連載小説
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その2 人はケモノに成りて
「ウェンディゴ・・・ですか?」
「ええ、雪山で毛深い影とくればこいつかイエティ、更に吹雪の中で声はすれど姿は見えず。
という特徴を持つとなれば十中八九、皆さんが遭遇した影の正体はこいつでしょう。」

目的の施設に到着して早々、エレンはオウル達に事件の真相を語り始めた。
それが依頼達成に必要な事だという言の後に。

「見たことは無いですが聞いた事はあります。人里離れた奥深い場所に住む魔物で、
吹雪の中現れ人をさらったり助けたりする気紛れな奴だとか。」
「ふむ、まあその理解で大体問題ないですがね。」
「しかし何故そんな奴らが我らを襲うのです? 
この施設を守る為と考えるのが妥当だと思われますが。
だとすると此処で迎え撃つのですか?
施設の外に潜んで居た方がいいのではないでしょうか。」

オウルらは入口の方を気にするように言った。
無理もない、吹雪はこの施設を遠巻きにしているが、
自分達が此処に居る以上、その中に潜むウェンディゴらまで追ってこれないとは思えない。

「いいえ、此処でいい。此処だからいいのです。
まず旦那方は大きな勘違いをしていらっしゃる。
ウェンディゴは基本とても臆病で温厚で大人しい魔物です。
彼らが人を襲うなど、あっしの見聞きした限りでは一度もありやせん。」
「・・・ですが我らは実際彼らに追跡され、調査隊が壊滅しています。
今までの調査隊の報告、そしてあの遺体はエレンさんも見たでしょう?
あの影がウェンディゴだというなら、彼らに害意が無かったなど信じられません。」

エレンの言葉を言下に否定するでなく、オウルは思案し別の解を提示した。

「・・・・・・・そうだ。此処は旧魔王所縁の研究施設だった。
此処に凶暴で特殊な個体が封印されていて、何かのはずみで封印が解けた。
暴れているのはそれなのでは? そう考えると筋が通ります。」

オウルの言葉に隊の皆も頷く、彼らは以前調査隊に加わっていた者達だ。
過去の出来事、其処に確かにあった悪意を肌で感じていた。

「主権の問題なのです。其処を取り違えてるから全てが間違う。」
「主権? 一体全体何の話をしているのです。」
「旦那方が出会ったのは吹雪を伴って追ってくる魔物ではなく、
追ってくる吹雪に追従している魔物なのです。」

場が静寂に包まれる。エレンの言った二者の違いが呑み込めず皆黙る。
その二つの何が違うというのか? そんな目で皆エレンを注視している。

「何が違うのか? 全然違いやすぜ。
吹雪の方何でさ、皆さんを追っかけてるのは。
おそらく其処で薄ぼんやり明滅してるオブジェ、
それが吹雪の制御をしているんでさあ。
此処は旧魔王軍の施設、人払いの仕掛けがあったってなにも不自然じゃない。
そしてウェンディゴ達はその吹雪にくっついて移動してるだけ。
何でそんな事するのかって? 助けるためですよ。
その吹雪に捕まって遭難する皆さんの様な人間をね。
元々臆病な彼らが吹雪の中でだけ目撃されるのも、
遭難者を助ける習性があるからですしね。」

それを聞いた一同は目をむいてエレンや周囲の者達と顔を合わせる。
エレンの言った事を呑み込もうとしたり、信じられるかと無言で問うたりしているのだ。

「大勢の行方不明者が出ています。助けているならおかしな話では?」
「介抱した後、ウェンディゴは望んだ者を自分達の集落に向かえます。
殆どの者がその道を取る為、彼らは人さらいと思われている。
まあその魅力に抗いがたいと言う点では、誘拐と大差ないかもしれやせんが。」
「・・・・・・では、隊長の件はどうなります? 直に手を下して殺している。」
「そう・・・この事件のキモは其処です。ウェンディゴでないなら誰があれをやったのか。
まあウェンディゴは犯人足り得ない、それが判ってさえいれば推理は簡単でした。
答えは至ってシンプルですよ。そうでしょう? 隊長護衛役として被害者の最も近くにいて、
彼が殺される所を目撃した。オウル第三次調査隊副隊長殿。」

エレンはゆっくりとオウルの方に指をさすと宣言する。
「旦那があの凶行の実行犯、ブリザードモンスターでさあ。」


※※※


夢は何だ。そう聞かれたら君はどう答える?
私は兄からそう聞かれて答えられなかった。

兄はそうか・・・と言ってそれっきりだ。
何の事はない、他愛ない会話。天気の話と一緒。
でも私にとって、その言葉は抜けぬ小骨の様で。

誰かと問われる前に言っておくと、
私はシェニ=フェラモール、しがないマンナン芋農家の次男坊だ。
季節は朝から晩まで野良仕事。
畑を休ませる季節は山にある洞窟に行き、
其処の岩を削り出す作業をする。
これを混ぜるとプルプル度が上がるらしく。
そのおかげで家のマンナンは少し高値がつくとのことだ。
まあ他にも色々あるが、貧乏暇なしを地で行くのが我が家の暮らしだ。

そんな自分に夢は何かなどと聞かれても、
何も出てきようがないというものだ。
それは兄さんだって誰より判っているはずなのに。
何故あんなことを聞いたのだろう?

兄さんは凄い、同じ家で農家の端くれとして仕事を共にしていても、
敵わないと度々思い知らされる。
特に決定的だったのが、冷夏の年に収穫が絶望視されているなか、
兄が密かに別の場所で栽培していた新品種の芋、
寒さにも強いそれのおかげで村の皆が食いつなぐことが出来た件だ。
自分は決まったことをこなすので精一杯、
そんな中兄は一人で余剰の土地を開墾し、
別の作物の栽培までしてたのだ。

長男として家を継ぐのはどの道兄であったろうが、
その役目が自分でなくて心底ほっとしている。
もし自分が継ぐ立場になれば今以上に比較され、
その度に兄さんが家を継いでいればとため息を吐かれるのだ。
そんなゾッとする状況にならなかっただけ、
神様がいるとしたら感謝してもいい。

私はそんな夢も希望もない平々凡々なただの人間だ。
人間だった。なのにどうしてこうなった?
見覚えのない黒々としたごつくて太い指、
手足も体も深く長い毛に覆われ、
頭にはエゾシカの様な枝分かれした角がしっかり根付き、
そして何より変化したのは体の形だ。

確かに望んだかもしれない。
外套の様になりたいと・・・・・・
その願いをどこのイカレタ神が聞き届けたのか知らないが、
私の体は彼女をすっぽりと覆い包めるようになっていた。
判りやすく言えば、獣の一部を残したままの毛皮のコート内側から、
顔や体、手足が生えているような代物だ。

太陽の元で水を鏡にして見た自分の姿は余りに別の何か過ぎて、
理不尽かつ無慈悲な事実を飲み込むのにしばし時が掛かった。
今実家の戸を叩けば、もれなく悲鳴で迎えられ、投石と矢の洗礼を持って追い返される事必至。
魔物が人に戻ったなどと言う話は、おとぎ話の中でさえお目に掛かったことは無い。
どうしようか? それしか言葉が出て来やしない。

「スー・・・スー・・・」

まあなんだ。嫌な事ばかりでもない。
今コート状の私の体の前は閉じられ、その結び目に可愛らしい顎をのせ、
上品に寝息を立てているエハウィ、カンガルーなどの有袋類的な姿勢でもって、
彼女の寝顔を独占している事は、代えがたい至福である。
もっとも長く離れると色々と精神がアレな事になるのが、
この体とつき合い始めてすぐに判った。
いや、それよりも前からそうだったかもしれないが、
自覚したのはそれぐらいということだ。

「ン・・・ンンゥ・・・クシッ。」
「天使か?!」

それ以上の褒め言葉は出てこぬ貧弱な語彙が歯がゆい。
くしゃみはバッチキュートだが、風邪をひいてはいかん。
私は冬の所為にしつつ、より体をピッタリミッチリ彼女に密着させ悦に入る。
この体は、内側というか体前面というか、その部位を結構自由に変形させられるらしい。
彼女の穴からその体の内側も感じたい。そう呻いた欲望を実現するように、
体から触手的なものが幾つも生えてきたのには少しビビった。
しかもその一本一本が、その気になった陰茎の如く感じるのだから堪らない。
仕掛ける側として触手プレイを堪能するなど、
もし過去の自分に聞かせても自分の未来、
主に頭の方が絶望的だと嘆き悲しむだけだろう。

「ンン・・・オハヨ・・・シェニ。」
「おはようエハウィ。起こしちゃったかな?」
「ダイジョブダゾ・・・・・・」
「どしたの?」
「オハヨ・・・ッテ・・・イイナ。」
「そうだね。」
「オキテ・・・カオミル・・・イイナ。」
「そうだね。」
「ギュットサレル・・・ポカポカ。」
「こっちもだ。」

まどろみ半分眠気混じり、そんなエハウィのヌクヌク顔。
細めた瞼と口の端に、雫が溜まったその顔を、
私は見下ろし幸せだ。感じている。
今までにない温もりを、体だけでなく胸の中にも注がれていく何かを。

こんな体になってしまったぞどうしてくれる?
これでは二度と家にも国にも帰れない。
私の一生は滅茶苦茶だ!!

などと騒いでこの無垢で愛しいものの顔を、
悲しみに歪める様な真似がどうして出来る?

大体人間としての私の一生など、
そう大したものでもない。
兄の補佐として芋ほりを一生続け、
適当な年頃になったら村の適当な娘と見合い。
両親と同じようにネズミの様に子作りして大家族を作って、
みんなで広くなった畑の芋を掘りつづけ・・・・・・

まあそう卑下したものでもないかもしれないが、
それ以上に私はもう彼女を非難出来なくなっている自分に気づいていた。
彼女を庇い擁護する。そんな風に考えを始めてしまう自分に。

「惚れたら負けって奴かねえ。」

余談だが、最初はこの体に慣れるまで流暢に喋れなくなっていたが、
今は元と同様に喋れる。意識しないと少し声が野太いが、
気をつければ元の体と同じ声色も出せる。
きっと喉もある程度変形させられるからなんだと思う。

「マケ・・・ナニニ?」
「い、いやあ、何でもないよ。」
「ムツカシイカオダ・・・ポンポンイタイカ?」
「そんなんじゃないさ。」

難しい顔ときた。彼女にとってはこの顔の表情も問題なく読めるらしい。
痛いというよりは何だか胸がむず痒い感じだ。
私は彼女の頭をくしゃりと撫でつけた。
そうしやすいようにだろうが、彼女の耳が横にたらんと垂れる。

こんな些細な行き違いでさえ、今は愛しくてたまらない。


※※※


指をさされたオウルは、首を左右に回して自分の後ろを確認する。
そしてその指がまごうことなく自らを指している事を知り、
だがそれでも落ち着いた態度を崩さす言った。

「あはは、確かに、あの時私は隊長の護衛としてもっとも近くにいました。
そして吹雪に巻かれ、隊長を一時的に見失い凶行を許してしまった。
悔やんでも悔やみきれません。そのような濡れ衣を着せられるのも仕方ないでしょう。
しかし、今のところエレンさんの意見はみな推論の域を出ていません。
ウェンディゴは人を襲わない。我々を追って来たのは吹雪の方だ。
この施設には何も危険なものはいなかった。
これらの前提を元にするなら一番怪しいのは状況的に私でしょう。
ですが、その3つの前提を我々に安全に立証する事が出来ますか?」
「いやあ、今すぐにそれを立証するのは不可能ですな。」

それを聞き、オウルの顔が少し意地悪く左右非対称な形に歪む。

「おやおや、とんだ勇み足ですね。少々買いかぶっていましたか?
いいでしょういいでしょう。なら百歩譲ってウェンディゴが無害という仮定は受け入れましょう。
あの時の調査隊の中に隊長を殺した誰かがいるとしましょう。
ですがそれが私だという証拠はあるのですか?
近くにいたという状況証拠だけで犯人扱いは酷いですよエレンさん。
隊長の位置は魔導タグが教えてくれます。隊の誰であれ殺す機会はあったはずだ。
であれば結局邪推の域を出ない妄言中傷、名誉棄損も甚だしいというものですよ。」
「いやいやあ、参ったなあ。困ったことにですね。それがあるんですよ。」
「そうでしょうそうでしょう・・・・・・えっ?」
「意外そうな顔をされましてもあるんですよ。動かぬ証拠がね。」

そんな馬鹿な、そう言わんばかりにオウルはエレンの顔を訝しみながら睨み付けた。

「騙されませんよ。動揺させて不用意な言葉を引き出し、
その言葉尻を捕まえて無理やり私を犯人に仕立て上げよう何て、
見損ないましたよエレンさん。大体動機は?
私が隊長を殺す必要なんてどこにあるっていうんですか。」
「それについては調べました。というより本人に伺いました。
あっしの知り合いに腕のいい降霊術士がいやすんで。」
「推測の次は降霊ときましたか。うさん臭さが増すばかりですね。
エレンさん、貴方の名声、まさかこうやって口八丁で相手を丸め込んで得てきたので?
だとしたら貴方は勇者より詐欺師とかインチキ宗教家と名乗るべきだ。」

オウルはねっとりとした口調でエレンを糾弾していく。
だがエレンは馬耳東風、そんな彼に付き合わず調子を変えずに続けていく。

「能ある鷹は爪を隠す何ていいやすがね。爪、隠しきれていやせんぜ旦那。」
「・・・攻撃するのは後ろめたいから・・・ですか? また下手くそな印象操作だ。
もう沢山ですよエレンさん。雪山で水の掛け合いばかりで風邪をひいてしまいそうだ。」
「こりゃあ失礼、いい加減物証という中身のあるもので旦那をガツンと一発やらにゃ、
話が先に進みやせんねどうも。ようがす、それじゃあオウルの旦那。
オウルの旦那は毎朝自分の顔を見やすかい? 他の皆さんでもいい。どうです?」
「顔? いや、鏡は金属製であれガラス製であれとても高価だ。
こんな貧乏国家の軍人程度がおいそれとは持てませんよ。他所の台所事情は知りませんが。
うちの国に関していえば皆そうでしょう。」

オウルの言葉に周りにいた者達の何人かが同意の頷きを見せ、
それをしなかった者達からも異を唱える者は出なかった。

「でしょうとも、ここらの一般的な国民なら皆自分の顔よりこれをずっと見てるはずです。」
エレンはそう言って掌を開いて皆の前に差し出した。
だがその中には一見して何も握られていない。

「・・・何も見えませんが。空気が乗っているとでも仰る気ですか?」
「いえいえ、見えるでしょう? 指ですよ。自分の掌、自分の指。
これは誰しも自分の顔より見た回数が圧倒的に多いはずだ。」
「確かに、ですがそれが一体なんだというのです?」
「知っていやしたか? 指の表面に年輪の様に刻まれているもの。
これは一人一人全く違う、一つとして同じものは無いという事実を。
一卵性の双子でさえ生後の環境で違った物になるそうで。」

それを聞いたオウルは自身の指を注視したまま押し黙り。
周囲の隊員たちはザワリと騒めきだす。

「まあこれを知っているのは反魔物国家の人間では極僅かでしょう。
これを発見したのはとある魔物の好事家連中でしてね。
あっしらが女性の胸や尻、足などに引かれる様に、
人の特定のパーツを愛するフェチ共の集いがあるそうです。
まあ人気パーツは下半身の股周辺に集まってるそうですが。
そんな中で手や指に偏執的な執着を持つ一派がいやして、
彼女達はコレクションアイテムとして人の指の皺の形、
指紋というそうですが、それを集めるうち、
一人として同じ物が無い事にずっと昔から気づいていたそうです。
それが遺体の個人特定や犯罪者の特定に使える。
そういう発想を持ち込んだのが、親魔物国家に移住した医療関係者でしてね。」

長々と、つらつらと、事細かに語るエレンの対面で、
己が指を見つめながらオウルの顔色が堅くなっていく。

「もうお判りでしょう? 遺体の顔面にしっかりと刻印された大きな指紋。
そしてすいやせん旦那。あっしが革の手袋を仕事中外さないポリシーってのは嘘です。
普通革の表面についた指紋は時間と共に消えてしまいやすが、
証拠を保存するため、氷結させて鑑定できる者の所に遺体と共に運びまして、
結果はビンゴ、あの遺体についた指の痕、あれはサイズこそ違いますが、
オウルの旦那の指紋と特徴が完全に一致しました。
旦那自身の能力かまたは獣人化する魔法何かで、
ウェンディゴサイズの大猿などに変化して、
隊長殺しの罪を彼らになするつもりだった。
あの手の変身に指紋まで誤魔化す力があれば良かったんですがね。
ねえアルゴンキンのスパイ殿、あんたらは今度の件で危険を極力冒さず。
施設の調査だけさせて、上前だけ撥ねるつもりだったんでやしょ?
隊長が勘付いて尻尾を掴まれそうになったから、オウルの旦那は先手を打ったわけだ。」
「・・・馬鹿な、あの握手が・・・あの時点ですでに私を?」
「一番高い可能性の一つとして考えていやした。言ったでしょ。
ウェンディゴが犯人足りえない、その立脚点に立てばシンプルな話だと。」

もうすでに敵意を隠さぬぎらついた双眸がエレンを貫いてる。
オウルの口元は下唇に力が入り引き結ばれていた。

「それで? 降霊も指紋とやらも、オジブワの司法では証拠として用をなさんが?」
「・・・おやおやおや、まだ粘り為さる? 確かに教団圏の国の裁判は未だ時代錯誤。
魔女裁判じみた所もあり、降霊術や魔物側の知恵である指紋という証拠は使えるか怪しい。
裁判官など中の人の裁量次第でいかようにも転ぶ、そんな代物ですがね。
でも有罪判決なんて必要ありやせん。裁判沙汰になった時点でスパイとしては死んだも同じ。
そうでやしょ旦那? 悪あがきはそこら辺にして投降をお勧めしやす。」

すでにオウルの傍らには隊員たちの姿は無い。彼らはオウルから距離を置き、
エレンの横や後ろに回り込んで展開し、対ブリザードモンスター用に持ってきたであろう。
ボウガンで武装して皆構え始めていた。

「確かに、悪あがきだな・・・・・・もう十分か。」

オウルは両手を上げ、一拍の間を置いてその手を楽団の指揮者の様に振り下ろした。
次の瞬間、エレンの毛皮のコートは一瞬でハリネズミの様な有様になっていた。
大量の矢が一度の彼に射かけられていた。
周囲をぐるりと見るエレン、彼を囲む隊員たちの射線は一つ残らず、
しっかりと彼に狙いが定められていた。


※※※


エハウィはこの体の事をどう思ってるのだろう。
そう疑問に思って聞いて見た。
「・・・・・・ステキ・・・ダゾ。」

見上げて暫くたった後、顔を赤くしたままボソッと呟いて体の奥に引っ込んでしまった。
聞こえないフリをしてもう一回言わせたいところだが、
たぶんそれをやると怒る、シャイなワイフの精一杯の健闘を此処は噛み締めるとしよう。

ゆっくりとゆっくりと、お喋りが苦手であろうエハウィと言葉を重ね。
彼女達についても色々判ってきた。
彼女達は遠い遠いところから神様と一緒に来たらしい。
そして土地に住まわせて貰っている立場であり、
基本自分達からは其処の住人に干渉しないらしい。

遭難者、命の危機に瀕した者だけが特例とされる。
だから基本メスしかいない彼女達にとって、
救助活動はそのまま婿探しも兼ねているらしい。
もっともそれも強引に自分から誘う事は殆どしない。
彼女達の一族は、殆どがエハウィと同じかそれ以上に臆病で恥ずかしがりらしい。
よくそれで血が途絶えないなと感心したが、
彼女達はとてもとても長生きなんだそうだ。
1000年や2000年くらい行き遅れる子はイッパイダゾ。
そんなスケールの大きい恋愛事情を聞かせられ、
私は彼女の歳について考えると共に、
これ以上この話題について突っ込むのはやめた。

「ステキかあ。」
どうにもピンと来なくてそうひとりごちる。
すると体の中でもぞりと動く毛玉がのたまう。

「シェニ・・・キライ? イマノ・・・カラダ。」
「正直判んない。余りにも突然すぎてさ。何もかもが。」

吹雪に巻かれ、遭難して、助けられて、相手とノリで肌を重ねて、
気づいたら相手にぞっこん&触手ギミック付きのエロ生物になってしまった。

霧の大陸には男が自分の罪やら心やらのせいで虎になって、
四角いジャングルの中でルール無用の悪党に正義のパンチをみまう。
そんな物語があるとかどうとか聞いた事がある。
まあ今の自分に比べたら虎になる方がなんぼかイージーモードだ。
虎なら家族相手に大きな猫みたいなもんだ。
などと判ってもらえる可能性がミリ単為でなきにしもあらず。

触手エロコートなどという狂気の沙汰じみた今の自分では。
どうアプローチしようと判りあえる気がしなかった。
勇者を呼ばれて退治され、珍しい毛皮のコートとして質屋に流される。
そんな未来が見えてため息が自然とこぼれるのだった。

そのため息を聞いたからか、もぞりとまた顔を出すとエハウィは言う。
「ゴメンダゾ・・・エハウィ・・・オモテナシ・・・ハジメテ。」
「ん? ごめんって何が。」
「ニンゲン・・・トッテモアツガリ・・・イッパイシタ・・・フーフー。」
「ああ、スープの事か、体が冷えてからね、熱いくらいで丁度よかったさ。」
「フーフー・・・ソレデモヤケド・・・ナンジャク。」
「そりゃまあ、多くの人間は君たちに比べたら弱いね。」
「デモ・・・ダカラ・・・エハウィ・・・シェニ・・・スキ。」
「守り甲斐があるとかそういう?」
「チガウゾ・・・ナンジャク・・・ナノニ・・・カバッタ。
グツグツスープ・・・テヲツイテ・・・エハウィ・・・カバッタ。」
「ああ、咄嗟だったからなあ。何も考えてなかったよ。」
「シェニ・・・エハウィアブナイ・・・マタカバウカ?」

どうだろうか? この体になって私は以前より強靭になったのは確かだが。
たぶんまだエハウィの方が強いと思う。でもまあ・・・

「庇うだろうね。何時でも、何度でも。」
「ソレジャア・・・イッショダゾ。シェニ・・・カワッテナイ・・・ナニモ。」

それだけ言うと、彼女はまた私の中に潜ってしまう。
これが彼女なりの精一杯何だろう。

「ふぁ〜〜、眠くなってきちゃったな。」
この体が眠くなると欠伸をするのか、欠伸をすると涙が出るのか。
そんな事は知らなかったが、私は滲む景色を誤魔化すために、
ヒトであった頃のクセでそんな事を思わず言ってしまった。
エハウィは気づいているのかいないのか、
それ以上一言も私に声を掛ける事も、
暫く顔を出すこともしなかった。


※※※


エレンを覆う毛皮のコートに、にわか雨の様に降り注ぐ鉄の矢。
それがオウルに気を取られていた彼を容赦なく撃ち付ける。
その衝撃は彼の体を軽く痙攣させたように見えた。

「迂闊迂闊ぅ〜、俺を疑っていたなら、
その俺が編成した隊のメンバーにも注意を払って然るべきだったなあ。
こいつらは皆、俺と同様にこの国に入り込んでいた俺の部下達だ。」

ざっと十数人の調査隊のメンバー、その全てがエレンを除き彼の敵であった。
オウルは言葉遣いも口調もガラリと変えていた。
丁寧さが抜け、柄の悪さと傲慢さがにじみ出る喋り方だ。
こっちが彼の本来の性分なのだろう。

「まさか見てきたようにあの時の事を暴かれるとは、
少々焦ったが・・・何も問題は無い。
哀れエレン殿は我々を逃がすために怪物と戦い行方不明。
そして調査した施設には何も金目の物などなかったとさ。」
「いやいや、そうはいきやせん。あっしどもフリーの勇者は後ろ盾が無い分。
依頼をきっちりこなすという信用が全てですんで、
此処まで築き上げた名前、汚せませんなあおいそれとは。」

弁慶の立ち往生を思わせるような姿を晒しながら、
それでもエレンの口調に乱れは見えない。
彼が犬の様に体を大きく揺すると、バサリと毛皮の裾から白い物が大量に落ちる。
チャリチャリとガラスを撒き散らした様な音と共に。
そしてそれらはすぐに溶けて床に広がっていった。

「雪? いや雪と氷か。」
「ええ、少々冷えやしたが、トンネルを掘るついでに目一杯内側に。」
「成程、圧縮して固めた氷の層と衝撃を吸収する雪の二層構造に加え、
その毛皮自体の防刃性能。この程度は想定内というわけか。
だがいいのかな? その様子じゃ雪自体は操作できても、
固めて氷になるか、融けて水になってしまったら自由は効かない。
そんなネタばらしを此処でしてしまって。」
「良くはありやせんがねっ。」

瞬間、エレンは思考する。この位置取りはいかにも不味い。
出るか引くか、先にどちらをターゲットとするかである。
エレンは周囲の兵達が第二射を番える前に、その一人の懐に瞬時に跳んで殴打した。
やはりオウルと戦いながら背中から矢を浴びるのは色々と不味い。
敵はこの連携についても熟練しているだろう。
ならフレンドリーファイアを誘いつつ、射手を潰しながらオウルの出方を見る。
そのためにエレンは後方に突っ込んでかき回すことにした。

意識を刈り取られ前のめりになる、その男が床に膝をつく前に、
すでにその隣にいたもう一人の脳は揺らされていた。
室内を飛び回る白い影が三人目に襲い掛かるその瞬間、
オウルにも注意を払っていたエレンは確かに見た。
彼の眼球が異様に飛び出し、黒く染まっていくのを、
そしてその両手の間から発した白光に薄暗い施設の中は一瞬で飲まれた。
オウルから発せられたそれは、煌々という表現すら生ぬるい、
光というより眼球に白絵の具を垂らされたような、影さえない完全な白き世界。

(瞼を閉じても手で覆っても無駄ですかい・・・こりゃあ。)
「ひはは、チェックメイトだエレンさんよ。見えねえだろ。
まあ聞こえはするがね。音だけで俺とやってみるかい?」

直後風切音、エレンは大体の方向とタイミングで回避を試みる。
だが、肩に焼きごてを押し付けられた感覚。
経験から軽傷だが斬られたと理解した。

「今更だが冥途の土産に自己紹介だ。
アルゴンキン6獣士が一人、白夜のオウルだ。」
「メンバーが獣の名を冠してるというあれですかい。梟(オウル)・・・まんまとはね。」
「白い闇に怯えて朽ちろ。こうなったら俺が狩る側だ。」

言い終わりと共にエレンの脇腹にオウルの踵がめり込む。
声で大体の位置が判っても攻撃の出処が判らねば防ぐは至難。
水平に飛ばされ壁に激突するエレンに、
オウルの追撃の刃が文字通り刺さる。
手袋を外していた右手が串刺しにされていた。

「ぐぅ。」
「素敵だろう? 俺の白夜(ホワイトアウト)は。
ただ少しではあるが使用するには時間と隙がいる。
こいつらはその為の捨て石だ。無論、俺の方に先に突っかかってきても、
こいつらの援護射撃を防ぎながらじゃ、能力の使用を防ぐのは難しい。
詰んでんだよ。こいつらに構えさせちまった時点でな。」

一方的に狩る側の余裕というものだろう。
オウルは饒舌に己が力を誇り、エレンを無駄に痛めつけていた。
飛び出したオウルの目、その目尻からこめかみや耳にかけて、
異常に発達した黒い血管が確認でき、其処から流れ込んだ何かによって、
今彼の両目は漆黒の魔眼と化していた。
この状態のオウルは光学的にものは一切見えないが、
万物に宿る魔力を感知する事で、間接的に周囲を見ることが出来ていた。
闇夜でサーモグラフィーで物を見るかの様に。
そんな状態で一定時間永続的に、射程空間内の視界を封じる魔法を使う。
それが彼の魔導戦術、白夜の正体である。
野外ならがむしゃらに射程外に出る事はそう難しくはないが、
限定された屋内でこれを使った場合、
彼に勝つことは余程の力量差が無いと難しい。

視覚は一般的な五感の中で最も多くの情報を伝える。
その割合は通常時で87%、勿論常に一定ではないが、
そのメインセンサーを一方的に使い放題という環境、
そのアドバンテージは金づち達相手に水中戦をするが如しだ。
盲人の集落の中なら隻眼の男は王となる道理。

「てめえを始末する前に一つ聞いておきてえ。」
「まだ始末されるつもりもありやせんが、何でしょう?」
「言ってろ。てめえ何故この中を選んだ。
俺の能力が屋内向きだと知らなかったとしても、
てめえの能力なら外で戦えば勝機もあったろうによ。」
「だからですよ。外で糾弾したら、旦那達はびびってしまうかもしれない。
だから中にしたんです。ほら、狙い通り旦那以外の連中も素性を明かしてくれた。
あっしの推理は旦那の犯行は立証しても、
それ以外の連中に対しては届かないもんでしたから。」
「・・・強がりを、はなから伏兵の存在に気づいてたと?」
「ええ、思い出してください。あっしや言いましたよ確かに、
犯行内容と動機を言った時、旦那方を指してあんた ら ってね。
ああ、それはそうと旦那、後ろ後ろ。」

エレンはとぼけた様に後ろを指示した。

そんな古典的な手に引っかかるか馬鹿、
大体今お前は目が見えねえだろうが。
という思考を口の端にのせる前にオウルは気づいた。

足元、いやこの施設自体が揺れていると、
そしてそれに気づいた直後に、地鳴りに似た音が周囲に反響して一気に迫る。
思わず跳び退りながら振り向いた彼が見たもの、
それは水平に起きる雪崩だった。
部屋いっぱいに広がった雪の津波が彼の部下を呑み込んでいた。

一般的に雪崩と聞いて人が想像するそれは表層雪崩といい、
その速度は時速100〜200kmと新幹線並み、
人や車辺りの高さに掛かる圧力は1uに10tと大型トラック並の破壊力だ。
今オウルの眼下に広がる雪崩は、それに比べれば大人しいものと言えた。
だが、オウルの能力で盲人となった彼の部下達に逃れる術などなく、
皆が流され壁面に押し付けられると、
繭のようになった雪で固められ動けなくされていた。
更に壁から突き出たオブジェに着地したオウルの前で、
避ける事も無くエレンは自ら雪崩に呑み込まれていった。

(ちくしょう、奴の力は雪に直に触れてなきゃいけねえはず。
なのにどうやって外の雪を引っ張り込んできやがった。)

心中で毒づくオウル、だがそんな彼が真相を推理する時間は与えられなかった。
彼の目の前で雪崩が立ち上がる。それは人の形をしていた。
雪崩をそのまま手足として取り込み、生まれた大容量の白い巨人が立つ。
いや、立つというより四つん這いだ。
天井の高さに対し大きさが釣り合わず立てずにいた。
だがそんな事はおかまいなしにそれは腕を振るった。
雪という大量の空気を含んだ結晶の巨人は、
凄まじい速度と圧を載せながらも、
屋内の狭さに縛られず形を変えながら彼に迫る。

「これが・・・巨人(ギガス)ってか。」

一撃二撃、三撃と肩から何本も腕を生やす様に飛んでくる。
白く巨大なげんこつの連撃、オウルも必死に壁やオブジェを利用して飛び回るが、
音を頼りに大体の当てずっぽうで飛んでくるとはいえ、
不定形で襲い来るそれは余りにもでかく、逃げるための空間は余りにも狭かった。
空間を次第に侵食されるように退路を断たれ。
オウルは遂に脚の一本を巨人に捕まれる。
其処から中に引っ張り込まれたオウルは、波にのまれる様に回転し、
内部に作られた空間に吐き出されていた。
其処にはこの巨人の核であるエレンの姿があった。

「これがあっしの十八番、雪魔人(ギガンティック・アバランシュ)でさ。
まあお察しのとおり、異名はこいつを見た誰かが付けたんでしょうなあ。
ハッタリが効いてるのは良いんですがね。
実物との落差から白い目で見られる事も多くて、痛し痒しってなもんでさあ。」
「てめえ、本体晒すたあいい度胸じゃねえか。」
「いえいえ、人相手なら兎も角、勇者や魔物相手ともなると、
こいつの外殻じゃいささか決定力が不足でして。」

確かに、捕える事は出来ても殺したり行動不能にするには、
この半不定形の雪の巨人は少々柔らかすぎる。

「とんだこけおどしだ。」
「ところがどっこい、こいつの本領はこっからですぜ。」
「ふん、まだ盲いてる男が粋がりを。」

この距離なら見えぬ相手に遅れは取らぬ、
オウルはそう思い蹴り出そうとした。
だが、その蹴り出しは彼の体を踏み出した分埋めただけに終わる。
体勢を崩し手を壁につこうとするも、その手も埋まり肩まで浸かる。

「ぐぐっ。」
「ご理解いただけやしたか?」
「くそがあゝアアッ!」

唸りを上げて強引に突っ込んでくるオウル、
だが雲を踏み霞を掴むようなこの環境では、
その突進には勢いもスピードも足りない。
そんな彼の背中から突然雪の壁が盛り上がって迫り、
彼をエレンの前まで押し込んだ。

「難儀でしょう。お手伝いしやすぜ旦那。」

加速して突っ込んできたオウルの勢いを利用して、
エレンはカウンター気味にオウルの体にさっきのお返しと踵をみまった。
オウルの体はノックバックで雪の中に埋まるが、
だが巨人の外部に出る事はなく、
その体を構成する雪の対流に流されまたエレンの前に飛び出した。
そしてそのまま二撃、三撃とエレンの蹴りが刺さる。

巨人を構成する流動性の雪、それは蹴られた勢いを利用して、
オウルの体を何度でもエレンの前に運び撃つ。
この雪をエレンの手足とするなら、この巨人の体内は正に彼の手中と言えた。
お手玉かヨーヨーにでもなったように、オウルは正確にエレンの目の前に飛び出し続ける。
そうなっては見えていようがいまいが、その攻撃が外れる事はありえなかった。

オウルからすればその体験はごく短い時間に過ぎなかったが、
彼の体感時間は実時間より遥かに長い時を刻んでいた。
呼吸もままならぬまま雪の奔流に翻弄され、
上下左右も知れぬ時を苦しんだと思えば、
一瞬の解放、体が芯から欲する空気を吸うために、
呼吸という脱力を強いられたところに来たる無慈悲な鉄槌。
方向もタイミングも知れず刺さるそれは、
なけなしの酸素を吐き出させ彼を再び白い地獄へ叩き戻す。
そんな辛苦のループが何時果てると無く続いていく。

実時間で三分と持たず、オウルはエレンにボコボコにされていた。
心身共に与えられた極度のストレスは、
内と外の両面から彼と言う戦士の戦意を破砕していた。
引き攣り歪んだ頬を何とか動かして、彼はつぶやく。

「・・・・・・どう・・・し・・・て。」
「ん? ああ、何であっしが施設外の雪を引き込めたかですかい?
なに、コートの裾、足側から雪を紐状にして伸ばしたんでさ。
旦那はあっしと話すのに夢中でしたしねえ。
無論そのままじゃ長さが足りねえ。
ですんで見えずに立ちすくんでる旦那の部下達についた雪や、
隊の皆の体から床に落ちた雪、それらを中継地点に紐を施設外まで伸ばしやした。
旦那の能力が、部下達の視力も同時に奪うものでなければ、
この方法を取ることは出来なかったでしょう。」

疑念が晴れたると同時に、オウルの意識を繋いでいた最後のものが切れたのか。
彼の体は糸の切れた操り人形の様に崩れ落ちた。
それと同時にエレンの視力も回復する。

「旦那方を施設に案内する。事件の犯人、ブリザードモンスターの無力化。
これにて任務完了でございやす。これにこりずこのエレン=ノーマンの事を今後とも御贔屓に。」

エレンは誰も応える者のいなくなった空間で、恭しく膝を折り一礼した。
施設内でただ一つだけ、吹雪制御用オブジェが薄ぼんやりと点滅を繰り返し、
鷹揚にその一礼にこたえを返したかのようであった。


※※※


食っちゃ寝して、気が向いたら(結構頻繁)体を変形させてSEX。
因みにこの際は隠すことは許されないらしい。
前を全開に開き見せつけるようにするのが作法何だとか。
山に奉納でもする感覚なのだろうか?

それ以外は寝る。ウェンディゴ全体がそうなのかは知らないが、
エハウィはよく寝る子だった。そしてエハウィがスヤスヤと寝息を立てている時にそれは来た。
で・・・でかい。 自分と同じ様な、だが明らかに一回りはデカイそれが器用に洞窟に入ってきた。
それはエハウィを指さしながら口元に反対の人差し指を当てる。
起こすな。という意図は察したが、その理由までは理解が及ばない。
私は謎の訪問者を相手に、取りあえず相手の出方を伺う。

「・・・・・・・・」
それは無言でこちらを、いや私の顔の下、エハウィの寝顔を見ている。
じっとじっと見ている。エハウィがむずむずと体を揺すると軽く顔を逸らした。
「天使。」

ああ、成程、この人は。
「ええと、エハウィの御父様ですか?」
「・・・」

それは暫くこちらの顔を見ていたが、ごそごそと体内をあさり、
モフモフの何かを取り出した。結構大きい。
柔らかい布と毛と糸で作られたらしいそれには、
デフォルメされているが角と手足と顔がある。
だいぶ使い古されたらしく、ほつれやくたびれ、日焼けなどが散見される。

「これは私だ。」
「え?」
「この子が小さい頃、マーマばかりパーパに抱っこでズルイ。
そう駄々をこねてな、とは言え我らは番以外は例え親子でもこの中を許すことは無い。
だから代わりにこれを作ったのだ。
こいつを抱きながら今みたいに安らかに眠るこの子の顔を見るのは、
私に取って至福の時間であった。」
「・・・解ります。」
「だろう。話の分かる若人で良かった。それとすまないね。」
「謝られる覚えは無いと思いますが。」
「いや、君の意向無視で強引に婿に来てもらうような事になってしまってな。」
「彼女達はそういう生き物なのだから仕方ないでしょう。」
「そうは言うが、場合によっては二度と故郷の土を踏めぬ。
そんな目に合わせてしまう事、この子に代わり謝らせて貰う。」

エハウィの父君は角を壁に擦りながら頭を下げる。

「心遣いは感謝します。でももう色々吹っ切れました。
調査隊の件が落ち着いたら一度帰ってみるつもりです。
その結果どうなろうと、それを受け止めますよ。」
「それだがね、もう解決したらしいよ。」
「本当ですか?!」
「ああ、見張りが報告してきた。犯人とその仲間は取り押さえられ、
魔王様の手の物が施設に行き原因を取り除いてくれたらしい。
もうこの山で人が吹雪に追われる事は無いだろう。」
「良かった。誤解は解けたんですね。私達は最初、
ウェンディゴが吹雪の犯人だと思っていましたから。」
「昔から我らは誤解されやすい。仕方の無い事だ。
それに、あの件で死者を出してしまったのは我らとしても悔やみきれぬ落ち度だ。」
「その言葉だけで十分です。むしろこの山を荒らしてしまってすいませんでした。」

解決したというなら、犯人やその思惑などに興味はない。
だがこの件で彼女やその家族が思い悩むのは心苦しかった。
私は父君以上に深く、頭を下げた。

「むぷッ・・・」
腹のところが思ったよりたるんでエハウィの顔が地面にキスしたのは内緒だ。

「・・・おお、いと高き場所に在らせられる偉大な黄衣よ。
良き風の導きに感謝を、君は快い青年だ。
エハウィは良き伴侶を得た。君なら次の村長を任せられる。」
「村長・・・父君は村長。エハウィってお嬢様だったんですか?」
「集落のまとめ役、面倒事を押し付けられるだけの代物だよ。
そんなたいそうなもんじゃない。畏まらなくて結構だ。」
「村長って世襲何ですか?」
「いや、でも誰もやりたがらないからね、
頼みやすい入り婿に丸投げしちゃうパターンが殆どだよ。
まあそこは諦めてくれると私も嬉しい。」
「ははは、務まるか自信ないですけど頑張ります。」
「その意気だ。ところで・・・君を男と見込む。」

其処で何故か父君は話を区切ると、
唐突に咳ばらいして黙り込む。
そして突然小声で言いだした。

「君、パンツは好きかね?」
「・・・・・・は?!」
「知らんかね? パンツ。」

知っている。家の手伝いの中で洗濯が母と妹達の仕事になっているのは、
それらを男性陣に触れさせないためだから知っている。
手に取ると阿修羅の如きまなこで見られるので、
個人的にはあまりそれに良い印象を持っていない。

「知ってはいますが、好きかと言われると余り興味は・・・」
「成程、所詮ただの布きれかな?」
「そうですね。」

そんな私の言葉を聞くと、父君は懐? から一枚の布きれを取り出した。
それは純白、縁に小さくフリルをあしらい、同色の小指の先ほどのリボンを真ん中につけた。
紛れもないパンツである。何故そんな物を懐に?

「精緻な仕上がりだ。人類の英知と職人の技術の末に辿りついた一つの完成形と言っていい。
だが、どこまで行こうとこんなものは所詮ただの布きれ、
そう言われて否定する言葉を私は持たない。
だがしかし、シェニ君、もしこのただの布きれをエハウィが履いていたらどうかね?」

ンショ・・・ンショ・・・
そう言いながらエハウィがその可愛らしい足を上げ、お尻を振り布をフィットさせる。
その過程と完成を夢想し、私は何時の間にか涙を流していた。

「楽園だ・・・約束の地は此方に!!」
「そう、ただの布きれが、愛しの者が身に着けるそれだけで、
そは夢幻に通ずる扉への鍵とならん。」
「こ・・・こんな・・・私は今まで何と狭い世界を生きていたのだ。」
「恥じる事はない。君はまだまだ若い。そしてこれはまだ入り口に過ぎない。」
「これで・・・まだ?!」
「さよう・・・君は成りたくないか? パンツそのものに。」

何だって? 今この御方は何と言われたか。
私自身がパンツになるのだと?!
私はそれの意味は理解せずとも、
その言葉の持つ神々しさに打ちのめされ黙る事しか出来なかった。

「我々は皆、人から愛するものを包むため外套に成った。」
「は・・・はい。」
「であるならば、その秘部を優しく包む下着にも成れぬ道理などあろうか!!」
「ハッ!!!」

それは天啓にもにて、私の身をてっぺんからつま先まで貫いた。

「体を変形させて触手を作る事はもう出来るな?
それの応用だ。強烈にイメージするのだ。
私は布、私は下着、私はパンツ。
そのうち夢に見るはずだ。
己が一枚の布となり、愛しのものを感ずる夢を。
足首の毛が足を通す穴周りをくすぐる。
なだらかな脛毛、優しい膝毛を超えると、
其処で穴に腿と尻の肉が順にふかと食い込む。
そして最後は長い長い尻尾のシュロッとした感触が、
君の穴を擦り上げるのだ。そうして君はあるべき場所に己が収まるのを感ずる。」
「・・・出来るでしょうか? 私にそんな事が。」
「無論、最初から全てが上手くいくわけではない。
辛く苦しい修行が必要だ。まずは一日じゅうパンツをいじるんだ。
触ってかぶって、頬ずりして嗅いで、舐めて含んで兎に角何でもするんだ。
四六時中そうやっていじり倒すことに没頭し魂を捧げる。
その果てに、君は実物がその場になくとも、
リアルにパンツを感じパンツを見ることが出来る様になっているはずだ。
心地よい肌触りも卸したての匂いも、伸ばした時の食い込む抵抗さえもだ。」

その様な境地に、この私が達する事が出来るのだろうか。
聞けば聞くほどに、私が登ろうとしている山の険しさに目が眩む。

「そうなればもう出来たも同然だよ。
後はそのイメージのパンツにエハウィの姿を重ねるだけさ。
君が彼女に履いてほしい、そう魂が囁く形に君の体は応えてくれる。
君の体から離れても感覚を失わず。君の一部として娘を感じられる。
そんな君の分身が、君の手には握られている事だろう。」

何という事だろう。私は答えを得てしまった。
為すべきことを見つけてしまった。
自分の居場所と生きる答えを得る。
何という幸せ、何という禍福。
私は失ったのか? 断じて否である。
私は得たのだ。全てを得たのだ。

「お義父さん。いえ、師匠!!」
「うむ、道は険しく狂おしい。だがその先にあるものは魂を捧ぐに足る新たな世界。
ついてきなさいシェニ君。ようこそ男の世界へ。」
「・・・パーパ・・・シェニ・・・イツノマニカ・・・ナカヨシダゾ。」

潜めていた声のボリュームも上がるテンションと共につまみが回り、
起こされたものの寝ぼけた顔を擦るエハウィには、
その会話の内容は宇宙の果ての様に深奥で、
到底理解の及ぶものではなかった。
だが大好きな二人がとても意気投合していることだけは判り、
よく判らないなりに、にっこりニコニコ2人を見上げるのであった。
16/05/19 03:26更新 / 430
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■作者メッセージ
確かに僕は変態かもしれない。 だけど変態という名の紳士だよ。
そして思うだけならば、実行さえしなければ犯罪ではないのだよ明智君。

次回で終り、エピローグとか事件ビフォア―とかで締め。

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