連載小説
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夜に跳ぶ(飛ぶ)鳥
ダーツェニカの夜は、場所によっては明るい。
歓楽街などがいい例だ。金の入った傭兵や、取引を成功させた商人が集うそこでは、毎日祝杯が交わされる宴が開かれていた。
そして歓楽街に並ぶ酒場の一つでも、例外なく傭兵たちが騒いでいた。
仲間同士で言葉を交わし、料理を抓み、ジョッキを傾け、馬鹿笑いをする。
ダーツェニカまでの護衛任務をやり遂げた彼らの懐には、ひと月は仕事をしなくてもいいほどの金貨が詰まっていた。
そして、彼らの宴から取り残されたように、酒場の隅の一角に一人の男が座っていた。
料理を抓み、飲み物の入ったグラスを傾ける、軽装鎧を身に着けた傭兵風のその男は、宴を開いている連中の仲間ではなかった。
ただ、傭兵たちが騒いでいる一角で普通に食事をしている、と言った様子だ。
だが、静かにしていても、酔っ払いの気に障る場合があった。
「おいィ〜そこのぉ〜」
傭兵の一人が、店の隅に腰を下ろす男に目を止め、指さしつつ声を上げた。
「おめえ、なんでンなにつまらなさそうにしてるぅ〜?」
椅子から立ち上がり、おぼつかない足取りで近づきながら、傭兵は男に絡んだ。
しかし男は、答えることもなくちらりと傭兵の方を見ると、手にしたナイフで肉を切り、フォークで口に運んだ。
「てんめ、聞いてんのかァ!?」
無視されたと感じ、傭兵が怒る。
そしてカツカツと、左右に揺れながらも早足で男に歩み寄ると、握った拳でテーブルを叩いた。
皿が一瞬浮かび、グラスの中身が大きく揺れる。
「お前、俺達を誰だと思ってんだァ?俺たちはな、あの…」
「頼むが静かにしてくれないか。俺はこれから仕事だ」
「なんだとぉ!」
男の言葉に傭兵は、腰に差していた剣を抜いた。
「貴様もう一度行ってみやがれ!!」
「ありがとう」
男が座ったまま、傭兵を見上げて言った。
「は…?」
男の言動に傭兵は、疑問符を浮かべるほか何もできない。
すると次の瞬間、男の右腕が動いた。
皿の上から、男をかすめるようにして、切っ先が天井に向けられる。
最も、酒場の傭兵たちは男のナイフの動きを捉えることは出来ず、高々と掲げられた男の右腕から、そう動かしたのだと後から気づいた。
「そっちまで歩く手間が省けた」
「はあ?どういう…」
傭兵の言葉半ばで、男が剣を握る右手の肘と手首の間の辺りを境界に、衣服や手甲ごと腕がずれた。切断されたのだ。
そして、切断された腕が断面から離れぬうちに、男の左手が剣を握った。
そこでようやく傭兵は、男の言葉の意味を理解した。
男は、剣が必要だったのだ。
そこまで考えたところで、傭兵の目の前でナイフと剣が舞い、彼の意識は断ち切られた。
「うわああああっ!」
仲間と男のやり取りを見ていた傭兵たちが、男の目の前で文字通り粉々になる傭兵の姿に声を上げた。
傭兵だったものが崩れ落ち、酒場の床板にぐちゃぐちゃと叩き付けられていく。
その音が止まぬうちに、男は傭兵たちの下へ滑るように移動した。
「っ!」
とっさに傭兵の一人が身構え、腰の剣を抜こうとした。しかし刀身の半分、いや四半分も鞘から抜かぬうちに、男の左手の剣が横薙ぎに振るわれ、剣を握る手ごと胴を両断した。
男は右手のナイフを手放すと、ゆっくり傾く男の右手から剣を奪った。
切っ先を地面に向けるようにして奪ったそれを、手の中で半回転させ順手にする。量産品の長剣が二振り、男の手に納まった。
傭兵たちは、男の手に納まる見慣れているはずの安物の剣が、猛獣の爪のように見えていた。
無理もない。目の前で二人の人間が立て続けに粉々にされたのだ。
「……」
「ひっ…!」
男が無言で目を向けると、傭兵たちは剣を抜いて構えた。
それなりに経験を積んでいるはずの彼らだが、切っ先は細かく震えている。
すぐにでも逃げ出したい心中を、剣を構えることで強引に抑えているようだった。
男は傭兵の一団に向けて、足を踏み出した。



酒場から男が出てきたのは、数分後のことだった。
木製の扉が突然ばらばらと崩れ、両手に剣を握った男が、木片を乗り越えて外に出る。
彼の丈の長い外套には、赤い液体が染みを作っている。
そして扉を失った酒場の出入り口の向こうは、鮮やかな赤と生臭い鉄の臭いに満たされていた。
「おい、あれなんだよ…」
「ちょっと…今の見たか…?」
突然崩れた扉と臭い、そして両手に剣を携えた男の姿に、道を行き交う酔客の声が響く。
男は立ち止り、あるいは歩きながら自身に視線を向ける通行人をぐるりと一瞥した。
「…なあ、あれってもしかして…」
辺りを見回す両手に剣を携えた男に、通行人の一角から声が漏れた。
だが、男は構うことなく、通りに足を踏み出した。
「ソードブレイカーじゃ…ないか…?」
通行人の台詞が虚空に消え、男が手にした刃を構えた。
直後、男の体が滑るように移動し、通行人の一人の前で剣を振るった。
縦横無尽に乱舞する刃が、通行人の身体を液体と握りこぶし大の肉片に変える。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
通行人たちが声を上げ、男から少しでも離れようと一斉に駆け出した。
その一方で剣を抜き、剣を振るう男に向かってくる傭兵たちもいた。
一人の傭兵が他の者よりいち早く男の側に詰め寄り、下段から喉元を狙って剣の切っ先を突きあげる。
しかし男の右の長剣が迫る刀身を切断し、左の刃が傭兵の首と腕を跳ねた。彼の絶命後も刃は止まることなく、左右に振るわれる。
「!」
左右の刃によって輪切りにされていく傭兵の姿に、後に続こうとしていた傭兵たちが足を止める。
下手に近づけば切り刻まれるのと、男の剣の動きに意外と隙が多いことに気が付いたからだ。
一見するとその剣速からまったく隙がないように見えるが、実のところ男は速度がすごいだけで致命的な隙を幾度も晒していた。
腕を失うことを覚悟すれば、首を跳ねることも可能だろう。
すると、傭兵の一人がじりじりと男ににじり寄って行った。
一方男も、迫る傭兵に向き直り、両手の剣を振りまわし始めた。
刃が壁を成すが、傭兵は構わず地面を蹴る。そして、狙った一瞬の隙めがけて、手にした県の切っ先を繰り出した。
がぢんっ、という音と共に傭兵と男の剣が弾かれる。
だが、傭兵は構うことなく続けて刺突を繰り返した。
鈍い金属音が繰り返され、傭兵の剣が弾かれ、男の剣の壁が歪む。
そして、数度の剣劇を繰り返し、ついにその瞬間が訪れた。鈍い音と共に、男の持つ剣の一方が折れたのだ。
傭兵が乱舞する長剣の一点に立て続けに刺突を繰り返し、ダメージを蓄積した結果だ。
男の右手からへし折れた剣の柄が零れ落ち、がら空きの右半身に傭兵の剣が迫る。
その場にいる傭兵たちが彼の勝利を信じた瞬間、男の腕が動いた。
剣の柄を握る右手が、残った刀身をかざしたのだ。
刀身の断面に、傭兵の刺突が弾かれる。
傭兵はとっさに剣を引き戻すと、続けざまに襲ってきた刃を受け流し、逸らした。
だが、男の左の長剣と右の折れた刃は執拗に傭兵の剣を狙っていた。まるで、傭兵が男の剣をへし折ろうと刺突を繰り返した時の再現だ。
相違点があるとすれば、男の一撃一撃により、傭兵の構える刃が少しずつこぼれ、削り取られているところだろうか。
無論男の二本の剣も削れて行くが、ひと振りの剣を二振りの剣で削っているのだ。どうしても傭兵の方が先に削れてしまう。
やがて、傭兵の目の前で剣がへし折れ、ついに半ば鈍器と化した刃が彼に襲いかかった。
叩き折る様にして、刃のこぼれた剣が傭兵を刻む。刃としての機能をほぼ失ったに等しい剣で傭兵を刻む様子は、他の傭兵たちに男の膂力を痛感させるのに十分だった。
だが、彼らは臆することなく、止めてしまっていた足を動かし、男の下へ殺到した。
赤黒い肉片の山と化してしまった傭兵が、男の長剣を片方へし折り、もう片方にも相当のダメージを蓄積させたのだ。
もう少しで勝てる。そして、『ソードブレイカー』を倒した傭兵として名を上げることができる。
傭兵たちの成す包囲陣が、双長剣の男を中心に狭まる。
だが、男は慌てるわけでも逃走するわけでもなく、両手の剣を握る指を緩めた。
剣の柄が男の手から零れ落ち、地面へと落ちていく。
一瞬、傭兵たちの胸中に、男の降伏が浮かぶ。
しかし傭兵たちは男の降伏を認めるつもりはなく、直後にそれが降伏でないことを悟った。
男の両腕が外套の下へ消え、裾を捲りあげながら引き抜かれる。
その手には新品ではない物の、折れてもおらず刃こぼれもない長剣が一本ずつ収まっていた。
そして傭兵たちの目に一瞬とはいえ、外套の下、男の腰に下げられた何本もの長剣が映った。
地に落ちた剣と腰に下げられた剣、そして両手に収まる剣が、傭兵たちにもう一つの事実を教えた。
なぜ、男が『ソードブレイカー』と呼ばれているかと言う所以を。






夜空を、一つの影が滑空していた。
時折翼を打ち、高度と速度を補うその影は、闇が滲み出したかのように真っ黒だった。
『歓楽街十二番通りで事件発生』
影が、眼下のダーツェニカの街から響く『声』を聞き取り、囁いた。
『殺人、傷害、器物損壊を確認』
ばさり、と翼を空打ちし、影が町の一角に進路を変える。
『容疑者筆頭は、ソードブレイカー』
「だ、そうです」
ささやきが断ち切られ、高い声が影から響いた。
「ソードブレイカー対策のアレは、持ってきていますね?」
「ああ、念のためだったがな」
高い声に、男のやや低い声が応じる。
「まもなく十二番通りです」
「北側の建物の上へ」
短い会話とともに、影が少しだけ姿勢を傾け、進路を変えた。
「降下中…固定具を解放します」
影が明かりの灯る通りに接近し、金属音を発した。
直後、影が上下二つにわかれた。
一つは翼を空打ちして上空へ、もう一つは翼を広げて滑空しながら街へ。
並ぶ建物が徐々に接近し、屋上の一つに影が降り立つ。
いくらか擦れる音がしたものの、ふわりとした着地であった。
そして広がる影が、ずるりと立ち上がった。
屋上に立っていたのは、黒いマントを羽織り、黒い兜をかぶった人物だった。
マントの下には黒い軽装鎧のようなものを身につけており、手甲からグローブに至るまで真っ黒だった。
そして顔を覆う兜も一般的な顔の見える兜ではなく、全体がつるりとした球形で、顔あての部分がやや尖っていた。
兜とマントのおかげで、まるで大きな鳥が立っているようだった。
「……」
黒い鳥人間は、建物の縁に歩み寄ると、通りを見下ろした。
通りでは、地獄が繰り広げられていた。
赤い塊が石畳の上にいくつか転がり、衛兵たちが短弓で何かに向けて矢を射放っている。
矢の飛ぶ先に目を向ければ、そこには一人の男がいた。
傭兵風の軽装鎧を身にまとい、両手に剣を携え、腰に何本もの長剣をぶら下げている。
「ソードブレイカー…」
黒い鳥人間が、低く男の呼び名を口にした。
同時に、男に向けて衛兵たちが弓を放つ。
恐らく、痺れ薬か何かが塗ってあるであろう鏃が、剣を握る男に殺到する。
しかし、男は迫る矢に向けて、軽く剣を振るった。
上下、左右、袈裟がけ、逆袈裟がけ。棒っきれでも振る様に、二本の長剣が軽々と振るわれる。
直進する矢が長剣に触れ、何の抵抗もなく切り刻まれていく。鏃が砕かれ、軸が寸断され、矢の形を失って行く。
そして横殴りの衝撃を幾度も受けた矢の破片は、男に当たることなく飛び散って行った。
「ひるむな!『彼』が来るまで奴の足止めをしろ!」
同時に数本の矢を切り刻んだ男に向けて、衛兵たちは声を挙げて士気を高めながら、矢を射放った。
だが、いずれもソードブレイカーに達する前に、嵐のように舞う刃によって折り砕かれていく。
それどころか、男は矢を放つ衛兵に向けて、脚を踏み出した。
よく見れば適当かつでたらめに振りまわしているだけで、致命的な隙を幾度も生じさせている。
ただその速度は尋常ではなく、下手に隙を狙って切り込めば、こちらが一太刀切りつける間に十幾つかの部品に分断されかねないほどだった。
一歩一歩と、向かってくる矢をものともせず進むシードブレイカーの姿に、衛兵たちの顔が引きつる。
このまま矢を放っていても、この場から逃げ出そうとしても、ソードブレイカーに切り刻まれることが目に見えたからだ。
「……」
建物の屋上から様子を観察していた黒づくめは、建物の縁を蹴り、宙に舞った。
ばさり、と音を立てて黒いマントが広がり、あたかも大きな鳥が滑空しているようになる。
そして、剣を振りながら進むソードブレイカーの背中に、音もなく彼のつま先が突き立った。
「うぐっ!?」
ソードブレイカーが声を漏らし、剣を取り落としながら横転した。
「バードマン!」
衛兵たちが舞い降りた黒づくめ、バードマンの姿に歓声を挙げた。
だが彼は歓声に応える前に、剣を手放して倒れ伏すソードブレイカーに追撃を放とうと躍りかかった。
しかし、彼の脚が突然止まる。倒れ伏す男の右手が、腰に差した長剣の柄の一つを握っているのに気がついたからだ。
直後、バードマンの胸の前を長剣の切っ先がかすめた。
(やはり近接戦は危険だ)
立ち上がり、体勢を立て直しつつあるソードブレイカーを見つつ、バードマンは胸中で呟く。そしてマントの下、ベルトに取り付けられている器具のひとつに、彼は手を伸ばした。
それは掌ほどの大きさの、表面に複雑な模様が刻みこまれた金属製の円盤だった。
「……」
バードマンが円盤を掴み直すと、姿勢を整えたソードブレイカーが両手の剣を再び乱舞させた。
触れれば賽の目に刻まれる、刃の結界を纏って、双剣の男がバードマンに迫ってくる。
彼は迫るソードブレイカーに向けて、手にした円盤を投げつけた。
円盤が回転し、空を切りながらまっすぐソードブレイカーに向かって突き進む。
双剣の男は、何の工夫もなく向かってくる円盤に、右手の刃を振り下ろした。
その瞬間、円盤の表面の模様が一瞬光り、円盤が文字通り『解け』た
「…!」
螺旋状にほどけて、紐状になった円盤が剣に絡みつく様子に、ソードブレイカーは目をい開いた。
円盤だった金属の紐は、刃に絡みついて剣を刃物からただの金属製の棒っきれに変えてしまった。
今まで通り振り回せば人の骨ぐらいは砕けるかもしれないが、これでは切り裂くことなど不可能だ。
ソードブレイカーは紐にくるまれた剣を捨てると、腰に差していた別の長剣を抜いた。
だが、バードマンの手には新たな円盤が二枚握られている。
剣を全て封じて、攻撃の手段を奪うつもりなのだ。
無論、ソードブレイカーがバードマンに背を向けて走り出せば、剣を封じる手段は失われる。だが、その場合はソードブレイカー自身に円盤を当てればいいだけの話だ。
数度の邂逅と戦闘を経て、ようやくソードブレイカーを捕縛できる。
だが、バードマンと彼を見守る衛兵たちの前で、双剣の怪人は不意に向きを変えた。
通りの左右に並ぶ、建物の方にだ。
「……」
ソードブレイカーは正面の建物に向かって歩を進めながら、両手の剣を振りまわした。
「しまった…!」
バードマンが思わずそう漏らし、手にした円盤を投げつける。
しかし円盤がソードブレイカーにぶつかる直前、刃が壁に触れた。刃は壁にはじかれるわけでも、中途半端に刺さって止まるわけでもなく、人を刻み酒場の扉を崩した時のように、レンガを切り裂いた。
切っ先が踊り、刃が舞い、積み上げられたレンガがソードブレイカーの膂力と剣速によって、バターのように分割されていく。
縦、横、斜めに分割されたレンガの壁が崩れ、穴に消えた疎度ブレイカーの背中を円盤が掠めた。
そして悲鳴と、何かが切り裂かれる音が建物の穴から響く。
「クソ…!」
二枚の円盤が壁と地面にぶつかり、解けて金属の紐と化すのを見ながら、バードマンが低く呻いた。
「バティ!」
左手を兜の面当てに近付け、そう呼びかける。
「ソードブレイカーを逃がした!追跡するから来てくれ!」
『了解、今向かうわ』
兜の内側で声が響くと、彼は手を下ろした。
「おい、アンタ…」
いつの間に側に寄っていたのか、衛兵の一人が微かな震え声でバードマンに声を掛けた。
「その、アイツを追わなくていいのか…?」
「建物の中で待ち伏せされると厄介だ。だからお前たちも中に入らず、この区域を包囲して固めるだけにしておけ」
「そ、そうか…」
黒づくめの男の忠告に、衛兵はそう応えた。
「それで…アンタはどうするんだ?」
「もちろん追う」
穴の前で立ったまま、バードマンは答えた。
「ただし、上からだ」
直後、彼が右腕を掲げると、手首のあたりからぶしゅっという噴射音と共に、何かが発射された。
夜空に向かって放たれた何かに引きずられ、腰のケースからワイヤーが軽快な音を立てて引き延ばされていく。
そして、夜空からばさりと何かが羽ばたく音がした直後、虚空に伸びるワイヤーがバードマンの身体を引き上げた。
「ああっ!」
羽ばたくことなく夜空へと飛んで行ったバードマンを目で追うが、衛兵は黒づくめのその姿を見失った。
「この区画を旋回しろ」
「了解」
ワイヤーを巻き取り、ワイヤーの一端を握る影まで登ると、バードマンは影に向けて命じた。
影が広げた翼を打ち、バードマンの示す地点を中心に旋回する。
「ソードブレイカーは?」
「今探す」
影からの問いに短く応じると、バードマンは手甲を軽く指先で突いた。
『視野補正魔術、蛇の目起動』
無機質な音声を挟み、兜の中の彼の視界が赤と青に塗りつぶされた。
青黒色を基調とした背景に、赤とオレンジで彩られた人型が、彼の視界で動いている。
人の体温を見ているのだ。
バードマンは動き回る人型の中から、両腕がブレている物を見出した。
その人型を中心に、周りの人型が離れようとするかのように動いている。
「見つけたぞ。バティ、軌道修正と降下を」
「了解しました」
バードマンの言葉に、影が向きを変える。
バードマンの視界の中心に、両腕がブレる人型が捉えられた。
再び手甲を指でつつくと、視界が赤と青から普通のものに切り替わった。赤とオレンジの人型が、木製の板に隠される。建物の天井だ。
「そこだ。切り離せ」
「了解」
影の言葉と共に、バードマンの身体が影から離れる。
マントを広げていないため、落下の勢いは急激に増していく。
そして、彼の両足が建物の天井である木板を突き破った。
「…!」
足元からの衝撃に、兜の奥からうめき声が漏れる。
しかし彼は苦痛を押さえ込み、つま先が再び何かに触れた瞬間膝をかがめ、落下の衝撃を吸収した。
即座に立ちあがり、木片と埃の舞う屋内をぐるりと確認した。
彼が落ちたのは、家屋の居間のような場所だった。部屋の隅の床に、テーブルが上下逆に置いてあった。
壁にはソードブレイカーによる物と思われる大穴が開いている。
だが、ソードブレイカー自身の姿はなかった。
いずこから襲われてもいいよう、全身を適度に緊張させたまま、彼は周囲の様子を確認した。
「……?」
バードマンの兜の奥の目が、テーブルの影から覗く何かを見つける。
彼は部屋の隅へ向かうと、テーブルにつま先を引っ掛け、脚力だけでひっくり返した。
その下にあったのは、穴だった。
壁に開けられたような穴が、床板にも開いていた。それどころか穴は床下の地面に続き、さらにその下へとつながっている。
「バティ…」
穴を見下ろしながら、バードマンが左手首を面当てに寄せた。
「ソードブレイカーの奴、地面に穴を開けて下水道へ逃げたようだ…」
穴の奥底を流れる水流を見下ろしながら、彼はそう囁いた。





「始まりは仮装強盗だ。ミイラだとか、ジパング人の扮装をした連中が、商店舗を襲撃するんだ」
衛兵隊の詰め所で、衛兵たちとテーブルを囲みながら、三十過ぎほどの男が話をしている。
「後から商人が衛兵の詰め所に駆けこんで、『強盗にあった。犯人はミイラとジパング人の格好をした奴だ』って言っても、捜査のしようがない。せいぜい少し離れた所から、大量の包帯とか衣装が見つかるだけだ」
椅子の背もたれに体重を預けながら、彼は続ける。
「それで、衛兵の数を増やして巡回を頻繁にやり、何か起こったらその場で逮捕するようになったわけだ」
「現行犯なら目撃証言も仮装も関係ありませんからね」
「そうだ」
話を聞く衛兵の相槌に、男は頷いた。
「だが、仮装強盗にアイデアを得た連中がいた。闇商人だ。あいつらの非合法品や人身売買の現場を押さえるのも俺たちの仕事なんだが、別の場所で騒ぎを起こして俺たちの手を塞ぐ方法を思いついた。こうやって生まれたのが、騒動師だ。
騒動師は闇商人からの依頼で、取引と関係ない場所で暴動をおこしたり、捕えて来た魔物を放したりするんだ」
天井を見上げ、当時を思い返すように顔をしかめながら続ける。
「まったく、あの頃はクソ忙しかったなあ…」
「でも、バードマンの出現で、騒動師がことごとく取り押さえられていった…ですよね?」
「ああ」
部下の言葉に、彼は上げていた顔を下ろした。
「おかげで俺たちも闇商人に手を出せるようになったんだが、今度は…」
彼の言葉が断ち切られる。
僅かに強張った上司の表情に、部下たちは疑問符を浮かべた。
「ワリぃ、話に夢中になってて一滴漏らしちまった…便所行ってくらあ」
「ハハハ隊長、終わったらちゃんと振ってから仕舞って下さいよ?」
「おう」
椅子を立ち、冗談をかわしながら彼は部屋を出ると、廊下を進んだ。
しかし向かうのはトイレではなく、裏口だった。
「ふぅ…」
辺りを確認し、裏口から外に出ると、彼は一息ついた。
「まったく、窓から覗きこんでた時は驚いたぞ、バードマン」
「すまないな、リェン隊長」
バードマンの低い声が、裏口のひさしの上から響いた。
「他の隊員に気付かれた時はどうするつもりだったんだ?」
「あんた以外の隊員が窓を見ていない時を狙ったから、心配はない」
「全く…お前さんを捕まえようと躍起になってる連中もいるんだから、気を付けろよ」
リェンはため息をついて、頭をふった。
「それで、何の用だ?」
「怪人達についてだ」
ひさしの上に乗ったまま、バードマンは手短に言う。
「怪人達の間に、何らかの協力関係がある気がする」
「何だと?」
リェンの眉が片方上がった。
「先ほどソードブレイカーと交戦したが、奴は地下の下水路に逃げ込んだ」
「地下水路って…あそこは」
「そうだ、オケアノシアの縄張りだ」
ダーツェニカの地下を這い回る、ダンジョン一歩手前の水路を根城にする怪人の名を、彼は口にした。
「水路脇を歩いているだけでも、水中に引きずりこむような奴だ。縄張りに直接足を踏み入れたら、命は助かるまい」
「しかし…お前さんに追い詰められたから逃げ込んだんだろう?お前さんや衛兵に捕まるより、勝てるかもしれない奴を相手にした方がましだと考えたんじゃ…」
「奴は逃走の一環として地下水路を使っていた。私に追い詰められて逃げ込んだわけではない」
リェンの推測に、バードマンは頭を振った。
「とにかく、ソードブレイカーとオケアノシアが協力関係にある可能性がある以上、他の連中に対しても警戒が必要だ」
「警戒しろと言われても…」
「連中を相手しているときに油断をするな。背後にも警戒を」
「了解した…ああ、それと一つ耳に入れておいてほしいことがある」
「何だ?」
「最近、行方不明者が多い」
リェンは一息挟むと、言葉を続けた。
「ほとんどがダーツェニカに来た流れ者の傭兵が、荷物残したまま宿代踏み倒して消える、って感じだ」
「だが、妙に数が多いというわけか」
「ああ、今月に入って四人消えた」
「騒ぎにならないのは、騒ぐような親類縁者や仲間がおらず、被害も数日分の宿代程度だからか?」
「その通りだ。だけど傍目には宿代踏み倒して消えた、ってだけの事件だからどうしようもないんだ」
苦笑いを浮かべながら彼は頭を振った。
「心にとどめておく」
その言葉を残し、バードマンの気配が消えた。
「…?」
リェンは裏口から数歩離れ、ひさしの上を見上げたが、予想通りそこにはあの黒づくめの姿はなかった。
「戻るか…」
リェンは呟くと、長便所の言い訳を考えながら、裏口から詰所に入って行った。






ダーツェニカの一角、大きな屋敷ばかりが並ぶ住宅街、通称邸宅街に、一際巨大な屋敷があった。
近隣の邸宅の数倍の敷地に、下手な地方貴族の城より巨大な屋敷が建てられている。
邸宅街の、下手すればダーツェニカのどこからでも見えそうなほど巨大な屋敷こそ、穀物や鉱石に石材、量産品の武具から荷馬車等の物流までを手広く手掛ける、シトート商会の会長、ロック・シトートの住まいだった。
そして、その屋敷の一角、分厚いカーテンの下ろされた部屋こそが、ロックの寝室だった。
かなり寝相が悪くてもまず落ちないほど広いキングサイズのベッドの傍ら、分厚い絨毯の上でシーツにくるまった男が寝ている。
「ロック様、朝です」
日光を分厚いカーテンに寄って遮られた部屋の中、若い女の声が響く。
「ロック様、そろそろお目覚めの時間ですよ」
「ん〜、もうしばらく…」
「駄目です」
有無を言わさない言葉と共に、カーテンが音を立てて開かれた。
悪霊は消え去り、旧時代の吸血鬼は一瞬で灰と化しそうな清浄な日の光が、寝室に差し込む。
ベッドの傍らで横になる二十代半ばほどの男と、窓の傍らに立つ前髪で目元を隠したメイド姿の女が照らされた。
「うぉぉ…ぐごごごぉぉぉ…!」
日光を浴びたロックが、シーツで顔を覆いながら姿勢を変え、ベッドの下に逃げ込もうともぞもぞと這う。
「させませんよ、もう起きてください」
メイド服の女が足首をつかみ、半ばまでもぐりこんでいた主をベッドの下から引きずり出した。
「ほら、もうすぐお昼ですよ。お茶の時間から商談だというのに、寝ぼけ眼で合われるおつもりですか?」
「ううむ、勘弁してくれ…昨日は遅かったんだ…」
「それは私もです。はいはい、起きてください。朝食が昼食になりますよ?」
ロックはメイドの言葉に、シーツをベッドに放りながら立ち上がると、伸びをした。
熟練した傭兵のように筋肉と傷に覆われた彼の身体から、みしみしと関節の鳴る音が響く。
「はぁ…」
「おはようございます、ロック様」
メイド服を纏ったワーバットが、ロックに向けてあらためて挨拶した。
「ああ、おはようバティ…」
ロックがワーバットの名を呼ぶ。
「…えーと、ローブは…」
「はい、こちらに」
ベッドの隅にとりあえずおいていたローブを手に取ると、彼女は主の背後に回り、袖を通させた。
「ご入浴の準備はさせていますが、どうなさいますか?」
「ああ、せっかくだから入らせてもらおう」
「かしこまりました」
言葉を交わしながらロックが部屋を出て、バティが後に続く。
「ところで、今日の予定は?」
「はい、先ほども申しあげましたが、午後のお茶の時間にルギウス造船の方々が商談でお見えになります」
「貨物船の造船契約の話だったな」
「ええ。そして夕刻から、ベルスス様のお屋敷で会食の予定が入っています」
「他は?」
「本日はこれだけです」
目元を前髪で隠したワーバットはそう締めくくった。
「ふん…昼食後に時間があるようだね?」
「はい」
「だったらその間に研究所に行かせてもらおうか」
研究所。それは、ダーツェニカの商工会が資金提供を行う、魔術研究所を示す。
そんなところに何の用だろうか?あまり長引くような用事ならば、予定の調整も考えなければならない。
「ああ、新開発の製品について、少しリクエストを伝えるだけさ」
微かな疑問の気配を感じ取ったのか、ロックが応える。
「狩猟用の金属円盤の仕様を、少し変更してもらおうかと」
「ああ、それならばかまいません。ロック様の命に関わりますからね」
バティは彼の返答にそう返した。
そう、バードマンであるロックにとって、装備品の不全は死活問題なのだ。
「ふぁぁ…」
歩みを進めながら、彼はあくびをした。
昼は豪商、夜はバードマン。二つの顔で暮らす彼にとって、疲労こそが最大の悩みであった。





邸宅街から少し離れた、ダーツェニカのほぼ中央区に近い建物が、シトート商会の商館だった。そしてその中に、ダーツェニカ魔術研究所はあった。
地上三階、地下二階の建物の地下では、日夜魔物避けの魔術やより優れた木材金属の加工方法などが、商工会からの支援によって研究・開発されている。
しかし、研究所の地下二階には、シトート商会からの特別支援によって設立された、特別な研究団体が収まっていた。
「改良?」
研究所所長が、訪れたロックの言葉にそう口を開いた。
「ああ、この間の狩猟用の投擲円盤についてだ。もう少し巻きつく範囲を広くできないかな?」
ソードブレイカーに対して用い、そこまで有効ではなかったことを明言することなく、ロックは要望を伝えた。
「まあ、単純に円盤のサイズを大きくすれば、範囲の拡大は可能ですが…携帯性は低下しますよ?」
「できればその点も解決してほしいんだ」
うーん、と所長は呻いた。
「いくつか方法はあるのですが、どれも一朝一夕に、という訳には参りません。ですからしばらく待っていただく必要があります」
「長くかかるのか?」
「ええ、術式を改良する場合、密度を上げるにしても、展開方法を変えるにしても、どうしても時間がかかってしまうからです。こちらとしても、可能な限り急ぎはしますが」
「そうか…」
所長はの言葉に、ロックはそう応じた。
と、その時だった。二人の足の下で、何かが動いた。
「………?」
「……揺れ…ましたか…?」
一瞬体を襲った違和感に、二人は顔を見合わせた。
「君も感じたか」
「ええ、少なくとも今回は気のせいではないみたいです」
互いを証人としながら、二人は自身の感じた微かな振動が、本物であることを確かめた。
「単純に、微かなめまいだと思っていたのだが」
「私もです。ですが今度は確かに揺れましたね」
「地下で何か起こっているのだろうか?」
「かも知れませんね。ほら、なんて言いましたっけ、地下水路に住む…」
「オケアノシア?」
「ええ、ソイツです。そいつが何か企んでいるのかも」
ロックは顎に指を触れさせ、小さく呻いた。
だとすれば調査の必要があるが、水路に入っていくのは危険だ。
何か方法を考えなければ。
「…そうだ、君」
「どうしました?他にリクエストが?」
「…荷馬車の荷物を抑える方法についてなんだが…」
ロックは、ふと胸中に浮かんだアイデアについて、所長に尋ねた。



そして、所長と情報の交換を行い、いくつかリクエストを伝えると、彼は地上に上がった。
商館の外では、昼過ぎの陽光がさんさんと照りつけている。
「ロック様」
何処に控えていたのか、バティが地上に戻ったロックに寄ってきた。
「ご商談まで、もうしばらくございますが、いかがされますか?」
「ああ、このまま時間まで待つとしよう」
お茶の時間からの予定まで、彼は時間をつぶすことにした。屋敷まで戻るにしても、往復だけで時間になってしまうからだ。
「では、お部屋の方に」
「いや、中庭でのんびりしたい」
商館に用意されたロックの部屋ではなく、シトート商館に努める事務員たちが昼の休み時間を過ごすのに使っている中庭に出ることを、彼は望んだ。
「今の時間なら空いているだろう」
「では、そちらにお茶などを用意いたしましょう」
「いや、しばらく一人になりたいから、お茶もいらない」
「かしこまりました」
廊下を進むうち、二人はやがて中庭につながる扉にたどり着いた。
「それでは、お茶の時間の十五分前に参りますので、それまでごゆっくりどうぞ」
「ああ」
ワーバットの一礼を背に、彼は中庭に足を踏み出した。
爽やかな外気が彼の頬を撫で、植込みと芝生の葉が風に揺れる。
手入れされた木々の間を走る石畳の回廊を、ロックはぶらぶらと歩いた。
幾度となく歩き、隅々まで把握している中庭ではあるが、四季に応じて表情を変える木々の様子はいくら見ても飽きない物だった。
やがてロックは回廊を抜け、ベンチが四脚置かれた広場のようなところに出た。
ベンチの一つには、新聞を広げて読みふける何者かが座っている。
遅めの昼休みか、仕事から抜け出している職員だろうか?
「……ふふ」
ロックはいたずら心を胸中に芽生えさせると、新聞を広げる誰かの傍らに歩み寄った。
「失礼します」
「ああ、お構いなく」
ロックの一声に、新聞の向こうから低めの男声が響き、座る場所を空けるように何者かが尻の位置を変えた。
ロックは彼の隣に腰を下ろすと、背もたれに背中を預けた。
「いやあ、気持ちいい場所ですねえ」
「本当にそうだ。木々の手入れは行き届いてるし、日当たりも風通しもいい」
ロックの言葉に、男は新聞を下ろすことなく応じた。
「こうしてゆっくりするには最高の場所だ」
そう続けて、男は新聞をめくった。
「ええ、そうですね」
ロックは内心ほくそ笑みながら、相槌を打った。
商館の事務員か、用事があってきている商人なのかは知れないが、こうしてロック自信と顔を合わせることなく会話をするというのは楽しいものだ。
途中でロックの正体に気がついてもいいし、最後まで気が付くことなく新聞越しの会話をしてもいい。
「ほう…また怪人が騒動を起こしたらしいな」
新聞を見ながら、男がそう漏らした。
「『怪人ソードブレイカーが傭兵を惨殺 バードマンの出現により下水路へ逃走』」
「またですか?」
作夜の当事者ではあるが、ロックはそのように聞き返した。
「『水底女王オケアノシアの巣窟に入った彼の運命はいかに!?』と続いているが…まあ、無事だろうな」
新聞ではソードブレイカーの生存は絶望的だとされているが、男は意外なことにその予想とは異なる言葉を口にした。
「ほう、なぜですか?地下水路はオケアノシアの巣で、水路の側を歩いているだけでも危ないのでは?」
「何、最近怪人たちが互いに協力しあってるようでね」
自分の予測と全く同じ言葉を、男は口にした。
ロックは表情を固めると、内心の動揺を悟られぬよう、ゆっくりと顔を男の方に向けた。
「多剣使いソードブレイカー、水底女王オケアノシア、火災人パイロ、脳味噌盗り獏仮面。この四人の怪人が、ダーツェニカを夜毎襲っているわけだ」
新聞を地面に垂直に立て、顔を隠したまま怪人の名を挙げる。
「多剣使いソードブレイカー。何本もの剣を腰に下げ、両手の剣で何もかもを切り刻む。水底女王オケアノシア。地下水路を根城にする水棲の魔物で、水路脇を歩く者を引き込む」
新聞のどこかにあるのか、怪人の特徴を彼は口にし始めた。
「火災人パイロ。炎を自在に操る放火魔で、人ひとりを楽に胚に出来るだけの火力を持つ。脳味噌盗り獏仮面。失神ガスを用いて人を眠らせ、その隙に頭蓋に穴を穿って脳を啜る」
「…なかなか詳しいようですが、新聞の記事とは少し違うようですね」
朗々と彼が口にする怪人像は、新聞に掲載されている怪人予測図より本物に近いものだった。まるで、見て来たかのように。
「それはそうだ。新聞などではなく、私自身が見て来たからな」
「……」
ロックは、男の言葉を一瞬理解しかねた。
彼の言葉をそのまま受け取れば、それは男が四人の怪人たちとつながりがあることを示しているからだ。
「…いきなり私を殴り倒して、話を聞きだすかと思ったが、意外と穏便なのだな、バードマン」
決定的な一言を、彼は口にした。
ロックがバードマンであることを、男は知っているのだ。
「…私がバードマン?御冗談を」
「おや、人違いだったかな?これは失礼。だがバードマンでないのなら、怪人たちの計画を聞いたとしても、何の問題もないな」
新聞をばさりと音を立てながらめくり、男は続ける。
「これからダーツェニカでは、怪人どもが事件を引き起こす」
「いいんですか?そんな計画を私に漏らして」
「構わんさ。君がバードマンでないのなら…いや、バードマンであったとしても、止められやしない」
微かな笑みの気配を漏らしながら、新聞越しに男は言う。
「もう準備は始まっているのだからな」
ロックの胸中に、リェン隊長の言葉がよみがえった。最近、行方不明者が多発しているという話だ。もし、それが男の言う準備だとすれば。
「君は、今の時代をどう考えるかね?」
新聞を広げた男が、不意にロックに向けて問いかけた。
「魔王の交代に伴う、魔物たちの姿の変化だ。勇者殿を巻きこんでの世代交代によって世界は一変し、時代は混迷を極めている」
ロックの返答を待つことなく。彼は何事かを唱え始めた。
「ゴブリンの集落を焼き払った者が非難され、魔物に惑わされ家族を捨てた者の話が恋愛譚として持て囃される。門番として多くの魔物を手に掛けて人々を守った勇士が殺戮者と謗られ、一時の快感のために町を売り渡した者が和平の橋渡しと称される。価値観が完全に逆転したのならまだしも、旧時代の美徳は未だ人々の心に残っている。それゆえに、時代は混迷を極めているのだ」
男は足を組みかえた。
「旧時代は良かった。非常に分かりやすいからだ。善と悪が明確に分かれ、何をすべきであるかが簡単に分かった。だが今はどうだ?新魔王のおかげで全てが錯綜し、価値観が混在している。全てが明確に分け隔たれていた、あの時代とは違うのだ」
「つまり、何が言いたい?」
「あの時代に帰りたいとは思わないかね?」
新聞の向こうで、男はロックに応えるように、問いかけるように言葉を紡いだ。
「善と悪がはっきりと分かれ、何が正しく何が間違っているかが明確だったあの時代。旧魔王が魔物を統べていた、あの旧時代に戻りたいと思わないかね?我々は、元に戻そうとしているのだよ。あの古き良き時代に」
「……」
「何、君ももう少しすれば分かるはずだ。今でこそ正義のバードマンと悪の怪人達、といった構図だが、じきにダーツェニカはバードマンも怪人も一緒くたに扱い始める。そうなれば、私の言ったことが分かるようになるはずだ」
ロックの否定にもかかわらず、男はそうバードマンに向けるような言葉を口にした。
「さて、今日はこのぐらいにしておこう。もうすぐ仕事に取り掛からねばならなくなるからね」
「仕事とは、怪人を使った大仕事か」
「そうだ。そしてその後に、素晴らしいことが待っている」
「素晴らしいこと?」
男は新聞の向こうで含み笑いをした。
「すぐにわかる」
「…その素晴らしいことがなんなのかは知らないが、お前と怪人どもの好きにはさせない」
「ふふふ、バードマンのようなことを言うな」
低い笑い声を、男は返した。
「いずれにせよ、我々五人を止めることなどできない」
「…五人?まるでお前が、五人目の怪人だとでも言いたいようなことを」
「そうだ」
自らを怪人だと認めるような言動に、ロックは眉をひそめた。
「申し遅れたが、私はドクターバッドヘッド。恐らくこの大陸でもっとも邪悪な頭脳の持ち主だ」
数枚の紙の向こうから、にわかに異常な気配が滲み出した。
獏仮面やソードブレイカーなど、人を手に掛けることに何の躊躇いもない怪人特有の独特の気配である。
ただの人間や並の魔物ではまず帯びることのできない、異形の意識だけが放つことのできる気配を、新聞の向こうの男は纏っていた。
「それと、一つだけ訂正しておきたい」
上級の魔物かと錯覚するような気配を身に帯びたまま、男、ドクターバッドヘッドは静かな声で続けた。
「私は五人目ではない。六人目だ」
「六?それはどういう…」
そこまで口にしたところで、彼の鼻を何かがくすぐった。
焦げ臭さと、脂の臭いの混ざった、何かが燃える香り。パイロが人を焼く時の臭いだ。
「っ!」
とっさに顔を上げ、パイロの姿を求めて辺りを見回す彼の目に、たなびく煙が映った。
か細い煙が天へと伸び、どす黒い雲を作りあげている。
かなり規模の大きい火災が起こっているようだった。
「これが…お前の言う最初の事件か?」
煙の方を睨みつけながら、ロックはそう問いかけた。
だが、返答はなかった。
ロックがちらりと視線をベンチの方に向けると、そこにあったのは綺麗に折りたたまれた新聞だけで、男の姿はなかった。
「…逃げられたか…」
ロックは苦々しく、男の座っていたベンチに向けて、そう呟いた。




ダーツェニカ西部の九番通りを、一台の荷馬車が進んでいた。
料理油や軸受け油など、油と名のつく油の詰まった樽を満載した荷馬車だった。
だが、荷馬車は道を進むうちに突然横転し、樽の中身を石畳の上にまき散らした。
広がっていく油に、馬車の御者は顔を青くしただろうが、確かめることは出来ない。
直後に油の上で炎が踊ったからだ。
遠目に見ていた目撃者によると、腰にランタンを下げた人物が手をかざすした直後、炎が舞い踊ったという。
そしてその人物の動きに合わせて、炎が人の形を取り、近隣の家屋に火を噴き付けたらしい。
その結果、馬車の追う点現場を中心とする一区画が火事になり、かなりの死傷者が出た。
「炎を操る手法からすると、着火と被害の拡大を行ったのはパイロの仕業のようだ」
ダーツェニカの夜空を泳ぐように滑空しながら、バードマンは自身を抱える影に向けて語りかけた。
「昼間に商館の中庭にいた男、ドクターバッドヘッドの宣言が本気ならば、連中は同規模の事件を更に起こすつもりらしい。その前に止めなければ」
明かりの灯る街を見下ろしながら、彼は妙な動きがないか調べた。
ソードブレイカーや獏仮面のような怪人が相手では、事件が起こってから取り押さえに行かざるを得ない。しかし、パイロならば異常に体温の高い人影、オケアノシアならば水路を泳ぐ影さえ見つけることができれば、未然に犯罪を防ぐことができる。
そのために彼はワーバットのバティの助けを借りて、ダーツェニカを監視しているのだった。
「バードマン、北部の水路に人影が」
バティの短い言葉に、彼はそちらに目を向けた。
街と街の間を流れる、地上に露出した水路を、一つの影が泳ぎ進んでいるのが目に入った。
バードマンは指先で手甲を軽く叩くと、兜越しの視界を温度が見えるそれに変えた。
ぼんやりとした水路を泳ぐ影が、いくらか明確になる。
四肢を備えてはいるものの、脚と思しき部分は三本あり、その先端はいずれも魚の鰭のように大きく広がっている。人に似た形ではあるものの、人ではない何者かの影。
「オケアノシアだ」
影の形だけで、彼は影の正体がオケアノシアであると断じた。
そしてそのまま、バードマンは水路の両脇に視線を巡らせた。
昨今のオケアノシアの凶行によるものか。水路の脇を歩いている通行人はいなかった。
だが、影の向かうずっと先を、いくつもの人影が水路を渡る様に行き来している。
橋だ。
「オケアノシアは橋を狙うつもりらしい」
「しかし、橋の上は彼女が狙うには高すぎませんか?」
「いや、奴には水を操る魔術がある。水路の水をまとめて、波状に橋にぶつければ、橋の上をさらうことぐらいできるだろう。その前に橋の上に降りて、人々を退避させる」
「了解しました。急ぎます」
バティの黒い翼が、ばさりと空を打ち、落下を伴う滑空によって加速される。
オケアノシアの影が二人の眼下を通り過ぎ、見る見る橋に接近していく。
橋の上を行き交う、赤とオレンジで彩られた人影が、大きくなっていく。
「うむ…?」
不意にバードマンの胸中に、疑問が生じた。
橋のあたりにいる影の一つに、妙な者がいたからだ。
他の影より位置が少しだけずれていて、まるで橋の下の支柱のあたりに立っているようだった。
よほど酔っているのでない限り、そんな場所にダーツェニカの住民が立つわけがない。水路がオケアノシアの根城だというのは、もはや常識だからだ。
だが、その人影は確かに橋の支柱に立っており、向かってくるオケアノシアに対して、一切の脅威を抱いていないようだった。
オケアノシアに気が付いていないのか、オケアノシアが自分を傷つけないと知っているかのように。
「!」
バードマンの胸中で、目にした事実が音を立てて連結されていき、一つの可能性が導き出される。
「バティ!今すぐに切り離しを…」
彼の口が言葉を紡ぐが、最後まで言い終える前に、橋の下の人影の両腕がブレた。
直後、薄ぼんやりとバードマンの視界に映っていた青黒い橋が、音を立てて真ん中から崩れる。
「!!」
橋の上の通行人が水路に落ちていく様に、彼は口中で声をつぶした。
直後、バティと彼を繋ぐ固定具が解除され、数瞬の自由落下を挟んで水の中に落ちる。
水が軽装鎧やマントに絡みつくが、彼は構うことなく姿勢を整えた。
水の深さはバードマンの胸ほど。落ち着いて立てば十分呼吸は出来るが、錯乱した人間が溺死するには十分な深さだ。
橋だった瓦礫にまぎれて、何人もの通行人が水中でもがき、空気を求めて断続的に水面から顔をのぞかせている。
手甲を叩いて視界を元に戻すが、夜の薄闇にまぎれて人の区別はつかない。橋を崩した犯人であるソードブレイカーも、既に剣を捨てているらしく完全にまぎれていた。
急いで引き上げなければ危ないが、そんな暇はない。通行人にはソードブレイカーがまぎれており、バードマンの背後からはオケアノシアが迫りつつあるのだ。
「く…!」
彼は一声呻くと、ソードブレイカーが既に剣を捨てていることに賭けて、通行人たちに背を向けた。
水面に生じた波紋が、徐々にバードマンやその背後の人々の方へ向かっている。水路に落ちてもがく人々を、更に深みに引き込むためだ。
水中で魚のように自在に泳げるオケアノシアと、碌に泳ぐこともできない人間では、抵抗はおろか逃げることすらできないだろう。
水底に足がつき、冷静なバードマンでもそれは同じだった。だが、彼も考えなしにここに飛び込んだわけではない。
バードマンは迫る波紋を睨みつつ、腰の後ろに手を回すとベルトに吊っていた器具を取った。
掌ほどの長さの木材と肘から手首ほどの長さの金属を組み合わせた、L字型の器具だ。
幾度となく戦い、水路への逃走を許してしまったオケアノスを捕えるため、新たに開発させた器具だ。
迫る波紋に向けて、バードマンは器具を構え、作動させた。
器具の金属部が、先端から掌ほどの長さだけ発射される。棒状の金属が空中で展開し、網状に広がった。
迫る波紋に、広がった金属の網が襲いかかった。波紋が乱れ、水中の影に網が絡みつく。
おぼろげに見えていた影が、覆いかぶさった網に囚われた。
水中から驚愕めいた気配が溢れる。
オケアノシアが網から脱出するまで、少しだけ時間がかかるはずだ。
この隙に、水路に落ちた通行人を救出しなければ。
「皆さん、落ち着いて」
身を反転させ、もがく通行人たちに向けてバードマンは声を上げた。
「ここは浅い、脚が付く!」
誘導と、まだ通行人達の中にいるであろうソードブレイカーを捕えなければ。
水中から剣を拾い上げるか、適当な刃物を手に入れて市民を切り刻み始めるかもしれない。
「おい!大丈夫か!?」
近くを巡回していたらしい衛兵が、通行人とバードマンに向けて声を掛けた!
「こっちだ!こっちから上がれ!」
後に続いて現れたもう一人の衛兵が、どこからか借りて来たらしい梯子を水路に下ろした。
「こっちだ!落ち着いて!オケアノシアはしばらく動けない!」
徐々に我を取り戻し、水底に足がついた者から先を競って、水路脇の梯子へ押し掛ける。
「順番だ!順番に!」
水面にマントを引きずりながら、紛れ込んでいるはずのソードブレイカーを捕えるべく、バードマンは通行人の方へ向かった。
その瞬間、彼の脇を皆もの揺れが通り過ぎて行く。
「っ!」
水中を進む影が、少し離れた場所でもがく影と接触した。
突然水面が弾け、水柱が立った。直後雨のように飛沫が辺り一帯に降り注ぐ。
「っ!」
水滴に混ざっていた何かが、バードマンの顔に当たった。手で触れると、それが金属でできた網の破片だった。
遅れて水面から人の頭部が現れ、喘ぎながら空気を吸った。
「ソードブレイカー…!」
薄闇の中に現れた顔に、バードマンは低く呻く。
「手間を掛けさせたね、ウフフ」
「構わん、予想の範囲だ」
潜水して水底を進み、オケアノシアを解放したソードブレイカーに、遅れて顔を現した言う。
「後は予定通りだ」
「オーケー」
二つの頭が水中に消え、水面を切り裂く勢いで動き出す。
飛沫をまきちらしながら、バードマンの脇を通り抜け、梯子に群がる通行人に突き進む。
バードマンは手にした金属網射出装置を、梯子に迫る影に向けて作動させた。
器具の金属部が射出され、空中で展開し、水中の影に襲いかかる。
だが、金属網が水面を潜り抜けないうちに、影は網の範囲を通り抜けた。
そして梯子の下に残る人影に、影がたどり着いた。
「うわっ!?」
「ああっ!!」
梯子の順番を待っていた通行人が二人、短い悲鳴と共に水中へ消えた。
「うわああああ!?」
「オケアノシアだ!」
梯子の順番を待っていた人々が、突然水中に消えた二人に混乱し、再び押し合いへしあいしながら梯子を奪い合う。
「落ち着いて!順番を守れ!全員助ける!」
衛兵が声を上げるが、通行人は混乱の中登ろうとしている者を引きずり下ろし、我先に登ろうとしていた。
引きずり降ろされた通行人が水に落ち、再びおぼれ出す。
一方オケアノシアとソードブレイカーの影は、通行人の元を離れ、橋の瓦礫の向こうへと離れつつあった。
オケアノシアがソードブレイカーを抱えているせいかその速度はそこまで速くない。時折水面から顔を出して、呼吸させなければならないためだろう。
だが、バードマンに彼らを捕える暇はなかった。
混乱する通行人たちをなだめ、全員救出しなければ。このままでは溺死者が出てしまう。
「……」
バードマンは金属網射出装置を腰の後ろに戻すと、水をかき分けながら通行人たちの方へ急いだ。
もう、二人の怪人の織り成す波紋ははるか遠くに消えていた。





ダーツェニカの一角に存在する、衛兵隊の研修施設の一室に、数人の人影があった。
会議用のテーブルが三角形に並べられ、それぞれに椅子が数脚ずつ添えてある。
そして、窓に分厚いカーテンが下ろされた闇の中、薄ぼんやりとしたろうそくの明かりに、テーブルに着く面々が照らし出されていた。
あるテーブルに着くのは、衛兵の制服を纏った中年に片足を踏み入れたほどの男たち。
あるテーブルに着くのは、上等そうな衣服に袖を通す恰幅のいい中年から壮年の男たち。
そして、最後のテーブルに着くのは、女だった。人間の女ではない。髪の間から三角形の動物の耳やねじれた角を晒し、あるいは頬のあたりに鱗のようなものを生やした女たちだ。
「さて…シトート殿はファレンゲーヘへ木材買い付けに出ているから欠席だが…皆揃ったな」
テーブルの一角に腰を下ろす黒髪褐色肌の、三角形の耳を頭部に生やした若い女が呟いた。
「このメンツが揃うのも、久しぶりね?」
こめかみからねじれた角を生やす、高級娼婦めいた妖艶な気配を身に帯びる女が、他のテーブルの男たちを見回しながら口を開いた。
「そうだ、我々が集うのは、よほど重大な案件が生じた時と決まっている」
「衛兵隊は私たちを招集するに足る案件を抱えているのか?」
上等な衣服に身を包む男、商工会の幹部である商人たちが、人間会幹部のサキュバスの言葉に同調した。
「ハクル・リェン隊長。議題を」
「はい」
黒髪褐色の女、スフィンクスの促しに、残るテーブルに腰を下ろしていた衛兵服の男の一人が腰を上げた。
「今回の案件は、ご存知の方もおられるとは思いますが、昨今の怪人についてです」
「怪人?」
リェンの言葉に、商人の一人が片眉を上げた。
「怪人というとあれかね、最近あちこちで騒動を起こしている迷惑な連中のことか」
「この間まで『騒動師』とか呼んでいたのに、今度は怪人かね」
「怪人と騒動師は別物です。騒動師は闇商人の取引が目立たないように騒ぎを起こしますが、怪人は騒ぎを起こすこと自体を目的としています」
商人たちの言葉に、彼は言葉を一度断った。
「現在ダーツェニカにはソードブレイカー、パイロ、オケアノシア、獏仮面の四人の怪人が存在し、騒動を通じて市民を殺傷しているのです。そして、これまで連中は単独で騒ぎを起こしていたのですが、ここ最近手を組んでいるような気配があります」
「連中が手を組む?」
スフィンクスが疑問の声を漏らした。
「人間会の者も怪人騒動の被害を被っているが、連中は自分のやりたいように騒ぎを起こしている。そんな連中が手を組むのか?」
「ええ、これまでは状況的に手を組んでいると思われる節はありました。が、昨夜の三人の溺死者が出た北部水路橋崩壊事件では、ソードブレイカーが橋を崩し、オケアノシアが混乱する通行人を深みに引き込んでいました」
「橋の崩落はただの老朽化では?」
「それに何かの波紋を勘違いして、通行人が勝手に混乱しておぼれたのかもしれない」
リェンの報告自体に、商人たちは疑問の声を漏らした。
「いえ、確かに崩落した橋の支柱を調べたところ、なめらかな切り口がありました。また、オケアノシアについても冷静な目撃者の証言があります」
「ふむ…それで、怪人たちが協力体制にあることは分かったが、それに何の問題が?」
「それは」
「怪人どもが何かよからぬことを企んでいる」
リェンの返答を引き継ぐように、部屋の奥の暗がりから低い声が響いた。
商工会と人間会の幹部が、弾かれたように衛兵隊の隊員の後ろに顔を向ける。
数対の視線を受けながら、ろうそくの照らす光の中に一つの影が踏み入ってきた。
真っ黒なマントを羽織り、つるりとした黒い兜をかぶった人物だった。
「バードマンか…?」
「実在していたのか…」
「え、衛兵!侵入者がいるぞ!取り押さえろ!」
「落ち着いてください皆さん、彼は今回の出席者の一人です」
どこか感心した様子の人間会の幹部と、取り乱す商工会の幹部に、リェンはなだめるように言った。
「むしろ、今回の会合の中心と言ってもいいくらいです」
「しかし、部外者がここにいるのは…」
「リェン隊長。後は私がやろう」
バードマンは衛兵隊のテーブルに寄ると足を止めた。
「皆さんご存じだとは思うが、昨日西の九番通りで放火事件があった。犯人はパイロだ。そして先ほども話が上がったが、北の水路でオケアノシアとソードブレイカーによる橋崩落事件が起こった。立て続けに事件が起こっただけならば以前にもあったし、怪人たちの協力体制も何らかの交流があったと考えることができる。だが、一つ気がかりな点がある。先日、新たな怪人を名乗る人物から、怪人たちによる事件が立て続けに起こると予言があった」
「ほう、新たな怪人か」
「怪人は新聞が勝手に名付けた呼称ではなかったかしら?」
「奴はそう自称していた」
サキュバスの問いに、バードマンは短く応じた。
「恐らく、怪人達による犯罪はもっと起こるはずだ。商工会も人間会も、それぞれで気を配って不審な出来事がないか目を光らせてほしい」
「とはいってもなあ」
「いつもの怪人騒ぎが起こっているだけだろう」
「新たな怪人によれば、全ての事件が起こった後『素晴らしいことが起こる』とも言っていた。『素晴らしいこと』が碌でもないことだというのは明らかだろう」
「事件を隠れ蓑に、何らかの計画を進めているということか」
バードマンの言葉に、男の一人が合点がいったという様子で呟いた。
「そうだ。だから、怪人どもの起こす事件については私と衛兵隊でどうにかする。だから皆さんには、奴の言う『素晴らしいこと』がなんなのか見抜くためにも、人やモノの流れを注視してもらいたい」
「その新怪人と言うのが、王都か聖都の人間だったら困るからな」
王都や聖都にしてみれば、ダーツェニカは邪魔な都市だ。『素晴らしいこと』を通じてダーツェニカを骨抜きにし、支配下に収める可能性だって考えうるのだ。
「考えてみれば、パイロによる放火事件も輸送中の油を狙ったものだったが、実際は火災を起こすためにわざと油を運ばせていた可能性もあるな」
「では、我々商工会は商取引を少し調べてみよう」
「人間会は、人の様子を見てみるとしよう。『素晴らしいこと』に関わっている者が見つかるかもしれん」
「感謝する」
商工会と人間会の幹部の申し出に、バードマンは短く礼を述べた。
「では、今回は解散してさっそく取り掛かろう」
「王都か聖都が関わっている可能性があるなら、早いうちに行動しておかねば手遅れになる」
「それでは、今回は解散といたしましょう」
幹部たちの言葉に、リェンはそう告げた。
「それで、そこのバードマンはどうするのかね?」
「なんなら私が送って差し上げましょうか?」
「結構だ。自分で帰る」
サキュバスの言葉に背を向けると、バードマンは分厚いカーテンのかかった窓に歩み寄った。
「失礼す…」
「大変です!」
部屋の扉が開き、衛兵が一人慌ただしく飛び込んできた。
物音にバードマンがとっさに身構え、幹部たちの視線が衛兵に向けられる。
「何があった?」
「事件発生です!東の十二番通りで建物が崩落し、多数の死傷者が出ました!容疑者は、ソードブレイカーと獏仮面です!」
「何!?」
今まさに、怪人達への対応を決めたところでの報告に、全員が動揺を露わにする。
「現在容疑者二人は北部地区へ向けて逃走中。衛兵隊で追跡を行っています!」
「……」
バードマンはその報告にカーテンをめくり窓を開くと、外へ飛び出して行った。
「バードマン!」
リェンが一声叫び窓に駆け寄って、外を見た。
しかし彼が目にしたのは、日の光に晒されるダーツェニカの町並みだった。
バードマンの姿どころか、影すら見出すことは出来なかった。




ダーツェニカ西部、九番通りで放火。十数人が死傷。
ダーツェニカ北部、水路橋が崩落。三人が溺死し、六人が負傷。
ダーツェニカ東部、十二番通りで建物が崩壊。がれきの下敷きになり十数人が死傷。
「この三件が、ドクターバッドヘッドの予言後に発生した事件だ」
衛兵の詰所の一室で、張り出された地図を背にリェンはそう口を開いた。
「ご覧の通り、西と北と東で事件が発生している。事件の発生場所に何らかの意図があるのは明らかだ」
地図上に差されたピンで示された、事件発生地点を指しながら彼は解説する。
「ドクターバッドヘッドによれば、一連の事件が終わった後で『素晴らしいこと』が発生するらしい。『素晴らしいこと』がなんなのかは、現在のところ不明だが、我々にとって素晴らしいものではないのは明らかである、と」
リェンは一度言葉を切ると、室内の席を埋める面々に顔を向けた。
「以上が、現在までに判明している状況だ。俺達衛兵隊としては、怪人どもの企みを阻止したいところだが、『素晴らしいこと』の予測どころか、次の犯行現場すら分からない」
「それで、我々人間会の出番という訳か」
「そうだ」
リェンの視線の先、並ぶ椅子に腰を下ろしていた、三角帽子を被った少女の言葉に、彼は肯定の言葉を返した。
室内には少女のほかにも、頭髪の間から角を生やしたサキュバスや、腰から下を椅子に巻き付けるようにとぐろを巻くラミアなど、人外の者が腰を下ろしていた。
いずれも人間会に所属する魔物で、魔術の研究に携わる者もいた。先ほどの商工会と人間会の幹部による会合の後、手の空いている者が呼び出されたのだ。
「手始めに、この一連の事件について、魔術に携わる者としての見解を聞かせて欲しい」
「ふむ…」
三角帽子の少女が、リェンの言葉に口元に手をやりながら小さく呻いた。
「まず…すべての事件において死人が出ている、ということだな」
少女が、自分の思考をその可愛らしい唇から紡ぎ出した。
「焼死に溺死に圧死。火と水、そして瓦礫だから土がそれぞれの事件に関わっている。火も水も土も、魔術の四元素だな」
「規模こそ違えど、まるで魔術の儀式のようですね?」
「いや、まるでではなく、これは魔術の儀式かも知れない」
傍らに腰を下ろすラミアの言葉に、魔女の少女は確信したように顔を上げた。
「魔術の儀式では、自分の四方に四元素を置いて、その力を中心に導くようにして儀式を執り行う。通常元素の配置は詠唱のみだが、大がかりな魔術を扱う場合は香を焚いたり、何かをささげる場合もある」
「つまり、怪人どもは事件を通じて生贄をささげることで、何らかの強大な魔術儀式を執り行おうとしている?」
「可能性がある」
一同の視線が壇上の地図に集中する。
放火事件と家屋崩落事件は、東西にのびる一直線上に存在し、その中間点の北の方に橋崩落事件の現場があった。
「でも…十字に配置するにしては、少々火と土の現場が上すぎじゃないかしら?」
椅子に腰かけるサキュバスが、二つの事件の現場がダーツェニカの東西を貫く大通りではなく、少し北へずれた場所で起きたことを指摘した。
「いや、多少ずらすことで我々の予測をそらそうとしているのかもしれないな」
「もしくは、ジェスス十字のシンボル状に配置しているのかもしれない。あの配置なら、横棒が多少上の方に来るからな」
リェンと魔女が微かな位置のずれに対して、それぞれの見解を示した。
「これで概ね、次の事件現場の予測がついたな」
魔女は席を立つと、地図に歩み寄った。
「仮に四元素の配置が正十字状ならば、ここ」
魔女がピンを手に取り、地図の南の一角に突き刺す。
「ジェスス十字状配置ならば、ここだ」
「どっちにせよ、次はダーツェニカの南大通り上で、風に関する事件が発生するかもしれない、ということか」
リェンが、新たに追加された二本のピンを見ながら言った。
「そうだ。そしておそらく、次の事件の後に儀式が執り行われ、連中の言う『素晴らしいこと』が発生するのだろう」
「逆に言えば、次の一件を防ぐことさえできれば、連中の企みを阻止できるってことだな」
リェンは魔女の言葉に頷くと、地図から目を離した。
「では、衛兵隊は南の通りを中心に警邏を行う。何か妙な物があったら、衛兵に連絡すしてくれ」
「もちろんだ。我々人間会も警邏と怪人への警戒を行う」
リェンと魔女が、互いに言葉を交わした。
そしてその様子を、天井裏に潜む黒い影が見ていた。





ダーツェニカの道を、衛兵が歩いている。
二人一組で、表通りはもちろん裏通りや路地を進み、積まれた荷物の陰などにも目を光らせながら歩き回っている。
特に南の大通り辺りになると、衛兵の数は目に着くほど多くなっていた。
「かなりの警戒っぷりだねえ」
建物の屋上の縁から、通りを見下ろしながら男がいった。
少年と言ってもいいほど若い男で、砂漠の民族めいた衣装を纏い、腰には火のともったランタンを下げている。
「三度も事件が起これば警戒はする。それに多少は規則性を見出すこともできるだろうから、この辺りが警戒されるのも当たり前だ」
少年の言葉に、屋上の真ん中からもう一つやたらくぐもった声が響いた。
「感づかれる前に戻れ」
「はいはい」
少年が屋上の縁から離れてくるりと向きを変えると、彼の目に人が入れそうなほどの大きな薬缶と、そのそばに屈む者の姿が入った。
外套を羽織りフードを被っているが、少年には彼が誰だかよくわかっていた。
「それで、どんな感じ?」
「もうすぐで出来上がる」
巨大な薬缶を支える支柱のネジを締めながら、外套の男は応じた。
やがて、ネジを締める手が止まり、支柱を掴んで軽く揺する。
「よし」
男は固定を確認すると、ネジまわしを外套の懐に収めながら立ち上がった。
「次は投入だ」
フードの内側、鼻の細い馬を思わせるマスクの爛々と輝く赤い両眼が少年の方に向けられた。
「一番の袋を」
「はいよ」
蝶番で繋げられた蓋を開きながらの獏仮面の言葉に、少年は数字の記された袋を手渡した。





「妙だ」
ダーツェニカ南部の一角で、バードマンは低く呻いた。
『何がですか?』
「そろそろ事件が起きてもおかしくないはずなのに、動きがない」
顔を上げると、はるか上空を黒い影が舞っていた。大きさからするとカラスが飛んでいるように見えるが、バードマンにはその正体は分かっていた。
上空を舞うバティの問いに、彼は胸中の疑念を吐き出した。
リェン達衛兵隊と人間会のメンバーが南の大通りを中心に警邏しているが、怪人たちはおろか妙な物すら見つけられていないのだ。
人間会の魔女の予想では次の事件は風の属性で、この大通りを中心に起こるはずだった。
「パイロの放火、オケアノシアの溺殺、ソードブレイカーの家屋崩落。これまでの事件から考えれば、次は獏仮面のはずだ」
『ああ、彼ならばガスがありますからねえ』
犠牲者から脳味噌を奪うために使っている、失神ガスを思い返しながら、バティは応えた。
「一人、二人を失神させるだけなら、いつものやり方でどうにかなる。だが、今回の四元素配置を行うには、それだけでは足りない。大人数用のやり方で事件を起こさなければならない」
大人数用のやり方、というのが何なのかは、バードマン自身にも分からない。
しかし、どのような方法にせよ風属性の方法、即ちガスが関わってくるのは確実だ。
「恐らく獏仮面は、大人数を仕留めるために大型のガス噴霧器を使用するはずだ」
だが、少なくともこの通りに噴霧器と思われる機材の姿は見えなかった。屋上にも、路地裏にも、どこにもない。
建物の中に隠しているのだろうか?
「とにかく、事件を起こす際には何らかの動きがあるはずだ。バティは引き続き、上空から調査を続けてくれ」
『了解しました』
上空で黒い影が数度羽を空打ちし、大きく円を描くように旋回を続けた。
「さて…」
バードマンは一つ呟くと、立ち上がった。
彼がいるのは建物の屋上だ。辺りの建物も高さが同じぐらいのため、見通しはいい。
だが、見える範囲の屋上には小さな木箱や、防水布のかぶせられた荷物が置いてあるばかりで、ガス噴霧器と思しきものはどこにもない。
(やはり建物の中だろうか…)
だが、建物の中でガスを噴霧して、一人一人をいつものように脳味噌を奪うような手間のかかることをするだろうか。
むしろ直接死に至るガスを直接発生させた方がいいだろう。
「一軒一軒調べるか…」
面倒なうえに後で厄介だが、風の事件を防ぐためには仕方のないことだ。
手始めにこの建物から調べることにしよう。
『バードマン!』
どこから侵入しようか考えている間に、彼の兜の中に声が響いた。
「どうした?」
『見つけました!大型のガス噴霧器がありました!』
「場所は?」
興奮した様子のバティに、彼は静かに応えた。
『南東部、五番通りの集合倉庫の屋上です!』
南ではなく、南東と言うバティの報告に、バードマンは兜の中で目を見開いた。
『獏仮面とパイロと思しき人影も見えました!』
「すぐに向かう」
バードマンは東を向くと、屋上を走り出した。
屋上の縁を強く踏み込み、彼は跳躍した。装備と併せて三桁に及ぶ体重が宙を舞う。
彼は空中で通りの向こうの建物に手をかざすと、ワイヤ付きのフックを発射した。建物の縁にフックが引っ掛かり、バードマンの腰に取り付けられたリールがワイヤを巻き取る。
道の中央に落下しかけたバードマンの身体が、ワイヤーに引き上げられる。
巻き取りの勢いを利用して屋上に降り立つと、そのまま走り抜ける。
屋上を駆け抜け、通りを飛び越えるうち、やがて彼は南東の一角にたどり着いた。
「あれか…」
バティの報告通り、個人向けに小型倉庫を貸している集合倉庫の屋上に、大型の機材が設置してあった。
バードマンはフックを集合倉庫の屋上に引っ掛けると、屋上に降り立った。
「へえ?もう嗅ぎつけたんだ」
屋上に立っていた二人の内の一人、砂漠の民族めいた衣装の少年が、降り立ったバードマンに向けて感心したような声を上げた。
「やはりお前が油断していたからだろう、パイロ」
「うーん、注意してたんだけどなあ」
大型の薬缶に何かを注ぎ込み、棒きれで掻き回すコートとフードの男、獏仮面がパイロに言葉を掛けた。
「もうすぐで出来上がるから、それまでバードマンを抑えてくれ」
「任せてくれ」
作業を続ける獏仮面にパイロは短く応じると、腰に下げていたランタンの蓋を開いた。
ランタンの中で静かに燃えていた炎が、少年の差し出した手に導かれるように溢れ出した。
炎は見る見るうちに膨れ上がり、少年の傍らで彼よりも大きく燃え上がった。
それは、女性めいた輪郭の炎の塊となっていた。炎の精霊、イグニスだ。
「さあ来い、バードマン」
イグニスと並んで立つパイロに目をくれず、バードマンは一直線に巨大な薬缶めいた器具に向けて駆け出した。
パイロも危険だが、獏仮面の作業を止めさせなければならない。
迫るバードマンを気にも留めず、獏仮面は棒で器具の中身を掻き混ぜ続けた。
そのがら空きの背中に向けて、バードマンは握った拳を振りかざした。
だが、兜越しに彼のうなじをぞくりとする冷気と、ちりつくような熱気が撫でた。
彼はとっさに地面を蹴り、真横へ転げた。
直後バードマンのいた場所を帯状の炎が撫でる。赤い火炎はしばし直進すると、獏仮面の背中に届く寸前で止まった。そして時間を巻き戻すように炎が引き戻され、左手をかざすイグニスの手の中に収まっていく。
「ちょっと、僕が相手するって言ったのに」
イグニスの傍らに立つ少年が、そう笑った。
パイロは炎を操るため戦闘能力は高く、下手に隙を晒せば死につながる。
バードマンはとりあえず、パイロへの対処の優先度を上げた。
イグニスが手を掲げ、獏仮面に向ける。すると、掌を成していた炎が、獏仮面に向けて迸った。
「っ!」
彼が屋上を転がって炎を避けると、火炎が彼のいた場所を舐める。石材に焦げ目の模様が描かれた。
バードマンは転がる勢いのまま立ち上がると、続く火炎に備えて身構えた。だが、パイロはイグニスの手の中で炎を転がさせるばかりで、追撃はなかった。
どうやら獏仮面の作業を邪魔させないのが目的で、バードマンを殺害するつもりはないらしい。
「ならば…先にお前からだ」
バードマンは兜の下で低く呟くと、腰に下げていた円盤を外し、勢いよく投擲した。
模様の刻まれた金属板が、回転しつつパイロに迫る。
パイロはイグニスの手の中の火炎を消させると、身をひねりつつ一歩横にずれてかわした。
円盤は虚空を通り過ぎてまっすぐに飛び、通りを挟んだ向かいの建物にぶつかった。
「ソードブレイカーの言ってたあれだね」
変形する金属板を横目に確認しながら、パイロが言った。
「でも、僕を捕えてから獏仮面をどうにかしよう、って腹なんだろうけど、そうはいかないよ」
イグニスの手の中に火球を発生させながら、パイロは笑った。
「…」
バードマンは無言で円盤を一枚ずつ、両手に取ると、再び構えた。
「無駄だって言ってるのに…」
やれやれ、といった気配を露わにするパイロに、バードマンは再び円盤を投げた。
まっすぐに円盤はパイロに迫るが、少年は身を投げ出すようにして円盤をかわす。追撃の狙いを定めづらく、容易に次の回避につなげられる。
だが、バードマンは転げたパイロに円盤を投げるわけでも、その次の動きを予測して投げるわけでもなかった。身を反転させ、パイロと全く別の方角に向けて、投擲したのだ。
獏仮面の方に向けて。
「しまっ…!」
バードマンの言動が全て、パイロと獏仮面を引き離すためのものだったことに気が付き、パイロは声を上げた。
とっさに彼の傍らにいたイグニスが、獏仮面に向けて駆け出し円盤に手を伸ばす。
しかし円盤は彼女の指先を掠めて、止まることなく獏仮面に向かった。
棒を握り、器具の中身を黙々と掻き回す獏仮面の背中に、円盤が迫る。
だが、獏仮面は棒を握る手を止め、振り返りながら左手をかざした。円盤が彼の掌にぶつかり、発光と共に円盤がほどけて彼の手袋に絡みついた。
「出来たぞパイロ」
器具の蓋を閉め、左手に絡みつく金属紐を振りほどこうとしながら、彼は低く言った。
「手筈通りに」
「わ、分かった」
左手をパタパタ振りながら器具から離れる彼に向けて、パイロはそう頷く。
そして数歩離れたところで、獏仮面はくるりと器具に向き直ると、広げた右手を屋上に触れさせた。
「待て!」
バードマンが声を上げた直後、音を立てて屋上に固定されている大型の薬缶がねじれるように回転した。
器具の脚が固定されているためか、辺りの屋根が引き裂かれ、建物の中に器具が落下していく。
「動かない方がいい、バードマン」
獏仮面を取り押さえようとするものの、揺れる屋上でよろめくバードマンに、獏仮面は屈んだまま言った。
続けて穴の縁に滑るように移動したイグニスが、足元の穴に向けて掌に乗った粉をふき付けるような姿勢で、炎を注ぎ込んだ。
熱気が屋上の一同の肌を軽く炙り、屋内に落ちた器具を加熱する。
そして数秒後、ドン、という重い破裂音と共に建物の壁のあちこちを何かが突き破り、開いた穴の中から緑色の煙が噴き出した。
バードマンはとっさに屋上の縁に駆け寄ると、爆発と緑の煙に驚く通行人や警邏中の衛兵に向けて声を上げた。
「ここから離れろ!」
だが、人々がその声に反応する間もなく、緑色の煙が飲み込んでいく。
遅れて煙の中から苦しげな呻き声が響き、まだ煙の達していない場所にいた通行人が慌てて駆け出した。
「獏仮面!貴様何を…」
振り返りつつ問いただそうとしたバードマンの目の前にあったのは、円と直線から成る図形の描かれた手袋の掌だった。
直後手袋の下、袖口の奥から白い霧が噴出し、バードマンの顔面に襲いかかる。
「うぐっ…!」
ややとがった面当ての隙間から入り込んだ獏仮面の失神ガスに、バードマンの身体がよろめき、数歩後ろへ退いてしまう。
だが、彼の脚が屋上の縁の向こうに踏み出そうとする寸前、彼の身体をやや小さな手がつかみ、引いた。
突然の重心の変動に彼の身体が追い付かず、バードマンが屋上に倒れ伏す。
「悪いね。バードマンにはあまり手を出すな、ってのがドクターのリクエストでね」
いつの間にか立ち上がり、再びイグニスを側に控えさせたパイロが、朦朧とするバードマンに向けて言った。
「だが、しばし足止めはさせてもらう」
穴の縁から離れた獏仮面が、爛々と輝くマスクの赤い眼で彼を見下ろしながら言った。
「お前に浴びせたのはごく少量だ。数分で動けるようになるはず」
「だけど、追っかけてこない方がいいよ」
獏仮面の差し出すマスクを受け取りながら、パイロは楽しげに続ける。
そして腰のランタンの蓋に指を添えると、傍らのイグニスをその中に収め、閉ざした。
「行くぞ」
「うん」
マスクを被り、くぐもった声で言葉を交わすと、二人の怪人はバードマンをそのままにして歩きだし、建物の縁に取り付けられた梯子から降りて行った。
「く…うぅ…」
呻きながら手甲を指先で叩くと、彼は声を上げた。
「バティ…!ガスが発生した…!獏仮面とパイロも逃走…!衛兵隊に連絡を…!」
『は、はい!ですが、バードマン、大丈夫ですか!?』
バードマンの声に異常を察知したのか、バティの声に緊迫が滲む。
「少しガスを吸わされた…」
『すぐに迎えに参ります』
「頼む…」
通信を切り、うつぶせになると、彼は屋上の上を這いずった。
やがて屋上の縁が近付き、そこから辺りの景色が見えた。
緑色の煙が道路を満たし、建物の屋根や二階から上が覗いている。
まるで雲海から覗く山の頂を見ているようだったが、その数と形は山の頂の比ではなかった。
その時、一陣の風が通りの間を撫で、立ち込める緑の煙を押し流した。
薄れゆく緑の煙の下に、倒れ伏す幾人もの通行人だったモノが見えた。
「くそ…」
兜の中でバードマンは小さく呻き、拳を握りしめた。
グローブが擦れてみしりと音を立てる。
そして彼の視線の先で、建物の中からあふれ出した緑の煙が、地面と倒れ伏す人々を隠して行った。





「四件目だ」
詰所の一室、貼り出されたダーツェニカの地図上に新たなピンを突き立てながら、リェンは言った。
「我々の予想に反し、パイロと獏仮面は南の通りではなく、南東の五番通りで十数種類の毒草を調合し、大量の毒ガスを発生させた。これで現場近辺にいた二十五人が死亡した」
彼は言葉を切ると、頭を振った。
「これで、地水火風の四元素が配置されたわけだ。次はおそらく、『素晴らしいこと』を起こすのだろうが…どこで起こるんだろうな?」
どこか困った様子を滲ませながら、彼は苦笑した。
「正十字型でもジェスス十字型でもない、この四元素の配置は何なんだ?いや、俺は魔術的な解釈や、新理論の知識なんざどうでもいい。『素晴らしいこと』がどこで発生するかを知りたいんだ。誰か…何か知らないか?」
室内を見回し、リェンはそう呼びかけた。
だが、椅子に腰を下ろす者たちの誰も、彼の声に応えなかった。
「……恐らく、風の位置がずれたのは、撹乱のためだろう」
最初に四属性の可能性を指摘した魔女が、沈黙を破ってポツリと言った。
「しかし四元素は正確に配置しなければならないのだろう?」
「そうだ、正しい位置に置かねば、あまり効果が得られない。だが、どうしても配置が難しい場合は、贄を捧げるなどして各元素の影響力を高めることもある」
「つまり連中は、位置をずらして撹乱するために、最初から贄を捧げてたってことか?」
「その可能性も考えられる」
「正しい位置で、贄なしの儀式をとっととやった方がよっぽど楽そうに思えるなあ」
「怪人どもは騒ぎを起こせるほうが好きなのだろう。連中は怪人だからな」
思ったままのリェンの言葉に、魔女は考えるのをやめたといった調子で応じた。
「とりあえず、本命の魔術儀式は四元素の中央で執り行われるはずだ」
「やはり、中央か」
リェンはペンを取り、東西と南北の四つのピンの間にそれぞれ線を引き、その交点にピンを新たに立てた。
「では、ここを中心に警戒を行うとしよう。人間会の人員配備は?」
「ああ、我々の警備配置については…」
魔女の言葉に、椅子に座るサキュバスが書類を取り出した。



シトート商会の商館の地下、魔術研究所に二人の男の姿があった。
「ご注文の通りの改良を施しました」
ケースを取り出して差し出しながら、ロックに向けて言う。
「使用の際には一手間かかるようになりましたが、これでお望みの通り大きい獲物も捕えられるようになったはずです」
「ありがとう」
ロックはケースを受け取り、礼を述べた。
「それにしてもよろしいのですか?最近、商工会がばたついているらしいですが、東の方に行ったと偽って…」
「ああ、構わないさ。どうせ僕がいたところで、幹部連中の足を引くだけだし」
苦笑いを浮かべつつ、ロックが応じる。
「それにしても大変なことになりましたねえ、怪人どもがダーツェニカで魔術儀式だなんて」
ロックの苦労をねぎらうように、男はそう言う。
「しかし何が目的なんでしょうねえ…」
机の上の新聞を手に取り、ここ数日の事件についての記事を開く。
「火に水に土にと属性を設置して…」
「大がかりな魔術儀式で、碌でもないことを企んでいるんだろうな」
『バードマン』の状態で見聞きしたことを、それとなく言う。
「順番としては、次に本格的な儀式をやるのだろうけど、どこだろうね?」
「次で本格的?まだ準備段階では?」
「何?」
所長の言葉に、ロックは思わず声を上げた。
「放火と橋崩落、建物崩落にガス発生が加わって、地水火風の四属性の事件が揃った、というわけではないのか?」
「ああ、そういう考え方ならもう準備は終わってますね。ですがほら、事件発生場所を見てください」
新聞の、ダーツェニカの簡略地図をロックに示しながら、彼は続ける。
「西で火災、北で橋崩落、東で家屋崩落」
「そして南東で毒ガスの発生」
「その通りです」
最後に添えたロックの言葉に頷く。
「確かに四元素理論では、地水火風の四属性が揃っています。ですが、ジパングの方には五行論といって、世界の全てを木火土金水の五属性で表す理論があります。
一連の事件が、四元素ではなく五行説に基づいているのならば、これで終わりではありません。もう一件起こるはずです」
「確かにそうだが…地が土ならば、三つの属性は共通なのか。だが、風はどうなるんだ?木でも金でもないだろう?」
ロックは納得しかけたところで、慌てて問いただした。
「確かに、風属性は五行説に含まれていません。ですが、ご存知ですか?あのガスは、何種類もの植物を調合して生成されました」
「………」
所長の返答に、ロックは表情を僅かに固めた。
「……所長、仮にこの事件が五行説に基づくものだとして、次の事件の現場を予測できるかな?」
「ええ、簡単です。ここです」
地図上の一点を、所長は指示した。
ダーツェニカの南西、ちょうど『風』の事件と通りを挟んだ反対側だった。





『リェン隊長に連絡したところ、衛兵の余力を中央に回しているそうです』
「私も確証は得ていない。ただ単に、一連の事件が五行説に基づくものだということを確認するためだ」
ダーツェニカの空を、バードマンとバティは滑空しながら言葉を交わした。
『リェン隊長によれば、衛兵隊は『風』の位置のずれは撹乱のためだと』
「『実は四元素ではなく五行』も似たようなものだ。ただ、どちらも次の事件で『素晴らしいこと』につながるのは確実だ」
四元素から力を得て儀式を行うか、五属性の配置そのものが儀式になるかの違いである。
「だからリェンには、中央の衛兵はそのままで、他の連中を集めるよう伝えてくれ」
『了解しました』
ばさりと翼が空を打った。





路地裏に、二つの影があった。
壁にもたれかかり腰に何本も剣を吊るした男と、木箱に腰掛け新聞を広げる男だった。
「もうそろそろだな」
「ああ」
剣を下げた男、ソードブレイカーの呟きに新聞の男が応じる。
「警戒はしているようだが、概ね予想通りだったな」
「それはそうだ、この私が連中の勘違いを招くように、配置と順番を調整したからな」
建物の合間から差し込む日の光を頼りに新聞を読みながら、男はソードブレイカーに言った。
「後は手筈通りにお前が動くだけだ」
「ああ、分かってる」
ソードブレイカーは頷くと、壁から背中を離し、腰の剣に手を掛けた。
「これで金行が揃って…ん?」
男が不意に、新聞に落ちた影に声を漏らした。
ソードブレイカーがとっさに顔を上方に向けると、建物の合間に舞い降りる、翼を広げた真っ黒な影が彼の目に映った。
「バードマン…!」
ソードブレイカーの声の直後、バードマンは彼と新聞の男の間に足をかがめつつ着地した。
しゃらん、と鞘と刀身の擦れる音を立てながら剣を抜いたソードブレイカーが、バードマンに向けて地面を蹴った。
だが、迫るソードブレイカーに向けて、バードマンは腰から何かを手に取った。
それはパイの一切れほどの大きさと形をした、金属の板だった。
表面には模様が描かれており、鋭角の頂点には鋲のようなものが打ってある。
黒いグローブに包まれた指が、金属板の弧をつまみ、軽く振った。
しゃりん、と金属の擦れる音が響き、重なり合っていた金属性のパイの一切れが展開し、一枚の円盤となった。
八枚の金属板にはそれぞれ模様が刻みこまれており、中心の鋲によって模様が一つになるよう構成されている。
ちょっとしたお盆ほどの大きさの金属板を、バードマンはソードブレイカーの間合いに入る寸前に、彼に向けて投擲した。
回転しながら迫る金属板に、ソードブレイカーは足を止めて剣をかざした。
以前に受けた通り、剣で金属板を受け止め、剣を代えて対処するのだ。
金属板が、比較的真新しい刀身に触れ、淡い発光と共に解けた。
ソードブレイカーの予測通り、金属板は細い金属の紐と化し、剣を中心に巻きついてきた。
ただ、彼の予測と違っていたのは、紐の長さが遥かに長かったことだろうか。
剣を中心にするように金属紐がソードブレイカーに巻き付く。背中側に回った紐の両端が、剣の方へ戻り、更にもうひと巻き。
急速に自分の体に迫る刃に、彼はとっさに刃の腹を向けることしかできなかった。
撒き付く金属紐によって剣の腹がソードブレイカーの体に押し当てられ、剣を抱くような姿勢で拘束された。
「…っ!」
呼吸さえも止まりそうな締め上げに、彼は僅かに吐息を漏らした。
「やはりここだったか、ドクターバッドヘッド」
「ここに気が付いたのか、バードマン」
新聞の向こうからバッドヘッドが驚いたような声を発した。
「予想通り、ソードブレイカーで『金』の事件を起こすつもりだったようだな」
「ああ、その通り。だが、封じられた」
「……他に何かあるのだろう」
新聞を広げたままのバッドヘッドの、なんと言うことのないような言葉に、バードマンは警戒感を強めた。
「いいや?正真正銘、これで手はない。お前の予測通りの場所に我々がいて、お前の阻止によって儀式は失敗し、『素晴らしいこと』も発生しない。よくやったな、バードマン」
バードマンの胸中で、新聞を広げたままのバッドヘッドに対し、異常な不安が膨らむ。
「本当は何が狙いだ、バッドヘッド」
「狙い?まあ、儀式が失敗した今となっては、お前との会話ぐらいだろうか」
「私と?」
「そうだ」
何の冗談だ、といった思いの籠った声音に、バッドヘッドは音を立てて新聞を畳んだ。
「こうやってお前と話がしたかったのだ、バードマン」
まっすぐにバードマンを見つめながら、灰色の髪の壮年の男がそう言う。
「じきに迎えが来るだろう。それまでの時間つぶしのつもりで相手をしてくれないか?」
「…いいだろう」
もうすぐバティの呼んでくれた衛兵たちがここに来るはずだ。
バードマンは拘束されたままのソードブレイカーを横目で確認しつつ、短く応じた。
「では、私からだ。お前は、我々怪人をなんだと思っている?」
「…ダーツェニカの和平を乱す、悪質かつ迷惑な犯罪者だ」
「成程、そういう見方もあるな」
折りたたんだ新聞を木箱に置きながら、彼は口の端を釣り上げた。
「まあ、我々も確かに、あまり大きな声で言えないことはやってるが、基本的には…善良とは言えないがただの市民だ」
「ただの市民?ただの市民が、都市全体を使って魔術の儀式を行うものか」
「よかれ、と思ってやっているのだよ」
バッドヘッドは苦笑した。
「ある拝火教の信徒は、火に炙られることこそが一切の罪を清め、文字通り身を焦がし悶えさせるような悦びを持たすと信じている。またある魔物は、海から隔たれてしまったがゆえに、自分のいる場所をあの海と同じ素晴らしい場所にしようと奮闘している」
「そしてお前は、分かりやすかった旧時代に引き戻すため、ダーツェニカを使って魔術の儀式を行おうとした」
バードマンは言葉を切ると、バッドヘッドを見据えながら続けた。
「私には、どれも独り善がりな言い訳のように聞こえるが」
「誰かさんの、変装して悪人と思われる人物に拳を振るうのと変わらないな」
バードマンのマントに覆われた肩が、ピクリと震えた。
「ダーツェニカを支配する一大組織を通さず、細々と取引を行う商人を叩きのめし、組織への隷属を強要する。商人たちが知恵を絞って更なる地下で取引をすれば、探し出して懲らしめる。変装して夜空を飛びまわり、闇にまぎれて叩きのめす君は、まるで何かに似ているようだと思わないか?」
「…私は…ダーツェニカの商取引の健全化と、活性化のために…」
バッドヘッドに応じるうちに、徐々にバードマンはバッドヘッドが何を言わんとしているかを悟った。
「そうだ、私たちと同じだ」
バッドヘッドは口の端を釣り上げながら笑った。
「ダーツェニカのため、良かれと思って動いているんだよ」
「違う!私は、私はダーツェニカの商取引を…」
「健全な取引の活性化が、ダーツェニカの発展につながるのだろう。その通りなのかもしれないな。だが、それが私たちと何が違う?」
「私は、ダーツェニカのために」
「私たちも、ダーツェニカをよりよくするために活動している」
言葉に詰まるバードマンに向けて、彼は続けた。
「認めたまえ、バードマン。君は我々と同じ怪人なのだよ」
「…っ!」
改めて指摘された事実に、バードマンは低く呻いた。
そして同時に、かつてバッドヘッドが言っていた『私は六人目』の意味も理解したのだった。
「さて、そろそろ迎えが来る頃だろうが、君はどうする?我々と共に来て、ダーツェニカをより良くするために協力しないかね?」
動揺するバードマンに向けて、バッドヘッドはそう言った。
「君一人では我々を止めることなど不可能だ。ならば逆に、我々と共に活動しないかね?我々は君を迎え入れ、君が協力する限り我々も君に手を貸そう」
バードマンの眼前に、バッドヘッドの手が差し出される。
「さあバードマン、我々六人で手を組もうではないか。ダーツェニカのために」
彼は、差し出された掌にすがるように、思わず手を伸ばしつつあった。
彼の脳裏を、ここ数日の出来事が踊っていたからだ。
緑の煙の中倒れ伏す人々。崩れた建物のがれきの下から響く声。水路に下ろされた一本のはしごを求めて殺到する人々と、そこに迫る影。もうもうと立ち上る煙。
いずれもバッドヘッドと怪人たちが起こした出来事だったが、バードマンが一人でなければ、もう少し救えたかもしれない。
そう、バードマンが一人でなければ。
「……ぅ…」
一人でなければ、という自身の思いに彼の手は自然とバッドヘッドの掌に伸びていった。
だが、その指先が触れる寸前、ばさりという音とともに新たな影が路地裏に舞い降りた。
「っ!」
バッドヘッドが低い息とともに、影とは反対の方向、拘束されたソードブレイカーの傍らの方へ飛びずさった。
「大丈夫ですか!?バードマン!」
影が、広がった翼膜を折りたたみつつ声を掛ける。舞い降りた影の正体は、バティであった。
「あ…ああ、大丈夫だ…」
一瞬の方針から立ち直ると、彼はそう応じながら、相棒のワーバットの傍らに退いた。
(なぜ惑わされた…私は一人などではないじゃないか)
そう、バティをはじめ、衛兵隊のリェンや魔術研究所の所長など、直接手を貸すことは無くても協力者はいくらでもいるのだ。
「衛兵隊詰所に連絡し、ここへ来るよう案内しました」
「よくやった」
戦闘力はほぼないと思われるバッドヘッドと、完全に拘束されたソードブレイカー。
衛兵たちでも十分捕縛できる程度だとは思うが、油断は禁物だ。
「バードマン、我々と手を組まないのか?」
「ああバッドヘッド。お前と私は違って、人を殺めてまでダーツェニカをよくしようとはしない」
「ほう…それで、どうやって望みをかなえるのかね?」
「ダーツェニカのもめごとは、ダーツェニカの人々自身で解決してもらう。闇商人もお前たち怪人も、私は捕えるだけだ。あとは、衛兵隊と商工会が裁く」
見失いかけていた自身のやり方を、バードマンは改めて口にした。
「そうか…ならば残念だが、今回は諦めるとしよう」
バッドヘッドが頭を振ると、表通りの方から微かに音が響いてきた。
「…お迎えが来たようだな」
車輪が石畳の上を転がる轟音に、バッドヘッドはバードマン越しに表通りの方を覗いた。
彼の背後からは、いくつもの足音が響いている。衛兵たちの足音だ。
「そろそろお別れの時間だ、バードマン」
衛兵に包囲されつつあるというのに、妙に余裕の態度を示しながら、バッドヘッドは言う。
「残念だが今回は君の勧誘は諦めよう」
ガラガラと車輪の転がる音が、徐々に迫ってくる。
「だが、我々は君をいつでも待っているぞ」
直後、木材と石材の擦れる音とともに、路地の入口に影が差し込んだ。
とっさにバードマンが振り返ると、路地の道幅ギリギリの大きさの馬車が、今まさに路地に突入せんとしているところだった。
馬のついていない、四輪の馬車。幌付きの荷馬車をベースに、ほとんどを金属パーツで補強された馬車は、明らかに衛兵隊の物ではない。
ガラガラと車輪が空転し、直後石畳を捕えて路地に馬車が入り込んでくる。
詰まれた木箱を砕き倒しながら進むさまは、前に立つものを轢き潰さんと言う意思をあらわにしていた。
左右は無論、屈んで避けることもできそうにない。バードマンは傍らに立っていたバティの腰を抱き寄せると、しっかりと抱えたまま右腕を上空へ向けた。
手首からワイヤ付のフックが射出され、路地沿いの建物の屋根の縁に引っかかる。
そして馬車が激突する直前、ワイヤーが巻き取られ二人の身体が宙に持ち上げられた。
バードマンの足もとを馬車が通り抜け、バッドヘッドとソードブレイカーに接近する。
だが、二人と馬車がぶつかる直前、馬車が一気に減速し二人を荷台に乗せた。
「全員動くな!」
一瞬遅れて、路地の二つの入口に衛兵たちが姿を現わす。
だが、馬車は彼らの言葉に従う訳もなく、一瞬車輪を唸らせてから加速した。
衛兵たちがとっさに引いて隙間を作るが、逃げ遅れた数人が跳ね飛ばされる。
「バティ!」
「はい!」
バードマンは言葉を交わすと、一気にワイヤを巻き取り、その勢いで建物の屋上に躍り出た。
そして屋上をバティを抱えるようにしながら駆け抜け、通りへと身を躍らせる。
いつの間にか自身の身体とバードマンを固定具でつなぎとめていたバティは、翼を広げて二人分の落下の勢いによる風を受けながら、滑空した。
身体を傾け、姿勢を整え、通りを進んでいく馬車を追う。
通りに飛び出した馬車は、馬もいないというのに車軸がきしむほどの速度で驀進していた。
その速度と馬がいないという事実に、通行人たちは馬車の進路上から退いていく。
阻む物のない石畳の通りを、馬車は突き進んでいた。
「止めるぞ、バティ」
「はい!」
短い会話を挟んで、馬車を見据えるバードマンの上で、バティが一つ翼を打った。
視界が上下に揺れ、滑空の速度が増す。
バードマンは腰に手を伸ばすと、掌ほどの大きさの金属の円板を手にした。以前使用した拘束用の金属板だ。
彼は円盤を手にすると、馬車の車輪に向けて投擲した。
車輪の縁に金属紐が絡み付けば、この速度ならば馬車は横転し、最低でもソードブレイカーとバッドヘッドの二人を捕縛できる。
だが、突き進む円盤の先で、馬車の後部を覆っていた幌の布が捲りあがり、やや小さな影が姿を見せた。
砂漠の民が纏う民族衣装を身に着けた少年。パイロだ。
彼はランタンの蓋を開くと中の炎精霊を呼び出し、迫る円盤に向けて炎を吹き付けさせた。
熱によって円盤が歪み、軌跡が逸れて車輪の傍ら、石畳にぶつかる。
「くっ」
続けざまに円盤を放とうとするが、イグニスの広げた両手に火の玉が生じたのを目にしてバードマンは呻いた。
バティが大きく翼を空打ちし、上空へと上昇する。その直後、二人の滑空していた空間をいくつもの火の玉が通り過ぎて行った。
バティは身体を傾け、翼を広げ、追跡を妨害するべく放たれるイグニスの火球を躱した。
「ははははは!」
「バードマン!」
車輪の立てる音にまぎれて、パイロの笑い声とバッドヘッドの呼びかけが聞こえた。
「我々は決してあきらめはしないぞ!」
猛進する馬車の前方に水路が現れた。曲がって水路沿いの道に入らなければ、馬車は水路に落ちてしまう。
「今回のところは引いておこう!」
しかし馬車には曲がるどころか、速度を落とす気配すらなかった。
「だがいつか、また相見える時が来るだろう!」
水路の上に馬車の前輪が踏み出すが、バッドヘッドの言葉には微かな揺れもなかった。
「さらばだ!」
その一言の直後、馬車の後輪が完全に石畳を離れ、水路上の空気を踏んだ。
足場のない場所で、馬車の姿勢が傾き、水面に向けて落下していく。
だが、馬車が水に触れる直前、水面が音を立てて凍りついた。
重い音と微かな波紋を立てて馬車は氷上に着地すると、そのまま道を成すように氷結していく水面を走っていった。
そして馬車に付き従うように、水面下を影が一つ進んでいた。
氷結する水面に、水路を泳ぎ進む影。その正体は…
「オケアノシアか…」
放たれる火球を躱し、揺れる視界でバードマンは呻いた。
バッドヘッドにソードブレイカー、パイロとオケアノシアと、既に四人の怪人があの馬車に関わっている。
下手をすれば、獏仮面もあの馬車に協力しているのかもしれない。
怪人のカーニバルと称しても問題ない無馬の馬車は、氷の上を突き進み黒々と口を開く地下水路の入口へ向かっていた。
あそこに逃げ込まれれば、追跡は難しくなる。
だが、パイロの放つ火球により、バティは馬車に接近しかねていた。
「バティ!切り離せ!」
「…了解しました!」
微かな逡巡を挟んで、バティとバードマンを繋ぐ器具が解除される。
バードマンが滑空し、バティが羽ばたきながら馬車に迫った。
「!?」
火球を放っていたパイロが、突然分裂した目標に一瞬どちらを狙えば良いのか迷う。
だが、バードマンにとってはその一瞬で十分だった。
滑空の勢いを揺る得ることなく、馬車の幌の上に半ば突っ込むようにしながら彼はしがみついた。
分厚い布地を支える支柱を掴み、幌を引き裂こうと力を込める。しかし、布が裂ける寸前、彼はある事実に気が付いた。
地下水路の水面から天井までの距離が、この馬車の高さとほぼ同じなのだ。
バードマンは幌を掴む指を緩め、幌から転がり落ちた。
受け身を取りつつ氷の上に落下するが、全身を貫く衝撃は彼から一呼吸を奪った。
程なくして、馬車と水中の影が地下水路に消え、オケアノシアが何かしたらしく、凍った水面が破裂する。
水しぶきが地下水路の入り口を覆ったところで、瞬時に氷結して落下が止まった。
地下水路への入り口を封鎖してしまったのだ。
「く…!」
バードマンは立ち上がりながら呻き、眼前の氷を叩き割ろうと拳を固める。
だが、それを繰り出す寸前で、彼は踏みとどまった。
これを破ったところで、この奥には怪人たちが待ち構えているかも知れないのだ。
そんな場所に単身乗り込んだところで、何ができるだろうか。
それに、それよりも彼にはすべきことがあった。
「…バティ!」
彼は氷壁に背を向けると、宙を舞う黒い影に向けて声をかけ、フックを放った。
影にフックが届き、ワイヤが微かな衝撃とともに彼の身体を引き上げる。
「リェン隊長のところまで頼む。今回の儀式の阻止成功と、怪人たちの完全な強直体制を伝える」
「了解しました」
ワーバットが、返事とともに羽ばたいた。
そう、今のバードマンがすべきことは、敵のアジトに乗り込むことではなく、怪人たちへの対策を練ることだった。
衛兵隊や人間会を一とする、ダーツェニカの人々とともに。
それが、ダーツェニカのために働くバードマンのすべきことだった。
(バッドヘッド…私は、お前たちとは違う…!)
ダーツェニカの上空を進みながら、バードマンはそう胸中で呟いた。
12/03/31 19:40更新 / 十二屋月蝕
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■作者メッセージ
妙な格好で夜に紛れ、たった一人で「悪人」と断定したものを制圧する。
彼が狂ってる?
そうだ狂ってる。
理不尽な暴力に身を竦め、おびえながら過ごす日々に彼は狂ったのだ。

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