連載小説
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後編

【深夜に貴方と】

 午前0時。ベッドから起き上がった私は、傍で眠る彼女を注意深く観察する。
 ベッドサイドの淡い照明が照らす、安らかな寝顔。呼吸は安定しており、頬に触れても反応は無い。
(よし、これならイケる)

 彼女が家にやって来て早数ヶ月。2人で過ごす日々は、何物にも代え難い。
 しかし、人間とは欲深い生き物で。長い1人暮らしで身についた悪癖が、近頃妙に疼くのだ。
 夜が、私を呼んでいる。

 もう一度だけ、可愛らしい寝顔を確認する。薄紅色の頬に、そっとキスを。

(朝のお茶の時間までに戻ります。少しの間だけ、1人になるのを許して下さい)
 小声で、そっと彼女の猫耳に囁いた。

 物音を立てぬ様に着替えた私は、準備しておいた鞄を持って深夜の世界への扉を開いた。
 晩秋の夜の空気は澄み渡り、月もくっきりとして絶好の深夜ドライブ日和である。

 寝静まった住宅街に響く、5分間の後ろめたい足音。その先に、閑散とした駐車場があった。
 暗闇に紛れた小さな車体に鍵を差し入れ、いざ乗り込もうとドアを開いた瞬間――

「ニャーーオ」

 すぐ近くで、猫の鳴き声。野良が車の下に潜っているのかと下廻りを確認したが、もぬけの空だ。
 気を取り直し、車内へと体を潜らせる。

「今晩は。どちらへお出掛けかしら?」

 助手席にちょこなんと座る、猫さんの姿がそこには在った。
 ミルク色のコートにマフラー、そして斑柄のタイツがよく似合って……いや違う、そうじゃない。

「いつの間に車の中へ? さっきまで部屋で寝ていたのでは……」
「簡単な視線誘導。それと、猫は自由意志で寝起きする生き物よ?」
 本来の活動時間をして、彼女のノリは昼間よりもパワーアップしているご様子。

「それで? 貴方はどこへ私を連れていって下さるのかしら」
「南の方へ行こうかと……って、一緒に行くのは確定なんですね?」
(じーーーーー)
「くっ、夜の猫科特有のカワイイまん丸おめめ攻撃! これを断る事などッ! 私には出来ないッ!」
「分かれば宜しい」

 こうして、人生初の深夜ドライブデートの幕が上がったのであった。

「その前に貴方、ちょっと」
 彼女の方を向いた途端、唇に瑞々しい温かな感触。離れると同時に、ざらりとやられた。
 悪戯っぽく舌を出して微笑む彼女。
「さっきのお返し♪」
「……ごちそうさまです」


 住宅街の細い道をしばらく進み、幹線道路へと繋がる交差点を抜ける。
 直線道路の奥、進行方向に沿って等間隔に並ぶ信号機から、赤のリレーが伝わって来る。
  
 停止した車内で、いつもの1/2のボリュームで鳴っているオーディオに、彼女が耳聡く反応した。
「あら、この音楽知ってるわ。キョージュ達がやっていた奴でしょう? てくのぽっぷ、だったかしら」
「よくご存知ですね。この曲自体は違う人のですが、ジャンルは合っていますよ」

 私は知っているのよ。と得意げに、彼女はフフンと鼻を鳴らした。
「今では本当に教授として、世界的にも有名になられましたからね」
「そう……斬新だったものねぇ、彼」

 遠くの信号機から、こちらに青のリレーが届くまで3、2、1。
 ゆっくりとアクセルを開き、いつもよりクラッチ操作を慎重に。変速のショックは最小限に。
 助手席の小さな頭が前後に揺れるのは、心情的に宜しくない。

 車は市街地へと入る。この時間帯は職業ドライバーの稼ぎ時だ。トラックとタクシーの合間を進む。
「この辺りの大きな道は、天井が付いているのね。雨に濡れなくていいから便利だわ」

 計8車線を跨ぐ巨大な高架の下で、彼女はサンルーフ越しに ”天井” を観察している。
 その天井の上にも更に道路が有ると知ったら、彼女は人の放漫さに呆れてしまうだろうか。

「ねぇ、道の所々にある緑色の看板は何? 何かの入り口みたいだけれど」
「あれは高速道路の入り口です。ほら、車が入り口を登って行ったでしょう」
「それじゃあ、あの天井って……呆れた! 上にも道があるのね。 ちょっと貴方、何笑ってるの?」

 視線を車内に戻して、彼女の観察は続く。
「それにしてもこの車、中がうねっていて生き物みたい。何だか落ち着かないわ」 
「内装の意匠を担当した人曰く 『自然界に直線は存在しない』 だそうです。その人は自費でこの車を購入して、しばらく乗っていたらしいですよ」
「良し悪しは別として、自分の仕事に責任を持つ姿勢は評価したいわね」


 車は市街地を抜け、ランプを登る。南へ向かう国道に合流すると、そこから先は一直線だ。
 県境を跨ぎ、橋を渡り、深夜の静まり返った路面を、ひたすらにヘッドライトでなぞってゆく。

 車内に忍び込んだ化学薬品の匂いが、工業地帯に入った事を知らせた。
 地上のコンビナートは昼間の様に煌々と照らされ、無数の航空障害灯が夜空に赤く瞬いている。

「多少はマシになった様だけれど、ここらは相変わらずね」
 手で鼻を覆いながら、彼女は顔を顰めた。急いでヒーターを内気循環に切り替える。
「猫さんは、この辺りに来た事が有るんですか?」
「昔、縄張りにしていたのよ。良くしてくれる人がいてね。そこで――」

 路肩に潜む2つの光点と目が合った。アクセルからブレーキに足をっ、危ない!
 咄嗟に左腕を彼女の前へ。急停止した車の前を、猫が走り去って行った。

「大丈夫ですか?」
「平気よ、ありがとう。同族が死なずに済んだわ。……貴方の左手のおかげで、私も体をぶつけずに済んだしね」
 良かった。独身時代、助手席に置いた荷物を何度もひっくり返して会得した、自慢の技だ。

「それはそうと、今日は随分と積極的ね」
 そう言われて、初めて自分の左手が彼女の胸に触れている事に気付いた。
「貴方が求めるのなら、私も吝かでは無くてよ?」
「失礼しました。今は結構です」
「あら残念」

 急停止で機嫌が悪いギアを2速にナメてから、再び車は走り出した。

「痛いのよ、アレ。轢かれるの」
「え……」
「昔ね。丁度この辺だったわ」

「……この辺は、猫が多いですよね。車の交通量も多くて」  
「詳しいわね」
「子供の頃、住んでたんです」

 鬼籍に入った祖母の家も、この近くに有った。大きな家で、遊びに行ったのを薄らと覚えている。
 今通り過ぎた小学校は――
「今通り過ぎた小学校の裏庭まで、なんとか移動したけれど……ダメだったわね」

 そこは昔、私が通っていた母校だった。

 オーディオのプレイリストが終わった。
 ロードノイズと、エンジンのドラムロールが合奏となって車内に響き渡る。
 早鐘を打つ私の心臓も、その演奏に取り込まれていった。

「その時、死んだ私の姿を見てしまった子供が居てね。……怖かったでしょうに、悪い事をしたわ」
 信号機が赤に変わる。停止線を跨いで、車は斜めに停止した。

「あの子は今、どうしているのかしらね……」
 窓の外を見つめ、そう呟く彼女。横を向いたままで、その表情を窺い知る事はできない。
 私の両手が、ハンドルとシフトノブを強く握り締めていた。


 震える手の片方に、小さな温もりがふれる。

「私ね。今、幸せに暮らしているのよ」
 私の左手と、彼女の右手。フロントガラスに映る、重なり合った2人の手。
 ふぅっと、体が少しずつ、軽くなってゆく。

「それに」
 彼女がゆっくりと振り返る。窓の外に浮かぶ月にも似た、優しい金色の瞳。
「貴方は、戻って来てくれたでしょう? 時間は掛かったかも知れないけれど、私を埋葬してくれた」

 ああ、やはりあの猫は、あなただったんですね。
 彼女は――猫さんは私の手を温めるように、そっと両手で包みながら言った。

「だから、もう一度聞かせて。『あの子は今、どうしているのかしら?』」

 もう大丈夫。涙を拭った、今なら言える。 
「きっと……幸せに暮らしていると、思います」


 長かった赤信号は青へと変わり、2人を乗せた車は再び走り出した。



【深夜に貴方とA】

 国道沿いに暫く進むと、紫色に光る大きな看板が見えて来た。魔物娘がらみの噂が絶えないコンビニ『ファミリアマート』。ここは特に広い駐車スペースを持つ、郊外型の店舗だ。

 ・店員さんが美人揃い
 ・成人向けコーナーが充実している
 ・トイレの個室数が多い

 他店との違いはこれ位で、実際は普通のコンビニである。深夜ドライブの際にはよくこの店を利用していたが、それは猫さんに出会う前の話だ。

「ここで休憩にしませんか?」
「お任せするわ」

 珍しく先客は居らず、駐車場は貸切状態だった。
 先に車から降りるも、彼女は一向に降りて来ない。見ると、ドアの内張りをカリカリとやっている。
 私はお抱え運転手の如く、颯爽と外から助手席のドアを開いた。

「お待たせ致しました、お嬢様。お足元にご注意下さいませ」
「……ご親切にどうも」
 差し出した運転手の手を取り、お嬢様は無事に車から脱出した。

 少し歩いた所で、彼女が立ち止まった。すんすん、と何かを嗅いでいるようだ。
「悪いけれど、私はここで待っているわ」
「どうしたんですか?」
「この店、同族の縄張りみたい。あまり近づきたくは無いわね」
 
 彼女はそう言うと、いつも別れ際にするように抱きついて来た。
「私は紅茶が良いわ。あとスコーンも欲しいわね。チョコチップ入りだと高得点よ?」
「はいはい、分かりました」

 抜け目無い彼女の願いを叶える為、忠実な従者は1人で店へと向かう事になった。

「猫さん、離してもらえないと店に行けないんですが……」
「一応。念のためよ」 スリスリ。



【邂逅】

 彼がお店に入るのを見届けてから、私はまだ暖かい車の上に腰掛けた。ふーーっと、白い息が工場の方に流れてゆく。

「今晩は」
 声の方へ振り向くと、そこにはくたびれた黒い服を着た、白い女の子が立っていた。

「その声……もしかして、私に素敵な魔法をかけてくれた、お節介好きの魔物さん?」
「あたり♪ 覚えていてくれて光栄だわ。直接会うのは初めてね、仔猫さん」
「もう仔猫って齢じゃあ無いけどね……」


 **********
 
 それは、私がコンビニへ入った直後の事であった。

「其処な客人、待たれよ」
 声の方へ振り向くと、そこにはオッパ……ぃや、目線の高さに胸が来る程に長身の、褐色のアスリートが仁王立ちしていた。
 
「今、客人が籠に入れたるその紅茶。それは目下きゃんぺーん中の商品でな。当店自慢の ”ファミアまん” と同時購入で50円引きとなるのだ。どうだ、これを利用しない手は有るまい?」
”トレーニング中” のバッチを付けた褐色の見習い店員は、鋭い眼光で得意げに語った。

(面倒な店員に捕まったぞ……買い物を済ませて早く戻ろう)

「おや? 客人よ、そのミントガムを手に取るとは目が高い。このアニマルビスケットと一緒に購入する事でクリアファイルが貰えるぞ。んん? なんと貴公は魔物の伴侶それも同族の夫かいやこれは目出度いどれ記念に今回の会計はファミアポイントを通常の倍にしてやろうあとついでにこの――――」

(帰りたい……帰して……)

 **********


 黒い服の彼女は、リッチと名乗った。魔法を研究する集団に所属しているらしい。

「彼との暮らしはどう? 聞くだけ野暮かしら」
「おかげさまで。それにしても、随分とお膳立てしてくれたみたいじゃない?」
「罪滅ぼしみたいな物よ。我々は、偶然とはいえ貴女の……いいえ。貴女達の運命に干渉してしまったもの」

「……それも込みで ”運命”よ」
「やはり、年長者の言葉は重みが違うわね。貴女の寛大な心に感謝するわ」
「悪いけれど、齢はそっちの方が上ではなくって?」
「フフフ。身体と心が幼ければ、年齢は関係ないわよ♪」

 見た目には2人とも大して変わらないのに、おかしな話ね。

「そろそろ彼が戻ってくる頃よ。仔猫さん、貴女と話せて良かったわ」
「こちらこそ」
「別れる前に一つ、お願いがあるのだけれど」
「何かしら?」


「素敵な尻尾♥」 もふもふ。
「……」



【回答】

 やっと店員に開放された私が店の外に出ると、猫さんは車の前で待っていてくれた。

「お帰りなさい。随分買い込んだわね」
「お待たせしました、色々とありまして。……ずっと車の外に居たんですか?」
「まぁ、ちょっとね」
「風邪ひきますよ、早く車の中に」
「大丈夫よ。そんなに柔じゃな……っくしゅん!」

 すっかり冷やし猫になってしまった彼女に、温かい紅茶とスコーン(チョコチップ入り)を手渡した。荷物を腕にぶら下げたまま、急いで助手席のドアを開ける。
「ささ、早くお乗り下さいませ、お嬢様」
「貴方、それまだやるの?」

 猫が遊び飽きたオモチャを見るような、うんざりした表情で彼女は続ける。
「ある女優が言ったわ 『時に男は、女に進んで車のドアを開ける事がある。それは男の車が新しい時か、乗せる女が新しい時よ』 ってね」

 この車の ”操作するミライ” は、遠い過去の物だ。色褪せた車体が、それを物語っている。
 では、この車に乗せるのは――

「初めてなんです。この車に、女性を乗せるのは」
「あら、それは光栄だわ。他の雌の匂いがしないもの」
 
 それは喜ぶべき事なのだろうか? 胸の奥の静かな不満を、他の荷物と一緒に車の後部へ詰め込んだ。私が運転席に着く頃には、既に2人分の紅茶とスコーンが準備されている。

「さあ早く、頂きましょ……んん?」
 怪訝な表情を浮かべ、彼女は商品が入っていたコンビニ袋の匂いを嗅ぎ始めた。
(この独特の匂い、もしかして)
「猫さん?」

 彼女は突如、コンビニ袋を頭からすっぽりと被ってしまった。中で猫耳が動く度に、袋がガサガサ鳴っている。
「この感覚、間違いないわね」 ガサガサ。
「猫さん??」

 するとコンビニ袋のロゴ部分が、熱を帯びた様に赤く光り始めたではないか。
「成る程、大体の事がわかったわ」 ピカー。
「猫さん!!??」

 ふぅ、と頭から袋を外すと、彼女は私の膝の上に袋を置いた。
「これって……」
 袋のロゴ部分が、今度は青色に光り始める。しかしその反応は弱く、一瞬で光は消えてしまった。

「つがいの雄には反応が薄いわね。独り身の雄だと、もっと強く反応するんじゃないかしら」
「成る程。猫さんはその、女性なので赤い反応を?」
 ちっちっちっ、と私の前で小さな人差し指を振る彼女。

「魔物娘にとって、それはメリットにならないわね。彼女達は常に、異性の伴侶を求めているもの」
「では、赤の反応は」
「恐らく、異常を検知した時の反応よ。例えば魔物娘の魔力と似た、別の魔力に触れた時、とかね」
「別の魔力……神通力ですか? 猫さんの」
「ええ。私の中にはまだ少し神通力が残っているから、それが正解だと思うわ」

「成る程。そんな事まで分かってしまうとは流石、ハイブリッド・ネコマt」
「 や め て 」
「ハイ」



【2人でお茶を】

 飲み口から湯気を立てる紅茶のペットボトルを、彼女は恨めしそうにじっと見つめている。

 この容器は、中身が冷めるまで待つしかない。純正の猫舌を持つ彼女にとっては、生殺しである。
 些か待つのに飽きた彼女は、意地の悪い笑み浮かべて身を寄せてきた。

「ねぇ、酷いと思わない? こんなに可愛らしい愛猫を、1人残して出掛ける飼い主なんて……」
 すんすんすん、とワザとらしく私の匂いを嗅ぐ。
「ガーンだわ。おまけに現地妻までこさえて……私の幼い身体を味わい尽くしたら、もう用済みなのね……よよよ」

 両手で顔を覆い、分かり易く泣き崩れた。
「確かに、1人で出掛けるのは駄目ですよね。ごめんなさい」
 うううう、あんまりだぁ、と全く泣き止む素振りを見せてくれない。

「猫さん、そろそろお茶が飲み頃ですよ」
「あらそう? 早く教えて頂戴な」

  
 紅茶の熱も引いた頃、車内の時計は午前3時を回っていた。

「この後、どうするの?」
 食べ終えたスコーンの袋を細く折り込みながら、助手席の彼女は問うた。ひょいと手渡されたのは、形の良い蝶結び。
 彼女が今履いている靴をプレゼントした日、一緒に靴紐の結び方を練習した事を思い出した。

 猫さんに出会う前は、東の空が青くなるまで車で走っていた。家に帰って昼まで眠り、朝食を抜いて食費を削る。夕方までダラダラして、そのまま眠る。それが、正しい休日の過ごし方だった。 

 手元の蝶結びを弄びながら思う。もう、そんな過ごし方は出来ないのだと。
「帰りましょうか」
 蝶をポケットに仕舞って、私は言った。ごみだから捨てなさいな、と彼女が笑う。
 
 遠くの工場の高い煙突から、静かに炎が上がっている。

「なかなか居ないわよ。2回も、同じ猫の死に目に会う人間なんて」
 初めて玄関先で出会った時のような、蠱惑的な瞳。

「はい。でもそれは、猫さんと2回も出会えた、という事ですよね」
 私の言葉に、彼女は少しだけキョトンとしていた。

「2度有る事は――……まぁ良いわ。私はもう、貴方と同じ時を過ごす事が出来るのだから」
 魔物娘の伴侶となる者は、その寿命も同等になると聞く。

「猫さん。これからも、私と一緒に居てくれますか?」
「モチのロンよ。尤も、貴方が独りで出掛けたり、私をコンビニの袋に突っ込んだりしなければ、ね」
「うぐ……肝に命じておきます……」

 煙突の炎は収まり、一筋の煙が北へと流れていった。

「また来ましょう? 夜のドライブ。今度は貴方が淹れた、あの紅茶を持ってね」
「ええ、クッキーも一緒に。2人でお茶にしましょう」

 車は2人を乗せて、ゆっくりと走り出した。
 
「ふぁぁ、帰ったら一眠りしたいわね」
「ええ。起きたら、一緒にブランチしましょう!」

 1人、深夜に繰り出していたあの頃。私はどんな気持ちで車を運転していただろうか。
 ほんの数ヶ月前の事なのに。私はもう、思い出す事が出来なかった。



【むかしのはなし】

 大きな日本家屋の縁側で、斑模様の猫が寛いでいる。穏やかな陽が差し込み、お昼寝には丁度良い。そこへ小さな男の子と、遅れて老婆がやってきた。

「あ! ねこさんだ!」
(誰? 今、お昼寝中なんだけど……)
「おばあちゃん。このネコさん、かってるの?」
「いんや、野良だよ。最近よく家に遊びに来るのさ」
「なまえは?」
「婆ちゃんは、マダラって呼んでるよ。斑模様だからねぇ」
「まだだ?」

(!?)
 
「アハハ、違う違う。ま、だ、ら」
「まー、だー、だ?」
「まだ上手く言えないねぇ。かわいいねぇ」
(かわいく無いわよ! まったく、少し怖がらせてやろうかしら)
「婆ちゃん、ちょっとお台所に行ってくるよ。マダラと仲良くね」

 老婆の姿が見えなくなった途端、猫は男の子に向き直った。全身の毛を逆立て、牙を剥いて威嚇する。仕上げとばかりに、1房の尾を裂いて2本の尻尾を見せ付けた。
 それを見た男の子は、目をいっぱいに見開いて――

「うわぁ、すごい! しっぽがにほんのネコさん、はじめてみた!」
(そうでしょうとも。私は怖〜い猫又様なんだから、存分に怖がって……へ?)
「かわいい! ふわふわいっぱい! あったかい!」 もふもふもふもふ。
(ちょっと、やめなさいったら!)
「あー、まだだいっちゃったー」

(私の尻尾がかわいいって……そんな事言われたの、初めてだわ……)


 老婆が紅茶を載せたお盆を持って、縁側へと戻って来た。甘く、爽やかな香りが広がる。

「お茶が出来たから、おやつにしようねぇ」
「やったぁ! おばあちゃんのおちゃ、あまくてすき!」
「そりゃあ良かった。お林檎のクッキーもあるよ」

「おばあちゃん、そのちゃいろいの、なあに?」
「お砂糖だよ。三温糖といって、どんなお料理もばっちり美味しくなるのさ」

「そうだ、おばあちゃん。まだだ、しっぽがにほんあるんだよ! にゅ〜って、ふたつになるの!」
「本当かい? ……そうかぁ、そうかもねぇ。マダラは、猫又なのかもしれないねぇ」

 老婆は、花壇の隅にある苔生した石を見つめた。その視線は、どこか遠い。

「ねこまたー?」
「そうさ。どれ、婆ちゃんが一つ、昔話をしてあげようか」

 むかしむかし、ある所に猫が一匹おったそうな。大のいたずら好きで、舶来のお茶をひっくり返したり、障子を破いたり、家の人を困らせていたそうな。その猫の毛皮は斑模様で――……



『コンビニ袋と鎌を持って猫を埋めにいく話』

 おしまい
19/07/21 15:01更新 / トケイ屋
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■作者メッセージ
ここまで長々とお付き合い頂きまして、ありがとうございました!


【新しい出逢い】

「リッチ殿。言われた通り客人を引き止めたが、あれで良かったのか?」
「ええ。バッチリよ」

東の空が青く染まり始める頃、コンビニの店内では異形の美女2人による取引が行われていた。

「では、例の報酬は期待して良いのだな」
「無論。貴女好みの、素敵な男性を用意したわ」
「なんと! それは楽しみだ!」

「あと、これを貴女に。すぐ必要になると思うから」
「これは……帽子か? 小さいな」
「貴女から採取した体毛を培養して、繊維に織り込んであるの。模様も貴女のパターンを完璧に再現したわ」
(あの時のもふもふ、か)
 
「では、私はこれにて。ご協力感謝するわ、お幸せに♪」

 歪む空間に消えたリッチと入れ替わる様に、店の自動扉が開いた。
 あどけなさの残る顔立ちの少年が、新聞の束を抱えて店のカウンターにやって来る。

「おはようございます! 今日から新聞配達の担当になりました! よろしくおねがいします!」
「あぁ……宜しくヤろうじゃあないか……」じゅるり。

 挨拶も済み、次の配達先へ向かう少年。しかし戦士の眼は、彼の赤く凍えた耳を見逃さなかった。
「待たれよ、少年!」
 呼び止められた少年が振り向く。
「外は寒かろう。これを使うがいい」 
 彼女が差し出したのは、暖かそうなニットキャップ。

「ええと……いいんですか? こんな良いものを貰ってしまって」
「気にするな。どれ、私が被せてやろう」
 少年の前にしゃがみ込んだ彼女との距離はあまりに近く、彼の耳は更に赤くなってしまった。

「あ、ありがとうございます。とっても暖かいです! これ、豹柄ですか?」
「いいや。ジャガーさ」

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