読切小説
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しあわせと白猫
 早くに両親を失った少年は、父がお金を借りていたと言う、傲慢な商家に引き取られ、人ではなく道具のように扱われた。ぼろきれのような服を与えられ、食べ残しを啜らされ、藁のベッドで眠る。
 死んだ親の代わりに金を稼いでこいと言われて働くことになった街の食堂でも、怒鳴られながら皿洗いや掃除等の雑事を全部やる事になり、商家の友人だと言う食堂の主人に、顎で使われる。
 心身共に疲れ果て、夜道を歩いて帰ったところで、その家に居場所は無い。

 すっかり俯きがちになってしまった少年は、その日も、静まり返った夜の街を、とぼとぼと背を丸めて歩いていた。地面を見つめる目には、同年代の子ども達が持っているような無邪気な輝きは無かった。
 ささやかな抵抗のように、まっすぐ家には向かわず、遠回りをして、綺麗に掃除されている大通りから、煉瓦は割れてゴミが転がる路地裏へと入る。
 入り組んだ路地裏の、少年だけが覚えている目印を辿って行くと、やがて、一つの行き止まりに辿り着く。

 建物に囲まれた、不自然に作られたその空白の空間に、何匹もの猫が集まっていた。そして、思い思いに過ごしていた猫たちは、少年を見るなり、にゃあにゃあと声を上げて擦り寄った。

「ごめんね。今日は、あんまり無いんだ」

 そう言いながら、少年はズボンのポケットから布袋を取り出す。閉じた口から漏れる焼き魚の匂いに、灰色の毛皮の猫が少年の足を支えに二本足で立ち上がって、すんすんと鼻を鳴らした。

 それは、一日二日は食事をもらえない事もあった少年が生き延びるために手を染めた些細な悪事だった。客の残した食事で手付かずの物を、こっそりと懐に入れてしまう。
 無論、捨ててしまうものとは言え、見つかったらタダでは済まない。だからこういった人目の無い場所で食べてしまうようにしていたのだが、最近では、自分のためにではなく、ここの野良猫たちに与えるために食べ物を持って来る事の方が多かった。

 まだ、両親と暮らしていた頃に飼っていた一匹の白猫の姿を、ここの野良猫たちが思い出させてくれる。幸せだった思い出と現在を重ねられるこのひと時だけが、今の少年の支えとなっていた。
 はじめての友だちで、兄妹のように育った、「ミミ」と名付けられた愛猫。
 彼女は、今の家に引き取られる事が決まった時に、あんな嫌な所で暮らすよりはいいだろうと逃がしてしまった。どこかに拾われたか野良になったかは分からないが、元々気ままな性格だった彼女の事だから、幸せに暮らしているだろう。

 口を開けた袋を裏返し、そのまま皿代わりにして、地面に置く。わっと群がった猫たちを、少年は優しい眼差しで見つめた。

「喧嘩は駄目だよ。また、持ってくるから」

 そう言った少年の腹が、何かを訴えるようにぐぅと鳴った。途端に、奪い合うように魚を食べていた猫たちが、一斉に少年を見上げた。

「……僕は、家に帰ればご飯があるから」

 嘘だった。家に帰っても、食事があるとは限らない。稼ぎが少ないから、家の掃除がちゃんとできていなかったから。そんな理由で食事を抜かれる事だって珍しくない。
 しかし、少年はあくまでも、猫たちに対して心配をかけまいと平気な顔をしてみせた。
 そうだ。僕はちょっとくらい食べなくても大丈夫。僕よりも小さい猫たちの方が、きっとお腹を空かせている。
 そう考え、すっかり食べる手ならぬ、食べる口を止めてしまった猫たちに、「どうぞ」と手で示した。
 それでもなお顔を見上げてくる猫たちに、自分がいたら食べづらいのかもしれないと思い至り、立ち去ろうとした瞬間、

「まだ、猫は好きなのかな?」

 頭上から聞こえた声に、小さく悲鳴をあげるほどに驚かされた。

 建物に囲まれていても、この空き地に面した位置に窓は無い。だから安心していられたのだが、声をかけられたという事は、誰かに見られていたという事。
 と言う事は、今までの事も全部見られていたかもしれない。
 足元が歪んだような錯覚すら覚えて恐怖した少年は、頭上を見上げる事すらできずに地面を見つめた。

「猫が、好きなのかにゃぁん?」

 奇妙に語尾を伸ばして、どこかふざけた調子で投げかけられた同じ質問に、怯えたままの少年は小さく頷いた。
 まるで何でもない風に話しかけておいて、怒鳴り散らす。今までも何度も経験してきた。今回も、きっとそうだ。

「よし!それじゃあ、我らが楽園にご案内!ものども、かかれかかれぃ!」

 しかし、頭上にいた誰かは変わらずふざけたまま、そんな事を言った。
 途端に、足下にいた猫たちがにゃあにゃあと声をあげ、少年に飛び掛かる。

「うわっ!?な、何……!?」

 突然の事によろけて転びそうになった少年を、柔らかくふさふさした何かが支えた。そして、そのまま少年に目隠しをすると、ふさふさした何かは少年を荷車か何かに乗せ、野良猫たちとにゃんにゃんと掛け声を合わせながらどこかへ運んでいく。
 いつの間にか猿轡までも噛まされて、もがく事しかできなくなった状態で、少年は恐怖よりも、純粋に混乱していた。

「はい到着!」

 何かがそう言うと同時に、少年は柔らかなクッションのようなものに放り投げられ、目隠しと猿轡も外された。
 運ばれているうちに上下も分からなくなっていたのを、頭を振って感覚を取り戻す。

「ようこそ!猫の王国へ!」

 何の変哲も無い民家の一室で、後ろ足で立っている猫……もとい、猫のようなものが、喋っていた。
 大きなぬいぐるみにも見えるが、どう見ても動いている。生きている。しかも足下では、さっきの路地裏にいた猫たちが、にゃぁにゃぁと合唱している。

 理解が追いつかず、口をぱくぱくさせるばかりの少年に、その猫のようなものはふさふさの毛皮に包まれた胸を張って「ふふん」と笑った。

「もしかして、このきゅーとでないすな姿にびっくりしちゃったかにゃぁ?」
「いや……その、猫が、喋って……?」

 真っ白な尻尾をくねらせ、同じように真っ白な耳を伏せて、猫と言われたそれは不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
 人の顔色を伺って生きている少年は、それだけで、自分がこの猫の気に入らない事を言ってしまったのだと怯え、咄嗟に首を横に振った。

「あっ、ち、違います!可愛くないって言ったんじゃなくて、えっと……」
「そんなのは分かってる!久しぶりにお話したのに『猫』なんて呼び方されたのが、気に・入ら・にゃい・の!」

 そうは言われても、名前も知らないのになんと呼べばいいのか。「猫みたいなもの」とか「ぬいぐるみ」とか言えばいいのか。
 怒りの方向が予想外だった事に戸惑った少年は、ふと、その猫のようなものの姿に、僅かながら見覚えがある事に気が付いた。

 白い猫。耳の先から尻尾の先まで真っ白で、わがままで、いっつも偉そうな猫。
 小さい頃からずっと一緒にいて、別れた後でもずっと恋しく思っていた、はじめての友だち。

「……ミミ?」
「なぁんでそんなに自信無さそうなの?」

 分からないのがおかしいとでも言うように、その猫らしきもの――少年の愛猫だった「ミミ」は、ため息をついて続けた。

「確かに、ちょっと見た目は変わったけど、それでもミミのぱーふぇくとな毛並みもぷりてぃーな尻尾もそのままなのに……」
「いや、だって……僕の知ってるミミは猫だったし……」
「むっ、今のミミは猫じゃないって言うの?」
「猫……猫かもしれないけど……」

 柔らかそうな毛並みや特徴的な耳と尻尾は猫なのだが、後ろ足で立って歩く、杖を持った猫は見たことが無い。
 その上、頭には髪が生えており、鈴の付いた可愛らしいマントを着ている。これが猫だと言われても首を傾げる程度には猫ではない。かと言って、決して人でもない。

「まぁいいにゃ。それより、お腹が空いているなら、お話よりもご飯が先!」

 ぺたぺたと素足を鳴らして部屋の外へ駆けて行ったミミと、それについていった野良猫たちを見送り、少年は一人取り残されたまま、とりあえず部屋を見回した。

 ベッドや机のある普通の部屋に見えるが、置かれている家具には、所々に猫の顔や尻尾の模様が入っている。座らされていたソファも、よく見れば肉球の模様に刺繍が入っていた。
 ミミの出て行ったドアも、下の方に小さなドアが付いている。ちょうど、猫が通り抜けられる程度の大きさだった。

「なぁにしてるの!早く来にゃさい!」

 見ていたドアの向こうから呼ばれて、少年は慌てて部屋を出た。
 そこは、やはり普通のリビングだったが、テーブルには少年が見たことも無いほどのご馳走が並べられている。そして、テーブルに乗った野良猫たちが、くんくんとそれらの匂いを嗅いでいる。
 いつの間にかエプロンを着ていたミミが、戸惑っている少年の背中を押して、無理やり椅子に座らせて、どこか仰々しく芝居がかった口調で言った。

「さぁさぁ!ミミが腕によりをかけて用意したごちそう!存分にご堪能あれ!」
「……こんなの、用意したの?」
「バステト神さまから力を貰った今のミミなら、これくらいちょちょいのちょい!」

 自慢げなミミが手に持った杖をくるりと回すと、バスケットに入っていたロールパンが、ぽんっという音と共に白パンへと変わる。
 もう一度回すと、今度はテーブルの真ん中に置かれていたターキーがステーキに変わった。

「すごい……」

 少年には、ミミの言った「バステト神さま」というのが分からなかったが、とりあえず素直に賞賛の言葉を述べた。

「ミミのすごさが分かった所で、さっさと食べなさい!」
「でも……僕、お金持ってないし……」
「まだそんな事を言うなんて、猫失格だにゃ!」
「だって、猫じゃないし……」

 中々食事に手を付けようとしない少年に、「よく聞け、ひとのこよ!」と力強く前置きしてから、ミミは手に持った杖を突きつけた。先端に付いた猫の人形も、どういう訳か形を変えて少年を指差す。

「ここは猫の王国!お金とかお仕事とかそういうのは、無い!そもそも、ミミがそんなものを要求するはず、無い!」
「……でも」
「『でも』も『だけど』も、にゃぁい!」

 その叫びと共に、白い煙に包まれた杖が一瞬の内にフォークに変わった。
 持ち手に猫の肉球が刻まれているそのフォークでステーキを一切れ突き刺し、そのまま少年の口に突っ込む。

「食べて、元気出して、ミミが遊びたい時には一緒に遊ぶ!寝たい時には一緒に寝る!それがお仕事!」

 お仕事とかは無いと言われたばかりなのに。そう思いながらも、目を白黒させた少年は口に突っ込まれたステーキを咀嚼した。ソースの類はかかっていない、柔らかい歯ごたえと濃厚な肉汁を楽しめる、上質なステーキだった。

「美味しい?」
「……美味しいです」

 少年の答えに満足したのか、ミミはうんうんと頷いて、さも当然のように少年の膝の上に座った。そして、自分用に出したフォークを握って、目の前にあった焼き魚をもしゃもしゃと食べ始めた。
 その様子に少年は少しだけ驚いたが、同時に、懐かしさも感じていた。

「……そういえば、昔は僕がご飯食べてるといつも膝に乗ってきてたね」
「膝の上にいると、美味しい物がぽろぽろ降ってきたんだもの。いつまで経っても、ぽろぽろ食べこぼしてたにゃぁ」
「今はもうこぼさないよ……」

 久しぶりに口にした瑞々しい野菜や温かい料理に、食べる手も止められないまま、少年は不満そうに答えた。
 確かに、まだ両親が健在だった頃には、よく食べこぼして叱られていた。でも、今は食べこぼしてしまうのすら惜しい。

「あと、おねしょも中々治らなかったにゃぁ。一回、ミミがおしっこしたって嘘付いた事も」
「……知らない。覚えてない」
「おねしょする時には必ず寝言を言うから、ミミはそれを聞いたらすぐベッドから逃げてたのに。朝ごはんを食べてたら、いきなり『ミミがおしっこした』なんて言われて、いやはや、顔を引っ掻いてやろうかと思ったにゃ」
「そんな事思ってたんだ……」

 今までは知る事のできなかった、愛猫が猫として考えていた事を知り、少年は小さく笑った。
 直後、ミミはもぐもぐと食べていた魚を飲み込み、仰け反った姿勢で少年の顔を見上げると、真剣な表情で言った。

「やっと、笑った」
「……?」

 フォークを置いてから、首を傾げている少年のほっぺたをふかふかの手で掴み、無理やり引っ張り上げて、口角を上げさせる。

「つらい事もあったのは知ってるけれど、ここでは、ミミと一緒に幸せな事だけを考えてなきゃ駄目だにゃぁ?」

 その言葉に、少年は言葉を失った。
 様々な感情が渦巻き、心をかき乱す。そして、それは涙となって、少年の頬を伝い落ちた。
 空気が変わったことを察したのか、テーブルの上で思い思いに食事に耽っていた野良猫たちが、お土産を口に咥えて軽快にどこかへ駆けて行った。

「まったく、泣き虫も変わってないなんて」
「ずっと、泣いてなかったよ……泣き虫じゃないよ……」
「はいはい。今は好きなだけ泣けばいいよ。まったく、世話のかかる弟だにゃぁ」

 魔法で出したハンカチで少年の涙を拭いながら、ミミは口ではめんどくさそうに言った。しかし、その表情には欠片も面倒だなどと思っている気配は無く、むしろ喜んでいるような微笑が浮かんでいた。

 そのまま、しばらく泣き続けた少年の膝の上で、ミミは時々尻尾を揺らしながら涙を拭い続けた。
 やがて、溜めていた涙を流しきって目と鼻を赤くした少年は、恥ずかしさに頬も赤くしながら、泣き止むまで待っていてくれたミミを抱きしめた。
 懐かしい愛猫の香りと温もり。ごろごろと喉を鳴らす声。そして、だいぶ重くなった体重を感じながら、憑き物が落ちたかのように微笑む。

「……まぁ、今は抱っこされてもいい気分だから、我慢するにゃぁ」
「昔は、ご飯食べてる時に手を出したら凄い怒ってたのに。蜂がミミの近くに飛んでいったから慌てて追い払おうとしたら、何故か僕に飛び掛ってくるくらいには怒ってたのに」
「蜂なんか放っておけばいいのに、ご飯食べてるミミの近くで騒いだ方が悪いんだにゃ」

 「抱っこされてもいい気分」だったのが変わったのか、ミミは身を捩って少年の膝の上から飛び降りると、大きく伸びをしてから、ため息をついた。

「さぁ、ご飯食べ終わったなら、お散歩の時間!」
「いってらっしゃい。僕は、お皿を片付けておくね。水場は……」
「なぁにを言ってるの。こんなもの、ちょいっとやれば、ぽんっと片付くにゃ」

 言ったとおりに、ミミがちょいっと杖を振ると、テーブルの上に並んでいた料理も皿も、ぽんっと跡形も無く消えた。野良猫たちが散らかした食べかすも消えている。
 消えたものはどこに行ったのだろうと、少年の頭に当然の疑問が浮かんだが、深く考えるのはやめておくことにした。

「じゃあ、部屋の掃除を……」
「さっきミミが言った事、もう忘れたの?遊びたい時は、一緒に!遊ぶ!」

 もう一度杖を振り、今度は少年が白い煙に包まれると、着ていたぼろきれは消え去り、歳相応の子どもらしい、動きやすそうな新品の服に変わった。
 おなかの部分にちょうど猫が一匹入りそうな袋が付いた服を、少年は物珍しそうに見つめた。

「さぁ、お散歩だにゃ!今日は特別にミミが案内してやるにゃぁ!」
「あっ、うん。ありがとう……」

 小さな猫の手に引かれて、家から半ば引きずり出された少年は、まず、そこは陽が差している昼間の街である事に驚いた。
 ここに連れてこられる前は、夜だったのに。あっという間に日が昇ったのか、どこか別の場所なのか。

 いつの間にか戻ってきていた野良猫たちも引き連れて、少年はミミの手を握ったままきょろきょろとあたりを見回す。

 少し高めの建物の屋上から屋上へ、あるいは窓から窓へ橋が架かり、その上を猫たちが行き来している。また、日当たりのいい窓際や道端のベンチでは、猫たちが思い思いに昼寝を楽しんでいる。
 時々、見たことの無い訪問者に目を向ける猫もいたが、それも、すぐに興味を失ったようにまた目を閉じて寝直していた。

「ミミみたいな猫は、他にはいないの?」
「いっぱいいるけれど、今はだいたい旦那さんとおうちでご飯を食べてるんじゃないかにゃぁ」

 そう言った直後、ベンチに座ってぼーっとしている男の人を見つけた。上下が繋がった服を着て、お腹の所でぐるぐると布を巻きつけた、見慣れない格好をしたその人の膝を枕に、ミミよりも人に近い姿をした猫が、やはり見慣れない服を着て、気持ち良さそうに眠っている。
 ふと、その人と目が合い、少年は慌てて頭を下げた。柔和そうな笑みを浮かべた男の人は、膝の上の猫を起こさないように、少し声を抑えて少年に挨拶をした。

「こんにちは。新しい住人かな?」
「えっと……多分、そうです」
「そっか。じゃあ、キミも猫が好きなんだ」
「……はい」

 男の人は、自分より随分と歳若い同行の士が猫に引っ張られているのを見ると、僅かに苦笑して、「お幸せにね」と手を振った。
 それに手を振り返して、少年は再びあたりを見回す。
 目印らしい目印は無く、外観はどれも似たような建物ばかり。道は細く、入り組んでいる。

「なんか、道に迷いそう……」
「帰りたいって思ったら、家の方から勝手に来てくれるから心配しなくていいんだにゃ」

 そんな馬鹿なと思ったが、ミミに言われて適当な家のドアを開けてみると、なるほど、確かにそこはさっき出てきた家だった。
 これなら、迷子になって家に帰れなくなる心配は無い。

「じゃあ、他のところに行きたいって思ったら、行けるの?」
「さあ?やった事が無いから分からないにゃぁ」

 普段から好き勝手歩いているのだろうと思われる発言をしながら、ミミは適当な建物の外階段を上り、屋上に出た。
 遮るものの無い屋上は、高く昇った陽の光を存分に受けられる、日向ぼっこには最適な場所のようで、様々な猫が思い思いの格好で温かい陽射しに身を任せている。
 当然、そんな屋上にもいくつかベンチが置かれており、誰も寝ていないベンチを見つけたミミは、少年に手で「座れ」と合図した。

 言われるがままに座った少年は、そのベンチの座り心地に驚いた。木でできているようにしか見えないが、木ほど硬くない。確かにこれなら昼寝にはちょうど良さそうだった。
 ぺたぺたとベンチの表面を叩いていた少年の隣に座ったミミは、おもむろに横になると、少年の膝を枕にして、大きくあくびをした。

「……お散歩は?」
「今からは、お昼寝の時間。おやすみにゃさぁい……」

 ついてきていた野良猫たちも、それぞれが気に入る場所を探して散っていく。
 早々に寝息を立て始めたミミを起こすわけにもいかず、少年は頭を撫でてやりながら、とりあえず空を見上げた。
 雲一つ無い快晴。ぽかぽかとした日差しは、暑くも無く寒くも無く、心地良い。確かに、これは絶好のお昼寝日和だ。
 膝の上で気持ち良さそうに眠っているミミに釣られるように、少年もこっくりこっくりと船を漕ぐ。誰にも咎められずに気持ちよく昼寝ができるなんて、随分と久しぶりだと思いながら、その意識は静かに眠りへと落ちていった。




 柔らかい何かに頬をぺちぺちと叩かれて、少年は目を覚ました。
 おもむろに目を開けると、何故かこちらの顔に手を伸ばして遊んでいたミミと目が合う。

「……おはよう」
「ずいぶん、気持ち良さそうに寝てたにゃぁ?」
「うん。ちょっとだけ、猫の気持ちが分かった」

 そう言いながら、少年は背を反らして伸びを一つ。
 いつの間にか、綺麗な夕焼けが街中を橙色に染め上げていた。屋上には、まだ寝ている猫もいるが、大半はどこか別の場所へと移動したらしい。真昼よりも随分と数が減っている。

「さて、じゃあミミたちも行こうかにゃ」
「行くって、どこに?」

 少年の質問には答えず、ぴょんっと跳んでベンチから降りたミミは、ぺたぺたとどこかへ歩いていく。
 細い橋を渡り、階段を降り、危なっかしく追いかける少年が何を言おうと、ミミは沈黙を保ったまま街中を縦横無尽に歩き回る。
 家に帰るだけなら、こんなにうろうろしなくてもいい。きっと何か目的があって歩いているのだろうと思ったが、その目的は分からないし、教えてもくれない。

 そこそこ早足で、しかもあちこち歩き回るミミについていくだけでも、少年は疲労に喘ぎ始めていた。

「ねぇ、そろそろどこに行くのかだけでも教えてくれても……」

 窮屈な路地裏に入ってしまい、見失わないように小走りでミミとの距離を詰めると、唐突に、ミミは振り向いて少年の胸に顔を埋めた。
 たたらを踏みながらも何とか転ばずに耐えた少年は、ミミの息がとても荒くなっていることに気がついた。
 真っ白な尻尾は忙しなくうねうねと動き、時たまこちらの足を叩いている。

「……どうしたの?」

 何かに耐えるように、大きく呼吸を繰り返す姿に心配になって、とりあえず抱きしめて背中をさする。
 びくん、と大きく体を震わせたミミは、がばっと顔を上げて、少年の顔を見た。

「ほんとうは、もうちょっとがまんしようとおもってたけど……」

 少年を見つめたまま、熱い息を吐く口でにやりと笑みを作った。相当興奮しているのか、黒目はまん丸になり、体中の毛が逆立っている。
 本能的に恐怖を感じた少年は一歩後ずさったが、そこにあった壁が、逃げる事を許さなかった。

 待って、と言おうとして開かれた少年の口に、ミミは無理やり自分の口を重ね、ざらざらとした舌をねじこんだ。
 自分の舌を擦られる感触に、少年の背筋にぞくりと奇妙な快感が走る。同時に、これからどういう事になるのか、曖昧な性知識でも何となく予測ができてしまった。

 二人の口の間で糸を引いた唾液をぺろりと舐め取り、ミミはよだれをこぼしそうなほどに息を荒げる。

「ずぅっとがまんしてたのに、いきなりこんなちかくでにおいをかいで、がまんできるはずがないにゃぁ……」

 少年の襟に無理やり鼻先を突っ込んで匂いを嗅ぎながら、ミミはどこからか出した杖を振るって、少年と自分の着ていた服を消し去った。

「いや、待って!なんで、こんなところで……」
「ねこならあたりまえだにゃ」

 首筋を舐められるたびに、痛みにも近い快感が走る。幼いと言っても差し支えない少年には強すぎるその刺激に、情けない悲鳴が漏れる。
 そして、その舌で舐め取った少年の匂いを口の中で味わい、もはや発情しきった雌猫でしかなくなったミミは、少年の下腹部でしっかりと役目を果たそうとしているそれに手を伸ばした。
 先っぽを隠している包皮を剥き、まだ刺激を受けた事も無いそこを肉球で撫でられただけで背を反らして反応した少年を見て、更なる興奮を煽り立てられたように笑った。

「ふふん……いただきます、にゃ」

 それが、始まりの合図だった。
 入り組んだ路地裏には、発情した猫の鳴き声と未知の快感に振り回される少年の声が、すっかり夜が更けてしまうまで、長々と響き渡る事となった。




 どこからでもすぐに家に帰れるようになっていて、本当に助かった。
 一糸纏わぬ姿で、同じように裸のミミをベッドに寝かせた少年は、どこか冷静さを保ったままの思考でそんな事を考えた。

 何度も何度も、こちらが悲鳴をあげて許しを乞うても、ミミが満足するまで「交尾」は続けられた。
 途中から、どこか別の所からも別の猫と人の交尾する声が聞こえ、完全に陽が落ちた頃には、街中の路地裏から鳴き声が響いていた。つまり、ここでの路地裏とはそういう場所なのだろう。

 既に体力の限界が来ていた少年は、水浴びをする余裕も無く、ミミを寝かせたベッドに潜り込んだ。
 深くため息をつくと、もぞもぞと動いたミミが体を寄せて、とろんとした声で呟いた。

「ミミのベッドに勝手に入ってくるのも、昔と変わってないにゃぁ」
「いや、昔は僕のベッドにミミが入ってきてたよね?というか起きてたなら、自分で歩いてよ……」
「あんなにめちゃくちゃにされて、歩くなんてできにゃいし……」

 少年は、めちゃくちゃにされたのはどっちだと言いたかったのをぐっと堪えた。
 少しだけ、本当に少しだけだが、初めての快感に自分を抑えきれなかった部分があったのは否定できなかった。

 天井を見つめたまま、少年は話を逸らすように、ずっと気になっていた疑問を口にした。

「……ねえ、もしかして、ずっと僕の事見てたの?」

 昼間、食事中に言われた「やっと笑った」という言葉。それは、ミミと離れてから、一度も笑っていなかったのを知っているようにも聞こえた。
 もしそうなら、どうしてずっと姿を隠していたのか、会いに来てくれなかったのか。責めるような言葉が胸中に渦巻く。

「……見てたから、ここに来られるようにがんばったの。もうちょっと早くバステト神さまと会えてれば、もっと早く連れてこられたんだけどにゃあ」
「そっか。じゃあ、僕の事助けてくれたんだ」
「なに言ってるんだかにゃぁ。勝手にお別れだなんて言いだしたお馬鹿な弟に、お姉ちゃんは怒ってますって言うために連れてきたに決まってるにゃ」
「……うん。ごめんなさい」
「分かればよろしい」

 天井に大きく描かれた猫の模様を見ているのにも飽きて、寝返りを打ってミミを抱きしめる。
 膝に乗られるとちょっと重いけど、こうして抱きしめる分には、小さな猫だったときよりも今の方がずっと抱き心地が良い。
 そんな事を思った少年の頭に、ふと、不安の影が差した。

「……僕は、ずっとここに居ていいの?」

 これは、単なる夢かもしれない。あるいは、やっぱり駄目だと、希望の無い場所に叩き返されるかもしれない。幸せを思い出し、今までよりもかえって大きくなった不安に、少年の声は震えていた。

「当たり前だにゃあ。ずっとここに居て、お姉ちゃんであるミミのお世話をできるんだから、誇らしく思うがいいにゃ」

 何でもないように答えたミミに、少年はほっと胸を撫で下ろした。
 もう、大好きな愛猫ともお別れしなくていい。それは何よりなのだが、

「……昼間も言ってたけど、僕が弟なの?」
「生まれたのはミミの方が後だけど、猫は人よりずっと早くオトナになるから当然そうにゃる」
「なんか、納得行かない……あと、その……姉弟で、ああいう事をするのは……」
「ホントの姉弟じゃないし、そうだとしても、人間の決めた事なんか知った事じゃないにゃぁ」
「……本当に、勝手だね」

 そんな事を言いながらも、少年は満更でもないように笑った。

 思えば、この猫は昔から自分勝手だったが、同時に大人しくもあった。こちらが子どもらしくはしゃいでいる時に、見守ってくれていたくらいには。

「これからは、お姉ちゃんって呼んだ方が良い?」
「ミミの事をりすぺくとしてるなら、おねえちゃんでもミミでもどうでもいいにゃぁ」

 本当にどうでもよさそうに言うと、ミミは大きくあくびをした。
 そして、少年にくっついたまま丸くなって、しばらくはごろごろと喉を鳴らしていたが、やがて、それも静かな寝息へと変わった。
 あっという間に色んな事が変わってしまい、疲れが溜まっていた少年も、大きくあくびをする。

「……おやすみ。また、明日」

 すぐ傍に感じられる温かさを抱きしめて、昔の幸せが戻ってきた事を確かめながら、少年はそう呟いた。
 そして、そんな主の、愛する人の温もりに包まれたまま。ミミはこっそりと、嬉しそうに笑っていた。
 今までの分、これからずっと、我侭言って困らせてやるんだからにゃ。
 出そうになったそんな言葉は、尻尾を揺らして誤魔化す事にした。
16/06/05 19:00更新 / みなと

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