読切小説
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猫、艶美にてあじゃらしくは笑窪
1

 魅惑的な踊り子というものは、それだけで存在が罪であるとジルは大真面目に考えていた。現に今いる砂漠都市の場末酒場の一角にでさえ、人々の目を奪う踊り子というものは存在しているのだ。精通もまだの幼子でさえ興奮を覚えそうな色香を振りまいておきながら、しかし決して下品に落ちることはないそれは、ある種犯罪的とも言える。なのに手を出せば砂漠の塵の一つにされかねないとは、どうしてこうも世は無情が蔓延っているのか。流行している病とて、もう少し慈しみだとかお情けを感じさせるというのに、この酒精支配する世界には慈しみもお情けもない。ただ有るのは男女の痴話喧嘩と決して終着駅に辿り着くことのない色恋沙汰のゴタゴタだけである。それなのに人間の敵たる魔物の方が人外たる魅力を兼ね備えているのはなぜなのか。まるで食われてしまえよ人類と神が声高々と告げているようなもの。
 一度戦場というものをジルも、偶然目にする機会に恵まれた。しかしそこで見たのは酸鼻極める惨たらしい殺戮遊戯でも、血を血で洗う鉄製の武具と硝煙の臭い漂う武闘でもない。それは喩えるなら宴という言葉が似つかわしく、必死に抵抗する人間が哀れ男は性的に貪られ、女は魔物へと堕落させられる様は淫靡を極めていた。教会の神父がもしその光景を目にしたなら、神は死んだのかと嘆き言一つを遺言として精神が耐え切れずにそのまま神の遣わす使者になってしまっていただろう事はジルにも察しがつく。
 ジルもその光景を恐ろしくは感じたのだが、同時に羨ましくも思うのは本人の下半身でものを考える性の成せるもので、死ぬのは御免だが一度くらいあそこまで徹底的に、それこそ精巣から子種をもう吐き出せなくなるくらいに搾り取られてみたいと考えるのは度胸が据わっていると褒めるべきか、助平根性丸出しの阿呆と罵るべきか。
 まあそんなわかりやすい下半身男にそうそう幸運の女神は微笑むはずはなく、寧ろ彼岸の彼方まで飛んで行けと平手打ちを喰らう次第で、その結果がこうして今酒場で呑んだくれているジルの様を見るのは実にわかりやすい。
 簡潔に言えば単に魔物と一戦交わる機会を見つけられなかった鬱憤を、こうして踊り子に責任転嫁することで晴らしているのだから、この男中々屑の素質があると見えた。なにせおさまりつかぬジレンマにかこつけて道に我が物顔で寝転がる猫に蹴りを浴びせる、愛猫家からすれば批難殺到間違いなしの所業すらつい先程致したところである。
 尤も踊り子に手を出したいと思うのは男ならば致し方ない願望であり、浪漫ではあるがその欲望剥き出しにした挙句の果ては言わずもがな悲惨であるからして、ただでさえ歯痒い想いをさらに増長させることこの上ない。
 踊り子はかわるがわる、各々の魅力と色香を周りの野郎どもに見せつけると、それに釣られた蛾のような男共はたまらず手を出したくなるのを酒精でぐっと我慢する。そうして酒場は男の涙と欲棒混じった銭で暖まる。この一連が資源も乏しい砂漠の酒場の息が長い仕組みであり、それは野郎どもも頭では理解していた。しかし足は酒場へと通ってしまうのは呑兵衛の、いや男の悲しい性である。娯楽が極端に少ないと、人間は一度見つけた快楽は是が非でも楽しもうとするか、あわよくば棚から牡丹餅の幸福に肖ろうとする。
 前者は兎も角、後者に至っては落ちてきた牡丹餅がまるで意思を持っているかの如く落下中に身を翻し、口に収まるのを善しとしないが。
 そこまで思い通りにいかないならば、ある程度の妥協も仕方ないと考えるのも矢張り男の悲しい性である。ジルもその中の一人であり、酒場にいるその手の仕事をしている女を適当に声かけて、千夜物語の浪漫には届かずともそれはそれで趣のある退廃に身を浸そうと考えていた。店内に視線を泳がせれば、インモラルな服に身を包んだ、間違いなく娼婦と思える女がちらほらと。金が無ければ誘われても忌まわしいと感じるばかりだが、今のジルには懐に十二分に蓄えがあり、その忌まわしさを感じる時ではなかった。逆に早くもこれから一戦交えることになる女を品定めする、下品さを隠しきれない視線で物色する様は好色親爺かそれとも素封家の享楽のか。
 が、いくら鵜の目鷹の目で好みの女を探せども、直感的に神経に走るものがあった女に限って他の男の隣に腰かけ、悩ましい身体つきで男どもの下半身に揺さぶりをかけている真っ最中であり、ジルは宝箱の中身が悉く盗人に横取りされている気分に陥った。そんなことで理不尽な情火の昂ぶりが収まる道理はなく、しつこく視線をあっちへうろうろ、こっちへうろうろさせている内に、ふと目に留まる姿があった。
 歳はジルと大して変わらないように見える。しかしその身体は胸はその存在を遺憾なく自己主張し、腰から尻にかけての曲線は男の股ぐらを掠め取るにはオーバーすぎる美しさと艶やかさを兼ね備えており、ジルは気づけば酔いが回った風を装って、堂々とその女の隣に腰掛けていた。近くに寄ることでより詳らかになった女の身体は、一種の芸術品かと見紛う程だった。さらにこの女、どうにもジルの語彙からは形容し難いほどの色香を放っていた。よくもまあ、今まで男どもに声をかけられなかったと思うと同時に、声をかけなかった男どもに向かいほくそ笑む程度の器量しかこのジルは持ち合わせておらず、その心地よい優越感によって、逆にどうしてそこまでの女が男どもから声をかけられていないかという疑問は既に雲散霧消していた。
 場末酒場の酒を幾らか呷り、その頭が荒廃の一途を辿るにしたってせめてもの情けで理性の一滴でも残っていれば、おそらくはその理由がジルにでも理解出来たではあろうが、本人は既に女をその手の者と認識しており、またいい塩梅に酒精が脳髄に至っていたとあっては手の施しようもなく。

「いやあ、いい女だなあ姉さん」

 女欲を絶てども酒欲を絶てなかった武将のように――いや、ようにではない。どちらも絶つどころか欠けようものなら生涯の楽しみを奪われたに等しい顔をするのは想像に容易いジルにとって、目前にぶら下がった欲望に我慢を覚えることをしろと言ってのける方が無碍というもの。
 声音に色欲滲ませながらのジルの口説き文句に嫌悪の色は覗かせず、女はただ微笑を湛えるに留める。しかし同時に自身を口説こうとしてきた男に対しての興味もあると見えて、それを目聡く見抜いたジルはすかさず口達者に、

「やっぱりいい女ってのはどこにいても男に声をかけられるもんかい?」

 そう口走るところに、このジルの人物像は悲しいほどにわかりやすい。

「逆に誰も声をかけてくれないわ」

 耳に心地よい声だった。どこか遊び慣れている風に聞こえる独特の艶を感じ、それが酒場の喧騒に小気味良く混ざるのがジルの期待を膨らませるのを手伝う。

「もったいないなあ。こんな人を相手にしないなんて。俺だったらすぐにでも声をかけてるや」

 そう言いながら己もついさっきまで気づかず、声をかけないでいたことは確かで墓穴を掘ったのは気に留めず、酔いの勢いに任せてくるくると滑車のようによく回る舌はますます好調になるのをいい事に。ただ女はというとその言葉に少しばかり怪訝な顔をし、男を上から下まで具に見ると今度は逆に少女のようなあどけなさに悪戯っぽさを混ぜた、男心を擽る為だけにあるような笑みを見せて。
 それがあまりに無垢に見え、些かの懐疑心を抱くもこれから情事にそのような魔を差すものなど瑣末で余計なものと思えてしまい、その懐疑心を屑籠に放り込むまで早二秒ほど。

「あなた、私が誰だか知ってるの?」
「さあ、どこかのムービースターの顔写真にでもあったような別嬪さんだけど、ちぃと記憶にはないな」

 不思議がる女からの問いにもこの調子なので、いよいよしたたかに酔いが回っていると見えるジルは、首を傾げて考える素振りを見せながら視線は女の曲線美をしっかりと堪能しているのは、どれだけ酩酊しようとも変わらずか。
 そんな様子が面白おかしく感じたのか、噴き出して快活に笑うと女は、

「あなたって愉快な人ね。いいわ。行きましょう」

 と、あろうことかジルと一夜を共にすることを了承する始末。ここでジルに少しでも獣じみた野生の勘というものが具わっていたならば、そうそう上手い話はあるまいてこれは何かしら甘言には毒あるのは常と、そこまで脳味噌を働かせることができればよかったのだが、酒精の力は武人ですら溺れる凄まじさであり、泥沼に足を踏み入れれば足掻くほどに足を捉えられ、泥濘に身を浸していくのは人を呑み込み帰さぬ沼も酒精も同様であるのに。まして武人でもないそんじょそこらの凡人以下の遊び人であるジルが、そう酒精に抗うたところで敵うはずもない。

「話が早いや、それなら二階にその為の部屋がある。さ、さ、気の変わらない内に行こう」

 二階は寝部屋になっており、場末酒場の欲と銭の体面を如実に表した設備ではあったが、それがかえって今のジルには有難かった。何しろ強い酩酊感に朧と現の境を時折彷徨いかけていたのだから、まず間違いなく抱けばその甘美極める心地に下手すれば首ったけになること請け合いの肢体を味わう前に意識を渾沌とした淵へ潜ませることは、真不本意でしかなく。
 階段が二人の体重で軋む音さえどこか期待膨らませる音に聞こえてしまうのは、ジルの耳がめでたいだけではあるまい。
 流石に二階ともなると喧騒も多少はその鳴りを潜め、いざ情事に縺れこもうとするとその雰囲気もそこそこに相応しいものへと姿を変えるのは、ジルにとっては既に何度も体験した感覚ではあったが、改めて女を見るところの魅力の語りつくせない多さに尻すぼみしてしまう次第なところ、度胸があるのか臆病者なのか馬鹿なのか明瞭だにしない。
 その複雑怪奇な尻すぼみですら、部屋の扉が閉じて二人っきりになった瞬間から漂い始めた濃厚な色香に吹き飛ぶのは、ジルの単純さが為せる技か。
 いや、違う。

「ん……?」

 その色香は快楽の期待によって鼻腔が起こした錯覚や幻覚の類ではなく、実際に、酔っ払いが予てより貯蔵されていた美禄の数々を勢いでぶちまけたままにしたような、噎せる程の匂い。
 古来世界の三大美女の一人であったクレオパトラは香水風呂に毎日浸かってはその香りを身に染み込ませ、香りだけで己の存在を誇示できるほどだったという逸話は有名なところであるが、それを想起するほどの学があるジルではなく、ただただそのひょっとすると三大美女にすら匹敵しかねない香りの濃厚さに、どこかくらくらと甘く軽い眩暈を覚えるに留まる始末。
 終いにはとうとうどこからかアラビアンを思わせる風情の旋律すら幻聴に聞こえるのだから、とっくに酔いは回りきってしまっていると思えて。
 しかしどういうことか、ジルの耳にはそんなアラビアンな旋律の風情の中に、赤ん坊のような声が聞こえてきて仕方ない。いや、赤ん坊というよりは、もっと不吉なものを想起させるそれ。しいてあげるなら、黒猫の一鳴き。

「大丈夫?」
「あ、ああ大丈夫。ちょっと酔ってるだけさ」

 言って、女を抱き寄せるまでにちっともふらつきを見せなかったのは男としての意地がまだジルの中にへばりついていたからか、単なる偶然なのか、どちらにせよ既に下半身には熱が集まっており、期待に胸躍る心地よさにさえ、酒精とは別の陶酔感を覚え始めるのも手伝って、視界には女しか映っていなかった。
 どちらからともなく唇を重ねるとそこからは言葉は必要ではなくなる。
 別の意味で。

「……あら?」

 唇に感じられた感触が、まるで弱々しいものに変わるのを不思議に思い女がふとジルの様子を窺うと、幽体離脱でも起こしたかのごとく意識を消失させ口から涎を垂らしているその大口の開きようと、それとは真逆にぴったりと溶接されたのかと思いたくなる目の閉ざされよう。
 終いに鼾を部屋に響かせようものなら二階から酒場へと放り投げられて一家の愛憎渦巻く血みどろ殺人劇の被害者さながらに、逆さになって両足だけ人の目に晒されたとしても女を非難できるものではない。
 そうならなかったのはモーゼの大海に匹敵する奇跡であり、ぐっすり眠ってしまったジルに対する女の慈母のような優しさが内包されていたからでもあり、まったくもってこの青年、運が良い。これが性の話題には事欠かない、おおよそ表立って口には出来ぬ事で名の知れたヘリオガ云々の帝のような狂気でも身に宿す女であったのなら、ジルの身に何が起こっていたのかと考えるだに恐ろしい。
 とにかくそういった狂気的な性を宿していなかった女は、くすりと笑いを零すとジルをベッドへと寝かせると自分もその横に伏した。ジルに少しでも意識があったのなら、すぐに下の方はいきり勃ち、かの大怪盗のように服を一瞬で脱ぎ去りあれよだめよとラヴロマンスに陥ったところ、運が肝心なところでは女神に見放されている。
 それにしても寝顔安らかなジルの顔を近くで見つめると、胸の奥に熱いものが湧きたつのを感じた女はそっと鼻先に口づけると、敏感に反応したジルが、とっくに意識はブランクさせているのに身を捩る程度のことはやってのけ、そこがまた赤子のような幼さ拙さを残したものであったとくれば、女も不思議と悪い気はしなかった。

「変な人」

 つんつんと指先で青年の頬をつつき、その意外にある弾力性に目を丸くしたのも一瞬、また表情はころりと変わる。

「私に声をかけるなんて」

 自身もよくわからなぬ感覚に、女は暫し思案顔だったが、それも疲れたのか、ジルに抱き付くと同じように目を閉じた。やがて健やかな寝息が二人分。
 微かに嬌声と喧騒が木霊する場末酒場の二階で、二人は昏々と眠り続けた。にゃあ、と猫の声が聞こえた気がしたが、それを気にする者は誰もいなかった。

2

 覚醒の兆しが見えたのはいつ頃か、判別もつかぬ前後不覚に陥ったに等しい感覚の戸惑いになまじ意識を持ち込めど、ただぼんやりとしたものと気怠さに身体を支配され、眠りにつく直前まで自分が何をしていたのかすらジルには思い出すのも一苦労といった具合で、空中にぶら下げられた芋虫にも似た動きをもぞもぞと布団の中ですれば、自分以外のぬくもりを感知してしばし。
 ただのぬくもりであれば、未だ睡眠の森を彷徨う道中であるジルはそのままうろうろと森の中を東奔西走、そうしているうちにまた頭の中でさえ疲れ果てて意識を消失させるという自堕落の極みの行為も平然と行っていただろう。
 そうしなかったのは、そのぬくもりに違和感を感じたからに他ならない。
 それでも面倒くさく思うのを堪えて、瞼を開くとぼやけた輪郭が世界を取り戻し、そして露わになったのは、ネコ科の動物にある可愛らしいそれに酷似した、キュートな猫耳であり、蝋燭で作られた、太陽に炙られて溶けるような代物でないことは一見して明らかで。
 さすがに作り物でないことは寝惚け気味のジルでも理解が回ったが、そうとくれば次なる疑問はなぜ猫耳が――それも記憶ではついぞ意識を失う前まで覚えのある女の頭に――あるのかということであり、その答えを探すべく動き出そうとしたところで、実にタイミングよく猫耳の主は声をあげた。

「あら……もう起きたのにゃ」

 どうやら口ぶりからして、既にジルより先に目覚めてはいたようだが、その全貌をおっかなびっくりに確認すると、素っ頓狂な悲鳴をあげることもままならず、ただ絶句して額から冷や汗を垂らすだけのこの青年の情けなさといったら。
 その声の主はジルが声をかけた女であり、名前もまだ訊いていなかったけれど、確実にただ一つの確証を以て断言できるのはこのような猫耳を生やした女を口説くなど、明らかに怪しげな童話の水先案内人のような女を口説いた覚えはないことであり、しかしどちらかと言えばその茶目っ気よりはいかにも生物的な生々しさが強い猫耳を見る限り、天の使いよりは魔物や異形の方が相応しい。
 驚きというものが限界値を突破し、鯉のように口をぱくぱくと開閉させるジルの滑稽図をよそ目に、ただ、嗚呼忘れてたわ……釜の火を消すの、などと猫耳を隠すのを忘れているのではないかと声を荒げてつっこみたくなるが、ジルからすればこの異形な女に今すぐ取って食われても不思議ではない状況が剣呑な空気漂わせ、そのようなことはとてもとても。
 自分が口説いたのが魔物とは夢にも思わず、この後の身に襲い掛かる所業とさらにその後の己の境遇に焦りをつのらせるジルとのんびり背伸びをして身体がほぐれる心地よさにうっとり声を漏らす女との差はあまりにかけ離れ。

「どうしたにゃそんな顔して。大丈夫、取って食べやしないにゃあ」

 そもそもこのジル、偶然魔物と人間の争いを目にしてその淫猥極まれりの光景に、当事者である男たちに嫉妬の念を燃やし、それを凝らせるのも馬鹿らしくて憤懣など綺麗さっぱり流してしまおうと女を口説いていたはずで、その口説いた女が魔物であるならばそれは願ったり叶ったりというものだろう。

「あ、あぁあああんた、魔物なのか」

 人間に対してあなたは人間ですかと尋ねるくらいには馬鹿らしい質問だったが、しかし混乱の最中にあるジルにはこんなことを訊くのが精一杯であって、それ以上のものを喉から絞り出そうものなら喉を開くのではなく頭の蓋を開く必要があっただろう。

「そりゃあ、見たら、ねぇ?」

 わかるでしょう?と言外に。

「い、いやだがしかし、別嬪さんには違いないけど、いや」
「失礼しちゃうにゃあ。私魔物だけど、魔物なんてここには腐るほどいるにゃ」
「何!?」

 動揺するには十二分な札が揃っているところ、さらに赤短青短猪鹿蝶と追い討ちをかける役を吹っ掛けられた気分で、ジルは卒倒しなかった自分を内心褒めてやりたい気分にもなりながら、しかしまず湧いたのはそんな打つ手なしの境遇に身を置きながらも未だ五体満足でいられていることへの感謝感激で。
 もう兎も角変転し次々と明らかになるぶったまげた事実に、脳内はドタバタ喜劇もいいところに複数のジルがああだこうだと会議を勝手に始めるオチまでつくとくれば、一周回って次第に冷静を取り戻してきたのは、僥倖であっただろう。

「ま、まあ、つまりだ。お前は魔物で、他にもこの酒場にはうじゃうじゃいると、つまりはそういうことなんだな?」
「そうにゃ」
「はぁ……」

 酒場に限った話じゃないけどにゃ、といつの間にか口調まで変化した猫の声を厭わしく感じながら、ジルは不躾とは思いながらも改めてまじまじと舐めるように女を見つめる。
 酒場で声をかけられた時と体格自体に大差はなく、未だ官能的に男を擽る余地を残してはいるが、しかし勝るのはその猫とわかる要素の多さ。尻尾に肉球、どれもがぴょこぴょこと動き、身体の一部であることを示している。

「まあどっちにせよ、目覚めたなら好都合にゃ」

 好都合、という言葉にぞくりと背中を不吉な予感が駆け巡り、思わず身体を半身の構えにしたのも遅く、気づけば武術の達人ですら拍手喝采をおくるほどの手際の良さでベッドに押し倒されるのはジル以外におるまい。

「ま、ままま待ってくれ!いくら何でも魔物とするのにはちょいと勇気が必要で!」

 その言葉に対する返事はなく、先程とは打って変わって冷たい視線のみがなぜかジルを批難するようなもので、妙に居心地の悪さを感じ、思わず口走る。

「え?あ、あれ?怒ってる?」
「何か勘違いしてるようにゃ。私はお前に罰を与えるためにこうするのにゃ」
「は?罰?」

 罰という物騒な響きに、何か魔物に対して恨みを買うようなことをしたかと自身の記憶を総出で巡ること僅か数秒、しかし身に覚えがなく唯一魔物と関わったかもしれないという疑念を生んだ出来事だって、戦場を遠目に見ただけでそれだけで恨みつらみを言われる筋合いなどまさかまさか。
 首を横に振り、勘違いではと伝えるジルに対して、女、いや、猫は大げさに溜息を吐いて言った。

「お前、猫を蹴ったにゃ」
「あ?猫なんて……あっ」

 確かにジルには身に覚えがあり、それは確かに酒場に向かう道中、苛立ちに任せて猫をいたぶったことも事実であり、否定しようのない言い逃れできない罪ではあったけれど、ジルにしてみればそんなことでと声を荒げたくもなることではあったが、口から少しでもそんなことを漏らしてしまえば状況が悪化するのはわかりやすく、辛うじて言葉を呑み込んだ。
 思い当たる節があったことに口裂け女ばりのいやらしい笑みを浮かべ、溢れる嗜虐心を隠そうともしないのは、まさに猫の悪戯心に似て。

「お前はもう逃げられないのにゃ。ここは猫の王国にゃ。逃げても逃げても猫が逃がさないにゃ」
「はぁ?ここは酒場の二階だろう?何を馬鹿なこと言って」

 ならばとジルを一旦解放し、備え付けの窓へと顎を動かす猫に対して渋々外の眺めを確かめて、ほら見ろやっぱりちっとも変っちゃいないじゃないかと得意げに言ってのけようとした魂胆は外れ、視界に飛び込んできたのは砂漠都市にも程遠い、西洋溢れる街並みとその道を往く猫、猫、猫。
 目ん玉をひン剥いても矢張りその双眸に入ってくるのは猫、人の形をしていても猫、ようやく男を見つけたと思えば猫と戯れたり交わったりしている奴らばかりで、さながら猫の王国か。
 しかもよく見れば見かけこそ西洋の面影濃いこの街、しかし矢鱈と路地裏が多くその暗がりに二階から目を凝らしてみれば、ぎらつく眼光夥しい。
 へなへなと全身の力が抜け、床にへたり込んだジルの情けなさといったら、情けなさを戒めるためにわざわざ己の姿を描かせた東洋の武将のそれに酷似して愚かしいことこの上ない。
 気づけばひょいとお姫様だっこの要領で抱えられ、再びベッドの方へと放り込まれればいつの間にか男女の本来の立場が逆転している構図が出来上がり、哀れ捕食される側へとなり下がったジルの額にはこれでもかと汗が浮かび、それが余計に猫の嗜虐心を滾らせた。
 息を荒くし、おやめになっての静止の声も聞こえず早業でジルは一糸纏わぬ姿にされ、その間に猫自身も服を脱ぎ捨てていたとあっては、その電光石火の速度にはかの大怪盗も両手をあげて降参の意を表すほどで。

「さあさあお楽しみにゃ。うんと厳しい罰を与えてやるにゃ」
「よしてやめてお婿に行けなくなるわ!」

 鼻息荒く頬染めながら迫る女の姿はジルに負けず劣らずの変態ぶりであり、発情しているのかと見紛うほどで……いや、実際、発情していた。涎を垂らし、綺羅星のような光を瞳に湛え、内股をしとどに濡らして発情していた。
 そもそもこの猫、この猫の国へジルを連れてくるために人に化け、誑かしたまではよかったが、それも情事に入る直前であり、獣の血色濃い部類のケット・シーにとってこの一種のお預け状態は堪えがたい誘惑をなんとか堪えただけのことであり、理性の堤防が決壊するのも時間の問題ではあった。
 そして何より今この部屋には猫自身とジルしかおらず、罰を与える者が今は自分しかいないとくれば目の前の餌、もとい男にかぶりつかない道理は猫の頭には存在しえなかったし、たとえ存在していたとしても猫の気まぐれで道端にでも捨てられていただろう。

「ひえっ」
「うにゃ」

 しっかりと背後から抱きしめられ、肉球が迷わずジルの陰茎を包み込むとその感覚に思わず情けない声が洩れる。
 存外に柔らかい感触は敏感な亀頭に触れても心地よく、しかし十分な快楽かと言えばその領域までにはとどかずもどかしい。
 片手がいじらしい速度で肉棒を扱きながら、すんすんと猫は鼻を鳴らしてジルの体臭を嗅いではうっとりとした声をあげ、その声が滅法艶めかしいので、いやでも性欲の火は盛んに燃える。
 いくら肉球が未知の感覚とはいえ、ここまで戸惑いを覚える快感を生むものかと疑問を感じるジルも、よもやその手の魔術が既に自身にかかっているとは夢にも思わず、身体を捩らせてなんとか猫の手から逃れようとするばかりで、逃がすまいと少し刺激を強くすれば、また身体は腑抜けてしまう始末。
 ふー、ふー、と息を吐きながら奉仕、もとい罰を与える手は止まることを知らず、ひたすらにいたずらにジルの心惑わせる快感を充足させていくのみで、時折背中に押し当てられる乳房の感覚こそ心地いいし、うなじをざらざらとした舌が這うのも微弱な電流を流されたようで甘美な刺激ではあったけれど、どれもが快楽を頂点へと達するには今一つ足りずに心は焦れるばかり。
 これが罰かと、麻痺しかけの頭で微かに思うものの、思うたところでどうなるというのか。
 早く射精させてほしい、自分が悪かったなら謝るから、額を地面に擦り付けて謝るからどうか。そう願ったところで男の最後のプライドというものがジルにも存在し、口にするのは憚られる。それを見透かしたように、愛撫の肉球は決して肉棒を放さないのに、子種を吐き出さんとする一瞬の震えを敏感に察知して、その手を休ませてしまう。
 吐き出しかけた子種が尿道で留まり、快楽の波が引く一瞬に耐える毎に、さらなる肉欲がふつふつと湧き上がる。

「そろそろ限界かにゃあ?」

 意地悪さたっぷりに訊く猫の声にもしかし、どこか欲情しきった色が含まれており、猫にしたって我慢しているのだと知ると、余計に天邪鬼になりたくなるのがジルであり、

「ま、まさか。それよりそっちの方がさっさとぶっ挿して欲しいように聞こえるが」

 などと口走ってしまい、後悔するのも遅い。
 ならばと猫の身体がひゅるりとジルの前に位置を変えた、次の瞬間には下半身に生温かい感覚が走り、肉球とは比べ物にならない、その強さにたちまち呆気なく射精してしまう。
 一度、二度と脈動して自分の性器を咥えたままの猫の口中に迸りを放つも、猫はその頬を凹ませるほどに窄め、ごくりごくりとその喉を小さく鳴らすその淫靡さと、興奮といったらジルは生唾を飲み込むほどで。
 徐々に猫の口が陰茎をずるずると没し、再び精を玉袋から搾り取ろうとせしめんことに気づいたジルは慌てて腰を引こうとするも、肉球のいじらしい愛撫とは違い、はっきりとした粘膜の温かさと唾液の潤滑油、そして人のものとは異なる感覚で鋭い刺激を与えてくる舌の心地よさにただただ腰はひくつくのみだった。
 完全に発情しきった猫を止めることなどできず、ただただ頭の激しい前後運動に声が洩れ、陰茎をびくびくと快感にのたうち回らせることしかできないことに、もはや情けなさすら感じなくなってしまったジルの堕落の歩度は増すばかり。
 精液を吐くだけの玩具と化してしまった錯覚すら覚え、そのぞっとする想像に身震いする余裕程度はジルにも残されてはいたけれど、うねり、ざわめく舌の蠕動に逆らう気力など湧く筈も無く、表情を蕩けさせるだけだった。
 猫が一旦肉の管から口を抜けば、それだけで射精してしまいそうになる快楽のどよめきに腰が浮かび上がる。
 その貌を窺い、猫はただ一言、見下すように言った。

「挿れたいかにゃ?」

 傲岸不遜という言葉が相応しく、しかし見下されたことに気分を害することなどジルはなく、ただ首肯した、するしかないのだ。戦場で見た男どもが逆らえず魔物に跨られるのも、責める気には到底なれない。ここまで気持ちよいのなら、それはもう逆らう気などあるのは最初だけで、数度精を吐き出してしまえば反抗心など微塵もなくなってしまうだろう。

「お願いだ」
「どうしてもにゃ?」
「どうしてもだよ」
「それなら、仕方ないにゃあ」

 言いつつ、実のところ猫も限界だったのだろう。ジルに素早く跨ると、その男根を迷わず膣内に迎え入れた。きつい締め付けは根本に微かな疼痛が走るほどで、しかしその中は粥のように熱く、蕩けて淫らにもてなす。一度射精したばかりだというのにまた昇ってきた射精衝動を辛うじて堪え、もっと長くこの名器を味わいたいという欲を少しでも叶えようとするジルの様子は、片目を瞑って歯を食いしばる様からよく見て取れた。
 猫はジルの考えを無視して、最初から激しい律動を繰り返す。息を何度も詰まらせれば先端が子宮口にぶつかり、乱暴なまでの快感をお互いにもたらすのにかまけて、何回も何回も蜜が溢れる音を響かせる。
 快美感に酔い痴れる、などと上品なものではなく、ひたすら獣のように貪る、交尾、とでも喩えるのが適切か。
 その夢中に男根を貪る姿は淫靡漂い、しかし雰囲気だけではなく膣内もたしかに肉襞が執拗なまでの愛撫を肉棒に注いで、特に敏感な裏筋などを女の急所で擦れば絶妙な快感が両者に襲い掛かる。

「好きっ、好きにゃっ、これ、好きぃっ」
「うっ、くぁっ」

 快楽に溺れる声は耳に心地よく染み、人としての常識をいとも簡単に腐食させる。
 喘ぎ、果て、喘ぎ、果ての先に白い火花が散るのを見、我慢などできずに、妊娠などという単語すら頭の辞書から消し飛んでジルは膣内に子種を吐き出した。かつてこれほどに射精したことがあっただろうかと思うほどに吐き出される、夥しい量の精液が結合部から零れ、淫臭が鼻腔に纏わりつく。
 完全に理性の枷を外してしまった猫は構わず、さらに腰を上下させて吐精したばかりの肉棒を己の膣で扱きあげる。かと思えば、時々腰を捩らせて単調な刺激にならないようにと技巧を凝らす床上手ぶりに、何度目かになる情けない声をジルはあげた。
 尤も、その声は既に猫の耳にもとどいてはいないことは明らかで、そのことがジルの羞恥心を壊す助けにもなったが、それも既に本人の知覚しないところである。
 鈴口を子宮口に啄まれ、本気で孕みたいという思惟さえ感じさせる子種をせびる膣内の蠢きにたまらず精を零したのは、いったい何度目か。
 罰はどこへ消えたのか、いや、こうしていることが罰なのか。罰している本人にも罰せられているジルにもその定義は有耶無耶になっていて、そこにいるのは一匹の雄と一匹の雌猫のみ。
 粘膜同士の結合が性器を萎えさせることを許さず、ただ我武者羅に腰を振る二匹の獣の姿はどこか互いの了承があって行われている風情すら漂わせ、空いた口には互いの舌を滑らせるという貪欲ぶりが、覗き見ている者がいたならその者すら発情させかねない淫猥さで。
 精液を噴き零し、収まりきらなくなった男汁がベッドのシーツを汚すことすら構わずに。
 しっかりと腿に感じる猫の身体の重みは心地よく、子種のありったけを子宮に注ぎ込み、女の奥深くに精子を植え付けきったところで射精自体は打ち止めとなったが、それを善しとしなかった猫は己の尻尾をジルの後穴に潜らせ、存外にしっかりとした硬さを持ったその尻尾で前立腺をつついて子種の混じった搾りかすですら尿道から吐き出させようとする具合に、すんなりとそれを受け入れてしまっているジルの頭からは既に道徳だとか、理性だとかは消え去って、この退廃の風情極まれりの罰に対する悦びで身体の裡を震わせる。
 いつまでも続くと思われたその罰は、しかし生き物である限りの体力の限界によって終わりを迎え、二人とも死んだようにベッドに同時に横たわった。
 息も絶え絶え、精など根こそぎ使い果たし、喋る事すら難しい中で猫はたどたどしくジルに向かって言った。

「これで、懲りたかにゃあ……」
「たぶん、またすると思うけど……」
「……それじゃあ、また、罰、おしおき、しないと、にゃあ」
「……そうだな」

 目に未だ冷めやらぬ興奮の色を残しながら、獣二匹はどちらからともなく抱き合った。あれほど感じ合った体温ではあるが、しかし飽きというものは感じず、疲労が支配する身体にはそれが染み入るほどに、露骨な言い方をすれば気持ちいい。
 猫の扱いを覚えよう、ふと、徐々に冷たさを取り戻しつつあるジルの頭の隅で、そんな幻聴を耳にした。
 
15/11/11 21:55更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
筆が止まりませんでした。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33