二歩下がったわたしの後ろから聞こえてきたのは、若い女性の声。
 振り返ると、小柄な少女の姿がありました。
 見たことはなかったのですが、ドワーフ、という魔物でしょうか。

「ん、うちの熊が怖がらせちゃったみたいだね」
「いえ……勝手に怖がったのはわたしですし……」
「そうかい。ならいいんだけど……ふむ」
「どうしたんですか?姐さん」

 彼女は何度かうなずくと、わたしの体をじろじろと見てきました。
 小さく鼻を鳴らす音が聞こえます。

「あんた、どっかから家出でもしたのかい?すごく汗臭いし、服は古風だしでーーなんていうかここらの人って感じがしないけど。迷子にしては迷いすぎだ。そもそも、何でこんな寂れた神社に居るんだい」
「姐さん、何を?」
「いいから、ちょっと熊は黙ってて−−で、実際のところどうなのさ。家に帰れないってのは間違ってないと思うけど」

 視線を下にむけると、鋭い瞳がこちらに向けられています。 
 子供のような小柄な体に似合わない心の奥を見透かすような、老練な瞳。
 それは、さっき熊と呼ばれた彼よりも凄まじい威圧感でした。

「え。ええっと……それは、その」
「ほう、言いよどむってことは。クロか?」
「……はい」

 ーーもはや、わたしに出来ることは。白旗を上げることくらい。
 小さく首肯するわたしに彼女はにやり、と笑って見せたのでした。

「よしよし、やっぱりか。ほら行くよ」
「……へ?」
「どこ行くんすか、姐さん?警察?」
「うーん。それもあるけど。まずはやっぱりお風呂かねーーほら、汗だらけだろ?」
「お風呂?」
「まず、身体をきれいにしないと落ち着いて話も出来ないだろ?アチシも仕事上がりだしちょうど風呂はいりたかったとこだしね……というわけで熊っち!確保!」
「イエス、マムっ!」

 凄まじい速度で伸ばされた手が、わたしの首根っこをつかみます。
 その勢いのまま、肩の上にのっけられると、視界がぐるぐるとゆらぎました。





「……正座っ!」
「はいっ!?」
「覚悟、しなさいね……っ!」
「うにゃあああっ!?」

 正座するわたしの額に近づく白い指。
 直後、びしっという大きな音と共にでこピンが直撃しました。
 額にずきずきとつたわる衝撃にくらくらとします。
 かすむ視界に、ちかちかと星が輝くのが見えました。

「……はあ。全く」

 目の前で美しい女性がため息をつきます。
 彼女はわたしが連れられた銭湯ーー『金玉の湯』の女将さんでした。
 妖孤である彼女の尾は9本。漏れ出す魔力は凄まじい量で。多分わたしの512倍くらい(尾の本数だけ2を掛けるのです)はあるような気がしました。

 ネールブさん(さっきのドワーフの方です)はわたしの来歴(歩いている最中に洗いざらい吐かされました)を彼女に説明すると、さっさと先に風呂に入ってしまったので、彼女とわたしの二人きりです。

「もう、ダメよ?そんな書置きだけしても、心配になるだけなんだから。いくら男の人が欲しいからって……たしかに、気持ちはわかるけど。でも、お母さんやお父さんは大事にしないとダメ。あなたのことをきっと心配してるんだから」
「……ごめんなさい」
「うんうん、謝れるのは良い事よ。さ、はやくお風呂入ってきなさい。その間にご両親のほうともなんとか連絡つけてあげるから」
「でも、お金もってませんし……」
「子供がそんなこと気にしないの。そもそもそんなに汚いのにここにいられるほうが迷惑よ? さ、実家のほうには私がなんとか連絡してあげるから行ってらっしゃい」
「は、はいっ」

 背中を押されるがままに、浴場へと歩いていきます。
 脱衣所からでも分かる湯気の香りが、つかれきった身体に優しく浸透していきました。
 はやる気持ちで服を脱ぎ、扉を開けると……

「広い……」

 そこは、とても広い浴場でした。
 真ん中にある大浴場だけでなく、周囲を見ると泡が立っていたり、打たせ湯だったり。本当に色々なお風呂が見えます。

「おーい。こっちだこっち。アチシが髪洗ってあげるからこっちきな」
「はいっ」

 先に来ていたネールブさんに招かれるままにいすに座ると、ばしゃりと湯を掛けられます。
 それだけで、たまっていた疲れが水に溶けて流れていくのが分かりました。

「シャンプーつけるからね。ちょっと目を閉じててー」

 次に、小さな手が力強く繊細に髪を洗う感覚。
 石鹸の泡立ちと共に、頭皮が按摩される心地よさ。
 狐耳の後ろをこしょこしょとなぞられるとくぅん、と小さな声が漏れてしまいます。
 ふわり、と石鹸から涼やかな森のような香りが漂いました。

「いい香り……」
「この銭湯、特別のシャンプーだからね。いい香りなのもそうだけど、汚れもばっちり落ちるし、何より髪の毛ふわっふわになるんだ」
「ふわぁ」

 程よい暖かさのお湯で泡が流された後、小さく手櫛を入れられると、すう、と髪が下に流れていきます。
 たしかに、すごく効きそうです。

「よし、おっけー!身体も洗っておくからしばらくじっとしてなよ」
「え、いえそんな……」
「はい、遠慮はしない。アチシが洗ってやるっていってるんだから。それに、汚れたまま入ってお湯を黒くしたくないだろ?」
「わひぁっ!?」
「こらこら、暴れるな」

 有無を言わさぬ勢いで再び丸洗いの時間に突入します。
 首元から背中、わきの下に小ぶりな胸。
 そして、大切な尻尾。
 敏感な部分を洗われる感覚がくすぐったくて思わず身をよじってしまって。

「よし!お湯入って良し!」
「……は、はひ」

 全てが終わるころには、完全に息も絶え絶えになっていたのでした。 





「……暖かい、です」
「ここは、『金玉の湯』特製の薬湯だからね。なんていうか、効く感じがするだろ?」
「はひ、良く分かります……」

 茶色のお湯の中に浸りながら、小さくつぶやきます。
 全身の疲れをほぐすような漢方の感覚がたまりません。
 欲望のまま舗装路を歩き通しだったことによる足の痛みや、硬い床で寝ていた疲れなどが吹き飛んでいく快楽におぼれていきます。
 隣でタオルを頭に載せ、堂に入った様子で入浴しているネールブさんも気持ちいいのか小さくため息をついていました。
 そんなとろけたわたしたちの隣にぱしゃりとたつ水音。

「あら、薬湯が気に入るなんて渋い趣味ねえ」
「お、番台はどうしたんだい?」
「プレシャナに頼んできちゃった♪」
「女将さん……」
「お姉さんでいいわよ?」

 間に入ってきたのは、『金玉の湯』の女将さんでした。
 見事な裸身が、風呂場の湯気の中でも光って見えます。
 彼女は少しだけ暗い表情で、わたしに声をかけたのでした。

「さて、いなほちゃん……だっけ」
「は、はい」
「さっき、あなたの実家のほうと連絡がついたんだけど……その、落ち着いて聞いてね」
「……」

 ごくり、つばを飲み込むと、彼女は低い声で言いました。

「まずいなほちゃんの両親から。無事でよかったって言われたわ」
「ありがとうございます」
「……それと、もう一つ」
「もう、一つですか?」
「迎えに来るのはとても難しいって言われたわ……下手につないだら。海の上とかにつながっちゃうかもしれないって−−多分。一年くらいかかるって言われたわ」
「……そう、ですか」

 それは、半ば覚悟していたことでした。
 わたしがつなげられたのは、本当に特殊な状況だったのです。
 狐の嫁入りと、多くの魔物たちがそろう結婚式。そして満月。すべてが好都合でした。
 再現するとなると、きっとすごく大変な状況に違いありません。

 この世界で、一年?
 ……だれも知り合いの居ないこの世界で。
 男の人に話しかけることすらできない、わたしが?

 温泉の湯気で、視界がゆっくりとかすみました。

「ねえ、いなほちゃん」
「……はい」

 震える肩を、白い手がつかみます。
 女将さんでした。  

「今−−この銭湯ね。改築したばかりだから人手が足りないの」
「……」

 無言のまま、女将さんのほうを見ます。
 すると、彼女は頭にぽんと手を載せてくれました。

「……ちょうど、一年くらい住み込みで働いてくれる子が欲しいなー……なんてね」

 彼女の後ろでは、にやにやと笑うネールブさんの姿。
 つまり、そういうことなのでしょう。

「ここで、働かせてください!なんでもしますから!」
「はい、良く出来ました♪」

 微笑む女将さんの姿は、とても美しくて、思わず見ほれるくらいでした。

「−−けどね」
「?」


「女の子が、『何でも』なんていっちゃダメよ?」




17/04/28 01:00更新 / くらげ
戻る 次へ

■作者メッセージ


「女将様!」
「うーん、お姉さんでいいんだけど」
「そ、そんな失礼な言い方は出来ません!……じゃ、じゃあご主人様で!」
「……及第点、ね」

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33