読切小説
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殺されたって愛してる。
 いらっしゃい。旅の方ですね?
 やはりそうでしたか。では、お入り下さい。いやいや、遠慮なさらず。
 この雨ですからね。身体も冷え切っていることでしょう。外に立ってたら、風邪を引いてしまいます。大してお構いもできませんが、湯でも飲んで温まって下さい。

 さぁどうぞ。夕食が出来ましたよ。
 ははは、そんなに恐縮して頂くことはありませんよ。どうせ大した料理ではありませんし、それに私にはもう不要ですから。
 どうぞゆっくり召し上がって、体力を戻して下さい。

 いかがでしたか。お口に合いましたでしょうか。
 ……そうですか。いや、嬉しいものですね。そんなに褒めていただけるとは。
 で、ここで一つ、旅人さんを見込んでお願いしたいことがあるのですが。
 ふふ、そんなに身構えることはありませんよ。少し話を聞いて貰いたいだけです。

 今はこの家に私一人で住んでいるわけなんですが、少し前までもう一人の住人がいたんですよ。
 名前はエーリス。私の、実の姉です。
 昔、不幸な事故で両親をなくした私達姉弟は、残されたこの大きな家で二人、暮らしてきました。
 ご想像の通り、エーリスは私にとって単なる姉ではなく、むしろ保護者、母親がわりといった面の強い人でした。
 料理を作ってくれたり、家事を引き受けてくれたり、まだ成人していなかった私の面倒を見てくれたことに関しては、感謝のしようもありません。
 私が社会に出て給金を貰うような身分になっても、それは変わりませんでした。エーリスの干渉を鬱陶しく思うことが無かったとは言いませんが、それでも二人きりの姉弟、ずっと仲良く助け合っていきたいと考えていたんです。特に社会人になってからは、今まで世話を掛けた分、自分でも出来ることはして、姉さんに楽をさせてあげたいと思っておりました。
 そんなある日のことです。
 私が同僚の女と話しているところに、偶然姉さんが通りかかったんです。別に彼女とかそういう人ではありませんでしたから、私も特に気にかけることなく応対したんですが、姉さんの様子がおかしいんです。
 いつも優しく私を見守ってくれていた姉さんが、目を吊り上げて世にも恐ろしい形相をしているんです。そのまま物も言わずに私の襟首を掴むと、家まで引きずるように連れ帰ってしまったんです。
 私は驚き、同時に怒りも覚えました。ガキじゃあないんだから、こんな仕打ちはあんまりだと。しかし姉さんの剣幕の余りの激しさに、何も言えなくなってしまったんですね。
 何かおかしいと感づいたのは、『私が居るんだから、あんな女は要らないでしょう』と姉さんが言い出した時ですね。
 私たちは血の繋がった姉弟でありますから、当然恋愛感情や嫉妬心なんてものを抱くことは無いと思っていたわけなんですが、どうも姉さんの方は違ったようです。
 無理やり押し倒してズボンを脱がそうとしてきたときにようやく、私は姉さんの愛情が思っていたものよりもずっと禍々しいものだと知ったのです。
 当然抵抗しました。ですが、実の姉に迫られているという異常な状況のせいで脳と身体がまともに働かず、獣のようになってしまったエーリス姉さんの勢いを止めきれなかったのです。
 下着まで脱がして、露出させた私の股間に姉さんはむしゃぶりつきました。
 萎え切った私のものを姉さんに咥えられると、肉親にフェラチオされているという事と、私がそれに快感を覚えてしまっているという事とに言いようのない悍ましさを感じました。
 それでたまらず無我夢中で振り払って、それでも私を組み伏せようとする姉さんの両肩を力任せに突き返したんです。
 すると、鈍い音がして姉さんが動かなくなりました。
 我に返って見てみると、家具のカドで頭をぶつけたらしい姉さんが頭から血を流して倒れています。
 慌てて呼びかけて、意識を戻そうとしましたが何の反応もありません。近親相姦未遂に続いて起こった新たな異常事態で、私の混乱は頂点に達しました。
 しばらく経って、ようやく私は自分のやったことに気づきました。
 幼い頃からずっと私を守り育ててくれた大事な姉さんを、故意ではないとはいえ、死なせてしまったのだと。
 こんなにもあっけなく人間が死んでしまうなんて信じられないくらいでしたが、眼を閉じて倒れているエーリス姉さんが起き上がる気配はもとよりありません。
 あの時の私は完全に正気を失っていました。そのせいで、私は更に罪を重ねてしまったのです。
 死んでしまった姉さんを放っておくわけには行きませんが、しかし捕まるのも嫌でした。
 道理から言えばすぐにでも出頭して、しかるべき裁きと罰を受けるべきだと分かってはいたのですが、その状況になにか理不尽なものも感じていた私は素直に牢へ入る気にはなれなかったのです。
 そこで私は、夜の闇に乗じて姉さんの身体を外へ引きずり出しました。
 あなたも見た通り、この辺りは民家が疎らで、夜ならば目撃者の心配はありません。思った以上に重い人間の身体を担いで、私は崖の突端まで歩いて行きました。
 そうです。そこから私は、姉さんを投げ落としたのです。
 この辺りは海流が早く、溺死した人の体がながされてそのまま帰ってこないという話も聞いたことがあります。死体が上がらないせいで、「海で死んだ人間は魔物に生まれ変わる」なんて伝承もあるくらいですから。証拠隠滅、死体遺棄にはうってつけだと思ったんです。

 その翌日のことです。
 あんなことをしておきながら、私は朝からきちんと会社へ出勤していました。
 自分でも驚いたぐらいなのですが、普段通りに振舞わなければ怪しまれるという冷静な判断ができてしまっていたのですね。
 大切な姉さんを死なせて、更に罪をも逃れようとする、まったくゲスなことでしたが……どういうわけか、私はそんな悪事を行えてしまったのです。
 勤めを終えて家に帰った後、今で一人食事をしていると、外から不審な物音がしましてね。
 ちょうど今日みたいな雨の日でしたよ。最初は風の音かな、と思ったんですが、聞いてみるとどうもおかしい。規則的と言うか、人為的な音に思えるんですね。
 窓に何か濡れた物がぶつかるみたいな、重い音です。誰かのいたずらかな、とカーテンを開けてみたら。

 そこには姉さんが立っていました。

 脚からヒレを、腰から尻尾を生やした魚のような姿になっていましたが、確かにエーリス姉さんでした。前の日に私が死なせて、海に捨てたはずの。
 もう、全身の血流が止まったかと思いましたよ。自分の手で殺した人間が、生き返って報復に来る。これ以上の恐怖は、ちょっと無いでしょう。
 慌ててカーテンを閉めて明かりを消して、寝室に引っ込んで布団を被って、それでも音は消えないんですよ。べしん、べしんっていう、水かきが窓硝子に当たる音が、家の奥まで響いてくるんですよ。
 その夜は眠れませんでしたね。朝日が上るまでずっと、一人でガタガタ震え続けていましたよ。
 出勤の時間になっても、外へ出る気にはなれませんでした。……窓に、どろっとした液体による手形が残っていましたからね。外が明るいからといって、安全だとは限らないような気がしたんです。
 そして次の夜も姉さんは来ました。窓の側までやってきて、入室を乞うように窓を叩いて、夜が明けるまで帰らないんです。
 姉さんの訪問は毎晩続きました。
 陽が落ちてしばらくすると、海のほうからぴちゃぴちゃという音が響いてきます。その水音はゆっくりと、しかし確実に大きくなっていき、遂には私の家の前で止まります。
 すると今度は、代わりに窓硝子に水掻きが当たる独特な音が鳴り始めます。私の住んでいる家そのものに当って立てられる音なものですから、居間から離れて部屋に引きこもってもその音、その振動は伝わってきます。ベッドに潜り込んでみてもちっとも心は休まらず、いつ窓が破られて復讐心に燃えた姉さんが私を殺しに来るのかと考えると、眠るなんて到底ムリです。
 そんな恐ろしい時間が、朝になるまで絶え間なく続くのです。
 太陽が昇ると姉さんは去っていくのですが、それでも海の方から見張られているような不気味な気配は消えませんでした。
 カーテンを閉めきって鍵を掛けて、それでもエーリス姉さんから逃れることはできません。玄関前にびっしりついたヒレの跡を見ると脚が竦んでしまって、外出なんてできませんでした。
 今から思えば、「海で死んだ人間が魔物になる」ということなら、私が姉さんを海に投げ捨てた時点では姉さんにはまだ息があって、海に捨てられた後に命を失ったと考えるのが自然なんですが、どっちにしても私に罪があることに変わりはしません。
 むしろ、混乱の余り罪に罪を重ね、死ななくていいはずのエーリス姉さんを溺死させたということになるならば、私の咎はかえって大きくなったともいえますが、私が責められるべきだということに変わりはありません。
 仕事にも買い物にも出られず、私は昼となく夜となく姉さんに怯え続けていました。
 こんなに恐ろしい思いをするならいっそ殺して欲しい、いやこうして怯えさせるのが姉さんの復讐なのかとまで考えたんですが、ふと妙なことに気づいたんです。
 姉さんの姿は明らかに人間のそれではありませんでした。それ自体は、先ほど話した伝承のこともありますから、納得していたんですが……分からないのは姉さんの行動です。
 エーリスが私の命を取りたいならば、あんな窓硝子一枚、石でもぶつければ簡単に割れるはずです。怯えさせたいにしても、ただ窓をノックするだけよりもっとやりようがありそうなものです。
 だから私はある夜、カーテンを開いて窓越しに姉さんと対面してみました。
 直接顔を合わせる勇気はありませんでしたが、表情を見るだけでもなにか分かるかもしれないと思ったんです。
 久しぶりに会った姉さんは、酷く嬉しそうでした。
 予想していた、憤怒とか悲哀とか怨恨とか、そういう負の感情は全く無かったのです。ガラス越しですから言葉を交わすことはできませんが、それでも姉さんに害意が無いことははっきり分かりました。

 以来毎夜、私は姉さんと見つめ合い、彼女の意志を汲み取ろうとしました。姉さんが私に死を望むなら死ぬより他無いし、何かして欲しいことがあるなら、それをせねばなりませんから。
 そして昨日、ようやく私は悟りました。
 姉さんは、ただ私と一緒にいて欲しいのだと。彼女と一緒に、海の底にまでついて来て欲しいのだと。強制ではなく、私の意志で彼女の側にいることを選んで欲しいのだと。
 だからこそ、存在をアピールしつつも、物を壊したり過剰に音を立てたりして私を必要以上に怖がらせない様にしていたんですね。
 これを知った時、私は深く感銘を受けました。
 姉さんは、自分を殺した相手をも愛そうというのです。長い間育ててきた弟に裏切られて、それでもなお受け入れようというのです。
 このような寛容さは人間のものではあり得ません。自分の命を奪った相手を求めるなど、人には物理的に不可能です。
 魔の者にのみ為し得る、究極の包容。魔物が人間を求めるというのが一体いかなることなのか、私は身を以て知ったのです。
 そうと分かれば長居は無用。早速姉さんに対面して許しを請い、今夜にでも海へ赴こう、と思っていたところに尋ねてきたのが……そう、あなたですよ。
 信じられませんか? 死んだ人間が生き返るなど。海神の魔力で、新たな生を得るなどと。ならば、そこのカーテンの隙間から外を覗いてご覧なさい。
 ……見えたでしょう。あれが私の姉さんです。身内の贔屓目を差し引いても、なかなか美人だと思うんですが。
 あなたにこの事を語ったのは、姉さんがやって来るまでの時間つぶしというのもありますが、もう一つ、誰か旅をしている人にこの話を広めて欲しいと思ったからです。 
 主神教会は、魔物は人間を殺すとか騙して食うとか、好き放題言っています。実際私もそれに近いことを信じてはいたんですが、しかし現実は違いました。
 魔物は、自らの仇でさえ愛し求めることのできる存在なのです。人間なんかより、余程寛容で、優しい存在だとは思いませんか?
 このような事例を世の人が知れば、この世界もまた良い方向へ変わるのではないかと思いましてね。実の姉を手にかけた大罪人の、ちょっとした罪滅しですよ。
 こんなもので私の咎が消えたとは思いませんが、まあ、後の処理は姉さんにお任せしますよ。許してもらえるのなら何でもしますし、もし私の考えが誤っていて、エーリス姉さんが私を殺そうというのなら、それもまた仕方ないことです。甘んじて死罰を受け入れますよ。
 しかしこれ以上姉さんを待たせるのも悪いですから、私はそろそろ行くとします。
 もう少し雨は降り続きそうですから、明日の朝までこの家に留まって頂いても構いません。何か欲しいものでもあるなら、適当に持って行って旅費の足しにして下さい。
 それではごきげんよう。あなたの旅の無事を、祈っていますよ。 
12/02/09 15:11更新 / ナシ・アジフ

■作者メッセージ
どうなんでしょうねこういうの。

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